OREAD Diary October 1-31, 2013

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Thursday, October 31, 2013

本日午後2コマのクラスは休講。午後1時から、1時間半、パークホテルで行われた伊那人権擁護委員協議会研修会にてトークライブ。「スティーブ・ジョブズと宮沢賢治--でくのぼう考」。会の名称が堅いので、少々身構えてしまい、最初は緊張したが、なんとか終了。トークの最後に「人権の専門家のみなさんに人権について語るのはおこがましく、今日の話は会の主旨にそったものではなかったかもしれません」と語ったことを受けて、終わりの挨拶をした女性が「人権とは、誰もが幸せに生きる権利と考えると、今日のお話は、まさにこの会にふさわしいものでした」と好意的に受け止めてくれたことに感謝。

委員の方々は、そのあと小野宿や小野酒造の見学に行かれ、6時から懇親会。ぼくは機材を置きに家に戻り、6時に家人にパークホテルへ送ってもらう。

懇親会が始まってしばらくして、委員の方々の寸劇があった。これを先に見ていたら、緊張しなくてすんだものを。



美味しいご馳走をいただく。松茸ご飯。お酒も少々。多くの方々が話しかけてくださった。トークライブは大方好評だったようだ。隣町に住む女性が小麦の種を最近蒔いた話をしてくれた。「うどんにしてもパンにしても自家製の小麦粉を使うと、うんと美味しい」という。興味をそそられお話を聞くうちに、種を分けてくださるということになった。ひまわり畑だったところを小麦畑にしたら面白い。蒔く前から、来年6月の麦秋が楽しみ。

役場の方にオーリアッドまで送っていただく。「夢のブックストア」「即宗和尚」を聞いてもらう。そして四方山話。無投票だった町長選挙などについて。

10時半閉店し家に帰る。帰路、駅まで脚を伸ばし、ほたる書房の跡地にできた「ほたるの里世代間交流センター」を外から見る。思ったより大きな、奥行のある建物だった。

家に着き、楽天が延長戦で巨人を破ったことを知る。逆だったら、今日一日のいい気分がだいなしになるところだった。

昨日川上監督の訃報を知る。ぼくの中では、彼こそが最高の野球選手である。ぼくにとっては、背番号は「3」ではなく「16」である。小学校高学年の時だったと思う、『川上哲治物語』という映画を今はもうない辰野劇場へ見に行った。クラス全員で見たような。その映画で見た新珠三千代の美しさに圧倒された。彼女がなんの役だったのかは覚えていないが。

川上監督の修行僧のごとき風貌が好きだ。



Wednesday, October 30, 2013


午前1コマ、午後2コマのクラス。帰路、アルプス市場で玉ねぎの苗を買おうとしたら、売り切れとのこと。内田ファーマーズマーケットへ。ここには少し残っていて、残っているものを全部、おそらく200本ほど、そして赤玉ねぎを50本買う。

7時過ぎ、オーリアッドへ。すでに歌声喫茶が始まっていた。今日はギターの岩垂さんがお休みとのことで、長島君と丸山さんの二人の演奏。秋の歌を中心に。

歌声喫茶が終わる前に、次男の中学時代の同級生の赤羽君が入ってくる。終了後、丸山さん、長島くんと歓談しているところへ、坂井君。先日のタケイジの演奏など音楽談義。そして4人がそれぞれ1曲ずつ歌うことに。マナティーの紅茶用茶漉しが喜ばれる。







家に戻り、明日の人権擁護委員協議会研修会のための準備を始めたが眠い。早めに寝て、明日の朝することに。


Tuesday, October 29, 2013

今日も午後散歩に。村の各家の庭にも秋がいっぱい。左上のツツジは見事に平たく刈り込まれていた。国道をわたり、線路を越えてしばらく歩くと、遠くに人が見える。近づいても動かない。昔よく警官の形をしたコンクリートの人形があった。人形かなと思い近づいて、覗き込んだら、にっこり微笑んだ。「何をしているんですか」と尋ねると、「向こうで工事をしているので、電車がくると知らせるとのこと。「でもここら辺は2時間に1本ぐらいしか通らず、ずっと立っていなくてもいいでしょう」と言うと、「時刻表にはない回送電車や工事用車両が通ることがあるので、念のため」。大変な仕事である。







明日のクラスの準備。メールの返事。明日の歌は What a Wonderful World.


Monday, October 28, 2013

7時過ぎ、階下へ降りて行くと家人が「今朝は0度近かった」と言う。いつの間にか朝はストーブを点けるようになり、フィービーもその前に寝そべることが多くなった。

気温が急激に下がったので、庭の木もきれいに色づいてきた。午後、思うように文章が書けないので、気分転換に村を一周することに。イノシシよけの電柵沿いに北に歩くと、竹入隆行さんの先祖の墓がある。その前を通って更に北へ。人影が見えた。近づくと友人が、昨年だか一昨年だか植えたという数本の梅の木の世話をしていた。

彼が「松茸をもってけやい」というので、ついて行くと、家の前の流しに面白い形の人参が置いてあった。大きな切り株の上に移して記念撮影。松茸を一本いただいて帰る。早速家人が夕食に、これまた近所からいただいた新米で松茸ご飯を炊いてくれた。美味しかった。恵の秋である。

卓也の柿の木も今年は大豊作。猛暑だったせいか、とても甘い。次男の卓也がまだ3歳か4歳のとき、甘柿の種をいくつも土に埋めた。そのひとつが芽を出し、桃栗三年柿八年、いつの間にか実がなるようになった。しかし、甘柿の種を植えたので甘柿になると思っていたら、渋柿だった。このあたりの気温では甘柿も渋柿になってしまうと教えられた。しかし今年は甘い。今年の夏の猛暑、そして長く続いた残暑のせいか。





2月にエリック・クラプトンが来日することは知っていたが、先週土曜日の朝刊で、その日がチケットの発売日と知る。発売開始の10時にウドーに電話をかける。「混み合っているのでしばらくしてからおかけなおし下さい」。次に「ぴあ」にかけるが。同じ返事。3番目も。もう無理かと思いながら、ローソンへかける。今度はうまくつながった。いくつかの電話の向こうの問に対し、1あるいは2の番号を押し、最後に教えられた10桁の予約番号を押し、初日のチケット2枚予約完了。よかった。

ぼくはエリック・クラプトンのファンではない。彼を好きなのは家人である。今まで何度も、ディラン、コーエン、スプリングスティーンのコンサートに付き合わせてきたので、一度、エリック・クラプトンを生で聞かせてやりたいと思っていた。今日、彼女が仕事の帰り、ローソンに寄り、チケットを入手してきた。実物を見て一安心。


Sunday, October 27, 2013

秋晴れの好天気。あまり使わない和室の畳がカビ臭いので、朝食後、思い切って干すことに。子供の頃は、どの家でも大掃除のときには畳を干したもの。午後、畑の整理をしたあと、布団たたきで畳をたたくとほこりがいっぱい。トンボが一匹、日向ぼっこにやってきた。



碌山美術館参与の榊原好恭さんから、傘寿を記念して編んだという自作の都々逸撰集『ランプの灯』が送られてきた。タイトルは彼の号「嵐歩」に由来するとか。榊原さんによれば都々逸は「七七七五の口語定形詩」とのこと。先ず、さっと拾い読みさせてもらう。面白い。そのいくつかをここに。


 神に断酒を
 誓いに来たが
 樽の列見て
 まわれ右

 産科以外の
 診察すべて
 すめば老化の
 せいとなる

 やっと治した
 成人病を
 ひけらかすうち
 認知症

 文庫本から
 押し葉がはらり
 ふいにあの日が
 よみがえる


夜、久々にプロ野球を最初から最後まで。楽天が勝ったのはよかったが、審判の判定に明らかに誤審があり、後味の悪いものに。審判も人間だから間違いはある。一度下した判定でも、誤っているとわかったら、修正すべき。大事な試合においては、ビデオ判定を導入したほうがいい。それほど難しいことではないだろう。ビデオ判定でどっちかわからないときは、審判が集まって判断すればいい。


Saturday, October 26, 2013

賑やかなオープンマイクになった。佐藤つぐみさんがエレキベースを持参し、坂井俊水さんのエレキギターとのユニットで演奏。さすが、高校時代バンドでエレキを弾いていたというだけあって、水を得た魚のよう。Just Don't Mind, Fire Cracker, 「金星」など。坂井さん、「風の日」「Missing You」「ぼくらの夢」など。

藤森和弘さん、Terry's Terry というギターをもってきた。このメーカーのギターは1台100万円以上とのこと。藤森さんのもっているのは、仄聞するに、200万近いとか。「風は旅人」「ほろ酔いで」「秋桜」など。

丸山俊治さん、意表をついてデレクの出身地コロラドにちなんだ「コロラドの月の夜」を英語と日本語で。他に「バルセロナ」「白雪先生」など。デレク・ハースト、Kyoto Fountain, Game of Throne, Heart without Boundary など。

赤羽真理さん、「御手のなかで」「君は神様と話したことがあるかい」「千両梨の実」「手鏡」など。












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原田和夫さん、満州での幼いころの生活について語る。そして、そのことについて現在原稿用紙に50枚ほど書いたとのこと。

愛音ちゃん、藤森さんが「小さな幸せ」を歌ったあと、「テイク・ミー・ホーム、カントリーロード」を一緒に。記憶力がいい。ぼくが「テネシー・ワルツ」を歌って、終了。愛音ちゃんは眠ってしまった。藤森さんに促されて写真を一枚。気づいていたのか、にっこり。大きく、可愛くなった。

休憩時間にも、終了後も、しばらく藤森さんのギターにみなさん興味を示し、ギター談義。それに坂井さんがもってきたボディの部分が枠だけのギターにも。


Friday, October 25, 2013

12時から、紅葉の会。朗読の会「ひびき」のメンバーを中心にした視覚障害者の方々へ毎月、町の広報などをテープにしてお届けすることを目的に結成された会。年に一度みいなさんが一堂に会して交流会が行われる。

午前中、ボランティアセンターで音の出る転がす卓球をしたあと、オーリアッドで昼食会。昼食の用意ができるまで、「ひびき」の会のメンバーによる朗読。昼食後、「紅葉」「ふるさと」「里の秋」などを、全盲の粟津原さんのハーモニカに合わせて歌う。そのあと、全員の短いスピーチ。年に一度の交流会をみなさんが楽しみにしていてくださることがわかる。そしていつも思うことだが、彼らの明るい前向きな生き方に大いに励まされる。

最後に、ぼくが「即宗和尚」「夢のブックストア」「今村、わがふるさと」を歌わせていただく。そして、ぼくのライブではいつもアンコールをしてくださる粟津原さんから「花語らず」のリクエスト。




「紅葉の会」のあと、家にもどると、堀越哲朗さんから本が届いていた。お母さんが書かれた手記を、堀越さんが編集出版した『小宮山家の人々』という本である。「今年89歳になる母が、朝鮮からの引き揚げ体験を中心に家族の歴史を綴った本です」と書き添えられていた。時代は少しずれているが、ぼくの父は大正から昭和にかけて10年間、片倉殖産という会社に勤め、平壌に住んでいたという。どこかにオーバーラップするところがあるかもしれない。

オーリアッド開店後しばらくして、11月から町会議員になる垣内さん。今後の抱負、期待など大いに語る。彼のフットワークの軽さで、議会や町政に新しい風を吹き込んでもらいたいもの。

遅くに、Tennessee Waltz を含む、いくつかの歌の練習。11時閉店し外に出ると激しい雨。いよいよ台風が近づいているようだ。

家に戻り facebook を見ると、拾得のテリーが次のYouTube の映像をシェアしていた。これは面白い。これを見たら、どんなに落ち込んでいる人でも、笑わずにはいられないだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=gclydmWbYvw&feature=share



Thursday, October 24, 2013

午後2コマのクラス。昨日から使い始めた学校のWindows 8 「ノート型」は実にいい。これひとつで DVD、CDをはじめ、YouTube, TED など全部操作できる。前期の途中から引き受けたクラスの教科書付属のDVDは、従来のDVDプレイヤーでは映すことができなかった。もう教卓とオーディオラックの間を往復をする必要がない。ひょっとしたら、こんなことは当たり前のことで、知らなかったのはぼくだけかも。

今週の歌は Tennessee Waltz。 歌う前に、歌で英語を学ぶメリットが書かれた本の一節を、学生に読んで聞かせる。

・・・先ほどのバイリンガルたちへの質問の答えで、もっとも多かったのは「音楽を聞きながら覚える」でした。・・・音楽を学習に取り入れるための小さなコツをお伝えします。それは「一緒に歌って、歌詞を全部覚えること」です。歌詞はインターネットで「曲名 lyrics」と検察をすると出てきます。その歌詞を見ながら、真似して歌い続けるだけ。・・・最初なんて歌っているのか聞き取れなかったものでも、何度も歌っているとクリアに聞こえるようになります。自分が発音できるようになることで、その音がクリアに聞こえるようになるのです。英語の歌を学習に取り入れるメリットは、リズム、発音、イントネーション、アクセントなどの発音に関わるすべての要素が上達することです。それと同時に、発音を鍛えると、リスニングも上達します。(三石郷史著[頭を使わない英語勉強法」(サンマーク出版)pp.104-105)(下線部 by miura)

この本は今年4月、福島慶道老師の3回忌の法要に参列したあと、京都駅の書店で買った本の1冊。長い間、放っておいたのだが、先日拾い読みして、この記述を見つけた。まさにこれがぼくが学生に伝えようとしていること。しかし、ここにはひとつだけ足りないものがある。それは英語の音声やリズムの特性を、あらかじめ、あるいは並行して勉強すれば、進歩が格段に早いということ。

夜、オーリアッド。開店後しばらくして坂井君がやってきた。土曜日の Takeiji & Oread Band ライブの話。原敬二さんのギターから多いに学ぶところがあったようだ。四方山話の中で、彼が初めてオーリアッドにきたのが2年前の10月20日だったと知る。ということは、先週土曜日は10月19日。オーリアッドへ初めて足を踏み入れてからちょうど満2年の日だったことになる。もっと前から来ていたように思ったが。

調べてみたら、その日の日記に次のように書いてあった。

7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。しばらくして4人のお客さん。そのうちのひとりがギターを弾きたいとのことでマイクをセットし、裏の物置からギターを取り出す。先週土曜にはジャズ、そして昨日は歌声喫茶があり、ステージは片付けたままだった。その人がギターを一度スクロールしただけで、これはすごいと思った。友達から歌も歌ってくれといわれ、まず英語で、次に日本語で。トム・ウエイツの声で「なごり雪」。

この2年で彼は大きく変わった。「ぼくたちの夢」を含む素晴らしいオリジナル曲を何曲も書いた。歌い方も変わった。何を歌っているかわかるようになった。ときには、トム・ウエイツ風がなつかしくもなるが。


Wednesday, October 23, 2013

3コマのクラス。ありがたいことに東山山麓線の工事が終わっていた。

今日の歌は Tennesse Waltz。言葉を解説し、When an old などの音のつながりを注意する。パティ・ペイジのオリジナルヴァージョンの映像を見てから全員で歌う。藤原和義さんの日本語ヴァージョンをぼくが歌って、最後にもう一度一緒に英語で。

3コマ目のクラスでサイクロンについての記事を読む。その中で、オランダには、洪水になると浮かび上がる家があることを知る。水陸両用自動車(amphibian car) ならず、水陸両用ハウス(amphibian house)である。そんなことは考えたことがなかったので驚いたが、国土の4分の1が海面より低いオランダならではの発想である。カナダやイギリスでも実用化されているらしい。

7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。スピーカーからは久しぶりに Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band。驚くことにこのアルバムは全部で40分もない。なぜか大作という意識があったので、もっと長いかと思っていた。She's Leaving Home はいつ聞いても、しんみり。

遅くに初めてのお客さん。新聞などでオーリアッドのことは知っていたが、来たのは初めてとのこと。

家に戻り、メールを開けたら、次のようなメールが入っていた。

オーリアッドはヤッパリ刺激的でした。全然知らないタケバンのお2人でしたが、ハーモニカでジョイントした時からハートを感じる素敵な演奏でした。ライトや爆音の力に頼らず、ミュージシャン喋りではない美しい日本語でキッチリ話して下さったので真っ直ぐに伝わってきました。基本的なロックンロールを崩さないところが逆に格好いいと思いました。数日前のオーリアッド日記に貼ってあった YouTubeの「残された力」の3’40”の所に、何とX-Japanの pata さんが嬉しそうに演奏していてビックリしました。みんなどこかでつながっているんだなと嬉しくなりました。竹入隆行さんと原敬二さんの贅沢な Live をありがとうございました。


Tueday, October 22, 2013

昼前、フィービーを獣医さんのところへ連れて行く。かさぶたがとれて、赤くなっている。自分で引っ掻いたようだ。飲み薬を処方してもらい、2週間後にもう一度くるにようにと言われる。

午後「隣の潔さん」からいただいた赤い菊を庭に出し、写真を撮ろうとしていたら、一部始終を見ていたフィービーがやってきた。菊の花の匂いを嗅いでいる。常に好奇心旺盛。



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夜、明日のクラスの準備。メールの返事も。一見、見事な長文の英語で書かれたメールが届いた。読んでみると、何が書いてあるかまったくわからない。自動翻訳を使ったに違いない。 Google translate を使うことは否定しないが、自動翻訳で訳したものをそのまま送ったのではなんの勉強にもならない。不自然なところは自分で直さなければ。



Monday, October 21, 2013

数週間前、 Masport の芝刈り機のエンジンをかけようと、紐を強く引っ張たら切れてしまった。それは、15年ほど前、当時ワイトモ役場の幹部職員だったポール・デイヴィの仲介でニュージーランドから輸入したもの。自分で直そうとしたが、合う工具がなくて開けられない。箕輪のヤンマーに電話すると、すぐに来てくれた。しかし、日本製と違い、紐をとりつける場所が固定されているので紐だけかえられないとのこと。それに紐を巻きつけるスプリングも壊れているらしい。写真右の部品を丸ごと変えたほうがいいとのことで、この種の部品を扱っている業者に電話をしてくれたが、扱っていなかった。

この写真を次男に送り、もし部品があったら送ってもらうことにする。もし無理なら、安い芝刈り機を通販で頼むより仕方ないかも。庭は荒れ放題。



夜、今日までに届いている学生のメールへの返信。前期、昨年に比べ、スマートフォンからのメールが増えた。スマートフォンで英語を打つのは時間がかかるし、難しい。どうしても簡単でおざなりな内容になりがち。後期はスマートフォンからのメールを禁じ、間違ってもいいから、内容のあるしっかりしたメールをパソコンで打つように指示した。その効果大いにあり、見違えるようによくなった。


Sunday, October 20, 2013

終日、雨。目が覚めたとき、昨夜の「タケイジライブ」の爽やかな余韻がまだ残っていた。久しぶりに痛飲したのに、二日酔いの気配なし。よほど気分がよかったのだ。

午後、家人は教会へ。三浦綾子さんについての講演を聞きに。ぼくはオーリアッドへ。昨夜の後片付けと「今村、わがふるさと」を手直しするために。昨日何度歌っても一箇所間違えるところがあった。食器を洗い、床にモップをかけたあと、歌ってみる。言葉が足らず、メロディが変わってしまう一行があった。その修正を試みる。まだ最終的にどうするか迷っている。今週金曜日には「紅葉の会」、来週木曜日は「人権擁護委員会研修会」で歌わせていただくことになっている。そのときまでには定着させたいもの。

facebook や日記に昨夜の写真をアップしながら、昨夜のコンサートについて考えた。爽やかな気分だったのは、百戦錬磨のタケイジの二人が、見事な技術やパワーを持ちながら、実に謙虚だったからではなかったかと。その謙虚さは、その場で取り繕ったものならすぐに分かる。都会からやってくるミュージシャンの中には、田舎の無名の歌い手たちを少々軽く見る人たちがいる。彼らにはそれがまったくなかった。彼らは、ぼくがどこに出しても恥ずかしくないと思っているオーリアッドのミュージシャンたちに敬意を払い、正当に評価した。

原敬二は、あの卓越したギタープレイを、ひけらかすような「はったり」の弾き方は一度もしなかった。そう感じたのは、本当に難しいことを軽々とやっていたからかもしれないが。彼は常に竹入隆行に寄り添い、ヴォーカルを生かすための演奏に終始した。

褒め殺しにならないように、この辺でやめておくが、彼らのファンに対する応対からも学ぶところがあった。


Saturday, October 19, 2013

昨年夏、竹入隆行さんがが先祖の墓参の帰り、偶然オーリアッドに寄ったことによって実現した Takeiji & Oread Band Concert。正直なところ、彼の存在も彼のバンドのことも知らなかった。最初はあまり乗り気ではなかった。しかし、出生地である今村や先祖に対する思い、そして今村の人たちに聞いてもらいたいという熱い思いを聞いているうちに、やりたいと思うようになった。

しかし、いつものように新聞広告を出し、記事を書いてもらうよう頼み、さらに伊那と諏訪の情報誌に案内を頼み、ホームページとメールで知らせすることにはしたのだが、何を「売り」にしていいかわからない。結局、彼とぼくの接点である「今村」を前面に出すことに。

結果は、観客動員数においては河島英五が初期オーリアッド救済のためノーギャラで歌いにきてくれたときの94人には及ばなかったが、コンサートそのものは、英語風に言えば、「オーリアッドで行われた最高のライブのひとつ (one of the greatest gigs at Oread)」になった。

遠くは仙台から、東京、埼玉、新潟、名古屋から彼のファンがやってきた。どこへも追いかけて行くファンたちが、「今日はよかった。来てよかった」と感激して語るのを聞いて、本当によかったんだと確信した。今村から聞きに来てくれた方々も、彼らは普通あまりフォークやロックのコンサートに行く人たちではないが、楽しんでくれたようだ。

タケイジの2人もオーリアッドで演奏することを楽しみ、同時にオーリアッドのレギュラーミュージシャンの音楽も楽しんでくれたようだ。竹入さん曰く「今日はいい一日でした。心から感激しました」。そして、家人もぼくも、実に爽やかな気分で家に帰ることができた。演奏者、聴衆、主催者の三者が感激し満足するコンサートは、そうあるものではない。

                      ■

コンサートは、共通のふるさと「今村」についての対談からスタート。なぜ歌うか、なぜ歌いつづけるか。その根底に何があるかと彼に問う。その問に彼は、彼の歌と語りの中で答えた。

先ずぼくが歌う。3時間前に完成したばかりの「今村、わがふるさと」。竹入さん曰く「リハと同じところで間違えましたね」。間違いはしたが、ぼくの今村に寄せる思いは十分伝わったようだ。次に坂井俊水さん、田中創さんのギターのサポートで「ぼくらの夢」。この2年で、彼はいくつもいい歌を書いたが、 as far as I am concerned これが一番いい。

丸山俊治さん、オーリアッドバンドのサポートで「70歳になったのだ」。坂井さんウッドベース、田中さんギター、赤羽真理さんマンドリン、原田和恵さんピアノ。全員(ボケ)帽子をかぶろうとのことで、原田和恵さんは、お店にあったぼくの大きなテンガロンハットをかぶる。顔は見えなくなってしまったが、ジャケットとの色のコーディネーションが見事。仙台、東京、新潟、名古屋などからやってきたタケイジガールズが歓声をあげる。タケイジのギタリスト原敬二さんがもこの歌に感動したようだ

次に田中さん「東京」を歌う。いつもながらに説得力のある歌とギター。最前列のタケイジガールズ、真剣に耳を傾ける。竹入さんも、この歌がよかったと、打ち上げの席で語る。

続いてオーリアッドバンドの Sweet Home Chicago。田中さんヴォーカル&ギター、丸山さんウッドベース、坂井さんギター、赤羽さんマンドリンとコーラス、原田さんピアノ。そして竹入さん、リハでは途中からだったが、本番では最初からマウスハープで参加。 素晴らしいセッション。ここで休憩。





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10分ほどの休憩後、いよいよタケイジの演奏。 竹入さんは「貧しさや苦悩を売りにしたくないが」と語りながら、子供の頃の孤独、苦悩に言及する。小学校のころから自炊をし、ひとりで生活していた時代があったとか。

スプリングスティーンの Adam Raised a Cain や Indepence Day を彷彿させる父親との葛藤を歌った「同じ血潮」など、素晴
らしい歌の連続。

中学、高校と「ワル」だったという竹入さん救ったのはラジオから流れてきた歌だった。ナレーションは少なからず多からず、丁度いい。聴衆を惹きつける術を心得ている。ぼくが今夜一番気に入った歌は「何度も何度も手を合わせた大阪の空を見上げて・・・」といういフレーズのある「奇跡を信じて」。彼は言う、歌いつづけるのは、今まで自分を励まし助けてくれた人たちに感謝するため、彼らの期待に応えることのできる歌を書くためだと。そして今、かつて自分が置かれていた状況にある人たちを少しでも励ますことができる歌を書きたいと。


リハーサルで原敬二さんがギターに触れた途端、
その音色の美しさに圧倒された。その卓越したテクニックにも。本番でも、同じ感動を覚える。オーリアッドバンドのメンバーもみな彼のギターに注目。後で知ったが、彼の師匠はキース・リチャードとエリック・クラプトンとのこと。

2人とも180cm を超える長身。写真でみるとちょっとおっかなそう。
でも笑うと本当に優しい。優しいというよりも可愛いらしい、という形容詞がピッタリ。
原さんの「美しさ」、妖艶な流し目にはみんなヤラレてしまった。

1時間20分ほどの演奏。
アンコールでは客席のリクエストに答えて「残された力」を歌う。亡くなった先輩に捧げた歌。

  もしも、こんな時、あなたがいれば

  もしも、こんな時、こう言ってくれれば

  貰った優しさを全て使おう

  あなたが惜しげもなく、誰にもくれたものだし

  俺達があなたの生きた証

  俺達があなたの残された力







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最後にぼくがタケイジとオーリアッドバンドのサポートで「パーティーは終わったよ」を歌って、終了。今回も、今年のほたる祭りライブ同様、異質なものの出会いは、素晴らしい化学変化を起こしてくれた。

ライブ終了後、興奮さめやらず、多くの人たちが残って余韻を楽しんだ。今夜はコーヒーが売れなかった。タケイジガールズはビールとウイスキー。仙台を早朝に出て、片道8時間かけて車で来たファンは、ノンアルコールで我慢し、皆さんに送られて、再び、仙台へ。竹入さんは、今村は先祖の地というだけで親戚もいないと言っていたが、コンサート終了後、聞きに来てくれたハトコと彼の奥さんに会って、感激。

出演者同士の熱い交流も。




最後に記念撮影。



今夜のライブは「オーリアッドで行われた最高のライブのひとつ (one of the greatest gigs at Oread)」だった。その証明のひとつはこの写真の笑顔である。ありがとうございました。


Friday, October 18, 2013

明日の「タケイジ(竹入隆行&原敬二)&オーリアッドバンド」ライブの予約は、ありがたいことに、かなり増えてきた。「今村」が契機となって実現したライブ。今村の方々も何人かきてくれる。何よりも嬉しいのは、竹入隆行さんと血縁のある方も昨日チケットを買いにきてくださったこと。

「今村」をテーマにした歌をずっと昔書いたことがある。その手直しを今日は終日行う。まだ完成していないが、なんとか歌えそう。いつもそうだが、切羽詰らなければ、言葉が出てこない。

午後お悔やみと、買い物に。

オーリアッド。フィービーが今週初め、獣にかまれたか引っ掻かれたかしたとき、獣医さんが広いつばのついたプラスティックの首輪をつけてくれた。その写真をお客さんにお見せすると、即座に「エリザベートカラーだ」とおっしゃる。実は、facebookにも下の左側の写真を16日水曜日に載せたところ、どなたかが「エリザベスカラー」と書き込んでくださった。そのときはそれがどうしてそう呼ばれるのかわからなかった。今夜「エリザベートカラー」と聞いて、なるほどエリザベス女王の首には白いひだひだのカラーがあったと思い出した。知らないのはぼくだけで、みなさんその名前さえ知っているのかと驚いた。調べてみたら、英語では Elisabethan collar と言うらしい。



フィービーはしばらく外に出さなかったが、今朝あまりにも出たがるので、出してやることに。傷口も落ち着いてきたので。下の写真左は水曜の夜撮ったもの。右は今朝、「千の風」の鳥がとまっていた塀の上で日向ぼっこをしているところ。



伊豆大島の地滑り災害のニュースを見ていたら、牛山君が出ていた。静岡大学の防災総合センターの先生をしているようだ。彼が真ん前の席にすわって、食い入るように授業を受けていた姿が目に浮かぶ。とにかく真面目にコツコツと勉強した。彼のような学生ばかりだと教えることは本当に楽しいだろう。


Thursday, October 17, 2013

午後2コマのクラス。今日からWindows 8 のノートパソコンを使えることになった。快適。ありがたい。前にも書いたが、クラスでパソコンを使えるようになって一番ありがたいのは、動画の頭出しがカーソルを動かすことで簡単にできること。

帰路、アルプス市場へ。家人に頼まれていたタマネギの苗を買おうとしたら、お店の人がもう少し待ったほうがいい、今植えるとトウがたつと言う。「トウが立つ」という意味が定かではなかったが、言われるままに来週まで待つことに。苗も近々大量に入荷するようである。

オーリアッド。8時近く、家人と交代。何人かのお客さん。アロマテラピーの先生も。今夜初めて灯油のストーブを点けた。急激に、夏から冬へ。

明後日、竹入隆行さんを迎えてのライブ。今村の歌を書きたいと思ってきたが、間に合うかどうか。


Wednesday, October 16, 2013

昨日午後、事務局から「台風接近にともなう授業の取扱いについて」というメールが入った。授業が台風のため休講になる場合は午前7時にホームページで知らせるとの内容だった。そのあと同じ内容の電話も入る。10年に1度の大型台風とのことで、今日の授業はないものと思っていたが、朝ホームページを見たら、通常通り行われるとのこと。あわてて準備をし、松本へ。驚いたことに、東山山麓線が、台風の被害ではなく、前から予定されていた工事のため不通だった。迂回してなんとか間に合った。

今日の歌は、予定では What a Wonderful World だったが、昨夜まったく練習をしていなかったので、歌いなれた Let It Be に変更。これで今学期は3回連続ビートルズとなった。

夜、オーリアッド。9時過ぎ、ドアを開けて笑顔で入ってきた方が最初誰だかわからなかった。驚いた。藤原和義さんだった。8年ぶりとのこと。田中先生を含め、しばらくよもやま話。そのなかで話題になった「テネシーワルツ」を彼に歌ってほしいと頼むと「駄目だと言う」。結局ぼくが歌えば歌うとのことで「即宗和尚」を歌う。そのあと、彼が新曲だという「いつもいつまでも」を歌う。最近、勝手にこの種のラブソングが次から次へと出てくるとか。続いて「テネシーワルツ」。藤原さんのこの歌の日本語の歌詞は実にいい。田中先生も「テネシーワルツ」は大好きな歌とか。最後に田中先生にお願いする。ダイナミックで情熱的な演奏。誰の作品ですかとお聞きすると「オリジナルです」。タイトルは「愛ひとすじ」とのこと。

11時過ぎ家にもどり、明日のクラスの準備。


Tuesday, October 15, 2013

今度の土曜日のライブのための練習。












Monday, October 14, 2013

終日長野ジャーナルのためのエッセイ。書き始めては消し、そしてまた書くことの繰り返し。

昼過ぎ、運動を兼ねて畑の整理をすることに。一昨年ひまわりを植えた畑の山際、ミョウガが群生している前の部分に、枯れ枝やトウモロコシの茎を集めて火をつける。焚き火というのは心落ち着く儀式である。

「卓也の柿」は今年たくさん実をつけた。一昨年、隣の潔さんに庭の木の剪定をしてもらった。柿の木は背が高いと採りずらいので、うんと低くしてもらった。昨年はほとんど実がつかなかったが、今年は多い。柿の木の右側の写真は、先日隣の潔さんが、もってきてくれた赤い菊の花。





夜も、エッセイを書こうとするが、思うように展開しない。明日の午前中にはなんとか。水曜日の学生へのメールの返事は合間にほとんど書いた。水曜日の3講時のクラス、一番前にすわっている学生のメールにはちょっとビックリした。

I have many instruments in my house. I have five electric guitars, one acoustic guitar and one classical guitar. I have one keybord, too.

I gave names to all of them. The Telecaster mady by Fender is "Fendy" The Mockingbird made by B. C. Rich is "Rhowen." The S470r made by Ibanez is "Berry." The Les Paul made by Maison is "Blossom."The acoustic guitar made by Sepia Crew is "Ageha." The classical guitar made by Yohen Rhotel is "Onji." And the keybord is "Kai," which is derived from the Chinese character 快. They are all my family. Living alone can be very lonely but I am not lonely because I am surrounded by my family.

エレキやアコースティックのギターを何本ももっていて、それらのすべてに名前をつけているとのこと。そしてそれらはみんな家族で、彼らに囲まれていると、一人暮らしでも孤独ではないと。


Sunday, October 13, 2013

午前9時少し前、今村神社へ。午後の例祭に向けて神社委員による掃除。1時間半ほどかかって終了。午後1時半、宮司さんを迎えて秋の例祭。そのあと、直会。右下の写真は宮司さんと一緒に。右が区長代理、他の3人は神社委員。





「長野ジャーナル」のエッセイを8年10ヶ月ぶりに再開したいと、ここ数日構想を練り、書き始めたが、なかなか思うように進まない。第一回エッセイ「風に吹かれて」がアップされたのが1996年10月14日。そのときから、17年が経ったことになる。明日のうちには下野さんに送ることができたらいいのだが。


Saturday, October 12, 2013








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Friday, October 11, 2013

オーリアッドを再開したのは2003年の6月13日。「オーリアッド日記」をつけ始めたのは、その年の8月25日。内容は、その2日前に行われた藤森敬一さんと水野哲男さんのライブ、そしてその翌日行われたマンスリーサロンでの田中美智子さんの「ミネソタ州メイヨークリニックでの30日間」というお話。当時は基本的に、営業日の水から土までしか、日記をつけていなかった。

最近、過去の「日記」にアクセスできなくなっていたので、一大決心をして、ホームページビルダーの整理をすることに。書き始めたころは、ホームページビルダーの使い方もわからず(今でも分かっているとは言いがたいが)、URLが混乱している。それで、2003年8月から順に、 oreaddiary1, oreaddiary2 と整理を始めたが、途中で再び混乱し、あったはずの日記が消えてしまったり、違うところへ移ってしまったり。

午後遅く、「先ほどオーリアッドのHPでダイアリを拝見させていただこうと思ったところクリックすると、過去の6月のダイアリにいってしまうようですが」というメールが届いた。そこで今月の日記を見ようとクリックする。確かに6月の日記が出てきてしまう。しかも、すべてではなく、半分だけ。あわてて、あちこち探すと、文字だけはアップできた。写真の部分は、四角い枠だけで、写真がない。

6時過ぎ、オーリアッドへ。お店のパソコンにもホームページビルダーを入れてある。急いで今月の日記のところを見ると一昨日までの日記が写真入りで入っている。早速転送。そして昨日の日記に書いたことを想い出しながら書きなおす。

もう10年以上日記を書いてきたことになる。誰も読まない駄文を毎日書いても仕方ないと思うこともあるが、習慣とは恐ろしいもの。最近では営業日以外の日月火にも日記を書かないと落ち着かない。ぼくにとってはこれは備忘録のようなもの。過去の自分の生活や出来事を調べる上でとても便利。ネガティブなこと、人を傷つけるようなことは書かないように心がけているが、褒めたつもりが否定的に受け取られたこともあった。もしご迷惑をおかけしたことがあるなら、ご容赦のほどを。

どこかに消えていた2004年8月の日記は、夜遅くに回復した。よかった。

夜、オーリアッド。何人かのお客さん。少々酔ったお客さんが、ぼくが来月68になると知って、「よくその年まで歌い続けてきましたね」。確かに。歌もギターも下手くそなフォークシンガーながら、60年代に遭遇したボブ・ディランとレナード・コーエンに魅せられて、ここまできた。歌を書くことで、歌を歌うことで、多くの苦しみを乗り越えてきた。

1982年、37歳で辰野に戻ったときは、カラオケ全盛時代。美味しいビールが飲めて好みの音楽が聴ける場所はなかった。それで1985年、なりゆきとその場の勢いで、オーリアッドを作ることに。その後、京都や東京から歌いにきてくれるシンガーのライブは毎月1回おこなってきたが、ぼくは前座で歌うこともなかった。稀に歌いにきてほしいとの依頼があってもお断りしていた。毎年7月、京都拾得での「七夕コンサート」で歌う以外は。

ぼくが再び歌いたいと思ったのは、1989年6月、天安門広場で戦車の前に立ちはだかる一人の若者の姿を見たとき。「純ちゃん」という歌を書いたのもその頃のこと。そんなぼくを見て、根橋唱二さんと田中正幸さんがコンサートを企画してくれた。その頃どこかに書いたことがある。「70歳になっても、喫茶店の片隅で、一人でも聞いてくれる人がいる限り、歌っていたい」と。恐ろしいことに、70歳まで、あと2年。

                      ■

昨日の日記に竹入隆行さんと今村との関係を書いた。ぼくと今村、あるいは辰野との関係は次のとおり。ぼくは千葉県の行徳(現市川市)で生まれ、3歳のとき、祖父母と母と二人の姉とともに、父方の先祖の地今村に引っ越してきた。そして小学1年、7歳のとき今村から、母方の実家から500mほど離れた現在オーリアッドがある宮木に引越し、高校生3年の1学期までそこに住んだ。そのあと、 Santa Rosa(1年)、宮木(半年)、東京(1年3ヶ月)、Santa Barbara(3年)、京都(13年)に住み、37歳のとき今村に戻ってきた。3歳から7歳まで、今から思えば僅か4年しか過ごさなかった今村での生活が、忘れ難かったのである、

京都へ行ったのは1969年秋、そして1年後の1970年秋、御所で八木重吉の詩集を読んでいるとき、突然、今村に戻りたいという気持ちがわき起こってきた。その頃読んでいたルソーの『エミール』の中の言葉にも後押しされた。
  もし策謀もせず、取引きもせず、人に従属することも
  しないで生き長らえてゆく正当でしかも確実な方法が
  あるとすれば、それは自分の腕の労働で自分の土地
  を耕して生活することだ。
  そうともわが友よ、自分のものとなっている一人の女性
  と一つの畑。それで賢者の幸福は十分なのだ。

但し、実際に戻ることができたのはそう思ってから12年、京都へ行ってから13年経ってからである。


Thursday, October 10, 2013

午後2コマのクラス。今日も真夏の暑さ。タンクトップの学生が歩いているのが見えた。10月のこの時期にタンクトップとはと異様に思ったが、考えたら今日の蒸し暑さにはピッタリ。

帰路、TSYRUYAへ。昨日は休みだったので、今日はいっぱいの人。有機栽培のメキシコ産バナナとアボカドを買う。チーズ、生姜などの食材も。ワインも1本。

7時過ぎ、オーリアッドへ。ジブランの会の方々。そのほか、何人かのお客さん。遅くに田中先生。四方山話。スズメバチの入った焼酎をもらったとか。蜂の子も食べたとか。都会育ちの先生には、信州の秋は、珍しいものを見たり食べたできる季節。松茸も十分味わったようである。

来週土曜日は、今村で生まれた竹入隆行さんのライブがある。1歳のとき、今村から引っ越したので、今村のことも辰野のこともまったく記憶にないとのこと。無理もない。ぼくも3歳のとき千葉から今村へ引っ越してきたが、千葉のことはまったく覚えていない。

竹入さんは、40を過ぎてから先祖に感謝したいとの想いに駆られ、墓参に来るようになった。墓参がすんでも、知っている人もいないので、誰とも話さず帰っていたが、昨年夏オーリアッドへ立ち寄ったことで、このライブが実現することになった。先祖の地で歌いたい、地元の人たちに聞いてもらいたい、という彼の想いに共感するところがあった。

今朝、その地元の人の一人が、チケットの予約に来てくれた。キノコがいっぱい入ったダンボール箱をもって。ジコボウ、アミタケ、コムソウ、ウシカワなど。感謝。


Wednesday, October 9, 2013

文字の変換について大阪の庄司さんからいただいたメールの一部。

 7日付の日記を拝見しましたが、読む人を笑わせようとして
 わざと冗談でオーバーに書いている訳ではなさそうですね。
 本当に、このような使い方をしておられたのですか。


ここを読んで思わず笑ってしまった。もちろん、わざとやっているわけではない。ぼくのやっていることは、どうやら、あまりにも低レベルで失笑を買っているようだ。マニュアルを読まず、試行錯誤で、行き当たりばったりで今までやってきた。まさに in a willy-nilly way という副詞句がぴったり。これはコンピュータのみならず、ぼくの生き方全般に言えることではあるが。

長い間の習慣とはおそろしいもので、上の「思わず」を打つとき、まず「思い」をまず打って、「い」を削除し「わず」を加えようとしていた。今はそんな必要はないのに。変換が自由にできなかったのは「見ました」「思いました」「聞きました」など日常よく使う表現。中でも「思いました」には苦労した。

ぼくのワードが古いから変換ができなくなったと思っていたが、彼によれば、

 ワープロ・ソフト(MS Word)と日本語入力のためのIME(Input
 Method Editor)は、別物であることを知っていただく必要があ
 ります。NotePadへのメモ書きでも、フォルダやファイルの名
 前を日本語で付ける際でも、ワープロであるWordとはまった
 く関係なく、キーボードからの入力を日本語に変換する必要
 があります。それがIMEの役割です。


確かに考えてみれば、ワードだけでなく、メールを打つにも、ホームページビルダーに書き込むにも変換が上手く行かなかったということは、ワードのみの問題ではなかった。こんなぼくに愛想をつかさず、いつも適切な指示をしてくださる庄司さんに、感謝。これからもよろしくお願いいたします。

3コマのクラス。先学期からパソコンを使って映像を見せたり音声を聞かせたりするようになった(あっ、また癖が出た。「聞かせたり」と打とうとして、先ず「ぶん」と打って「聞」を出そうとしていた)。それ自体はとても便利なのだが、教室によってシステムが違うこともあり、事務局のコンピュータに詳しい方のお世話になることが多い。computer-literate という言葉がある。まさにぼくは computer-illiterate。

今日の歌は I Want to Hold Your Hand。この歌をクラスで一緒に歌うのは初めて。それができたのは、AFS10期生の50周年リユニオンのおかげである。

夜、オーリアッド。後半団体のお客さん。蒸し暑く、エアコンをつける。この時期、暖房のためにエアコンをつけたことはあるが、冷房のためにつけたのは初めて。

家に戻り、ニュースを見て、各地で真夏日になったと知る。台風の影響。その台風のおかげで、多くはないが、雨も降った。それはありがたい。

三鷹の女子高生が京都の若者に刺殺された事件には胸が痛む。そんなことをすれば自分の人生も台無しになることぐらいわかるはずなのに。三鷹には1年4ヶ月、京都には13年住んだ。両方共にたくさんの思い出のある町。

中日ドラゴンズの監督に谷繁捕手がなり、GMに落合元監督がなるという嬉しいニュースもあった。


Tuesday, October 8, 2013

午後遅く、小さな秋を探しに、ウオーキングに出かけることに。昨日、今日とずっとすわって仕事をしていたので。いつもの城山公園へのコース。今村に戻ってから30年以上たってようやく、その公園の名前は城山公園ではなく龍ケ崎公園だと知った。そう知ったのは、山の腰道の途中で地質調査の工事をしていたので、引き返さず、反対側に下りたのだが、そこに詳しい案内板があったから。

途中、いくつもの小さな秋を見かけたが、ここ数日は真夏の暑さ。午後はTシャツ一枚で過ごしたほど。紅葉の秋は先のようだ。








帰路、徳本水のところにきたら、珍しく車が一台も止まっていない。暑くて喉が渇いていたので、久しぶりに徳本水の水を手で掬って飲んだ。美味しかった。そのあと道祖神のところで旧道に入り、家に戻る。カリンが少し色づいて、ここにも小さな秋が。

夕食後、家人が「フィービーをみなかった?」と聞く。彼女が午後3時過ぎに戻ったときにはいなかったとのこと。ぼくがウオーキングから戻ったのはそのあと。朝、家人の布団の上に寝ているのを見かけたが、午後は一度も見なかった。名前を呼びながら、家の周りを探したが、返事がない。朝、フィービーに、「ソフィーがいなくなってちょうど一年。ソファイーを見つけて連れてきてくれないか」と話しかけたのがいけなかったか。

家人が外から戻ったとき、山の方で「けものの鳴き声が聞こえた」というので、最悪の事態を想像したが、8時すぎ、階下から家人の声。「帰ってきたよ!」。慌てて下へ降りる。いかにフィービーがわれわれの毎日の生活に、慰めと潤いを与えてくれているかわかった。

明日は松本へ。後期、2週目。CD-R はとりあえず30枚ほど焼き、ラベルも印刷した。


Monday, October 7, 2013

晴天の暑い日。まるで真夏のよう。沖縄に近づいている台風の影響か。台風は来てほしくないが、雨は降ってほしい。9月16日の台風以来、つまり20日以上、雨が降っていない。畑はからから。今日もいちご畑の水遣り。

終日、学生のメールの返事を書いたり、後期の歌のCD-Rを焼いたり。RealPlayer の調子がもう一つ。何度も途中でシャットダウン。先程、Windows Media Player に換えた。今のところ順調に進んでいる。RealPlayer のほうが好きだが、これではWindows Media Player に完全に乗り換えたほうがよさそうだ。

RealPlayer は調子が悪いが、ワードの調子は突然よくなった。ホームページビルダーに書くのも楽だ。Vistaに機種を変えた数年前から変換が上手くいかなかった。全部というわけではないが、よく使う漢字にすぐに変換されなかった。例えば、「みた」と打って「見た」に変換しようとしてもできなかった。「けんぶつ」と打って、「見物」に変換し、「物」を削除して「見」に「た」を付けていた。「暑い」も「あつい」から変換できなかった。「しょ」と打って「暑」に変換し、それに「い」をつけていた。ところが、30分ほど前からスムーズに変換するようになった。これはありがたい。これだとタイプを打ちながら、思考が途切れず、いくらでも書けるような気がする。

その理由を考えたが、これしか思いつかない。昨夜翻訳会社へ訳を送ったところ、今朝「Wordのバージョンが古いとのことですが、変更履歴付きでの修正の確認は可能でしょうか」というメールが入った。まったく何を言っているのかわからなかったが、何度かメールのやりとりをしたあと、試行錯誤、いろいろ触っているうちに、「変更履歴付き修正」ができることがわかった。多分そのおかげだろう。いずれにしてもありがたい。

Oread のfacebook にアップした「竹入隆行ライブ」の新聞記事に対する反応がものすごい。少し前チェックしたら、1592人が「見て」、150人が「いいね」をクリックしていた。いつもは「見る」人は7、80人、多くても200人ぐらいだから、それがいかに驚異的な数字かがわかる。その数字に比例してお客さんも増えてくれればいいのだが。


Sunday, October 6, 2013

17歳の白井君の神業は驚異的。体操の世界選手権種目別の床運動。生まれながらに、素質や環境に恵まれていたのだろうが、やはり本人の努力のたまものである。物怖じしない話し方もいい。

雨らしい雨がしばらく降っていない。ソーラー発電には好都合だが、定植したイチゴ苗の水遣りが大変。朝晩2回。

10月19日(土)の竹入隆行ライブのパブリシティのためオーリアッドのfacebook に、9月28日に出た「たつの新聞」の記事をアップ。竹入さんのfacebookにもシェアしたところ、驚いたことに、たちまち、この投稿を見た人が1000人を超え、100人以上の「いいね」がついた。根強いファンがいるようだ。

夜は、学生のメールに返事を書いたり、今週のクラスの準備など。


Saturday, October 5, 2013










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Friday, October 4, 2013

終日、翻訳。今回は音楽でなく、日本の昔の生活について書かれた文の英訳。とりあえずラフの訳をすませる。

オーリアッド。何人かのお客さん。最後に入ってきたのは長髪の若者。最近はこれほどの長髪はあまり見かけなくなった。いかにもミュージシャンといった感じ。やはり2年前まで東京でバンドをやっていたとのこと。タケイリバンド知ってますかと聞くと、タケイリバンドの前身のCHARISMA と一緒にツアーに出たことがあるという。驚いた。10月19日(土)、竹入隆行さんがオーリアッドにきますよ、と伝えると驚いていた。彼も聞きにきてくれることに。

更に驚いたことに、彼は次男の中学時代の同級生だった。わが家にも来たことがあると言う。「ミー君が外国に住んでいるという噂を聞いたことがあります」という。彼は中学時代から、サン・ハウス、マディー・ウオーターズ、ロバート・ジョンソンを聞いていたというから、かなり早熟である。そして東京ではパンクやレゲーのバンドをやっていたという。明日は無理だが、オープンマイクにもきてくれるようである。

カウンターにいた田中先生と一緒に記念撮影。次男がこの写真を見てもおそらく赤羽正之君だとはわからないだろう。

そうそう、長島君に、昨夜丸山さんから教えられたウインカーの出し方について話すと、それは聞いたことはないし、法規にもそうするようにとは書かれてはいないとのこと。彼自身、右折しようとしてウインカーを出した後、気を変えて、直進する場合は、ウインカーを戻すだけで、左には出さないとのこと。さてどうしたらいいものか。


Thursday, October 3, 2013

午後2コマのクラス。帰路、内田のファーマーズ・マーケットに立ち寄る。この時期は松茸だけでなく、さまざまな雑キノコが地元の人たちから持ち込まれる。昨日はアルプス市場で大きなジコボーを2パック入手。今日はできたらアミタケがほしかったが、なかった。小ぶりのジコボーを1パック。

山麓線をおりて、塩尻で153号線に入ろうと信号のところで待っていると、突然運転席の窓を叩く音。警官が何か注意しにきたのかと驚いて横を見ると、見慣れた顔。笑っている。窓を開けると、「山麓線からずっと後ろにいました」と丸山さん。今日は木曜日、丸山さんが隣町の歌声喫茶へ行く日だ。信号が青に変わり、左折。丸山さんの大きな白い車が車間距離を十分にとってついてくる。

善知鳥(うとお)峠を越え、小野に入り、上島を過ぎ、今村の信号手前でウインカーを出す。夕方の交通量の多い時間。しばらく待っていたが反対車線の車が途切れない。後続の車が徐々に増えてくるのが見える。そこでウインカーを元に戻し、直進し、500メートルほど先の信号のない入り口で右折することに。信号で右折できないときは、いつもそうしている。

夜、オーリアッド。9時過ぎ、丸山さんが入ってきた。開口一番、「右折しようとしてウインカーを出して、右折せず直進するときは、ウインカーをいったん左に出さなければいけません」。知らなかった。自動車教習所に通ったことがないだけでなく、日本の交通法規集を読んだこともない。アメリカで免許をとったときは、駐車場で基本の操作を教えてもらったあと、一人で練習し、試験を受けた。法規の試験はバイクの免許のときに受けていたので受ける必要がなかった。一度目は、ぼくの車のウインカーが働かず、その結果、不合格。二度目に友達のオートマチック車を借りて無事合格した。

そのあたりのことは次のエッセイの冒頭に詳しく書いてある。
http://www.nagano.net/journal/miura/971214.html

言われてみれば、確かに後続車が右折するというサインを見て、左側から抜いて行こうすることが考えられる。急に直進すれば追突、あるいは接触事故を起こしかねない。左へ曲がるというサインを出せば、右折を断念したと伝えることができる。丸山さんのおかげでひとつ賢くなった。

ただし、ぼくは右折する場合でも左折する場合でも、ウインカーは信号のかなり手前で確実に出す。走っている車がまったくないところでも出す。ウインカーを出さずに曲がる車が多すぎる。ブレーキを踏んでから曲がりながらウインカーを出す車もある。中には曲がってから出すものも。

そうそう、今日はひとつのクラスで学生に「風立ちぬ」の話をした。「見た人いる?」と聞くと、40ほどの学生のうち10人ほどの手が上がった。かなりの率である。「よかった」という学生もいたが、「期待はずれだった」という反応が多かった。

茸といえば、この前の日曜日、夫婦で茸狩りに誘われた。チャーチコンサートがあるため、ぼくは行けず、家人のみ参加させてもらった。2本は彼女自身で見つけたらしいが、あとはおまけしてもらったようだ。この写真には写っていないが、たくさんのコムソウももらってきた。アケビは久々に食べた。懐かしい味。その晩は早速松茸ご飯にしていただいた。採ったばかりの松茸を入れた新米の松茸ご飯。美味しかった。感謝。




Wednesday, October 2, 2013

後期最初の授業。3コマ。例年この時期は暑くもなく寒くもないもっとも快適な時期だが、今日は暑い。節電と思いながら、音を出す授業ゆえ、エアコンのお世話になる。

今期最初の歌を I Want to Hold Your Hand にするか Yesterday にするか迷った。プリントの最初は I Want to Hold Your Hand だし、世に出た順序から言っても I Want to Hold Your Hand。しかしこの歌は今まで授業で取り上げたことがない。上手く歌えるか自信がない。それに、ぼくにとってはビートルズと聞いてまず思い浮かぶのはこの歌だが、学生にとっては馴染みのない歌。前期は子音、後期は母音を中心に教えるといことからも、初日は Yesteday を歌うことに。 Yesterday は二重母音の宝庫である。

下記の歌詞の下線部が二重母音。特に、[ ei]が [e: ]に、[ou ]が[ o: ]にならないように、つまり二重母音が長母音にならないように、注意する必要がある。

Yesterday all my troubles seemed so far away
Now it looks as though they're here to stay
Oh I believe in yesterday.

Suddenly, I'm not half the man I used to be,
There's a shadow hanging over me.
Oh yesterday came suddenly.

Why she had to go I don't know, she wouldn't say.
I said something wrong, now I long for yesterday.

Yesterday love was such an easy game to play.
Now I need a place to hide away.
Oh I believe in yesterday.

前期、後半から引き受けたクラスは後期も引き続き教えることに。このクラスのテキストは総合教材で、いろんな情報がつまっている。今日読んだところはインドについて。もう誰もが知っていることかもしれないが、遅ればせながら、現在 Mumbai と呼ばれる町はかつての Bombay であることを知る。世界最大の映画産業の町で、Hollywood をもじって Bollywood と呼ばれていることも。

帰路、久しぶりに TSURUYA並柳店とアルプス市場に寄り、食材を購入。

午後7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。Kindle に堀辰雄の「風立ちぬ」の無料本をダウンロード。何度か中断したが、閉店までに読了。映画「風立ちぬ」がかなりの部分、この小説に由来していることを知る。あの映画のわかりずらさ、中途半端さは、異なる2つのものを(無理やり)折衷しようとしたところにある。

久々に一局。今夜も最初はいい展開になったが、勝ちを焦って、詰めが甘くなった。


Tuesday, October 1, 2031

今朝もイチゴ畑の水遣り。しばらく雨が降らないので、水遣りは欠かせない。新しく始まった朝のNHKドラマの中で、「イチゴの栽培は難しい」という主旨のことを誰かが言っていたが、確かに、イチゴは手がかかる。初夏に植えた苗のランナーを伸ばし、それを仮植えし、さらにそれを定植しなければならない。いい実をつけさせるためにはこの段階での水遣りが大事と教えられた。

水遣りのあと、2階の部屋に戻り、仕事を始めたら、家人が大きな白い封筒をもって上がってきた。封を開けると、AFS10期生の50周年リユニオンで会った山口(明雄)君の著書『誤解されない話し方、炎上しない答え方』(ディスカバー・トゥエンティワン)が出てきた。早速読み始める。これはぼくが今必要としていた本である。「誤解されない話し方」の秘訣は「逆ピラミッド式」で話せばいいと彼は言う。

「逆ピラミッド式」(inverted pyramid style)という言葉をぼくが知ったのは、短大で教えていたころ、急遽時事英語を担当するようになって、付け焼刃で勉強したときである。ところが山口君は、そのことをAFSプログラムで留学したアメリカの高校の Speech & Debate のクラスで教わったという。実はぼくもアメリカの高校で Speech & Debate のクラスを取ったのだが、教わった記憶がない。教わったが忘れてしまったのかも。

インターネットの時代になり、メールを送ったり、ブログを書いたり、フェイスブックにメッセージを書き込んだりすることが容易になった。容易になった分、自分ではそのつもりはなくても、人を傷つけたり、誤解されたりする文を書いているかもしれない。いい本を送ってもらったものだ。

午後から夜にかけて、明日の授業の準備。まず、後期に歌う歌全8曲を決め、その歌詞をA4の用紙2枚にまとめる。さらにその歌のYouTube を探し、学生がアクセスできるページにアップする。教科書以外の読み物としてキング牧師のスピーチを使うことにしたが、そのスピーチの重要な部分を集め、およそ半分の長さに短縮した。

後期で歌う歌: I Want to Hold Your Hand, Yesterday, What a Wonderful World, Heart with No Companion, Knockin' on Heaven's Door, Let It Be, Tennessee Waltz, The Sound of Silence

全10曲としたいところだが、この8曲だけで、2段にしたA4の用紙の裏表がいっぱいになってしまった。