OREAD Diary April 1-30, 2010

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April 30, 2010 Friday

午前中、じゃがいもの種芋を植える。三種類。メイクイーンに男爵。そして、もうひとつは今名前が思い出せない。大きな種芋は包丁で二つに切って灰をつけて植える。けっこう長い三つの畝。

昼過ぎ家人が外出から戻り、スナップエンドウの種も蒔こうということになった。急遽、畝を作り、マルチをかけ、一袋分の種を蒔く。先月ディランのコンサートのあと、歌舞伎町の居酒屋で初めて「スナップエンドウ」なるものをご馳走になった。色鮮やかな丸々と太ったサヤエンドウ。先日ホームセンターでその種を見つけ、二袋買っておいた。もう一袋は、しばらくくしてから蒔くことに。一度にたくさん出来ても食べきれない。

6時からオーリアッド。今夜も暇で、読書をしたり、歌を練習したり。トルストイの晩年を描いた The Last Station を読んでいるが、なかなか進まない。この本の構成に慣れるまで時間がかかった。一人のナレーターが一つの物語を語るのではなく、何人もの登場人物が、一人称で、トルストイについて語るのである。最初はそれが分からず、おかしいな、おかしいな、と思いながら読んでいた。日本語だったら、一人称は老若男女、違うので間違えることはないが、英語の場合は、すべて同じである。

When the Ship Comes In を歌っているところに、電話。豊丘村の松尾さん。今月初め、日大芸術学部に進学したレミさんがゴールデンウイークで帰省したので、明日のオープンマイクに参加したいとのこと。彼女の歌は2度聞いたことがある。彼女の声は不思議な魅力をもっている。声だけで完全に魅了される。


April 29, 2010 Thursday

朝起きたら雨が降っている。それに寒い。またか、と思ったが、正午までに雨は止み、快晴に。例年はスイセンが咲き、それが終わるとチューリップが咲き始める。今朝見ると蕾だったチュリップが突然開き、スイセンとチューリップが同時に咲いている。遅れていた山吹も咲き始めた。木蓮は遠くから見ると白く青空に映えているが、近づくとあちことが霜で茶色に変色している。



山の麓に生活しているといろいろな野鳥が飛んでくる。家の前の巣箱では今シジュウカラが卵を温めている。しかし、最近気づいたのだが、スズメを見ることが珍しくなった。子供の頃は、野鳥といえば先ずスズメだった。捕れたことはなかったが、幼い頃、スズメを捕るために、雪に覆われた野原に、馬の尻尾の毛でつくった「クビッチョ」という罠を仕掛けて遊んだものだ。スズメはどこへ行ったのだろう。

初期のオーリアッドで使っていた灯油のランプが、今月初め保健所の検査のために大掃除をしたとき出てきた。当時はすくなくとも3つはあったが、出てきたのはひとつ。先日からそれをテーブルに置いて、ときどき使っている。淡い光が揺れて懐かしい雰囲気に。

今夜も少し歌の練習。ソングブックを見ながら Just Like a Woman や Mr. Tambourine Man など。

11時閉店、外に出ると真ん前の南の空に、大きなお月さん。


April 28, 2010 Wednesday

朝は寒かったが、徐々に気温が上がり、春らしい陽気になった。白樺の若葉もかなり大きくなり、昨秋、家人が球根を植えたアネモネも、きれいに咲いている。フィービーも木に登ってうれしそう。

南天の木が何年か前に枯れてしまったので、先日買った赤と白の2種類の苗木を玄関近くに植える。うまく根付いてくれるといいが。



6時、オーリアッドへ。御柱が終わり、町はひっそり。午後部屋の片づけをしていたときに出てきた、ディランのソングブックをみながら、歌の練習。久しぶりに Don't Think Twice を歌ってみる。Farewell も。初期の歌にはいいものがたくさんある。

最近雨の日や曇りの日が多く、夜空を眺めることがなかったが、11時過ぎ、家に戻ると、南の空の雲間に大きな月。カメラを取りに戻り、雲が切れるのを待って、シャッターを押す。本当にまんまるのお月さん。


April 27, 2010 Tuesday

朝から雨。午後2コマのクラス。最初に、スティーブ・ジョブズのスピーチの小テスト。最初のエピソード「点と点を結びつけること」について。そのあと、その部分をDVDで見る。最初に見たときよりもよく聞き取ることができたよう。

そのあと、Can't Help Fallin' in Love を歌い、鼻音[n]の説明。エルヴィスが、 Shall I stay? Would it be a sin?/If I can't help fallin' in love with you. のところの sin と If をいかに歌っているか聞いたあと、一緒に歌う。明らかに、1行目と2行目の間にはかなりの時間の経過があるにもかかわらず、2行目の if は「ニフ」と聞こえてくる。舌の先がしっかりと上の歯茎に押し当てられていることがわかる。

そのあと、All My Loving と Little Child を歌い、教科書に入ろうとすると、「ずっと歌だけがいいです」という声。ぼくもできたらそうしたいが、そういうわけにも行かない(笑)。

御柱疲れが残っていて、ソファにすわるとすぐに、うとうと。気力が充実するまでにはしばらくかかりそう。いやいやそうも言っていられない。気力を振り絞ってセキギョク的に。


April 26, 2010 Monday

気温があがり、久々に春らしい天気。午前中、先日買ってきた苗木を植え、さらに、前から移植しようと思っていたサツキの根元を掘り始めたが、結局また土を被せておくことに。少し掘ったぐらいではビクともしない。

午後、少し昼寝をし、5時から、御柱の飾りつけの撤去作業。これで御柱の事業はすべて終了。

夜、明日のクラスの準備。合い間に、しばらく前に送っていただいた「安曇野講義録」をていねいに読む。昨年7月に安曇野の山荘で行なわれた日野原先生をはじめ何人かの先生方の講義録である。ぼくは日曜日だけ参加したので、土曜日に行なわれた江尻美穂子先生の「神谷美恵子 ― 人と仕事」というお話をお聞きすることはできなかったが、その講義録を読むことができて学ぶところが多かった。

その中に次のようなくだりがあった。

当時の常識で言えば、一度はとにかく二度も結核にかかれば、まず死を覚悟するという時代だったので、先生も死を覚悟されたのです。普通なら落胆して、生きる気力もなくするのですが、先生は、今度は、世界の古今の名著を原語で読むことを決意されて、それらの書物、辞書等を携えて軽井沢に赴かれ、そこで、聖書をはじめ、ギリシャ・ラテンの古典、ダンテの神曲等々、次々と読まれたのです。そして再び、先生は不思議と癒されるのです。

「世界の古今の名著を原語で読むことを決意されて・・・次々と読まれたのです」というところに圧倒された。専任の仕事を辞めたときに、ぼくもユングやヘッセをドイツ語で読みたいという思いを持ったが、結局、英訳でも和訳でもほとんど読んでいない。

原点に戻って、原語では無理としても、「世界の古今の名著」を読みなおしてみたいという思いに駆られている。御柱委員の任務が終わり、区の公的な仕事が一応終了した今、いい機会かもしれない。

この講義をされた江尻美穂子先生は津田塾大学名誉教授で、『神谷美恵子・人と思想』(清水書院)という著書がある。著者名は覚えていなかったが、本の名前に見覚えがあった。本棚を見たら、あった。奥付をみたら1995年に発行されている。15年ほど前に購入したことになる。早速再読したいと思う。



April 25, 2010 Sunday

9時半過ぎ、第三の柱の曳行開始。国道153号線高畑から。一番から四番ままでの柱が順次宮木諏訪神社の境内まで引きつけられる。第二の柱は、4本中もっとも太く、直角に曲がって境内に入れるのに難渋する。その間、宮木郵便局前の三叉路では様々な出し物が繰り広げられた。天狗の行列、よさこいソーラン節、花笠踊りなど。

神社の境内に入ると屋台がたくさん出ている。焼きイカの匂い、綿菓子の甘い香り。子供の頃と同じお祭り風景。石の階段を上り、神殿に近づくと、女性の神官 (Preistess) が煌びやかな衣装をきて登場。1000年以上も続いてきたという祭りの伝統を感じさせる。6年毎に開かれるこの祭りは、今年が202回目とか。単純に6を掛ければ、1200年以上になる。

二の柱がやっとのことで引き付けられたあと、第三の柱も、他区の曳き子の応援を得て、無事曳き付けられる。





そのあと家に戻り昼食。そして午後2時から小宮の御柱。別名、子供御柱。五色の旗が風に舞う徳本水の駐車場から、香住寺の上の今村神社まで曳行。途中、記念写真を撮り、獅子舞の奉納もあった。香住寺の桜は今が満開。満開の桜の下、子供たちの木遣りが響き、色とりどりの衣装を身につけた行列が行く。見事な絵巻き。




4時半から直会(ナオライ)という慰労会。

御柱は申と寅の年に行なわれる。今回は辰野に戻ってきてから5回目の御柱。最初の頃は長老の方々がたくさんいた。今回、気がつけば、ぼく自身が長老の仲間入り(?)。嗚呼。


April 24, 2010 Saturday

朝8時から午後4時半まで、伊那御柱、第三の柱の里曳き。川島渡戸から今村徳本水まで。



                  

午後6時からオープンマイク。今夜はサプライズ・パーティーならず、サプライズ・オープンマイクになった。碌山忌コンサートで使ってそのままになっていたマイクやスタンドをセットし、サウンドチェックのため「ありがとう、ミスター・コーエン」を歌っているところへ、お客さん。垣内彰さん、そしてもう一人あとから入ってきた人がいる。見覚えのある顔「順平さん?」とお聞きすると、そうだとのこと。佐久間順平さんだ。垣内さんの招待で御柱を見にやってきたとのこと。垣内さんが、先週来て、「来週土曜日はやってますか」と聞くので、「やります」と答えたのだが、佐久間さんを見てその質問の意味がようやく分かった。

トップは藤森和弘さん。「人生に勇気」「小さな幸せ」「おまえの歌が聞こえる」。丸山俊和さん。昨日書いたというおじさんシリーズ第三弾「時計おじさん」、そして「おじさんたちよ」「心の鏡」。

ここで佐久間さんにお願いして歌ってもらうことに。高田渡さんの「風」、そして離婚回避の秘訣の歌「風の歌を聞こう」。「ありがとう」の一言?ギタリストとして著名な佐久間さんだが、シンガーとしても卓越していると実感。

原田和恵さん。「ゴッド・ブレッス・ユー」と「そばにいるよ」。大月高志さん。X-Japan のYoshiki作という「エスドュアー」と「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス」をメドレーで。前者は初めて聞くが、すばらしい演奏。赤羽真理さん。「私を待つ人がいる」「許し」「千両梨の実」。最後の曲は大月さんのサポート。ここで休憩。









休憩後、先ず垣内さんにスピーチをお願いする。ボランティア活動、特に碌山美術館でのボランティア活動の楽しさについて。(写真を撮り忘れたので、神妙に音楽を聞いている写真を。あるいは何か他のことを考えている?)

次にぼくが「明日は遠く」「祈りの歌」。続いて、初登場の小久保梨茉さん。短大生。「言葉にできない」のピアノソロ。最初は緊張していたが、後半はのびやかに。「平均年齢を下げに、またきてね」と丸山さん。藤森さん「もうすぐ一年生」と、4月中必ず一曲歌った河島英五のカバー。今日は「野風僧」。「いいか、女はおてんばぐらいがちょうどいい」と歌うので、そこは藤森さんの創作かと思ったら、DVDで英五君がそう歌っていたとか。

ここで再び順平さんにお願いする。What a Wonderful World! を日本語訳で。説得力ある見事な歌唱力。丸山さん。「雪のかくれんぼ」「職人となったおじさん達」。後者は大月さんのサポート。そして赤羽さんのコーラスが入る。初めて合わすとは思えない息のあった演奏。

ここで、ピアノを弾いた短大生の励みになるようにと、大月さんに「カノン」をお願いする。また弾きにきてくれたらいいのだが。丸山さんが言うように、確かに平均年齢がぐんと下がる。赤羽さん、「鹿のように」「森の小道」。

今夜オーリアッドに来た人たちは、ラッキーだった。素晴らしいオープンマイクになった。


April 23, 2010 Friday

この寒さはどうしたことだろう。真冬の寒さ。午後一時から、徳本水の駐車場で、小宮の御柱2本に綱をつける作業をしたが、みぞれ混じりの雨。

御柱に藤の根を使って曳き綱を取り付けるのだが、そこにも、歴史というか、伝統というか、受け継がれてきた先人の知恵がある。ぼくより若い御柱委員の人たちが、そのやり方を熟知していて、てきぱきと作業を進める。ぼくは藤の根に巻く藁縄を持っているくらいしかできない。

明日の御柱曳行に向けて、公民館で夜7時から結団式があったが、それは欠席させてもらって、オーリアッドへ。遅くに宮木の木遣り隊の方がお見えになる。いよいよ明日が本番である。さすがに、今夜は飲みすぎないように気をつけ、早目にお帰りになった。

今夜は店も早目に閉め、家に帰る。


April 22, 2010 Thursday

朝から雨。7時半過ぎ、西山さんより、碌山忌コンサートはグズベリーハウスで行なうとの電話。PA機材をもって来て欲しいとのこと。

1時頃、碌山美術館到着。2時開演と思っていたら、1時半から始めるとのこと。あわてて機材のセッティング。初めてお会いする「はちまんたろう」さんが手伝ってくれる。

所館長の挨拶に始まり、先ず早春賦愛唱会の方々の「早春賦」の合唱。そして先ずぼくが一曲、「碌山」。そしてはちまんたろうさんが一曲。そのあと、西山さん恒例の足踏みオルガンの演奏。そしてアコーディオン奏者横山太郎さんとNHK文化センターの童謡愛唱会の方々の歌声喫茶風合唱。中に「信濃の国」も。最後に、ぼくが「次郎」(ショートバージョン)、「紙ヒコーキ」、そして「祈りの歌」。そして、はちまんたろうさん。ノスタルジックな夏の田園風景を描いた曲、2曲。最前列には、辰野の朗読の会「ひびき」のメンバーの方々。感謝。






お見えになっていないのかと思っていた仁科惇先生が、終了後話しかけてくださった。先生は碌山研究の第一人者。ぼくの「碌山」という歌は、先生の著書に多くを負っている。垣内彰さんに写真を撮ってもらう。

雨の碌山忌。これもまたよし。終演後、ゆっくりと本館、第一展示棟、第二展示棟を見て回る。第二展示棟では、荻原守衛没後100年記念として碌山の新宿のアトリエに関する資料が展示されていた。

「碌山」の歌の中に、

  その人はその時までに新宿に
  パン屋を夫と二人始めていた
  彼はその店のすぐ近くに
  小さなアトリエを建てて住んだ

というヴァースがあるが、中村屋と碌山のアトリエがどのくらい近くにあったか分からなかった。当時の地図が展示され、お店とアトリエの位置に印がつけられていた。新宿駅を隔てたところにあったので、すぐ近くというわけではなかったようだ。頭の中では、隣とはいわないまでも、数軒離れたところにあったのかと思っていた。そのアトリエの名前がオブリビオン(oblivion)庵であることを初めて知った。「忘却庵」。何を忘れようとしたのか。あるいは、すべてを忘れて制作に没頭しようとしたのか。

最後に、コンサートが終わってひっそりとしたグズベリーハウスへ。ミュージアムショップで、近くの小学校の子供たちが作った碌山美術館の版画のカレンダーを買う。『千の風』『碌山』のCDもきれいにディスプレイされていた。感謝。


April 21, 2010 Wednesday

朝、ウルマ堂より『ポジティブリー寺町通り』が届く。声が若いだけでなく、歌詞にも若さというか未熟さを感じるところがある。しかし全体としてはしっかりとした作品になっている。特に多用な楽器を駆使した野間さんのアレンジによるサウンドは、聞き応えがある。1曲目(アルバムタイトル曲)の冒頭に聞こえてくるエレクトリックベースの音は、ボディブロウを受けているような。

ウルマ堂からは、「1曲1曲に込められたメッセージの深さもさることながら、サウンド的にも、重圧で良い意味でお金がかけられていて、今の時代に十分に通用する作品だと思います」というありがたいメッセージが届いた。

昼前、ジャガイモ用の畝を3本掘る。午後、肥料を畝に入れるのを手伝ったあと、病院へ。定期健診。降圧剤を処方してもらう。診察代が若干値上がりしていた。

オーリアッド。久々に Prof. Tanaka。学生3人と。「さくら」を聞かせていただく。

遅くにきたお客さん。復刻版のCDのクレディットを見て、「Kurata Nobuo さんと Enatsu Kenji さんがピアノを弾いているんですね」と言う。知らなかったが、お二人とも、よく知られたミュージシャンらしい。

明日は碌山忌コンサート。天気予報は朝から雨。気温も低いようだ。グズベリーハウスか研成ホールでのコンサートになりそうである。


April 20, 2010 Tuesday

小雨降る中、松本へ。2コマのクラス。明後日は碌山忌コンサート。休講手続きをとる。今日は、往復、久々に Ryu の『おとぐすり』を聞く。「果樹園の道」「夕方のおかあさん」「みかんの花咲く丘」など、いい歌がいっぱい入っている。voice training を兼ねて、Ryu に合わせて歌う。

  トーングバー、カスオンキー、アカシアコチ、ファルチャピョンネー・・・

高い音は裏声になってしまうが、以前よりも、彼の声についていけるようになった。実にいい歌である。

久々にアルプス市場に寄る。野菜が安い。漬け物も。

碌山忌コンサートは22日午後2時から。ぼくが歌うのは例年最後のほう。西山さんから「紙ヒコーキ」のリクエストがきている。最近歌ってない。練習しなければ。朗読の会「ひびき」の皆さんも聞きにきてくださるようである。何年か前の碌山忌、もの凄く寒くて、グズベリーハウスの中で歌ったことがある。明後日はどうだろう。

ウルマ堂よりメールあり。『ポジティブリー寺町通り』が出来上がってきたとのこと。「音、ジャケットともに素晴らしい出来上がりです」とのこと。明日にはぼくのところにも届くようである。30年以上も前の作品が蘇ったことに若干の恐れはあるが、楽しみである。ディランの名曲「明日は遠く」が、日本でももう少し知られるようになってくれたらと思う。それに「俺のいない町」も作品として面白いかもしれない。


April 19, 2010 Monday

昨日の疲れが出たのか、朝起きると身体がだるい。ウオーキングに出かけることに。いつものコースだが、今日は少し寄り道をして、幼い頃、祖母に連れられて何度か行った小さな社を訪ねることに。現在国道153号線の徳本水カーブを解消するため2つの橋を架ける工事が行なわれているが、この社は、2つの橋の宮所寄りの橋のたもとにある。桜が満開で美しい。案内板によると、この社は樋田(といだ)不動尊堂という名で、不動明王が祀られているとのこと。

そこからいつものコースに戻り、目的地の城山公園へ。ここも桜が満開。遠くに守屋山がくっきり。帰路、山の麓にカタクリの花が咲いていた。最後の写真は旧道に入る手前の徳本水の湧水。最近、この水をよく飲んでいる。




夜、明日のクラスの準備。YouTube の動画を mp3 に変換するのに一苦労。いろいろな変換ソフトをダウンロードしたが上手くいかない。昨年後期、Greensleeves を mp3 に変換できたのだが。諦めかけたとき、RealPlayer SP に取り込んだ動画は、他のソフトを使わなくても RealPlayer のCD Writer でCD化できると判明。半年ほど前、RealPlayer の動きが悪くなったとき、間違えて有料のヴァージョンを購入してしまったが、ここにきて役に立った。


April 18, 2010 Sunday

朝9時から、村の旧道の南と北の端に、「祝・御柱祭」と書かれた杉の葉のアーチを作る。プロの大工さんが枠をつくり発泡スチロールを貼っていてくれていて、主な作業は、杉の葉を発泡スチロールに刺すだけ。それでもかなり時間がかかり、終了したのは11時過ぎ。午後3時からは、旧道沿いにポールを立て、縄を張り、色とりどりの飾りつけ。



夜、LSEC in Okaya. Yesterday, Let It Be, Sailing を歌う。 Let It Be のリズムのとり方が難しいとのことで、ファーストヴァースを何回か歌う。確かに慣れないと When I find myself in times of trouble の When にアクセントを置いてしまいがち。find に一拍目をもっていかなければいけない。そのあと、Steve Jobs のスピーチの「死」についての部分を読み、家で聞き取ってきてもらった英語のチェック。よく出来ていた。

高校時代から(ひょっとしたら中学時代から)、お母さんと一緒に来ていたAさんが、大学での専攻を生かして希望していた学芸員の仕事についたとのこと。Congratulations!

今日は疲れた。早く寝ることに。



April 17, 2010 Saturday


2年前、66歳になったのを記念して、LAからシカゴまで、Route 66 を走破した丸山卓朗さん(以下卓朗さん)を迎えてのオープンマイク。しかも6月6日にLAをスタートしたというこだわりよう。約4000キロ。(6月6日にこだわった人が他にもいたような。)

2年前、丸山俊治さん(以下俊治さん)が、ルート66を走破すべくアメリカに出発する高校の同級生のために書いたという「マザー・ロードの旅」を歌った。その主人公がやってきたのである。

  丸山さん、先ず、2ヶ月前に66歳になっ東京に住む高校時代の
  同級生の「夢」についての新曲。この同級生は、6月6日、アメリ
  カへ行き、LAからシカゴまでルート66を車で走るとのこと。そのこ
  とを歌にした「マザー・ロードの旅」。The Mother Road とはスタ
  インベックの『怒りの葡萄』に登場するルート66の別名。
(5/31/08)

トップバッターは、俊治さん。「満州の丘」「心の鏡」「いつか叶うといいですね」。2曲目は肉体と精神について。卓朗さんも俊治さんも若い。Stay hungry, stay foolish. を地で行っている。藤森さん、「今日は土曜日」「子守唄のように」「おまえの歌が聞こえる」。ぼくが、「サンタバーバラの夏」「おまえのことしか歌えない」「祈りの歌」。

ここで卓朗さんから、ルート66の旅のお話をお聞きする。あのLAを車で走り抜けると考えただけでも、今のぼくは躊躇してしまう。4000キロ、シカゴまで走ったとお聞きしただけで、脱帽。心の鏡には、コルヴェットを駆って疾走する若者が。卓朗さんのお話しのあと、俊治さんに「マザー・ロードの旅」を歌ってもらう。

赤羽真理さん、卓朗さんの話を受けて、「ホーボーズ・ララバイ」から。そして「驚くばかりの」「旅人の木」。続いて、大月高志さんと北原真紀さんのユニット、初登場。「卒業写真」と「オリビアを聴きながら」。しっかりした爽やかな歌声。大月さん「カノン」。ここで前半終了。







後半、丸山さん「三角広場に桜咲く頃」「あなたと共に」。後者は大月さんのサポートで。藤森さん「時代遅れ」「こんな夜に」。前者を聞きながら、藤森さんの歌の上手さを実感。そして、英五君が亡くなった2001年4月16日のことを思い出した。

「カムサハムニダ、イ・スヒョン」が出来たのは、2001年4月21日に東京へ行って、新大久保駅のプラットホームに立ったから。その日上京したのは英五君の死とも一部関係がある。その日、新大久保駅のプラットホームたち、イ・スヒョン、ミン・オントゥイー、英五君のぼくより若い3人の死に直面した。

「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を歌ったあと、大月&北原ユニットで「ストーリー」。前半よりもさらにのびやかな歌声。赤羽さん「許し」と「千両梨の実」。後者は大月さんのサポートで。

最後に、本日の両丸山さんを代表して俊治さんに「職人になったおじさんたち」を歌っていただく。お二人に今日お会いして、元気をいただいた。今日は、聞きにきてくださった方もいつもより多く、おかげで、とてもいいオープンマイクになった。感謝。

                     ■

今日は何人もが突然の春の雪に言及したが、本当に驚いた。真冬である。しかし、ありがたいことに、春の雪。10センチほど積もった雪も、昼過ぎには大方融けてしまった。




April 16, 2010 Friday

昨日に続き真冬並みの寒さ。今日のほうがひどい。

閉店時間近く、驚いたことに、厨房のドアを開けると雪が降っていた。家に戻る11時半には、本格的な雪。あたり一面、道路も真っ白。一昨日、スタッドレスをノーマルに換えようと、先ず家人の車を換えたが、疲れてしまい、ぼくの車は換えずじまい。おかげで助かった。

夜、ボブ鈴木から、「佐藤GWAN博コンサート」の予約の電話。それに、豊田君のコンサートのときに買ったレナード・コーエンのDVDが素晴らしかったので、もう3枚欲しいとのこと。ありがたい。普通DVDを買っても一度見たらそれで終わりだが、 Live in London はすでに3回も見たとのこと。ぼくはもう何度見たことだろう。このDVDは何度見ても飽きることがない。

家に戻り、リビングから庭の雪景色を撮る。眠っていた猫たちも起きてきて、不思議そうに見ている。4月の半ばにこれだけの雪は記憶にない。




April 15, 2010 Thursday


目が覚めて、外を見て驚いた。うっすらと雪が積もっている。桜吹雪ならず、桜に吹雪。すぐに雪はやんだが、一日中寒い日。

薄川の橋の信号で止まったときに、写真を一枚。本当は降りて撮りたかったが、時間がなかった。帰りも。やはり桜の花は青空の下が一番いい。雪が舞う寒い曇り空には映えない。

Steve Jobs のスタンフォード大学でのスピーチは実にインスパイアリング。少々聞き取れないところがあっても皆実に熱心に耳を傾けている。そして Stay Hungry, Stay Foolish. は皆聞き取れている。「腹を空かせていろ」という訳もあったが・・・。ダイエットにはいい。

オーリアッド。ジブランの会。原田さんとは久しぶりの将棋を一局。


April 14, 2010 Wednesday

何年かに一度の保健所の検査が昼前にあった。ありがたいことに、予想していたよりも簡単にすんだ。このために何日か大掃除。疲れたが、おかげできれいになった。検査が終わったあと、城前通りの桜並木と荒神山の桜を見に行く。満開。きれいだった。遠くに見える駒ケ岳も。




初めてきたお客さんに「イーグルス」をかけてほしいと言われ、探したが見当たらない。『ホテル・カリフォルニア』があったはず。イーグルスを探しているときに、ケブ・モーのアルバムが何枚か出てきた。久々に『Keep It Simple』を聞く。実にいい。

前期に使う歌を集めたDVDを何とか完成させた。動画はなく、歌詞だけ、あるいはタイトルしか表示されないものもあるが、CDよりは印象に残るはず。今年新たに登場した歌に Beautiful Brown Eyes がある。Chet Atkinsのヴァージョン。古いカントリー。好きな歌のひとつ。


April 13, 2010 Tuesday

ちょうど一年前の今日から3日間、カリフォルニア州オークランドのパラマウント・シアターでレナード・コーエンのコンサートを聞いた。あれから一年。いまだに Live in London を聞き続けている。信じられない。こんなに夢中になったアルバムは他にない。

コーエンは2月の初めに腰のケガ (compression injury in his lower back) をして半年休養するとのことだったが、Cohen Forum によると、8月の初めからヨーロッパのツアーを再開するようだ。

11時過ぎ、松本へ。薄川を渡るとき、カメラをもってこなかったことを悔やんだ。堤防に満開の桜並木。キャンパスの桜も満開。いたるところ、桜、桜。

2コマのクラス。いずれも、Steve Jobs のスピーチのDVDからスタート。いいクラスになりそうである。

朝、山麓線の松本寄りに新しい Farmers Market ができているのが見えた。広い駐車場。帰りに寄ってみたら、すでに閉まっていた。5時に閉まるのだろうか。

昨日、Steve Jobs のスピーチのDVD化が上手くいったことに味を占めて、夜、今学期使う歌のほとんどすべてを YouTube から RealPlayer にダウンロード。凄い時代になったものである。


April 12, 2010 Monday

夜、電話があった。先日京都へ行ったときに乗ったタクシーの運転手さん。タクシーに乗ると、ちょうど高校野球の決勝戦が終わったところ。運転手さんは沖縄の高校が勝ったと喜んでいる。言葉に少し訛りがある。「沖縄出身ですか」と聞くと、「韓国です」とのこと。

そこで2002年の5月に韓国へ行った経緯を話し、「カムサハムニダ、イ・スヒョン」の一番を韓国語で口ずさむと驚いた様子だった。先週末、いただいた住所へ『カムサハムニダ、イ・スヒョン』を一枚お送りした。「感動しました。涙が出ました」とのことで、5月に韓国から訪ねてくる友だちにも渡したいし、韓国にいる友だちにも送りたいので、5枚送って欲しいとのこと。感謝。

韓国へ行ったのは、数年前のことに思えるが、もう8年も前のこと。韓国と日本が共同で開催したワールドカップの直前だった。ワールドカップは、4年後にはドイツで開催され、8年後の今年は南アフリカ。Time and tide wait for no man. 光陰矢のごとし。

YouTube のSteve Jobs のスピーチをダウンロードし、試行錯誤の末、DVDに焼くことができた。若干映像の鮮明さは失われたが、音はクリアー。明日のクラスで一部使おうと思う。

椿の花が地面に近いところに一輪だけ咲いた。他はまだ蕾。そこだけに光が射しているよう。明日はかなり気温が高くなるとか。木蓮も蕾が大きく膨らんでいる。ライラックも。今にも咲き出しそう。いっせいに花開くかも。信州は、ようやくこれから春。


April 11, 2010 Sunday

今日は、疲れて終日うとうと。午後、家人に促されて仕事部屋の整理整頓。本やCD、それに種々の書類や印刷物が部屋を占領している。文字通り、足の踏み場もない。とにかく、床と机の上の本は本棚に、その他のものはダンボールの箱に入れる。明後日から松本での授業が始まる。その準備をするスペースを確保しなければ。

昨日訪れた薮田ファームは沢底という部落にある。ここには中学時代の同級生も住んでいて、かつて何度か訪れたことがある。しかし今回訪れるまで、この村のよさが分からなかった。大きな農家が広大な敷地に点在している。水が豊かで、村のどこにいても水音が聞こえてくる。福寿草の里として知られているだけあって、いたるところに咲いている。失われつつある日本の田園風景がまだここには残っている。





エンジェルズの松井は調子がいい。現在、打率 .417で、アメリカンリーグ7位。彼の上には元同僚のヤンキースの選手は誰もいない。是非この好調さを持続してもらいたいもの。NHKBSは連日エンジェルズの試合を放映している。ちょっと贔屓が過ぎるようにも思えるが、松井ファンとしてはありがたい。


April 10, 2010 Saturday

朝9時から、沢底の薮田グリーンファームで、もみ蒔き作業。沢底は、日本最古といわれる道祖神がある村。水田オーナーに応募した20家族ほどが、遠くは東京や横浜から、集まった。午前中、120ほどの苗箱に土を引き、もみを蒔く作業。コシヒカリとミルキークイーンの混合もみ20キロ。10時過ぎからは、食材確保班に入れられ、グリーンファーム主宰の有賀茂人さんの軽トラに乗って、村の奥まで、山菜採りに。ふきのとう、ヨモギ、菜の花、カンゾウなど。お昼のテンプラや酢の物に。昼食後、田んぼの下見。そして、道祖神を見て解散。慣れない作業ゆえ、疲れた。

今夜は、飯田からの3人のミュージシャンを迎え、長野市や梓川から聞きにきてくださった方もいて、賑やかな飛び入りライブになった。

トップバッターは丸山さん。ハンチングが決まっている。数年前初めてお会いしたときより、かなり若く見える。新曲「でんでん虫のように」「雪のかくれんぼ」など。島岡さん、「Don't Think Twice」などカバーを2曲。そのあと、オリジナルで「さらば東京、南台」。いい歌である。中島さん、2005年4月16日に亡くなった高田渡を偲んで「鮪に鰯」から。続いて「さるまたの唄」と「虹の向こうに」。オートーハープの音色はいつ聞いても soothing。

初登場は飯田の松下元英さん。背の高い高田渡とでもいった風貌。1曲目、豊田君の「雲遊天下」のカバー。実によかった。言葉がストレートに入ってくる。続いて「I Shall Be Released 」と「梅雨」。そのあとぼくが、「明日は遠く」、そして大月さんのサポートで「千の風」と「祈りの歌」。続いて藤森さん、「人生に勇気」「小さな幸せ」、そして2001年4月16日に亡くなった河島英五を偲んで「酒と涙と男と女」。赤羽さん「鹿のように」「今すぐに」、そして「千両梨の実」。ここで休憩。








後半は一人一曲。丸山さん「おじさんたちよ」、原田和恵さん「そばにいるよ」、島岡さん、1977年に書いたという「近況」。中島さん「わらぶきの屋根」。名曲である。「田舎の古い家の跡には夏草ばかり」というコーラスの部分が特に好きだ。松下さん、ご存知「生活の柄」。藤森さん「愛音」。愛音ちゃん、元気に小学校に通っているよう。赤羽さん「旅人の木」。そしてぼくが、「ボブ・ディランに捧げる歌」をリクエストされたが歌詞が見つからず「バード・オン・ザ・ワイヤー」。

一昨日スピーチの一部を引用したボストン音楽院のカール・ポールナック先生が、How Music Works のスピーチで、音楽を録音で聞くのは、カイロプラクティックの説明を読むようなもので、ライブの音楽を聞くのは、実際に治療を受けるようなものという主旨のことを語っていた。

今夜はいろんな音楽を生で聞けてラッキーだった。もみ蒔き作業の疲れも癒されたよう。



April 9, 2010 Friday

畑の整理を始めなかればいけないが、今朝も寒い。まず身体を温めようと、城山公園までウォーキング。守屋山と仙丈の写真を撮ろうとカメラをもっていったが、薄曇りで、仙丈は見えなかった。帰路、大きく伸びたふきのとうをたくさん摘んだ。てんぷらにすると美味しい。徳本水から旧道に入ると、水仙が咲いている。

  
飯田線の土手に土筆が顔を出し
  徳本水の水仙も咲き始めた
  南信パルプの煙、東から西へ
  この町に春が来たんだ




家に戻り、すぐに畑の仕事。トマトの枠の撤去と畑の整理。近所の農家の方に大型耕運機で耕してもらうため。それがすんだら、まずジャガイモの種芋を植える作業が待っている。

トマトの枠を撤去し、マルチの重石に使った石やレンガを取り除いたあと、オーリアッドへ。厨房の掃除。コンロや換気扇のまわりの油汚れをとる。だいぶきれいになった。

夜、オーリアッド。久々に大勢のお客さん。初めて来てくださった方々も何人か。家に戻ったのは12時近く。

明日は9時から、沢底の薮田グリーンファームでもみ蒔き作業。生まれて初めて米作りにチャレンジ。さてどうなるか。


April 8, 2010 Thursday

シアトルのアラン・ラオから、ボストン音楽院のカール・ポールナックという先生が、2004年9月、新入生の親たちの前で行なったスピーチが転送されてきた。音楽とは何かということを考えさせてくれるスピーチである。

最後のほうにこんな一節があった。これは新入生に向けて語るところを、親たちに前もって語ったところ。

あなたがたはエンターテイナーになるために、ここに来たのではありません。自分自身を売る必要はないのです。実際のところ、あなた方には売るものはありません。ミュージシャンであるということは、中古車を売るように、商品を売ることではありません。私はエンターテイナーではありません。むしろ、救急医療師、消防士、救助隊員により近い存在です。あなたがたがここに来たのは、魂の療法士になるためなのです。つまり、身体のゆがみを矯正する脊椎指圧療法師のように、魂のゆがみを矯正する療法師になるためなのです。つまり、人々の内面に働きかけ、彼らが自分自身と調和し、健康で幸福になることができるように、援助する人になるためなのです。

You’re not here to become an entertainer, and you don’t have to sell yourself. The truth is you don’t have anything to sell; being a musician isn’t about dispensing a product, like selling used cars. I’m not an entertainer; I’m a lot closer to a paramedic, a firefighter, a rescue worker. You’re here to become a sort of therapist for the human soul, a spiritual version of a chiropractor, physical therapist, someone who works with our insides to see if they get things to line up, to see if we can come into harmony with ourselves and be healthy and happy and well.


長い間歌を書き、歌い続けてきた。ポールナック先生の言っている意味で、ぼくの歌がセラピーであるかどうかわからないが、少なくとも、歌を書き、歌うことが、ぼく自身のためのセラピーであったことは確かである。歌を書くことによって、多くの苦しみを乗り越えてきた。

ポールナック先生の肉声を聞くことができる。ボストンのアーリントン・ストリート教会でのスピーチ。
How Music Works

牧師さんが少し話したあと、彼が話し始める。内容は音楽院でのスピーチに近いが、このスピーチでは、音楽のタイプは関係ないということを言っている。彼はクラシックのピアニストだが、ロックであれ、ラップであれ、フランク・シナトラであれ関係がない、重要なのは、その音楽に没頭することができるかどうか、その音楽とパートナーシップをもつことができるかどうか、という主旨のことを述べている。

                    ■

中村東茂一さんのメールで、わが家のイチイの木の巣箱に巣作りをしているのはシジュウカラだと教えられた。実はこの巣箱は中村さんに昨年作ってもらったもの。

シジュウカラを英語では何て言うか調べてみたら、great tit と oxeye の2つがあった。oxeye は、なんとなくわかる。ox-eye 牛の目。白と黒の模様が、乳牛の模様に似ている。great tit のほうは分からなかった。tit は俗語で、おっぱい。この小さな鳥がどうして巨乳なのかと思ったが、写真をみていたら、ひらめいた。胸の両側が白くなっていて、おっぱいが垂れ下がっているように見える。



日本語のシジュウカラの語源は何かと調べてみたら、(1)始終、空にしているから。(2)鳴き声が「ジュー、カラカラ」と聞こえるから。(3)漢字では四十雀と書き、一羽で雀40羽の価値があるから。(4)子育てに40日かかるから。という4つの語源を見つけた。どれも great tit ほどの説得力はない。


April 7, 2010 Wednesday

天気予報通り。午後から気温が下がり、夜は冷え込んだ。寒い。

昨日修理した巣箱に今朝は鳥が完全に巣を作った。一羽が何かをくわえて中に入ると、別の一羽が近くの木の枝にとまり、見張りをしている。猫たちは、キッキとかキャッキャとか、変な声を出しながら、眺めている。テレビの上から一番よく見える。しばらく鳥の動きに合わせて反応していたフィービーは、疲れたのか眠ってしまった。



午後、昨日に続きオーリアッドの大掃除。昨日裏の物置から出してきたもので不要なものはゴミとして処分し、残りは、今夜営業できるように、再度物置に戻す。そのあと、厨房とカウンターの間のドアの上に棚をつける。ラワンだと思って買ってきた板はものすごく硬く、釘を打つにも一苦労。でもなんとか棚が出来上がり、比較的軽いものを乗せる。家人は厨房の料理テーブルにラックを置き、調味料などの瓶の整理。

静かな夜。トルストイの晩年を描いたという The Last Station を読み始めた。ロシア語の名前の読み方が分からない上に、登場人物が多く、男か女か分からない名前もある。なかなか物語に入り込めないでいたが、登場人物が明確になるにつれて面白くなってきた。精神と肉体、old age は誰にとってもチャレンジである。


April 6, 2010 Tuesday

暖かい一日。その暖かさで梅の花が一気に開いた。猫たちも外に出ると、中に入りたがらない。



Angeles と Twins の試合を見る。松井選手が3打席目でタイムリーヒットを打つ。それを見てから、外に出て、イチイの木にかかっている鳥の巣箱を直す。今朝見たら、鳥が2羽、巣箱の周りをうろうろしたり、正面の丸い穴から中を覗きこんだりしていた。しかし、巣箱の底が落ちそうになっていて、極めて不安定。板で補強し、もとの場所に戻す。

午後、オーリアッドへ。何年かに一度、営業許可を更新するために、検査を受けなければならない。大掃除。午後遅く家に戻る。そのとき、巣の中から小鳥が2羽出てくるのを見たと家人が言う。朝いた鳥と同じかも。ツガイの鳥だろう。卵を産んで育ててくれればいいが。

そのあと、ニュースを見て、松井選手がホームランを打ったとことを知る。確かにここ一番の試合に強い。

30年以上も前にリリースされ、長い間廃盤になっていた『ポジティブリー寺町通り』が、思いがけず、ウルマ堂から復刻されることになった。その連絡が入ったのが3月初め。数日前、デジタル化された音源が届いた。LPレコードで聞いたときより、音がクリアー。声が若い。4月の終わりには出来上がってくるらしい。ジャケットのデザインは、オリジナル・アルバムのものではなく、新たにデザインされたもの。昔の歌声を聞くのは少々気恥ずかしい。しかし、いい歌もいくつかある。このような形で昔の歌を蘇らせてもらったことに感謝。


April 5, 2010 Monday

マイケルから、彼の友人ピコ・アイヤーのインタビュー記事が送られてきた。ダライ・ラマとレナード・コーエンについてのインタビュー。最後の部分が、レナード・コーエンとディランの比較になっている。難しいところもあって、上手く訳せなかったが、極めて興味深い内容である。興味のある方はどうぞ。

インタビューアー:最近のボブ・ディランは20歳だった頃の彼に、戻りつつあるように思われます。つまり、彼は、古いフォークソングを常に解釈しなおしながら演奏する吟遊詩人のようです。彼は自作の歌であっても、常に新たに解釈しなおし、そのつど、異なる演奏をする。一方、コーエンは、毎回寸分たがわず演奏できるように、最新の注意を払っている。

ピコ:そうだね。しかし彼自身の長年の経験が、結果として違いを生じさせている。彼は「スザンヌ」を、1967年にリリースされたときとまったく同じに歌うが、あなたが聞くのは、40年の時を経た75歳の男が歌うラブソングだ。自ずとそこには違いが生じている。彼自身分かっていると思う、彼の長い年月の経験が歌に変化を与えていることを。私が思うに、ディランは偉大な吟遊詩人だが、彼は、すべてを捨て旅に出て、山の彼方にあるものを探求する若者を代弁している。コーエンは、私の知る限り、ポピュラー音楽の世界で、75歳の知恵を代弁する唯一のシンガーだ。彼は山の彼方の世界を歌っている。

最近私は、スコセッシの『ノー・ディレクション・ホーム』で初期のディランの歌を聞いた。ディランが19歳だったころのいくつかの歌を。その時、突然感じたんだ、19歳のディランは、まるで千年も生きた人のように歌っていると。彼は山から降りてきた預言者のように響いた。とても神秘的だった。ある意味、彼は年月とともにますます若くなった。一方、コーエンは、分裂と混乱を歌う時代から、長い年月を経て、そのすべてを超越した聖者の域に徐々に成熟していったように思う。

オリジナルの記事は次のURLから:
http://www.oregonlive.com/books/index.ssf/2010/04/pico_iyer_talks_about_the_dala.html


                     

ぼくは美食家ではない。むしろ、玄米菜食、一汁一菜のシンプルな食事を好む。しかし、一昨日の御牧さんのパーティでいただいた京都ブライトンホテルのディナーは実に美味しかった。ぼくがいままでに食べたもっとも美味しいディナーだったといっても過言ではない。




名前からして難しい。

1.海の幸とカリフラワーのヴルーテ レクタングル仕立て ビーツのソース
2.新玉葱のクリームスープ ベーコンのクロッカン添え
3.桜鯛のヴァプールと数種類の貝のマリニエール
4.グレープフルーツのグラニテとグレープフルーツルビーの“ところてん
5.特選牛フィレ肉のグリル 温野菜添 ザンガラソース
6.ホワイトショコラムースとピスタチオクリーム フラボアコンフィ ココナツアイス添



April 4, 2010 Sunday
 Magical mystert tour in Kyoto, April 3-4, 2010.

京都へ行ったのは1969年秋。それから13年間その町に住んだ。ぼくの人生にとってかけがえのない年月だった。今振り返って、そのことが実感できる。スティーブ・ジョブズ風に言えば、You can't connect the dots looking forward; you can connect them looking backward.(別々に起こった出来事が関係あるとわかるのは、振り返ったときだけ)。

多くの人との出会いがあった。中でも御牧さんは忘れがたい人の一人。生まれたのはぼくより一年後だが、ぼくが道草を食っていたので、学年としては一年先輩。サンスクリットをはじめとして、学問的に誰もが一目置く存在だった。それでいて、ユーモアがあり、温厚で、負けず嫌いだった。研究室で一時流行った卓球でもダーツでも、最初はそれほどではなかったが、最終的には誰もかなわなくなった。






その御牧さんが、3月いっぱいで京都大学を定年退職され、門下生たちが昨夜記念のパーティを開いた。案内のハガキが来たので、出席の返事を出すと、折り返し、数曲歌って欲しいとの連絡がきた。数年前の梶山先生を偲ぶ会でも依頼され、「山頭火」を、バックパッカーのギターで、御牧さんが手に持つワイヤレスマイクで歌った。不本意な出来だったので、今回は、ホテルに2本のブームスタンドとシュアのマイクを用意してもらい、ギターは赤い Takamine を宅急便で送った。「祈りの歌」と「千の風」を歌わせていただいた。

スピーチがいくつか続いたあとの息抜きになったよう。このような機会にしかお会いできない多くの方々にもお会いできて嬉しかった。お料理も美味しかった。学生時代、一緒によく行動した藤本君と、そのあと拾得へ。入院したと聞いていたので心配したが、テリーは、前よりも元気そうだった。

                         

今朝は10時過ぎ、二条城の桜を撮ろうとでかけたが、券売所は長蛇の列。12時にマイケルに会う約束があったので、中に入ることは諦め、バスに乗ることに。堀川北大路でバスを降りて、大宮通りを下がればあると思っていた彼の家は、堀川北山で降りなければいけなかった。それで大宮通りを北へ歩いていくと、「イスズ」と書かれた看板がある家の前に、長い髪を後で束ねた長身痩躯の男が立っていた。古川君だ。バスを降りるところを間違えたために、幸運にも、4月から児童館の館長に就任し、新しい人生を始めた彼に会うことができた。中を少し見せてもらう。だいぶ整理されていて、素晴らしい音楽事務所になりそう。ちょっとしたコンサートもできそうである。

6月にカリフォルニアに戻るマイケルに会う。彼はほぼぼくと同じ頃京都にきて、その後、直原玉青師に師事して南画を学んだ。その間、何度か世界のあちこち旅をして、しばらく京都を留守にしたことはあるが、基本的にはほぼ40年間京都に住んだ。Brown's という洒落たパブでお昼をご馳走になった。オーリアッドの参考になりそうなお店。オーナーはニール・ヤングとレナード・コーエンのファンだという。ギターがあったので、「バード・オン・ザ・ワイヤー」を歌わせてもらう。






昼食後、北山橋から賀茂川堤防の桜の花の写真を撮る。今京都は桜が満開。マイケルのガールフレンドのヨーコさんが、親切にも、深草のバス停まで送ってくれると言ったが、花見客が全国から押し寄せて、道路は混雑している。地下鉄の北山駅でおろしてもらうことに。かろうじてバスに間に合った。送ってもらっていたら完全に遅れていた。高速道路も渋滞気味で、辰野には1時間ほど遅れて到着。

いくつかの偶然の出会いがあった素晴らしい Magical Mystery Tour になった。Thank you so much, friends!


April 3, 2010 Saturday

藤森和弘、丸山俊和、赤羽真理、3氏による飛び入りライブ。新旧の自作の曲から種々のカバーまで、3ラウンド。バラエティに富んだ選曲。藤森さん、久々に河島英五の「旅的途上」。それに「片想い」など、20代に書いた歌も。丸山さん、新曲「でんでん虫のように」をDのオープンチューニングで。どんどんレパートリーを増やし、ギターワークの幅を広げている。恐るべし68歳。赤羽さん、「離農」」「愛に生き平和に生きる」などのカバーも。後者は岩谷時子作詞、いずみたく作曲。





all photos by k. miura

最後の曲は、藤森さん「住み慣れたこの町で」、丸山さん「さあ今から」。赤羽さん、「戦争は知らない」。ぼくは留守をしていたが、家人の報告によれば、しみじみとしたいいライブになったようである。遅くに、宮沢(秀)さんが寄ってくれたとのこと。お会いできずに残念。


April 2, 2010 Friday


豊田勇造コンサート at Oread。

とてもいいコンサートだった。「はだしの歌うたい」からスタート。いつもより抑え気味のギターに、ていねいな歌い方。ことばがすなおに心に沁みてくる。その白眉が、先月初め、今は亡き高田渡の夢を見て、かつて一緒に旅したことを思い出して書いたという新曲。それに、今年の1月、彼のライブに来てくれた、55年ぶりに再会したという保育園の先生のことを歌った歌も印象的。「ないないずくし」も。何もないことは、すべてがあること。






アンコール1曲目、「ハンク・ウイリアムズを聴きながら」では、ボブ鈴木がいいハーモニカを聞かせてくれた。アンコール最後の曲「花の都ペシャワール」では、卓越した技術に裏打ちされた彼のギターへのこだわりを堪能した。

ライブ終了後、熱狂的なファンに囲まれて、還暦記念ライブのCDもよく売れていたようだ。閉店時間まで熱心に話し込むファンも。

重いキャリーバッグとギターを下げて旅を続ける彼を見て、トム・パクストンの歌を思い出した。

  So here's to you my ramblin' boy
  May all your rambles bring you joy
  So here's to you my ramblin' boy
  May all your rambles bring you joy



April 1, 2010 Thursday

雨。風。先日の強風で玄関先の温度計が吹き飛ばされてどこかへ行ってしまったが、昨日夾竹桃の藪の背後に飛ばされていたのを家人が見つけてくれた。今日もかなり強い風が吹いたが、針金で上と下を縛りつけておいたのでもう大丈夫、と思う。

午後、冷たい雨に打たれている梅の蕾の写真を撮る。あまりの寒さに、咲いていいかどうか迷っているかのよう。



夜。オーリアッド。垣内さん、前回のオープンマイクの写真を見ただけで、カメラが新しくなったと分かったとのこと。一眼レフだと思っていたぼくのカメラは一眼レフではないとのこと。いずれにしろ、軽量でコンパクトで、26倍ズームの新しいカメラが気に入っている。久々に田中君。ディランのこと、コーエンのことなど四方山話。そこへ、コーエン風の中折れ帽をかぶった紳士。歌声喫茶帰りの丸山さん。

11時閉店。雨は上がっていたが、道路はしっかり濡れている。

キング牧師が I Have a Dream のスピーチをしたワシントン大行進の集会でジョーン・バエズが We Shall Overcome を歌ったことはよく知られている。そのとき、ディランも歌っている。When the Ship Comes In、そしてOnly a Pawn in Their Game。このころのディランの歌は、イメージが明確である。Desolation Row や Memphis Blues Again のように、異なるイメージが並列された歌でも、すべてが収斂されてひとつの明確なイメージが伝わってくる。

http://www.youtube.com/watch?v=-vhNCRlXm1s&feature=player_embedded



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