OREAD Diary
October 1 - 31, 2009

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October 31, 2009 Saturday

11時過ぎ「なんなん広場」着。会場は仮装をした子供たちや大人たちで賑わっている。3階の音楽の部屋ではセッションが行なわれている。The Monster Mash のヴォーカルは John K. そしてアップライトベースで丸山さんも参加。とてもいい雰囲気。それぞれの部屋でいろいろなイベントが行なわれている。Costume Contest では子供たちが年齢別に参加。盛り上がっていた。ぼくは、ここ数日の疲れが出たのか異常に疲れていて、歌うのを断念して、先日忘れたカバンを受け取り、早々に退散することに。





右下は Fred C. の家族。彼は声優になったら成功するだろうといつも思う。彼の朗読するCD(教材)は飛びぬけて聞きやすい。

飛び入りライブ。藤森さん、前半「それぞれの秋」「秋桜」など秋に因んだ歌の数々。いわゆるニューミュージックに疎いぼくは、今までも藤森さんからいくつもの佳曲を教えられてきた。赤羽さん、なんといっても「許し」が秀逸。先週「赦し」と書くべきか、と書いたが、今夜確かめたら「ゴンベンのゆるし」とのこと。森西さん、日本の(昔の)田園風景を歌った「お米の響き」「田舎とおばあちゃんと」など。大月さん、「カノン」「星に願いを」の2曲。「カノン」に関して言えば、最近、かなり進化(変化)し、ところどころimprovisation と思われる試みもあり楽しめる。ここで前半終了。







後半、ぼくが大月さんのサポートで「祈りの歌」と「千の風」。後者は明日の母の7回忌の法事との関連で。もう丸6年が経ったとは信じがたい。森西さん「石狩挽歌」と「幸介」。赤羽さん、ソロで「今すぐに」、大月さんのサポートで「千両梨の実」。次に、森西さんと大月さんは中学時代のギタークラブの先輩後輩とのことで、藤森さんの提案で、当時歌ったという「万里の河」を3人で。いい歌である。最後に藤森さん、「もうすぐ一年生」「チェインジ」。前者は8月に出来てから、何度か聞いたが今夜がもっとも説得力があった。この歌の主人公が最後、お迎えにきた。元気いっぱい。一年生まであと5ヶ月。

閉店時間まで、しばし歓談。来年も「キング牧師の日チャリティーコンサート」をやる方向で考えることに。



October 30, 2009 Friday

ヤンキース対フィリーズの第2戦を見た。松井が素晴らしい活躍。特に勝ち越しのソロホーマーは内角低めの難しいボールを見事にすくい上げた。フィリーズの監督は、日本でプレーしたことのあるチャーリー・マニュエル。昨年フィリーズはワールドシリーズで優勝した。巨人でプレーしたデイヴ・ジョンソンも大リーグに戻って監督になりメッツをワールド・シリーズで優勝させた。日本でプレーするといい監督になれるのかも。

午後、久しぶりに芝刈り。落ち葉を掃除するには芝刈りに限る。すべて細かく砕いてくれる。ケースがいっぱいになるたび畑へもっていき、畝に入れる。一冬でいい堆肥ができる。

オーリアッド。遅くにT先生。他の店で飲んでいて三遊亭円朝の師匠の名前が思い出せないとのことで、聞きにきたという。落語家の師匠だから落語家かと思ったら、剣豪で禅僧だという。大森曹玄ですかというと、違うという。明治時代の剣豪で禅僧でもある人はあと一人しかしらない。山岡鉄舟ですかというと、そうだそうだといって、ノートに書き込んでいる。そのあとしばらく四方山話をしてから、もとの店に戻っていかれた。帰り際に先生が、ぼくのことを、「まったく役に立たないことをしていて、素晴らしい」という。誉められたのか貶されたのか。でも確かに、ぼくの人生はあまり世間の役にはたっていないようだ。

明日は松本の「なんなん広場」でのハロウィーン・パーティに出かけるつもり。夜は飛び入りライブがあり、日曜日の法事の準備もある。あまり長い間はいられない。



October 29, 2009 Thursday

松本へ。小春日和というよりも、初夏のように暖かい日。クラスのあと、リチャードと会い、彼の車に乗せてもらって、ぼくの車のある駐車場へ。先日、土曜日のハロウィーン・パーティーのために機材を貸してほしいと頼まれていたのである。無事機材を積み替え、山麓線に差し掛かったあたりで、ケイタイに電話。リチャードからだ。"Your bag is in my car." とのこと。しまった、カバンとバックパッカーのギターと、買ったばかりの信大饅頭を忘れてきてしまった。土曜日はぼくも少し歌う予定なので、そのときまで預かってもらうことに。(このハロウィーンパーティーについては次のURLから。http://6120.teacup.com/gotta/bbs

6時からオーリアッド。前半翻訳を少し。後半、忙しくなる。

新しいケイタイはまだよく分からない。とりあえず通話ができるようになり、マナーモードの設定もできた。

夜、家に戻ったら、ジョン・Kからメール。土曜日にみんなで歌うという The Monster Mash とう歌の音源が送られてきた。次のYouTubeでも聞くことができる。
http://www.youtube.com/watch?v=J0R_oDEvYUY

 The Monster Mash

 I was working in the lab late one night
 When my eyes beheld an eerie sight
 For my monster from his slab began to rise
 And suddenly to my surprise

  He did the mash - he did the monster mash
  The monster mash - it was a graveyard smash
  He did the mash - it caught on in a flash
  He did the mash - he did the monster mash

 From my laboratory in the castle east
 To the master bedroom where the vampires feast
 The ghouls all came from their humble abodes
 To get a jolt from my electrodes

  {Refrain with They did}

 The zombies were having fun
 The party had just begun
 The guests included Wolfman
 Dracula and his son

 The scene was rocking all were digging the sound
 Igor on chains backed by his baying hounds
 The Coffin Bangers were about to arrive
 With their vocal group, the Crypt-Kicker Five

  {Refrain with They played}

 Out from his coffin Drac's voice did ring
 Seems he was troubled by just one thing
 He opened the lid and shook his fist and said
 "Whatever happened to my Transylvania twist?"

  {Refrain with It's now}

 Now everything's cool, Drac's a part of the band
 And my monster mash is the hit of the land
 For you, the living, this mash was meant, too
 When you get to my door tell them Boris sent you

  {Refrain with And you can mash}


October 28, 2009 Wednesday

故あってケイタイを替えた。今まで使っていたのはほぼ2年前に購入したもの。機能がいっぱいあって使いこなせなかった。新しいのを使いこなせるという保障はどこにもないが、今度はじっくりマニュアルを読んで操作を覚えようと思う。docomo のHT-03A with Google。

午後、昨夜メールで届いた対訳の仕事を始める。全8曲とりあえずざっと目を通す。いつものことながら、一人称の主語を、俺、ぼく、私、のどれを選ぶか迷う。とりあえず、俺を使って進めることに。音源は明日。

夢というのは不思議だ。荘子の胡蝶の夢ではないが、あまりにもヴィヴィッドで、夢とは思えないような夢を見ることがある。今朝見た古い友人の夢もそうだった。あまりにもヴィヴィッドで、目覚めたとき、彼が目の前にいないのが不思議だった。思い切って電話をしてみた。元気そうでよかった。

夜、8時近く、オーリアッドに入る。しばらくして、ドアが開き、今朝の夢の友人が入ってきた。まるで夢の続き。互いの近況報告のあと、多岐にわたる四方山話。果敢に生きる彼の姿から大いに励まされる。スピーカーからはレナード・コーエンの Live in London。

  
鐘を鳴らせ、まだ鳴る鐘を
  完璧な捧げ物はない
  すべてのものに裂け目がある
  光はそこから入ってくる


October 27, 2009 Tuesday

松本へ。午後2コマのクラス。疲れているのか、時間の配分を間違えた。終わりの時間がきても、まだ20分あると思い込んでいた。注意しなければ。

今日の歌は The Sound of Silence。先日アマゾンから取り寄せた Concert in Central Park のDVDを見る。学生たちは、音感もリズムもたいしたもの。一度聞けばだいたいの歌はすぐに歌える。

夕方家に戻り、新たに Sophey & Phoebe 4 をアップする。昨日アップしたものは、朝、疲れていたのか slide と deleat を間違えてクリック、あっと言う間に削除されてしまった。昨日の今日なので、アップの手順は覚えていて、昨日よりは楽だったが、それでもかなり時間がかかった。昨日と同じ写真を同じ順序でアップしようとしたが、うろおぼえで、結局、数枚増えてしまった。

レナード・コーエン『1970年、ワイト島で歌う』(CD&DVD)は11月25日発売予定。今、アマゾンに予約注文すると割引料金で購入できる。40年前(コーエン35歳のとき)の見事なパフォーマンスを映像で見ることができる。Live in London と比較することによって、この40年という歳月の中で、彼がいかに変化したかを、そして本質的にはいかに変化しなかったかを、確認できる。


October 26, 2009 Monday

朝から雨。台風の影響か。かなり激しく降る時も。家人は昨日から旅行に出かけ、留守、ゆっくり起きて、自分のペースで朝飯を食べる。最近コマーシャルでもやっているが、朝からお茶漬け。お昼は、カレー。

午後、この一年間撮りためたソフィーとフィービーの写真を Photo Albums にアップした。かなりの数の中から、30数枚を選ぶ。サイトの右側にある黄緑の枠の中の slideshow をクリックすると楽に見ることができます。 Congratulations! You won!! という声が聞こえてきますが、これは無視してください。
Sophie & Phoebe 4

久しぶりなものだからアップする作業に手間取った。終わったら頭痛がし、首筋が凝っている。温泉に行くことに。湯にいくセンターに着くと、ウイークデイの午後遅くにしては車の数が多い。雨の日のせいかと思ったが、中に入って分かった。毎月26日は「ふろの日」で、入湯料はいつもより150円安い350円とのこと。温泉、サウナ、20℃の源泉、最後にまた温泉に入って終了。血行がよくなったのか、頭痛も肩こりも軽くなった。

夕方、家人が戻る。会津若松に一泊し、茨木県の水族館を見て帰ってきたようである。家に戻ってから、会津若松のホテルでの豪華なハワイアンショーに何度も言及する。よほど印象深かったようだ。写真を見せてもらったら、一同、ハワイのムームーのようなものを着ている。これは凄いと思ったら、これが宿の浴衣とのこと。全館ハワイのノリである。

夜、ニュージーランドの次男から電話。「町長選があったんだね」と言う。「よく知っているね」というと、「オーリアッド日記を読んでいるからね」とのこと。時々書く町のニュースをチェックしているようだ。かつてぼくがカリフォルニアに住んでいたころ、もう40年以上も前のこと、3ヶ月遅れで図書館に届く日本の新聞や雑誌をむさぼり読んだもの。町内のニュース・ソースは、家から時たま送られてきた荷物に入っていた「たつの新聞」である。隔世の感がある。今ではインターネットで全世界のニュースをリアルタイムで知ることができる。


October 25, 2009 Sunday

今朝は、昨日見られなかったCSシリーズ第2ステージの結果をテレビで見る。ぼくが応援したチームは両方とも負けた。勝ったチームは両者ともにリーグ優勝したチーム。やはり強い。「巨人、大鵬、卵焼き」なんていう言葉はもう死語だと思うが、ぼくが子供の頃、とにかく野球はセリーグ、中でも巨人の人気が群を抜いていた。それがどうだろう、今パリーグもほぼ同じほど人気がある。若い魅力的な選手はパリーグに多い。いずれにしろ、CSシリーズは各球団の実力が伯仲し、見ごたえのある試合が多かった。勝ったほうにも負けたほうにも両者に拍手を送りたいような。楽天と日本ハムの両チームの選手たちが野村監督を胴上げするシーンは感動的だった。

夜、岡谷へ。LSECのレッスン。Sailing, Yesterday を歌う。収穫したばかりの新米をいただく。感謝。9時ごろ帰り、町長選の選挙速報を見る。10時ごろ、現職に当確が出た。4600票までは同数だったが、最終的に2000票近くの差がついた。予想通りの現職の勝利ではあったが、無投票はよくないし、あまり大差がついてもよくない。挑戦者も大いに善戦。そう考えると、両者に拍手を送りたい。両軍の選手が歩み寄って監督を胴上げしたように、今後、両者の歩み寄りが可能かどうか。



October 24, 2009 Saturday

今夜の飛び入りライブには、こおろぎ会代表島岡さんと息子さんのユニットが登場。息子さんはオーリアッド初登場。技量を誇示することなく控えめながら的確なギターワークで聞く者をうならせた。お父さんは、息子さんのことを心配そうに見つめながらも、嬉しそう。実に羨ましい素敵なユニット。

トップは丸山さん、昭和20年8月を歌った「八月の葉っぱ」、幼いころの満州体験に基づいた「昼間の花火」など。続いて島岡親子ユニット「月の祭」「こおろぎの歌」、リクエストに応えて「さらば南台」。藤森さん「人生に勇気」「もうすぐ一年生」など。赤羽さん「私を待つ人がいる」「森の小道」。そして大月さんのギターのサポートで「千両梨の実」。大月さん、今夜の独奏は「カノン」のみ。ここで休憩。







後半、先ずぼくが「バード・オン・ザ・ワイヤー」、そして大月さんのサポートで「祈りの歌」。丸山さん「ブルペン・エレジー」、そして最近よく歌う「心の鏡」。続いて、こおろぎ会6/2(島岡親子)による「夕焼けの歌」。お父さんが息子さんより若い頃に書いた歌を、息子さんが歌った。お父さんはハーモニカで参加。そして「ボブ・ディランに捧げる歌」。どんな風に歌われるか聞いてみたかった。感謝。藤森さん、大月さんのサポートで「今日は土曜日」。そして、加藤和彦さんの名品のギター・コレクションに言及したあと、ソロで「生きて」。最後に赤羽さん、「今すぐに」と「許し」。「赦し」と書くべきか。両者共に赤羽真理ワールドそのもの。ここで飛び入りライブ終了。

その後、閉店まで島岡領大君のギター Harmony を囲んで、しばし歓談。島岡さんのバンド「こおろぎ会」のメンバーは6人で、今夜は2人なので「こおろぎ会6/2」とのこと。いつかフルメンバーで聞いてみたいもの。そのうちの一人は3歳のお孫さんで、彼女の役割はステージに立っていることとか。3歳の可愛い女の子がステージに立ってニッコリ笑ったら、誰もかなわないだろう。是非見てみたいもの。11時閉店。



Ocotober 23, 2009 Friday

昨日の疲れが残っているのか、朝からうとうと。コンピュータにむかって、うとうと。ソファにすわって、うとうと。午後たまらず午睡。そのあと少し元気が出た。

町長選挙は町議選挙と違い、選挙カーの数が少ないので、町の中は比較的静か。それでも時おり、候補者の名前を叫びながら通る選挙カーの音が聞こえてくる。選挙になるといつも思う、選挙カーで町中をまわる代わりに、もう少し何か方法があるのではないかと。今回一度行なわれた討論会はよかった。もう多くの町民が参加すればなおよかったのだが。

オーリアッド。昨夜とうってかわって静かな夜。初めて中に入ったという2人の方。そのうち1人は20数年住んだ東京から昨年戻ったばかりとのこと。オーリアッドの「外を通りながら気になっていたが、こんな店がこの町にあったとは」と驚いた様子。さらに「いつも閉まっているけど、定休日はいつ?」との質問。これはよく聞かれる質問。「開いている日は水曜日から土曜日の午後6時から11時です」といつものようにお答えする。「土曜日は飛び入りライブですので、是非おでかけ下さい」とお勧めしたが、来てくれればいいのだが。

11時過ぎ、家に戻る。空を見上げ、オリオン座のまわりに流れ星が流れるかしばらく見ていたが、何も起こらなかった。


October 22, 2009 Thursday

今日も秋晴れの美しい日。キャンパスの木々も色づいて実に見事。今朝はカメラの電池を充電し、カメラをカバンに入れたことを確認して出かけた。駐車場から歩いて共通教育の建物に向かう。太陽の光を浴びて色づいた木々が輝いている。これぞシャッターチャンスと、カバンを置き、カメラを取り出した。ファインダーを覗いたら、「CFカードがありません」。うーむ。

久しぶりにあがたの森の喫茶店に行こうと、県ヶ丘高校へ向かう道に入り、右折して駐車場に入る。ぐるっと一周したが、止める場所がない。満車。仕方なくあきらめ、アルプス市場に寄って、野菜を少し買って帰ることに。それにキムチも。キムチは植物性乳酸菌が豊富で腸の健康にすこぶるいいと先日知ったばかり。最近、よくキムチを食べている。

今夜のオーリアッドは、まれに見る忙しさ。他の飲食店や喫茶店ではおそらくこれが普通か、少ないくらいだろうが、オーリアッドにしては大忙し。団体がふたつ。最後にきた人たちの中には初めてきた人も何人かいて、それぞれがギターを弾いて歌い始めた。これがなかなか上手い。英語の歌を歌っている。Knocking on Heaven's Door なんかも聞こえてくる。ぼくにも歌えというので、Mr. Tambourine Man と Tomorrow Is a Long Time を歌う。

途中、守屋先生が入ってきた。月曜日に先生の高校にお伺いしたときに忘れてきた譜面台をわざわざ届けにきてくれたのである。いつものように先生はカレーを注文されたが、「うどんはどうですか」と勧めてみる。実は、新メニューにうどんを加えようと思っている。生姜とニンニクと豚肉を炒め、酒、砂糖、醤油を加えてダシをとり、麺を入れたもの。先生は、汗をかきながら「これは美味しい、温まる」と言いながら食べて下さった。

今夜は夕飯を簡単にすませたので、閉店後、そのうどんを作って食べてみた。確かに温まる。汗が出てきた。美味しい。そろそろメニューに加えてもよさそうだ。



October 21, 2009 Wednesday

庭の木々も色づいて、秋たけなわ。秋の空に秋の雲。

昼過ぎ、家人と期日前投票のために役場へ。その足で、城前橋へ。数年かかって建替え工事が行なわれ、昨日から通行が開始された。両側に歩道ができ、通学でこの橋を使う中学生たちには都合がよくなった。モニュメントも悪くない。裸婦像ならどうしようと思っていたが、よかった。




家に戻り、明日の松本行きの準備を少ししたあと、午睡。7時過ぎオーリアッドへ。静かな夜。ときどき楽天vs.日本ハムの試合を動画でチェック。日本ハムファンにとってはこたえられない試合になった。まさかまさかの大逆転。秘かにもうひとつのチームを応援していたのだが。


Ocotber 20, 2009 Tuesday

松本からの帰り、山麓線から見る北アルプス上空の夕焼けは見事だった。年に1度あるかないかの美しい夕焼け。カメラをもっていなかったのが悔やまれる。

今日の2コマ目のクラスでは ジョージ・ワシントン・カーヴァーについて読んだ。彼の名前は聞いたことがあったが、彼が何をした人なのか知らなかった。クラスの始まる前、印刷室でアフリカ系アメリカ人のリチャードに会った。「George Washington Carverを知っているか」と尋ねたら、「もちろん。彼はピーナツバターを作った人だ」と言う。そのエッセイには彼がピーナツバターを発明したとは書かれていないが、綿の連作で衰えた土壌を肥やすために、他の作物、特にピーナツを栽培するように指導したと書かれている。そして、ピーナツを原料にした多くの製品をつくったとも。

彼は1861年、ミズーリ州に奴隷として生まれた。その翌年の1862年、奴隷解放令が発令された。法律の上では奴隷制はなくなったが、差別意識が根強く残っていた南部で、多くの抵抗に合いながらも、彼は初志を貫徹して、1890年、30歳のとき、アイオア州のシンプソン大学に入学を許可される。その大学の最初の黒人学生であった。しかしそこには農学部がなく、1891年、アイオア農業大学(現アイオワ大学)に編入した。成績優秀で、卒業後乞われてその大学で教え始めることに。1896年からはアラバマ州のタスキーギー大学に移り、研究と教育に従事した。

1930年代には彼の研究や「発明品」は全米で知られるようになり、トーマス・エディソンが10万ドル以上の年俸を提示して一緒に研究しようと誘ったが、彼は断った。ヘンリー・フォードも高額の報酬で彼を引き抜こうとしたが、これも断った。月給125ドルのタスキーギー大学に残ることを選んだのである。

彼は彼の発見や製品に対し特許をとることもできたのに、「神が与えてくれたものを独占することはできない」と、そうしなかった。調べてみたら、ピーナツバターの特許は、カーヴァーがピーナツバターを作ったあと何年かして、別の人がとっている。

彼の墓碑銘には次のように記されている。

  
名声も富も得ることができたのに、そのどちらにも無頓着で、
  世のためになることに幸福と名誉を見出した男、ここに眠る。


October 19, 2009 Monday

朝、どの局もニュース番組で加藤和彦さんの死を取り上げていた。70年代の半ばごろからの彼の動向は、時たま名前を見たり聞いたりする以外、ほとんど知らなかった。朝の特集番組のおかげで、その後の彼の人生の一端を垣間見ることができた。彼はすべてを持っていたように思える。少なくとも、ぼくには決定的に欠けている富も名声も才能も。その彼が死を選ぶとは。ふと恭蔵さんのことを思った。そしてレナード・コーエンのことも。

コーエンは長い間うつ病に悩まされていた。ところが、60を過ぎてから、「プロザック、パキシル、ウエルビュートリン、イフェクサー、リタリン、フォカリン」などの抗うつ剤をのみ、哲学や宗教を勉強し、僧堂にこもって修行をしているうちに、「愉快な気持ちが抑えても抑えても出て」くるようになったという。その言葉を読んだり聞いたりするだけでは、その真偽のほどはわからない。しかし、Live in London の DVD を見れば、それが作り話でないことがわかる。見ている者にも、彼の「愉快な気持ち」が伝染するのである。朝の特集番組を見ながら、加藤さんが、このDVDを見ていたならばと思わずにはいられなかった。

午後、明日の松本行きの準備。プリゼンテイションの自己紹介の文を聞き取る作業。これは是非学生に暗記してもらいたい名文。そして明日歌う歌の練習。そのあと、今夜の伊那の高校での「英語クラス」の準備。英語のリズムと発音の基礎を、英語の歌を通して身につけてもらうのがこの特別クラスのネライ。

5時半から7時まで、中に休憩を挟んで、その特別授業。みんな熱心に聞き、歌ってくれた。少しでも英語に興味をもってくれたらいいのだが。使った歌は All My Loving と Can't Help Falling in Love。

今夜も中日がヤクルトに勝ち、決勝戦に駒を進めた。監督も選手も地味で目立たないが、いいチームである。


October 18, 2009 Sunday

町内一周駅伝大会。昨年は分館長として当日はもちろん、準備期間中も忙しかった。今年は路傍の見物人。坂を下りて、旧道(三州街道)を北から南へ走ってくる選手を待つ。10時半過ぎ、来た来た! 白バイに先導されて走ってくるのは常勝チーム南部A。わが区が属する中部は6位か7位。坂の中腹には声援を送る人々。のどかな秋の一風景。



午後、買い物をすませ駐車場を横切っていると後ろから「地震の体験をしていきませんか」と声をかけられた。隣町の新しいスーパーの駐車場。振り向くと消防署員の制服を身につけた以前よくジムのサウナで顔を合わせたことのある人。家人とふたり、トラックの荷台に設置された装置のテーブルにすわる。震度3、揺れはするが大丈夫。震度4、かなり強い揺れながら、耐えられる。「次は震度6強です。絶対に立ち上がらないでください」との注意のあと、もの凄い揺れ。思わずテーブルの端をつかみ、悲鳴がもれる。あとから「長野県西部地震と同じ強さでした」との説明を受ける。この1984年の木曽大滝村の地震はよく覚えている。ソファにすわっていて、腰が抜けたようになり立ち上がれなかった。別れ際、倉田さんに「もうスイミングは止めました」と言うと、彼も「ぼくももう行ってません」とのことだった。おかげでいい経験ができた。

買い物から戻りメールをチェックしたら、藤森さんからメールが入っていた。「『サマ-ピクニック イン つま恋』の再放送をBSでやってます。加藤和彦も出ます。もし時間がありましたら…」とのこと。階下に降りテレビをつけたら、ちょうど出演者全員で「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌おうとするところ。よかった。昨日訃報を聞いたばかりなのでそう思うのかしれないが、ステージ中央で歌う加藤和彦の顔が、暗く沈んでいるように見えた。このときすでに、うつ病がかなり進んでいたのだろうか。

夜、区の委員会へ行く前、中日対ヤクルト、2対2の同点。8時半過ぎ家に戻ると、3対2で中日リード。そのまま逃げ切って、中日の勝ち。中日の選手はほとんど知らないが、職人のような選手が多いと思った。巨人から中日に移り、現在中日のコーチをしている川相のような。


October 17, 2009 Saturday

今日は久々登場の藤森さんを迎えて賑やかな夜になった。先ずぼくが、秋になると歌いたくなる歌「その人がこの町に嫁いできた頃」を歌って、そのあと、守屋さんとTake Me Home Country Roads など。守屋さんは、即興でハーモニーを上手につけることができる。原田さん、アカペラで「君は愛されるために生まれた」、それにピート・シーガーの「ターン・ターン・ターン」と同じ「伝道の書」の一節を基にしてはいるが、まったく違う日本語の歌。きれいな声。藤森さん、3週間ぶりの登場。先ず、今日はギターの弦を張り替えてきたとのことで、「今日は土曜日飛び入りライブの日だから、ギターの弦を張り替えた」と歌う「今日は土曜日」から。丸山さん「さあこれから」「アルプスのヨーデル歌い」など。大月さん、「見上げてごらん空の星を」と「星に願いを」をメドレーで。赤羽さん、新カバー曲「許し」を先ず一曲目に。うーむ、これは今後赤羽さんの重要なレパートリーになる予感。ここで前半終了。

後半トップは名取さん、懐かしの映画音楽を2曲。そのあと、守屋さん Can't Help Fallin' in Love with You。そして大月さんにサポートをお願いして、ぼくが、これもまた秋の歌「一通の手紙」。そのあと、大月さん「栄冠は君に輝く」と「カノン」。前者は友人の高校球児だった上島さんのために。丸山さん、「心の鏡」など。藤森さん「チェインジ」など。








最後に、加藤和彦さんの冥福を祈って、全員で「あの素晴らしい愛をもう一度」。午後、彼の訃報を聞いた。一度もお会いしたことはないが、あの飄々とした風貌から、このような最期を迎えるとは想像できなかった。この歌は京都に移り住んだあとしばらくして、どこへ行っても耳にした歌。ラジオでも、喫茶店でも、お好み焼き屋さんでも。若いころよくこの歌を歌ったという赤羽さんにメインボーカルをお願いした。大月さんは、「この歌はギターがいい」とギターでサポート。それぞれに加藤さんについて、そして彼の音楽について多くの想いがあるようだ。

恒例のトークで大月さんは、中学時代の友人の話をした。先日大月さんからその友人のことが新聞に載ったという連絡をもらっていた。その友人とはぼくも知っている宮原君で、遠い親戚にあたるとずっと昔祖母から聞いたことがある。その記事は、彼が信大病院でアルゼンチンの難病の人の目の手術をしたと報じていた。「「かつて生命を助けられ、今回は人生のクオリティー(質)を良くしてもらった。言葉では表せないほど深く感謝している」というアルゼンチンの人の言葉もよかったが、何よりもよかったのは、写真の中の宮原君の笑顔。高校時代の彼を思い出した。その記事は次のURLから。

http://www.shinmai.co.jp/news/20091014/KT091013FTI090012000022.htm


October 16, 2009 Friday

今日も、秋晴れの美しい日。朝、玉葱用の畝にマルチをかける手伝いをし、ガレージの裏の雑草を引き抜いて堆肥枠に入れる。1時間ほどの作業。それだけで疲れてしまった。頭痛がする。風邪を引いたかと心配になり熱を計ったが平熱。午後、買い物から帰って昼寝をしたら、少し気分がよくなった。首筋に貼ったモーラステープの効果が出たのかも。

少し遅れてオーリアッドへ。金曜日の夜なれど町は静か。ただ町長選挙立候補者の総決起集会がある町民会館の周囲だけ賑やか。告示は20日、投票は25日。ずっと先のことと思っていたら、もうすぐ。

今夜も遅くに原田さん。先日はライダーの服装。今夜は和服の正装。



October 15, 2009 Thursday

松本へ。往復の山麓線が美しかった。帰り道、国道に下りて幸楽苑へ。冷麺を食べたいと思ったが、すでに秋深し。冷麺はもうやっていなかった。つけ麺と餃子にする。美味しかった。

往復の車内では昨日つくったCD-Rを聞く。苦労した Greensleeves はtrack 4。Greensleeves の YouTube はいくつかあったが、これが一番ぼくの音域に合っていた。http://www.youtube.com/watch?v=mmh9__mI51g

6時からオーリアッド。遅くなって少し忙しくなった。売り上げ極小のオーリアッドは基準にならないかもしれないが、最近ウイスキーを飲む人が増えてきたのだろうか。ここ何年かビールや焼酎を好む人が多かった。その前は結構ウイスキーを飲む人が多かった。「トリスを飲んでハワイへ行こう」なんていうコピーが流行った時代もあった。ウイスキーといってもスコッチで、バーボンではなかった。

                   *

7月に七夕コンサートで京都へ行ったときに、寺町通りの其中(きちゅう)堂で松ヶ岡文庫編『鈴木大拙 没後40年』という本(ムック?)を見つけた。ようやく数日前に読み始めた。その中に日野原重明さんの「鈴木大拙先生を偲んで」という一文があった。それによると鈴木大拙が亡くなったのは96歳になる直前の昭和40年(1965年)7月11日であった。日野原先生はそのとき、43歳、現在98歳。「君も長生きし給えよ。長生きしないと、分からないことがあるからね」という鈴木大拙が秘書の岡村美穂子さんに語ったという言葉が引用されている。

その本の中でもっとも感銘を受けたのは鈴木大拙著『新宗教論』の抜粋である。アメリカにわたる直前、若干27歳のときに書いたものだという。宗教を定義して彼は次のように述べる。

  有限の無限に対する、無常の不変に対する、我の無我に対する、部分の全体に対する、生滅の不生不滅に対
  する、有為の無為に対する、個人的生命の宇宙的生命に対する関係を感得す。是れを宗教と謂う。故に、彼
  と此、我と汝との隔壁を打破して万里一條の鉄の如く平等無差別の境涯に入れるときは、即ち宗教の生命を得
  たるときと謂わざるべからず。・・乃ち知る、宗教的感情は、個人的存在の桎梏を脱却して宇宙の霊気を呼吸せ
  んとする情なるを。・・又知る、窮困に処しても恬如として憂えず、栄達に達しても泊然として驕らず、順逆縦横、
  巻舒自在ならんとする情なるを。又知る、水の洋洋として流るるが如く、風の嫋嫋として吹くが如く、毫末の繁縛
  なからんと欲するの情なるを。

恐るべし、鈴木大拙!


October 14, 2009 Wednesday

昨夜、YouTube の音楽を mp3 に変換し、CD-Rに焼こうとしたが上手く行かなかった。今朝も早くから試みた。何度か失敗して、3度目にダウンロードしたソフトが役立った。そのあとまた、そのmp3 を含む全16曲をCD-Rに焼こうとして一苦労。種類の違うファイルを同じ種類に変換する必要があるとは知らなかった。

4時から定期検診。今日は降圧剤を処方してもらわなかった。病院へ行く前に数えたら、一ヶ月以上残っていた。飲むのを忘れるのは、調子がいいからか。

7時過ぎにオーリアッドへ。灯油のストーブを出してきて火をつけた。寒くなった。遅くなって原田さん。ヘルメットをかぶって入ってきた。バイクで隣町へ行ってきたとのこと。久々に将棋を一局。奇襲作戦で右から銀で攻めあがったが、見事にかわされた。完敗。

明日のクラスのために Nowhere Man を少し練習。


October 13, 2009 Tuesday

先週木曜日は台風の影響で休講になった。一週間ぶりの松本。午後2コマの授業。ひとつのクラスでは先週読んだ The Shakers についての小テスト。クエイカーズやアーミッシュについては若干知っていたが、シェイカーズについては名前しかしらなかった。かなり極端な教義をもった宗派である。イギリスで、18世紀の中ごろ、クエイカーズから分離して始まり、18世紀後半、アン・リーという指導者に導かれてアメリカに移住したようである。彼らの礼拝は、歌うこと、踊ること、身体をゆする(シェイクする)こと、旋回することからなっていて、そこから Shakers という名前が付けられたようだ。自給自足を目指し、すべての道具や家具も自分たちで作り、共同体(コミューン)に住んだ。「住んだ」と過去形で書いたのは、彼らは最早存在しないからである。

彼らの教義の中心に industriousness (勤勉)と celibacy (禁欲主義)がある。彼らは自給自足をするために農業をし、布を織り、道具を作った。また男女の間では、性的な関係はもちろん、握手することさえも禁止された。男女が二人だけで話すこともできなかった。第三者のいるところだけでしか話すことができなかった。当然のことながら、伝統や信仰を受け継ぐ子供が生まれなかったために、シェイカーズは歴史に名を残すのみとなった。しかし、彼らの作った家具や道具は今でも高く評価されているようである。http://www.artcomplex.org/shaker.html

60年代後半のヒッピーのコミューンは、シェイカーズとは逆に性に関して自由だった。彼らも自給自足を目指したが、シェイカーズほどには勤勉ではなかった。子供はたくさん生まれたが、結局この共同体も長くは続かなかった。両者ともに極端過ぎたようだ。禁欲主義を除けば、シェイカーズの教えにかなり親近感を覚える。


October 12, 2009 Monday

数日前友人から電話があり、茸山へ茸を採りに来ないかとの誘いを受けた。今朝7時、隣町の西山に集合。今年は茸が出ない、毒茸も出ないとのことだったが、大きなのがあるわあるわ驚いた。しかし少し遅かったようで、採れたのは傘の開いた大きなもの。もったいないことに、腐っているものもかなりあった。大きな松茸を数本いただいてきた。早速お昼に松茸ご飯を炊いてもらう。美味しかった。



茸はもちろんありがたかったが、朝日の射す早朝の赤松林がきれいだった。午後、明日送らねばならない仕事を始めたが、突然眠くなり、しばらく一眠り。猫も一匹一緒に。

夜、家人と辰野町長選挙公開討論会を聞きに行ってきた。誰を選ぶか決めるには、候補者が同じ場で話すのを聞くのがいい。2000年の知事選のときも松本まで公開討論会を聞きにいった。そのときの主催者代表の林勇次さんが今日のコーディネーターだった。町民会館は超満員かとおもったら、それほどではなかった。後でローカルテレビで実況されたことを知った。そのせいだったかも。

ディベートのジャッジとして採点すれば優劣は明らか。ただ、どの角度から候補者の話を聞くかで、印象は変わる。どちらが選ばれても、財政難の昨今、難しい仕事であることは間違いなし。現職と新人両者の勇気と情熱に hats off!


October 10, 2009 Saturday

6時、オーリアッドに着くと、すでに2人が待っていた。高校生の今井君と大学生の古橋君。デモテープを録音して欲しいとのこと。早速2人の演奏を録音する。今井君はカバー1曲とオリジナル1曲。古橋君はカバー1曲と、ギターの演奏のみを2曲。そして2人で1曲カバーを録音。

古橋君のギターは1968年製のヤマハのクラシックギター。1000円で買った中古ギターとか。素晴らしい音色に素晴らしい技術。その年は大月さんの生まれた年とか。そのギターを見て思い出した。ぼくが最初に手にしたギターもヤマハのクラシックギターで、形が古橋君のギターに似ていた。1959年か60年に姉が買ったものを、いつしかぼくがスチール弦を張って使うようになっていた。長年あちこち持ち歩き、太陽や雨にさらされフレットがすべてはずれてしまっている。愛着があって捨てられない。

オーリアッドにきたのは2度目というお客さんがやってきた。かつて楽器を運送するときのケースを作る仕事をしていたとのこと。大月さんの Merry Christmas, Mr. Lawrence を聞いて、その作者のケースも作ったことがあるとのこと。そんな話を福田さんにしてもらう。「碌山」を歌う前に、彼に荻原碌山を知っているかと聞くと、I-turn で信州にきたばかりで、知らないとのこと。その歌を歌ったあと、垣内さんに碌山との出会いについて語ってもらう。そのきっかけは、高校生のとき図書館のゴミ箱に捨てられていたパンフレットだったとの話。彼は今や、碌山友の会の会報の編集をしている。







赤羽(真)さん、いつもの歌をいくつか歌ったあと、「今すぐに」を大月さんのサポートで。よかった。8月15日に初めて聞いてから、何度も聞いた歌だが、いつも一人の弾き語りだった。

前回、ヴォーカルの high を下げ、middle と low を少し上げたのだが、音がよくなかったと赤羽さんと垣内さんに指摘された。今日は、元に戻しておいた。2人とも、今日の音のほうがよかったとのこと。PAは難しい。歌と朗読では違うようだ。

今夜はかなり冷えた。そろそろ灯油ストーブを出さなければ。



October 9, 2009 Friday

夕方、オーリアッドへ行こうと準備をしていると、階下から家人が叫ぶ。難聴気味のぼくには、何を言っているのかわからない。多分、オーリアッドへ行く時間はとっくに過ぎてるよ、と言っているのだろうと降りていくと、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したと言う。驚いた。まったく予期していなかった。下馬評にも上がっていなかったが、満場一致で決定したらしい。予期はしていなかったが、考えて見れば、オバマ氏がこの賞を受賞するのは、当然といえば当然。近年、彼ほどに、未来に対して希望を抱かせてくれた人は他にいない。

彼は talker であって doer ではないとう人もいる。口先ばかりで実行が伴わないと。そんなことはない、彼は就任してから充分にいろいろなことをしてきた。それに、前任者がしたようなマイナスのことはしないほうがいいのだから、doer ではないというのも、考え方によっては、いいことである。

午前中、30分ほど苺の苗を植えるのを手伝った以外は、ブックレットの再校。3時までに送りたかったが、送ったのは4時前。昼過ぎテレビをつけたら、『雨あがる』という時代劇をやっていて、最後まで見てしまった。いい映画だった。腕は立つが世渡りが下手な夫に、尽くす女房。あんなに強いお侍も、あんなに出来た女房も、現実にはいないだろうと思ったが、

少し遅れてオーリアッド。便利屋マーチさん来訪。PCの不都合を見てもらってから、しばらく四方山話。遅くなって歌の練習。Hallelujah and Yesterday。



October 8, 2009 Thursday

昨夜は1時過ぎにベッドに入ったのだが、なかなか寝つかれなかった。疲れているのに頭が冴えている。若い頃より少なくなったが、時々こういうことがある。それでもいつしか眠っていて、朝はいつもより遅く目が覚めた。8時少し前。階下へ降りていくと家人がニュースを見ている。画面には台風18号長野県を北上中と書かれている。しかし、外を見ると木の葉はそよとも揺れていない。台風の目に入っていて、しばらくしたら暴風雨になるだろうと身構えていたが、何もおこらなかった。拍子抜け。でもよかった。

家人によれば、7時ごろまでは風が強かったとのこと。朝食後、家の周りを回ってみた。被害は一切なし。ただ木の葉が散乱し、背の高いシュウメイギクとキクイモが倒れていた。



午後は陽が射し、買い物に。CD-Rのパック、長靴など。

夕方、オーリアッドへ。先ず、昨夜の片づけから。久しぶりに来たお客さん。少し顔色が悪い。調子が悪そう。どうかしましたか、具合が悪いですか、と聞くと、「大丈夫です。ただ頭の中に幻覚があって、取り除けない」とのこと。ちょっと心配。昨夜、眠れなかったのは、遠くに住む古い友人のことを考えていたから。彼も、今、体調が悪く苦しんでいる。

いけない、いけない、ショウギョク的なことで頭がいっぱいになっている。もう少しセキギョク的にならねば。

遅くなって、歌の練習。「ハレルヤ」など。



October 7, 2009 Wednesday

校正を送る。昼までに送る予定が少し遅れて3時前になってしまった。そのあと、庭に出て、テーブルや椅子をガレージに運び、家の回りの雨戸を全部閉める。トマトの棚のビニールのシートもはずす。予報によると台風18号は、本土に上陸した場合、過去10年間で最大規模のものになるらしい。しかも、明日の朝には長野県を通過する可能性があるとのこと。午後遅く、明日のクラスは休講との連絡が入った。すでにJRが早々明日の運休を決めたらしい。

午後7時過ぎ、オーリアッドに入ると、F先生。昨日問い合わせたCDと授業用資料をもってきてくださった。感謝。しばらく四方山話。レナード・コーエンの「バード・オン・ザ・ワイヤー」を、Live in London と昔の音源の両方で聞いてもらう。昔のあまり楽器が音がしないほうが、心に沁みるとの感想。確かにこの歌に関しては、Live in London では、ミュージシャンの紹介なども合間に入り、じっくり聞くには昔の音源のほうがいいかも。

その後、団体が入り、大忙し。途中木遣りなども入り、にぎやかに。閉店時間が若干の延び、オーリアッドの周りの風に飛びそうなものも片付けたりしていたら、家に着いたのは12時近く。かなり雨が激しく降っている。今、チェックしたら、台風は明け方にかけて東海地方に接近し、その後上陸する恐れがあり、「陸上でも風速30メートル以上、最大瞬間風速で50メートル前後という猛烈な風が吹くおそれがある」とのこと。心配だ。


October 6, 2009 Tuesday

いよいよ寒くなった。夕食後、家人は何かの会合に出かけた。ダイニングにヒーターをつけてソファで横になったら、寝てしまった。目が覚めて、テレビをつけたらボクシングをやっていた。2年前ひどい反則をして顰蹙を買い、ボクシング界から締め出されていた三兄弟の次男とタイのフライ級チャンピオンの試合。日本のボクサーが外国人と戦うときに、外国人に勝って欲しいと思いながら見たのは今日が初めて。そう思わせるほどに、あの親子の言動は酷かった。

結果はタイのチャンピオンの判定勝ち。でも印象からいうと後半は次男が押していた。負けはしたが、健闘したし、試合運びもクリーンだった。決して弱いボクサーではない。

松本からの帰り、アルプス市場へ。去年そこでカナダ産の松茸を買った。雑茸が少し並んでいるだけで、松茸は外国産も日本産もなかった。今年は松茸が少ないとのこと。仕方なしに、雑茸を少々買う。それにレタスとブロッコリーも。山麓線を下りながら、日が短くなったことを感じる。5時ともなるとかなり暗い。

夜、昨日送られてきた英詞と対訳の校正。ライヴなので、オリジナルの歌詞と違うところがある。一応すべて聞き取り、対訳したつもりだったが、訳ヌケがいくつか。勘違いしてヴァースの順序が異なっているところ、訳を変えたいところもいくつか。明日のうちに送ってしまいたい。

秋は夕暮れ。その夕暮れを楽しむ暇がない。台風も近づいているようだ。


October 5, 2009 Monday

秋らしい一日。冷気が空中に。庭の木々も色づいてきた。柿の木も葉を落とし始めた。猫たちも暖かい場所を選び始めた。



締め切り1分前、11時59分、修正したDVD字幕リストを送る。3時過ぎにはそれが反映されたものが送りかえされ、夕食後、さらに修正したものを送る。ほぼこれでDVDに関してのぼくの仕事は終わり。あと、ブックレットの最終校正が残っている。DVDの字幕を修正しながら、CDの対訳にもいくつか修正を加えたくなった。

こんな早業ができるのもインターネットのおかげ。郵便でやりとりしていたら、この段階だけで、一週間、いや、それ以上かかっていた。

                          ■

10月1日づけの The JC Online に "Hallelujah! Leonard Cohen's Israeli triumph" という記事が載っていた。その
一部を抜粋して訳してみた。

20数年ぶりにイスラエルでコンサートを行なったコーエン(75歳)は、足に新しいバネが入っているかのようにスキップした。彼のワールドツアーは、世界中で高い評価を得ている。かつて、コーエンの音楽は、聞きながら自殺するのに適していると評した批評家たちも、絶賛している。

私はロンドンで2回彼のコンサートを見た。確信をもって言うことができる。イスラエルでのレナード・コーエンはそのどちらよりもはるかに良かった。宗教的、聖書的なニュアンスを帯びた彼の歌詞は、イスラエルで歌われることによって、新しい意味を獲得したのである。・・・

私にとって、身震いするような瞬間は、彼が英語とフランス語で「パルチザン」を歌ったときにやってきた。英語では彼は「それから兵隊がやってきた/彼女は一言ももらさず死んだ」と歌う。しかしフランス語では「兵隊がやってきた」のところを「ドイツ人がやってきた」と歌う。彼はこれを55,000人の前で歌った。その中には、いたはずである、あの大虐殺を生き延びた人たちの息子や娘たちが。

このコンサートは「平和と和解のコンサート」と名づけられ、200万ドルの収益は、紛争で子供を亡くしたイスラエルとパレスチナの親たちの会に寄付された。コーエンはコンサートの最中に、何度かこの会に言及し、祈祷書の言葉を借りて、彼らの企ては「聖なる、聖なる、聖なる」ものであり、支援されなければならないと述べた。


October 4, 2009 Sunday

文字通り、朝から晩までコンピュータの前。昼過ぎに、運動不足解消のため、頼まれていたイチゴ用の畝を3本耕運機で掘る。

DVDの字幕校正作業はほぼ完了。明日の朝もう一度見直して、正午までに送ることにする。

中川昭一さんの訃報には驚かされた。哀れを感じた。酩酊記者会見は確かに誉められたことではない。しかし、ああ何度も面白おかしく見せる必要があっただろうか。

昨日が満月と勘違いしていた。今日の午後3時10分が満月だった。今夜9時前に撮った写真。




October 3, 2009 Saturday

中秋の名月。昨日は一日中雨だったが、今日は晴れた。午前中にDVDの字幕校正の資料が入り、夕方まで四苦八苦。すぐに変わるシーンに合う言葉を選ぶのが難しい。しかし楽しい作業でもある。簡潔でピタリと的をえたことばが思いつくと実に嬉しい。

オープンマイク。最初にやってきたのは高校生の今井君。「千の風」を教えてほしいとのこと。教えるまでもなく、歌ってもらったら、ちゃんと歌える。メロディもリズムも若干違うが、それはそれでいい。その歌を含め何曲か歌えるようになったら某番組に出たいとか。名取さん、前回はピアノを弾いてもらえなかったが、今回は少し練習したとのことで、「太陽がいっぱい」「エデンの東」など懐かしい映画音楽。当時の映画音楽には名曲が多い。再度今井君、「君のそばにいたい」「W Shall Overcome」。ぼくが「スザンヌ」「バード・オン・ザ・ワイヤー」、そして「明日は遠く」を歌って、赤羽さん「鹿のように」「バラは憧れ」「旅人の木」「千両梨の実」など。そして大月さん、最近恒例になったトークのあと「カノン」。ここで前半終了。






後半トップは、原田さんに歌ってもらおうと思ったが、今日は疲れていてパスとのことで、赤羽さんとぼくで「キリストには代えられません」。やはりこの歌には、原田さんのボーカルが必要。続いて大月さんに入ってもらい「アメイジング・グレイス」。そのあとぼくが大月さんのサポートで「ハレルヤ」。まだまだ歌いこなせていない。赤羽さん、「上を向いて歩こう」「離農」「今すぐに」。「離農」はまえにも聞いたことがあるが、いい歌である。大月さん、オフコースの「Yes-No」と、高校時代の担任の先生が好きだという歌を2曲。最後にぼくが、大月さんのサポートで「ボブ・ディランに捧げる歌」。飯田のこうろぎ会代表島岡さんが、昨日、豊田君のopening act でこの歌を歌ってくれたとのこと。是非、近々彼が歌うこの歌を聞きたいものである。

10時過ぎ、ライブ終了。その後しばし歓談。赤羽さんが、レナード・コーエンに宛てて書かれた中東のジャーナリストのオープンレター(9月27日の日記に掲載)が良かったとのことで、コーエンの話に花が咲く。赤羽(真)さんとコーエンの話をするのは初めてかも。

11時過ぎ家に戻る。南西の空に中秋の名月。




October 2, 2009 Friday

終日、雨。しかも激しい雨。通常、いくら降っていても、玄関からガレージまでは傘をささずに小走りに走ればいいが、今日は違った。6時前、オーリアッドへ行くために外に出た。いつものように傘なしで行こうと思ったが、とうてい無理。傘を取りに戻り、ガレージへ。傘なしではびしょ濡れになっていただろう。

午後、ライナーの初校と訳ヌケの部分の訳を送る。ほぼ同時に、DVD用の字幕リストが届く。一読し、それほど修正するところはなさそうだ。何ヶ所か修正したいところがあったが、これがスペースの問題で解決できるかどうか。

午後、「修理完了いたしました」というメールが「便利屋マーチ」さんから入った。家人が使っていたノート型のキーボードがおかしくなり、起動するときも変な音がし始めた。買い換えなければいけないかなと思っていたところへ、便利屋マーチさんからの修理しましょうとの申し出。部品がなく、わざわざ中国から取り寄せてくれたようである。

便利屋マーチさんこと、ふりーぱさんこと、垣内さんが、遅くに、修理されたパソコンをもってきてくれた。助かった。もし電気製品やパソコンの不調があったら、便利屋マーチさんに修理を依頼することをお勧めします。修理費は極めて reasonable。

閉店時間まで、四方山話。最後はレナード・コーエン。


October 1, 2009 Thursday

忙しい一日。暑い一日。10月というのに、日中は真夏のよう。後期は木曜日は1コマのみ。夏休み明け最初のクラス。まだテキストをもっていない学生も何人かいて、授業が始められない。今日は、前期に歌った歌を全部歌い、そのあと、後期の1曲目 Yesterday の解説をしたあと、歌う。歌う前に、方針の変更を、つまり後期はただ歌うだけでなく、歌詞を暗記するようにと伝える。さてどうなるか。

Yesterday の歌詞に使われている単語はすべて簡単な単語だが、訳すとなると難しい。昔からどう解釈していいか困っている文が、セカンド・ヴァースの最後の一行、 Oh yesterday came suddenly。「昨日が突然やってきた」。What does it mean? 歌のあと、ディクテーション。

クラスのあと、久しぶりに生協の本屋さんへ。立ち読み。こういう時間はありがたい。『
脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める』と『アベラールとエロイーズ―愛の往復書簡』を買う。前者はそのタイトルよりも、最初に開いたページに、机の上の整理について書かれてあった。まさに今ぼくがもっとも必要としている本。しかし、この手の本を何冊買ったことか。

夕方戻り、7時過ぎから蕎麦打ち名人Aさんの蕎麦打ち小屋で新そばをご馳走になる。昨年に引き続き2度目。本当に美味しい。9時、オーリアッドへ。今夜はかなりの忙しさ。

11時過ぎ帰宅。車から降りると、西の山の上、雲間に大きな月が見える。10月の満月はいつかと調べてみたら、10月4日だった。あと3日。Harvest Moon。日本では神無月。


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