OREAD Diary November 1-30, 2011

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November 30, Wednesday 2011

昼前、FM長野のディレクターの方から電話があり、午後2時、オーリアッドで会う。「ほんのーり辰野町」という番組でぼくを取り上げてくれるとのこと。インタービューの時間は7分とのことだが、そのあと「祈りの歌」を流してもらえるらしい。ありがたい。『祈り』がリリースされる直後である。オンエアは12月12日の月曜日。月曜日は農学部へ行く日。インタビューは録音でお願いすることに。ディレクターのタネジさんには、横川峡の紅葉祭りでお会いした。能舞台で歌ったあと、駐車場の屋台で茸うどんを食べていると、彼が「彫刻家の歌がよかったです」と話しかけてくれた。彼との出会いも不思議に満ちた幸せな連鎖反応のひとつに違いない。この連鎖反応はさらに続く予感が。

先日 、Facebookにアップされていた『禅』という映画の一部を見た。道元と彼の教えをとりあげた映画。英語の字幕がついていて、わかりやすかった。それで、amazon から、その映画のDVDを取り寄せ、今夜オーリアッドで見た。正直なところ、Facebookで一部を見たときほどは感動しなかった。それでもぼくに、再び禅および坐禅に関心を持たせる役には立った。

明日は12月1日。禅寺では蝋八大接心
(ろうはつおうぜっしん)が始まる。一週間を一日にみたて、不眠不休の坐禅と参禅に明け暮れる。8日の朝、接心は終わる。12月1日発売予定が都合で12月8日に延びたのも、これまた不思議に満ちた幸せな連鎖反応かも。その日は、レノンが撃たれた日であり、仏陀が成道した日でもある。また、日本が米英に宣戦布告した日であり、力道山が刺されて亡くなった日でもある。因みに力道山の誕生日はぼくと同じ11月14日。


November 29, Tuesday 2011


朝8時半から10分間、町の中学で読み聞かせ。2年生のクラス。担任の先生に親近感を抱いた。髭の感じがいい。スティーブ・ジョブズの15分のスピーチを10分に短縮して読むことに。彼が話す3つのストーリーのうち、最初の「点と点の結びつきについて」は、さっとあらすじを話し、2つめの「愛と喪失について」は全部、そして3つめの「死について」は後半のみを読む。驚いたことに、最後の Stay Hungry, Stay Foolis! と読んだところで終了のベルが鳴る。

読み始める前、「スティーブ・ジョブズという人を知っている人?」と聞くと大半の手が上がった。3年ほど前、初めてこのスピーチを読んだとき、同じ質問をした。そのときは一人だけが手を上げた。

午後松本へ。2コマのクラス。George Washington Carver についてのエッセイを使ってヒアリングの練習。そして、次のエッセイを読む。時代の変化に伴って言葉が変化することについて。コンピュータが開発されてから modem とか byte とか新しい単語が生まれ、mouse は、人々に嫌われる小さな哺乳類という意味とともに、手の平に収まるコンピュータを操作する道具を意味するようになった。新しい発明品ばかりでなく、社会のあり方、意識の変化によっても新しい言葉が生まれている。特に gender にかかわる新語が多い。そのエッセイの著者は、これらの新しい語に対し違和感を最初は感じるかもしれないが、徐々に定着するだろうと言う。しかし、mailman が mail carrier になるのはいいが、freshman が fresher になるのにはいまだに馴染めない。

夕方家に戻り、テレビの前でうとうと。疲れている。今夜は早く寝ることに。


November 28, Monday 2011

午後2コマのクラス。先週休講にした南箕輪村のキャンパス。スティーブ・ジョブズのスピーチの試験。英文和訳と、ヒアリング。試験のあと15分間のスピーチの映像を見る。見終わったあと何人かの学生に尋ねると、10月初めに最初にこのスピーチを聞いたときより、かなり聞きとれたようだ。繰り返しCDを聞き、適切なリズムと発音で音読を続ければ、すべての音を聞きとれるようになるはず。ジョブズのスピーチは英語の勉強のみならず、若い学生たちにこれから生きていく上での多くの指針を与えてくれるはず。

明日は中学での読み聞かせの日。何を読もうか。やはりスティーブ・ジョブズか。

気がつけば、11月ももうわずか。年末ライブのための準備をしなければ。


November 27, Sunday 2011

昨日は午前中、この時期恒例になったモロの掃除。モロとはおそらくムロ(室)の訛り?根菜類を貯蔵する地下室。蓋にしている横板をはずして、太陽に当て、中に入り、腐った野菜くずなどを箒で集め、蜘蛛の巣を払う。午後、きれいになったモロに、ジャガイモ、人参、長いも、コンニャク芋などを入れる。

大根は20本ほど、畑の家に近いところに穴を掘って埋め、藁をかける。今年から白菜もそうするといいと家人が聞いてきて、10株ほど同じようにする。大根の穴は大根の長さだけ掘らなければいけないが、白菜は楽だ。大根も白菜もまだ収穫していないものが半分以上ある。それらは後日モロへ。

一昨日のウォーキング、そして昨日の畑仕事のせいか、今朝は疲れている。その上、コンピュータの調子も悪く、Facebook への写真のアップロードが上手くいかない。午後家人が荷物を出しに行くというので、気分転換に、一緒に出かけ、大芝高原の温泉に入る。日曜日だったが意外と空いていた。先ず大浴場に入り身体を温め、次にミルク湯に入り、そのあとサウナに入り汗をかき、最後に大浴場に入って仕上げ。気分爽快とまではいかないが、少し楽になった。

夕食は、今冬初めての鱈と牡蠣の水炊き。畑でとれた白菜と春菊、さらに好物の糸こんにゃくを入れる。大量の大根おろしに醤油をかけ、柚子をしぼりいただく。明朝の雑炊が楽しみ。夕食後、テレビの前でうたた寝。温泉疲れ。

大阪の人たちは現状維持ではなく、変革を求めたようだ。


November 26, Saturday 2011

山田トモノリ君を迎えてのオーリアッド・オープンマイク。トモノリ君、歌を歌い、ピアノを弾き、ハーモニカを吹き、大活躍。あまりの動きの激しさに、ピンボケ写真の連続。かろうじて捉えることができたのはピアノを弾くところだけ。

初回出演順に、三浦久、春日伸子、原田和恵、山田トモノリ、林呉、原田和男、粟津原由子、赤羽真理、坂井俊水。

先ず三浦が「父よ」「流転の歌」「5年ぶりに会った友に捧げる歌」。いずれも京都時代、今から40年ほど前に書いた歌。1曲目は前回原田和恵さんからリクエストされた歌。次に、オーリアッドには以前来てくださったことはあるが、出演は初めての春日伸子さん。「明日に架ける橋」のピアノ演奏。力強いタッチ。まだ時間も早く聞き手が少なくて申し訳ない。原田和恵さん、「糸」「君は愛されるため生まれた」、そしてピアノ演奏「G線上のアリア」。1曲目は原田さんが好んで歌う歌。ようやくその良さがぼくにもわかりかけてきた。2曲目はトモノリ君が生まれたときから子守唄代わりに歌ってきた歌。

いよいよトモノリ君登場。先ずステージ中央の椅子に飛び乗り、「森のクマさん」を歌い、横においてあった(ぼくの)ハーモニカを吹き、さらにピアノの椅子に駆け上り、鍵盤をいっぱいに使っての即興演奏。それを見守る原田和男さんの笑顔が印象的。

Facebook にこんな言葉があった。


  
Children will not remember you
  for the material things you provided
  but for the feelings
  that you cherished them.
          --Richard L. Evans

  子供たちがあなたを覚えているのは
  あなたが与えた物によってではなく
  あなたに愛され大事にされたという
  思いによってである
          --リチャード・L・エヴァンズ (tr. miura)

林呉さん、「かさね色」「歌声」、そしてできたばかりの新曲。タイトルは「ボールハット」か「オートハープ」かまだ決まってないとのこと。前回初めて聞いた2曲目といい、3曲目の新曲といい、いい歌である。新境地を開いたとしか思えない。原田和男さん、トモノリ君へのオマージュ、「桃太郎」の替え歌。初孫に対する喜び、慈しみ、そして感謝の気持ちが伝わってくる。粟津原由子さん、「果樹園の道」「幼い頃野原には」。粟津原さんが朗々と歌う姿はいつ聞いても感動的。次に三浦が、粟津原さんとの出会いを語り、「次郎」「祈りの歌」。ここで、前半だけでお帰りになる春日さんに、もう一度「明日に架ける橋」の演奏をお願いする。盛大な拍手。赤羽真理さん、「森の小道」「人生の海の嵐に」。ここで休憩。スピーカーからは三浦の12月8日発売予定のアルバム『祈り』の音源から、「果樹園の道」「中谷勲」








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後半は、一人2曲。原田和恵さん「ラルゴ」の演奏、そして今度キャロリングで歌うという「きよらに」。「ラルゴ」ほほんとうにいい演奏で、聞いているうちに心が静まるよう。坂井さん、オリジナル「ミッシング・ユー」とカバーを1曲。前者のオリジナルの切ない思いが心に届いた。林さん、ピアノ弾き語り「アイ・スルー・イット・オール・アウェイ」と「ぼくの贈り物」。前者はボブ・ディランのカバー。独自の訳で。最初にこの歌を聞いた1969年から、ぼくも大好きな歌。

  Once I had mountains in the palm of my hand
  And rivers that ran through ev’ry day
  I must have been mad
  I never knew what I had
  Until I threw it all away

  かつてぼくの手には山があった
  川が毎日その間を流れていた
  気が狂ってたに違いない
  持ってたものの価値が分からなかったんだ
  すべてを捨ててしまうまで (tr. miura)


最初の2行のセクシャルなイメジャリーが好きだ。

赤羽さん「誰もみな」「千両梨の実」。ここで逆順にもう1曲づつお願いする。赤羽さん「ホーボーズ・ララバイ」。林さん「紅茶でもどうですか」。坂井さん「なごり雪」。原田さん「大切なあなたへ」(「おひさま」テーマ曲)。そして最後に粟津原さんに歌ではなく、一言お願いする。今回2回目のオーリアッド・オープンマイクであったが、大いに楽しんでいただいたようだ。全盲というハンディにもかかわらず、「明るく元気よく」
(from 丸山さんの歌)語り歌う粟津原さんには励まされる。最後の最後、彼女のリクエストで「門」を歌う。

今夜のオープンマイクは、初登場のトモノリ君、春日さん、そして2度目の粟津原さんの出演によって、賑やかなオープンマイクになった。老若男女、さまざまな境遇にある人たちが出会い、歌い、そして語ることのできるオーリアッドでありたい。

そうそう林さんが、今夜は落合監督に似た人がいないが、監督の姿をテレビで見るたびに「似てる!」と思っていたとか。亀仙人よりはやはり落合監督?



November 25, Friday 2011


寒い一日。午後久しぶりにウォーキングへ。ポールウォーキング。いつもの城山公園まで行き、引き返そうと思ったが、ポールの威力か疲れていない。守屋山の写真を撮ったあと、思い切って城山へ上ることに。急な上り坂。ポールウォーキングは上りに強い。途中道祖神の写真を撮りながら、すいすい上へ。頂上には龍ヶ崎城址の標識が立っていた。ここまで来たので、引き返さず尾根伝いに今村へ。頂上から今村側へ降りるところが急な斜面で、落ち葉が敷き詰めていて、滑る。ポールを下へ投げ、両手をついてそろそろ降りる。家に戻ったら、汗びっしょり。1時間20分ほどのウォーキング。

家に着いてしばらくしたら、永田浩幸さんから電話。彼の誕生日は3月11日とか。震災があってしばらくして詩集を出すことにしたとか。彼は2011年の誕生日を忘れることはないだろう。





夜、オーリアッド。5月にお父さんを亡くした若者が入ってきた。享年69歳だったとのこと。一時期落ち込んで自暴自棄になったが、ようやく落ち着いてきたとのこと。遅くまで野球談義。長男と同じ年齢ながら、ぼくが生まれる前に活躍した選手たちの名前さえ知っていた。がんばってほしい。

夜になったら、ますます冷え込んできた。ヒータをつけても暖まらない。そろそろハロゲンヒーターも出して来ないといけないか。それにそろそろ、タイヤも冬用に替えなければ、


November 24, Thursday 2011

先週しようとして、学生から来週ですと指摘された中間試験を今日午後行う。1年生の2クラス。前期スティーブ・ジョブズ、後期キング牧師。どうも学生にとってはキング牧師のほうが難しいようだ。語学の勉強において、もっとも重要なのはモーティベーション。「退屈な」教科書から離れ、少しでもやる気が起こるようにと工夫しているつもりだが、なかなか難しい。しっかり答えている学生もいるのでよしとしよう。You cannot please everybody.

一昨日の朝早くの Sony Music Canada からのメールでレナード・コーエンの新しいアルバムが来年1月31日にリリースされることを知った。その日の午後、音楽ライターの和田静香さんからのメールのおかげで、そのアルバムの中の1曲 Show Me the Place を聞くことができた。優しいシンプルなメロディ。つい一緒に口ずさみたくなるような。使われている単語も簡単なものが多い。それでいていざ訳してみようとすると、難しい。

4講時が終わったあと、デイヴィッド・R の研究室を訪ねる。「レナード・コーエンの新しい・・・」と言いかけたら、「ガーディアンで今朝読んだ」といいながら、早速のモニターにその記事を出してくれた。そして一緒にShow Me the Place を聞く。

その記事には昨日発表されたプレスリリースの冒頭の部分が引用されていた。これまた難解な英語だが、ぼくなりに訳してみた。

The album's ten songs poetically address some of the most profound quandaries of human existence - the relationship to a transcendent being, love, sexuality, loss and death. Arguably the most overtly spiritual of the revered artist's albums, Old Ideas inspires commitment to a greater sense of compassion and decency.

このアルバムの10曲は、超越的存在、愛、性、喪失、死との関係といった根源的かつ二律背反的な人間存在と、詩的に向き合った作品である。この尊敬すべき詩人のアルバムの中で、明らかにもっともスピリチュアルなアルバムである『オールド・アイディア』は、間違いなく人々に、大きな慈悲と思いやりの気持ちを呼び起こすだろう。

夜、7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。スピーカーからは先週の土曜日に続き、ディランのデビュー30周年記念盤。遅くに原田さん。いいところまで行ったのに、またまた負け。あまり負け続けると原田さんも張り合いがないだろう。


November 23, Wednesday 2011

作家で詩人の永田浩幸さんから新しい詩集『オレンジ川』が送られてきたのは数日前のことだった。連日予定がつまっていて、先ほどはじめてページをめくって驚いた。最初の詩は、なんと「オーリアッドでお会いしましょう」。

 その夢の場所は
 信州辰野の伊那富橋の近くにある
 ライブハウス「オーリアッド」
 その名はギリシャ神話の山の妖精

 毎週土曜の夜は飛び入りライブ
 今夜はオーボエとピアノの生演奏
 シューマンの「3つのロマンス」
 を聴きながら
 消せないものを想う

 希望 復興 未来 卒業 朝 春 明日
 そして
 消せない携帯の電話帳
 「渇水」の小説家 河林満
 「パチンコ梁山泊」の劇画家 宮田淳一
 三遊亭球馬 昔の恋人

 この世では二度と会えない人々
 もういちど
 オーアッドでお会いしましょう


この世ではもう会えない人々に、「オーリアッドでお会いましょう」と呼びかけるところがなんともいい。常々ぼくは、オーリアッドが出会いと創造の空間であってほしいと思っているが、死んだ人々のことは想定外だった。もしオーリアッドが、死んだ人も、生きている人も、自由に行き来できる空間になれたら、それはもう本当に凄いことだ。永田さん、ありがとう。


November 22, Tuesday 2011

午後2コマのクラス。The Sound of Silence を歌う。読んだエッセイは George Washington Carver (1861-1943)。貧しい南部の農夫たちに綿花の代わりにピーナツやさつまいもの栽培を勧め、綿花の連作によってやせた土地を蘇らせた男。ピーナツバターを発明した男。トーマス・エディソンから年収10万ドル以上、ヘンリー・フォードからも高額の報酬をオファーされたが断り、月給135ドルでタスカギー大学で教えつづけ、アフリカ系アメリカ人に農学を学ぶチャンスを与えた男。彼の言葉―「教育は自由への黄金の扉を開く鍵 (Education is the key to unlock the golden door of freedom...)"」。

5時、Gnu 2nd 着。以前はサウナだったところとか。井上デパートの近く。上條さんからオーナーの村上さんに紹介される。辰野町出身とのことで驚いた。Madhura(あらい舞&Sho Amano)のリハーサルのあと、ぼくがリハーサル。1曲目はソロで、2曲目は舞ちゃんのキーボードとShoさんのベースと一緒に。いい感じである。そのあと、K2-Unitの二人。篠原一弘さんに会うのは久しぶり。彼らのリハーサル中、食事に。

7時過ぎにもどって、5階でエレベーターを降りたら、椅子にすわっていた二人のうちの一人がぼくの名を呼ぶ。昨年ぼくのクラスにいて、今は上田に住んでいるがコンサートを聞きにきたとのこと。出身が舞ちゃんと同じ長岡京市とのことで納得。

7時半開演。まず K2-Unit の二人。4曲のうち「メロディ」と「愛をもって」が印象に残った。そのあと、舞ちゃんがソロで娘に向けた書いた歌や細川ガラシャ夫人のことを歌った「ガラシャ」などを歌ったあと、ぼくが「祈りの歌」をソロで、そして「碌山」をMadhura のお二人のサポートで。

そのあと、Madhuraが10時過ぎまで熱演。インド風にアレンジされたキーボードとベースの掛け合いが絶妙。言葉はよく聞き取れない。性愛を歌っているようでもあり、ある種のスピリチュアリズムを歌っているようでもある。結局、二つは不可分か?。ベースの Sho さんも何曲か歌った。ベースはもちろん、その声に魅了された。帰りに彼らのCDを購入。ゆっくり店番をしながら聞かせてもらおう。







ゲストとしての出演を依頼されたとき、K2-Unit も出演することだし、ぼくが歌ったらそれだけ時間を取ってしまって、Madhuraの演奏を楽しみにしている人たちに迷惑だから、チケットを買って聞きにいかせてもらう、とお断りしたが、上條さんから是非とのことで歌わせていただくことに。ぼくが歌うことで時間をとってしまったことに変わりはないが、参加させてもらってよかった。Madhuraの音楽に刺激を受けたし、いくつかの新たな出会いもあった。

新たな出会いではないが、篠原さんが近い将来またオーリアッドに歌いにきてくれそうである。彼が以前にオーリアッドに歌いにきていた頃、よくステージに近づいてお父さんの写真を撮っていた弘介くんは、今小学6年生とか。確かあのころは、4,5歳だったはず。光陰矢の如し。

そうそう、夏に松代で歌ったときにきてくれた吉田さんが、ぼくと舞ちゃんが同じステージに立つのを見たことがないのでと、前橋から聞きに来てくれた。感謝。彼はずっと昔から舞ちゃんのファン。ここからもわかるように、ぼくも彼女もかつて同じ事務所に所属していた。

夜の山麓線は、対向車には一台あっただけ。153号線に入っても車は少なく、快適なドライブ。あっという間に家に着いた感じ。山麓線を走りながら思い出した。先週の土曜日遅く、丸山さんから届いたメールを。オープンマイク終了後、この道を通って松本へ帰るとき、突然、大きな鹿が3頭現れて、避け切れずに1頭をはねてしまったとのこと。「可愛そうなことをしました」とも書かれていたので、鹿は即死だったのだろう。ぶつかりたくはないが、鹿を見たいと目を凝らしたが、鹿はもちろん、ウサギ一匹いなかった。



November 21, Monday 2011

午後3時15分から4時半まで総合教育センターでHow I Teach the Pronunciation and Rhythm of English through Songs という話をする。昨年は5分ほど、音読を重要視するシュリーマンの外国語学習法について最後のほうで話したが、今年は最初にかなり時間をかけてすることに。というのは、昨年のその話を聞いて、簡単な日本語の本を音読したり、日本語の歌を歌ったりして日本語の勉強をするようになったというアメリカ人の先生がいたからである。

その準備をする過程で「大発見」があった。ぼくが高校生のときに初めて読んだ『古代への情熱』には、次のように書かれていた。

この簡単な方法とはまず次のことにある。非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日一時間をあてること、つねに興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること、前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦することである。

この中でどうしても腑に落ちなかったところが「毎日一時間をあてること」というところ。英語の勉強が一時間なのか、音読が一時間なのかはっきりしない。彼の勉強振りからして英語の勉強一時間とは考えずらい。そうすると、一時間の音読か。しかし、実際に音読をしてみると一時間続けるのは不可能。他の出版社から出ている訳書もみな「毎日一時間」という主旨の訳になっている。

その後入手した ILIOS The City and Country of the TROJANS という英語版は、

This method consists in reading a great deal aloud, without making a translation, taking a lesson every day, constantly writing essays upon subjects of interest, correcting these under the supervision of a teacher, learning them by heart, and repeating in the next lesson what was corrected on the previous day.

となっていて、「毎日一時間をあてる」ではなく、「毎日一回レッスンを受ける」になっていた。どうして日本人の訳者がこぞって「毎日一時間」と訳したかわからなかった。今回のトークの準備のためいろいろ検索していたら、この部分のオリジナルのドイツ語が出てきた:ta"glich eine Stunde nimmt。 これをグーグル翻訳にかけたら takes one hour a day と変換された。そうすると日本人の訳者の訳は正しいことになる。それで Stunde だけをグーグル翻訳にかけてみたら、hour, time, lesson, session, class, period という訳語が出てきた。lesson というのがちゃんとあるではないか。

今日50名ほどいたALTの先生たちにドイツ語のわかる人はいますかと聞くと、一人の先生が手を挙げた。eine Stunde の意味を聞くと、一時間だという。そこで Stunde には lesson の意味もあるかと聞くと、あるという。一件落着。帰家穏座。今日は、ぼくにとって、積年の疑問が解決された記念すべき日。

前半の「いかにして英語教師になったか」という話とシュリーマンの外国語学習法に時間がとられて、後半の「歌を通して英語のリズムと発音を学ぶ」の話に十分時間がとれなかった。もっとみなさんと一緒に歌を歌えたらよかった。

帰路、プリンターのインクを購入。昼過ぎ、ハンドアウトの資料を印刷しはじめたら、インク切れに。家人にオーリアッドへ印刷しにいってもらって、かろうじて間に合った。もう少し早く準備を始めればあわてずにすんだものを。

明日は、松本。午後4講時が終わったあと、松本駅近くの GNU 2nd というライブスポットへ行き、Madhura (あらい舞 & Sho Amano)のコンサートのゲストとして20分ほど出演することになっている。何を歌ったらいいか。


November 20, Sunday 2011

午前9時から、午後行われる新穀祭のため、村の神社の掃除と飾りつけ。大変だったのは、屋根の落ち葉下ろし。高所恐怖症のぼくには絶対無理な作業。境内の落ち葉を掃くことに。これも大変といえば大変。落ち葉を取り除いた石段が真っ直ぐ上に延びてきれいだ。

午後、1時半から新穀祭。その後、直会(なおらい)。




4時過ぎ、家人に迎えに来てもらい、家に戻る。車から降りて見上げると、美しい夕焼け。早速、写真を撮る。




最近、自由に外に出すことにした猫たちの写真も撮る。彼らを外に出してよかったことは、ソフィーのスプレイングがなくなったこと。自由に外出できなければ、ストレスがかかるのは、人間だって猫だって、同じこと。




夜、明日の総合教育センターでのプリゼンテーションの準備。話す内容は決まっているし、資料も十分集めた。明朝、もう一度整理すれば何とかなるだろう。


November 19, Saturday 2011


今夜は松商学園放送部が丸山さんの取材をしにやってきた。聞きにきてくださったお客さんも多く、おかげさまで賑やかなオープンマイクになった。初回出演順に「二人組」(武藤富士雄&溝部正勝)、丸山俊治、赤羽真理、長谷川ひさい、森下辰衛、名取友紀子、三浦久、薦田浩、原田和恵、坂井俊水。

「二人組」のヘビーなアコースティックロックからスタート。ボブ・ディラン、ザ・バンド、ステペンウルフなどの影響が顕著なオリジナル3曲。1曲目はステペンウルフのカバーかも。武藤さん、ボーカル、ギター、ハーモニカ。溝部さん、ギーター。丸山さん、テレビカメラが回る中、少し緊張気味にスタート。しばらくしていつもの丸山節に。「おじさんたちよ」「職人になったおじさんたち」「思い出づくり」、そして「70歳になったのだ」。拍手鳴りやまず、アンコールとして「満州の丘」。いずれも名曲ばかり。最初の4曲は高校生からの要望とか。

赤羽さん、「鹿のように」「旅人の木」、そして「千両梨の実」。続いて、長谷川さんに、森下さんを紹介していただき、森下さんにお話をしていただく。森下さんは、三浦綾子記念文学館の特別研究員をされている方。明日、辰野キリスト教会で、三浦綾子著『泥流地帯』についてのお話をされるとのこと。現在、東北の被災地に三浦綾子の本を贈る活動もされているようである。

名取さん、ピアノで「赤いスイトピー」など3曲。安定した演奏。前半最後に三浦が、「一通の手紙」「祈りの歌」、そして松商学園の高校生のために「あの果てしない大空へ」。「祈りの歌」は長谷川ひさいさんからいただいた本がきっかけとなって出来た歌。12月1日発売予定が、事情で12月8日になったとMCで語ったところ、「私の誕生日です」とのこと。これも何かの不思議な縁?ここで15分ほど休憩。スピーカーからは、ディランの30周年記念のライブ盤から、 Mr. Tambourine Man, My Back Pages など。







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後半トップを薦田さんにお願いする。卒論にボブ・ディランを書いた話。大阪の会社に就職して数ヶ月で止めて、いわゆる今で言う派遣社員になって原子力発電所建設のためアメリカから来ているGEの社員の通訳として南相馬市に派遣された話。そこで聞いた原発の危うさの話など。原田さん、「G線上のアリア」「そばにいるよ」。坂井さん、オリジナルのラブソングと、カバーで「ウイッシュ」。名取さん、久しぶりに「太陽がいっぱい」。このメロディを聞くと、マリー・ラフォレを思い出す。丸山さん、「一番最後に」、そして久しぶりに柴田トヨさんの詩に曲をつけた「風と陽射しと私」。赤羽さん、「私を待つ人がいる」、そして最近歌い始めた「誰もみな」。武藤さん、ソロで「Child of the Universe」、そして溝部さんが加わり、「Where Have All the Hippies Gone?」、そして最近局地的に爆発的人気だという「情けないマウンテン・アイランド」。ぼくもこの歌は好きだ。「中目黒のケロアック」というフレーズを最初に聞いたときにノックアウトされた。

初対面の人も多く、いろいろ刺激し合う夜だったと見え、ライブ終了後も、あちこちでギター談義に、音楽談義に花が咲く。すばらしい夜になった。出演者に、聞きにきてくださった方々に、そして若い感性の松商学園放送部のみなさんに、感謝。


November 18, Friday 2011

来週月曜日、塩尻の山麓線沿いにある総合教育センターで、県内のALTの先生たちのコンフェレンスがある。その大会の分科会で、歌を使っていかに英語のリズムと発音を教えているか語ることになっている。そのときに配るハンドアウトの原稿締め切りが今日の正午。昨日から用意を始めたが、半分しかできていない。とりあえずその半分を送る。もう半分は自分でプリントして当日もっていくことに。いつものことだが切羽詰らないとアイディアが湧いてこない。

午後、畑に出て大根と人参を収穫する。そのあと耕運機で耕す。少々疲れる。

新しいCD『祈り』の発売予定日を12月1日と決めていたが、少々入荷が遅れるとの連絡があった。12月8日を発売日とする。

丸山俊治さんからメールと電話があった。明日のオープンマイクに松商学園放送部の取材班がきて、「70歳のフォークシンガー」丸山さんの演奏シーンを取材たいとのこと。すでに取材はかなり進んでいるようだ。先日のチャーチコンサートでも生徒たちが熱心にカメラを回していた。

聞きにきてくださる人が多ければいいのだが。



November 17, Thursday 2011


またまた忘れっぽくなってきた。テスト用紙を配ろうとしたら、「テストは来週ということでしたが」という声。し、しまった。そうだった。確かに先週そう言ったことを思いだした。せっかく、今朝一生懸命つくってきたのに。仕方なし、後期に習った歌を歌い、ケネディ大統領就任からキング牧師のワシントン大行進までの映像を見、「音楽は最大の薬」 (Music is the greatest of all mecdicines)という教科書の中の短いエッセイを読み、なんとか終了。

カバンに本や資料をつめようとして、紅茶の入ったポットを探したが、教卓の上にも、黒板の桟にも、オーディオキャビネットの上にもない。さっきまで飲んでいたのに。おかしい。講師控え室に置き忘れたかもしれないと、いそいで控え室へ。テーブルの上、コンピュータの横など、くまなく探したが、ない。再度、次の授業が始まる直前の教室に戻って見直したが、ない。

来週になれば、思いがけないところから出てくるだろうと諦め、オーディオキャビネットの鍵を反しに事務局へ。そしてグランドの周りを半周して駐車場へ。運転席のウインドウから中を覗くと、ポットがちゃんとペットボトルホルダーに。不思議だ。

6時前帰宅。しばらく休憩し、7時過ぎ、オーリアッドへ。今夜はジブランの会の日。みなさんすでにお集まりになり、勉強を始めていた。8時過ぎ、垣内さん。小さな子供が新しい玩具を手に入れたかのように、ニコニコしながらやってくる。案の定、ワイファイのルーター (whatever it may mean) を手に入れたとか。これを使うと、iPad の通信速度が格段に速くなるとのこと。早速、iPad でお孫さんの写真を見せてもらう。可愛い優しい顔をした女の赤ちゃん。

遅くに、原田さん。うむ。勝てた勝負を、拙速に攻め込んで、落とし穴に。

今夜も中日は負けたみたい。後がない。


November 16, Wednesday 2011

今日辰野ロータリークラブ例会の卓話の時間に、歌を聞いていただく機会が与えられた。卓話というのはロータリークラブ用語で、1時間の例会の後半30分に行われるスピーチのようである。確か、今から25,6年前、辰野へ戻ってきて数年後に、一度卓話を依頼されたことがあった。「面白い話をしてほしい」とのことで、ユングの集合的無意識と学習性無力感について話した記憶がある。精一杯面白い話をしたつもりだったが、反応はもうひとつだった。

今日は、シニア大学でのトークライブを聞いた方から、歌うように頼まれたので、気が楽といえば楽だった。しかしいざ準備を始めると、リクエストされた「碌山」と「カムサハムニダ、イ・スヒョン」をいつものトークを交えて歌うには、30分は短か過ぎる。そこで、トークの部分は印刷して配り、30分は歌に専念することに。できたら、2曲だけで終わるのではなく、「祈りの歌」も歌いたいと思っていたが、プリントを配ることで、3曲を時間内に収めることができた。前回のユングの心理学や、箱に入れた犬に電流を流して無力感を学習させる話より、反応はよかったと思う。何人かの方が、終わったあと話しかけてくださった。

四半世紀の時の流れは、ロータリークラブのメンバーを大幅に変えていた。ほとんどの方がぼくよりも若い企業経営者や自営業の方々。

デザイナーの石崎さんから、アルバムジャケットの裏の写真も送ってもらった。還暦の年に長男から贈られた赤いギターを庭の落ち葉の上に置いて撮った写真。何枚か送った写真のなかから、表も裏も石崎さんが選んだものである。全体の色調が、このギターの色に基づいていて、気に入っている。

夜、オーリアッド。以前電話でピアノの発表会ができないかと問い合わせてくださった方が、打ち合わせにやってきた。来年1月22日(日)に行うことに。さまざまな形でオーリアッドを活用していただけることは嬉しいことである。

帰宅後、ニュースで中日が負けたことを知る。ノーアウト満塁で1点も取れなかったのが痛い。


Novemb er 15, Tuesday 2011


今朝は寒かった。昼前に松本へ。中間試験としてキング牧師のスピーチの試験。徹夜で勉強したという学生もいた。まったく勉強しなかった学生も。

6時前に帰宅すると、家人が日本と北朝鮮のサッカーを見ていた。1-0で負けているという。そしてそのまま負け。GKを含め、日本の選手には、レギュラー選手が少ないような。それでもやはり北朝鮮の健闘を讃えねば。どの選手を見ても、ちょっとやそっとでは壊れそうもない頑丈な体躯をしている。

新しいアルバム『祈り』のジャケットの写真がデザイナーの石崎芳夫さんから送られてきた。オリジナルの写真は垣内彰さん。すでに音源やジャケットデザインなどは工場に送られていて、11月末までには出来上がってくる。12月1日発売予定。もともとぼくのCDは、昔のLPレコードも、そんなに売れはしなかったが、最近はますますCDが売れない時代。どうなることやら。少しでも多くの方々に聞いていただけたらいいのだが。(税込み 2000円)

 1.祈りの歌 
 2.果樹園の道 
 3.花語らず 
 4.中谷勲 
 5.電線の上の一羽の鳥のように 
 6.雨ニモマケズ 
 7.新しい光迎えよう
 8.カムサハムニダ、イ・スヒョン(ライブ)
 9.碌山(ライブ)



明日は地元のRCで短いトークライブ。夜、その準備を少し。


November 14, Monday 2011

午後南箕輪村へ。2コマの授業。来週はALTの先生たちの研修会参加のため休講。再来週はスティーブ・ジョブズのスピーチの試験。そこで、試験のための準備として、ハインリッヒ・シュリーマンの外国語の学習法について語る。

シュリーマンの外国語学習法の第一は音読である。そこで、英文のリズムの特徴を Jazz Chants を使って説明したあと、試験に向けて、ジョブズのスピーチを正しいリズムで何度も音読することを勧める。音読のメリットのひとつは、日本語に訳している時間がないこと。わかってもわからなくても、とにかく読み進めなければならない。英語を英語として理解せざるをえなくなる。英語を日本語に置き換えて理解しているうちは、英語ではなく日本語を理解しているのである。

夕方家に戻り、メールをチェック。次男のお嫁さんから誕生日のメールが届いていた。近況報告の最後に、Only about 5 more weeks and you two will be grandparents! と書かれていた。実感がわかないが、いよいよおじいさんとおばあさんになりそう。

彼らが住むクライストチャーチも今年の初め、大きな地震に襲われた。町のシンボル的存在である大聖堂は崩れ落ち、その近くのホテルもいくつか大きな被害を受け、復旧の目処はたっていないようだ。そんな状況の中に生まれてくる新しい生命に大いなる声援を送りたい。


Novemb er 13, Sunday 2011

大相撲九州場所が始まった。昨夜、相撲好きのお客さんが寄ってくれた。一晩だけの一時帰宅。オープンマイクの最中で、話(筆談)をすることができず悪いことをした。相撲につい語りたかっただろうに。彼と松本へ巡業の相撲を見にいったことがある。そのとき、安馬(現日馬富士)と豊真将と北桜の三人が印象に残った。そのうち最初の二人は現在活躍中。彼は常々日本人力士に元気がないのを嘆いていた。稀勢の里と豊真将にはがんばってもらいたいもの。それにしても九州場所が行われている福岡国際センターはがらがら。

夜、岡谷へ。LSEC。前回の Silent Nightに続き、クリスマスの歌 The First Noel を歌う。そのあと今まで歌った歌をランダムに。アップルの Think Different の CM のテキストを解説。すでに YouTube でこの映像を見ていた方もいた。

帰路、ラジオをつけると日本シリーズ第2戦。ソフトバンクが1-1の同点に追いついた直後だった。家に着き、テレビを入れる。昨日に続き接戦の好ゲーム。10回表、森野のタイムリーヒット。2-1で中日連勝。こんな素晴らしいチームを作り上げた監督を止めさせる親会社もあれば、他チームの好選手を引き抜いてきても勝てず、内部告発やなにやらでごたごたしている親会社もある。でも結局は同じことか。鶴の一声?その一声でいやな経験をしたことがある。


November 12, Saturday 2011

今夜も先週に引き続きバラエティに富んだオープンマイク。

初回出演順に、三浦久、からさわちなつ、丸山俊治、kaneji こと金子昭二、赤羽真理、Shiho、よしざわまこと、原田和恵、坂井俊水、原田和男のみなさん。

先ず、三浦が「門」、そして「中谷勲」と「カムサハムニダ、イ・スヒョン」。最後の歌は、来週のRCでの卓話の準備。次に、初登場、からさわさん。1曲目、1945年8月6日の広島の風景を思いながら書いた歌。2曲目、ケンカした友だちと、なかなか仲直りができたかった気持ちを書いた歌。3曲目、「闘う君の歌を闘わない奴らが笑うだろう」というフレーズが入った歌。最近、若い女性がこれだけ内容のあるメッセージソングを歌うのを聞いたことがない。ギターは一年前に始めたばかりとか。丸山さん、お孫さんのことを歌った2曲「一番最後に」「雪のかくれんぼ」、そして「新宿に降る雪」。そろそろ雪の季節。

次に、初登場、金子さん。84歳。20年ほど前、つまりまだ60代だったころ何度かお会いしたことがある。驚いた、その頃と変わらぬ若さ。先ず、空手の型で「気」を入れたあと、Take Me Home Country Roads の詩を日本語と英語で朗唱。そのあと、「とうもろこし畑」を聴衆のみなさんと一緒に。赤羽真理さん、意表をついて「上を向いて歩こう」から。そして「花はどこへ行った」。次に初登場、Shihoさんとよしざわさん。即興で歌をつくりながら歌うとのこと。Shiho さんのそこはかとした、少し頼りげない歌声は魅力的。前半最後は、原田和恵さん、「君は愛されるため生まれた」。

丸山さんのお伊勢参りのお土産の「赤福餅」をいただきながら休憩。スピーカーからはドリス・デイ。







(Larger photos on Oread Facebook page)

後半トップ、三浦が「千の風」と「祈りの歌」。前者は今日が母の命日だったので。そして、あの鳥が今朝、またもや、挨拶にやってきたので。後者は、よしざわさんがこの歌を Shiho さんに聞かせたいとオーリアッドに誘ったとのことだったので。次に坂井さん。まだタイトルのないオリジナル2曲。凄い勢いでオリジナルを書きはじめた。2曲目は北海道へ行ったときに拓郎ファンの歌い手の歌を聞いて、自分も拓郎節の歌を書こうと思って書いたとか。

からさわさん、恋人と別れた友のために書いたという「生きるので」と Stand By Me。Shiho さん、よしざわさんと出会った万水川(よろずいがわ)の川下りの体験をもとに書いた歌。コーラスにあった「みんな同じ舟の上」が印象的。宇宙的な広がりが。原田和男さん、10年以上寝たきりの言葉を発することのできない友人を東京に見舞い、手を取り合って落涙した話。最初の頃は多かったが、最近は見舞いに訪れる人も少なくなった友に会いに、原田さんは年2回は東京へ行くとのこと。なかなかできることではない。

丸山さん、「70歳になったのだ」「おじさんたちよ」。客席から笑いが起き、喚声が飛ぶ。ここで原田さんと金子さんにもステージに上ってもらい、 Amazing Grace を英語と日本語で歌ってもらうことに。合計年齢226歳。長い年月、三者三様、風雪に耐えてきた風格が漂う。この味はなかなか出せるものではない。丸山さんは、今夜は中折れ帽をかぶりレナード・コーエン風。最後に、原田和恵さん、「G線上のアリア」と「そばにいるよ」。後者は久しぶりに聞く。原田さんが歌う歌の中でぼくの favorite。

10時半、オープンマイク終了。閉店時間まで歓談。それにしても金子さんの若さには畏れ入る。。


November 11, Friday 2011

一日中、雨。低い気温。夜、更に寒くなる。

9月に伊那のシニア大学でぼくのトークライブを聞いた方から、町のRCの例会でもトークライブをしてほしいと、ずっと前依頼された。その日が来週となり、今夜オーリアッドへ打ち合わせにきてくださった。時間は30分。「カムサハムニダ、イ・スヒョン」と「碌山」の2曲は必ず歌ってほしいとリクエストされる。これだけで、少し話を入れたら時間いっぱい。何とか「祈りの歌」も歌えるように工夫してみたい。

遅くにやってきた中年のご夫婦から「今日は歌わないんですか」と尋ねられる。「以前にも来られたことがありますか」と聞くと、「1年ほど前に一度。そのときは、いろんな人が歌ってました」。「明日の土曜日は飛び入りライブで、いろんな人が歌います。ご都合がついたらお出かけください」。

「第4回キング牧師の日チャリティコンサート」をやることに、今夜、決定。来年1月15日(日)。寒い時期なので日程をずらすことも考えたが、1月15日はキング牧師の誕生日。やはりこの日にやるべきだろう。言いだしっぺのスーザンも来てくれることに。詳細はこれから。


November 10, Thursday 2011

午後2コマのクラス in 松本。「明日に架ける橋」40周年記念盤の Songs of America (DVD) の中から Scarborough Fair と El Condor Pasa の部分を見る。彼らがベトナム戦争について語るところも。学生たちに、今日の歌 Scarborough Fair には時代が大きく反映していることを知ってもらおうと。

夜7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。今夜は冷え込み、エアコンと灯油ストーブの両方をつける。スピーカーから流れる音楽はドリス・デイ。そこへ原田さん。和服の正装で現れた。とても似合っている。ぼくは和服を着ることがなくなってしまった。母が縫ってくれた着物と羽織がどこかにあるはずだが。

「昔の歌はいいねえ」といいながら、「ケセラセラ」や「ア・ガイ・イズ・ア・ガイ」をドリス・デイに合わせて口ずさむ原田さんと、一局。奇襲作戦でこられると、いつも後手後手にまわってしまう。なんとか対処法を考えなければ。

12月16日(金)の年末ライブまで5週間。今年は、震災の影響もあり、気がついたら、あっという間に11月。パブリシティを始めなければ。


November 9, Wednesday 2011

午前中、玉葱の苗を追加で150本植え、3本の柿の木の残っている実をとる。柿には血圧を下げる効果があることを知る。「柿が赤くなれば医者が青くなる」という諺があるようだ。

レスベラトロールをのみはじめて数ヶ月になる。血圧もかなり下がって安心していたが、2週間ほど前から再び高くなった。忙しく疲れがたまっていたからか。降圧剤の量をもとに戻さねばならないかもしれないと考えたが、今週は再び正常値にもどった。平均すると 135/90 である。下がった原因を考えてみると、最近熟した柿を大量に食べているからとしか考えられない。調べてみたら、柿の効能として血圧をさげる働きがあることが判明。

「柿/高血圧予防効果」というウエブペイジがあった。

柿は日本古来から愛されてきた果実で、「柿が赤くなると医者が青くなる」とまで言われるほどの効果があるとされています。柿(かき)に含まれる代表的な栄養成分として、「ビタミンC」・「タンニン」・「カロテン」などがあります。柿の渋み成分であるタンニンには、血圧降下作用による高血圧の抑制効果や、血管を強くする作用で脳卒中の予防などに効果があります。・・・その他にも、ビタミンCとタンニンは血液中のアルコールを排出してくれる作用があるため「二日酔い」にも効果があり、カロテンは強力な抗酸化作用による動脈硬化の予防効果などがあります。
http://kouketuatu0229.seesaa.net/article/123817739.html

午後、定期検診のため病院へ。やはり血圧に問題はなかった。ドクターTに柿の話をすると、「柿はいいですよ。降圧効果があります」とのこと。小沢道雄師の本をお貸しする。病院から戻って、熟した柿を3,4個ぺろりと食べる。柿のマイナス面は食べ過ぎると便秘になるとのこと。逆に言うと下痢にも効くようだ。

土曜日以来のオーリアッド。南直哉著『語る禅僧』(ちくま文庫)読了。長い間かかったが、学ぶところの多い本。著者の葬式についての記述には感心させられた。

死においては、遺された人はすべてをいきなり赦さなければならないし、赦さざるをえない。相手を愛していても憎んでいても、生前に積もり重なった屈託は、そこで断ち切らなければならない。

お葬式でまずしなければならないと私が考えるのが、この断ち切りであり赦しである。本人が断ち切りがたく赦しがたいものを、儀礼の形を借りて強引に切らせ、ケリをつけてしまう。「引導をわたす」と言うけれども、私に言わせれば、これも死者にわたすように見せて、その実、遺された人にわたしているのだ。

・・・冷たく言ってしまえば、お葬式・告別式というのは、ある人物の永遠の不在を確定して、遺された人々が人間関係を組み直す区切りの集会にすぎないだろう。

・・・お葬式をつとめるようになってから、私はこう考えることがある―根拠なく生まれ理由なく死んでいく自分を本当に赦すことができたとき、そこに「涅槃」があるのではないか。(pp.206-209)


この本は最初同名のタイトルで1998年に朝日新聞社から出た。ぼくが読んだのは昨年筑摩書房から文庫本として復刻されたもの。この文庫本には最後に「アメリカ安居体験記」という第三章が加えられている。それは著者が1986年に100日間、ミネソタ州の山の中の禅寺へ指導に行ったときの体験談で、最初の二章と比べて読みやすい。60年代後半のカウンターカルチャーとアメリカの禅との関係について書かれたところには大いに共感した。

戦後のアメリカは、急速に産業化が進み、同時に社会が大規模に組織化され、巨大化した。結果、アメリカは史上空前の豊かさを享受することができたのである。が、そのあまりに強力な高度産業社会の圧力が、個人の存在をゆるがし、精神的な貧困を生むに至ったのである。

さらに1960年代を暗いものとした事件にベトナム戦争がある。この戦争の不条理さは、それまで自明の事実とさえ言えた「アメリカの自由と正義」の神話を完全に打ち壊した。ここに至ってそれまで通用していた価値観は、そのことごとくが、根本的な問い直しを迫られることになる。

ヒッピーの運動は、こうした状況を背景に生まれ、大きなうねりとなった。既製の秩序、価値に対する挑戦、合理性への嫌悪、現実を超えるための幻覚剤への執着、それらはみな、人間の、今ここにある生命を回復するためのギリギリの努力だったと思う。

アメリカに於ける仏教の受容は、まさに、このヒッピーたちが求めた生命の回復という課題への、ひとつの答えでもあったわけである。(pp.125-126)


ぼくが見聞きし、『追憶の60年代カリフォルニア』に書いたところと共通するところがある。69年を境にアメリカのカウンターカルチャーは衰退の一途をたどったと思っていた。86年にもその命脈が保たれていたことがわかる。そして今も。


November 8, Tuesday 2011

松本へ。午後2コマのクラス。来週は試験。I Have a Dream。そのための総復習。全スピーチを映像で見る。10月初めに初めてこの映像を見たときと比べて少しでも聞き取れるようじなっていてくれたらいいのだが。

帰路、ファーマーズガーデン内田に寄る。5時5分前。5時閉店。すでに「ほたるの光」のメロディが流れている。お客さんはぼく一人。店員たちは床をモップで洗っている。追われるように買い物。焼きそばのパック、パン、それに味噌。夏は5時半か6時までだが、日が短くなると5時に閉まってしまう。アルプス市場は夏は6時半まで、冬は6時までなのでありがたい。

頼んでおいた古書が届いた。小沢道雄(おざわ・どうゆう)著『本日ただいま誕生』(柏樹社)。立派な装丁のハードカバー。奥付を見ると、1976年8月15日初版発行、1979年7月5日14版発行となっている。3年足らずで14刷。凄い。小沢師は1978年1月に亡くなっている。

彼が日常生活の中で心がけていたこと―

  1.微笑を絶やさない
  2.人の話を素直に聞こう
  3.親切にしよう
  4.絶対、怒らない

彼に接した人が異口同音に認めていたことは、彼の笑顔。微笑み。内山興正老師は、初対面のとき「方丈さんの笑顔が素晴らしい、よくまあ、その体で」と述べたらしい。二人が会ったのは1975年10月のこと。内山老師は小沢師の微笑みを見て、「ぜひとも負傷、両足切断されてから、今日の温顔、生活姿勢にいたるまでの道程を書かれたら・・・」と本を書くことを勧めた。それは小沢師が亡くなる2年数ヶ月前のこと。この出会いがなければ、小沢師の体験は永遠に失われていた。少なくとも、彼が亡くなってから33年後に、ぼくがその体験を知ることはなかった。


November 7, Monday 2011

朝起きて、階下へ降り、窓の外を見たら、真っ赤な紅葉が目に飛び込んできた。曇り空ではあるが、雨上がりの爽やかな朝に赤が映えている。その赤をキャプチャーしようと、シャッターを押したが、ぼくのカメラではその赤は捕らえきれない。裏山もかなり色づいてきた。



午後、南箕輪村のキャンパスへ。2コマのクラス。今日の歌は「風に吹かれて」。アップルのコマーシャルの映像に、17人の「世界」を変えた「クレイジーな人たち」が登場する。2番目に登場するのがボブ・ディラン。スクリプトを渡し、解説したあと、映像を見る。そのあと、ジョブズ氏のスピーチの最後の部分を解説。スピーチの前半部分を使い、ヒアリングの練習。

松本へ行くときは、帰りにアルプス市場に寄ることが多いが、南箕輪村の帰りは、春日街道沿いの「あじーな」。今日は家人に頼まれた新米の玄米10キロを八分づきにしてもらう。そのほか、コンニャク、なめこ、レモン、ウインナー、生姜などを購入。

家に戻り、facebook を開けたら、Hakudo Deshimaru という方から friend request があり、その方の facebook にアクセスしたら、故スティーブ・ジョブズ氏と故知野(乙川)弘文老師の交流についてという曹洞宗公式サイトの記事が引用されていた。


この記事を読んで、ぼくがタサハラでお会いした禅僧の漢字名がようやく分かった。アメリカ人雲水たちは彼を チノウさんと呼んでいた。チノウをどう漢字で書くのか分からなかったが、六祖慧能の如く、「智能」かもしれないと想像していた。ローマ字で書くと Chino で、最後の no は英語読みだと二重母音で「オウ」となる。


November 6, Sunday 2011

終日、静かな雨。裏山は薄い霧に包まれて、幻想的な美しさ。

終日うつらうつら。明日の授業の準備。10年ほど前のアップルのコマーシャル Think Different の訳を考える。このコマーシャルの冒頭部分は、

  Here’s to the crazy ones. The misfits. The rebels. The troublemakers.
  The round pegs in the square holes. The ones who see things differently.

である。定着した日本語訳は、

  クレージーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
  四角い穴に丸い杭を打ち込むように、物事をまるで違う目で見る人たち


「クレージーな人たちがいる」がぼくには不自然に思われる。それは、 Here are the crazy ones. だろう。トム・パクストンのRambling Boy のコーラス Here's to you, my rambling boy と同じ Here's to... である。これは「〜に乾杯、〜に幸あれ」という意味。そこで次のように訳してみた。

  乾杯、クレージーな人たちに。はみ出し者、反逆者、厄介者たちに。
  四角い穴に合わない丸い栓のような人たち、物事を常識にとらわれず
  違う角度から見る人たちに、乾杯。


長い文章ではないので、続きも訳してみよう。

  彼らは規則が好きじゃない。彼らは現状を維持することに何の敬意も払
  わない。彼らを引用したり、彼らに反対したり、彼らを賞賛したり、非難し
  たりすることはできる。できないことは、彼らを無視すること。なぜなら彼
  らは世の中を変え、人類を前進させてきたのだから。

  彼らは狂っていると思う人たちがいる。彼らは天才だと私たちは考える。
  なぜなら、世界を変えることができると考えるクレイジーな人たちだけが
  世界を変えることができるのだから。

次のURLをクリックすると、このコマーシャルを映像で見ることができる。英語のスクリプトも読むことができる。
http://lybio.net/apple-think-different/commercials/

定着した日本語訳は:http://t-a-o.heteml.jp/files/2e5d95584f3829b319ee18bc417ee448-5.html

このコマーシャルに登場する人たちは、順に:

1. Albert Einstein 2. Bob Dylan 3. Martin Luther King, Jr. 4. Richard Branson 5. John Lennon 6. Buckminster Fuller 7. Thomas Edison 8. Muhammad Ali 9. Ted Turner 10. Maria Callas 11. Mahatma Gandhi 12. Amelia Earhart 13. Alfred Hitchcock 14. Martha Graham 15. Jim Henson 16. Frank Lloyd Wright 17. Pablo Picasso.

何人知っていましたか?



November 5, Saturday 2011

バラエティに富んだオープンマイク。

初回出演順に、三浦久、丸山俊治、松尾晃、松尾レミ、粟津原ゆう子、垣内彰、原田和恵、坂井俊水、上浦憲道、原田和夫。

ぼくがサウンドチェックをかねて「千の風」「旅立つおまえに」を歌ったあと、丸山さん、久々に「三角広場に桜咲くころ」、「ぶどう畑の散歩道」、そして「雪のかくれんぼ」。いずれも三角広場と関係ある歌。松尾晃さん、上浦さんのギターをバックに poetry reading。60年代から70年代にかけての、信州の北から南までのカウンターカルチャーを支えた店や人物を網羅した文章「あきら伯父さんのカルチャー講座文学編 No. 4 幻の街―信州編」を読む。「不良」が文化を創るなど、刺激的なフレーズ満載。なつかしい名前もいくつか登場。

松尾レミさん、1曲目「エーテル」。2曲目は「Mr. Sleepy」を彷彿させる佳曲。タイトルはまだないとのこと。粟津原さん、「果樹園の道」「幼い頃野原には」。粟津原さんのセキギョク性、明るさ、思いやりにはいつも励まされる。垣内さん、横川峡の奥の三級の滝探訪記。そして今年の秋の異変について。原田和恵さん、「めぐり合い」そして、伊那から彼女の歌を聞きにきた方々のために賛美歌「明日を守られるイエス様」。

坂井さん、1曲目は「君を大切に思う気持ち」ということばで始まるオリジナル。今日書いたばかりとのこと。そしてカバーで Make a Wish。前半最後は、ギターの先生の上浦さん、クラプトン・モデルのギターで、クラプトンの Change the World。ここで丸山さん差し入れのお菓子をいただきながら、休憩。スピーカーからはジュディ・コリンズの Amazing Grace など。








(Larger photos on Oread Facebook page)

後半、ぼくがカムサハムニダ、イ・スヒョン」からスタート。10年前起こったこの事故の歌のライブヴァージョンを、12月1日発売予定のぼくの通算10枚目にあたるアルバム『祈り』に入れた話をする。続いて、原田和男さん、和恵さんのピアノのサポートで「キリストには代えられません」。伊那から聞きにきてくれた方々のリクエスト。原田和恵さん、タイトルを聞きそびれたが、賛美歌2曲。松尾晃さん、「あきら伯父さんのカルチャー講座文学編 No. 5 幻の街―東京編」の朗読。懐かしい場所や人物の名前が矢継ぎ早に繰り出される poetry reading。最後は次の一節で締めくくられる。

  幻の街に幻の店があるように
  時代と時代のあいだにうたがあり芸術がある
  幻の街はこれからもずっと僕の中に
  生き続け受け継がれてゆくのだ


オーリアッドもいずれは幻の街の幻の店に・・・?

次に上浦さんと坂井さんの即興セッション。見事なブルーズ。坂井さん、震災後仙台にいったとき、ミュージックバーで演奏したという True Love。丸山さん、「白雪先生」と「70歳になったのだ」。丸山さんの歌のメロディはキャッチー。思いもよらぬときに口ずさんでいることがある。今夜の最後は松尾レミさん。「ダミーロックとブルース」、そして、1969年の夏の一大音楽祭典ウッドストックに思いを馳せて書いたという「ミュージック・フリーク」。前者を、彼女のバンド Glim Spanky の演奏で聞くことができる。YouTube。

実に多彩なオープンマイク。オーリアッドが目指す理想に近い。歌いに、そして聞きにきてくださった方々に感謝。

11時過ぎ、外に出ると路面がしっとりと濡れている。雨が降ったようだ。


November 4, Friday 2011

晴天の暖かい一日。終日ひまわり畑の整理。小枝を燃やし、オキを作った後、その上にひまわりの茎や種をとった殻を乗せる。よく燃える。時々小枝を補充する。全部燃やすため半日かかった。火を燃やしていたら、色づいた蔦がからまった大木が目に入ってきた。裏山に2本の鮮やかな幟が立っているかのよう。庭のモミジも、青空に映えて、色鮮やか。日本の秋は実に美しい。




夜、オーリアッド。「きのこライブ」の主宰者の野澤さんが、町民会館で「うつ病」に関する講演を聞いてきたと、寄ってくれた。「きのこライブ」に関しては大方、好評だったようだ。それにつけても雨が残念。それに、後半はけっこう寒かったようだ。今年は比較的暖かかったからよかったが、もし来年もやるとなると、雨と寒さに対する対策が必要かも。

遅くに原田さん。今日はかろうじて勝つ。詰が甘い。


November 3, Thursday 2011

文化の日。秋たけなわ。終日畑仕事。植えたもの、玉葱の苗200本。収穫したもの、ピーナツ、こんにゃく芋、里芋、大和芋、大根(少し)。取り壊したもの、ゴーヤの棚。ピーナツはいいものができなかったが、こんにゃく芋、里芋、大和芋は予想以上の出来だった。

大和芋は、普通の長芋(自然薯)に比べて掘り出しやすい上に、粘り気も多いようだ。来年は、もっと大和芋をつくってみようと思う。里芋は、茎と葉が大きいので、掘り出すのが大変と思っていたが、あにはからんや、土に埋まった茎の先端に小粒の里芋がぎっしりついていて、至極簡単。こんにゃく芋もいいのが3つとれた。小粒の瘤のようなものを種芋にして来年また植えることもできるらしいが、収穫できるまでに3年かかるとすると、ちょっと考えてしまう。今年は3年目の種芋をいただいて植えた。




小沢道雄著『本日ただいま誕生』(光雲社)読了。小沢師に本を書くように勧めた内山興正師の序文の言葉、「いわゆるの宗教家のように、ならいおぼえた教理の言葉をいっているのではない」に100パーセント同感。小沢師は書いている:

お前は、衣にかくれている、追求されると、なんともお答えができない。そこでまあ、私としては、両手を合掌して申し訳ない、と思うだけであった。つまりお返しのない、いただきっぱなしでいるより仕方のないことであった。そして、つらつら思うことは、お返しはできないけれど、日々の生活の態度として、「微笑を絶やさない」「人の話を素直に聞こう」「親切にしよう」「絶対、怒らない」ということを肚に決めて、これだけはしなくては申しわけないとやりはじめた・・・。(p. 268)

この4つとも簡単そうで、これほど難しいことはない。もう一冊古書店に注文することに。この本は最初、内山老師の本をたくさん出版した柏樹社から1958年に出ている。ぼくが読んだのは1998年に別の出版社(光雲社)から出たもの。40年前のオリジナルを手にしたくなった。オンラインで古書店を探し、検索したら、1冊400円というのがあった。早速注文する。

久々、原田さんと一局。完全に勝てたのに、勝ちを焦って防御を怠っていた。最後の最後、大逆転負け。そのあと、歌声喫茶帰りの丸山さんも加わり、四方山話。楽しいひととき。原田さんは、5000メートルで国体に出たことがある。最近トレーニングを再開し、70歳代5000メートルのマスターズ記録を塗り替えたいと意欲満々。丸山さんは、ウッドベースを始めたのは、大学卒業後、勤め始めてからとのこと。月給の何倍かの大枚をはたいて、エイヤッと松本の楽器店で買ったとか。今もそのベースを使っているとのこと。ということは、50年近く使っていることになる。そう思うと、案外安い買い物だったのかも。


November 2, Wednesday 2011

今日は久々に畑の仕事。昼前、ひまわり畑の整理。畑の真ん中に、ひまわりの茎、それに種をとったあとの殻を集める。しばらく燃えるがすぐに消えてしまう。全体がしめっていることもあるが、ひまわりの茎だけでは、オキが出来ないからだろう。先ずしっかりした木の枝を燃やしてオキをつくる必要がありそう。今日は燃やすことを諦めることに。

昼過ぎ、耕運機で玉葱用の畝を作る。耕運機の刃を「耕運」から「V字溝」に換えようとしているところへ、ほぼ毎日、昼食後、健康のために農道を歩いている村のおじさんがやってくる。「玉葱の苗は植えました?」と聞くと、「800本」とのこと。わが家はせいぜい200本。平らにならしたところに、V字の溝を作り、鶏糞を入れ、土をかぶせ、レーキの平らにする。明日はこの上にマルチをかけ、苗を植える。汗びっしょり。久々の畑仕事で疲れたが、気分はいい。

夜、オーリアッド。先日取り寄せた小沢道雄著『本日ただいま誕生』(光雲社)を読み始める。シベリアに抑留され、凍傷になり、満州に運ばれ、牡丹江で両足を切断された禅僧。中ごろを過ぎて、引き込まれる。そこへお客さん。

何かの会の二次会と思われる4名の紳士たち。コーヒーかなと思ったら、ジョニ黒とジャックのオンザロック。その一人の方がスピーカーのほうを見ながら「この音楽はお店でかけているんですか」と聞く。「はい」と言うと「ラフマニノフのピアノ・コンチェルト第2番ですね」と言う。それだけでなんとなく心が通じたような嬉しい気分。


November 1, Tuesday 2011

今日から11月。今年も残すところあと2ヶ月。

12時半、キャンパス着。上の段は、そのとき撮った生協前の広場の写真。下の段は、4時10分過ぎ、4講時のクラスのあと、4階の教室の北の窓から撮ったもの。もう暗くなりかけている。




今日は、キング牧師のスピーチの最後の部分の解説。その前に、ニューヨークタイムズに載ったモナ・シンプソンの追悼スティーブ・ジョブズ(A Sister's Eulogy for Steve Jobs) をA4一枚分に短縮し、プリントアウトして配る。モナ・シンプソンはスティーブの実の妹。小説家。UCLAの英文学教授。

感動的な追悼文。いくつか印象に残ったところを下に訳してみました。長い文の抜粋ですし、枝葉を省略して訳したところもあり、翻訳というより超訳といったほうがいいかもしれません。

                             ■

シングルマザーの一人っ子として育ちました。家は貧しかったし、父の祖国はシリアだと知っていたので、彼はオマー・シャリフに似ていて、お金持ちで、親切で、貧しい私たちに救いの手を差し伸べるため、いつか私の前に現れるてくれると夢見ていました。

フェミニストではありましたが、私はそのときまでずっと私を愛してくれる人、そして私が愛することができる人を待っていました。長い間、その人は私の父だろうと思っていました。25歳のとき、その人が現れました。その人は私の兄だったのです。ジーンズをはいた私の年齢に近い人でした。顔つきはアラブ系というか、ユダヤ人っぽいというか、オマー・シャリフよりハンサムでした。

アップルを追い出されたとき、兄は大きな苦痛を味わいました。当時の大統領との晩餐会に500人のシリコンバレーのリーダーが招待されました。しかし、兄には招待状は来ませんでした。彼は傷つきました。それでも彼は休むことなく毎日「ネクスト」へ働きに出かけました。一日も欠かさず。

目新しさは、兄にとって最も重要な価値ではありませんでした。彼にとって最も重要な価値は、美しさでした。彼は流行や、見せ掛けの格好良さを好みませんでした。彼の美学は、次の一文によく表されています― 流行は今の時点では美しいが、後になって醜くなる。芸術は最初のうちは醜く思えるかもしれないが、後になって美しくなる。

誰も、どのくらいこの地上にいるのかわかりません。私たちはみな、最後には、物事の途中で、物語が完結する前に、この世を去らなければなりません。何年も前から癌だった人の死を、突然だったと呼ぶのは正確ではないかもしれません。でも兄の死は私たちにとって、突然でした。兄の死から私が学んだことは、人格が、人となりが―彼がどんな人だったか、彼がどんなふうに死んでいったかが―最も重要だということです。・・・死が兄に起こったのではありません。彼が死を成し遂げたのです。

兄は私に「さよなら」と言ったあと、そして「計画していたように一緒に年老いることができなくてすまない」と言ったあと、「もっと素晴らしい場所へこれから行く」と言いました。

兄の最後の言葉は、単音節を3回繰り返したものでした。それは、

   わっ凄い!わっ凄い!わっ凄い! (Oh Wow, Oh Wow , Oh Wow)

(註)
*オマー・シャリフ: ドクター・ジバゴを演じたエジプトの俳優
*当時の大統領: ロナルド・レーガン


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