OREAD Diary
     
July 1-31, 2011

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July 31, Sunday 2011

朝食前、畑をひとまわりして野菜を採る。ここ数日の大雨で畑の土が柔らかい。朝食後、耕運機をかけられない部分の草を手で抜くことに。面白いように抜ける。新しく増えた小さいほうの畑だけで1時間以上かかった。簡単に抜けるとはいえ、中にはしっかり根が張っているものもあり、終わったあとは両腕が棒のよう。それに腰が痛む。

夜、岡谷のLake Suwa English Clubへ。今日のメインレッスンはジョン・トッドと孤児になった彼を引き取って世話をしてくれた叔母さんの話。A Mother Is Waiting。これを訳し正しいリズムで読む練習。先ずみなさんに訳をノートに書いてもらい、そのあと解説をし、そして、順番にリサイトしてもらう。英語を読んでわかったと思っても、実際にノートに日本語で書くと、いい訳が浮かばないことがある。セカンド・パラグラフの最後の行に、this endearing conversation took place とあるが、この endearing のいい日本語が思いつかず、「愛にあふれた」「愛情ある」「親しみのある」など、あれやこれや試行錯誤しながら訳していると、Oさんが「ほのぼのとした」はどうですかと言う。なるほど。これはいい。「ほのぼのとした会話が交わされた」。どちらが教えられているか分からない。

最後に7.8曲の歌。このクラスを始めたときは、英語の(歌の)リズムがなかなか難しかったが、今は全員しっかり歌える。Amazing Grace の中の wretch の 破擦音 tch もしっかり聞こえてくる。

午前中の草抜きで疲れたのか、今晩は異常に眠い。早く寝ることに。明日から8月。



July 30, Saturday 2011

森林生産組合の会合を中座して、オーリアッドへ。すでに聞きにきてくださった方々何人か。東京からきたお客さんにオーリアッドの雰囲気を味わってもらいたいと、伊那からきてくださった方。某大学の physiology の先生も。聞いてくださる方がいることは歌い手にとって励みになる。感謝。

藤森和弘さん、「人生に勇気」「子守唄のように」、そして「もうすぐ一年生」。次に「もうすぐ一年生」の主人公愛音ちゃんと妹の「きらちゃん」が「マルモのおきて」を口ずさみながらお遊戯を。きらちゃんは、オーリアッド初登場、客席からの掛け声や注視に圧倒されたのか、最初はもじもじ。お姉ちゃんの愛音ちゃんが終始リード。盛大な拍手喝采。きらちゃん、そしてステージには上らなかったもうひとりの妹の「みれいちゃん」には、また来てほしいもの。

丸山俊治さん、SF作家小松左京さんの死を悼み、丸山さんのSF風の歌「デノミの灰」からスタートし、「70歳になったのだ」、そしてお孫さんのために書いた、イントロが「風に吹かれて」ふうの「一番最後に」。続いて原田和恵さん、午後料理中に左の小指を怪我してピアノが弾けないとのことで、丸山さんに伴奏をお願いし「芭蕉布」。このコンビでレパートリーを増やすと面白いかも。

次に、飯田三人組。先ず、中島裕志さん、原田さんの沖縄の歌を受けて「ティンサクの花」、そして「ブラザー亭」。いつものことながら、中島さんのオートーハープの音色は美しい。島岡博さん、オリジナルは後半に、前半はカバーでと「静かな言葉になった」と「新長田の夜」。前者は以前にも島岡さんが歌うのを聞いたことがある。いい歌である。松下元英さんも前半はカバー曲「月の祭り」と「アイ・シャル・ビー・リーリースト」。後者は日本語と英語で、そして島岡さんがハープで、中島さんが客席からギターでサポート。今夜のハイライト曲のひとつ。

前半最後は赤羽真理さん、「私を待つ人がいる」。そして「千両梨の実」。ここで休憩。丸山さん差し入れの波田町のスイカをいただく。甘くてジューシー。感謝。










後半トップはぼくが、「雨にも負けず」のモデルといわれる斎藤宋次郎さんについての拙文を読み、「雨にも負けず」を歌う。続いて長島功さん、「転宅」とオリジナル「最後の手紙」。藤森さん、聞きにきてくださったお客さんに配慮して、「時代遅れ」と「イチゴ白書をもう一度」。後者は赤羽さんがボーカルでサポート。丸山さん、中島さんの「ブラザー亭」を受けて「長屋の路地」。そして今夜のハイライトのひとつ、新曲「小さな王様」。詩人丸山俊治。中島さん「サリー・ガーデンズ」と「風に吹かれて」。後者は島岡さんのハープのサポート。日本語と英語で。その日本語ヴァージョンはもとの歌詞の直訳ではないが、なかなか味わいある言葉。中島さんの言葉なのかどうか聞きそびれた。島岡さん、十代に書いたという2曲を新たなギターアレンジで。「外は雨」と「夕涼み」。松下さん、オリジナル曲を2曲。1曲目はタイトルを聞きそびれた。「君を初めて見たのは/どしゃぶりの雨の中」という言葉が含まれていた。2曲目は名曲「追憶」。最後に赤羽さん「人生の海の嵐に」と「ホーボーズ・ララバイ」。

赤羽さんが歌い終わったときはすでに閉店時間に近く、あまり歓談の時間がとれなかったが、今夜も皆さんのおかげで充実したオープンマイクになった。原田さんの穏やかで soothing なピアノが聞けなかったのが残念。早く怪我が直ってほしいもの。



July 29, Friday 2011


時々見知らぬ人から facebook 上で友だちになりたいというリクエストがくる。今朝も一人。L・ハントという人。彼の Home へ行き、彼の Info を見たら、高校はサンタローザのモンゴメリー高校、大学はUCバークレー、大学院はUCサンタバーバラとなっていた。現在、ウイスコンシン大学で哲学を教えている。

写真を見たが、見覚えがない。何年にモンゴメリー高校を卒業したか書いてない。Class of 64 のYear Book を取り出し、彼の名前と写真を探す。あったあった。見覚えのある顔。現在の髯面からは想像もできない童顔。親しく話したことはなかったが、いくつか同じクラスを取った記憶がある。無口だったが、優秀な学生だった。 Class of 64 とすると、バークレーは68年6月に卒業し、サンタバーバラにはその年の9月から行ったはず。一年間同じキャンパスにいたことになる。どこかで立ち止まって話したことがあるような気もしてきた。もちろん、friend request の confirm をクリック。

こんなふうに、遠く離れた昔の友人知人と再会できるなんて、一昔前は考えられなかった。

昼過ぎ、ちょっと横になったら3時間眠ってしまった。6時からオーリアッド。今夜は久々に賑やかに。スピーカーからはルイ・アームストロング。 La Vie en Rose と What a Wonderful World!

毎日がバラ色とはいかないが、それでもこの世界は何て多くの美と驚きに満ちていることか。


July 28, Thursday 2011

午後、2つのクラスで期末試験。最後の問題で、このクラスで良かったこと悪かったことを英語で書いてもらった。良かったこととして、多くの学生が歌を歌うこととスティーブ・ジョブズのスピーチを挙げた。教科書はいらないという者もいた。確かに教科書は退屈でつまらないものが多い。ドーシー先生は教科書を使わないと言っていた。ぼくもそうできたらいいのだが、現状では難しい。悪かったことに関しては、何人もの学生が教室が寒すぎると書いていた。歌を歌うために、隣の教室の邪魔にならないようにいつも窓を閉めている。それで蒸し暑くなるとエアコンを入れるのだが、ちょうど風が教室の真ん中にいる学生にあたるようになっている。温度設定はそれほど低くないのに、彼らには寒く感じられるようだ。

英語が苦手で、英語の勉強が嫌いだったが、歌を歌ったり、英語で email を書いたりしているうちに、いつの間にか英語に興味をもっていた、というのもあった。クラスで教えられることは少ない。自分で興味をもてば、独学でどんどん学ぶことができる。

先日、東京に住んでいる方から、松本に用事があるので、今日7月28日にオーリアッドを訪問したいというメールをいただいた。もう10年近く前、『追憶の60年代カリフォルニア』の感想をメールでいただいたのがきっかけで知り合った。吉祥寺の年末ライブにもきてくださったことがある。

今から5年ほど前、彼女から一冊の本が送られてきた。田草川弘著『黒澤明 vs. ハリウッド―「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』(文藝春秋社)である。面白くて一気に読んだ記憶がある。

彼女はかつて黒澤プロダクションの秘書をしていたことがある。この本のあとがきにも、「かつて黒澤監督や青柳プロデューサーの下で秘書として働いた経験をもつ宮沢淑子氏には、資料の収集やリサーチに協力していただいた」と記されている。

松本から戻り、7時過ぎオーリアッドへ行くと、すでにお見えになっていた。それからしばらく、家人とぼくはコーヒーを、彼女はジャックダニエルズを飲みながら、その本や黒澤明の映画、そして60年代のカリフォルニアなどについて、あれやこれや話す。気がつくとあっという間に10時過ぎ。松本へ行く電車の時間。家人が駅までお送りする。

彼女が今回松本に来たのは、一ヶ月前の地震で先祖の墓の石塔がいくつか倒れたという連絡をもらったからとのこと。お墓は南松本にあるというから、震源地に近い。明日は墓参りを兼ねて墓地へ行き、そのあと碌山美術館を訪問することにしているようだ。


July 27, Wednesday 2011

夜中に雨が降ったようだ。地面が濡れている。畑仕事は今日はやめて、隣町へ買い物に。古いDVDレコーダーだと録画がしずらいので、ブルーレイレコーダーを買いに。2つの家電店を覗いたが、どちらの店でも、ケーブルテレビのチューナーに「アイリンク (I-link)」という接続口がないと、予約録画するには、設定を2度しなければいけないとの説明。面倒だ。しかもリモコンがまた増える。家のチューナーにその接続口があるかわからない。今日は待つことに。家に戻って調べてみたら、ついていなかった。またまたお金がかかる。

午後、ミュージックライフ・プラスへ送るべき写真をいくつか送る。締め切りが過ぎている。間に合ってくれればいいが。

6時からオーリアッド。いつの間にか雨になったようで、静かな夜。ケビン・コスナーの Tin Cup なるゴルフの映画を見る。1996年の映画。ケビン・コスナーは好きだがゴルフには興味がない。見るともなく見ているうちに面白くなってきた。 Field of Dreams ほどに深くはないが、エンターテインメントとしては悪くない。類型的な話ではある。

明日は、木曜日の2クラスの期末試験。



July 26, Tuesday 2011


朝11時半家を出て松本へ。山麓線を行く。12時前、いつものようにNHKのニュースを聞こうとカーナビのテレビをつける。運転中、映像は見れないが、音声は聞くことができる。しかし、少し変だ。雑音しか聞こえない。チャンネルを変えてみる。変化なし。何の音声も聞こえない。雑音だけ。ようやく気がついた。カーナビのテレビも7月24日正午をもって見られなくなったんだ。

木曜日、授業としては最後の日。内容は、スティーブ・ジョブズのスピーチ; いくつかの歌の映像; そしてディクテイション。最後に歌う。ほとんど時間がなく、最初のクラスでは1曲。最後のくらすでは3曲。

ジョブズのスピーチの second story と third story を読み、若干の解説を加え、そのあと、15分間のスピーチを全部見る。

Second story に、アップルを首になったあと、一世代前の起業家たち、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに、彼らから渡されたバトンを落としてしまい、彼らが始めたことを台無しにしてしまったことを謝罪しに行くところがある。

I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly.

今まで彼らのことを名前ぐらいしか知らなかった。デイヴィッド・パッカードが、ヒューレット・パッカード社のパッカードと思てはいたが詳しくは知らなかった。ボブ・ノイスについては名前をどこかで聞いたことがあるという程度だった。今日は少し調べて、彼らについて話す。

歌の映像に関しては、先週見たのとは違う映像を見つけ、そのいくつかを見る。オリビア・ニュートンジョンの Take Me Home, Country Roads と Westlife という男性合唱団の The Rose 。それにエイミー・ワインハウスの All My Loving とナナ・ムスクーリの Amazing Grace

最後のクラスが終わったあと、一人の学生が歌詞を見ないで10曲歌うことに挑戦してきた。上手い。発音がいい。でも結果は3曲可、7曲不可。覚えようというその心意気やよし。

6時過ぎ家に着くと、家人の声が畑から聞こえてきた。かなり怒っている。「聞いて、聞いて。私がここでジャガイモを掘っていたら、猿がきて、トウモロコシをとっていったのよ。くやしい」。気がついて声を出したら、猿は逃げて行ったとのこと。一匹の猿はトウモロコシをもって、もう一匹は手ぶらで。

今夜疲れて何もする気力が湧かない。早く寝ることに。
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July 25, Monday 2011

朝、「おひさま」の出産シーンを見たあと、家の裏の密林地帯の草刈りと梅ノ木の剪定。そのあと、畑をまわって野菜を採る。ナス、ピーマン、キュウリ、トマト、トウモロコシ、ゴーヤ。最後にジャガイモ。今年は、雨が降り、気温が高いせいか、野菜がよく育つ。特に、ナスは毎年失敗するが、今年はとてもいい。ゴーヤもいい。トマトはまだ赤いのは少ない。

トウモロコシの近くに、真上を向いて咲いているヒマワリがあった。珍しい。真上から写真を撮る。ノウゼンカズラもきれいに咲いている。ピンクの薔薇が6つも咲いていた。その横は、季節はずれの紫木蓮。最後の写真は、サラダゴーヤ。普通のゴーヤよりも色が白く、イボも少ない。苦味も少ないらしい。




夜、NHKスペシャル「なでしこジャパン 世界一への道」を途中から見る。感動が蘇った。よくあの状況で勝てたもの。澤選手を中心としたチームワークの勝利。番組の中で淡々とかたるワムバック選手の表情がよかった。コメントそのものも。彼女は、延長戦前半でゴールを決めたときは勝ったと思ったと言い、そのあと、澤に同点のゴールを決められときは、アメリカチームには戦う意欲が残っていなかったと述べた。PK戦の結果がそのことを如実に示している。


July 24, Sunday 2011

昨夜オーリアッドに着いたとたん電話があり、今日の午前中、森林生産組合の山仕事に出るようにとの連絡。午後1時に昔の友人が訪ねてくる予定だが、10時ごろには終わるとのことで参加することに。ヒノキに巻き付いている蔓を鎌で切り取る作業。作業そのものは重労働ではないが、山の斜面にジャングルのように密集して生えている木や背の高い草の中を進むのが大変。10時には終わりそうもない。休憩のあと、失礼させていただくことに。



午後1時、オーリアッドで斎藤君に会い、自宅へ。彼によるとぼくが69年に帰国し、京都へ行く前、ICUに立ち寄ったことがあって、そのとき彼に会ったとか。そういえばそんな気もする。そうすると、ほぼ42年ぶりの再会ということになる。彼は、ICU在学中にイスラエルに行き、キブツに滞在したあと、世界の国々を旅して歩き、現在は宝石とアンティークを扱う仕事をし、マリブに住んでいる。マリブはアメリカのセレブが多く住む町。将来伊那谷の古民家を改修して住みたいとのことで、今回下見にきたのである。ICU、キブツ、古民家。この3つが揃えば、白馬童子さんしかいない。電話をしたが、留守だった。



何もご馳走できなかったが、とれたばかりのトウモロコシときゅうりとトマトを食べてもらう。コンピュータに詳しく、いくつかアドバイスを受ける。とくにスカイプについて。昨夜から茅野のホテルに泊まっているとのことで、5時過ぎ、茅野へ。明日は伊那谷を下ってみるとか。

家人いわく、「あなたの友人には変わった人が多い」。確かに。

そうそう、レスベラトロールの話題になった。日本に住む友人に頼まれ、レスベラトロールの最高級品を買ってきたとか。彼自身も飲んでいるようだ。


July 23, Saturday 2011

素晴らしいオープンマイクになった。前半は高校生3人のエネルギッシュな演奏に圧倒され、後半は太田裕士さんの卓越したサックスに魅了される。

開店と同時に、今井君が入ってくる。高校3年生。中学3年生のときから知っている。その頃はただがむしゃらにかき鳴らすだけだったギターが、今や見事なテクニックを駆使して、フォーク、ロック、ブルーズを弾きこなす。ハーモニカでセッションをしたいとのことで、 Amazing Grace を一緒にやってみる。ベンドを多用したファンキーなサウンド。凄い。中学の同級生だった足助君がやってきて、二人でセッション。「神田川」を歌っていたかと思うと、途中からブルーズに。「神田川ブルーズ」。続いて今井君のオリジナル「Three, Two, One, Go」。ロックンロール。そして足助君、「ぐりぐり眼鏡と月光虫」。

ぼくが「雨にも負けず」「こおろぎが歌うように」「中谷勲」を歌ったあと、蚊山遊三こと丸山俊治さん。歌い始める前に、8月に行われる同級会の話。その同級会で「蚊山遊三コンサート」が行われることになり、その旨の案内をはがきで知らせたところ、カリフォルニア、セントアンドゥリュースに住む同級生(女性)から、参加したい旨の電話があったとか。「山スキーの歌」「おじさんたちよ」「今日の日は本日かぎり」「さあ今から」など。丸山さん初期の名作の数々。最後の曲には今井君のハープ付き。そのあと、もう一人の同級生登場。有賀君。彼の歌の上手さは折り紙付き。森山直太郎の「さくら」と「乾杯」。後者は途中からロックンロールに。

赤羽真理さん、「旅人の木」「驚くばかりの」「千両梨の実」。2曲目は、今井君がハープで、丸山さんがピアノで参加。原田和恵さん、「ラルゴ」「ささやかなこの人生」「糸」の3曲。2曲目は高校生の演奏に触発されて。ここで休憩。











後半は、今井君から。オリジナル・ロックンロール2曲。足助君「ピアノ・レッスン」「春の」。有賀君、今井君のギターのサポートで「もののけ姫」「粉雪」。それぞれに個性ある熱いパフォーマンス。彼らの熱演を受けて原田和男さんがエールを送る。彼らと同じ年頃、陸上競技に熱中した話。そして5000メートルの長野県代表として国民体育大会に参加し4位に入賞した話。毎日のひたむきな努力の大切さを説く。丸山さん、「白雪先生」「70歳になったのだ」。2曲目は、高校生に配慮して、若干自粛した言葉があったような。原田和恵さん、丸山さんのピアノのサポートで、センターで「芭蕉布」。そして「G線上のアリア」。赤羽さん、「ホーボーズ・ララバイ」「人生の海の嵐に」。

原田さんがピアノを弾き始める前に、剃髪した二人の中年男性が「威風堂々」と入ってきた。アーリータイムズをボトルで注文。僧侶か、はたまた別の生業を営む人か。居合わせた人はみな不安げな面持ち。いや、そう感じたのはぼくだけか。しかしステージの演奏をしっかり聞いている。ちょっと安心。

赤羽さんの演奏中に入ってきた太田裕士さんに演奏をお願いする。「パーカーズ・ムード」とオリジナル「天の河原で」。太田さんの演奏がが始まるやいなや、二人は、特に背の高いほうの人は、身を乗り出すようにして聞いている。これを見てさらに安心。2曲目が終わると、その人が口を開いた。「デイヴィッド・サンボーンを演ってくれないか」。太田さんがそれに応えて、「じゃあ、Isn't She Lovely? を」と言う。その人は「スティービー・ワンダーだね」。これを聞いて、完全に不安が払拭された。

別の生業の人ではないとすると、仏教関係か。ここで終了することもできたが、彼らの正体が知りたいと、仏教関係の人であればお経の入った歌を、そうでなければ別の歌を歌おうとぼくがステージへ。「ひょっとするとお坊さんですか」と聞くと、背の低いほうの人が「仏教とは関係ない。むしろキリスト教だ」という。そこで「祈りの歌」を歌うことに。歌い終わると、背の高いほうの人が、「ピアノとギターとサックスで何かやってくれ」という。それで最後に Amazing Grace のセッション。ピアノ、丸山さん、サックス、太田さん、ギターとボーカル、赤羽さんとぼく。とてもいい感じだった。

そのあとしばし歓談。その中で彼らはキリスト教とは無関係で、背の低いほうの人はおやじギャグの名手であり、背の高いほうの人は若い頃からの熱狂的なジャズとビートルズのファンであることが判明。若干閉店時間を過ぎたが、楽しいひとときになった。そして、背の低いほうの人は、昔(20年前?)お会いしたことがあり、彼のお父さんとぼくの母は知り合いだったことが判明。Isn't it a small world?



July 22, Friday 2011

今朝は寒くて目が覚めた。朝食後、涼しいうちにヒマワリ畑を耕運機で起こす。雑草対策。太陽が上るにつれて暑くなり、汗だく。そのあと、芝刈り。明後日の日曜日、ICU時代、同じ寮にいた友人がマリブから訪ねてくる。少しはきれいにしておかなければ。

芝刈りのあと、野菜の収穫。今、ナスとキュウリがよく採れる。それにシシトウも。ゴーヤの棚へ行ってみる。先日見たときは小指ほど大きさだったが、かなり大きくなっている。しかもたくさん。春先にこの棚に投資しておいてよかった。

これだけで、かなり時間がかかってしまった。1時間半は働いたと思う。シャワーを浴び、体重を量る。1キロほど減っている。希望の数字にはほど遠いが。




疲労困憊。昼食後、2時間ほど午睡。6時過ぎ、オーリアッドへ。

明日のオープンマイクのため、日曜日に松代藩の文武館で歌ったときにもっていったマイクスタンドを並べ、マイクをセットする。いくつか歌ってみる。マーティンの音にもようやく馴染んできた。Actually it is a vey good guitar


July 21, Thursday 2011

木曜日のクラスは今日が最後の授業。今学期歌った全10曲の映像を見、スティーブ・ジョブズのスピーチの後半3分の2を見る。学生たちが歌の歌詞を、そしてジョブズのスピーチを聞き取れるようになってくれたらいいのだが。来週試験。

クラス終了後、中国からの留学生チン・ヘイ君が Take Me Home, Country Roads のコードを覚えて歌えるようになったというので、講師控え室で聞かせてもらうことに。控え室には誰もいず、好都合。しかも椅子の上にはジョン・クーンズのマーティンが。ヘイ君はギターを始めたばかりだが F もちゃんと押さえられる。でも to the place I belong の belong のところが高すぎて歌えないという。必ずしもオリジナルのキーで歌う必要のないこと、そしてカポでキーを変えることができると話す。



そこへ、ジョンが入ってきた。ジョンはしばらくヘイ君が弾くの聞いていたが、ギターを手にすると彼のオリジナルを弾き始めた。言葉はまだないという。ジョンは2,3年前にギターを弾き始めたが、今やすばらしいギタリストになった。彼が Hotel California のイントロを弾き始めたところへ内川先生が入ってきて、「私、その歌好き」という。ヘイ君も知っているとのことで、歌詞をプリントアウトして、ジョンのギターに合わせて歌うことに。そのほか Imagine も。


今日は家人が野辺山の友人に会いにいくというので、6時までにオーリアッドへ着くようにすると約束したが、控え室を出たのが5時20分、間に合わない。ケイタイを家に忘れ、連絡できない。家に着くとすぐに家人から電話。6時少し過ぎオーリアッドに戻ったとのこと。よかった。

7時前、オーリアッドへ。家人と交代。しばらくして原田さん。バイクでやってきた。早速一局。また負けた。あまり負け続けると、もう相手にされなくなるかも。

中村とうようさんが亡くなった。享年79歳。ポピュラーミュージック評論の大御所。オンラインのニュースで知る。一度もお会いしたことはないが、彼の名前も風貌も、雑誌や新聞を通してよく知っていた。ボブ・ディランの最初の数枚の日本盤ライナーは彼が書いていたように思う。歯に衣着せぬ評論は、同意できない場合でも、感銘を受けたものだ。遺書らしきものが書かれていたとのこと。なぜそうしなければならなかったのか、できたら知りたいものだ。何かに絶望したのか、あるいは、方針に沿っての決断だったのか。



July 20, Wednesday 2011

朝起きると雨がかなり降っている。朝食後しばらくして、防災無線がなり、町長のメッセージ。今日は午後大雨になる恐れがあるので注意するようにとの呼びかけ。

昼食後、雨がやんだので横川川がどのくらい増水しているか見に行く。いつもとほとんど変わっていない。そのあと、城山公園まで歩く。歩く道にも背の高い草が生えていて歩きづらい。道の両脇にいろいろな花が咲いている。

帰りはいつもと違うコース。国道を横切り、横川川に架かっている「どうど橋」を渡り、ぐるりと回って帰ってきた。「どうど橋」からも写真を一枚。水量は多くない。






その後も雨は降らず、豪雨の心配はなくなった。

夜、オーリアッド。静かな夜。遅くに一人のお客さん。音楽について、ライブについて、四方山話。オーリアッドを大切に思ってくれる人がいると知ることは、うれしいこと。


July 19, Tuesday 2011

朝から雨。台風6号の影響。畑が乾いているのでありがたい。各地に豪雨被害が出ているので、手放しではよろこべないが。

午後2コマのクラス。学生たちはもちろんみんな知っていることなので、今更ながら話すこともないと思いながら、両クラスともに、話してしまった。澤選手の奇跡的なゴールと、キーパー海堀選手の神がかり的なPK戦一本目の阻止。

家に戻り、ネットをサーフしていたら、Missed chances haunt U.S. in final loss という記事が出てきた。その中にわが意を得たりと思えるところがあった。


However, player of the tournament - Homare Sawa - produced a goal for the ages with four minutes left, striking the ball past Solo with the outside of her right boot from a Miyama corner.

It was a goal worthy of a final, and worthy of a champion. This was arguably the best World Cup final - men’s or women’s - since 1966, what with the drama and emotion and sheer twists and turns of it all.


しかし、MVPに輝いたホマレ・サワは残り4分で一世一代のゴールを決めた。ミヤマがコーナーから蹴ったボールを彼女は右足の外側に当て、キーパーのソロを抜いてゴールに蹴りこんだのだ。

決勝戦にふさわしい、勝者にふさわしいゴールだった。この試合はおそらく間違いなく、男子女子を問わず、1966年以来、最高のワールドカップの決勝戦だった。それほどに劇的で予期せぬ展開にあふれていた。


July 18, Monday 2011

朝5時に目覚め、サッカー女子の決勝戦をまだやっているはずと、階下へ降り、TVのスイッチを入れる。後半戦が始まっていて、まだ 0-0。半分が過ぎた頃、アメリカが点を入れ、このまま行くかと思ったら、日本がその10分後に1点返した。

ここで家人を起こしに行く。試合は1-1 のまま延長線へ。延長戦前半アメリカの Wambach がヘッディングでゴール。これで万事休す。ところが奇跡が起こった。後半残り3分、澤が宮間のコーナーキックを後ろ向きのまま右足の甲で蹴ると、数人のディフェンスの隙間を縫ってゴールにつきささった。こんな劇的なゴールを見たことがない。

PK戦の前、円陣を組んだ日本人選手たちの笑顔に驚いた。監督も笑っている。逆にアメリカの選手たちは緊張した面持ち。アメリカが先攻を取り、最初のキック。これまた驚いた。キーパーの海堀が体は左に跳んでいるのに右脚を思い切り右に延ばし、ゴールを阻止したのである。PK戦 3-1。日本優勝。

大柄なアメリカ選手の前でも、大観衆の前でも、物怖じしない日本の女子選手たちに驚いた。感動した。

今日一日テレビはどこもこのニュースで大賑わい。

延長戦で身を挺してファウルをおかし、レッドカードで退場になった選手も優勝に貢献したことは間違いない。



July 17, Sunday 2011

最高に暑い一日。同時に、印象に残る一日に。

12時少し過ぎ、松代藩文武学校着。「まつしろ現代美術フェスティバル」の会場。ぼくが歌うところは文学所と呼ばれる広い畳の部屋。木村仁先生の折り鶴のモチーフの写真が飾られた床の間を背に、機材をセッティング。これだけですでに汗だく。

最初はどうなることかと思ったが、開演時間が近づくにつれて三々五々お客さんが集まってくる。千葉からは吉田さんが駆けつけてくれた。1時になりスタート。なぜこのフェスティバルで歌うようになったか手短に話し、「碌山」を歌う。そして2曲目の「カムサハムニダ、イ・スヒョン」の前に、このフェスティバルとぼくを結びつけてくれた韓国について語る。続いて、「中谷勲」。その後、ぼくと60年代後半のカリフォルニアとの関係を語り、「バード・オン・ザ・ワイヤー」と「ガビオタの海」。最後に「祈りの歌」。「祈りの歌」の3番が終わり、ハーモニカを吹いたら、とんでもない音。「ガビオタの海」のEのハーモニカのままだった。慌ててAのハーモニカに換えて、その部分からやりなおし。

終わりよければすべて良しだが、終わりに失敗してしまった。それでも全体としては悪くはなかった。木村先生からは「史跡松代藩文武学校の畳の中での演奏は、思いの外しっくりマッチしていたような意外な不思議な感じが響き合いとても良かったです」とのメールをいただいた。吉田さんのメールには「松代文武学校のコンサートは,とてもよかったです。歴史ある日本建築に,歌とギターがよくあっていました。外は暑かったのですが,コンサート会場に吹く風が気持ちよかったです。日本建築はすばらしいと思いました」。


部屋の中もかなり暑かったが、時折り、風が大広間を吹き抜けて行った。開口部の多い日本建築ならではの心地よさ。忘れていたその感覚を味わえただけでも、今日はよかった。







機材を片付けたあと、現代音楽が演奏されている槍術館へ。すわってさあこれから聞こうとしたら、終わってしまった。正味30分の演奏だったようだ。ちょっと残念。その後、象山地下壕へ。駐車場がないというので、象山神社の駐車場に車を止め、歩くことに。500メートルほど、昔の武家屋敷の風情が残る松代の町を歩くと、象山地下壕の入り口着。ヘルメットを渡される。家人が以前来たときにはヘルメットはかぶらなかったとのこと。「入場料は?」と聞くと、「無料です」。

百聞は一見ににしかず。固い岩盤によくこれだけの地下壕を掘ったもの。曲がりくねった地下壕を1000メートルは歩いたと思う。洞窟の中はとても涼しい。朝鮮半島から強制的に徴用された人たちの話はまた別の機会に。

再び、別の道を通って、象山神社へ。お参りをし、帰路に着く。炎天下、長距離の運転をしたにもかかわらず、それほど疲れていない。レスベラルトロールの効果か、充実したいい一日だった。


July 16, Saturday 2011

フィラデルフィア出身のモニカ・ペイスさんを迎えてのオープンマイク。彼女が歌った歌は何と、ジョニー・キャッシュ、ハンク・ウイリアムズ、そしてジェイムズ・テイラー。年に似合わず古いカントリー。堀越夫妻のナナオ・サカキの詩を歌い、朗読する試みもよかった。

最初に到着したのはモニカさんとモニカさんを紹介してくださった金沢さん。他の人はまだ誰もいない。少し音を出してもらい、他の人たちの到着を待つ。初めてということもあり、トップバッターを藤森和弘さんにお願いする。「人生に勇気」「子守唄のように」、そして彼が師匠と慕う人の「夜明け」。モニカさん、ジョニー・キャッシュの「フォルサム・プリズン・ブルーズ」から。そしてハンク・ウイリアムズの「ロンサム・ホイッスル」と「オールド・ログ・トレイン。名取友紀子さん、「オーバー・ザ・レインボー」「シェルブールの雨傘」。

堀越哲朗さん、今日はギターとハーモニカで、自ら曲をつけたナナオ・サカキの詩「ラブ・レター」を歌う。奥さんの芳江さんは踊りながら、足首に巻いた鈴を鳴らす。次に哲朗さんが「鏡 割るべし」というナナオの詩を朗読し、芳江さんが、英語ヴァージョン Break the Mirror を朗読する。英語ヴァージョンのほうがわかりやすかったので、そのコピーをくださいとお願いしたところ、それはぼくがURLをお送りしたハワイの新聞の記事に載っているとのこと。もう何ヶ月前のことだろう、スーザン・ブランツが Facebook にハワイの友人アルバート・サイジョーという詩人が亡くなったと書き込み、11年前の新聞記事のURLを載せていた。

そのURLを哲朗さんに送り、いつかナナオサカキの詩を朗読してくれないかとお願いしたのである。そうお願いしたのは、哲朗さんがナナオ・サカキの友人で彼の詩の本の編集者と思い込んでいたからである。哲朗さんが編集した詩集は山尾三省さんの詩集『銀河系の断片』(幻戯書房)だった。でもぼくの勘違いによって、ナナオ・サカキ詞、堀越哲朗曲の「ラブレター」という素晴らしい歌が生まれた。

原田和恵さん、ますます「おひさま」の陽子に似てきたような。シューベルトの「アベマリア」のピアノと「ゴッド・ブレッス・ユウ」の弾き語り。前半最後にぼくが「中谷勲」と「祈りの歌」。10分休憩。








後半トップは原田和夫さんのスピーチ。先週大型バイクに乗って同級会に出席するために、佐久へ行ったときの話。帰路、昨年に続き白雪先生にお会いしてきたようである。今年72歳の原田さんだが、確実に「鏡」を割っていて、あるいは「鏡」を無視して、永遠の青春を生きている。赤羽真理さん、「旅人の木」「千両梨の実」。モニカさん、ジェイムズ・テイラーの「カントリー・ロード」とアルバート・キングの「カンザス・シティ」。名取さん「赤いスイトピー」。次に哲朗さんのエスラジに合わせて芳江さんが、『千と千尋の神隠し』より「いつも何度でも」。長島功さん「最後の手紙」。原田和恵さん「G線上のアリア」と「そばにいるよ」。次に今日は最初と最後をお願いした藤森さん、「今日は土曜日」と名曲「大空と大地の中で」を熱唱。

その後、しばし歓談。今夜は演奏者も聞きにきてくださった方も多く、大いに盛り上がった。オーリアッドが、さまざまのジャンルのパフォーマーが集い、互いの演奏に耳を傾け、刺激し合い、学び合える空間になれたらと思う。


July 15, Friday 2011

朝、9時過ぎ、神事のための「そよぎ」を採りに、神社総代のFさんの軽トラで裏山へ。今度の日曜日に区の神社で行われる大祓の儀には、「まつしろ現代美術フェスティバル」に出演するため参加できない。それで、その準備を少し手伝わせてもらうことに。赤松の林がきれいだった。「そよぎ」はすぐに見つかり、7.8本の枝を切り取り、軽トラに乗せ、神社まで運ぶ。



山から戻ったときは、10時過ぎ。すでに陽射しは強く、気温も上がっていたが、ひまわり畑の草があまりにも伸びているので、耕運機をかけることに。手で抜かなければいけないところもあって、1時間ほどかかってしまった。汗びっしょり。そのあといくつか写真を撮る。

赤いトラの風船は猿よけのため。子供のおもちゃのようだが、少しは効果があるようだ。
真ん中の列・左はひまわり畑。中は、こんにゃく芋の「木」。だいぶ大きくなった。その右は、イノシシに荒らされた東側の花壇に咲いた花。「タイマツソウ」というらしい。下の列・右は、沙羅双樹の花。可憐である。





昼食後、午睡。そのあと、ミュージックライフ・プラスのためのプロフィールを書こうとしたが、これが難しい。とりあえず、『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットの写真だけ送る。プロフィールは明日送ることに。

オーリアッド。遅くなって日曜日の松代での演奏に向けて練習。山と畑で疲れたのか集中できない。なんとかなるだろう。



July 14, Thursday 2011

今日も暑い一日。

午後、2クラス。今日の歌は We Shall Overcome。これで前期で歌う歌を全部歌ったことになる。全10曲、歌詞を見ないで歌える学生が出てきてほしいもの。外国人が日本語の歌を正しい発音で10曲完璧に歌うことができたら、おそらく誰もがその人の日本語はたいしたものだと思うだろう。その逆を考えれば、英語の歌を10曲(後期分を加えれば20曲)、歌詞を見ないで歌えることの価値がわかるというもの。

帰路、ユニクロに寄り、Tシャツを6枚購入。先日七夕コンサートで京都にいったとき、Tシャツがなくなり、たまたま河原町にあったユニクロでTシャツを買った。このTシャツが実に着心地よかった。汗をかいてもべとつかない。首周りがしっかりしている。それでいた首を圧迫しない。袖の長さが長過ぎず、半袖のシャツの下からはみ出ない。しかも2枚で990円。

7時過ぎ、オーリアッドへ。ジブランの方々がすでにお見えになっていた。

夜11時過ぎ、家に戻ると大きな月が南の空に。調べてみると、今月の満月は明日15日の午後3時50分。でも今夜の月も満月のよう。美しい。2階のベランダに出て写真を撮る。大きな蜘蛛がいて、それも写真に。真っ暗なのでフラッシュをたいたら、蜘蛛が白くなってしまった。




July 13, Wednesday 2011

一昨日に続き、中学へ。2時間目と4時間目にブックトーク。この時期に3年生の前でブックトークをするのは今年で4年目。司書の上島先生が人権や公民権運動について生徒に読ませたい本を紹介したあと、ぼくがいくつか関連する歌を歌うというもの。ぼくの歌が先生の邪魔をするのではなく、少しでも生徒たちが本に関心をもつ役に立ってくれればいいのだが。

給食の冷麺と牛乳をいただいたあと、家に戻り、1時間ほど午睡。「午睡」ということばの響きがいい。暑い夏の日、スダレを通して入ってくる涼風を感じながら、まどろむ感じ。実際はスダレではなく網戸ではあるが、いい風が入ってくる。

午後3時半、月に一度の定期健診。血圧は121/82というぼくにとっては驚異的なもの。聴診器を当てられることもなく、少々雑談をして、「特に問題ありません。大丈夫です」。

6時、オーリアッド。『安曇野』第三部を読む。中谷勲さんに関連する部分。この本は小説なのでどこまで実際にあったことかわからないが、中谷勲さんは碌山の実家を柳宗悦や白樺派の先生たちと訪ね、「女」像を、母屋のすぐ近くに建てられた「碌山館」(現在の碌山美術館とはちがう)で見ている。井口喜源治さんについて書かれたところでは、奥さんを始め、子供たちは彼の思想や行動にかなり迷惑を受けている。一人の偉人の背後には、たくさんの迷惑をこうむった人がいるのかも。

ウォーキング帰りの二人の年配の女性、「暑い、暑い」と言って入ってくる。彼女たちはたいていココアを注文するが、今日はさすがに「アイスコーヒーを!」。帰るときは「寒い、寒い」。エアコンが効き過ぎていたようだ。

遅くなって少し歌の練習。マーティンの音は赤いタカミネと違って、大きな音が出る。しばらくこのギターを使ってみようと思う。


July 12, Tuesday 2011

今日も暑い日。夕方、家に着くと同時、どしゃぶりの雨。まさに buckets of rain バケツをひっくり返したような雨。遠くで稲妻が光り、雷も鳴っている。一気に気温が下がり、涼しくなる。

2コマ目の授業が終わり、事務局の職員用通路から中庭に出ると、しゃがんだ男の人の後姿が遠くに見える。蛇口から水を出して何かを洗っているようだ。歩いて近づくと、その人が立ち上がり、振り返った。な、なんと、「まつしろ現代美術フェスティバル」の創始者であり代表者である木村仁さんだ。長野市にある信州大学教育学部の先生。前期2回、後期2回、彫像を教えに松本キャンパスにくるとのこと。日曜日に文武館にいけなかったことをわび、「韓国のアーティストの方々はまだいますか」と尋ねると、「もう帰ってしまった」とのこと。残念。彼らに「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を聞いてほしかった。

夜になっても断続的に激しい雨。しかし、9時ごろには大雨警報は解除されたようだ。とにかく異常気象だ。熱中症でなくなる人の数も今年は例年になく多いようだ。気をつけなければ。

スプレイングをやめないソフィーを追い回したあと、明日の中学でのブックトークの準備を少し。それからレスベラトロールについて調べる。YouTubeにもかなりアップされている。例えば: http://www.youtube.com/watch?v=-9HbdhI_ffQ


July 11, Monday 2011

8時半、中学校へ。司書の先生とのコラボレーションで公民権運動とキング牧師についての特別授業。1時間目と2時間目の2回。3年生の2クラス。50分の前半を司書の先生が公民権運動に関する本や絵本を紹介し、後半ぼくが先ず「アメイジング・グレイス」の詩を書いたジョン・ニュートンについて語り、ファースト・ヴァースを歌う。そのあと、ローザ・パークスの歌、そしてキング牧師の活動とワシントン大行進について語り、「私には夢がある」を歌う。英語の歌ばかりではいけないと、1時間目のクラスでは最後に斎藤宗次郎さんについて語り、「雨にも負けず」を歌う。2時間目のクラスでは、「中谷勲」。司書の先生によれば、「中谷勲」を、子供たちは真剣に聞いていたとのこと。人権について語ることは難しい。

午後は、ソファでうたた寝。目が覚めたら、テレビで動物が登場人物の映画をやっていた。豚と蜘蛛が主役のようだ。見るともなく見ているうちについ引き込まれ最後まで見てしまった。『シャーロットの贈り物』。

ハンダマなる沖縄の野菜が大きくなった。お昼にサラダに入れ、夕食にはテンプラにしていただいた。特に美味というものではないが、身体にいいらしい。鉄分、アントシアニン、ポリフェノールを大量に含んでいて、沖縄では「不老長寿の葉」といわれているらしい。これらのキーワードは、6月12日にNHKが放映した長寿遺伝子に関する番組を思い出させる。

この番組を見て、アメリカからサプリメントを取り寄せた。「サーチュイン遺伝子」という名の長寿遺伝子の機能を高める「レスベラトロール」というサプリメント。それを毎日飲んでいる。もう3週間になるだろうか。断定的なことは言えないが、効果があるようだ。先ず、シワとシミはなくなってはいないが、以前より少なくなった(気がする)。顔色がよくなっている。はっきり数字に表れたのは血圧。コンスタントに130/90以下。以前は140/95 だった。今日昼間計ったときには120/80というぼくには驚異的な数字。

断定的に言うためには、もう少し「実験」を続ける必要がある。

What Is Resvertrol?

Resveratrol is a powerful antioxidant that is produced by some plants to protect against environmental stresses.  It is more commonly known, however, as the active ingredient in red wine that protects against heart disease.  Resveratrol very likely has more health benefits than protecing against heart disease however. According to Australian researcher Lindsay Brown, the author an upcoming Resveratrol study, "The breadth of benefits [of resveratrol] is remarkable ? cancer prevention, protection of the heart and brain from damage, reducing age-related diseases such as inflammation, reversing diabetes and obesity, and many more...It has long been a question as to how such a simple compound could have these effects but now the puzzle is becoming clearer with the discovery of the pathways, especially the sirtuins, a family of enzymes that regulate the production of cellular components by the nucleus."  Further, "...resveratrol turns on the cell's own survival pathways, preventing damage to individual cells," and Resveratrol " remov[es] very reactive oxidants in the body and improv[es] blood supply to cells."  Moreover, "...low-dose resveratrol produces cellular protection and reduces damage, while high-dose resveratrol prevents cancers."


July 10, Sunday 2011


昨日、関東甲信越地方の梅雨があけ、昨日も今日も朝から猛烈な暑さ。これでは畑の作業は無理。松代現代美術フェスティバル会場へ、来週日曜日の下見を兼ねて、展示されている作品や今日発表されるパフォーマンスを見に行こうかとも考えたが、明日と水曜日の午前中、中学の図書館で、3年生のクラス毎に、社会科の授業の一環として、公民権運動、そしてキング牧師のスピーチについて語り、歌うよう依頼を受けている。炎天下松代への往復のドライブは体力の消耗が激しすぎると思われ、止めることに。

それで前からお伺いしたと思っていた中谷勲さんの生家を訪ねることに。今日は、先日「ほたる祭りライブ」に来てくださり、過分なご祝儀をいただいたことに対するお礼を述べるだけにし、資料は改めて夏休みに見せていただこうと思い、前もって連絡を差し上げずに伺った。ベルを鳴らすと奥様が出てこられた。中谷勲さんは奥様の実の伯父さんに当たる。「主人は留守ですが、すぐに呼んできます」と言う。「どこにいますか」と聞くと、「お墓へ行っている」とのこと。早速案内していただくことに。中谷満さんはお墓で草取りをしていた。先日のお礼をいい、しばらく立ち話。期せずして墓参ができた。

お寄りするつもりはなかったが、熱心に勧められ、結局お邪魔することに。たくさんの資料を見せていただく。写真は、武者小路実篤、柳宗悦、岸田劉生等からのはがき。長野師範に入学したときの記念写真。戸倉小学校から譴責処分されたときの文書。それに「信州白樺運動発展期の教育実習―長野県師範学校における中谷勲の経験―」という教育学専攻の東大生による卒業論文。そのほかにもたくさん資料を見せていただく。白樺派の先生たちが作った「地上」という雑誌の復刻版をお借りする。中谷勲さんもいくつか文を寄せている。





お二人とも、ぼくの「中谷勲」という歌を大変喜んでくださった。歌を書いてこんなに喜んでいただいたのは初めてのこと。「雨にも負けず」とともに、新しいCDに入れたいと思っている。あっという間に2時間近くが経ち、昼前おいとまする。

そうそう、驚いたことがある。奥様は昔傾聴ボランティアをされていて、何度か一人暮らしをしていたぼくの母を訪ねて話を聴いてくださったとのこと。何とも不思議なご縁である。


July 9, Saturday 2011

昼過ぎ、ュージックライフ・プラスから依頼されていた『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットの写真を撮った。40年以上も前にアイラヴィスタのレコード店で買ったもの。今朝はこのLP盤を探すのに一苦労。家の2ヶ所の保管場所を見たが、ない。それならオーリアッドだろうと、不安定な丸椅子に乗ってLP盤を置いてある棚を右側から見始めたが、ない。LP盤は重い。左手で支えて右手で一枚一枚見ていくのだが、出てこない。左手が疲れてきた。あと5、6枚になった。諦めようかと思ったが、それでもと思い最後まで見ることに。あったあった、最後から2番目。いわゆるマーフィーの法則か。



オーリアッド。6時開店直後、栗林君が奥さんとやってきた。高校の一年後輩。長い間アメリカに住み、現在は東京と伊那に家をもち、ビジネスコンサルタントとして世界中を飛び回っている。会うのは昨年の年末ライブ以来。今年のほたる祭りライブのときはオーストラリアへ行っていたとか。彼らのために「こおろぎが歌うように」「雨にも負けず」「山頭火」などを歌う。しばらくして、丸山俊治さんが入ってくる。続いて沖縄から戻ったばかりの原田和恵さん。

先ず原田さんにお願いする。沖縄の美しい海の話のあと「ラルゴ」。そして沖縄のライブハウスや歌声喫茶で何度か聞いたという「芭蕉布」の弾き語り。最後は再度ピアノソロ、「トロイメライ」。続いて食事を終えた丸山さん。先日の松本の地震の話から。例年9月に行われる来週防災訓練が、急遽来週月曜日(海の日)に行われることになったらしい。彼の住む地域の避難場所は三角広場とか。そこで、1曲目「三角広場に桜咲く頃」。続いて「白雪先生」、そしてお孫さんのために書いた「一番最後に」。2曲目のモデルの原田和男さんは、バイクで佐久の同級会へ出かけたとのこと。帰りにまた白雪先生を訪問するらしい。藤森和弘さん、いつものように「人生に勇気」から入り、「子守唄のように」、そして沖縄を代表する歌のひとつ「花」。赤羽真理さん、「鹿のように」「森の小道」、そしておそらくオーリアッドでは初めだと思う「十字架のかげに」。

ここで休憩。原田さんのお土産のパッションフルーツ、ドラゴンフルーツ、そしてアセロラをいただく。ドラゴンフルーツは名前と見た目とは裏腹に優しい穏やかな味。







後半、ぼくが「中谷勲」を歌う。先週金曜日、岡山へ向かうバスと電車の中で言葉を加え、削り、前よりよくなったと自負している。「足踏みオルガン」という言葉も歌詞に入れることができた。続いて原田さん、「G線上のアリア」「主は造り主」、そして「御手の中で」。丸山さん「あの道この道」「とうもろこしの葉っぱ」「自分の感受性ぐらい」。2曲目は夏の歌。広島、長崎の。藤森さん、「今日は土曜日」「もうすぐ一年生」「歩き続ける時」。2曲目の歌詞に、愛音ちゃんがギターを欲しがるのでウクレレを買ってやったというところがある。最近とうとうギターを買ってやったらしい。いつか将来二人でギターを弾いて歌って欲しいもの。最後に赤羽さん、「ホーボーズ・ララバイ」「驚くばかりの」「千両梨の実」。いつものことながら、穏やかな説得力ある歌声。

しばし歓談。松本の地震は、午伏寺断層の震源地近くではかなりの被害が出たとのことだが、丸山さんの家は大丈夫だったようだ。



July 8, Friday 2011


午前と午後、1時間ほどずつ、畑の草取り。この暑さの中、それ以上は無理。疲れはしたが、汗をいっぱいかき、水をいっぱいのみ、気分は爽快。芝刈りも始めたが途中でモウアーが動かなくなった。暑さのせいか。少し冷やしてからエンジンをかけたが、動かない。明日また試してみることに。

2年ぶりに山田周生さんがやってきた。バイオディーゼル車で敢行した世界一周の旅について、そしてたまたま東北を旅しているとき遭遇した震災と、バイオディーゼル車だからこそできた救援活動について、写真を交えながら話してくれた。主催は彼の話を聞く実行委員会。2年前より多くの方々が集まり、周生さんの話もより充実したものだった。彼の夢は壮大である。日本人の生き方を根本的にかえることができるかもしれない。彼が東北に作ろうとしている自給自足の「基地」ができるだけ早く完成することを願わずにはいられない。ガソリンにバイオディーゼルは5パーセントしか混ぜることができないという法律を作ったのは誰だろう。利権のにおい。原発同様。





次のURLをクリックすると漫画家石黒清さんのマンガを読み、フーチクーチさんの歌を聞くことができます。

http://www.youtube.com/watch?v=aKU5LInmisw

「楽曲とイラストの使用は著作権者の人格攻撃および営利が目的でない限り、カバー、コピー、ともご自由にどうぞ!・・ただし、原発、核政策に賛成する人々には一切の使用を許可しません」とのことです。実はマンガを描いた人と歌っている人は同一人物。マンガ家で、もと『ガロ』の編集部にもいたことのある人。


July 7, Thursday 2011

午後2コマのクラス。今日は宮沢賢治の「雨にも負けず」のオリジナルの詩と英訳を印刷し、ドーシー先生のクラスの話を少しする。英訳を見つけるプロセスで、驚くことに、多くの異なる英訳があり、同時に、この詩に曲をつけて歌っている人がたくさんいることを発見。

いろいろあるなかで、Wekipedia の訳は悪くないように思えた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ame_ni_mo_Makezu

修正したいところが2,3あった。特に「ホメラレモセズ/クニモサレズ」の「without being praised/without being blamed」のところ。「クニモサレズ」を「非難もされず」と訳すのは無理があるのでは。おそらく「誉める」の対句としてそうなったのだろうが、ここは without being paid any attention か without getting any attention にしたいところ。

「雨にも負けず」の朗読のYouTube はとても多い。曲をつけて歌っている人も何人もいた。そのうちの3曲のURLを下に。

http://www.youtube.com/watch?v=1JZ2GpGbGYk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=XTfoZF_JMW8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=HBwLkJwXFEo&feature=related

ぼくの「雨にも負けず」が他の人と違っているのは、宮沢賢治が手帖に書いた最後の四大菩薩や経典の名前までも歌っている、いや、 唱えているところ。新しいCDに入れてもいいいかなと思い始めている。

7時過ぎ、オーリアッド。家人と交代。遅くにグッドニュースの木下さん。G3s の茅野でのコンサートの最終報告にきてくれた。あのコンサートが成功したのは木下さんのおかげ。さすがにプロだと思った。

                          ■

明日はオーリアッドで、フォトジャーナリスト・ラリードライバーの山田周生さんのトークショーが19時からある。山田さんは使用済みのてんぷら油をバイオディーゼルに変換する装置を車に積み込み、地球を一周してきた人。2年前にも一度オーリアッドで話をしてもらったことがある。

今年の3月11日、日本一周の旅の途中、岩手県で震災に遭遇。ガソリン不足で多くの車が走れなくなる中、バイオディーゼル車で直ちに支援活動を開始し、現在も継続中とのこと。参加費は1000円 (and one drink オーダー)。古いてんぷら油がありましたら是非ご持参ください。



July 6, Wednesday 2011


今日は朝からひまわり畑の畝と畝の間に耕運機をかける。除草のため。午前中は、15列のうち10列まで。汗だく。シャワーをあびるためTシャツを脱ぐと、びしょぬれ。バケツから出した雑巾をしぼる感じ。昨夜の体重より2キロ近く減っている。午後は、ミュージックライフ・プラスのエッセイの校正をすませ、そのあと、再度ひまわり畑の残った5列の除草。それで終わろうと思ったが、他の畑の草もすごい。耕運機の入るところを除草。

6時過ぎ、オーリアッドへ。週末、岡山、京都へもっていたギターを家においてきたので、マーティンを物置から出してきた。カウンターの中でチューニングをしているところへ団体のお客さん。しばらくして原田さん。団体のお客さんがお帰りになったあと、一局。最近負けがこんでいる。今夜も防戦一方。ところが最後の最後、原田さんが二歩をうっていることが判明。ぼくの勝ちということに。あまり勝った気がしないが。

岡山の新庄村に住むKさんからCDの注文が入った。郵便番号を調べていたら、新庄村のホームページが出てきた。「日本で一番美しい村」というキャッチコピーが添えられていた。そこまで自信をもって言える村はそう多くはない。本当に美しいところに違いない。岡山である。桃源郷という言葉が頭に浮かぶ。


July 5, Tuesday 2011

午後2コマのクラス。代替医療 (Alternative Medicine) に関するエッセイを読む。結構むずかしい。 biofeedback というのは、辞書やwikepedia などで調べても、なかなかわからない。自分がわからないものを学生に上手く説明できるわけがない。エッセイの主旨はわかる。これからは代替医療を含めた総合的医療が求められているということ。薬と手術に頼る西洋医学だけでなく。確かに。The Rose の歌詞を前回に続き再度詳しく解説。そして、ベット・ミドラーの歌う映像を見る。愛について深い洞察に満ちた歌。http://www.youtube.com/watch?v=oR6okRuOLc8&feature=related

夕方6時前、帰宅。4日ほど留守をしただけだが、植物の生長の速さに驚く。特に雑草。沙羅双樹の花が咲いていた(写真一列目、上)。驚いたのはコンニャクイモ。小さな木が三本生えているよう(中)。1週間前に撮った写真ではまだ上の枝のような部分はなかった(右)。このあと、この「木」がどのように変化していくか興味深いところ。二列目左はナナカマドの白い花。

フィービーはサンデッキの上でぐったり。ぼくの留守の間、猫たちは外に何度か抜け出して自由に跳ね回ってきたとのこと。このときも、遊びつかれて戻ってきて、日陰で寝そべっているところ。家の中だけで飼おうという方針が崩れつつある。猫にはそのほうがいいのかも。




夜、ミュージックライフ・プラスのエッセイの校正を試みる。疲れていて集中できない。早く寝て、明日することにしよう。明日は草取りもある。忙しくなりそうだ。


July 4, Monday 2011

午後1時20分、京都造形芸術大学横の京都文化日本語学校着。ドーシー先生に出迎えられる。早速ダートマス大学のサマープログラムの授業に参加。

一部は日本語で、「雨にも負けず」に関するディスカッション。流暢に日本語を話す学生もいる。少々たどたどしい日本語でも堂々と意見を言う学生もいて驚く。「雨にも負けず」の「負けず」は英語にどう訳したらいいか。to lose to, to surrender to, to succumb to のどれがいいかというような高度なもの。最終的に to succumb to がいいのではないかということに。

次に Blowin' in the Wind の2つの日本語訳、高石友也訳と忌野清志郎訳とディランの歌詞の比較。この2つの訳とも忠実な訳とはいいがたいが、学生の一人が日本語訳のほうが反戦の意識が強いという意見を述べると、ディランの歌はベトナム戦争以前の1962年か3年に発表され、日本語の歌は戦争の最中に発表されたからという意見を述べる者も。



第二部は英語で、ドーシー先生の質問にぼくが答える形で進められる。60年代カリフォルニアでのぼくの体験、特に「風に吹かれて」との出会いについて。そして69年に帰国して京都にきたときのフォークシーンや若者たちの運動について、そして仏教についても少々。

第三部は日本語と英語でフリーディスカッション。学生から二部の話を受けて、「禅僧になりいということと、フォークシンガーになりたいということの間に何か関係があるのか」というような質問。しどろもどろの答。ドーシー先生が、71年夏ぼくが宮沢賢治の生家を訪ねた話をしてほしいとのことで、そのことを話し、さらに、「雨にも負けず」のモデルであるといわれる斉藤宗次郎さんについて語る。そして、先生から「祈りの歌」をリクエストされ、その歌を歌い、そして彼らが学んだ「雨にも負けず」を歌う。

最後に「風に吹かれて」を学生たちと大合唱。ぼくの日本語ヴァージョンも付け加える。最後に記念撮影。一人背の高い男の子がいて、身長はいくつと聞くと、2メートルだという。写真を見ると、頭ひとつ抜き出ている。

楽しかった。みなさんに感謝して、バスに乗るために深草のバス停へ。9時前、どしゃぶりの中、帰宅。疲れたが有意義な、出会いに満ちた4日間だった。


July 3, Sunday 2011

第39回七夕コンサート、二日目。今日の出演順は、三浦、豊田、ひがしの、古川の順。豊田君は昨夜トップだったので、どこで歌うこともできたのだが、意外にも2番を選択。瀬戸内海の島からお見えになっていた高齢のお坊さんへの心遣いかも。

今夜ぼくは、ほたる祭りライブの後半で歌った歌を中心に歌う。「千の風」「次郎」「碌山」「祈りの歌」など。豊田君は、瀬戸内海のお坊さんが住む島のことを歌った「与え合えば余る」をていねいに。いい歌である。最後は「柔らかなパキスタニが歩いてくる」。ひがしの君は今日は talking mood で歌は少なく、話が長い。でもその少ない歌はみなぼくの好きな歌。特に「ブラート・オクジャワ」のことを歌った歌。古川君はバンジョーとギターで「四季の思い出」など。バンジョーもギターもいい音をしている。最後は、いつもように「ホーボーズ・ララバイ」と「グッドナイト・アイリーン」をみなさんと一緒に。来年第40回目の七夕コンサートでの再会を約して終了。とてもいい2日間だった。





打ち上げでは今夜はぼくはオレンジジュースとノンアルコール。明日のドーシー先生のクラスに参加するために、少々準備する必要がある。いつもより早く拾得を出て、ホテルに着いてから、日本の仏教について何を語たるか考える。資料がない。結局自分の体験を語るしかないだろう。


July 2, Saturday 2011

朝、急に思いついて、宝福寺へいくことに。福島老師の弟さん、小鍛冶老師に出迎えられる。お邪魔するつもりはなかったが、促されるままに、福島老師の写真と位牌が置かれた仏壇へ。お線香を上げさせてもらう。お茶を一杯いただきおいとまする。庫裏と玄関の大屋根の修理をしていた。わずかながら寄付をさせていただく。宝福寺との縁が繋がったような。左の写真は、禅堂、真ん中は、昔よく雑巾がけをさせていただいた縁側と中庭。右の写真はタクシーの運転手さんに撮ってもらった寶福禅寺入り口の写真。



4時過ぎ拾得着。すでに古川君、豊田君はリハーサルがすんでいて、ひがしの君のあと、リハーサル。何を歌うか迷ったが、ほたる祭りライブの前半中心に行くことに。

開演前、恒例の写真撮影。くじを引き、豊田、東野、古川、三浦の順。今日の豊田君はいつにもましてギターを響かせていた。特に「それでじゅうぶん」は圧巻。それにハーモニカが以前と変わっていた。そのことに言及すると、レナード・コーエンのDVDを見たからだと。ディノ・ソールドーの影響か。ひがしの君がピアノを弾いて歌うのを初めて聞いた。左手でコードを、右手はなんでも弾けばいいとのこと。ぼくには無理だろう。「大きな木にもたれて空を見る」のフレーズのある歌はいつ聞いてもいい。古川君、手放したギターを買い戻したとのことで、嬉しそう。というよりもギターが収まるところに収まって嬉しそう。「なのりその森」など。ぼくが「山頭火」「こおろぎが歌うように」「雨にも負けず」「中谷勲」「祈りの歌」。最後に、「ホーボーズ・ララバイ」と「グッドナイト・アイリーン」をみなさんと一緒に。







今夜はドーシー先生が聞きにきてくれて、終演後、みなさんに紹介する。みんな、関西フォークに詳しい人たち。延々と話が続く。ドーシー先生も得るところがあったようだ。「三木さんは岡林の encyclopedia だ」という彼の言葉が印象的。


July 1, Friday 2011


2年ぶりの岡山禁酒會舘。前半のトップは、OZAKI UNIT。彼らの演奏は今まで聞いた中で最高だった。大逆事件を歌ったバラードなど、聞きごたえがあった。リードギターの絶妙な音色にも感銘を受ける。次にぼくが「山頭火」「こおろぎが歌うように」「雨にも負けず」の三部作。続いてよしだよしこさん。6,7年ぶりにお会いする。ローザ・パークスのことを歌った歌など。ギターとダルシマ。特にダルシマの音がよかった。ここで休憩。


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後半はぼくが一時間ほど歌わせていただく。安曇野のことを歌った歌を中心に。最後に、よしださんにダルシマで入ってもらって、一緒に「アメイジング・グレイス」。

打ち上げで常念岳をはじめ、信州の山にはほとんど上っているという「緑・川・人フォーラム」代表の橋本さんという方と知り合いになった。最近も常念に上ったばかりという彼の山の仲間もコンサートにたくさん来て、みなさんきてよかったと言って帰られたとのこと。よかった。岡山禁酒會舘で歌ったあとの打ち上げはいつも豪華。ご馳走はもちろんのこと、尾崎さんを中心とした個性あふれる人々。時の経つのを忘れてしまうほど。ホテルに戻ったのは12時過ぎ。


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