OREAD Diary January 1-31, 2010

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January 31, 2010 Sunday

2010年の12分の1が過ぎた。明日から2月。速い!ディランの歌に、Time is a jet plane/ it moves so fast (You're a Big Girl Now) というラインがある。確かにものすごいスピードだ。

朝から、試験問題の準備をしたり、来年度のシラバスを考えたり。午後3時、区の公民館へ。御柱委員会。直会(なおらい=神事のあとの宴会)は欠席し、岡谷へ。LSECの今年初めてのクラス。

先ず、Sailing, Amazing Grace, Yesterday を歌う。そのあと、Shadowing の資料を渡し、解説する。1ヶ月に1度のクラスだが、毎日少しずつ学習することが肝心。今年は毎日 Shadowing を5分でも10分でもいいからやってもらおうと思う。

J.D. Salinger の死に話しが及び、誰かが、わが家の猫のフィービーという名前は「彼の本からとったんですね」という。2日前の Oread Diary を読んだようだ。以前「『お気に召すまま』からとったんでしょう」と言われたことがあるが、そうではない。『ライ麦畑でつかまえて』である。

もう何年も前に勤めていた短大の紀要に『とうもろこし畑でつかまえて―Field of Dreams と Bruce Springsteen』というエッセイを書いたことがある。1980年代のアメリカ社会に顕著だった「父」との和解というテーマについて。この場合、「父」は生物学的な父でもあり、かつて60年代の若者たちが "Trust nobody over 30" と否定した「大人たち」でもあり、「天にましますわれらの父」でもある。

映画 Field of Dreams を何回か見たあと、これは The Catcher in the Rye の続編だと思うようになった。ホールデンの成長した姿がレイ・キンセラである。「ライ麦畑に隠れていて、夢中になって遊んでいて、崖から落ちそうになる子供を捕まえてやる人になりたい」というホールデンの夢を受け継ぎ、彼はとうもろこし畑に野球場を作る。そこで、彼は落ちそうになる子供たちではなく、落ちてしまった大人たちを捕まえるのである。八百長のかどで永久追放されたシカゴ・ホワイトソックスの8人の選手、そして、覚えている限り、生きる屍のように生きていた父親を捕まえる。

それはとりもなおさず、自分が捕まえられるためだったのである。徹底的に否定した父親との和解を経て、レイは初めて、ユングの言う individuation process (全人化 の過程)を通過する。彼は父を捕まえたように見えて、捕まえられていたのである。最後に、彼の父ジョン・キンセラが、ヤンキースのユニフォームを着たキャッチャーの姿で登場するのは、単なる偶然ではないだろう。

岡谷からの帰りオーリアッドに寄り、アンプの電源をつけてみる。以前も、何もしないのに直っていたことがあった。Lo and Behold!! 左のツマミの上の赤いランプが消えている。CDをかける。♪Dance me to your beauty with a burning violin ♪ 左のスピーカーからもちゃんと聞こえてくる。よかった。

今夜の月も大きい。


January 30, 2010 Saturday

昼前家人と岡谷の久保寺へ。工事中の箇所が多く、お寺にたどり着くのに一苦労。明日が久保寺の節分会。お寺も改修中で、縁側から声をかけると若いご住職が出てきた。一年前家人がいただいたダルマとお札をお返しする。帰ろうとすると、先代のご住職を別棟に呼びにいってくれた。先代のご住職に、家人は昨年お会いしたが、ぼくは何年ぶりだろう。お元気そう。息子さんは南禅寺で修行されたとのこと。柴山老師や福島老師のことが話題に。寒松軒、更幽軒という呼び方を久しぶりに聞いた。懐かしい響き。帰り際、6月20日(日)のビッグハットでのダライ・ラマの講演に誘われる。是非行きたいと伝えたが、ひょっとしたら難しいかもしれない。前日がほたる祭りライブになる可能性がある。

6時前、オーリアッドへ。宮木の交差点を左に折れたところで、伊那富橋の上に見事なブルームーン。こんな見事な月を見たのは久しぶり。6時オープンしたあと、橋のところへ写真を撮りにいく。残念、ほんのわずかな時間だったのに、薄雲が出て、朧月に。

今夜最初に入ってきたお客さんは、初めての女性。藤森さんの指定席、1番テーブルにすわる。次に、藤森さんが来て、1番テーブルを見て、5番テーブルへ。藤森さん「人生に勇気」「子守唄のように」「おまえの歌が聞こえる」「チェインジ」のオリジナル4曲。次にぼくが、Dance Me to the End of Love と Bird on the Wire を英語と日本語で。そして最後に「ガビタの海」。

ここで再度藤森さんにお願いしようとしたところで、1番テーブルの女性が立ち上がり、レジのほうへ。2,3言葉を交わす。15年ほど前にぼくのクラスにいたことがあるとのこと。名前に聞き覚えはあったが、
入ってきたときはまったく分からなかった。是非また来てほしいもの。






このあと、藤森さん、「恋」など、カバーを3曲。名取さん、今夜1曲目はピアノ弾き語りで「故郷の人々」( aka 「スワニー川」)。そのあと「駅」、そして「カノン」。以前よりずっと安定した演奏。前半最後は、大月さん、今朝の新聞に載っていた高校の同級生だったというジャズシンガーの話をしてから「カノン」。彼女は何年か前、ぼくが留守をしているときにオーリアッドで1度歌ったことがある。そのとき彼女が歌った歌のひとつがベット・ミドラーの The Rose。ここで休憩。

後半トップは、赤羽さん。「鹿のように」「私を待つ人がいる」「千両梨の実」。最後の曲は大月さんのサポートで。次に藤森さん「今日は土曜日」を含む2曲。名取さん「別れの歌」。そのあと、赤羽、藤森、大月の3氏で、先日の「キング牧師の日」にみなで歌った「22才の別れ」「あの素晴らしい愛をもう一度」「みかんの花咲く丘」。そして最後の赤羽さん「驚くばかりの」「許し」。

後半が始まって赤羽さんが歌い始めてしばらくして、左側のスピーカーが鳴らなくなった。アンプを見ると前面左のツマミの上に赤いランプがついている。いろいろ試みたが、ランプは消えない。叩いても、さすっても、ツマミをぐるぐる回して駄目。以前も何回かこういうことがあった。自然になおったこともあったが、業者に送ってなおしてもらったこともある。さて今度はどうだろう。トラブルといえば、ピアノのボーカル用マイクの調子も悪い。なんとかしなければ。

11時閉店。家に戻り、見上げると、残念ながら、6時前に見た満月のようにクリヤーカットではなかった。薄雲がかかっている。それでもなかなかきれい。次のブルームーンはいつだろう。




January 29, 2010 Friday

毎朝、起きて先ずすることは、仕事部屋へ行き、インターネットに接続し、メールをチェックし、内外のニュースサイトをざっと見ること。今日は驚いた。先ず目に飛び込んできたのは、

  Author J.D. Salinger dies at 91

という CNN のヘッドラインだった。1964年の秋、初めてペーパーバックで読んで以来、 The Catcher in the Rye (『ライ麦畑でつかまえて』)は、ぼくの愛読書である。和訳も含めて何度も読み返した。購読のテキストや副読本としてもいくつかの学校で使った。

わが家の2匹の猫の名前はソフィーとフィービーだが、後者はこの本の主人公ホールデン・コールフィールドの妹の名前からとったもの。映画『フィールド・オブ・ドリームズ』にのめりこんだ原因のひとつは、PTA
の集会で親たちが子供たちに読ませてはいけないと息巻いた本『ボート・ロッカー』は、『ライ麦畑でつかまえて』であり、その著者テレンス・、マンは、サリンジャーがモデルだと知ったから。

夜、オーリアッド。後半忙しくなる。11時過ぎ、閉店し家にもどる。昨夜にもまして明るい月が頭上に。明日の晩はブルームーン。

今日は一日、J.D. と『ライ麦畑でつかまえて』のことを考えていた。So long, J.D. Thank you for your imvaluable gift.


January 28, 2010 Thursday

天気予報がズバリ当たり、朝起きたら、一面の雪景色。そして10時ごろから雨に変わる。11時過ぎ、雨も上がり、松本へ。今年は不思議なことに辰野に雪があっても塩尻、松本へ行くと雪がない。今朝も松本には雪が降った気配がまったくない。以前スリップ事故があった山麓線の下り坂も問題ない。

試験監督をすませ、生協の本屋さんに立ち寄り、あがたの森の喫茶店でコーヒーを飲み、家に戻る。喫茶店は禁煙になり快適。マスターが「六平さんのコンサートはどうでしたか」と声をかける。盛況だった旨伝える。まさに堀さんの一声一大(一世一代)のコンサートだったといっていい。マネジャーの上條さんのメールに、大変だったけれど「やってよかった。大成功だった。大収穫だった」とあったが、苦労された分、満足感、達成感も大きかったに違いない。

5時前、家に戻る。国道153号線から今村へ入り、上の段に上ると見渡す限りの雪景色。春から冬に戻ったような。

オーリアッド。原田さんと今年2度目の対局。惨敗。1勝1敗。負けるときは、序盤の悪手が最後になってきいてくる。遅くに、田中先生 with a student。自作の「ララバイ」という小品を弾いてくださった。懐かしさを感じさせるメロディ。

11時過ぎ、家に戻る。頭上に、大きな月。調べてみたら、30日が満月。ということは今年の1月1日が満月だったので、今度の満月は Blue Moon ということになる。同じ月に2度満月がある場合、後の満月をブルームーンと呼ぶようだ。[The second of two full moons occurring in the same month.]

ブルームーンはめったに起こらないから、そこから、once in a blue moon (ごくまれに)という副詞句が出来た。ビル・モンローの Blue Moon of Kentucky の Blue Moon は「青い月」なのか、それとも同じ月の2度目の満月か?

「月がとっても青いから、遠回りして帰ろう〜♪」と子供の頃よく聞いり歌ったりした歌がある。日本語の感覚では blue moon はやはり「青い月」である。



January 27, 2010 Wednesday

午後、参院予算委員会の模様をTVで見る。野次が凄い。誰か話しているときには聞く、という最低の躾ができていない。普天間飛行場の移設に関して首相は5月までに移転先を決めると明言したが、大丈夫か。もう少し、あいまいな表現にしておいたらと思ったが、そこが彼のいいところかも。

そのあと、チャンネルをまわしていたら、ドラマをやっていた。普段、こういうドラマを見ることはないのだが、万引きシーンから目が離せないでいたら、ぐいぐい引き込まれて最後まで見てしまった。「デパート仕掛け人! 天王寺珠美の殺人推理」。泉ピン子と村田雄浩のふたりの演技が見事。ウォーキングに行きたいと思っていたが、時間がなくなってしまった。

夜、オーリアッド。何人かのお客さん。寒いせいか生姜紅茶の注文。11時過ぎ、家に戻る。大きな月が頭上に。天気予報によれば、明日は朝は雪で、午後から雨になるとのこと。信じがたい。

                    

「第2回キング牧師の日チャリティーコンサート」にご協力いただいたみなさんへ。

ご協力ありがとうございました。本日、民際センターへ、昨年と同額を振り込みました。詳細は、次のURLからご覧いただけます。ありがとうございました。

http://www.secondwind.jp/kingfurikomi2010.htm




January 26, 2010 Tuesday

午後、後期最後のクラス。2コマ。最初のクラスはどちらかというと静かなクラスで、歌を歌うときも、小さな声でぼそぼそ。でも今日は違った。いつもより大きな声。もうひとつのクラスは、いつも大きな声。今日も男子と女子の声が見事にブレンドして聞こえてきた。4月には両方のクラスの誰もレナード・コーエンという名前さえ知らなかった。その学生たちが♪ I've heard there was a secret chord 〜♪ と歌う声が教室を満たす。感動的。

控え室に戻ると、マークが見慣れぬ若い男と入ってきた。そして「4月からここで教えることになった
デイヴィッドだ」と紹介してくれた。それで、"I've heard there was a secret chord that David played and it pleased the Lord"と言うと、彼が"But I don't really care for music."と応える。"That's good! That's great!!" とぼくが言う。これはちょっと禅問答じみていて、面白い。

NZに住む次男から子猫の写真が送られてきた。知り合いの猫が子猫を産んだのでもらうことにしたとのこと。「まだ元からいる猫と仲良くないですが二匹の間の距離が少しずつ縮まっています」とのこと。そういえば、何年か前に訪ねたとき、大きな猫がいた。すぐに慣れて仲良くなるだろう。



January 25, 2010 Monday

午後、ウォーキングへ。外に出ると風が冷たい。旧道に下り、いつもの道を徳本水へ。あまりの風の冷たさに、引き返そうと何度か思ったが、そのまま歩き続けた。しばらくすると身体があたたまり、冷たい風も気にならなくなった。城山公園で背伸びダイエットのエクササイズをして、家に戻る。

明日は後期最後のクラスの日。その準備を少し。明後日から期末試験。うーん、そのあとは一番苦手な採点と成績付け。できるだけ早く終わらせてしまいたい。

夜遅く、ソニーの栗原さんから、ハイチ救援のための Hope for Haiti Now: A Global Benefit for Earthquake Relief で歌われた「ハレルヤ」のURLが送られてきた。歌っている人は、Justin Timberlake という知らない人。ピアノの弾き語り。なんと素晴らしい演奏。
http://www.mtvjapan.com/video/program/29051

その前に音楽評論家の和田さんから、ダミアン・ライスという、これまた知らない人が歌っている「ハレルヤ」のURL が送られてきた。これまた素晴らしい。
http://www.youtube.com/watch?v=aaHdeNN_ee0&feature=related

ジャスティンにしてもダミアンにしても、コーラスの「ハレルヤ、ハレルヤ・・・」を歌うとき声を張り上げない。勉強になった。

スプリングスティーンが何を歌ったのか検索したら We Shall Overcome を歌っていた。
http://www.youtube.com/watch?v=RSoNzGWJrGs



January 24, 2010 Sunday

やはり疲れていたのだろう。午後、駅伝を見ているうちに眠ってしまった。目覚めたときには、終了していた。トップにいた長野県は結局5位に終わった。3区、福島の山登りの神様柏原と長野の村沢(東海 大)の競り合いは見ものだった。このとき村沢競り勝って首位でゴール。長野県の三連覇なるかと思ったが、思惑通りにはいかなかったようだ。

その後、ウォーキングに。しばらく雪が降ったり、寒すぎたりでやめていた。雪はもうなくなっていたが、国道153号線の徳本水のカーブの土埃がひどい。できるだけ息をしないで、足早に歩く。50メートルほど行き、山の麓の小径に入る。快適である。子供たちが遊んでいるかなと思ったが、誰も いなかった。城山公園へ到着し、見上げると半月。東には守屋山。南には仙丈の白い峰がかすかに。



垣内さんから、昨日の六平さんのコンサートのいい写真が送られてきた。感謝。



All photos by A. Kakiuchi, aka Freepa.

少しだけ出させてもらったぼくがこれだけ疲れたのだから、堀さんはさ ぞ疲れたことだろう。ゆっくり休んで、また元気な姿を見せてほしい。昨日のあの長いコンサートには、彼の夢がぎっしり詰まっていたのだと思う。70年代初め元祖わ さびーずが活動していたころの活気のある音楽シーンを、もう一度長野県に蘇らせたいと思ったのではないか。別々に活動している歌い手やグループを、世代を 超えて、一か所に集めて、交流させたいと願ったのではないか。



January 23, 2010 Saturday

堀六平さんの音楽放送文化活動40周年を記念する「一声一大フォーク祭り」 at まつもと市民芸術館に参加させていただいた。休憩を挟んで、2時から7時半までの長丁場。印象に残ったパフォーマンス、パフォーマーはなんと言っても前半のフィナーレを飾った ボニージャックス。歌い始めたとたんに彼らの世界に引き込まれた。選曲も今日のイベントに合わせて、初期の英語のフォークソングや黒人霊歌。Down by the Riverside; Swing Low, Sweet Chariot; Gone the Rainbow, Can't Help Fallin' in Loveなど。 さすがに半世紀にわたって活躍してきたヴォーカル・カルテット。

所太郎さんがミュージシャンだったことは、ずっと以前、怪僧岡崎大愚さんから聞いていたが、彼のギターもボーカルも素晴らしかった。さすがに「海は恋してる」のザ・リガニーズの元メンバー。何よりも彼の謙虚さに圧倒された。

コンサート全体のフィナーレを飾った「元祖わさびーず」の演奏も素晴らしかった。35年ぶりの再会とは思えない息の合った演奏とトーク。六平さんも水をえた魚のよう。そのほかの出演者もそれぞれに個性のある演奏で楽しませてくれた。最後に出演者全員で「ふるさと」を歌って終了。






ぼくは前半、「祈りの歌」と「私は風の声を聞いた」(new version)を大月さんのサポートで歌わせていただく。うまく歌えたかどうか分からないが、とにかくこのようなイベントに参加させてもらえたことに感謝。そして、この一大イベントを成功させた六平さんとマネジャーの上條さんに敬意を表したい。見えないところでどれほどの苦労があったか推察するに余りある。


January 22, 2010 Friday

寒い朝。朝食後、フィービーが外に出たがるので、一緒に外へ。庭のモグラの山に霜柱が立っていた。しかし空は青く、白樺の芽も少し膨らみ始めているような。なんとなく春の気配。



朝から、マーク・Bに頼まれていたちょっとした翻訳に取り掛かり、昼過ぎ、メールで送る。そのあと、たつの新聞から頼まれていた短い文章を書き、届ける。推敲に推敲を重ねて220字に。これが難しい。これでほぼ一日が終わった。合間に、明日歌う歌の練習。特に「私は風の声を聞いた」のニューヴァージョンのリズムを確定する作業。

この歌は23歳のときサンタバーバラの山の上で経験したことを歌にしたもの。ほぼ40年前のこと。六平さんの芸能活動40周年を記念するコンサートにはふさわしい歌かも。それに新しいヴァースを2つ付け加え、最後に従来のヴァースの言葉を一部変更し、up-to-date に。あまり長くなってはいけないので、その分お経を短く。

夜8時過ぎ、「ザ・ベストナイト」というラジオ番組から電話でインタビューを受けたあと、オーリアッドへ。小雪が舞っている。寒い。喉がいがらっぽい。大月さんと明日歌う2曲の練習。いい感じである。

今夜は早目に切り上げて家に帰る。国道から旧道に入ると、雪で真っ白。でも東の空には星も見える。おそらく明日は積もらないだろう。葛根湯を飲んで寝ることにしよう。


January 21, 2010 Thursday

朝起きて外を見ると雨。畑に少し残っていた雪も消え、黒い土から靄(もや)が立ち上がっている。暖かい。春の雨。

と、思っていたら、一転、午後から気温が下がり始め、夜は冷え込んだ。雨が降ってから冷えたので、いたるところが凍っている。夜、家に戻り、ガレージのシャッターを下ろそうとしたら下りない。何度か力を入れて引っ張ったら、ようやくバリバリと音がして下りてきた。昨日が大寒。むしろこれが本来の寒さか。

午後、後期最後の木曜のクラス。テキストは一応先週で終わり、ファイナルテストについて話し、それから前期と後期で歌った歌を、途中DVD を交えながら、歌う。最後にディクテーション。It was a good class. 一年間、ぼくが楽しんだほどに学生も楽しんでくれたらいいのだが。

夜、オーリアッド。赤羽(真)さんが寄ってくれた。2月13日(土)の飛び入りライブに彼の昔の音楽仲間が出演したいと言っているとのこと。大歓迎である。この日は、「愛のバレンタインデー・スペシャル飛び入りライブ」。「キング牧師の日スペシャル」で好評だった「歌声喫茶」風みんなで歌うコーナーを設け、「愛の歌」を大合唱したいと思っている。是非多くの方々に参加してもらいたいもの。歌いに、そして聞きに。

11時過ぎ、家に戻ってメールを開けたら、ジョン・Kからメールが入っていた。

Great job on organizing and providing the heart and soul of the MLK event at Oread. Good people and a good cause. Man, the Oread musicians are talented!!

最後の一文は、「オーリアッドのミュージシャンたちは凄い、レベルが高い!」という意味、つまり、この前の日曜日の赤羽、太田、大月、藤森、丸山、各氏の個別の演奏も、参加者全員で歌ったコーナーの演奏も、実によかったという意味である。彼の言うとおり。本当に素晴らしかった。個別に歌ったオリジナルも、全員の演奏も。


The last photo by A. Kakiuchi.

寝る前に、マーク・Bに頼まれた翻訳をすませて送ってしまおうと思ったが、歌の練習をしていたら時間がなくなった。明日の朝送ることに。


January 20, 2010 Wednesday

午前中、国会中継をしばらく見る。政権は変わったが、同じことを繰り返しているような。deja-vu?

午後、月に一度の定期健診。特に異常なし。久しぶりに血液検査。結果は来月。いつもの降圧剤と、うがい薬を処方してもらう。そのあと、オーリアッドへ。日曜日の後片付け。お皿を洗ってから、カンボジアとラオスの子供たちの写真を壁から剥がす。彼らが真剣な顔をして直立不動で立っている姿は、ぼくの心を懐かしさで満たす。かつてわが国にもこのような少年少女がたくさんいた。

宮沢賢治の「告別」という詩の最初の4行―

  
おまえのバスの三連音が
  どんなぐあいに鳴っていたかを
  おそらくおまえはわかっていまい
  その純朴さ希みに充ちたたのしさは
  ほとんどおれを草葉のようにふるわせた


彼らの「純朴な」立ち姿や「希に充ちた」眼差しは、ぼくの心をふるわせる。

5時過ぎ家に戻り、金曜日の電話インタビューで話すことを考える。ぼくのフォークとのかかわりは、63年サンタローザでPPM、キングストン・トリオ、ブラザーズ・フォー、そしてボブ・ディランを聞いたことことから始まる。

64年7月帰国してから、いわゆる和製フォークが流行り始めた。その中で印象に残っている歌は、ブロードサイド・フォーの「星に願いを」、そしてサベージの「いつまでもいつまでも」。そして、フォークと呼んでいいかわからないが、マイク真木の「バラが咲いた」。66年の春、彼がこの歌でデビューしたとき、よみうりホールへ聞きに行った。荒木一郎の「空に星があるように」は、サンタバーバラに行ってから1年ほど経ってから、日本からきた学生に教えてもらった。この歌も好きだった。

その後、日本の音楽シーンはグループ・サウンドへと移っていく。そしてプロテストフォークへ。そしてニューミュージックへ。その頃は分からなかったが、振り返ってみると、音楽の流行はめまぐるしい速度で変化していた。

66年から3年間サンタバーバラで過ごし、帰国したら、いわゆる関西フォークと呼ばれる歌い手たちが活躍していた。ぼくが京都へ行った理由のひとつは、京都が関西フォークの中心地だったから。

7時過ぎ再度、オーリアッドへ。今夜は暇で、フォークソングについて、記憶をたどりながら、更にいろいろ考える。フォークとは何か? その答えは「風に舞っている」。ぼくの答えは、自分の思いを、時には主張を、自分の言葉とメロディで歌った歌とでもいおうか。「バラが咲いた」を「フォークと呼んでいいかわからない」と言ったのはそういう意味である。

今夜は少し早目に閉めて帰宅。玄関先の温度計は8℃。けっこう高い。しかしぼくは寒くて仕方ない。疲れているのだろうか。熱いお風呂に入って寝ることにしよう。

1月23日(土)は
臨時休業することに。堀六平さんの「一声一大フォーク祭り」にゲストとして出演するため。午後2時から7時までの長いフォークフェスティヴァル。午後7時に終わるとなると、お店を開けるのはちょっと難しい。

そういえば、70年代に活躍した淺川マキさんの訃報を聞いた。目を閉じれば、彼女の寂しい独特な歌声が聞こえてくる。



January 19, 2010 Tuesday

午後2コマの授業。クラスが始まる前、印刷室へ行くと、リチャードがいた。しばらく、一昨日のイベントについて話す。彼も楽しんでくれたようだ。そんな風に見えなかったが、最初は少し緊張したという。評判がよかったと伝える。

今朝、堀六平さんの事務所から招待券が届いた。丸山さんに電話して、クラスのあと、あがたの森の喫茶店で会い、招待券を差し上げる。それに今朝のたつの新聞の丸山さんが写っている記事のコピーも。

夜は、SBCの小森さんと電話で話す。金曜日の夜8時からのラジオ番組で電話インタビューをしたいとのこと。ぼくのフォークミュージックとのかかわりやディランについて。来日に伴って、いろんなメディアがディランを取り上げているようだ。同じ番組内で「22才の別れ」の作者も電話インタビューに登場するとのこと。シンクロニシティ? この間、彼の歌をみんなで歌ったばかり。

堀六平さんの「一声一大フォーク祭り」は今度の土曜日。午後2時から。ぼくは午後2時45分から15分間歌わせてもらうことに。大月さんにピアノのサポートをお願いした。確かにこれは「フォークコンサート」ではなく、「フォークフェスティバル」だ。延々5時間、多くの歌い手が入れ替わり立ち替わり登場する。詳しくは彼のホームページ参照。http://www.roppei.net/


January 18, 2010 Monday

土、日とライブが続いたので、疲れて朝起きるのが辛かった。身体の節々が痛む。家人はぼくよりもひどく、腰が痛むようだ。明日になれば、多分、大丈夫だろう。

疲れてはいるが、昨日のコンサートに対するいくつかの好意的なメールが届き、元気づけられた。先ほど、神奈川県に住むという方からメールが届いた。

  こんばんは。神奈川の I・Y と申します。以前CDを注文させていただいた時は、
  京都に住んでいました。ようやく念願叶い、オーリアッドを訪ねることができまし
  た。昨日はキング牧師の日の素晴らしいコンサートを、本当にありがとうござい
  ました。出演者の方々、皆さまにお礼を言いたいです。おかげさまで心温まる
  時間を過ごすことができました。私は碌山忌のコンサートで三浦さんを知りまし
  たので、この機会に結び付けてくれた碌山に感謝です。

県外から来てくださった方がいたとは知らなかった。こちらこそ、お会いして一言お礼がいいたかった。

  朗読や読み聞かせのおかげで、キング牧師やローザ・パークスさんのことがよ
  くわかり、彼らがとても身近に感じられました。リチャードさんのお話もよかった
  です。今回は職場の同僚も参加してくれたのですが、あっという間に時間が過
  ぎたと言っています。

これも今夜届いたメール。確かに歌だけでなく、朗読と読み聞かせがあったので、あの時代の雰囲気や、キング牧師が公民権運動の表舞台に立つきっかけをつくったローザ・パークスのことがよくわかり、リチャードの話の内容がより伝わったのではないかと思う。それに「あっという間に時間が過ぎた」と感じてくださったのは嬉しい。というのは、2時間半で終わらせようと思っていたのだが、3時間を超えていたので。


all photos by A. Kakiuchi, aka freepa.


January 17, 2010 Sunday
Martin Luther King,Jr. Day Benefit Concert

多くの方々の協力を得て「キング牧師の日チャリティーコンサート」無事終了。今年は、新しい試みとして3人の方に朗読をお願いし、さらに歌声喫茶風に、オーリアッドの常連ミュージシャンたちの演奏によって、参加者全員で歌うコーナーを設けた。両者ともに好評であった。朗読によって、キング牧師やローザ・パークスさんについてより詳しく知ることができたし、全員で歌うことによって、会場に一体感が生まれた。「客席の歌声が素晴らしかった」とジョン・クーンズがあとで話してくれた。(以前から思っていることだが、これはまさに日本における小学校の音楽教育の成果である)。

そして何よりも、リチャード・ロビンソンの話と人柄が、多くの人に感動と感銘を与えたようだ。「リチャードの話はこの会の生き証人として心打たれるものでした」「Richardのキャラクターには大きな魅力を感じざるを得ません」というようなメールが届いている。

そして主催者として感謝したいことは、パブリシティーの期間が短く、不十分だったにもかかわらず、多くの方々が参加協力してくださったこと。長野、松本、岡谷、箕輪、伊那など、町外からの参加者も多く、お寄せいただいた寄付金は6万円に達した。スーザン・ブランツさんをはじめ、寄付金だけを送ってくださった方々もいて、合わせると、7万円をはるかに超えそうである。ということは、今年も少なくとも7人の子供たちを、一年間学校へ送ることができそうである。[詳しい報告は後日]








オーリアッドの常連ミュージシャンたちの演奏もそれぞれ実に素晴らしかった。歌を歌っている人にはわかっていただけると思うが、歌う言葉のひとつひとつが、しっかりと聞いて下さる方々の心に届いているという感触。すばらしいオーディエンスに感謝。

最後は、 公民権運動とかかわりの深い We Shall Overcome を全員で歌って終了。「子供たちの未来や笑顔にもつながって行けるコンサートが来年も続くことを願って…否、祈っています」とのメールが届いた。おそらく来年もおこなうことになるだろう。



January 16, 2010 Saturday
Open Mike

開店後、ステージのキング牧師の垂れ幕の横に、昨年のコンサートの寄付金で就学支援をした7名の子供たちの拡大した写真を藤森さんと丸山さんに手伝ってもらって、貼る。この子供たちの純朴な笑顔や姿は、戦後の貧しい日本の子供たちを彷彿させる。懐かしさで涙がでそうになるほど。

今夜のオープンマイクは、明日の「キング牧師の日チャリティーコンサート」のリハーサルのよう。それぞれが個人で歌ったり演奏したあと、明日、聞きにきて下さるみなさんと一緒に歌う歌の練習。大いに盛り上がり、「22才の別れ」を歌ったときは、お客さんの一人が立ち上がってマイクをもって歌い始めるほど。大月さんの見事なリードギター。先週も書いたが、4人のフォークグル−プとして活動できそう。







後半、さらにお客さんも入り、再度、4人のフォークグループの演奏。明日はいいコンサートになりそうである。11時過ぎ閉店。家に戻ると満天の星空。明日は天気もよさそうだ。


January 15, 2010 Friday

朗読の会「ひびき」の新年会。昼食会。その席上、今年の3月の発表会(お話しを聴くひととき)の計画が話し合われ、今年は相馬黒光(そうま・こっこう)をとりあげ、彼女に関しての文章の朗読をするということになった。しかも、朗読を「碌山」の歌の合い間に入れたいとのことである。不安もあるが、面白い試みかもしれない。相馬黒光さんは、ぼくの「碌山」という歌の中に登場する「その人」である。

明後日の「キング牧師の日チャリティーコンサート」のパブリシティをお願いした情報誌(週刊いな)から電話があり、バレンタイデーには何かイベントを行なわないかとのことだった。何もありませんと答えたが、2月13日が土曜日とのことで、「愛のバレンタインデースペシャル飛び入りライブ」はどうかということになり、案内を載せていただくことにした。この日はラブソング特集。

オーリアッドは今夜は暇で、マーク・Bから借りた O Brother Where Art Thou? を見た。面白い映画だった。挿入されているカントリーというかヒルビリーというか、音楽もよかった。イギリスのDVDは問題なく日本でも見ることができるようだ。

政局がまたまたキナ臭くなってきた。



January 14, 2010 Thursday

6時少し前に起きる。5センチも積もっていない。雪かきをするまでもないと思ったが、旧道の雪かきに。隣のおじさんは箒をもってやってきた。それほどに軽い雪。二人で、家の下の旧道と、国道153号線に降りる坂のところの雪をかく。

朝、松本へ行く途中、塩尻の「月見茶屋」の広い庭にどんど焼きの見事なやぐらが組まれているのが見えた。雪景色の写真を撮ろうとカメラをもっていったが、塩尻、松本に雪はほとんどなかった。しかし、おかげでこの写真が撮れた。やぐらに上って飾りつけをしている人たちに、「いつ燃やすんですか」と聞くと、17日とのこと。

午後、クラスのあと講師控え室でリチャードと打ち合わせ。「キング牧師の日チャリティーコンサート」(17日)での彼のスピーチについて。彼の波乱にみちた人生について聞く。生まれたところはサンディエゴ。4歳のときロングビーチに移り、高校入学と同時にロサンゼルスに引っ越す。高校時代はアメリカンフットボールとボクシングをやっていたとのこと。

キング牧師は、自分の子供たちが将来「皮膚の色ではなく人格の内容によって判断される国」に住むことを夢見たが、リチャードの人生は、まさにその夢を地で行く人生。

夜、オーリアッド。ジブランの会のみなさんの勉強会。継続は力なり。頭が下がる。

11時過ぎ、家に戻ると、−8℃。見上げると、満天の星空。明日は雪の心配はなさそうだ。



January 13, 2010 Wednesday

今日こそ、寒い一日。しかしオーリアッドの中は、一昨日、入り口のドアに目張りをしたせいか、いつもより暖かい。今までは外の空気がドアの隙間から入り込んで、内と外の気温はあまりかわらなかった。そこへ暖房をしていたので、特に寒い日などは、閉店時間近くになってようやく暖かくなった。

17日のコンサートで話をしてくれるリチャードと電話で話す。彼は、いままでの人生を振り返ってみると、キング牧師の思想や行動から大きな影響を受けてきたという。「影響」と訳したが、彼はinfluence ではなく impact という言葉をつかった。直訳すれば「衝撃」である。1963年8月、キング牧師がリンカーン記念堂前の広場で「私には夢がある」のスピーチをしたとき、2歳だったとのこと。彼がメンフィスで暗殺された1968年には、6歳か7歳だったことになる。小学1年生か2年生だった彼はそのときどんな「衝撃」をうけたのだろうか。その時の彼の目に映った彼の両親を含む、アフリカ系アメリカ人の人々の「衝撃」はどんなものだったのだろうか。

明日の朝も大雪の予報。当たらなければいいが。



January 12, 2010 Tuesday

小雪の舞う寒い一日。ありがたいことに、積もるほどではなかった。明日はどうだろう。天気予報によれば、かなり降りそう。

今日は、月曜の授業の振り替えとのことで、松本に行く必要なし。おかげで、終日家にいて「キング牧師の日チャリティーコンサート」の準備ができた。朗読していただく文もほぼ翻訳終了。参加者も徐々に増えてきた。「昨年参加してとても楽しいコンサートでしたので今年も是非参加したいと思っています」というメールも届いた。大勢の方々に参加していただきたいものである。

白馬童子さんから、「CDが届いた」とのメールがあった。よかった。ぼくが投函したあと、ポストから取り出されて、昨夜のうちに白馬村へ送られたのだろう。

背伸びダイエットを今日もやってみた。説明によると、背中の筋肉には、脂肪の燃焼を促す褐色脂肪細胞というものがあって、背伸びをして、更にそっくり返ることで、その筋肉を刺激するらしい。痩せるかどうかはまだ2日目なので定かではないが、この2種類の背伸びをすることで、首筋から背中にかけての筋肉がほぐれ、気持ちがいい。

次のURLをクリックすると、2種類の背伸びのやり方を読むことができます。http://yaplog.jp/rie-diet/archive/17


January 11, 2010 Monday

成人の日。

午後白馬童子さんのところへCDを送るため、郵便局へ。郵便局は閉まっていると知っていたが、本局のポストに入れれば、確実に明日は届くかと思ったのだが、休日は、郵便物を取り出す最終時間が1時半とのこと。すでに手遅れ。白馬童子さんのところへは明後日つくことになる。民営化してもサービスはよくなっていないような。

帰り、オーリアッドへ寄り、土曜日の後片付け。そのあと、入り口のドアに隙間風を防ぐテープを貼る。これで暖かくなってくれればいいが。

夜は、「キング牧師の日チャリティーコンサート」の朗読用の翻訳。I Have a Dream の演説の最初と最後。最後の部分にある、Let freedom ring...と繰り返すところが好きだ。

  だから、自由の鐘を鳴らそう、ニューハンプシャーの巨大な丘の上から。
  自由の鐘を鳴らそう、ニューヨークの荘厳な山頂から
  自由の鐘を鳴らそう、ペンシルヴァニアの聳え立つアレゲニー山脈から
  自由の鐘を鳴らそう、コロラドの雪を頂くロッキー山脈から
  自由の鐘を鳴らそう、カリフォルニアの美しいなだらかな丘から

  それだけではなく
  自由の鐘を鳴らそう、ジョージアのストーン・マウンテンから
  自由の鐘を鳴らそう、テネシーのルックアウト・マウンテンから
  自由の鐘を鳴らそう、ミシシッピーのすべての丘、モグラ塚からさえも
  アメリカ中のすべての山頂から、自由の鐘を鳴らそう

寒天雑炊を食べても、背伸びダイエットをしても、なかなか体重は落ちない。背伸びダイエットは今日テレビでやっていた。とにかく簡単である。いろいろ試してみたが長続きしたことがない。今度はどうだろう。


January 10, 2010 Sunday

3連休の中日。家人と、かんてんぱぱストアへ。最近評判のかんてん雑炊を買いに。正月太りのお腹を引っ込ませる効果があればいいが。同時に塚越社長の「年輪経営」(光文社)を購入。お昼は少し脚を伸ばして宮田村「ときわ」へ。わさびソースかつどんが美味しかった。太田君と17日(日)のチャリティーコンサートについて少し言葉を交わす。

帰りにオーリアッドに寄る。寒さ対策としてステージ裏の物置の窓ガラスとドアにプチプチシートを貼る。外の掲示板にチャリティーコンサートの手書きのポスターを貼る。ファックスの用紙を入れ替える。

「年輪経営」に、「売れるからといってつくり過ぎない、売り過ぎない」というところがあった。多くのことを考えさせてくれる言葉である。

夕方、リチャード・ロビンソンより電話。17日のチャリティーコンサートに参加し、キング牧師への想いを話してくれることに。感謝。若い頃、キング牧師の思想や生き方に大きな影響を受けたロサンゼルス出身のアフリカ系アメリカ人。

昨年11月、オバマ氏が大統領選挙に勝利した翌日、学校の印刷室で偶然彼に会った。「おめでとう」と言うと、「昨日はまるで赤ん坊のように泣いたよ。ロスの両親に電話をしたら、彼らもまた泣いていた」と言う。彼らの喜びがひしひしと伝わってきた。

いい「キング牧師の日セレブレーション」になりそうである。


January 9, 2010 Saturday

2010年最初の飛び入りライブ。若者二人の登場で、大いに活気付いた。本日の一番若い出演者は夏目創汰君16歳、最年長者は原田和夫さん70歳。この幅広さがオーリアッドのいいところ。

トップバッターは丸山さん、昨夜書いたばかりという「アディオス・ハカランダ」。「最後のコラボレーション」を「最後の夜」と歌うと、かなり濃厚な歌になると思ったが、もちろんそういう類の歌ではない。「新宿に降る雪」、そして「おじさんたちよ」。夏目君、「涙そうそう」から入ってオリジナル曲「君を」、そして「アイデン&ティティ」の主題歌。2曲目のオリジナルが一番心に届いた。そして夏目君と松尾レミさんの二人で、2時間前に共作したというタイトルのない曲。各ヴァースの終わりに「若者たちは知らない何かを待っている」と繰り返される。相聞歌の趣がある佳曲。レミさん、「エーテル」「ミスター・スリーピー」など3曲。レミーさんが歌い始めた途端、オーリアッドの雰囲気が一変するほどの歌唱力、声質をもっている。前回も聞いた2曲目が印象的。

藤森さん、2日前が誕生日で、44歳になって初めてのライブとのこと。まずいつもの「人生に勇気」、そして「子守唄のように」「おまえの歌が聞こえる」。今日は、3曲目の歌の中で「おまえが壊したギブソンのギターも・・・」と歌われるギブソン持参。レミさんのお父さん、松尾さん。「天国の扉」の自由訳を自由に歌う。もの凄い声量。この父にしてこの娘あり。赤羽さん、「鹿のように」「許し」そして大月さんのサポートで「千両梨の実」。大月さん、「カノン」。華麗なる演奏。ここで休憩。








休憩の間に丸山さんからみなさんに松本の飴市の飴が配られる。後半の最初は原田さん「キリストには代えられません」。この歌を原田さんが歌うのを聞くのは久しぶり。そしてぼくが大月さんのサポートで「I Have a Dream」と「祈りの歌」。丸山さん、昨年のキング牧師の日コンサートのために書かれた「さあ今から」とお母さんの冥福を祈って書いた「満州の丘」。先日一周忌がすんだばかりとか。夏目君「君が笑う夢を見たよ」、そして、レミさんが加わって、2時間前に書いた歌を一緒に。そしてレミさん「どこか遠くに」。前半も後半もこの二人の若者のリズムと歌声にオーリアッドは大いに盛り上がった。藤森さん「愛音」と「歌えるうちに歌っておきたい・・・」という言葉で始まる「メッセージ」。赤羽さん「今すぐに」。そして最後、赤羽、藤森、丸山、大月の4氏で「あの素晴らしい愛をもう一度」と「22歳の別れ」。17日の「キング牧師の日チャリティーコンサート」のみんなで歌うコーナーのリハーサルを兼ねて。すばらしい演奏。4人のフォークグループとしてもやってゆけそう。

最後に垣内さん、新年の挨拶。昨年はときどきオーリアッドの飛び入りライブに顔を出してくれただけでなく、七夕コンサートや年末ライブまで聞きにきて下さった。感謝。

*愛知県安城市からやってきた夏目創太君は、昨年の「閃光ライオット2009」のファイナリストに選ばれたロックバンド「釈迦釈迦チキン」のヴォーカルである。詳しくは次のURLから。http://www.tfm.co.jp/lock/riot/artists/artist.php?id=3

次のURLはレミさんがソロで歌う「ミスター・スリーピー」。http://www.youtube.com/watch?v=IlR2vGua8DY


January 8, 2010 Friday

伊那合同庁舎講堂でのシニア大学トークライブ「振り返れば、いつもそこに歌があった」。9時過ぎに到着し、機材のセッティング。事務局からの連絡事項のあと、10時5分開始。10分の休憩を挟んで12時5分終了。ぼくの音楽との出会いについて語らせてもらう。歌は「年をとって歯が抜け/When I'm 64」で始まり、「祈りの歌」で終わる。みなさん熱心に聞いてくださった。一緒に歌うコーナーでは大きな声で歌ってくださった。感謝。


All photos by Mr. Katsuji Kakiuchi.

オーリアッド。昨夜は音楽談義だったが、今夜は政治談議。先輩のMさんがお見えになった。普天間基地の問題から秘密文書まで。喧々諤々。面白かったが、ちょっと疲れた。やはり音楽談義がいい。

9時過ぎ更に大勢のお客さん。最後に田中先生 with a student.


January 7, 2010 Thursday

今朝の天声人語は「人好き、話し好きで、いずれ喫茶店でもやりたいと思っている人はいないだろうか。現実の客商売は趣味でやれるほど甘くないが、経営がなんとかなるのなら、コーヒーをいれながらの政治談議も悪くない」という一文で始まっていた。「政治談議」を「音楽談義」に変えれば、確かにそう思う。

今夜は、特にそう思えた。明日の「シニア大学」の準備のために、ステージではなく、ストーブの近くでギターを弾いていると、中年の男性がにこやかに笑いながら入ってきた。「コーヒーをいれながら」と思ったら、「アーリータイムズをダブルで」とのこと。何と彼は30年前、学生時代に東京で、友だちがもっていたぼくのLPレコードを聞いたことがあり、その中の1曲「ここがぼくのふるさと、信州の田舎の町/どこを旅して歩いていても、忘れたことはない」で始まる歌の歌詞まで、かなりの部分覚えていた。

途中丸山さんも加わり音楽談義。彼と丸山さんにはベーシストであるという共通点があった。丸山さんが帰ったあとも話しがはずみ、店を閉めたのは、閉店時間を少し過ぎてから。その3時間近くの間、彼はタバコを我慢し、アーリータイムズのダブルを3杯のんだ。「音楽の特徴のひとつはそれが消えてなくなること」という彼の言葉は一考にあたいする。

天声人語の一文に戻れば、「経営がなんとかなるなら」を「大幅な赤字にならなければ」に変える必要があるかも。

今日松本でアフリカ系アメリカ人のリチャード・Rに「<キング牧師の日チャリティーコンサート>で短いプリゼンテーションをお願いできないか」と依頼する。大いに興味を示してくれた。キング牧師は彼の人生に大きな影響を与えたとのこと。確約ではないが、来てもらえそうである。


January 6, 2010 Wednesday

明後日のシニア大学でのトークのレジメを午前中に送ろうと思っていたが、送ることができたのは、午後遅くなってから。「音楽と人生」というのが与えられたタイトル。あまりにも大きなタイトルで、何を語るか迷ったが、幼い頃からの歌との出会いについて語ることに。「振り返れば、いつもそこに歌があった」という副題をつけた。おかげで、さまざまな歌との出会いについて考えるまたとない機会となった。

オーリアッド。新年最初の営業日。前半を家人に頼み、8時過ぎに入る。カウンターに原田さん。キング牧師の日チャリティーコンサートの話。今、オーリアッドのステージの壁にかかっているキング牧師の垂れ幕は、「水と空気以外には何でも印刷する」原田技研にお願いして作っていただいたもの。

とても寒い日。一週間営業していなかったので、お店の中は冷え切っている。暖房をフル回転しても、なかなか暖まらない。来ていただいたお客さんに感謝。

11時閉店。家に戻ると、満天の星空。オリオン座が南の空に輝いている。日本海側は明日も大雪の予報が出ているが、南信は大丈夫だろう。


January 5, 2010 Tuesday

昨夜寝るときは6時からの雪かきを覚悟して、目覚ましを6時15分前にセット。しかし朝起きて外を見ると、夜中にミゾレか雨に変わったようで、雪かきの必要はなさそう。風は強く、ものすごく寒そうだが。

9時過ぎに家を出る。今日は3コマのクラス。善知鳥(うとお)峠を過ぎると雪は少なくなり、山麓線にはまったく雪はない。しばらく軽快に飛ばして行くと、前方に何台か車が止まっている。仕方なしにその最後に車をつける。警察官が先頭の車のドライバーに話しかけているのが見える。車は次々とUターンして戻って行く。ぼくの番が来たとき、警察官が「この先で何台もスリップして路肩から落ちている。Uターンして迂回してください」と言う。山麓線で迂回するとなるともの凄く時間がかかる。間に合わない。事情を話すと、「それじゃ、注意して行ってください」と言う。

あまりにもあっさりと許可が出たのでちょっと怯んだが、4WDでスノータイヤをはいている。意を決して前進することに。しばらく行くと、道はカーブしながら右に下り始めた。道路が凍っている。エンカルが撒かれいるが、溶けていない。おそるおそる進む。右側に1台ガードレールに激突した車が見える。左側には、道路から落ちかけている車が2台。恐ろしい。ゆっくりと時間をかけて進み、完全にその箇所を抜け、乾いた道路に到達したときには、思わず深呼吸。手には汗。

夕方その場所を通ったときにはもう車はなかった。地面は濡れてはいたが、凍ってはいなかった。冬の道路は雪がなくても、路面が凍っているところがある。気をつけなければ。

老カントリー・ミュージシャンのトミー・ハンコックからメールが届いた。書きかけになっている「トミー・ハンコックのバラード」を完成したいと、「季節の挨拶」を送りながら、いくつか質問したのだが、その返事が届いたのである。元気そうで何より。


January 4, 2010 Monday

「キング牧師の日チャリティーコンサート」の新聞広告の原稿を考え、夕方もって行く。今日は5時に営業を終わるとのことで、ぎりぎりセーフ。

明日のクラスの準備。代講のクラスは英語の方言についてのクラス。アメリカの方言について語るように要請されている。アメリカは広い。多くの方言がある。生憎、そのテーマで1時間半、語るだけの知識を持ち合わせていない。あったとしても、ぼくが学生だったら、1時間半、方言について延々と聞かされるのはつらいだろう。ここはいつもの常套手段、歌を使わない手はない。それに、南部訛りを体験するには、キング牧師の I Have a Dream の映像を見るのがいい。考えているうちに、いろいろアイディアが湧いてきた。

他のクラスの小テストを作る必要もあり、予想以上に準備に時間がかかった。階下に下り、外を見ると雪。かなり積もりそう。



January 3, 2010 Sunday

朝起きたら、細かい雪が降っている。芝生の上がうっすらと白くなっている。でもすぐに止み、積もることはなかった。午後には青空も出てきた。ソフィーが外に出たがるので、しばらく外に出す。この子はフィービー以上に外が好き。



箱根駅伝は昨日5区でトップになった東洋大学が、復路もトップを続け優勝した。昨年途中で棄権してタスキを渡すことができずに号泣した城西大学の選手が、今年は見事に走りぬき、声を出して泣いている。昨年は「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら泣いていたが、今年は「ありがとうございました」と言いながら泣いている。見ているぼくももらい泣き。

この2日間のために選手たちは一年間苦しい練習を重ねてきた。しかし1チーム10人の選手しか走ることができない。4年間練習だけで、1度も選手として走ることができなかった選手も多いだろう。それでも4年間の苦労は決して無駄ではないはず。

長男が東京に戻り、また明日からいつもの生活が始まる。「キング牧師の日チャリティーコンサート」のパブリシティーをしっかりしなければ。


January 2, 2010 Saturday

箱根駅伝の1区と2区を見たあと少し仕事をして、5区の途中からまた見る。東洋大学の山登りのスペシャリストは凄い。7位でタスキを受けた彼は6人を抜いて、トップでゴールを切った。しかも、昨年自ら出した区間新記録を更新して。

今日一日、5日に代講するマーク・Bのクラスの準備、8日の伊那の合同庁舎でのトークライブのレジメ作成、それに「キング牧師の日チャリティーコンサート」のチラシや新聞広告などの準備。まだ充分とはいえないが、何をすべきか方向はしっかり見えてきた。

昔(1970年代後半)、ぼくのクラスにいたタイのシャンティラから、先日オンラインで送った「季節の挨拶」への返事が届いた。長い手紙だったが、その中にレナード・コーエンに言及しているところがあった。

  
先ず、先生がレナード・コーエンと彼の歌が好きだと知って驚きました。1973年
  以来、彼は私の一番好きな歌手なのです。彼のアルバムを全部持っているわ
  けではありません。バンコクでは手に入らないものもあります。でもずっと彼に
  関するニュースは、興味をもって追いかけてきました。ひょっとしたら、私はタイ
  におけるレナード・コーエンの唯一のファンかもしれません。
  
  先生が『ライヴ・イン・ロンドン』の対訳を担当したと知って嬉しいです。
・・・彼が
  U2と「タワー・オブ・ソング」を歌っている動画が好きです。私も彼と同じような体
  験をしてきたので、彼の歌っていることがよく分かるように思います。彼はまさに
  「私の男」です。

シャンティラがレナード・コーエンが好きだったとは知らなかった。タイでも、日本同様、レナード・コーエンはあまり知られていないようだ。「彼と同じような体験」というのはうつ病のことを言っているのだろうか。「私の男」と言っているのは、もちろん、コーエンの I'm Your Man を受けている。


January 1, 2010 Friday 


  明けましておめでとうございます。

朝、お雑煮をいただいたあと、昨日帰省した長男と3人で村の神社と寺院へお参りに。恒例の正月行事。元旦の朝、大雪のおそれありとの天気予報だったので、新年早々の雪かきを覚悟したが、朝起きて外を見ると雪がない。神社や寺院で会う人毎に、新年の挨拶もそこそこに、「降らなくてよかったですね」。

お参りから戻り、年賀状を読む。

京都大原の古民家に住み、ハーブや野菜を育てているベニシアからの年賀状に次の言葉があった。

  Smiles open many doors.

「微笑みが多くのドアを開く」。今年はこの言葉を座右の銘として生きたいもの。

らんぼうさんの年賀状には、

  
還暦を過ぎた大器よ冬ごもり

と、一句添えられていた。そろそろ冬眠から覚めなければ。

相田一人さんの年賀状には、

  
永遠の過去
  永遠の未来
  その間のいっしゅんのいのち
  いまここに生きて
  あたらしき春に逢う
  ありがたきかな


というお父さんの詩が載っていた。ほんとうに、今ここにこうして生きていることは、大きな恵。大きな幸運。

生きていればこそ、嬉しい出会いや再会もある。懐かしい人からの年賀状もある。「元気でやってます。お会いしたいです!」と書かれた年賀状が届いた。原田(伸郎)君からだった。奥さんと二人で、生きた虎の横で微笑んでいる写真。彼のブログを訪問してみたら、この写真を撮るためにわざわざタイまで行ってきたとのこと。彼らしい。もう長い間会っていない。今年どこかで会えるといいのだが。

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