OREAD Diary December 1-31, 2011

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December 31, Saturday 2011

寒い朝。‐10℃。リビングのストーブに火をつけたあと、玄関先やサンデッキに散乱しているダンボールやバケツや板を片付ける。そのあと、しばらく仕事。昼食後、長男とオーリアッドへ。昨夜のお皿を洗ったあと、厨房やカウンター内の整頓。帰路、スーパーに寄り、家人に頼まれた食材を購入。

家に戻り、仕事再開。いくつかの難解な数行を訳しなおす。まだピタリとこない。リズムがあって読みやすく、そしてできるだけ正確な訳にしたいという思いはあれど、難しい。何度か書き直しているうちに、元より悪くなってしまうこともある。気をつけないと。

大晦日の夕食にはこの辺りでは「お歳取り」と称するご馳走をいただく。以前にもどこかに書いたが、これは家族全員の集団誕生パーティと言うこともできる。お腹いっぱいになったところで、紅白歌合戦を見始めたが、あまりのつまらなさに、2階へ上がり、仕事再開。

そこへ、電話。原田(伸郎)君からだった。驚いた。12月の初め、彼から喪中はがきが届いた。お父さんが亡くなったとのことだった。お父さんが亡くなる前には、20年近く一緒だった愛犬も亡くなったとのことで、かなり意気消沈している様子だった。それで新しいCD『祈り』と、母が亡くなったときにつくった『千の風』を送った。そのお礼の電話だった。彼が言うには、昨日の深夜のテレビ番組で清水君に会ったときに話したのだが、、一度ふたりでぼくに会いに来たいとのことだった。土曜の飛び入りライブで、ふたりに歌ってもらったら面白いかも。しかし、ふたりが同時に土曜日、スケジュールが合うのは難しいだろう。

激動の2011年も終わり、明日から2012年が始まる。今年ほど新しい年を迎える心の準備ができていない年も珍しい。同時に、今年ほど新年が待ち遠しい年もない。


Decemer 30, Friday 2011

朝9時から、村の神社の新年の飾り付け。神社委員の仕事のひとつ。ぼくは今回も境内と石段の掃除担当。ほぼ1時間で終了。そのあと、家に戻り、家の掃除。最も掃除を必要とするぼくの部屋の掃除はスキップ。




午後、長男を辰野駅まで迎えに行き、帰りにコンビニに寄り、音楽著作権協会への楽曲使用料を振り込む。『祈り』に入れた「果樹園の道」と「電線の上の一羽の鳥のように」の使用料。1曲ほぼ1万円。後者は自分の曲でありながら、日音の管理下にあり、使用料を払うことに。歌詞は『ポジティブリー寺町通り』(1979年)に入っているオリジナルとほぼ同じだが、曲はまったく新しいので、半分払えばいいだろうと思っていたが、そうもいかないらしい


今年最後のオーリアッド。開店直後、久々に栗林秀吉君が奥さんとやってきた。東京とマイアミと上海にオフィスをもつ会社を作ったとのこと。今年の後半は特に多忙で、なかなかオーリアッドにこれなかったので、今年最後の日にぼくの顔を見に来たという。感謝。最近は仕事に対する意欲がなくなりつつあると嘆くが、意欲なくして多国間にわたる会社を起こせるはずがない。インターネット、特にスカイプが威力を発揮しているようである。

その後も、今夜は途切れることなくお客さん。最後に、原田和恵さん、そして大月高志さんが友達と。原田さんは長野市へ行った帰りとか。大月さんに、今年最後の演奏をお願いする。「Merry Christmas, Mr. Lawrence」。

オーリアッド2011年の営業は本日で終了。来年の営業開始は1月4日(水)です。



December 29, Thursday 2011

午前中、中谷勲さんの生家へお借りしていた雑誌「地上」の全12冊箱入りセットをお返しに行く。大正時代、長野県の白樺派の教師たちが「白樺」を模して作った雑誌。先日CDを届けたときは、お留守で、メールボックスに入りきらず、持ち帰っていたもの。そのあと、プリンターのインクを買いに隣町の量販店へ。インクのついでにLEDのライトもいくつか。LEDのライトはここにきてかなり安くなってきた。

午後、翻訳の継続。ああでもないこうでもないと半日。それでも友達の少しの助けを借りて、徐々に進んでいる。締めきりまで、あと1週間足らず。

オーリアッド。8時過ぎ、家人と交代。そのあと、何人かのお客さん。スピーカーからは映画音楽。「第三の男」「禁じられた遊び」「鉄道員」「太陽がいっぱい」「男と女」など。懐かしいメロディーばかり。


December 28, Wednesday 2011

快晴の一日。日向にいると暑いくらい。猫たちもサンデッキに寝そべっている。

昼過ぎ、家人に促され、畑に散乱している杭や棒、それにマルチをガレージに運ぶ。短時間なれど、身体を動かすのは気持ちがいい。

午後8時まで家で仕事。その後、オーリアッドへ。家人と交代のつもりが、大勢のお客さん。遅くに、久々に大月さんの「カノン」を聞く。他のテーブルのお客さんからのアンコールで、もう一曲。「星に願いを」。盛大な拍手。

先日中谷勲さんの生家へCDをお持ちした。お留守だったので、郵便受けに入れてきた。今日、オーリアッドに行くと、御当主から、過分なお礼が届けられていた。返ってご迷惑をかけてしまった。添えられていた手紙には、「春になったら勲伯父さんの墓前でCDをかけたい」と書かれていた。そうだ、春になったら、ギターをもっていき墓前で歌わせてもらおうか。


December 27, Tuesday 2011

終日、いくつかの表現をめぐって、ああでもないこうでもないの堂々巡り。遅々として進まず。こういうときは、英語を読む能力の欠如とともに、日本語能力の欠如も痛切に感じる。

午後2時からの女子サッカーの試合を見たいと思って、昼過ぎ仮眠をとったら、4時半まで眠ってしまった。試合はとっくに終わっていた。でもおかげで少し疲れがとれた。

BSでプーティンの支持が急落しているという番組をやっていた。報道規制の強いロシアで多くの人が反体制の旗印のもとに集合できるのは、インターネットがあるからだという。そういえば、今年中東の独裁国家が次々と崩壊したアラブの春と呼ばれる現象も、インターネットの力が大きかった。

スティーブ・ジョブズがペプシコーラの副社長ジョン・スカリーを引き抜いたときの殺し文句は、次のようなものだった。

  Do you want to sell sugared water for the rest of your life?
  Or do you want to come with me and change the world?
  これからの人生をずっと砂糖水を売って過ごしたいか、
  それとも私のところへきて世界を変えたいと思わないか。

確かにコンピュータは世界を変えつつある。ミャンマー政府のスタンスもここにきて大きく変わった。次の国は・・・?

あまり楽観的になってはいけないが、将来、2011年は epoch-making な年だったと記憶されるに違いない。


December 26, Monday 2011

翻訳の合間を縫って、南箕輪村へ。今年最後のクラス。10月からピンチヒッターで2つのクラスを受け持った。忙しくなったが、松本キャンパスとは違ったのんびりしたムードが漂っていて、居心地がいい。しかし週3日はやはりきつい。4月からは元に戻す予定。

これからしばらくは、好きなときに寝て、好きなときに起きて仕事ができる。と言っても、進んでは戻りの繰り返し。なかなか先へ進めないのだが。

イ・スヒョン君のご両親から立派なカードが届いた。新しいCDを、季節の挨拶と共に、彼らのところへ送ったのは2日前のこと。今回は Google Translate を使って、韓国語でお便りを書いてみた。先ず、日本語で書き、韓国語(ハングル)に翻訳する。翻訳された韓国語を日本語に翻訳する。そうすることで、最初に書いた日本語の適切に訳されていないところが分かる。丁寧な表現や、複文構造の文は誤訳されがちである。

不自然な部分を修正して、それを更に韓国語に訳す。この作業を何度か繰り返すと、韓国語はまったく分からなくても、ほぼ正しい韓国語の文章を書くことができる。つまり、 Google Translate を使えば、どんな知らない言語でも文章を書けることになる。

最近学生にも Google Translate を紹介している。15,6年前電子辞書が登場しはじめたころ、これを否定する先生が多かった。ぼくは自分も使い、息子たちにも勧めた。そして学生にも。

自動翻訳に関しては、実際に Google Translate を使うまでは、自動翻訳に頼ってはいけないといい続けてきた。しかし、その考えを変えた。自らの努力で英語を書く訓練をしなければいけないことはもちろんだが、補助的に使えば上記のように、非常に優れたツールである。


December 25, Sunday 2011

終日、翻訳で四苦八苦。

Facebook に、正体不明の Haiku Fly という人からfriend request があった。その人のinfo には何の書き込みもない。放っておいたら、「あなたは山頭火を訳した Hisashi Miura か」というメッセージが届いた。「そうだ」と返事をすると、すぐに返信が来た。「あなたと連絡がとれて嬉しい。私は俳句の好きなイラン人です。あなたとジェームズ・グリーンが訳した山頭火の俳句のうち120句をペルシャ語に訳しました。出版しようと思います。私は山頭火が大好きです」と書かれていた。早速、Confirm をクリックした。

荒このみさんが、1月15日(日)の「第4回キング牧師の日チャリティーコンサート」に参加してくれることになった。荒さんは東京外国語大学名誉教授、立命館大学客員教授。専門は、アメリカ文学、特にアメリカ黒人文学である。

このチャリティコンサートが始まったのは、バラク・オバマが大統領選挙に勝利し、その就任式が行われる直前のことだった。早いもので、来年11月には再び大統領選挙が行われる。キング牧師とマルコムXの比較、そして二人が残したレガシーと、オバマ大統領の関係などについて話してもらえたらと思っている。

この会の発起人であるスーザン・ブランツさんも来てくれることになっている。そのほか、まだ交渉中の人もいる。もちろん、歌もある。

明日は、南箕輪村のキャンパスで休み前最後のクラス。それが終わったら、翻訳、そしてキング牧師の日チャリティーコンサートのパブリシティに努めねばならない。


December 24, Saturday 2011

ぼくが 「Silent Night」 「花語らず」「バード・オン・ザ・ワイヤー」を歌ったあと、丸山俊治さんにお願いする。歌い始める前に、丸山さんの高校時代からの親友丸山卓朗さんが、2週間前の皆既月食の日に亡くなったという話をして、「さあ今から」を歌う。松本のライブハウスで歌ったとき、卓朗さんからリクエストされた歌だとか。続いて、「白雪先生」を歌ったあと、「マザーロードの旅―丸山卓朗さんを偲んで」を歌う。これは66歳のときの6月6日、LAからシカゴまで4000キロのRout 66の旅した卓朗さんへのはなむけの歌。今回新たに言葉を加え、追悼の歌になった。

4曲目は「皆既月食」。卓朗さんのために書いた新曲。誰からも見送られず孤独のうちに、欠けていく満月だけに見送られ旅立っていった友に向かって語りかける歌。月は完全に見えなくなり、そした再び、大きな満月に。そして最後、卓朗さんが作詞作曲したという「あゝ旅の空」。丸山さんの卓朗さんへの熱い思いが伝わってきた。左の写真は卓朗さんがオーリアッドのオープンマイクで Rout 66 の旅の話をしているところ。

次に、原田信久さん。何度かお会いしたことがあるが、あまり言葉を交わしたことがなかった。無口な人かと思っていたら、あにはからんや。月に一度六本木会員制のワインバーへ行く話しをしてくれた。六本木の会員制ワインバーなんて高いだろうと思っていたら、会費500円で、ワインとつまみは持込で、「寅さん」の映画を見る集いとか。何年か前、渥美清さんが亡くなったとき、BSで全シリーズを放映したが、それを見て寅さんにはまったとか。ぼくも最初のうち録画していたが、途中で諦めた記憶がある。

次に、お姉さんの和恵さん。今年一年を振り返り、多くの人との出会いの恵みを語ったあと「糸」「めぐりあい」を歌う。そしてピアノで「G線上のアリア」。繊細かつ華麗なタッチ。ここで休憩。スピーカーからはジョン・デンバーが歌うクリスマスソングズ。





(Larger photos on Oread Facebook page)

後半トップは垣内彰さんのトーク。先週末東京へ行ってきた話しから。災害は続けて起こる傾向がある。近い将来東京も確実に地震や津波に襲われるので、東京に住む2人の息子に帰郷を促してきたとか。さらに彼は来年は政治的にも経済的にも今年以上に悪くなるだろうと予測。うむ、極めてオプティミスティックな生き方をしているように見える彼の口から、悲観的な言葉を聞くと、心配になる。しかし、大凶は大吉に通ず、という言葉もある。やはり、新しい年には、いささかの希望を託したい。

続いてぼくが「フランチェスカ」と「神は死んだ」を歌う。前者は山口真保呂さんからいただいた1996年の、中川五郎さんをゲストに迎えての、第一回ほたる祭りライブの音源の中にこの歌が入っていた。それで歌ったのだが、コードが不確か。2曲目は1974年発売のファーストアルバム『私は風の声を聞いた』の中の歌。この歌もコードを思い出せず、散々な出来。この歌のテーマは今のぼくの歌とも繋がっているように思える。

続いて丸山さん、「演奏列車」「セピア色の安曇野」、そして「70歳になったのだ」。1曲目は、さらにたくさんの動物が出てきて、いろんな楽器を弾きながら列車に飛び乗る。最後には英語ヴァージョンまで加わっている。次に和恵さん、「ラルゴ」「きよらに」、そしてヘンデルの「感謝せん」。2曲目はジョン・デンバーのヴァージョンが休憩中にスピーカーから流れたとか。気がつかなかった。

最後に丸山俊治 piano、原田和恵、三浦薫子 vocal で Amaziong Grace。今年最後のオープンマイク、これにて終了。営業は12月30日(金)まで。来年は1月4日(水)から営業開始、最初のオープンマイクは「1月7日(土)です。


December 23, Friday 2011

辰野教会のキャロリング隊が今年も歌いにきてくれた。今年はステージではなく、客席からカウンターに向けて、手にキャンドル型のライトをもって、「もろびとこぞりて」などを歌っていただいた。感謝。



原田和恵さんの演奏のあと、副牧師さんのリクエストで「祈りの歌」を歌わせてもらう。この歌は彼女からいただいた日野原重明著『私が経験した魂のストーリー』の中にあった詩がもとになって出来た歌。様々な幸いなる偶然が重なり、日野原先生の前でも歌わせていただくことができた。

  Joy to the world, the Lord is come!
  Let earth receive her King;
  Let every heart prepare Him room,
  And heaven and nature sing,
  And heaven and nature sing,
  And heaven, and heaven, and nature sing.



Dcember 22, Thursday 2011

松本のクラスは今日が最後。あと月曜日の農学部が残るのみ。しばらく翻訳に専念できる。今日の放課後、デイヴィッド・R の研究室を訪ね、いくつか質問。大いに助けられる。

キャンパスの駐車場へ歩いているところへ太田君から電話。オーリアッドの近くにいるとのこと。会えなくて残念。Thank you for the gift you left at the door.

倍音声明のCDブックが届いた。うーおーあーえーい、と低い声で息が続く限り唱える瞑想法。考えていたより長い時間息を継ぎながら一音を唱えるようだが、そうすると、すぐに飽きてしまう。ぼくには一音一息で変わるのがいいようだ。それぞれの母音が身体の違う部分を振動させるようで、一巡すると、けっこう気持ちがいい。

それに、血圧を低くするには深呼吸がいいと言われるが、深呼吸だけだと何回も繰り返せない。倍音声明だと、音を出しきったところで、息を鼻から勢いよく吸い、次の音に移るので、深呼吸と同じ効果がある。母音の順序は本によれば、上記の、うーおーあーえーいー、がいいようである。

7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。翻訳、少し進む。まだ先は長い。

明日の夜、辰野教会のキャロリング隊が8時半過ぎに歌いにきてくれることになっている。

今日は冬至。明日から、日が少しずつ長くなる。


December 21, Wednesday 2011

寒い一日。午前中は翻訳。なかなかはかどらない。難しい。

午後、北大出(きたおいで)の特別老人養護施設へ近所のおじさんのお見舞いに。隣の潔さん夫妻と一緒。毎日畑や田圃でよく働いていたおじさんだが、奥さんが一昨年亡くなってから、すっかり弱ってしまった。今年は腰痛がひどいとのことで、入退院を繰り返していたが、数ヶ月前この施設に入所した。お元気そうで安心したが、以前があまりにも元気な人だったので、一抹の淋しさも。

6時開店直後、ひとりの若者が入ってきた。カウンターに近づいたと思ったら、置いてあった何種類かのCDの中から迷わず『祈り』を手に取り、「これを下さい」という。先日のFM長野でを聞いたとか。それに10年ほど前、長野市で全県の高校の代表者が集まって開かれた会で、ぼくの講演を聞いたことがあるとのこと。コーヒーを飲みながらしばらく歓談。仕事のことから北朝鮮の政情への不安や期待まで。

ボブ・ディランのクリスマスソング集を聞きながら、翻訳を少し。いつものことながら、厳しくも楽しい時間。

明日は、松本キャンパス、冬休み前最後の日。月曜日の南箕輪キャンパスが終わると、いよいよ冬休み。いくつになっても長期休暇は嬉しいもの。


December 20, Tuesday 2011

本来なら松本へ行く日だが、今日は火曜日以外の日と振り替えるとのことで授業なし。ラッキー。朝から翻訳。今朝届いた音源のおかげで大いに助かる。切れ目なく続いている歌詞をどこで切ったらいいのか、音を聞くことによって確定できる。それに、与えられた歌詞と実際に歌われている歌詞の違いもわかる。

午後、オーリアッドへ。11名の団体の予約。コーヒーを淹れたところで、家人と交代。

最近は Facebook を覗くことが多くなった。飛騨の禅僧原田道一さんのヨーロッパの友人たちから friend request があり、彼らと facebook friends になった。彼らの載せる写真が素晴らしい。そのひとつが次の写真。子ウサギのあどけない顔と、ちょっと迷惑そうな、それでいてとても優しい猫の顔が対照的で面白い。

     

彼らはフランス語やイタリア語で書き込みをするのだが、ほとんどは Google 翻訳で日本語訳や英語訳を見ることができる。Google 翻訳を使うには、Google に translate と打ち込み、検索をクリックすると「Google 翻訳」がトップに出てくる。それをクリックすると、2つの枠が出てくる。左に翻訳したい言語を貼り付けると、右にその訳が出る。複雑な文章では無理だが、簡単な文章なら、かなり正確である。

こんな写真もあった。


     

仕事で疲れた頭には、こういう写真は実に refreshing!! いつ見ても、心が和らぐ。


December 19, Monday 2011

少し早目に家を出て、宅急便の営業所へ寄り、CDをいくつか発送する。新しい封筒を使うことで、厚みを1cm以内に抑えることができ、送料80円。こんな便利なものがあるとは知らなかった。手紙を郵便で送るのと同じ料金。

午後2コマのクラス。今まで歌った歌を歌い、 Severn Suzuki のスピーチのスクリプトを配り、そのCDを聞く。Severn のラストネームはスズキなので、日本人かなと思ったが、映像を見る限り、日本人とは思えない。調べてみたら、お父さんは David Suzuki という三世の日系カナダ人。ということは Severn は四世ということになる。とにかく12歳の少女がこれだけのスピーチをすることに感動する。その内容のみならず、堂々たるプリゼンテーションに。

そのあと、キング牧師のスピーチの続きを解説。南箕輪村キャンパスでの月曜のクラスは、来週もう一度あって、冬休み。新年は16日からとのこと。ちょっと休める。

『祈り』はアマゾンでは12月25日から発売となった。現在予約受付中。多くの人に聞いていただきたいアルバムである。特に1曲目の「祈りの歌」は。

夜、翻訳開始。しかし、難解な上、週末の東京行きの疲れが残っていて、すぐにうとうと。子供のころ祖母が食事のあと口を開けて居眠りするのを見て笑ったものだが、今ぼくがまったく同じことをしている。



December 18, Sunday 2011

今日は疲れて一日中、ぼんやり。家人は京都へ。納骨式 at 真如堂。

午後、CDを発送するための封筒を買いに100円ショップへ。以前にはなかったいい封筒があった。プチプチ袋という名のプチプチシートがそのまま封筒になっているもの。これだとCD1枚、メール便で80円で送れるはず。

午後、丸山さんからメールが入った。松商学園放送部が、丸山さんを取材してつくったドキュメンタリーで、SBC杯長野県高等学校新人放送コンテストで「優秀賞」を獲得し、北信越大会ならびに全国大会に出場することが決まったとのこと。これは凄い。これこそブラボー。

夜は明日の南箕輪村でのクラスの準備を少し。半分眠りながら。冬休みはもうすぐ。



December 17, Saturday 2011

朝、目が覚めて外を見る、いつもと違うビルが林立する景色だが、とてもいい天気。朝食を取りながら、どこへ行こうかと考えた。美術館を考えたが、結局、谷中の「いせ辰」へ辰年の日めくりカレンダーを買いに行こうということになった。谷中といえば、スーザン・ブランツが住んでいるところ。谷中に着いてから電話を入れたが、留守だった。先ず谷中霊園へ行くことに。日曜日の朝、墓マイラーたちがたくさんいる。ボランティアで案内をしている人たちもいる。信州はもうイチョウの葉は落ちてしまったが、この霊園では、イチョウの葉が今とてもきれい。

霊園のあと、谷中銀座へ行き、いろんな小物を売っている店を覗く。谷中は猫で有名らしく、猫の絵を描いたカレンダーや置物がたくさんある。カレンダーをひとつを買う。それから少し離れたところにある「いせ辰」へ。目当ての辰年の日めくりカレンダーを購入。再び、谷中銀座へ向かう途中、岡倉天心がしばらく住んでいた住居跡という標識のある公園があった。紅葉の下の建物は、茨城県五浦の六角堂を模していて、その形だけで、天心を思い出させた。天心ファンのぼくとしては、この公園に足を踏み入れただけでも、谷中へ来てよかった。真ん中の写真は寶珠山延命院というお寺。



2時新宿発のバスに乗り、辰野着5時。長距離バスでは初めての経験。若い女性の運転手。その運転が見事。静かで安定した運転。それでいて追い抜くときは思い切って加速。一番前の座席1-Aにすわっていたのでその的確な運転振りがよく見えた。

家のドアを開けると、猫たちが顔も見ないで勢いよく外に飛び出した。いよいよ、彼らが自由に出入りできる戸口を作ってやらねばならないかも。

帰宅直後、翻訳の仕事が入る。冬休みは忙しくなりそう。楽しくかつハードな日々。


December 16, Friday 2011

第18回年末ライブ in 東京。4時、マンダラ2に入る。石崎さんはすでに録音機材を設定していて、野間さんもまもなくやってくる。リハーサルを始めようとステージに上ったところで気がついた。ハーモニカホールダーがない。今朝家からバス停に向かう途中、オーリアッドに寄ってハーモニカをカバンに入れたが、ホールダーは入れ忘れたよう。あわてて吉祥寺北口近くにある楽器店へ。ついでにライトゲージの弦も。昨日松本で買った弦は家に置いてきてしまった。楽器店から戻り、さてリハーサルという段になって、カポがないことに気づく。再びあわてて北口の楽器店へ。半分ほど行ったところで、ズボンの左のポケットに手を入れる。そこにあった。うむ、いつからそこに?

リハーサルはいつもより若干軽めに。疲れすぎないように。午後7時10分開演。最初の3曲はトークを交えてぼくがソロで。「山頭火」「こおろぎが歌うように」、そして「雨ニモマケズ」。

ここから野間さんに入ってもらい、「バード・オン・ザ・ワイヤー」。レナード・コーエンが大好きだった陸前高田の菅野有恒さんに捧げる。彼は3月11日、奥さんを助けようとして津波の犠牲になってしまった。彼は一昨年ブログに書いた、「私は私なりのやり方で自由になろうとした―この言葉に何度救われたことか」。

そして、「花語らず」を歌い、前半最後の曲「祈りの歌」。ここで休憩。



後半は「果樹園の道」。この野間さんのイントロのギターリフが好きだ。続いて「カムサハムニダ、イ・スヒョン」、「中谷勲」「電線の上の一羽の鳥のように」。

ここでみなさんと一緒に Amazing Grace。さらに「祈りの歌」を一緒に。みなさん大きな声で歌ってくださった。そのあと「碌山」、そして「新しい光迎えよう」をアカペラで。最後に「私は風の声を聞いた」。ここでいったん退場。拍手が鳴っている間に(鳴り止む前に)、急いでステージに戻り、アンコールとして「ガビオタの海」と「薫子」。9時40分終了。(記憶を頼りに書いているので、曲目、曲順は若干間違っているかも。最近は記憶力にまったく自信なし。)

ぼくの人生の様々な時期に様々な場所で出会った方々が聞きにきてくださった。30年前、駿台予備校京都校のぼくのクラスにいたという人も来てくれた。立派なビジネスマンになっていた。今回は Facebook を通して出会った方も何人か。切りのいい20回目まではあと2年、70歳までだと、あと4年。あと4年はがんばりたい。

最後に残ってくれた方々とささやかな打ち上げ。さらに家人と長男と、田中誠一君と駅近くの居酒屋へ。midnight 近くまで歓談。立て板に水の田中君のしゃべりはいつ聞いても面白い。彼はかつて京都レコード所属の「あさもりかい」という名のシンガーソングライター。現在は文星芸術大学准教授である。
http://members.jcom.home.ne.jp/seiichi-tnk/menu.html

あわただしい一日だったが、みなさんのおかげでとてもいい一日になった。ありがとうございました。


December 15, Thursday 2011

松本からの帰り、楽器店に寄り、ライトゲージの弦を買う。今夜は、家人がオーリアッドへ行き、ぼくは家にいて明日の準備。気ばかりあせって、なかなかはかどらない。そのうち、次男から昨日生まれたグランドサンの写真が送られてきた。それを見ていたら、ますますはかどらなくなった。

先日ちょっと出演したFM長野の番組を聞いてくださった丸山さんから「・・・ブラボーでした」というメールをいただいた。そのことを日記に書いたら、ある方から、「いよいよ年末ライブ in Tokyo。ブラボー続きですね」と書かれたメールが届いた。その二つともぼくにとっては大きな出来事ではあるが、「ブラボー」と快哉を叫ぶ類のものではないと思っていた。年末ライブはブラボーどころかかなりのプレシャーもある。しかし、昨日、ジョージ君が生まれたと知ったときは、本当に「ブラボー」と叫びたい気持ちになった。考えてみたら、その方がおっしゃるように、確かに、ブラボー続きなのかもしれない。

  
求めたものは何一つ
  与えられなかったけれど
  確かに祈りは聞き届けられた
  すべてが与えられた


今朝、木名瀬先生に電話で報告する。大変喜んでくださった。先生は、90歳を過ぎてなお、声に張りがあり、お元気である。先生にお会いすることがなかったら、次男がニュージーランドへ行くことはなかった。そう考えると人と人の出会いはなんて不思議だろう。

彼の名前はジョージ・ミウラ George Miura。昨日の午後3時31分(NZ時間)に生まれた。この写真は生まれて2日目の今日撮った写真。自分が生まれたときは当然のことながら何の自覚もなく、息子たちが生まれたときは無我夢中。ようやく今、この写真を見ながら、生命の不思議に思いを馳せ、しみじみとした喜びをかみしめている。

いよいよ明日は年末ライブ。一生懸命歌いたい。


December 14, Wednesday 2011

午後定期健診。血圧は 128/88。問題なし。降圧剤の他に、葛根湯、イソジン、モーラステープを処方してもらう。風邪は引いていないが、用心のため。

夜、オーリアッド。今夜もスピーカーからはボブ・ディランのクリスマスソングズ。すごいだみ声。遅くなって、Takamine の弦を張り替える。ライトゲージを張ったが、不手際で1弦が切れてしまった。手元にはエクストラライトの弦しかない。しかたなしに、1弦だけエクストラライトを張ることに。弾いてみたが違和感なし。

18回目の「年末ライブ in 東京」はいよいよ明後日。どんな出会いが待っているか楽しみである。


December 13, Tuesday 2011


11時半、家を出る。山麓線を通って、松本へ。2コマのクラス。火曜日のクラスは、休暇前今日が最後。休み明けにやってもらうレシテーションのプリントを配り、説明する。キング牧師の I Have a Dream の I am happy to join with you today in what will go down in history as the greatest demonstration for freedom in the history of our nation. から始まる冒頭の部分。今日の歌は Let It Be。

教科書のエッセイは英語のグローバリゼーションの可否について。世界には3000ほどの言語があるが、その多くが消滅の危機にあるらしい。英語の重要性は認めながらも、英語が世界共通語になることには賛成できない。母語は文化の中心にある。日本語のない日本は考えられない。

ここ数日体調が少し悪い。毎年、年末ライブの前になると体調が悪くなる。風邪をよく引く。一昨年などは、風邪を引いて声が出なくなったが、コンサートの2時間だけ、不思議と声が出た。7年前には突発性難聴になって、2週間の入院と絶対安静が必要といわれたが、5日ほどで無理やり退院して、歌ったことも。歌うと、聞こえない左耳の中がビリビリ振動した。

今年は特に悪いところはないが、かなり疲労がたまっている。10月から週3日教えるようになったのがこたえている。何もしないでボケッとしている時間が必要。4月からは週2日に戻る予定。

夜、16日の当日のチラシの文章を考える。


December 12, Monday 2011

残っていた採点を大急ぎですませて、家を出ようとしているところへ、ケイタイが短く振動。丸山さんからの「聴きました。ブラボーです」とのメールだった。ありがとうございました。

車で南箕輪村へ向けて出発。ラジオを入れ、FM長野を探す。宮木にさしかかるあたりで、「ほんのーり辰野町」らしき番組が聞こえてきた。「うどん工房」での現場レポート。その中でかかった「こんにちわ赤ちゃん」風の歌がよかった。

1時から2コマのクラス。先週テストを返した3講時のクラスでは「ローズ」の歌詞を解説し歌う。次のクラスではテストを反し、説明。両方のクラスとも、英文和訳に比べてヒアリングの力が弱い。キング牧師の演説の続きを読んだあと、ヒアリングのエクササイズ。閉鎖音、無声音の [ t ]が母音に囲まれて有声音化する文章を書き取る練習。例えば What a beautiful day it is! What の t、 beautiful の t、そして、 it is の t が有声音化する。ワラ ビューリフル デイ イリーズ と聞こえてくる。

4講時が終わったあと、FM長野の種治さんに電話を入れる。5時過ぎに辰野駅近くのサテライトスタジオに寄って番組の CD-R をいただくことに。いくつかのフィードバックがすでにあったようである。

CD-Rをいただき、家に着くまでの間、聞く。不思議な感覚に襲われた。小学生のとき初めて録音された自分の声を聞いたときのような感覚。「これが本当にぼくの声?」 気づかず間に、声に老化現象が起きていたのか?家に戻り、最後まで聞く。「ブラボーです」とは言いがたいが、ディレクターの種治さん、そしてパーソナリティの渡辺さんのおかげで、インタビュは7分だとしても、その前に「風に吹かれて」が流れ、後に「祈りの歌」が流れ、けっこう充実したインタビューコーナーになっていた。感謝。。

<あの時間帯に「祈りの歌」がラジオから流れると、とてもインパクトがありましたね>というメールをいただいた。みなさんどんな風にこの歌を聞いたのか、気になるところ。CDを注文してくださった方から<すばらしいアルバムをありがとうございます。「祈りの歌」、涙が出ます。繰り返し聞いています>というメールが届いたが、真昼間に流れると少々違和感 (out of place の感)があったかも。

さて次は年末ライブ。今夜、マンダラ2の中野さんから確認のメールが届いた。老化現象が起きつつある声を立て直すため、毎日発声練習をしなければ。と言っても時間はそれほど残されていないが。



December 11, Sunday 2011


いい天気。昼前、まだ畑に残っている長ネギと大根を収穫する。大根は引っ張ればすぐ抜けるが、ネギは引っ張ると途中で切れてしまう。鍬で両側をおこしてから抜く。それでも注意してゆっくり抜かないと、切れてしまうものもある。

午後、CDの発送。今日はウルマ堂に倣って初めて宅急便のメール便を利用する。料金が安い上、日曜日でも受け付けてくれるのがありがたい。

明日の12時から12時49分の間、「ほんのーり辰野町」という番組がFM長野でオンエアされる。その中で、すでに録音されたインタビューと「祈りの歌」が流れることになっている。radiko.jp でFM長野を聞くことができるとディレクターの種治さんにいわれたので、今夜FM長野を聞いてみようと試みたが、何度やっても「エラーが出たため音声が再生できません」が出てしまう。東京のラジオ局は聞くことができるのに。NHIKも聞くことができるのに。

ぼくの住んでいるところは山の麓で、ラジオの受信が極めて難しい。これからもそれほどラジオを聞くことはないだろうが、インターネットでラジオを聞くことができると知っただけでもありがたい。

明日は南箕輪村へ。午後2コマの授業。夜準備を少し。眠い。残りは明日の朝に。


December 10, Saturday 2011

午前11時。家人は農協婦人部の総会で伊那の文化会館へ。お天気博士森田氏の講演があるとか。ぼくは隣町のながた荘にて恒例の同姓の会。到着次第、温泉に入る。湯船に入った途端、この温泉の質の高さが実感できた。その後、2時過ぎまで、宴会。食べ切れないほどのお料理。今夜はオープンマイクがあるため、お酒は控える。

皆既月食の夜のオープンマイク、堀越哲朗さんの登場により内容の濃い晩に。堀越さんによれば、今夜はインドでは聖なる夜。各地で祈りがささげられているとのこと。

先ず三浦が「電線の上の一羽の鳥のように」と「中谷勲」を歌う。丁度一年前の2010年12月10日。レナード・コーエンのワールドツアー最後のコンサートを聞きに、ラスベガスへ向かった。その飛行機の中、昔の「電線の上の一羽の鳥のように」を口ずさんでいたら、途中からまったく違うメロディで歌っていた。それが new 「電線の上の一羽の鳥のように」である。後で知ったことなのだが、堀越さんの奥さんもこのコンサートが開かれた2日間、ラスベガスのシーザーズ・パレスのコロシアムにいたとのこと。驚いた。

堀越さん、最初はギターでナナオ・サカキの詩を2曲歌う。1曲目は堀越さんが曲をつけた「ラブ・レター」。以前にも一度聞かせてもらったが、壮大な詩。事事無礙法界とでも言うか。宇宙と自分が居る半径1メートルの円がひとつである。2曲目はボブ内田が曲をつけたという「廃屋」。かつてナナオ・サカキは生坂村の電気も水道もない山の中の一軒家に住んでいたが、堀越さん夫妻は1986年から3年間その一軒家に住んだ。詳しくは堀越哲朗著『山暮らし始末記』(太田出版)参照のこと。

原田和恵さん、「未来」「ああ感謝せん」「一人の小さな手」、そして「あなたのなさることは」。最初の2曲は初めて聞く歌。特に2曲目は旧約聖書「出エジプト記」をもとに書かれたヘンデルのアリアとのことで、原田さんの見事な歌い方とあいまって印象深い曲。
原田さんのあと三浦が「その人がこの町に嫁いできた頃」「薫子」「祈りの歌」を歌い前半終了。

休憩中、スピーカーからはボブ・ディランのクリスマスソング集『Christmas in the Heart』.






(Larger photos on Oread Facebook page)

休憩中、月食を見にみなさん外に出たが、曇っていて見えない。小雪も舞っている。しばらくして原田さんが叫ぶ。「見えますよ!」。あわてて外に出ると雲間に左側が欠け始めた月が見える。写真を撮ったがぶれていて使えない。

後半トップは堀越さん。インドでの体験を語りながら、エスラジの演奏。「スカーボロ・フェア」と「グリーンスリーブズ」のメロディが折込まれた満月の夜のラーガ。うっとりとするほどの素晴らしい音色。

原田和雄さん、満州での幼い頃の話のあと、和恵さんの伴奏で「キリストには代えられません」。和恵さん、クリスマスの歌のあと「めぐり合い」。そして和恵さんにジャンベをお願いして薫子が「Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot?」を歌う。

ここで終了。終了後、堀越さんがオンライン古書店をやっているとのことで、本棚の本を何冊か預かってもらうことに。少し整理がついた。

外に出ると、月食は進み、三日月のような形に。写真を撮ったが、これまたピントが合わず。急いで家に戻り、空を見あげたが、月は見えず。完全に地球の影に入ったのか、雲で覆われたのか。


December 9, Friday 2011


CD発売のお祝いにと花束をいただいた。CDジャケットの色に合わせた花束。素敵だ。色調を含め、石崎芳夫さんのデザインが気に入っている。



朝起きたときは地面にはうっすらと雪が積もっていた。スタッドレスに換えなければと思ったが、ありがたいことに、昼ごろまでには溶けてしまった。午後、予約された方々へ、郵便局のメール便にて、CDを発送する。発送できなかたものが若干残った。

オーリアッド。昨日CDを買ってくださったお客さんが遅くにやってきた。車のプレーヤーに入れてずっと聞いているとのこと。「何か気に入った歌がありましたか」と聞くと、「祈りの歌」と「中谷勲」とのこと。後者の名が挙がったのはちょっと意外だったが、嬉しかった。この歌には太田君のピアノが入っている。後半、関島さんのチューバやリコーダーに負けずに、ジャジーで素敵なピアノを聞かせてくれる。

そのお客さん、「果樹園の道」もよかったという。特に大正琴がいいと.。確かにクレジットには関島さんの楽器に taishogoto が入っていたが、どこに使われているかわからなかった。そういわれて聞いてみれば、冒頭から大正琴の音

11時過ぎ家に戻る。猫たちは昼間遊び疲れて、TV前のソファを占領して、ぐっすり眠っている。外に自由に出すようにしてよかった。spraying は完全に止まった。


December 8, Thursday, 2011
12月8日。1941年、太平洋戦争が始まった日。1980年、ジョン・レノンの命日。2011年、三浦久10枚目のアルバム『祈り』発売日。

午後2コマの授業。いずれのクラスでも学生と一緒に「イマジン」を歌い、ぼくが「ジョン・レノンに捧げる歌」を歌う。たまたま4講時のクラスでは gender-free の言語に関するエッセイを読んでいるところ。2番の歌詞を解説する。

  
マーク・デイヴィッド・チャップマン
  ハワイのガードマン
  子供のころからビートルズのファン
  自分がジョン・レノンになるために
  ジョン・レノンが邪魔だった


警備員は英語では従来は watchman だ。しかし、女性も警備員をする時代にはふさわしくないと guard あるいは security officer が使われるようになった。Chapman, guardman, fan と韻を踏んだつもりだったが、あるとき、誰かに言われたか、本で読んだか、guardman は英語じゃないと知った。正しくは guard。びっくりした。長い間 guardman は正しい英語だと思っていた。

帰路、小雨が、善知鳥(うとう)峠を上るころ、雪まじりに。暖冬といえども、やはり冬。

7時過ぎ遅れてオーリアッドへ。今夜はジブランの会のみなさん。

CDを買いにきてくださった方が2人。メールでの注文も遠方よりいくつか。感謝。まだ予約していただいた方すべてに発送できないでいる。明日は全員の方にお送りしたい。もうしばらくお待ちください。


December 7, Wednesday, 2011

午前10時からオーリアッドで、 FM長野の取材を受ける。12月12日(月)の午後12時から12時50分までオンエアーされる「FM長野ほんのーり辰野町」という番組。インタビューは30分近くにわたったが、番組では7分に編集されるらしい。インタビューのあと「祈りの歌」をカットしないで全部かけてもらえるとのこと。これはありがたい。

パーソナリティの渡辺さんには前もってアルバムを聞いてもらっていたが、「祈りの歌」と「カムサハムニダ、イ・スヒョン」が気に入っていただけたよう。前者についての彼女の理解というか解釈は、ぼくが気づかなかったところにまで及び、興味深いものだった。ディレクターの種治さんは昔歌っていたとのことで、一曲歌ってもらう。なかなか個性的な歌い方。土曜日歌いにきてもらいたいもの。




午後、少々家の中の掃除と整理。焼け石に水の感。中谷勲さんのご実家へCDをお届けする。お留守だったので郵便受けに入れてきた。気に入ってくださればいいが。

明日のクラスに返すテストの採点。1年生の2クラス。よくできている。以前聞いたことがある。英語の力が一番あるのは予備校生で、大学生は学年があがるにつれてできなくなると。採点しながら、ふとそんなことを思い出した。

夜、オーリアッド。遅くに原田さんと一局。あっさり負けてしまった。最近はどうしても勝てない。どうしたものか。


December 6, Tuesday 2011

松本へ向かう途中、ケイタイにメールが入った。信号で止まったときにチェック。CDが届いたという家人からの連絡。12月8日の発売日に間に合うか心配していたが、よかった。午後2コマのクラス。今日の歌は Let It Be。残すところあと1曲。Tennessee Waltz。

帰路、CD発送のための封筒を購入。それにオーリアッドの看板の下のヒイラギにかけるイルミネーションも。数年前の冬から使っていたイルミネーションはいつの間にか点かなくなっていた。国体道路沿いにあるホームセンターを出ると、雨。しかもかなり強く降っている。雪でなくてよかった。

家に戻り、早速CDのパッケージを開ける。石崎芳人さんのデザインがいい。フロントカバーは自然の写真がいいかと思い、いくつか送ったが、石崎さんから、前作『千の風』に似てしまうからと連絡が入り、ぼくが写っている写真を使うことに。石崎さんが選んだ写真は垣内彰さんに撮ってもらったもの。バックカバーはぼくが撮った赤い Takamine の写真。紅葉とギターの赤が全体の色調を決定した。



サウンドも、CD-Rで聞いていたときより若干柔らくなり、いい感じである。「祈りの歌」をCDにしたいと思ったのは3年前。多くの方々のお世話になり、ようやく完成した。今ぼくはまさに「祈りの歌」の一節の心境である。

  こんな拙い私なのに
  祈りはすべて叶えられた
  気がつけば大きな恵みを
  私は生きている


December 5, Monday 2011

午後2コマのクラス at 農学部 in 南箕輪村。最初のクラスでは先週のテストを返し解説する。次のクラスは採点がまだ済んでいず、 The Rose の歌詞を解説し、歌う。両方のクラスともに、後半キング牧師の I Have a Dream の最初の4分の1ほどを読む。分量はスティーブ・ジョブズのスピーチとほぼ同じだが、学生にとっては、キング牧師のスピーチのほうが難しいようだ。比喩的表現が詰まった詩のような文章。詩や歌詞を訳すのは難しい。

帰路、「あじーな」によって買い物。今日のめぼしい買い物は、キュウイー2袋。小粒だが、1袋に10個ほど入って150円。それに好物の糸コンニャクも。セロリも大きなのを一株。

まだ新しいアルバムはぼくのところに届いていない。明日には届いてくれたらいいのだが。今夜も何人かの方から注文が入った。そのうちの一人はぼくのアルバムをすべてもっているとのこと。京都時代のLP4枚は、ヤフーのオークションでそろえたらしい。ありがたいことである。

京都レコードの社長の中川秀雄さんが言ったことがある―「三浦さんのレコードは10枚出さなければわかってもらえないよ」。ミニアルバム『碌山』を1枚と考えると、今度の『祈り』が10枚目にあたる。売れない無名のフォークシンガーであるぼくが歌い続けてこられたのは、中川さんのこの言葉のおかげかもしれない。というよりも、to begin with, ギターも歌も下手くそなぼくがメジャーのレコード会社からLPレコードを4枚もリリースすることができたのは、ひとえに中川さんのおかげである。

4枚目までは中川秀雄プロデュースのアルバム。中川さんとの関係はそこまで。そのあと、信州に戻り、しばらく音楽活動を休んでいたが、1989年に再開してから、自主制作でCDを出した。『セカンド・ウインド』『メッセージ』『ガビオタの海』『千の風』『碌山』『祈り』である。最初の2枚は1枚目のLPレコードの編曲者だったクニ河内さんのお世話になった。そして最近の3枚は、最初の2枚のLPレコードの録音エンジニアだった石崎信郎さんに全面的に協力していただいた。そう考えると、中川さんとの縁はまだ続いているとも言える。

中川さんは今どこで何をしているのだろう。

オーリアッドレコードHP: http://www.secondwind.jp/or.htm


December 4, Sunday 2011


今日は久しぶりにいい天気。午前中、畑に出て、トマトの棚を解体し、野沢菜を採る。少し汗ばむ。昼過ぎ、イチゴの畝2本に藁をかける。

午後、先日行ったテストの採点。一番苦手な作業。嫌いなことはいつも先延ばしにしてしまう悪い癖。

夜、村の公民館にて森林生産組合の総会。30分の議事のあと、慰労会。しばらくご馳走になってから早退させてもらい、採点を継続。9時15分からNHKスペシャル「証言記録 日本人の戦争 第二回」を見る。兵隊として戦地へ赴いた人たち、日本にいて被害を受けた人たちの赤裸々な証言が胸を打つ。

そうそう、昼過ぎ、福岡マラソンの最後の10キロほどを見た。川内選手の健闘が光った。常に全力で歯を食いしばって走る姿に感動する。今日は最後のほうは顔をしかめているのか笑っているのかわからなかった。おそらく両方だったのだろう。最後は恒例の倒れこみ。

川内選手のロンドン五輪出場は今日の結果では確定しなかったとのことだが、日本人選手のトップで2時間10分をきっている。当確にしてもいいのではないか。来年2月の東京マラソンにも出場するというが、そんなに頻繁にフルマラソンを走って大丈夫か。

facebook に横の写真が投稿されていた。最初は狼にしか目がいかず、ギョッとしたが、よく見れば、子猫がキョトンとした顔をしてその下にいる。なんとほほえましい写真だろう。



December 3, Saturday 2011

デジタル放送が始まって以来、番組の録画ができなくなっていた。年末年始にかけて録画したい番組が多くなる。思い切ってブルーレイレコーダーを購入することに。昼前、伊那へ用事があって行くついでにヤマダ電機に立ち寄る。問題は、テレビがソニーでケーブルテレビのチューナーがパナソニックなので、レコーダーをソニーにするかパナソニックにするか。店員の説明ではすべてパナソニックだと操作が簡単とのことだが、今となってはそれは無理。結局パナソニックに。帰宅し、家人が設定し録画可能に。夜9時からのNHKスペシャル「証言記録 日本人の戦争 第一回」を録画予約。

                              ■

オープンマイク。いつもとは趣のかわったものに。初回出演順に三浦久、丸山俊治、原田和恵、原田和男、そして三浦薫子。

先ず、三浦が「電線の上の一羽の鳥のように」を歌い、「死は終わりではない」、そして「純ちゃん」。3曲目は本当に久しぶりに歌う。この歌は、信州に戻ってからしばらく人前で歌うことを止めていたときに再開を促してくれた歌。丸山さんも原田さんも聞くのは初めてとのこと。

丸山さんから、今日参加したいと連絡があったとき、新曲の予感がした。的中。1曲目、新曲「演奏列車」。タイトルは孫のレン君がつけたとのこと。素晴らしい歌。目に浮かんでくるのは、家の中を、レン君がラッパを吹きながら進み、そのあとをギターを弾きながら丸山さんがついていく姿。それだけでなく、一緒に猫や犬や、牛や馬や、さらにキリンや象までもが、さまざまな楽器を鳴らしながら行進していくのが見えるよう。

  
ラッパを鳴らせ拍子をとって
  歌を歌って行進だ
  レンちゃんが先頭、爺ちゃんはうしろ
  二人そろってイチ、ニッ、サン

な、なんと2曲目も新曲。「喪中」。一頃は友人たちの親の訃報を伝える喪中葉書が多かったが、最近は本人の訃報を知らせる配偶者からの葉書が増えてきたと話したあと、喪中葉書の内容そのものを歌にして歌う。3曲目は珍しくカバーで「人生の扉」。ぼくも好きな歌。そして、なんと4曲目は「果樹園の道」。

原田さん、「キミはともだち」「主よ、あなたの御名は」を歌い、ピアノ独奏で「トロイメライ」。そして「おひさま」のテーマ曲。「トロイメライ」のなんてやさしい響きよ!ここで休憩。






(Larger photos on Oread Facebook page)

後半。赤羽さんが今夜は所要でこれなくなったので、三浦が先ず「千両梨の実」を歌う。もう何年もほぼ毎回この歌を聞いてきたので、何とか大きな破綻もなく歌うことができた。赤羽さんが聞いたら「ちがうちがう」と思ったかもしれない。そのあと「君は素晴らしい、君は美しい」と「ぼくは唱歌が下手でした」。前者は、まだ未完の歌。3番に「すべては流れ行き元にもどらない/人は誰も同じ川に二度は入れない」と、万物流転(パンタレイ)の哲学者ヘラクレイトスの言葉を入れてみたが、まだしっくりこない。

後半。赤羽さんが今夜は所要でこれなくなったので、三浦が先ず「千両梨の実」を歌う。もう何年もほぼ毎回この歌を聞いてきたので、何とか大きな破綻もなく歌うことができた。赤羽さんが聞いたら「ちがうちがう」と思ったかもしれない。そのあと「君は素晴らしい、君は美しい」と「ぼくは唱歌が下手でした」。前者は、まだ未完の歌。3番に「すべては流れ行き元にもどらない/人は誰も同じ川に二度は入れない」と、万物流転(パンタレイ)を説明するヘラクレイトスの言葉を入れてみたが、まだしっくりこない。

次に丸山さん、藤森さんの「チェインジ」を歌おうとしたが歌詞が見当たらないと、和恵さんと一緒に原田和男さんがよく歌う「キリストには代えられません」。そしてソロで「千の風」と「三角広場に桜咲く頃」。丸山さんが前半「果樹園の道」を歌ったことにより、カバー合戦の様相を呈してきた。そこへ原田和男さん。丸山さんに「白雪先生」をお願いする。原田和恵さん、先ず「海・その愛」を歌い、続いてオペラ曲「私を泣かせてください」をピアノの弾き語りで歌う。以前にアカペラで歌ったことがあるが、ピアノと一緒に歌うのは初めて。よかった。次に原田さん、アカペラで「新しい光迎えよう」。カバー合戦が続く。

ここで原田和男さんに本家の「キリストには代えられません」をお願いする。丸山さんのギター、そして和恵さんのジャンベ。ジャンベが効いている。次に、和恵さんにはそのままジャンベをお願いし三浦がギターを弾き、三浦薫子が Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot? を歌う。

この後、和男さんが、野長瀬正夫さんの「ひとをおもえど」という詩を朗読。ぼくは野長瀬正夫さんの詩が好きだ。彼は高齢者が心に抱いているかすかな、ほのかな、ひそかな想いを代弁する。白状すると「前立腺肥大の歌」は彼の詩を若干変えてつくった歌。

ここで、ぼくが先日見た健康番組で声帯を強化すると健康にいいという話をすると、薫子が高齢者介護事業の世話役をしていたときに学んだ声帯の筋肉強化法を紹介する。誤嚥防止にいいとのこと。全員でパッパッパッパッパッパッと繰り返し声を出す。今夜のオープンマイクは全員のパッパッパッパッで終了。面白いオープンマイクになった。

                   ■  
帰宅後、録画されているかどうかブルーレイレコーダーのスイッチを入れる。よかった。ちゃんと撮れている。最初のほうだけ見たが、目を背けたくなるような悲惨な映像の連続。今夜もその後編があるようだ。これも録画しよう。


December 2, Friday 2011

朝起きて外を見ると、うっすらと雪が積もっている。いよいよ冬の到来。

facebook はいまだによく使いこなせないが、最近はよくアクセスするようになった。先ず、ユーモアのある写真を見るのが楽しい。今日一番の写真は、この写真。なんとも微笑ましい。犬の前のカップのほうが大きいところを見ると、犬のほうがもらいが大きいかも。

    

昼過ぎ、家人とウオーキングに。城山公園まで。行くとき林の中にいた猿の群れが、帰りには神社の屋根に乗っていた。カメラをもっていなかったのが残念。家に着いたときは少し汗ばんでいた。往復およそ35分。

夜、オーリアッド。寒くて暖房をつけてもなかなか暖まらない。本棚を見ていたら、分厚い本が目に入ってきた。瀬上敏雄著『大いなるいのちの教え 法華経のことば』(春秋社)。著者から贈っていただいた本。読み始めたら、面白い。以前に読んだときには気がつかなかったが、『本日ただいま誕生』を書いた小沢道雄師について書かれたところもあった。もう一度じっくり読みたくなった。

遅くに原田和男さん。教会へ祈りに行くとのこと。朝まで。この寒さの中、頭が下がる。それはまさに蝋八大接心の如き難行である。あまり無理をされなければいいが。



December 1, Thursday 2011


ああ、もう12月。机の上も、頭の中も、ハードディスクの中も、ぐちゃぐちゃ。整理しなければと思いながら、何もできずに、否、せずに、ここまできた。何とかしなければ。

午後2コマのクラス。4講時が終わり、控え室で少し休み、オーディオキャビネットの鍵を反し、外に出るともう暗くなりかけている。重いカバンを持ち、バックパッカーのギターを肩にかけ、とぼとぼ歩いて駐車場へ。運動場の近くの部室棟の脇を通ると、演劇部の部員たちがセメントの通路に寝転んで発声練習をしたり、柔軟体操をしたりしている。建物の中からはピアノを弾く音も聞こえてくる。運動場では何か球技をしているみたい。高い土手の向こうから喚声が聞こえてくる。

ふと、ヘッセの詩の一節が頭をよぎる。

  
私は疲れ、ほこりにまみれて歩く。
  私の後ろには、青春がためらいがちに立ちどまり、
  美しい頭をかしげ、
  これから先はもう私と一緒に行こうとしない。

  
山麓線から国道153号線に入ると、雪がちらちら舞い始めた。国道沿いの温度計は0℃。寒いはずだ。

7時半、オーリアッドへ。家人と交代。静かな夜。12月8日発売予定の『祈り』を聞く。エンジニアの石崎信郎さんから送ってもらった試聴盤。製品はまだ届いていない。どの歌もぼくにとっては思い入れのある大切な歌。中でもいいと思ったのは、「祈りの歌」「果樹園の道」「電線の上の一羽の鳥のように」「雨ニモマケズ」。最初の3曲の関島岳郎さんのアレンジが素晴らしい。「雨ニモマケズ」は太田君のジャジーなピアノがいい。

「花語らず」「中谷勲」も関島さんに音を加えてもらってよかった。特に後者は最初ぼくのギターと太田君のピアノだけだったが、チューバやリコーダーが入ることによってふくらみが出た。「新しい光迎えよう」はアカペラで歌い、コーラスの部分を原田和恵さんに一緒に歌ってもらった。「雨ニモマケズ」の最後のお経が終わり、「どんなにー、くらくてもー、あけないよるはなーいよー」と静に入っていく感じが好きだ。コーラスのところで原田さんの澄んだ美しい声が少し遠慮がちに入ってくるところもいい。

そして最後にボーナストラックとして、「カムサハムニダ、イ・スヒョン」と「碌山」のライブバージョンが入る。両者ともに2006年のマンダラ2での年末ライブのときの録音。これはここ6,7年のぼくの年末ライブとほたる祭りライブをすべて録音してくださった石崎さんのおかげである。年末ライブ、ほたる祭りライブの音源をすべて聞き、2006年の2曲を選んだ。自分で言うのもおこがましいが、この2つのトラックを聞いて修正したいと思ったところがひとつもない。野間義男さんのギターも完璧である。

ライブ録音のみならず、石崎さんには、『千の風』に続き、『祈り』のエンジニアリングを全面的にお願いした。3月に野間さんと一緒にわが家で基本の音を録ったあと、石崎さんは体調を崩されたが、夏の終わりまでには回復し、9月にレコーディングを再開した。そして、ツアーでお忙しい関島さんにも、合間をぬって音を加えていただき、10月の初めにレコーディング完了。最後の製品化は offnote の神谷一義さんにお願いした。本当に多くの皆さんのおかげで完成したアルバムである。

「祈りの歌」のライナーや歌詞はここをクリックしてください。



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