OREAD Diary
November 1 - 30, 2009

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November 30, 2009 Monday

今日も午後遅くなってウォーキングへ。今回初めて地元の人と声を交わす。城山公園に着いたときにはもう薄暗くなっていた。どこからか落ち葉をかき集める音がする。よく見ると北西の隅でビニール袋に落ち葉を入れている黒い影。「こんばんわ」と声をかけて通り過ぎ、南東の端まで行き、夕闇にくっきりと浮かび上がる守屋山を眺める。中空にはかなり大きな月。

しばらく景色を楽しんだあと、帰りかけると背後から声が聞こえる。「これから山に上るんですか」。男の人だと思っていたら女の人だった。「いや、今村に住んでいるんですが、これから家に帰ります」。そして先週月曜日の区のハイキングでこの遊歩道のことを知り、それ以後ほぼ毎日歩かせてもらっていると伝える。その人も今村出身でもう何年も前に宮所に嫁いできたとのこと。彼女はまだ新しくできた遊歩道を歩いたことがないとのこと。おそらくぼくが誰よりもこの道の恩恵を受けている。

今日は Hallelujah を歌いながら歩いた。1番は完全に歌詞をみないで歌えるようになった。繰り返し歌って歩いていると、この歌を最初に訳したときよりも、この歌の意味が前よりよく分かるような気がしてくるから不思議である。

「キング牧師の日チャリティーコンサート」は、東京在住のアメリカ人、スーザン・ブランツさんの呼びかけで今年の1月、第一回目が行なわれた。数日前から彼女に連絡をとっていたが、今夜メールが入った。まだ確定ではないが、参加してもらえそうである。年末ライブにも友だちと来てくれるようである。キング牧師についての彼女の話しがよかったと何人もの人から聞いた。


November 29, 2009 Sunday

夜、区の公民館にて生産森林組合の会合。組合長の簡単な一年の経過報告のあと、懇親会。理事としての手当てをいただき、恐縮する。何回かあった山作業のうち一回しか参加できなかった。

今日も午後遅く、城山公園まで歩く。先週月曜日に区のハイキングでこの場所を知ってから、火曜日を除いて毎日歩いている。今日歩き始めて気がついた。足が軽くなっている。左の腰に感じていた痛みも減少している。筋肉が少しはついたかもしれない。しかし体重は減っていない。減っていないどころか、少し増えている。

第2回「キング牧師の日チャリティーコンサート」の日を1月17日(日)と決めた。詳細はこれからもう少し煮詰める必要がある。

今年の1月18日(日)に行なわれた第1回のチャリティーコンサートでは、出演者にも聞きにきてくださった方にも1000円を寄付していただいた。参加者数49名。それに参加はされなかったが主旨に賛同して寄付をお寄せいただいた方が何名かあり、合計7万3千円が集まった。1万円単位でしか受け付けないとのことで、7万円をラオスとカンボジアの7人の子供の就学支援に日本民際交流センターを通して送った。来年1月の2回目も、目標は同じ数の子供たちの就学支援である。1万円で1人の子供が1年間学校へ通うことができるとのことである。昨年の経過については→


November 28, 2009 Saturday



午後5時荒神山のD51蒸気機関車を中心に、町全体がライトアップされるとのことで、オーリアッドに入る前、6時少し前、新町のほうから荒神山へ入る。銀河鉄道さながら機関車がライトアップされ、さらにその周りの木々にも電飾が灯され、幻想的な美しさ。町中の有志が一斉にライトアップすると新聞に書かれていたので、オーリアッドもささやかな協力をしようと、看板横のヒイラギにブルーの電飾を灯す。店の前を走っていて急に入る気になったという元3年3組の唐沢君や、後半、おそらく忘年会帰りであろう女性の方々が入ってきたのは、ライトアップの効果か。

今日は赤羽(真)さんの誕生日。ライブ終了後、ささやかなお祝いを。後半入ってきた女性の方々の中にピアノの先生がいた。彼女に伴奏をお願いし、みなで Happy Birthday の歌。そのあと、岡谷でのライブの帰りだという太田さん。彼にもピアノをお願いする。先ず Happy Birthday、そしてオリジナル「虹の中へ」。






赤羽さんに初めて会ったのは、初期オーリアッドがオープンした1985年だった、と思う。彼はまだ30代の初めだった。彼は若いときも今も、その穏やかさと誠実さにおいて、まったく変わっていない。変わったのは歌。当時はカバー中心だったが、今はオリジナル中心に。中でも「千両梨の実」は名曲である。もしオーリアッドの存在がその歌の誕生に少しでも寄与したなら、それだけでもオーリアッドを再開した意義がある。赤羽さんとは、音楽を通して長い付き合いになった。Akahane-san, Happy Birthday and many happy returns of the day!

藤森さん、前半「今日は土曜日」から「住みなれたこの町で」まで4曲。後半「チェインジ」「もうすぐ一年生」そして「メッセージ」。最初の2曲は今年書いた歌、そして最後の歌は「歌えるうちに歌っておきたい/心のすべてを、想いを」という言葉で始まる松山千春さんの歌。丸山さん、一昨日「小魚が釣れた」というメールが届いた。小魚どころか大きな魚だった。今年1月亡くなったお母さんに捧げた「満州の丘」。藤森さんも丸山さんも、まさに「歌えるうちに歌っておきたい」とオリジナルを猛烈な勢いで書いている。

福田さん、何週間か前にオーリアッドにきて藤森さんや丸山さんの歌を聞いて、高校時代に買ったがFが抑えられなくて挫折したギターを取り出し、弾き始めたとか。信州に I-turn でやってきたのは2年前とのこと。今日は聞かせてもらえなかったが、次回は是非演奏してもらいたいもの。唐沢君は藤森さんの高校の後輩。サッカーをやりたかったが、事情があって今は合唱部に入っているとか。藤森さん曰く、「俺が高校生のころはあんなに爽やかじゃなかった」。

最後の最後、赤羽さんに「許し」を歌ってもらう。この歌を聞いたことのない太田さんのために。少々時間をオーバーしたが、いいオープン・マイクになった。みなさんに感謝。



November 27, 2009 Friday

ソニーのKさんから「サンデー毎日」が送られてきた。感謝。早速、付箋がついていた「いぶし銀の魅力を放つ詩人が語りかけるライブ」というタイトルのコラムを読ませてもらう。それほど長い記事ではないが、筆者のコーエンに寄せる思いが伝わってくる。中頃に「哀しみのダンス」に言及するところがあった。

  Dance me to the end of love と、易しく繰り返される「哀しみのダンス」からアルバムは始まる。なんとも
  いえない哀愁を漂わせる美しいメロディーだ。この一曲だけでも、初めてコーエンを聴く人は引き込まれる
  のではないだろうか。掠(かす)れて低く、そして甘い声。心や社会や神秘など、彼が歌にする言葉は味わ
  い深い。禅問答のようなところもあるが、実は彼は禅僧侶としても認められている。(川井龍介「サンデー
  毎日」2009年11月29日号)


3月、このアルバムの対訳を依頼され音源を聞いたとき、先ず冒頭のこの歌が流れてきた。思わず涙がこみ上げた。1984年にリリースされた Various Positions の中のこの歌もよかったが、その時よりも深く優しくなった彼の声が、躍動感溢れるバックの演奏や美しい女性コーラスと相まって、ぼくの心を揺り動かしたのだと思う。

午後遅く、今日もウォーキング。そのあとオーリアッドへ。忙しい夜。ドクターTが珍しく早目に。今夜は、1ヶ月ほど前に亡くなったレヴィ=ストロースの話を聞かせてもらった。昔、構造主義の解説書も何冊か買った記憶がある。しかし構造主義とは何かと問われたら、もうひとつよくわからなかった。今夜お話しをうかがって、なんとなく分かったような、でもここに書こうとすると、分からなかったような。文明社会と未開社会に上下の区別はなく、構造においては同じということか。次回、ドクターTにお会いするまでに、昔読んだ本を探し出さねば。

そのあとも先日ボジョレヌーボーを持参してくれた若者を含め、何人かのお客さん。帰宅したのは深夜をまわっていた。比較的暖かい夜。


November 26, 2009 Thursday

朝食後、家人を誘って昨日と同じコースを歩く。家人はスタスタと軽そうに歩き、家に戻っても疲れた様子がない。ぼくは完全に疲れている。体重の差か。今日は月曜日の振り替え授業で、松本へ行く必要がない。得した気分。

午後、苺の苗に藁をかぶせ、鉢植えの花を置く台を作る。先日モロの蓋をつくってもらったときの残りの板を利用する。もう何年も前に買ったが、ほとんど使ったことのない丸鋸が役に立った。厚い板でもスイスイと切ってしまう。見栄えは悪いが、いいものが出来た。

オーリアッド。前半歌の練習。後半、少し忙しくなる。

円高である。1ドル85円台を記録したという。1ドル360円の時代を長い間体験した。隔世の感がある。


November 25, 2009 Wednesday

終日、歌の練習、そして新曲を書こうと「無駄な」努力。歌はいつできるか分からない。まったくの努力なしでやって来ることもあれば、四苦八苦したあとやって来ることもある。無駄と思える努力が無意識に作用して、ある日突然やって来ることもある。

午後遅くなって、すわってばかりいて疲れたので、先日のハイキングコースの途中にあった城山公園まで歩くことに。片道1300歩ほどの距離。山の麓に地元の方々が整備したばかりの遊歩道が延びている。これは昔の春日街道だったところとか。今は春日街道といえば、箕輪から伊那に続く道だが、昔はここまできていたらしい。公園のベンチに腰を下ろし、眼下の景色を眺める。守屋山は薄雲に隠れて見えなかったが、絶景である。

往路、大型パチンコ店の跡地にできた団地から、子供たちの歓声が聞こえてきた。空き地でサッカーをしていた。最近ではあまり見かけなくなった光景。写真を撮ろうと思ったが、変なおじさんだと怪しまれてもいけないと、横目で見ながら通り過ぎる。帰路、ボールが上の小道まで蹴り上げられて、子供たちが背伸びしてとろうとしていた。拾って投げ返してやると、口々に「ありがとうございます」と言う。礼儀正しい子供たち。写真を撮らせてもらう。昔、空き地で三角ベースの野球をした子供の頃を思い出した。





右下の写真は、国道153号線の「魔のカーブ」といわる部分を直線にするために川に橋を架けている工事。2006年の豪雨で国道が陥没したところ。手前の木のガードレールは田中康夫さんのレガシー。

8時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交替。田中先生は今夜は「赤い靴」を弾いてくれた。亡くなったお母さんとの思い出の曲とか。遅くに相撲好きのお客さん。大関陣の不調を嘆く。特に日馬富士の。横綱ふたりは元気である。


November 24, 2009 Tuesday

今朝、大工さんがきて室(モロ)のフタをすべて新しい木材で作り直してくれた。防腐処理をしてあるとのことなので、今度は長持ちしてくれるだろう。モロは英語では root cellar と言うらしい。根菜類を主に貯蔵するからか。



11時半、松本へ。今日の歌は Eleanor Rigby。この歌は歌詞の強弱のリズムがはっきりしていて、英語のリズムを学ぶには最適。クラスのあと控室に行くと、ジョナサン・Aが入ってきた。イギリス人である。先日聞いたCDで聞き取れなかった町の名前を尋ねる。イギリスのウエールズにあるという町。ぼくにはエグヴェイルとしか聞こえない。調べてみてもそんな町は存在しない。ジョナサンも聞いたことがないと言う。即座に彼は持っていたノート型のスイッチを入れ調べてくれた。Ebbw Vale という町だった。変わったつづりである。Ebbw River という川があるらしい。発音はエブ・ヴェイル。おかげでもやもやがひとつ無くなった。

そこへマーク・Bも入ってきた。マークも Ebbw Vale という町の名前は聞いたことがないという。しばらく歓談したあと、5時過ぎ、外に出るともう真っ暗。もうすぐ師走である。


November 23, 2009 Monday

朝6時、一度目覚める。外を見たら昨夜の雨は止んでいる。もう少し寝ようと横になる。次に目覚めたときは9時10分前。朝飯を食べる時間がない。あわてて着替えて、水を飲んで、KitKatをポケットにつっこんでいるところへ電話。昨日から同窓会出席のために京都へ行っている家人から。「まだいるの。もう9時よ」。5分遅れて集合場所の公民館へ。9時10分、区民ハイキング開始。

今年は、隣村の宮所区の史跡探訪をかねて、城山へ上り、尾根伝いに下峠まで歩くコース。地元の歴史研究家から説明を受け、近くにいながらよく知らなかった宮所の歴史を知ることができた。

この城山にはかつて龍ヶ崎城というお城があり、1545年(天文14年)、武田信玄の軍勢によって落城したとのこと。その城山から東のほうを見ると、守屋山がくっきりと見える。そして守屋山の左上には八ヶ岳の山頂がいくつか。素晴らしい眺望。

この城山の下には池上寺(ちじょうじ)というお寺があって、ぼくが小さな頃は保育園も兼ねていた。その保育園に2,3年通った。先生に連れられて城山に上った記憶がある。今日のハイキングのおかげで、幼い頃のことを思い出した。






午後はすっかり疲れてしまい、テレビの前のソファでしっかりうたたね。目が覚めて、テレビをつけたらテレビ東京で「姿三四郎」をやっていた。「単純なストーリー」だとか「こんなことはありえない」とか、心の中で批判をしながらも、最後まで見てしまった。劇中の「乙美」を演じた女優をどこかで見たとことがあるが、どこだったか思い出せない。

夜、立花隆さんの「癌」の番組を見ているところへ家人が戻ってくる。三連休の最後の日でバスが大幅に遅れたとのこと。癌を治す方法はまだ見つかっていないようだ。癌になったらじたばたせず、生きている間は感謝して生きるより仕方なさそうだ。癌になろうとなるまいと、人間は100パーセント死ぬ。村上和雄さん風にいえば、そのことに落ちこぼれはいない。



November 22, 2009 Sunday

昨日オーリアッドで「私は風の声を聞いた」 を歌っているとき、以前考えた新しいヴァースを思い出し、咄嗟に付け加えた。字あまり字足らずの部分はあったが、 new version が出来たのではないかと思う。それを今日は完成させようと試みたが、まだ満足できるものではない。それに今日は新曲のアイディアも浮かんできた。できたら年末ライブまでには完成させたい。碌山美術館でのコンサートの直前に「碌山」ができたように、「ありがとう、ミスター・コーエン」という副題の年末ライブになんとか間に合わせたい。

夜、LSEC。本年度最後のクラス。終了後、同じ建物の中の「湖苑」というレストランで会食。みなさんに合わせてぼくもレディーズ・セット。これが美味。不思議な縁で月に一度お会いすることになった。いい加減な先生で、お役に立っているかどうか分からないが、みなさんの熱心さに頭が下がる。覚えたばかりの Sailing を犬に聞かせながら散歩するという方もいて、これは一石二鳥、いや一石三鳥のエクササイズ。(1)人にも犬にも運動になる。(2)英語の歌を歌詞を見ないで歌えるようになる。(3)歩きながら拍子をとることで、正確なリズムで歌えるようになる。

会食後、岡谷最大の書店へ「サンデー毎日」の11月29日号を買いにいった。閉店10分前、運よく入れたが、雑誌はなかった。先週松本の大学生協、塩尻の平安堂、そして辰野町の書店でも探したがなかった。実は、この雑誌に川井龍介さんという方が書いたコーエンの Live in London を紹介する記事が掲載されている。タイトルはいぶし銀の魅力を放つ詩人が語りかけるライブ 」。ないとなるとますます読みたくなる。

帰りは大雨。明日はどうだろう。晴れたら区民ハイキング。



November 21, 2009 Saturday

サウンドチェックをしているところへ藤森さん。先週、風邪で休んだので心配していたが、元気そう。前半はオリジナル曲、「小さな幸せ」から「子守唄のように」まで。この数年で、一枚のアルバムができるほど多くの曲を、藤森さんは書いた。藤森さんが歌い始めてすぐ、大工さんのファンで三線を弾くという方が二人、2番テーブルに。今回は演奏してもらえなかったが、次回は是非聞かせてもらいたいもの。

ぼくが「私は風の声を聞いた」のnew version と、久々に「 I Have a Dream」。そして「祈りの歌」を歌っているところへ大月さん。急遽途中から入ってもらう。一緒にやるときはいつもキーはAなのに、今日はAのハーモニカがなかったので、A♭で歌っていた。さすが大月さん、事もなげにA♭で弾き始めた。続いて大月さん、オバマさんの支持率低下に関して、マスコミはもっと長期的に見る必要がある、という主旨のことを話した後、「カノン」。ここで前半終了。

休憩は、ボブ・ディランの Here Comes Santa Claus, Do You Hear What I Hear, Winter Wonderland の3曲。

後半、トップは丸山さん。「いつか叶うといいですね」「ブルペン・キャッチャー」、それに「職人となったおじさんたち」。丸山さんも一枚のアルバムができるほどにオリジナルが増えた。このあたりでお客さんがかなり増えてきた。ぼくがソロで「年をとって歯が抜け/When I'm 64」、そして大月さんのサポートで「ガビオタの海」。最後、気配りの人、藤森さんが、お客さんが知っている歌をと、「知床旅情」から入り、、オリジナル「おまえの歌が聞こえる」、そして「Close Your Eyes」。最後の曲は大月さんのサポート。大月さんのピアノと藤森さんの歌が見事にマッチ。客席から大きな拍手。







その後、しばし歓談。これで終了、と思ったら、後半途中に入ってきて、6番テーブルにすわった3人のうちの一人から、松山千春の「大空と何とか」をやってもらえないかとのリクエスト。彼は今夜初めてきたので藤森さんが松山千春の大ファンであることは知らない。藤森さんの声質からそれを感じたのかも。それにそのテーブルのもう一人は丸山さんがかつて勤めていた某大企業に勤めていることが判明。共通の知人もたくさんいることがわかり、丸山さんにも歌ってもらうことに。藤森さん「大空と大地の中で」。丸山さん「おじさんたちへ」。そしてぼくが「祈りの歌」。これで終了。そして、閉店。

今夜はスタートは少々淋しかったが、後半は大勢のお客さん。ライブは、場所、歌う人、聞く人の3つが揃って初めて成立する。聞きにきてくださった方々に感謝。おかげでいい夜になった。



November 20, 2009 Friday

昼過ぎ、運転免許証の更新に行ってきた。塩尻の交通センター。今回は過去3年無事故無違反で5年間有効のゴールド。ICチップ入り。手数料計3200円。流れ作業のように次から次へと移動させられて、最後に25分のビデオと5分の説教の講習会で終了。家を出てから家に帰るまで、待ち時間を含めて3時間弱。前回は2時間の講習会だったので半日がかりだった。それにしても大変な数の人。これを一日2回、月から金まで毎日やっているわけだから、その数×手数料は膨大な額になるはず。いただいた立派な冊子が何冊か。いただいては来たが、ほとんど読むことなく、しばらくして資源ゴミに。もっと簡単なものにならないか。

調べてみたら、カリフォルニアでは免許証の更新は、オンラインでも郵送でもできるようである。もちろん Department of Motor Vehicles(州政府自動車局) の出先機関へ直接行くこともできる。オンラインや郵送で更新できるというのはいい。時間と経費の節約になる。手数料は一律25ドル。http://driversed.com/DMV/california/california-dl-renewal.aspx

寒い一日。そのせいか今夜は生姜紅茶がよく出た。前半、歌の練習、昨日リクエストが届いた「ガビオタの海」。この歌はいい。自画自賛。そういえば、この歌をアレンジした種子田さんからも、12月18日、都合がついたら行きたいとのメール。長い間お会いしていない。最近CDを出したようである。アルバムタイトルは Music for Book Reading で、そのサンプルを集めたものを聞くことができる。http://www.youtube.com/user/tanedahirokuni


November 19, 2009 Thursday

今朝の山麓線のドライブはよかった。晩秋の終わりかけの紅葉を抜けると、新雪の輝く北アルプスの峰々。特に常念岳のあたりが真っ白。

帰りは用事があり少し遅くなった。まだ少し明るさの残る山の上に針のように細い月。これがまた美しい。

先週、環境問題のエッセイを読んだあと、いくつかの質問をした。Where would you prefer to live? In a big city or in a small town? という 問いに、13名が small town と書き。17名が big city と書いた。small town と答えた学生の多くは、その理由として、空気や水のきれいなこと、自然の豊かなことをあげた。big city と答えた学生の多くは、買い物や交通機関など、都会の便利さをあげた。

山の上の細い月を見ながら、ぼくはやはり small town 派だと思った。

今夜、オーリアッドに若い男女がボジョレヌーボーをもって入ってきた。知らない人たちである。「どこかでお会いしたことがありますか」と言っても、最初のうちは口を濁している。しばらくして、ふたりは夫婦で、奥さんがもう何年も前にぼくのクラスにいたことが分かった。そういえば面影がある。ご主人は初対面だが、彼の書く文章を読んだことがあり、いい印象をもっていた。ボジョレヌーボーで乾杯。車なので舐めるほどしかいただけなかったが、美味しかった。

英語に、relate to という表現がある。「分かり合える、心が通じ合う、波長が合う」というニュアンスである。初対面ながら、そして年齢もかなり違うが、I felt I could relate to him。彼のような若者がいると分かっただけで、この small town も捨てたものではないと思った。実は "When I'm 64" になったときからなんとなくブルーな気分だったが、彼のおかげで少し気持ちが上向きに。

しばらくして、原田さんもお見えになり、一緒に歓談。将棋はできなかったが、楽しい夜になった。


November 18, 2009 Wednesday

いよいよ本格的な冬がやってきた。寒い一日。

時間の余裕が少しできたので、新しいケイタイを使いこなせるようになりたいと、マニュアルを探したが見当たらない。グーグルで検索したら動画で説明してくれるサイトがいくつもあって大いに助かる。このアンドロイド搭載という新しいケイタイがどんな機能をもっているか大いに勉強になった。勉強にはなったが、使いこなすのは難しい。

電話はなんとかかけたり受けたりできるが、メールはまだできない。ケイタイでメールを打つことはめったにないのでそれほど困らないが、動画の説明を見ながら、なんとか gmail だけはできるようになった。しかし、以前のケイタイのように、届いたときの音や振動がない。gmail 以外のメール設定もできるようになっていて、何度か試みたが、その度に「編集をやりなおせ」との指示。困った。

夕方、先にオーリアッドへ行った家人から電話。「あったよ〜!」。マニュアルがあったとのこと。よかった。そのマニュアルを見ても、インターネットで得られた説明以上のものはない。使いこなすにはまだまだ時間がかかりそうだ。

オーリアッドに入ると、聞こえてきたのは久々に大工さんの歌声。『蓬莱行』。郷愁を誘う歌声。「一坪たりとも渡すまい」。


November 17, 2009 Tuesday

朝起きたら雨が降っている。そのうちに白いものが混じり始めた。まだノーマルタイヤのまま。下調べがありスタッドレスに換えている時間はない。幸い雪はたいしたことなく、ノーマルのまま松本へ。道路は大丈夫だったが、小野のあたりでは、畑や田んぼにうっすらと白いものが。

コンピュータはぼくにとって今や必需品。コンピュータのない生活は考えられない。山裾のひなびた田舎に生息していても、コンピュータの前にすわると、瞬時に世界と繋がることができる。特にその存在がかけがえのないものなるのは翻訳するとき。オンラインの辞書や百科事典や情報を提供してくれるサイトにアクセスすることができる。どうしても分からないところは、メールで世界中の「友人たち」に助けを求めることができる。

英語の勉強のためにもコンピュータは画期的な機械であり、教材でもある。ところがひとつ問題がある。学生のエッセイを読むと、自動翻訳機で訳したとしか思われないものがある。一見見事な英文に見える。難しい単語もけっこう含まれている。しかし、どう考えても意味がつかめない。昨日読んだ学生のエッセイの中に He took percussion of the conferment of the award. という英文があった。よくわからない。今日のクラスのあと、これを書いた学生を呼んで、どういう意味なのか聞いた。「その賞の授与に関して打診された」という意味とのこと。打診の「打」から percussion が来たのか。なるほどと思ったが、あまりのおかしさに笑ってしまった。「自動翻訳機を使っただろう」というと、「全部ではありませんが」としぶしぶ認める。彼を責めるつもりはない。いい自動翻訳機があったらぼくだって使いたい。でもまだ日本語と英語の自動翻訳は極めて不完全。

クラスのあとMark B. の研究室を訪ねる。話し込んでしまい、気がついたらもう外は真っ暗。雨の山麓線には霧が立ちこめ、前が良く見えない。のろのろ運転。ぼくの前に車はなく、後には長蛇のライト。

わけのわからない英文を読むと脳細胞が破壊される気がして、大いに疲れる。しかし、ひょっとしたら脳の活性化に役立っているかも。日ごろ使わない脳細胞を使うことは確かだ。答えのないパズルを解くような。


November 16, 2009 Monday

終日家にいて、コンピュータの前。明日のクラスの準備。学生の書いた英文のエッセイのチェック。それぞれはA4一枚以下の短いものだが、わけがわからないものが多い。いちいち修正していたら時間がかかるので、わからないところを赤ペンでアンダーラインをし始めたら、アンダーラインばかりになってしまった。これでは学生もこまるだろうと、余白に修正した文を書き加えることにした。一日かかってしまった。

合い間に、歌の練習。「スザンヌ」はまだもう一つしっくりいかない。マンダラ2までほぼ一ヶ月。



November 15, 2009 Sunday

朝食後、外に出たがるソフィーを抱えて玄関のドアを開けたら、サンデッキの上に蝶がとまっている。日向ぼっこをしているようだ。昨日の雨に打たれたのかもしれない。近づいても動かない。カメラを取りに戻り、シャッターを押す。い
まどき蝶を見るのは珍しい。しかも、普段あまり見かけない色をしている。先日ローカル新聞で弱った蝶を保護し、蜂蜜をやったら元気になったという記事を読んだばかり。捕まえて蜂蜜をやろうと思い、手を伸ばしたら、ゆっくりと飛びあがった。この時期ではあまり遠くまではいけないだろう。

そのあと、昨日頼まれた外国人が日本語で書いたエッセイの推敲。英語で書いて日本語に訳したものではなく、最初から日本語で書いたようである。よく書けてはいるが、「は」と「が」の助詞の使い方が不自然。何ヶ所か意味不明なパラグラフがある。特に、最後の結論の部分がよくわからない。それを何とか解釈し、とりあえず通じる日本語に変える。最終的に完了したのは4時過ぎ。われわれが英語で文章を書くのが難しいように、外国人も日本語で文章を書くのは難しいようだ。最後の結論の部分を英語で書いて送るようにメールを打つ。間違って解釈していたら大きな問題になりかねない。

夜7時から、区の委員会。特に重要な議題はなく短時間で終了。来年の御柱祭の役割分担の名簿(案)が配られた。ありがたいことに、責任ある役からは免除されている。



November 14, 2009 Saturday

藤森さん、今夜は風邪でおやすみ。サウンドチェックをかねて、最近歌っていない「アニー・イナシオのバラード」「DU」「握手」などを歌っているところへ、宮島さん。

初登場のボーノこと宮島さん、ビートルズに影響を受けてギターを弾き始めたとのこと。Blackbird それにJulia を歌い、そのあと、T. Rex の 20th Century Boy。それに日本語のカバー曲。軽快なギターワーク、特に3曲目は。赤羽さん、最近の曲「今すぐに」「許し」を含む4曲。赤羽さんの人柄や想いが伝わってくる。ここで前半終了。

後半トップは田中(創)さん。I'll Be Staying Here Tonight with You など。大月さん、「カノン」。宮島さん、素敵なオリジナル Hello My Dear を含む3曲。赤羽さん「旅人の木」「千両梨の実」。後者は大月さんのサポートで。ここで再度、田中さん、「東京」「ハレルヤ、ハレルヤ」。そして、アンコールの声がかかり、「ヴィンセント」。いずれも力作。説得力あるギターワークとヴォーカル。最後にぼくが、大月さんのサポートで「バード・オン・ザ・ワイヤー」、そして長い間歌ったことのない「年をとって歯が抜け」をソロで。






この歌は、この町に戻ってきてしばらくして、Sg. Pepper's Lonely Hearts Club Band の中の When I'm 64 に触発されて書いた歌。そしてこの歌は今日を逃したら歌う時がない。

   年をとって歯が抜け目がかすんでも
   誕生日にはケーキをやいてくれるかい
   たまには夜遅くまで飲んでいても
   ドアを閉めずに寝ないで待っててくれるかい

   やがてふたりの子供は大きくなり
   この町をそれぞれ出て行くだろう
   でも心配ご無用彼らは何とかやるさ
   俺たちが何とかやってきたように

   この町で俺たち年老いてゆく
   これからの人生愉快にやろう
   奉仕団も安協ももうすんだし
   区長代理がくるのもまだまだ先のこと

   だから春には王城山へたらの芽つみに
   秋には三本松へ松茸狩りに
   夏には荒神山の町営プール
   冬にはたつの海でひと滑り

   年をとって歯が抜け目がかすんでも
   誕生日にはケーキをやいてくれるかい

この歌を書いてから長い時が流れたことがわかる。ふたりの子供たちは、それぞれこの町を出て行き、まだまだ先のことと思っていた区長代理はとっくの昔に終わり、区長と公民館分館長の役さえ済んだ。三本松には松茸は生えず、荒神山の町営プールはなくなり、たつの海には氷がはらなくなった。そして、もう何年も前から、ケーキは焼いてもらえない。嗚呼。

閉店時間まで、しばし歓談。田中さんの今日の帽子はレナード・コーエンを意識してかぶってきたとか。彼のオリジナル「ハレルヤ、ハレルヤ」は、前回来た時に貸せてあげた Live in London を聞く前にすでに書いていたようである。今夜 Live in London の DVD を購入してくれた。田中さんはディランの大ファンで、よく彼の歌を歌うが、コーエンをカバーしたらどのように響くか楽しみである。

11時過ぎ、家に戻る。オリオン座を中心に冬の星座が頭上に輝いている。その美しさにしばし見とれる。明日から、またセキギョク的に、がんばらねば。


November 13, 2009 Friday

11時から、「紅葉の会」主催の視覚障害者の方々を囲んでの昼食会。何よりも驚かされたのは、目が不自由な方々の見事な話し方。説得力のある心に訴える話をたくさん聞かせていただいた。presentation は単なる技術ではないということを教えていただく。それは歌とも関係があるはず。



「里の秋」「冬景色」「旅愁」「たきび」「紅葉」など、昔の歌をみなさんと一緒に歌う。点字の歌集も用意されていた。最後に1曲ということで、「祈りの歌」を歌わせていただく。歌い終わるとすかさず「アンコール」の声。Aさんだ。一昨年、ボランティアセンターで歌ったときも、彼女から大きな「アンコール」のかけ声があって勇気づけられた。彼女の好きな「幼いころ野原には」を歌わせていただく。

13日の金曜日というわけではないだろうが、今夜は暇だった。外にもあまり車が走っていなかった。「スザンヌ」をはじめいくつかの歌の練習。「スザンヌ」はかなりよくなったと思うが、家人に言わせると「難しい、もう少し分かりやすくできないか」とのこと。もとの歌そのものが難しいので、これ以上原詩のニュアンスを変えないでやさしくすることは至難の技。歌い込むうちに、よりこなれた表現が浮かんでくるかもしれない。

オバマさんがやってきた。


November 12, 2009 Thursday

朝起きると身体が軽くなっている。首筋から頭にかけてあった不快な感じもない。麻黄湯が効いたのか、単に週末の力作業の疲れがとれたからか。

午後1コマの授業。Greensleevesのあと、環境問題についての文を読む。地球温暖化に対応するために世界40の都市が共同で取り組んでいる運動「C40」について初めて知った。http://www.c40cities.org/


オーリアッド。ジブランの会の方々。遅くなって、明日の紅葉の会で一緒に歌う歌の歌詞とコードをチェックしているところへお客さん。リストアップしておいた歌のタイトルをみて、そのすべてをピアノで弾いたのには驚いた。特に「砂山」がよかった。田中先生。

家に戻り、歌詞とコードのチェックをつづける。ありがたいことに、オーリアッドの本棚にあった「心のうた」の中に1曲を除きすべて載っていた。但し、コードを変換しなければならない。オリジナルのキーではぼくには高すぎる。でも楽しい作業。古い日本の歌にはいい歌が多い。「冬景色」は昔姉たちとよく歌ったものだ。



November 11, 2009 Wednesday

朝から雨。全国的に。ありがたいことに気温はそれほど低くない。午前中、Suzanne を歌える日本語にするために何度も推敲。3番は英語で歌おうと思っていたが、ここも日本語にすることに。難しいのはコーラスの部分。まだ完成とはいかないが、だいぶできてきた。2番が一番いい感じ。

午後遅く、病院へ。定期健診。少々身体がだるい。用心のため、インフルエンザ予防に効果があるという麻黄湯を処方してもらう。昨日はキャンパスにもマスクをした人が大勢いた。インフルエンザにかかり欠席した学生もいた。

今夜はオーリアッドへ遅れて入る予定だったが、家人から電話。土曜日ピアノを弾いてくれた田中先生が学生と一緒にお見えになっているとのこと。予定より早めにオーリアッドへ。ぼくが土曜日に歌った歌を学生に聞かせてほしいとのことで、「碌山」を歌うことに。先生にも、お帰りになる前に、一曲お願いする。クレイダーマン。

遅くに数名のお客さん。そのうちの一人は勤続20年で表彰されたとのこと。ということはベルリンの壁が壊された年に入社したことになる。最後、クラプトンをかけてほしいというリクエスト。コーエンのLive in London をはずし、クラプトンのベストアルバムをかける。久々に Tears in Heaven.


November 10, 2009 Tuesday

松本へ。2コマの授業。今日の歌は Greensleeves。ヘンリー8世が2番目のお妃のために書いたという逸話を紹介する。この歌が正式に印刷されたのは16世紀後半のこと。ちょうどシェイクスピアの生きていた時代。今歌ってもまったく違和感がない。美しいメロディ。そして、昔も今も、恋心に、いや、失恋の痛みに、かわりはないことが分かる。まさに Ain't No Cure for Love。

クラスのあと、マーク・Bと話す。彼が月曜日、ぼくが木曜日に担当している共通のクラスについて。そして来年のクラスについても。

5時過ぎ、山麓線を南下。すでに真っ暗である。考えてみれば、冬至もそう先のことではない。


November 9, 2009 Monday

ベルリンの壁が崩壊して今日でちょうど20年。テレビで特集番組をしていた。1989年は世界が大きく変わった年である。6月には天安門広場で若者が大規模な抗議運動を繰り広げ、11月にはベルリンの壁が崩壊した。壁によじ登り、ツルハシやハンマーで壁を打ち壊す人々の歓喜に満ちた顔が今でも目に浮かぶ。その年の1月には年号が昭和から平成にかわった。

ついこの間のことのような気がする。生まれてから20歳までの20年間の長かったこと。それと比べると、この20年はなんと速かったことか。この頃また歌い始める決心をした。「セカンド・ウインド」「ミカイル・Gへ」など、時代を反映するいくつかの歌を書いた。今世界には、政治的にも経済的にも、あのころの楽観主義はない。それでも世界はいい方向に向かっていると信じたい。現実には暗いニュースが多過ぎるが。



November 8, 2009 Sunday

朝9時から三部落の下水処理施設のまわりの清掃。今日は、この施設に沿って流れる横川川の堤防に群生するアカシヤの木を切るのが主な仕事。三部落10人ほどの理事が参加。中学時代の同級生M君がチェインソーで切った木を、他の者たちがロープで引き上げた。M君は若いとき Self-Defence Forces に在籍していた。そのせいか、今でも頑健な身体つきで、足場の悪いスロープもものともせず、手際よく木を切っていく。凄い。

今日の作業が、2年続いた理事としての最後の仕事。来年3月の理事会で任期が終わる。

午後、金曜日から始まったガレージの整理の続き。だいぶきれいになってきた。夜は、Suzanne を日本語で歌えるように歌詞を考える。以前この歌を日本語に訳して歌ったことがあるが、そのノートが見当たらない。

12月18日(金)のマンダラ2での年末ライブの構想がようやくまとまってきた。夜、マンダラ2の中野さんに電話。毎年7時半開演だったが、今年は試しに7時にしてもらうことに。毎年来てくれるS君に聞いたところ、7時でもいいのではとのことだった。年配の方々にとっては終わる時間があまり遅くならないほうがいい。


November 7, 2009 Saturday

田中先生、そして宮木分館バンドなどの初登場の方々を含め、賑やかな飛び入りライブになった。分館バンドが来るとのことで6本のマイクを立て、チェックをしているところへ藤森さん。今夜は前半終始オリジナルに徹する。若いころの歌も聞いたが、そのクオリティーの高さは田中先生も「お上手ですね」と認めるところ。名取(友)さん、ピアノで「エデンの東」など3曲。ちょっと緊張気味。

昨夜初めてお見えになった田中先生がドアから入ってきたときは驚いた。「今日は弾きません」とおっしゃっていたが、名取さんのあと1曲弾いていただくことに。昨夜も感じたがその躍動感溢れる演奏に驚かされる。中折れ帽といい、物腰といい、ピアノのタッチといい、ある種のオーラが放射されている。そのあと、ぼくが「碌山」を歌い、休憩。先生はここでお帰りになる。

後半トップは宮木分館バンド。ヴォーカル、石吾;ギター、長島&武井;ベース増澤の各氏。「愛しのエリー」「イエスタデイ・ワンス・モア」。石吾さんのヴォーカルがなかなかいい雰囲気を出し、ギターとベースもいい感じである。コーラスの部分を全員で歌えば迫力がもっと増す気がする。そのあと、ヴォーカル&ギター、長島;ギター、武井のお二人で「宮木区の歌」。区民のだれも知らないが、せっかく区歌があるので、これから区民に広めたいとのこと。そのあと長島さん、ソロで「無縁坂」など。大月さん、「カノン」と「Merry Christmas, Mr. Lawrence」。盛大な拍手と喚声。特に初めて大月さんの演奏を聞く分館バンドのテーブルから。森西さん、もう何年も前の11月に亡くなった高校時代の友人の思い出を語る。名取(芳)さん、今日参加した還暦を祝う同年会について語り、今はこんな歌を歌いたい気分だと、アカペラで「乾杯の歌」。

  
飲めや歌え、若き春の日のために
  飲めや歌え、みそなわす神のために
  飲めや歌え、わが命のために
  飲めや歌え、愛のために







藤森さん、長島さんが九州出身のシンガーをカバーしたのに触発され、先ず北海道出身のシンガーをカバーしたあと、もっとも新しいオリジナル「もうすぐ一年生」。最後にぼくが大月さんのサポートで「祈りの歌」。

そのあと、あまり時間がなかったが、しばし歓談。みなさんのおかげで賑やかな飛び入りライブになった。感謝。


November 6, 2009 Friday

家人に促され、朝からガレージの整理。ここ数年整理をしなかったので、ガラクタが山のよう。とりあえず、野菜を貯蔵する室(モロ)の上の板に乗っているガラクタを外に出す。一枚の板が腐っていて、足を踏み外すところだった。モロの中に入る。中はきれいだ。午後、車にガラクタを積み込み、隣町のゴミ処理場へ。帰路、「ながたの湯」へ。この温泉にはすでに何度か入ったことがある。おそらく世界で最高の温泉の一つ。ガレージの整理はまだ終わっていない。明日も続けることに。先ずモロに渡す板を買ってこなければ。

6時からオーリアッド。開店してしばらくして、一人のお客さん。町の短大で2年前から教えているとのこと。いろんな人からぼくのことを聞いて、前から会いたいと思い、前にも来たが、お店が閉まっていたとのこと。オーリアッドの営業は水曜日から土曜日の午後6時から11時までと伝える。先生の専門は音楽教授法。コロンビア大学で学んだとのこと。お帰りになる前に、ピアノを弾いていただく。躍動感溢れるダイナミックな演奏。タイトルは何ですかと聞くと、「彼女に伝えてよ」、イタリアのカンツォーネとのこと。先生は鎌倉から通っているので、週末はこの町にいないことが多いらしい。是非またお会いしたいものである。

後半、団体のお客さん。少し忙しくなる。

次のURLから松井選手がCBSの人気番組 David Letterman の Late Show に出てレターマンの祝福を受けるシーンが見られます。後半です。前半はポサーダ、ぺティット、ジーターが新しいヤンキースタジアムなどについて語ります。ジーターも松井に来期もヤンキースでプレーしてもらいたいようです。

http://www.youtube.com/watch?v=_s8p8FRM0ZU


November 5, 2009 Thursday

次のURLから松井選手の活躍が見られます。

http://mlb.mlb.com/media/video.jsp?content_id=7123551&topic_id=7224328

残念ながら、リアルタイムで見ることはできなかった。朝、松井の打席だけでも見ようかと思ったが、クラスの下調べがまだ終わっていない。あきらめることに。松本へでかける直前にネットをチェックし、彼が2回にホームランを打ち、ヤンキースが4対1でリードしていることを知った。午後家に戻り、彼がこの試合で4打数3安打、1ホームラン、6打点の大活躍、さらに、シリーズ通算の打率が6割1分5厘で、MVPに輝いたことを知った。彼が2006年に怪我をしてから、大リーグの試合を見ることも少なくなった。最近はDHだけの出場で淋しく感じていた。本当によかった。決して器用なバッターではないが、彼のひたむきさ、謙虚さが好きだ。きわどいコースを選んで、見逃しの三振をしても、顔色ひとつ変えず、すくっと踵を返し、ベンチに帰る姿が好きである。

夜、オーリアッド。相撲好きなお客さん、入ってくるなり開口一番「松井選手がMVPをもらいましたね」。今夜はその話で持ちきり。

今夜もスピーカーからはニール・ヤングの Harvest Moon。久しぶりに聞く。2曲目の From Hank to Hendrix が特に好きだ。音楽も歌詞も。

  ハンクからヘンドリックスまで
  私はこれらの道を彼らと歩いてきた
  そして今でも私はこの古いギターをもって
  歌っている
  ・・・・・
  私は今も歌っている
  懐かしい古い昔の友だちのように
  あなたを生かすものが
  最後にはあなたを殺すこともできる

  From Hank to Hendrix
  I walked these streets with you
  Here I am with this old guitar
  Doin' what I do.
  ・・・・・
  I found myself singin'
  Like a long-lost friend
  The same thing that makes you live
  Can kill you in the end


*From Hank to Hendrix I walked these streets with you を直訳すると意味がよく伝わらない。you はニールが影響を受けたハンクとヘンドリックの間のすべてのミュージシャンたち。 you を「あなたがた」と最初訳したが、意味が伝わりやすいだろうと「彼らと」に変えた。「あなたを生かすものが/最後にはあなたを殺すこともできる」、確かにそうかもしれない。死ぬためには、生きていなければ。


November 4, 2009 Wednesday

今日も昨日と同様、朝は寒く、日中はまれに見る美しさ。昼前に対訳を送る。いつものことながら、邦題をどうするかで悩む。基本的には英語のタイトルをカタカナで表記するのが好きだが、中にはそうすると意味不明になってしまうものもある。特に th が入っている場合が難しい。truth を「トゥルース」、think を「シンク」と表記すると少々 misleading。

午後、しばらくウォーキング。そのあと、ガレージの西側の柿の実をとる。今年は、この柿木にかろうじていくつかの実がなっただけ。東側の2本はまったくならなかった。わが家だけでなく、近所の柿木も同じ。今年は柿が不作である。同じ理由かどうか分からないが、先日の新聞の投書欄に「今年はトンボがいない」と書かれていた。そのあと庭に出るたびトンボを探したが、見たのは2匹のみ。すでに季節は過ぎているだろうが、例年は空いっぱいトンボが飛んでいる。そう言えば蜂も少なくなった。今年多かったのは蜘蛛。庭を歩きながら蜘蛛に話しかけている。寒くなり彼らは大変だ。

夜、7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交替。朗読の会の方が二人お見えになり、朗読講座の成果を発表する会を開きたいとのこと。12月11日(金)とのこと。それで気がついた。マンダラ2での年末ライブのことを忘れていた。もちろん頭の中にはあったが、もっと先のことだと思っていた。12月18日(金)である。詳細を決め、案内を出さなければ。

相撲好きのお客さん、「15日から大相撲が始まるので楽しみ」とのこと。「えっ、この間終わったと思ったら、もう始まるの?」 最近また時間の流れが速くなったよう。老いが進んでいるのかも。気をつけなければ。遅くに原田さん。将棋を一局。またまた完敗。最近負けが込んでいる。チェスは脳の若返らせるのにいいと脳科学者が言っていた。将棋も真面目にやれば脳の若返りに役立つか?


Novemeber 3, 2009 Tuesday

この秋一番の寒さ。玄関先の温度計は、7時前、新聞を取りに出たとき、−2℃だった。寒かったが、同時にこの秋一番の美しさ。今日は体力が少し回復したおかげで、その美しさを楽しむことができた。

昼食後、公民館へ区の文化祭を見に行く。絵手紙講座に参加した方々の絵手紙が展示されている。ぼくの作品は絵手紙と絵手紙講座の写真9枚。

公民館から戻り庭の写真を撮る。モミジの葉が緑の芝生に落ちて、赤い絨毯のよう。秋になると必ず思い出す八木重吉の詩がある。

  
この明るさのなかへ
  ひとつの素朴な琴をおけば
  秋の美くしさに耐へかねて
  琴はしづかに鳴りいだすだらう









夜、王城山に満月が昇った。外に出たがるソフィー連れ出し、一緒に満月を見る。ぼくのカメラではその美しさを捉えられない。これほど美しい月にはめったにお目にかかれない。晩秋の冷たい澄んだ空気が必要である。


明日締め切りの翻訳は、ほぼ完成。明日の朝、もう一度見直して送ることにする。



November 2, 2009 Monday

ここ数日体調が思わしくない。身体が重い。節々が痛む。疲れが出たのだと思う。

昼食後ヤンキース対フィリーズの試合を途中から見る。4対2で勝っていたが、8回裏に同点に追いつかれた。9回表、松井が代打で出て凡打したところまで覚えている。目が覚めたら、試合が終わっていた。松井のあと、ポサーダらの連打で3点をあげて勝ったようだ。クローザーはもちろんリベラ。今年のヤンキースは強い。

その後しばらく、予算委員会の質疑応答を見る。民主党の大臣たちの顔が一様に疲れて見えた。がんばってほしいものである。マニフェストに書かれていることはすべて一字一句実現しなければいけないということはないだろう。実現に向けて努力することは当然だが、過程の中で、修正を加えたり、延期したりすることがあっても、支持は得られるはず。基本の理念に変化がなければ。

朝は太陽も出て暖かかったが、5時過ぎ家人が外出から戻ってきて「寒い、寒い」と言う。そして「アラレが降っている」と付け加えた。外に出たがる猫を連れて外に出てみると、確かに雨の中に白いものが混じっている。あわてて中に入る。天気予報は寒くなると予報していたが、その通りになった。突然、初夏から冬になったような。

夜、ニュースを見たら、今日は全国で気温が下がり、北海道・東北では積雪があったとのこと。山や海での遭難も報じられている。明日の朝は今年一番の冷え込みになるとのこと。

明日は文化の日。分館では恒例の文化祭が開かれる。


November 1, 2009 Sunday

11月とは思えない暖かさ。天気予報では今日から寒くなるとの予報だった。午後から雨になるとの予報はあたった。

10時半から、母の七回忌の法事。先ず始めに、導師から、七回忌の如来はアシュク如来で、真言は「オン アキシュビヤ ウン」であるとの説明を受ける。アシュク如来のアシュクは、「不動心」、つまりゆるぎない心とのこと。今までこのような説明を聞いたことがなかった。ゆるぎなくなったのは、母の心か、残された者たちの心か。

この若い導師の朗々とした読経の声はよかった。家での法要が済んだあと、裏山の麓のお墓へ行き、そこでも短い法要が行なわれた。導師の読経が山中に響き渡った。眠っている母のみならず、先祖たちがみな驚いて目を覚ましそうな勢い。参列者一同、大いに感銘を受ける。

午後は別の用事があるという導師をお送りしたあと、紅葉の庭で記念撮影。そのあと、パークホテルにて会食。母を偲びながらのひととき。最後の挨拶の中で「祈りの歌」をアカペラで歌わせていただく。




形式的な儀式には否定的になりがちだが、こうして身近な親戚の方々にお会いできたのは法事のおかげ。ニュージーランドいる次男は残念ながら参列できなかった。


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