OREAD Diary

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August 31, Tuesday 2010


朝8時50分から50分、町の中学校の3年2組対象のブックトーク。社会の授業の一環とのこと。前半、司書の上島先生が公民権運動やキング牧師に関する本を紹介し、後半ぼくが、アメリカ合衆国の成り立ちについて少し話し、ジョン・ニュートン、ローザ・パークス、そしてキング牧師について説明したあと、「アメイジング・グレイス」(1番のみ)、「ローザ・パークスの歌」、そして「I Have a Dream」を歌う。

みんな熱心に聞いてくれた。彼らとぼくの間にはちょうど50年の隔たりがある。50年前、ぼくもこの中学の3年生だった。彼らから見たらぼくは老人にしか見えないだろうが、ぼくの中には、まだまだ彼らと同じ年の少年が住んでいる。

「I Have a Dream」を歌い終わったところで、授業終了のベル。バラク・オバマとスティーブ・ジョブズについて話そうと思っていたが残念ながら割愛。ぼくが話したかったことは、公民権運動を経て、アメリカは白人中心主義(WASP)の国から多文化主義の国に変わりつつあるということ。そしてそのことを示す好例が、現在のアメリカの政治と経済の中心にいるオバマ氏とジョブズ氏の父親が、共に、イスラム教徒の留学生だったこと。

機材をしまったあと、このクラスの社会科を担当している小澤先生に、上記のことに触れたレジメをコピーして生徒に渡してもらうようにお願いする。そこから話しが始まり、意外な事実がわかった。先生は小学生のころ数年、オーリアッド2階の教室で家人から英語を教わったとのこと。家に戻り、その話をすると大いに驚く。「もうそんなに大きくなったんだね」。

4時過ぎ、外から子供たちの賑やかな声。外に出ると、村の子供たちが子猫を連れてきていた。昨日学校へ行く途中、旧道の空家のところで見つけたとか。餌を食べないというので、家人がソフィーとフィービーの餌を細かくしてやると、少し食べた。ミルクも少しだけ飲んだ。子供たちは家で飼いたいようだが、どの家でも許してもらえないようだ。わが家も、これ以上無理。親猫が捜しているかもしれないから、元に戻してやったらと話したが、さてどうしただろう。





家人が隣町へ出かけたついでに、トラの風船を買ってきた。数日前、近所のおばさんからサル対策にいいと聞いてきたのである。子猫騒動のあと、自転車のポンプで膨らませて、トマトとトウモロコシの畝の近くにぶら下げる。昨日はその両方が被害にあった。これで効いてくれればいいが。ちょっと心細い。見上げると秋の空。

明日から9月。明朝は2時間、ブックトーク。


August 30, Monday 2010

朝、ハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデル先生が東大で講義をし、それが10月31日と11月7日の2回にわけてNHKで放映されるという記事を読んだ。4月か5月か、教育テレビで、彼の授業を紹介する番組を偶然に見たことがある。大きなホールで学生と対話をしながら進める講義は、ソクラテスの問答のようで面白かった。

アマゾンで調べてみたら、Justice: What's the Right Thing To Do? という彼の講義をもとにした本があることを知った。『これからの「正義」の話をしよう』という訳書もある。原書は訳書のほぼ半分の値段。安いほうを注文しようと思ったが、まてよYouTubeで彼の講義そのものを見ることができるかもしれないと検索してみた。あるわあるわ、ぞくぞく出てきた。この本のもとになっている講義も、episode 1 から10 まで10回にわけて出てきた。英語の字幕もあるので聞き取れなくても、字幕を読んで理解することもできる。
Justice: What's The Right Thing To Do? episode 1

面白くなって、いろいろ検索していたら、ジャック・ケルアックの On the Road (『路上』)についてイエール大学の先生が2回にわけて講義するYouTube も出てきた。こちらは字幕なし。
http://www.academicearth.org/lectures/jack-kerouac-on-the-road-1

凄い時代になったもの。日本の小さな田舎の町にいて、ハーバードやイエールの学生たちと一緒に授業を受けることができる。しかも無料で。

明日の午前中、町の中学でブックトーを行なうことになっている。夜、その準備を少しする。司書の上島先生が本を読み、ぼくが何曲か歌うことになっている。テーマは公民権運動とキング牧師。


August 29, Sunday 2010

午前7時、サイレンが鳴り、防災訓練開始。公民館の庭に集合。毎年行なわれる1時間ほどの訓練。

夜、LSECのレッスン in 岡谷。前回歌うことのできなかった「900マイル」の練習。今日のJapan Times の

"69% in poll back Kan as DPJ chief/ Kingpin Ozawa a distant second with 15%; Cabinet support rate up"という 記事をコピーし、このクラスでは珍しく政治談議。「友愛」を標榜する政治家が、個人のレベルならいざ知らず、党首を決定するのに「恩があるから」はおかしいという人がいた。責任を取ってステップダウンした人たちが3ヶ月も経たないうちに復権しようとするのは、責任を感じていないからではという人も。同感。

7月の下旬、穂高の研成ホールでの講演で日野原先生が引用されたエリック・フロムの To Have Or To Be? を少しずつ読んでいる。どこかに日本語訳『生きるということ』があるはずだが、見当たらない。今日読んだところに、スピノザの積極と消極の概念に言及したところがあって考えさせられた。

スピノザの積極と消極の概念は、工業化社会に対するもっとも過激な批判である。今日流布している ― 金銭、所有、名声を求める欲望によって駆り立てられる人は正常であり、社会に適合している ― という考え方とは対照的に、スピノザはそのような人は完全に消極的であり、基本的に病気であるとみなしている。スピノザの言う積極的な人は、彼自身そのように生きたのだが、現代では「変わり者」扱いされたり、神経症を患っているのではないかと疑われたりする。なぜなら、そのような人は世間で正常であると思われている活動にうまく適合できないからである。(miura訳. E. Fromm, To Have Or To Be?, p. 78, Continuum)

この文章が印象に残ったのは、昨日のオープンマイクで、松尾さんや佐藤さんが、ギンズバーグやケロアックやスナイダーについて、またあの時代について、語るのを聞いたからか。多くの混乱や対立があったが、今思えばあの時代はとても「健康的」であったような気もする。


August 28, Saturday 2010

サウンドチェックにハンク・ウイリアムズの I Saw the Light などを歌っているところに松尾晃さん。レコードプレイヤー持参。後半のパフォーマンスのために、ステージにレコードプレイヤーを置き、リハーサル。レコードをかけ、それに合わせて自作の詩を読む試み。

本日のオープンマイク、トップは松尾さん。以前発行していた雑誌に書いた「ビートニク」という文の朗読から始まる。

  ボブ・ディランの存在を知ったのは中学一年生の時だ。ラジオから突然流れてきた
  「LIKE A ROLLING STONE」に完全に打ちのめされてしまいポップス熱にうかされて、
  海外の音楽がますます好きになりのめり込んで行った。

  ビートルズやストーンズも良いけれどとくに僕は、真冬のニューヨークシティのクラブ
  で歌うフォークシンガーや広大なるアメリカ大陸をさまよい歩くホーボーズシンガー
  達に心を動かされていった。

  そんな中で出会った音楽以外、自分に衝撃を与えたもうひとつのセンセーションナル、
  それはビートニクと呼ばれた詩人たちの文学。ジャック・ケルアックの「ON THE ROAD」
  をはじめギンズバーグの「HOWL」や、バロウズの「裸のランチ」etc.

  僕は何も無い田舎の村の中で一人ビートニクを気取っていた。

      孤独なビートニク!

  歌えない僕は歌えない分だけ詩を書きはじめ長い僕の旅がそこから始まった。

文として読むより、彼の朗読を聞くと、独特なリズムや間があって、よりポーエティックに響く。ビート詩人たちのpoetry reading を彷彿させる朗読。オーラル派詩人のレゾンデートルがそこにある。さらに、昔飯田市で経営していたお店のことについて書いた文などの朗読。極めて刺激的。

丸山俊治さん、前半は「ふざけるな」を除いて久々に聞く歌。「ぶどう畑の散歩道」「今日の日は本日限り」「思い出作り」。「ぶどう畑・・」は以前聞いたときよりも洗練されているように思えた。「ふざけるな」は最後のバースが最近加わり、起承転結がはっきりし、説得力がました。

久々白馬から出てきた白馬童子こと佐藤尚志さん。松尾さんの朗読に触発され、60年代後半に彼が入り浸っていた三鷹の「ホタ」というお店の話。そこで彼はボブ・ディランやレナード・コーエンをよく聞いたという。またゲーリー・スナイダーにもこの時代に会ったことがあるとのこと。その後彼はイスラエルやフランスへ放浪の旅に。

松尾さんと佐藤さんに触発され、ぼくも『追憶の60年代カリフォルニア』からスナイダーとジャック・ケルアックに言及したところを朗読。最後に「ミスター・タンブリンマン」。ここで休憩。休憩中、松尾さんが当時発行した雑誌を見せてもらう。凄い。ここまでこだわれる人はそう多くはない?








後半トップを丸山さんにお願いする。1曲目は、何週間か前に新曲として歌ったときに歌詞を聞きそびれた「ぼんぼん」。松本ぼんぼんのパレードで着飾って踊る少女の列の中に幼くして死に別れた二人の妹がいる。その妹たちが列を離れ、会いにくるという幻想的な歌。続いて「いつか叶うといいですね」「職人となったおじさんたち」。最後の曲は赤羽真理さんが、コーラスの部分に合いの手で入る。この歌は丸山さんの歌の中で、「満州の丘」とともにぼくの一番好きな歌。佐藤さん曰く、「丸山さんは凄い!!」

続いて初登場の増澤康公さん。ずっと長い間ロックバンドでエレキギターやベースを弾いてきたが、最近フェンダーのアコースティックギターを入手したとのこと。メガデスの「シー・ウルフ」のギターインストラメンタル。右手の動きが凄い。速弾き。是非また聞かせてもらいたいもの。Open mike はあらゆるジャンルにオープン。

赤羽さん、「鹿のように」「今すぐに」「許し」、そして「旅人の木」。赤羽さんの静かな歌の言葉が、聞く人の心に一語一語浸み込んでいくよう。特に「許し」は。続いて You Are My Sunshine, Red River Valley, Beautiful Brown Eyes をみなさんと一緒に歌ったあと、ボーカル田中正幸、ギター三浦久で、「ガビオタの海」。田中さんはこの歌を気に入ってくれていて、オーリアッドにくるとよく歌ってくれる。

最後に、再び松尾さん。持参のレコードプレイヤーでPhil Ochs の All The News That's Fit To Sing の1曲目 One More Parade をかけながら、自作の詩を読む。

  ・・・
  1976年の4月8日、ニューヨークのはずれでひとり首をくくって死んだフィル・オクスは
  60年代そのものだった。

  公民権運動と反戦運動の集会から集会へとプロテスト&トピカルソングをいつも無料
  で歌い続け歩いた男、フィル・オクス。彼こそが偉大なるミュージシャン、ボブ・ディラン
  の本当の意味でのライバルだったんだ。そのことはディラン関係の出版物をよく読め
  ば解ることだ。

  ・・・
  ニコラ・サッコとバンゼッティのようにフィル・オクスの歌はこれからもずっと受け継が
  れて行かなければならないと僕は考えるしまた、受け継がれてゆくべきなんだと思っ
  ている。

最後の最後、今日の午後、教会で末娘の結婚式があった原田和男さんが、嬉しい気持ちを語る。お姉さんの和恵さんも、幼い頃の妹の思い出話をしたあと、「そばにいるよ」を歌う。客席から暖かい大きな拍手。

その後、しばし歓談。

              ■

丸山さんのソロコンサートのお知らせです。


  蚊山遊三(丸山俊治)「生活の唄」出前ライブ
 
  日時:2010年9月5日(日曜日)午後1時30分〜3時30分
  会場:箕輪町大出 喫茶店「樹里庵」 ベルシャイン伊北店北隣
  料金:500円(1ドリンク付き)





August 27, Friday 2010

本当に暑い。今夜初めてお見えになったSさんは庭師で、この暑さの中、今日も剪定の仕事をしてきたとのこと。数日前、ある家の庭にバナナの木があって、実がなっているのを見て驚いたという。熱帯、あるいは亜熱帯になってしまったという冗談は、冗談でなくなりつつある。

Sさんは田中先生と一緒にやってきた。温泉仲間らしい。Sさんのまっくろに日焼けした両腕には大きな膏薬が貼ってあった。わかるわかる。剪定ばさみを使うと二の腕から肩にかけてが凝る。ぼくの場合は一時間も続けられない。Sさんは仕事とはいえ一日である。仕事のあとの温泉は格別だろう。

しばらく温泉談義をしたあと、請われるままに「千の風」を歌う。そのあと田中先生がジャズ風にアレンジした「かあさんの歌」を演奏。Sさんは先生の演奏を聞くのは初めて。明日は諏訪のレストランで、フルートと一緒に演奏することになっていて、ジャズも演奏するように頼まれているとか。

一日、レナード・コーエンの Avalanche (雪崩)という歌について考える。この歌は彼の3枚目のアルバム Songs of Love and Hate (1971)に収められていて、過去に2回訳したことがある。そのつど苦労した記憶がある。字面をなぞって訳しはしたが、はっきり理解できたとは思えなかった。膝を打って「うん、いい歌だ」と言うことができなかった。コーエンの歌は難解なものが多いが、中でもこの歌は難しい。今3回目に挑戦している。

この歌は「私は雪崩に足を踏み入れた/それは私の魂を被い尽くした」と始まる。しかし、この歌のどこにも雪崩、あるいは雪に関する描写はない。それで「雪崩」が比喩的表現だと分かるが、通常雪崩は自らの選択で足を踏み入れるものではない。否応なしに落ちてきて被いつくされてしまうもの。I stepped into an avalanche. 自らの意思で「雪崩」に足を踏み入れた、というところにこの歌を理解する鍵があるかもしれない。

この歌の主人公、ナレーターは、「せむし男」である。「ノートルダムのせむし男」を彷彿させる。この暑さの中、汗をかきながら「せむし男」のシンボリズムを、ああでもないこうでもないと考えている。何の結論も出ないまま時間はどんどん経ってしまう。経済効率という点から見るとはなはだ効率悪し。でも、いと面白し。



August 26, Thursday 2010

早朝、部屋で仕事をしていると、家人の声。「サルがいるよ」。カメラをもって2階のベランダへ。山裾の電柵の近くに何匹か。そのうちに隣のおじさんが山に向けてロケット花火を何発か打つ。花火の音がするとサルたちは山の中に逃げ込むが、しばらくするとまた出てくる。おそらく山の中でこちらの様子を見ているのだろう。外に出ると家人が言う。「カボチャがやられたみたい」。ガレージの横へ行ってみると、ジャンボカボチャに新しい食べられた跡。確かにかじってはいるが、彼らにとってもこのカボチャは一筋縄ではいかないようだ。

朝食に珍しい漬け物が出てきた。8月のはじめに松本のファーマーズマーケットで買った白いヘビのようなウリとのこと。種をとって、そこに人参を細かく切って入れ、タマリ醤油に漬けたとのこと。このウリをズキニのように油で炒めたり、煮物に入れたりしたときはまったく美味しくなかったが、漬物は美味しい。こんなウリが畑にたくさん出てきたら面白い。サルもびっくりするに違いない。






夕方、30数ページにわたる翻訳を送る。今日中に送るという約束をなんとか果たせた。と、思っていたら、11時過ぎ家に戻り、メールをチェックすると、「このメッセージはまだ配信されていません。ユーザーの代わりに Microsoft Exchange が引き続きメッセージの配信を試みます」とのメールが入っていた。信じがたい思い。あわてて送りなおす。しばらくして同じメールが届く。もっと大きなボリュームのものを以前送っても大丈夫だったと思いながら、2つに分けて送ってみる。それでも結果は同じ。深夜をはるかに過ぎて連絡が入った。障害が発生していたメールシステムが復旧し、添付ファイルも届いているとのこと。よかった。

「へびのようなウリ」と呼んできたが、正式な名前はなんだろうと Google に「ヘビのようなウリ」を入れて検索したら、次のサイトが出てきた。何と、正式名は「蛇瓜」「へびうり」「ヘビウリ」とのこと。烏瓜の一種らしい。その花のなんと美しく可憐なこと。英語では snake gourd というらしい。
http://www.ami-yacon.jp/yume_yasai/yume_yasai_hebiuri.htm



August 25, Wednesday 2010


もの凄い雨。土砂降り。午後8時過ぎ。オーリアッド。Buckets of rain. バケツをひっくり返したような、という形容が大袈裟ではない。稲妻が走り、雷鳴がとどろき、しばらくして、すぐ近くで鉄塔が倒れるような音、バリバリバリという金属音。停電。

最近4番テーブルに置いている灯油ランプが役に立った。数分後電気がついて、しばらくしてお客さん。びしょ濡れ。駐車場からお店に入るほんの数メートル。次に来たお客さん、家の近くの側溝から水が1メートルほど吹き上げていたとのこと。

最近の暑さで、日本はいよいよ熱帯地方になったと冗談半分に語る人がいたが、今夜の雨は、スコール。子供のころ、南洋ではスコールがくるとみんな裸になって雨の中に飛び出して身体を洗うという話を聞いた。今夜の雨なら、どんなシャワーよりも強力。

遅くなって赤羽(真)さん。停電したとき、近くの警察署で交通安全のビデオを見ていたとか。先週土曜日にお見えになった鈴木先生から託された本を届けにきてくれた。赤羽さんらしい。雨に濡れないようにしっかりとナイロンの袋に入っている。鈴木先生の同僚だった室崎陽子さんという方が書いた『雪割草』というエッセイ集である。

11時家に戻ったときには雨は止んでいたが、空は一面の黒雲に覆われ、満月をみることはできなかった。Sturgeon Moon チョウザメ月。

家に帰り、いただいた本の第一章を読んだら、土曜日にお二人から聞いた奥様の難産の話が出てきた。

 以前にS夫人をお見舞いした時印象的だった話がある。病状の経過を話された時、
「苦しいとき一つ一つ自分の犯した罪を思わされました」
とおっしゃった。
「どうしてあなたのような方が・・・」
とわたしは思わずいった。
 S夫人は一言、
「偽善の罪です。人前ではニコニコしていながら、実は内心そうでなかった自分の姿が映し出されました」
とおっしゃった。
 わたしは頷いた。病の苦しみはわたしのあらゆる罪を思い出させるという言葉は真実である。

「祈りの歌」の一節。

  偉大なことを成しとげようと
  健康を求めたのに
  あたえられたのは病気だった
  何が偉大か学ぶように



August 24, Tuesday 2010

毎年この時期になると秋風が吹き始めるのだが、今年はまだ2週間は暑さがつづくとか。Oh boy!

終日、翻訳の仕事。夜8時半、町のカメラ工場へマーク・Bを迎えに行き、オーリアッドへ。最終電車の時間まで、翻訳の分からないところを教わったり、マークの歌を録音したり。彼は、木曜夜、松本のパルコの前で歌うことになっていて、カメラ工場の木曜のクラスを今日に代えてもらったとのこと。ぼくも歌うように誘われていたが、締め切りがあって、ちょっと難しい。そうでなくても、今度の木曜は、急遽、歌声喫茶をやらせてほしいとの依頼があり、オーリアッドを離れることができない。

35年ほど前、ぼくのクラスにいた学生からメールが入った。ネットを検索していたら偶然ぼくのホームページを見つけたとのこと。35年前のぼくのソングライティングのゼミについて、また現在の彼女の仕事について書かれていた。ハイテクの専門学校で外国人に日本語を教えているとのこと。彼女は昔ぼくのコンサートで撮った写真をパネルにしてプレゼントしてくれた。そのパネルは「まだ飾ってくださっていますか」と書かれていた。よかった。たまたまぼくの仕事部屋の壁にかけてあった。早速写真を撮って送った。



インターネットは確かに世界を大きく変えつつある。時間と空間を超えて、人と人を結びつける。


August 23, Monday 2010

家人が昼食に、昔懐かしいチキンラーメンを買ってきてくれた。最近テレビで何度かこれを食べている人たちを見て食べたくなった。特にキャスターの鳥越さんがご飯を少し入れて食べているのを見て、試してみたくなった。

新鮮な生卵をのせてお湯をかけ、3分待つだけ。その3分が待ちきれずに蓋をとって、一口食べてみる。美味しい!! 明らかに昔のチキンラーメンより数段美味しくなっている。スープの味もいいし、ラーメンも柔らかくほぐれている。昔のは3分待っても、麺はかなり固かった記憶がある。

最初ラーメンだけを楽しみ、次に玄米を少し加える。これがまた美味しい。即席チキンラーメン玄米リゾット。

終日翻訳。夕方、なんとか終了し、送る。まだあやふやなところもある。校正の段階で修正できたらありがたい。これからDVDに移る。これはCDのほうを訳してあるので、今の段階ではそれほど大変ではない。しかし、あとになって、映像に合わせるための作業は大変。でも簡潔な言葉を探す作業は極めて面白い。洋画の字幕を入れる仕事は面白いだろうと思うが、ぼくには回ってこないだろうな。回ってこないかな。

あまりに暑いので、加茂川の中に入ってギターを弾いている古い写真を貼り付けようと思ったが、見つからない。代りに近畿放送のスタジオでリクエストのハガキを読んでいる写真が出てきた。「三浦久のダウンホーム・ミュージック」か「電リク一番星」か。復刻盤「ポジティブリー寺町通り」の写真の髪の毛の量が話題になったことがある。この写真のほうが更に voluminous。


August 22, Sunday 2010

朝起きて外に出ると、すでに畑に出ていた家人が言う。サルが5匹、ジャンボカボチャのあたりから山に向かって逃げたと。3匹では歯が立たなかったので5匹できたか。5匹のサルがジャンボカボチャと格闘している図は面白い。でもガレージの横へ行ってみると、サルが新たにジャンボカボチャに触った形跡がない。かじられた跡は以前と同じ。ガレージの裏の棒や小枝で被ったカボチャも無事だった。サルは白いものを口にくわえていたらしい。何をくわえていたのだろう。



終日、翻訳。ほとんど出来上がっているが、いくつかの分からないところと、いくつかの表現を変えたいところがある。ない知恵をしぼって、ああでもないこうでもないと訳を考えたり、リズムのある表現にしようと悪戦苦闘。この暑さの中、苦行ではあるが、同時に楽しいひと時。

高校野球が終わって、下に降りていく楽しみがなくなった。高校野球に比べるとプロ野球もメジャーリーグももうひとつ面白くない。テレビをつけても興味を引く番組はない。結局二階に上がり、仕事をすることに。あった、ひとつあった。7時半から8時までNHK総合テレビの「ダーウィンが来た」を見た。今年はNHKがテレビ放映を初めて50年とのこと。その間に撮影された動物に関する珍しい映像の数々。8時からまた二階へ。大河ドラマは苦手である。

できたら明日送りたいが、難しそう。


Augsut 21, Saturday 2010

今夜最初の演奏者は、われわれがオーリアッドに到着したときすでに駐車場で待っていたダニエル・ピアース。ピアノ。小さいとき4ヶ月だけレッスンを受けただけで、あとは自分で好きなように弾いてきたとのこと。すべてimprovisation。ロックバンドでドラムを叩いているというイギリス出身のベン・プールにジャンベで、丸山俊治さんにベースで入ってもらう。ジャンベは叩いたことがないというベンは最初は遠慮がちだったが、次第に華麗な指使いに。そこに丸山さんのベースがボン、ボボンと入り、素敵な即興 jazzy band。

丸山さん、1曲目「ブルペン・エレジー」。ダニエルと奥さんのエマ、それにベンのいる2番テーブルから大きな拍手と歓声。続いて、伝わるかどうか分からないがといいながら、英語で書いた出会いと再会を歌った「Forty Years Ago」。2番テーブルから「わかる、わかる」との声。3曲目「見守りおじさん」。続いてぼくが、「バード・オン・ザ・ワイヤー」と「明日は遠く」を英語と日本語で。そのあと、守屋武志さんの通訳で、ベンがこの夏の北海道へのバイクツアーの話。来日前抱いていた日本のイメージが一変したとのこと。"Japan is not just Tokyo. Japan is one of the most beautiful places in the world."というのは社交辞令だけではなさそう。イギリスのカントリーサイドも美しいとぼくは思ったが。

ここで初登場、豊島明浩・淳子夫妻の二胡の演奏。「童神」。半年前に始めたとは思えない美しい音色。続いて丸山さんに「マザー・ロードの旅」を歌ってもらい、彼の同級生の丸山卓朗さんに、2年前のルート66、ロサンゼルスからシカゴまでの4000キロの旅の話をお聞きする。シカゴに着いたときは感激のあまり、へたり込んで滂沱の涙、だったとのこと。66歳(当時)にして、子供の頃テレビドラマを見て抱いた夢を実現した。ロマン。卓朗さんの風貌からしてロマンがある。次はシルクロードを中国からトルコに向かって旅する予定とのこと。

続いてエマ・ピアースさん。長野県の南端にある小さな町でAETをしていて、週末に伊那に戻ってくるとのこと。ベンとはミシガンの高校で出会ったとのこと。ア・ベリー・ナイス・カップル。外国人向けの新聞を編集していて、オーリアッドの宣伝をしてくれるようである。前半最後は赤羽真理さん。赤羽さんが歌い始める前に、たつの教会の牧師さんご夫婦とお客さんがお見えになる。「鹿のように」「今すぐに」「千両梨の実」。ここで前半終了。








休憩中に、牧師さんのお客さんのご夫婦に紹介される。ご主人の鈴木孝二さんは山形県南端の豪雪地帯にある基督教独立学園高校の先生とのこと。「独立」というのは、この学校が、内村鑑三の自由と独立を尊ぶ無教会主義のもとに開設された学校で、いかなるキリスト教の宗派にも属していなからとのこと。内村鑑三の話から、井口喜源治や碌山の話になり、鈴木先生が碌山美術館や井口喜源治記念館を何度か訪問したことを知り、セカンド・ハーフの最初に、ぼくが「碌山」を歌い、更に副牧師さんのリクエストで「祈りの歌」を歌う。ベンからはコーエンの「ハレルヤ」のリクエストがあったが、歌詞が見つからず次回ということに。

次に、鈴木先生にお話していただく。30年前の奥さんの難産に言及され、信仰について、そして生きるこについてのいいお話し。続いて奥様の美恵子さんが、その難産のときの神への祈りと現在30歳になっている息子さんについての感動的なお話。続いて副牧師の長谷川ひさいさんに鈴木先生ご夫妻について語っていただく。副牧師さんからはぼく自身多くの出会いの機会をいただいてきた。感謝。

ここでダニエルのピアノ。丸山さんのベースのサポート。「私は楽譜が読めません。心に浮かぶ思いをいつも即興で音にします。今日の出会いと新しい友情に対する感謝の思いを音にしたいと思います」と語って、即興演奏。盛大な拍手。続いて丸山さん、亡きお母さんに捧げた「満州の丘」。これまた盛大な拍手。最後に、全員に歌詞を配り、英語と日本語で「アメイジング・グレイス」。アンコールに、「キリストには代えられません」の一番を、原田さんはカウンターのところで、歌って終了。

その後しばし歓談。多くの新しい出会いのあった素晴らしいオープン・マイクになった。みなさんに支えられてオーリアッドはなんとか続いていくことが出来そう。


August 20, Friday 2010

今朝は昨日より30分早く、沢底の薮田ファームへ。山間の土地で、太陽はまだ見えず、かなり涼しい。有賀(茂)さんの指示で、田んぼの畦ではなく、田んぼと田んぼの間のかなり広いスペースの草刈をすることに。ぼくがビーバーで刈って、家人が熊手で集める作業。1時間ほどできれいになった。みんなで田植えをした田んぼに稲が実っている。遠くで見るときれいだが、近くで見ると、かなり稗(ひえ)が生えている。でもこの暑さである。豊作が期待できそう。10月には稲刈りと収穫祭が予定されている。



家にもどると、ガレージの横のジャンボカボチャが草むらに、むき出しになっている。よく見ると、かじったあとがある。昨日午後、家人が家に戻ったとき、ガレージの後ろから、サルが3匹逃げていったと言っていたが、そのサルたちにやられたのか。これは先日、まだ小さくて草に覆われているので、見つからないだろうと、防御をしなかったほうのジャンボカボチャ。

3匹でジャンボカボチャを持ち上げようとしたが持ち上がらないので、腹いせにかじっていったと想像すると、ちょっと滑稽。ガレージの裏にまわり、先日柵をしたジャンボカボチャがやられていないか見たが、こっちは無事だった。昨夜の雨露がまだ残っている近くの葉っぱに大きな蜘蛛。日なたぼっこ。見事な蜘蛛だ。



午後、翻訳の仕事。畑の仕事は一度に一時間が限度だが、こっちの仕事は楽しく、ついやりすぎてしまう。時々、階下へ、高校野球、準決勝の試合を見に。どの投手も疲れている。この暑さの中で連投してきたのである。決勝に進んだのは沖縄の高校と東京の高校。両投手とも疲れていて、今日はかなり打ち込まれた。

夜オーリアッド。久々に原田さんと一局。完敗。大月さんが若い同僚と一緒に来て一曲。「カノン」。長島さんと一緒にきた若いPTAの方が一枚。『千の風』。感謝。

念のため、フランスのアラン・Lに昨日マーク・Bが助けてくれた2行と、すでに与えられているフランス語の部分を送り、訳を依頼する。インターネットの時代、実にありがたい。


Augsut 19, Thursday 2010

朝7時半過ぎ、家人と沢底の薮田ファームへ。1時間ほどかかって上野大根の種を蒔く予定の畑の北側の草を刈る。家人はその横のさつま芋畑の草取り。明日も行く予定。明日は田んぼの畦の草刈の予定。今週の土曜日にメンバー全員が集まることになっているが、その日家人は都合が悪く、ぼくも締め切りに追われて一日参加するのは難しい。それで、今日と明日、朝の早い時間に作業させてもらうことに。

薮田ファームへ行こうと、赤羽の信号を左に曲がったら、たくさんの小学生。二学期の最初の登校日のよう。みんな手に夏休み宿題の工作のようなものをもっている。注意してゆっくり進んでいくと、家人が叫ぶ、「あ、愛音ちゃん」。ニコニコしながら手を振っている。友だちと一緒で楽しそう。

午後は、昨日届いた音源の聞き取り。ライブゆえに、オフィシャルな歌詞とは違うところがいくつもある。2,3聞き取れないところがある。通常は英語で歌うところが突然2行だけ、フランス語になっているのもある。学生時代の2年間のフランス語はまったく役に立たない。これは英語ではなくフランス語だと分かる程度。

今日の甲子園は沖縄と兵庫の代表が勝った。明日は準決勝。この暑さの中、連投を続ける投手の疲れは想像するに余りある。

オーリアッド。9時過ぎ、マーク・Bが寄ってくれた。イギリス人。フランス語は分かるかと聞くと、Un peu (少し)と言う。音源を聞いてもらったら、すらすらと書き取ってくれた。少しどころか、大したもの。感謝。

11時、閉店し、家に戻る。車を降りたら、雨がすこし降っている。しばらくしたら、土砂降り。遠くでカミナリも鳴っている。これで涼しくなってくれたらいいが。



August 18, Wednesday 2010


今朝は朝飯前に大根用の畝のための溝を掘る。この時間を逃したら、暑くて何もできない。本当に今年の夏は記録破りの猛暑である。畝をつくったあと、昨日のかぶと虫のところに行ったら、いたいた。新しいスイカの皮のほうに移動していた。太陽が真上にくる昼に行ったら、どこにも見当たらない。どこか日影に隠れたのか。夕方行ったら、またスイカの皮に。


今日は、朝から仕事。しかし2階は暑い。ときどき階下へ降り、野球の試合。千葉と沖縄のチームが準決勝に進んだ。

午後遅く、病院へ定期健診に。先月の血液検査の結果が出ていた。ありがたい。異常なし。

オーリアッド。スピーカーからはレナード・コーエン。遅くに長島功さん。Nose flute の話題に。驚いたことは、音階は口や喉の形を変えることによって出すとのこと。考えてみたら、オカリナやふつうの笛のように穴があいているわけではない。口腔内の筋肉、腹筋を強めるには効果的かも。

今日は暑かった。毎日そう書いているが、今日は本当に暑かった。真夜中になってもまだ暑い。


August 17, Tuesday 2010

今日も暑い日。桑名と練馬区では38.2℃あったとか。陽の当たる野外では、特にコンクリートの道路の上では、体感温度はゆうに40℃を超えただろう。

朝から仕事部屋と階下の食堂を行ったりきたり。二階が暑いということもあるが、甲子園の熱戦をときどき覗き見るため。ベスト16までくると、すぐにでもプロで通用しそうな投手ばかり。中でも沖縄の投手は凄い。他の高校の投手が130キロ後半のストレートを投げるなか、彼だけは 140 キロ前半をコンスタントに出す。その彼も後半少し打たれたが、それでも前半のホームランの1点に抑え、4対1でベストエイト進出。

昼前、お昼の野菜をとりにいったとき、昨日かぶと虫がいたとこを見たら、相変わらず悪臭のする腐ったスイカに首を(角を)突っ込んでいた。午後、スイカを食べたので、皮をもっていってやり、つまみ上げて新しい皮の上に乗せてやる。夕方、見に行ったら、また腐ったスイカのほうに移っていた。


August 16, Monday 2010

朝食後、お盆の飾りを片付け、お墓参りに。先日きれいにした墓石の上にトウモロコシの芯や皮が。サルはひょっとしたらこの墓石の上で見張りをしていて、畑に誰もいなくなると、仲間を呼んで襲撃するのかも。この上からわが家の畑も、近所の畑もよく見える。

暑い一日。午後3時、区の恒例ソフトバレーボール大会。横川川(よこかわがわ)のほとりのデンデ原運動公園。一試合だけ参加。その後の納涼祭は欠席。家に戻り、仕事を始めようとすると、階下から家人の声。サルが出たのかと思ったら、かぶと虫だった。先日踏んづけて割ってしまった腐ったスイカのところ。夜も階下から大きな声。降りていくと小さなカエルが廊下の隅に。かなり弱っている。チリトリに乗せ、草むらに放してやる。




エルビス・プレスリーの命日。1976年8月16日。彼のファンだったことはないが、Can't Help Fallin' in Love は名曲で、よくクラスで使わせてもらっている。この歌を最初に聞いたのは、1964年6月、サンタローザでの1年間の留学を終え、20数カ国の学生たちとワシントンDCへ向かうバスの中。タイ人の留学生がこの歌を歌った。彼の名前は忘れてしまったが、実にいい声をしていた。


August 15, Sunday 2010

昨日、朝の涼しいうちに耕運機で、ジャガイモを掘ったあとの畑を耕す。大根&野沢菜用。そのあと家人にジャンボカボチャがサルに盗られないようにしてほしいといわれたが、昨日は写真を撮っただけ。まだ小さいうちに何個かもっていかれたらしいが、これだけ大きくなればサルには重過ぎるだろう。しかし、かじられたり、ひっかかれたりしたら困る。今日の午後、カボチャの周りに農業用の棒や木の枝をさし、紐で結んだ。それだけの作業で汗だく。気温が高いだけでなく、湿度も高い。果たして効果があるかどうか。もう一個あるが、それはまだ小さいし、草に覆われている。もう少し様子を見ることに。



「ありがとう、ミスター・コーエン」は、昨夜オーリアッドで歌うことによって、かなりしっかりとしてきた。すでに少なくとも4度書き直したのだが、昨夜歌い始めたとき、メロディーがごちゃ混ぜに出てきた。中頃から一定した。気がついたら、3度目のメロディ。今日、家でさらに歌いこみ細部の調整をして、完成。他の仕事に移らなければ。

この歌のもとになった手紙を書いた Yonat Friling さんに彼女のラストネームの発音を昨日午後問い合わせた。すぐに返事が来た。最初、エルがふたつのFrilling と思ったので、フリリングと読んでいたが、よく見ると、エルはひとつ。そうすると、Friday のように、フライリングと読む可能性がある。しかし、フリリングでもフライリングでもなかった。彼女の答えは、「free と読んで、次にling を加える」というもの。そうすると、フリーリングになる。英語の発音としては、フりーリンに近いだろう。

  私の名前はヨナット・フリーリン
  中東フォックス・ニューズのプロデューサー
  果てしなく繰り返される和平交渉
  出口のない迷路を行くような


おかげで、3番のこの歌詞がしっかりした。ぼくが彼女の手紙を読んだ記事には Sky News となっていたが、彼女の言うには、Sky News はイギリスのテレビ局で、彼女はアメリカのテレビ局 Fox News Middle East Bureau のプロデューサーとのこと。

次の映像を見て、思わず微笑んだ。最近笑ってないなと感じている人にはお勧めです。特に42秒後からが微笑を誘います。http://www.youtube.com/watch?v=04RZrf3-Mgo&feature=related


August 14, Saturday 2010

期せずして、「お盆特別オープンマイク」になった。

サウンドチェックで、まだメロディがあやふやな「ありがとう、ミスター・コーエン」を歌っているところへ、赤羽真理さん。異例の早さ。続いて、大町からきらきら音楽旅団の山口真保呂・美都子夫妻。今日は他のメンバーの都合がつかず二人だけとのこと。

赤羽さん、「旅人の木」からスタートし、「御手の中で」「鹿のように」、そして「許し」。そのあと、山口夫妻アイルランドのルナサというバンドの Morning Nightcap の演奏から。そして歌、「とてつもない」「きらきら光る」。パーカッションをたたくときの美都子さんの楽しそうな笑顔が印象的。久々登場の藤森和弘さん、「今日は土曜日」からスタートし、「カントリー・ロード」と、彼の師匠の「ふるさと」。なんとなく Green, Green Grass of Home に似ているような。

丸山さん、お盆ということもあり、昨年なくなったお母さんに捧げた「満州の丘」からスタート。そのあと、昨夜書いたという「ぼんぼん」、そして高齢者所在不明「事件」を新たに書き加えた「ふざけるな」。飯田からやってきた島岡さん、「丸山さんの歌詞が心にきました」といいながら登場。先ずオリジナルを2曲。1曲目のタイトルを聞きそびれた。2曲目、「こおろぎ」、そしてタイの民謡「満月」(豊田訳)。カウンターで聞いていた Dr. T、 「ギターが上手い。指に力がある」と絶賛。

次にオーリアッド2回目の飯田の松下元英さん、<今日は前来たときよりも緊張する。女房がついてきたので>といいつつ、「雲遊天下」「梅雨」「追憶」。3曲目が実によかった。名取友紀子さん、「花の歌」「スワニー河」、そして「太陽がいっぱい」。1曲目は前回も聞いたが、とてもいい曲。名取芳夫さん、ほとばしるリズムと万葉集の歌についての3分間スピーチ。原田和恵さん、「そばにいるよ」「君は愛されるために生まれた」。単なる美しい声というのではなく、声の中に彼女の人柄がにじみ出ている。前半最後は、土屋文夫さん、島岡さんのギターを借りて、ラグタイムを1曲。ここで休憩。











後半、先ずぼくが、「ありがとう、ミスター・コーエン」。何を歌うか迷ったが、メロディがまだ完全に定着していないこの歌を歌うことに。休憩時間中に、Dr T が Live in London の DVD を1枚購入してくれて、ある方にプレゼントしたので。更に山口さんがレナード・コーエンの ライブの CD-R をたくさんぼくにプレゼントしてくれたので。

そのあと、みなさんに、基本的に2曲づつお願いする。先ず山口さんが「クリーム・ソーダ」。<君はアイスでぼくはソーダ水/やがてひとつに溶け合う・・・>と歌う愛の歌。作詞は美都子さんとのこと。次にその美都子さんがパーカッションで加わり、軽快な「チャランゴ」。続いて藤森さん。1曲目のタイトルを聞きそびれた。2曲目は「サトウキビ畑」。<ざわわ、ざわわ・・・>とサトウキビ畑に吹く風が聞こえてくるよう。丸山さん、「おじさんたちよ」「心の鏡」。島岡さん、「さらば南台」、そして「もう引き返せない」。後者はボブ鈴木が好んで歌った歌。<夢は色褪せてく、ぼくは年老いてく、でもまだへこたれちゃいない・・・>、丸山さんの2曲に呼応するような歌。

松下さん「ハイライト」と「プカプカ」。名取(友)さん「カノン」。原田さん「ラルゴ」。ここで、宮木の夏祭りのあとかけつけてくれた長島功さんにお願いする。喉の調子が悪いとのことで、歌ではなく、自作の nose flute (鼻笛)を吹くという。鼻で吹くオカリナか。丸山さんのギターに合わせて「ふるさと」。みなさんびっくり仰天。腹筋の鍛錬によさそう。

そして最後に、休憩中に用事で席をはずしていた赤羽さんにお願いする。「人は愛にいき、平和に生きる」「千両梨の実」。そして最後の最後、夏祭りのあと聞きにきてくれた宮木木遣り保存会のみなさんに、お願いする。<ちからをーあわーせてー、おねがーいーだー>の余韻の中、お盆特別オープンマイク、終了。

いつもより大幅に時間を延長してしまい、遠路きてくださった方々にはご迷惑をおかけしてしまったかもしれない。しかし実に多彩な顔ぶれの素晴らしいオープンマイクになった。感謝。


August 13, Friday 2010

朝食後、家人に促され、お盆の飾りつけ。ぼくは干したススキで敷物をつくる役。小さいながら畑のスイカもひとつ供えた。そのあと、芝生を久しぶりに刈る。陽射しが強く暑いときは、芝生を刈ると枯れてしまうことがあるので、刈らないでいたら、最近の雨で、かなり伸びてしまった。いつもより、長めに刈ることに。休み休み、3回に分けて。

午後、うとうとしながら「ありがとう、ミスター・コーエン」の修正を試みる。オーリアッドへ行く前に、迎え火を焚く。夜、オーリアッド。2日前とはまったく違ったメロディが浮かんできた。そして言葉も少し付け加えた。以前よく書いた長いバラード風の歌になった。おそらくこれが final version ということになるだろう。




August 12, Thursday 2010

台風の影響で雨が降ったり止んだり。午前中は、風も強かった。でも長野県は大きな被害はなかったよう。夜、オーリアッドから戻るときには、雨もあがり、雲間に星が見えた。明日は晴れるだろう。暑くならなければいいが。

長雨のあとの猛暑、そして台風と、異常気象に振り回されているうちにもうお盆。午後郵便局へ行くとき、国道沿いにある会社の駐車場に車が一台もなかったのでお盆休みが始まったと知る。国道の交通量も増え、旧道から国道に出るのに手間取った。

お盆休みになるとここ数年オーリアッドに顔を見せてくれた大阪の大学の先生は、もう今年はお見えになることはない。去年のいつだったか、彼の訃報がローカル新聞に載った。淋しい限り。

今年の夏は、異常気象の話題ばかりでなく、切ないニュースが多い。幼い我が子を置き去りにして死なせたり、寝たきりの親に食事を与えず死なせたり、所在不明の高齢者が続出したり。NHKの解説委員の自殺のニュースは詳しい報道がないので真相は分からないが、なんとなく不可解。仙台の高校教師殺害事件はおぞましい事件ではあるが、こちらは分かりやすい。

7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交替。スピーカーからはケブ・モー。彼の歌をときどき聞きたくなる。遅くなって歌の練習。「ありがとう、ミスター・コーエン」。イエルサレムに住むというこの歌のもとになった手紙の作者から、再びメールが届いた。「あなたの歌を早く聞きたいです」。聞いてもらう前に、もう少し手直ししなければ。


August 11, Wednesday 2010

台風の影響で、朝から曇り。時々雨。蒸し暑い。

午後、以前に書いた「ありがとう、ミスター・コーエン」を書き直す。昨年9月にレナード・コーエンがイスラエルでコンサートをした翌日、Sky Newsという新聞にコーエン宛てのオープン・レターが掲載された。この歌は、その手紙にインスパイアーされて書いた歌。暮れのマンダラ2で歌ったが、もうひとつ気に入らなかった。七夕コンサート前に書き直し、拾得でも歌ったが、これまたもうひとつ。

3度目の正直で、前よりよくなっていてくれるといいが。何とか完成したあと、この手紙を書いたヨナット・フリリングさんに連絡をとって、一応「許可」を得ておいたほうがいいだろうと思いついた。オーリアッドへ行く前、フェイスブックを通してメッセージを送った。夜、オーリアッドから戻ると、返事が届いていた。インターネットの威力は凄い。もちろん弊害もあるが、地球上の人間と人間を繋ぐ威力において、これほどのものはない。

「・・・私の手紙をもとにして歌を書かれたとのこと。光栄です。ミスター・コーエンは霊感に満ち溢れた素晴らしい人です。彼は、あの晩、文字通り私の心に触れました。あの晩の体験は私の一生の宝物です。あなたは、どのようにして私の手紙を見つけたのでしょう。どうのようにして私のことを知ったのでしょう。なぜ歌にしようと思ったのでしょう。私の手紙をどのように使っていただいてもけっこうです。あなたの友だち、ヨナット」と書かれていた。

今夜はジブランの会。いつもは木曜日だが、メンバーの都合で水曜日になったようだ。遅くなって、「ありがとう、ミスター・コーエン」を歌ってみる。これで完璧、とは言いがたいが、前よりはよくなっている。歌いこんでいるうちに、メロディも定着するだろう。


August 10, Tuesday 2010

朝食後、窓の外を見ていた家人が「サルがいる!!」と叫ぶ。あわててカメラをもって飛び出したが、サルはもう見えない。仕方なく、一斉に花開いたヒマワリの写真を撮る。さらに、ノウゼンカツラも。

夜、上諏訪駅近くの居酒屋で高校の同級会。参加者は昨年に比べると少ない。そして残念ながら、先生も欠席。今年の夏は、いつもは屈強な先生が、少し体調を崩しているとのこと。猛暑のせいか。東京から2名参加。楽しい一夜。



往復の電車の中、永田さんの「浅原六朗」を読了。家族から引き離され、叔母の家に一人預けられた幼児体験が、その後の彼の人生を決定した。母を慕う気持ちが、すべての女性に向けられたのだと思う。


August 9, Monday 2010

午後松本へ。成績提出のため。午前中は雲っていたが、午後は晴れ上がり、山麓線のドライブは気持ちがいい。気温も先週ほどは高くない。池田町まで足を延ばし、浅原六朗文学記念館を訪問しようと思ったが、調べたら月曜休館である。別の日に行くことに。

帰路、ファーマーズ・マーケットに寄り、家人のために焼き蕎麦を買う。今朝家人がこのマーケットの焼き蕎麦について、Dr. Yから聞いてきたのである。最初、2パックをカゴに入れたが、量が多そうなので1パックにした。1パックにしてよかった。夕食にご飯代わりに分けて食べたが、お腹いっぱい。

不思議な野菜があった。一本カゴに入れる。100円。白いヘビのよう。瓜とのこと。漬け物にしたらいいとのこと。さてどんな味がするか。



夜、永田さんが書いた浅原六朗の伝記を読む。



August 8, Sunday 2010


朝起きたら、もう家人は畑に出ている。すぐ仕事着に着替え、外へ。先ず目に飛び込んできたのは、ひまわりの黄色。それにトマトの赤。ヒマワリは昨日はまだ咲いていなかった。

トウモロコシは3回に分けて蒔いた。最後に蒔いたのが大きくなってきた。お盆過ぎに食べごろを迎える。猿に半分盗られた最初に蒔いたトウモロコシを切り倒し、その横の若いトウモロコシの畝に枠を移し網をかける。効果があればいいが。



昼過ぎ、知事選の投票に。3人が立候補している。そのあと、少し昼寝。

知事選は、田中知事のとき、一時期副知事を務めた阿部さんが接戦を制して勝利した。


August 7, Saturday 2010

3週間ぶりのオープンマイク。オープンマイクの定義は人によって違うだろうが、ぼくが考えるオープンマイクは、音楽ばかりでなく、様々なジャンルのパフォーマンス、スピーチなどが並列して行なわれる場・時間である。そういう意味で、今夜のオープンマイクは、ぼくの考えるオープンマイクにかなり近いものであった。

サウンドチェックをしているところに、3月春場所前に入院した相撲好きのお客さん。驚いた、すっかり痩せている。腰が痛いといっていたので、減量が必要だったのかも。土日の2日間だけ外泊許可が出たとのこと。完治して、また相撲の話をしにきてもらいたいもの。彼が入院している間に、相撲界は大きく変わってしまった。

サウンドチェックの続きで、エリック・アンダーソンの Thirsty Boots を歌ったあと、丸山俊治さんにお願いする。1曲目、驚いた。「最近本人の歌が聞かれないので」と、藤森さんの「チェインジ」のカバー。2曲目の柴田トヨさんの詩に曲をつけた歌のあと、前回歌ったForty Years Ago。前回は英語だけだったが、今夜は日本語歌詞を加えて。分かりやすい。最後に、昭和20年の8月を歌った「とうもろこしの葉っぱ」。原田和恵さん、妹と二人で行った沖縄への旅の話を交えて2曲(スミマセン、タイトル失念)。こころ安らぐチャーチ・ミュージック。

続いて、休暇で帰省中の松尾レミさんと亀本寛貴君。二人は東京で活躍中の4人編成のバンド Glim Spanky のメンバー。松尾さん、ギター、ボーカル。亀本君、ギター。「Hey Marie, Understand」「眠りの森」「稲垣足穂にインスパイアーされた書いたまだタイトルのない歌」「Mr. Sleepy」。今夜も、前にも書いたようにソングライターとしての、そしてボーカリストとしてのレミさんの才能は健在であったが、初めてということもあって、亀本君のギターに大いに感銘を受ける。19歳とは思えない深みのあるサウンド。弾き過ぎず、大き過ぎず、ボーカルをしっかりサポート。

続いて北原真紀&大月高志ユニット。大月さんがまずギターでポール・サイモンの Angie (Anjiとつづられることもあるらしい) の演奏。そのあと、「誕生」を大月さんのギター&ボーカルと北原さんのボーカルで。このユニットでこの佳曲を聞くのは初めて。最後に、北原さんのオリジナル曲 Heart of Song。次に登場したのは、レミさんのお父さん、松尾晃さん。同じことは2度したくないというのが彼のポリシーのようで、今夜は Bud Powell のジャズのCDに合わせて、自作の詩(俳句)の朗読。B・パウエルの軽快なピアノに合わせて、「葬儀屋の/カバンにひっそり/『スイング・ジャーナル』」、「ジョン・コルトレーン/なんかに負けるな/一茶ここにあり」「お勝手で/嫁と姑が/ジャズ論争」というような「俳句」が100首ほど朗読される。面白い。ここで前半終了。









後半トップは、飯塚さん。XJapanのトシさんを追っての旅、それに、そろそろ閉鎖されるというジョン・レノン・ミュージアムへ行ってきた話。赤羽真理さん、「鹿のように」「許し」。そして大月さんのサポートで「千両梨の実」。丸山さん、女性が男性に比べて長寿なのは、おばさんたちは老いてから皆で一緒に活動するからと話してから、「おじさんたちよ」「昼間の花火」。原田(和)さん、「そばにいるよ」「主の祈り」。「私の愛する子よ」ということばで始まる1曲目は何度聞いても感動する。

レナさんと亀本君、「エーテル」「さよなら、ぼくの町」の2曲。原田和男さん、先月の同級会の帰りに訪問した小学校の最初の先生との再会の話。先生の前では70を過ぎた原田さんも「和男ちゃん」に戻る。北原さんと大月さん、「ストーリー」と「スタートライン」。北原さんのボーカルが「ストーリー」では特に冴えていた。大月さん、静かにゆったりとした「カノン」。最後に松尾さん、自作のことば遊び。客席は大笑い。残念ながら、早口で書き取れなかった。

楽しい一夜になった。次回のオープンマイクは8月14日(土)。ふるってご参加ください。


August 6, Friday 2010

各地で猛暑日が続いている。今日は北海道でも37℃を超えるところがあったよう。日本列島は北から南まで全域がヒーットアイランドと化した。ヒート・アーキペラゴーと呼ぶべきか。

夕方、オーリアッドへ出かける前、突然の雨。恵の雨。慈雨。草や花や木や野菜が喜んでいる。どしゃぶりの雨の中、オーリアッドへ。採点の集計をしているところに A. Kakiuchiさん。四方山話。知事選の話も。お店のパソコンの起動に時間がかかると話すと、EasyCleaner というソフトをインストールし、不要なレジストリーとファイルを削除してくれた。更に、時間をかけて重複ファイルを検出してくれた。感謝。

さらにディスク・ディフラグレーションを一晩かけるようにと勧められる。そうしようとしているところへ、Dr. T。時間と空間、死後の世界、禅、エックハルト、岡倉覚三、小池龍之介などの話をしているうちに、気がついてみたら、真夜中を過ぎていた。残念ながら、ディフラグレーションは来週ということに。明日は、オープンマイク。コンピュータに触っている時間がない。

レナード・コーエンの新曲 (Born in Chains) の映像が入ってきた。7月27日、オーストリアのザルツブルグでの映像。鮮明である。ウエブシスターズが少し大人になったような。
http://www.youtube.com/watch?v=Zv6aZ945StQ


August 5, Thursday 2010

午前中、採点完了。あとは集計して成績をつけるだけ。仕事をしている間に、猿を追い払う花火の音が何回か聞こえてきた。そのたびにカメラをもって飛び出したが、猿は見当たらない。午後、家人が外出からもどってきたと思ったら、「猿がきた」と大声を出す。あわてて飛び出ると、家の横の農道にトウモロコシの芯が散乱している。トウモロコシをくわえた猿が一匹、悠然と、山の中に入っていくのが見える。残念、カメラがない。

網のかかったトウモロコシの畝へ行ってみる。網の中に何本か食べ散らかしたトウモロコシがある。中に入って食べたようだ。

7時前にオーリアッドへ。家人と交代。昨日アップした Thirsty Boots の1番の歌詞の訳を考える。易しそうで難しい。そこへマーク・Bがやってきた。町のカメラ会社へ教えに行った帰り。今日は電車ではなく車できたとのこと。彼の助けを借りて、訳してみた。

マークが今夜も何曲か歌う。荒削りながら、ギターは実に上手い。ローリングストーンズの Jumping Jack Flash など。ハイポジションの押さえ方を少し教わる。

11時過ぎ、家に戻る。町のメインストリートに人影なし。


August 4, Wednesday 2010

終日、採点。ほぼ完了。採点の合い間に、今日届いた浅原六朗著『てるてる坊主の歌』を読む。童謡「てるてる坊主」の作者、浅原六朗の詩集である。ネットで検索したら牧野信一が浅原六朗について書いている文章が出てきた。更に、検索しているうちに、坂口安吾が牧野信一の死を悼む文が出てきた。いろんな人たちが繋がっている。

オーリアッド。ブラジル音楽の夕べ以来。テーブルをいつもの状態に戻し、ステージを片付ける。スピーカーからはジュディ・コリンズのFifth Album。これは彼女のアルバムの中で一番好きなアルバム。いくつもの佳曲が、例えばディランの「明日は遠く」や「ミスター・タンブリンマン」が、カバーされている。その中でも好きなのがエリック・アンダーソンの Thirsty Boots である。

公民権運動のために南部へ行って活動している友人のために書いた歌だといわれている。

1970年、カナダのトロントでエリック自身が歌っている映像。
http://www.youtube.com/watch?v=g70zT3lXPZc

ジュディ・コリンズとエリックが歌い、さらにトム・ラッシュとアーロー・ガスリーがからむという豪華版。
http://www.youtube.com/watch?v=Q841UwxzMF0&feature=fvw

こちらは、エリックと、バーズのロジャー・マッギンがグリニッチ・ヴィレッジのライブハウスで演奏している最近の映像。
http://www.youtube.com/watch?v=myVFkOuOpZI&feature=related

不滅の名曲である。


 You've long been on the open road
 you've been sleepin' in the rain
 From dirty words and muddy cells
 your clothes are dark and stained
 But the dirty words and muddy cells
 will soon be judged insane
 So only stop and rest yourself
 and you'll be gone again
   Oh take off your thirsty boots
   and stay for awhile
   Your feet are hot and weary
   from a dusty mile
   And maybe I can make you laugh
   and maybe I can try
   Lookin' for the evenin'
   and the mornin' in your eyes

 長い間君は行進してきた
 雨の中で眠ったりして
 罵られ、汚い独房に入れられ
 着ているものも埃だらけ
 でも君を罵り、独房に入れた連中の不正は
 すぐに暴かれるだろう
 だから足を止め、休んでおいでよ
 明日また行進を続けたらいい
    さあ、汗をたっぷり吸ったブーツを脱いで
    しばらくとまっておいでよ
    埃っぽい道を歩いてきた君の足は
    火照り、疲れている
    多分ぼくは君を笑わせられるよ
    少なくともそう試みることはできる、
    君の瞳に映る
    夜と朝を探して


August 3, Tuesday 2010

採点とジャガイモ堀りと曲作り。どれも完成はしなかったが、少しずつ進んでいる。

100歳を超える高齢者が、いるはずのところにいない、というニュースが相次いでいる。年金の不正受給の臭いもするが、誰にも知られず、亡くなっているというケースもあるだろう。ぼくの住む田舎の町では、昔ほどでないにしても、まだ隣近所との付き合いがある。それに独居老人は民生委員が定期的に訪問するし、80過ぎの高齢者は、町長が敬老の日にお祝いをもって訪れる。死んでいるのに、生きているかのように扱われることはありえない。

今回のニュースでは区役所の役人が一度も確認をとったことがないと答弁していたが、人口が多く、しかも隣近所の付き合いのない都会では、死亡時に届けがなければ、そのまま生きていることになってしまうかもしれない。ますます長寿社会になり、隣近所はおろか、家族間のつきあいさえ希薄になってきているようで、このような「事件」は今後も起こりうる。

そんな折り、今野雄二さんの訃報を聞いた。大学の1年先輩。面識はなかったが、音楽や映画の評論で著名な人。どうして自ら命を絶ったのだろうか。その動機を詮索しても仕方ないが、こういう報道を聞くたび「安楽死」について考える。

「もうこれ以上生きていけない」と思ったとき、家族や親しい友人に別れを告げて、身辺整理をして、静かに息を引き取ることはできないものか。希望者は誰でも簡単に「安楽死」できるというわけにはいかないだろうが、いくつかの条件をクリヤーすれば、そうできるということにならないものか。

もちろん、今ぼくがそれを望んでいるわけではない。まだしなければいけないこと、したいことがたくさんある。


Augsut 2, Monday 2010

朝、ジャガイモ畑の草をビーバーで刈るように頼まれる。小学校が夏休みの間、家人は、公民館へラジオ体操に行くのだが、今朝その前にジャガイモを掘ろうとしたが草が伸びていて、思うように掘れなかったとのこと。1ヶ月ほど前、ジャガイモ畑の端の草を抜いたところ、そこだけジャガイモを猿に食べられてしまった。それ以来草は伸び放題。

ジャガイモの草を刈ったあと、スイカのあるところへ。ここも猿対策として、草は伸び放題。しかし、歩くこともままならない。それで周りの草を刈っておこうと、刈り始めた途端、チラッとスイカが見えた。時すでに遅し。まだ大きくなっていないスイカの蔓を切ってしまった。惜しいことをした。

午後、ほたる祭りライブの音源を編集し、マウントシャスタのレスリーに送る。当日、彼女は時差ぼけで体調は万全ではなかった。それでも彼女の歌声は素晴らしく、多くの方々に絶賛された。彼女がこの音源を楽しんでくれたらいいのだが。昨日届いた彼女のメールの最後に、次のように書かれていた。

  
Fond memories and "HI" to all your friends I met....
  懐かしい思い出ばかりです。みなさんによろしく・・・


午後遅く日が落ちてからジャガイモを掘る。半分ほど掘っただけで汗だく。あとは明日。3種類のうち、メイクイーンが比較的よくとれた。

8月も暑い日が続くようである。ロシアでもこの夏は記録的な猛暑で、山火事が発生しているとのこと。中国では洪水が。

採点をできるだけ早く済ませなければ。



August 1, Sunday 2010

いよいよ8月。今日も朝から暑い。ジャガイモを掘らねばならないが、畑に行く気がしない。記憶する限り、28年前、この地にもどってから、こんなに暑い夏はなかった。先日松本へ行くとき、いつもは混んでいる道路が空いていることに気づいた。暑さのせいで、差し迫った用事のない人は外出を控えているのだろうか。

今日の午後、家人と隣町の温泉へ行ったときも同じことを感じた。日曜の午後なのに、道路も温泉も空いていた。暑すぎるというのは、エアコンの売り上げには繋がるかもしれないが、経済全体にはどうなんだろう。

温泉は素晴らしかった。南アルプスの山なみを眺めながら、ゆっくりと広々とした湯船に浸かる。伊那谷に点在する温泉は、どれも泉質がいい。検索したら全国の温泉の泉質ランキング というのが出てきた。それによると、伊那谷の南端にある昼神温泉は、昨年度22位につけている。2004年度は何と 6位 だった。伊那谷に点在する温泉の泉質はどれも昼神温泉に勝るとも劣らない。ということは、いずれも全国有数の泉質ということになる。

サンバとかボサノバというと、すぐに思い浮かぶのが「イパネマの娘」と「コパカバーナ」。YouTube の「コパカバーナ」は英語と日本語のサブタイトルつきで分かりやすい。コパカバーナはリオデジャネイロの海岸の名前だと思っていたら、この歌のコパカバーナは、ニューヨークのナイトクラブの名前。主人公はその店で働いていたローラというショーガール。リズムだけではない。ストーリーもあるいい歌である。

昨夜、「青空BOSSA」のゲストとして出演したドラマーの Alex Ozakiが誰かに似ていると思っていたが、今日思い出した。永田浩幸さんだ。そして永田さんに頼まれていた「仕事」も思い出した。童謡「てるてる坊主」の作詞者、浅原六朗について彼が書いた詞に曲をつけるというもの。締め切りはまだ先のことと思っていたが、早速とりかからねば。アレックスの顔が永田さんに似ていてよかった。


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