OREAD Diary
July 1 〜 31, 2009

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July 31, 2009 Friday

午前中は曇っていて、時には薄日が射したが、昼過ぎから小雨が降り始め、一時は土砂降り、文字通りバケツをひっくり返したような。

短いエッセイをああでもないこうでもないといじくり回し、一日が過ぎた。6時からオーリアッド。7時過ぎ、見覚えのある人が、ドアをあけて入ってきた。ここら辺の人ではない。名前が思い出せない。そうそう、7月4日5日と拾得でお会いした佐々木さんだ。明日、岐阜県でのフォークジャンボリーに行くとのことで、少し足を伸ばしてくれたとのこと。宿の門限の10時半近くまで、あれやこれやと四方山話。ぼくの知らないフォークシーンの裏話など。面白かった。門限の前に一曲、リクエストに応えて「碌山」。そこへ団体のお客さん。

ダブリンでのレナード・コーエン・コンサート(7月19日、20日、22日、23日)の映像の数々を、YouTube で見ることができる。次のURLは The Future。この映像の特筆すべきは、the white girls dancing のところで、
The Webb Sisters の側転 を見ることができること。しかも、アップで。オークランドでの3日間、最初の2日は、ステージ中央のコーエンに集中していて、あっと思ったときには側転は終わっていた。3日目にしてようやく、側転する前から、ステージ左の彼女たちを意識して見ることができた。

ダブリンでは、コーエンは風邪を引いていて万全の体調ではなかったらしい。しかし、このYouTube を見る限り、それほど体調が悪いとは思えない。映像もサウンドも極めてクリアー。素人の隠し撮りとは思えない。彼女たちの側転は4分40秒後。http://www.youtube.com/watch?v=3j4sUdRu9r4&feature=channel_page&hd=1


July 30, 2009 Thursday

暑い一日。午後2コマの試験のあと、コンピュータへの成績入力の講習会。そのあと、ポットラック・ディナー at 講師控え室。5時半の予定が講習会が延びて6時近くから。家人の作ったラザーニャ風ナスのグラタンは好評だった。ぼくが気に入ったのは、アルゼンチン出身のスペイン語の先生が作った empanadas という食べ物。大きな餃子の皮のようなものにいろんなものが入っている。エンパナダス。

6時半過ぎ、中座して帰路に着く。7時半までに戻らなければ。約束の時間に15分遅れてオーリアッド着。春富中学の司書の先生と、8月20日の同校での3年生を対象にしたブックトークの打ち合わせ。「黒人初のアメリカ大統領」というエポックメイキングな出来事を、その歴史的背景を含めて、生徒に理解してもらおうという企画。タイム誌編集の President Obama: The Path to The White House という本の訳書などを、先生が紹介したあと、「アメイジング・グレイス」「シスター・ローザ・パークス」「I Have a Dream」、そして、「セカンド・ウインド」のニュー・ヴァージョンを、話を交えて、歌うことに。多感な中学生の前で歌わせていただけることに感謝。

11時過ぎ家に戻り、メールをあけると丸山さんからメールが入っていた。「今週小魚が釣れそうです」とのことで、新曲を携えて飛び入りライブ参加とのこと。

また、6月19日に安曇野の山荘で「祈りの歌」を聞いていただいた方から一通の手紙。当日、ライブ音源のCD-R をお渡しし、その後、電話で依頼されて、オリジナルの英詩や歌詞をお送りした方。「7月30日の子育て勉強会の合宿で、この歌を若いお母さん方にお福分けしたい」と書かれていた。7月30日といえば今日。ありがたいことである。

採点と成績付けは残っているが、いよいよ夏休み。この夏休みは、丸山さんに負けずにぼくも釣り糸を垂れようと思う。


July 29, 2009 Wednesday

今日も一日雨模様。降ったりやんだり。冷夏の様相を呈してきた。各地で起きている災害だけでなく、農作物への影響が心配。一番暑い時期なのに、雨ばかり。日照時間が少なく、気温も低い。

午後、明日の試験にむけての準備。それに精華の同窓会報用のエッセイ。引き受けはしたが時間があまりない、なんとかしなければ。

夜、オーリアッド。比較的忙しい夜。スピーカーからは、レナード・コーエン、Live in London、 ラフマニノフ、piano concerto #2。遅くなって原田さん。今日はぼくの四間飛車が功を奏した。


July 28, 2009 Tuesday

今週は試験期間。午後2コマの試験。そのあとショーン・Mと話す。レナード・コーエンの大ファン。カナダ、トロント出身。彼の友人が、5月にトロントで行なわれたレナード・コーエンのコンサートに行ったとのことで、その話題で盛り上がる。

Live in London の中で彼が好きな歌は Everybody Knows とのこと。確かに、この歌はいい。でもやはりぼくは Take This Waltz それに Anthem、というような話を延々と。10月に再度全米ツアーを行い、最後はサンノゼだと伝えると、「日本にはこないのか」とのこと。来てほしいけれど、無理だろうな。いやいや最初から諦めていてはいけない。「切に願うことは必ずとぐるなり」。

シャーリー・マークレーンの『ダンシング・イン・ザ・ライト』の中に次のような印象深い記述があった。幼い頃からの苦しい長いダンスのレッスンのあと、彼女が到達した境地である。

  
あなたは観客の一部になり、観客はあなたの一部になる。あなたと観客は、何かを創造する集合体になる。与
  え受け取り、肉体を通してより大きな精神に共鳴し合う関係になる。互いの魂を認め合い、より大きな生命を産
  み出す集合体になる。・・・あなたは神と踊っている。あなたは自分自身と踊っている。光の中で踊っている。

オークランドで見たレナード・コンサートのコンサートは、これに近かった。コンサートが終わってもう3ヶ月以上経つのに、いまだにあのときの光を浴びている。


July 27, 2009 Monday

今日も一日中、安定しない天気。午後少し晴れ間が広がったので畑に出る。トウモロコシ、トマト、きゅうり、ナス、ズキニを採る。毎年ナスの出来がわるいが、今年はわるくない。今年わるいのはズキニである。長く伸びずに、丸くなり、先が腐ってしまう。そのズキニを輪切りにして、オリーブオイルで炒め、塩コショウして食べたが、これが美味しい。

先日学生と Field of Dreams を見ていたら、Ease his pain(彼の苦痛を癒せ) という言葉を聞き、作家テレンス・マンに会いにボストンへ行くというレイ・キンセラに、奥さんのアニーが次のように言うところがあった。「どうしてあなたが行かなければいけないの。その声の主は、他の人を送るわけにはいかないの。シャーリー・マクレーンなんかどう?」

シャーリー・マクレーンはこの映画が製作された頃、つまり80年代中ごろ、精神世界を扱う本の著者として一世を風靡した。今日、本棚を見ていたら Dancing in the Light というペーパーバックの背表紙が目に入ってきた。彼女が書いたベストセラーのひとつである。そろそろ夏休み、もう一度読み直してみようか。「祈りの歌」をめぐる今までの展開には、想像を絶する不思議な力が働いている。

「光の中でダンシング」というこのタイトル自体、先日の日野原先生の講演と深いつながりがある。先生の演題は「主のともしび」で、先生は聖書に描かれている光に何度も言及された。

シャーリー・マクレーンはこの本の冒頭で言う:

  
この世には偶然に起こることは何ひとつないと私は思っている。あらゆる出来事は、原因と結果があって生じ
  る。あらゆる出来事の背後には、目には見えない理由がある。




July 26, 2009 Sunday

変な天気である。朝から、晴れたり曇ったり、雨が降ったり、また晴れたり。その繰り返し。九州、中国地方での豪雨災害は更に拡大しているようだ。亡くなった人も多いようである。

夜、LSECのクラス。先ずウオームアップに、Dance Me to the End of Love, The Rose そして Amazing Grace を歌う。そのあと、Jazz Chants でリズムの練習、そして Spoken American English.

先週木曜日にきて下さったビートルズ好きのお客さんの一人、Sさんから写真が送られてきた。その一枚がこの4人で撮った写真。一番右のKさんは、ぼくと同年で、6日間だけ先輩。楽しい一夜だった。

蒸し暑く、体力の消耗が激しい。学期の終わりになり、気がゆるんだのかもしれない。気をつけなければ。



July 25, 2009 Saturday


朝起きて階下に下りると家人が、「またハクビシンに食べられた」という。よく知っていて、食べごろになるとやってくる。サルと違ってありがたいのは、少ししか食べないこと。おそらく一匹のハクビシンが、夜陰にまぎれて、夜食を食べにくるのだろう。サルの群れに襲われたら一瞬のうちに全滅。

朝食後、実のいってるトウモロコシをできるだけとり、そのあと、ニガウリの棚をつくり、朝顔のために10本ほどの棒を立てる。

  
Doing the garden, digging the weeds
  Who could ask for more?
  Will you need me, will you still feed me
  When I'm 64?


ポールはすでに3年前の6月、64歳になったが、ぼくは今年の11月。この歌を初めて聞いたのは1967年の夏。まだ22歳だった。64歳は、はるか遠くの未来だった。

                      ■

7月最後の飛び入りライブ。先ず、ぼくが最近あまり歌っていない歌を3曲、「もう一度だけ」「握手」、そして「それぞれの道」。それを受けて、藤森さんが、「人生に勇気」「生きて」「チェインジ」など、共通のテーマの歌。続いて大月さん、佐久の「なんだ館」でのコンサートの話、そして東京での学生時代の話を交えて、「星に願いを」と「カノン」。その話の中で大月さんが「パーティーは終わったよ」に言及したので、その後ぼくがその歌と「祈りの歌」と「ガビオタの海」。最後の2曲は大月さんのサポートで。赤羽(真)さん、「森の小道」「人生の海の嵐に」「私を待つ人がいる」。前半終了。





「テイク・ディス・ワルツ」分の休憩のあと、後半トップは藤森さん。「今日は土曜日」「これ以上」、そして「愛音」。後半2曲は大月さんのギターのサポート。今日は、「おいちゃん」と一緒にやってこなかったが、愛音ちゃんの6回目の誕生日とのこと。愛音ちゃんが初めてオーリアッドへ来てからもう3年ほどになる。ますます可愛く、いい子になってきた。小さな子供の成長には目をみはるものがある。赤羽さん、「ホーボーズ・ララバイ」「千両梨の実」。後者は大月さんのサポートで。次にぼくが、先日亡くなったF・殿内さんの冥福を祈って、大月さんのサポートで「千の風」。最後に、家人のボーカルを含む「アメイジング・グレイス」。ロジャー・ラブの「喉仏」を上げないで歌うというアドバイスの成果が、顕著に感じられる。



*The last two photos by A. Kakicuhi.

今夜は閉店時間を少しオーバーして歓談。今年の夏は、それぞれ新しい歌を書こうということになった。帰宅してテレビをつけたら、偶然「ソングライティング」についての番組をやっていた。さだまさしさんが「歌を書くということは心の中に釣り糸を垂れること」というようなことを言っていたが、なるほどと思った。振り返ってみると、釣り糸を垂れればすぐに魚がかかったときもあれば、なかなかかからないときもあった。藤森さんも赤羽さんもぼくも、最近はなかなか魚がかからないようだ。かかからない時は、何をしても駄目だと諦めムードになる。でも釣り糸を垂れなければ、魚はかからない。垂れれば、間違って、大物がかかるともある。

11時半帰宅。懐中電灯をもってトウモロコシ畑へ。ハクビシン君が来る前に、何本か採っておこうという算段。



July 24, 2009 Friday

朝、起きると「トウモロコシがサルに食べられた」と家人が言う。朝食後、畑に行くと、何本かが倒されて、トウモロコシの実の半分ほどがかじられている。サルの食べ方とは違う。おそらく、ハクビシンだろう。残っている食べごろのトウモロコシを採る。お昼はソウメンとトウモロコシ。

日曜日に安曇野の山荘で歌ったときの写真を送ってくださった方がいる。今考えても、本当にあったことなのか半信半疑になるほど。しかし、この写真を見る限り、確かに日野原先生の前で歌っている。あのとき以来、「祈りの歌」は新しい広がりを持ち始めた。

レナード・コーエンがこの秋、ヨーロッパツアーのあと、またUSツアーを行なうようである。10月17日のフロリダ州サンライズから、11月13日のカリフォルニア州サンノゼまで。サンノゼはシリコンバレーの南端。オークランドの2日目にぼくの横にすわったインド人は、今度は「バード・オン・ザ・ワイヤー」を聞き逃すことはないだろう。サンノゼの前日はラスベガス。3日目にぼくの横にすわったヘアスタイリストは喜んでいるに違いない。今度は仕事を休まずに聞きにいくことができる。サンノゼのあと、ハワイ、そして日本へ、という話にならないだろうか。

この記事には、全米で『ライヴ・イン・ロンドン』は49,000セット売れたと書かれている。意外だった。ゼロがひとつ足りないのではないか。日本ではどうだろう。

http://nz.news.yahoo.com/a/-/entertainment/5745961/leonard-cohen-to-tour-us-again-in-fall/

オーリアッド。遅くなって歌の練習。ロジャー・ラブの言う、喉仏を上げないで歌う練習。「バード・オン・ザ・ワイヤ」。

気候が不安定である。朝からずっと晴れていたのに、夜になって突然に大雨。梅雨明け宣言がされてから、やたらと雨が多い。九州中国地方は、明日も大雨が予報されている。


July 23, 2009 Thursday

松本へ。午後2コマ。あとは来週の試験を残すのみ。4月初めのオークランド行きのため、一週目のクラスをすべて休講にした。そのせいか、最初ペースがつかめなかったが、何とか無事終了。

夜、オーリアッド。ビートルズ好きのお客さん。ビートルズ、ボブ・ディラン、レナード・コーエンの話題でにぎわう。われわれの年齢がわかるというもの。東京から出張中のKさんとぼくは同じ年に生まれたことが判明。しかも誕生日はわずか6日違い。それを知ったKさん大いに驚く。ぼくのほうがずっと上だと思っていたとのこと。実は、ぼくも、彼はぼくより数歳上だろうと思っていた。お互い、自分が思っているほどに若くはないということか。

最近よくきてくださるNさんは日野原重明さんや神谷美恵子さんの著書にも詳しく、しばらく『生きがいについて』の話で盛り上がる。

そのあと、彼らの
リクエストに応えて数曲歌う。そして、もう一人の東京から出張中のSさんが「ドナドナ」や「イメージの詩」などを歌う。最近はギターを弾いていないが、指が覚えていると驚いた様子。彼のギターは家でほこりをかぶっているとのことだが、これを機会に弦をかえ、次回は、是非土曜日の飛び入りライブに出演してもらいたいもの。

楽しい有意義な夜になった。



July 22, 2009 Wednesday

朝から小雨。しばらくして雨は止んだが空は雲で覆われている。日食を見たいと思っていたが、これでは無理。皆既日食が日本で一番長く見られるということで有名になった、恐ろしげな名前の島は、日食が見られなかったどころか、暴風雨で、小学校の校庭に設置されていたテントも飛ばされたとか。前宣伝が華々しかっただけに、気の毒。

午後、先延ばしにしてきた、いくつかのしなければいけないことを済ませ、その後、家人から頼まれていたガレージ裏の畑の草を刈る。

7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交替。『モロッコ』という古い映画を見始めたところへ、お客さん。遅くなって、原田さん。日野原先生にお会いした話をする。その出会いが実現するよう祈っていて下さった方々がいたことを知る。感謝。



July 21, 2009 Tuesday

今朝起きたら、雨。すぐ止むかなと思ったら、ずっと降っている。12時半、松本に到着したときには、さらに激しく降りだした。駐車場から共通教育の建物まで50メートルあるかないか。少々の雨なら傘をささないが、今日は無理。カバンを片手に持ち、バックパッカーのギターを肩にさげ、傘をさして行く。それでもかなり濡れた。

前期火曜日最後の授業。2コマ。来週は試験。We Shall Overcome の歴史を描いたビデオを見てから、その歌を、そしてそのあと前期で歌った歌を全て歌う。1曲でも2曲でも彼らの心に残ってくれればいいのだが。

帰りにもまだ降っている。家に帰ると、山口県の防府で土砂崩れがあり、多くの人が亡くなったと家人が言う。テレビをつけると、道路が川のよう。濁流が流れ下っている。3年前、豪雨で、国道153号線が徳本水のところで決壊した様子がフラッシュバックする。かつて山頭火の足跡を訪ねて防府の町に入ったことがある。彼の生家や基中庵(ごちゅうあん)があったあたりは、大丈夫だろうか。

  
雨ふるふるさとははだしであるく

という句碑が山頭火の生家の近くの公園にあった。豪雨とは対照的なやさしい雨。

夜、衆議院解散のニュースを見る。明日から各局選挙一色。やかましくなりそうだ。



July 20, 2009 Monday

久々にいい天気になった。長く伸びた芝を刈りたいが、下のほうは昨日までの雨でしっかり濡れている。乾くのに時間がかかりそう。夕方まで待つことに。午後、少し昼寝をしたあと、昨日山荘で頼まれた「祈りの歌」の歌詞と、この歌ができた経緯を書いたものを、数名の方にメールと封書で送る。

結局芝を刈り始めたのは、午後4時ごろ。それでもまだ湿っていて刈りづらい。長めに刈ることに。刈りやすいし、長く伸びた芝を暑い時期、短かく刈ると、枯れてしまうことがある。刈った芝を処理するために家の裏にもっていくと、金網のフェンスからたくさんの蔓が侵入してきている。剪定バサミで蔓の根元から切り取る。あれやこれやと一時間ほど汗を流す。疲れたが、気持ちがいい。

昨日買ったジャンボスイカ。実に大きい。二つに切って、冷蔵庫に入れておき、芝刈り後にいただく。うーむ、夏はスイカに限る。

忙しい一週間だった。水曜日にハチにさされたのはもうずっと昔のことのよう。いくつもの新しい出会いがあった。特に、ドクターTの山荘での「聖書集会」に参加できたことは、実にありがたいことであった。97歳にして、好奇心旺盛、常に新しいことを創め、未来を見つめている日野原先生にお会いできたことは感謝にたえない。レナード・コーエンは、「14、5年前はクレージーな夢をもった60歳の子供だった」と語ったが、日野原先生のことを思ったら、ぼくはまさにまだまだ「子供」である。

もう10年近くも前のことになるが、当時手に入れられるぼくのCD3枚をすべて購入し、感想まで寄せて下さった方の訃報が、今朝のローカル新聞に載っていた。享年62歳。若すぎる。

彼女はその3枚のアルバムのすべての曲に感想を書いてくれたが、『ガビオタの海』のアルバムの最後の2曲の感想は次のようであった。
 
  
8.「私は風の声を聞いた」
    びっくり斬新。すごーい。お経とギターと、まだびっくりするのは、教会で使うパイプオルガンが入っているんだ
    ものー。びっくりするほどすごいアイディア。でもすべてあっている。意外性がすべてマッチしてまーす。

  9.BIRD ON THE WIRE
    最後にこの曲をもってきたという構成がすばらしい。レナードさんてどんな人か知らないけど、いい曲ですネ。
    斬新な曲の後、この曲のやわらかさ、ステキ。


彼女は一見豪放磊落に見えたが、心は繊細であった。繊細すぎたのかもしれない。ご冥福をお祈りします。

  
*彼女の3枚のアルバムに対する感想は、http://www.hi-ho.ne.jp/gotta/miura.htm をクリックし、さらに左のフレームの真ん中あたり
    の Essays をクリックすると読むことができます。上から9番目「殿ちゃん、三浦久を聞く」です。



July 19, 2009 Sunday

今日、安曇野の森の中の山荘で、日野原先生に「祈りの歌」を聞いていただくことができた幸運について、どのように書いたらいいか、何を書いたらいいか、迷っている・・・。

どのように書いても、何を書いても、ぼくが感じているこの不思議な気持ちを書き表すことはできないだろう。この歌を書いたのが一年前の6月。それ以後、さまざまな出来事が、次から次へと連鎖反応のように起こり、今日の日を迎えたのである。

今朝出かけるときになってもまだ、半信半疑だった。本当に歌わせてもらえるのだろうかとか、押しかけてご迷惑をかけるのではないだろうかとか、いろんな想いが頭の中を駆け巡る。8時前には到着していたかったが、道に迷ってしまった。ケイタイで連絡を取りながら、今日の会に最終的に結びつけてくださったMさんに迎えにきてもらい、会の始まる8時20分までには山荘に入ることができた。

先ず、日野原先生に紹介される。とても気さくにフレンドリーに話してくださったので、少し気が楽になった。いかに「祈りの歌」ができたかお話し、歌詞をお見せする。先生のお話しの前に歌わせていただくことになった。

1時間半の鴨下重彦先生による極めて興味深い「代理懐胎」についてのお話しのあと、いよいよぼくの出番。PAシステムは十分ではなかったが、みなさん熱心に聞いてくださった。





ぼくの歌のあと、日野原先生の「主のともしび」というタイトルのお話し。フローレンス・ナイチンゲールのランプのお話しから始まり、聖書に出てくる「光」についての多くの文章を引用された。その間に、さまざまな興味深い体験談やエピソードが挿入されて、気がついてみたら1時間半があっという間に過ぎていた。

最後に、昨日からの講師の方々を囲んで質問や感想を述べる会。その席で、昨夜、神谷美恵子さんの次男の神谷徹さんによるストロー笛の演奏があったことを知る。神谷徹さんは、リコーダーなどの演奏で著名なミュージシャン。また江尻美穂子さんによる「神谷美恵子:人と仕事」というお話しがあったようである。これは聞きたかった。

ぼくが歌うときにマイクを持っていてくださった方は、ぼくをこの会に紹介して下さったMさんの叔父さん、ドクターT。この山荘のオーナーであり、この会の主宰者。快くぼくを迎えて下さったことに心より感謝したい。

ドクターTの山荘は本当に素晴らしい。中でも度肝を抜かれたのが、山荘の1階の居間から直角に、赤松の林の中に延びているウッドデッキ。デッキの先端に置かれているテーブルと椅子が小さく見える。今までに見たことのないほどに長いウッドデッキ。海に延びている桟橋のよう。桁外れである。


行きは高速を使ったが、帰りは下の道を通り、途中、巨大なスイカを買う。1600円。安い。家人は、家にはない野菜を少々。いい一日だった。「祈りの歌」は多くの方々に好意的に受け取られたようである。


July 18, 2009 Saturday

静かな飛び入りライブ。大月さんは、明日午後2時から佐久の「なんだ館」でのライブに出演するとのことで、そのリハを兼ねて何曲か。最後の「星に願いを」は初めて聞いたがよかった。

藤森さん、「今日は土曜日」「おまえの歌が聞こえる」など、そして愛音ちゃんと「犬のおまわりさん」「ふるさと」。客席から大きな拍手。3番テーブルのお客さんの中に小さな女の子がいて、二人はすぐ仲良しに。

赤羽さん、「鹿のように」「人生の海の嵐に」などの賛美歌のほかに、「千両梨の実」。この自作の曲も、賛美歌といってもいい






ぼくは、明日、安曇野市の山荘で歌わせていただくことになっている「祈りの歌」を最初一人で、そして後半、大月さんのサポートで。この歌ができた経緯も奇跡的だが、そのオリジナルの詩が載っていた本の著者である日野原重明さんに明日お会いできるのも、まさに奇跡的。


July 17, 2009 Friday

一日中、降ったり止んだり。芝生が伸びて刈らなければならないが、なかなか刈れない。晴れているときは他の用事があり、時間があるときは雨が降っている。雨が止んでも、濡れていると刈りづらい。芝が刈れないでよかったことは、ネジバナがあちこちに咲いていること。毎年、目立つのは残るが、小さいのは芝と一緒に刈ってしまっていた。雨が降ると紫陽花はイキイキしている。沙羅双樹も可憐な白い花をつけている。




午後、少し横になり、夜7時過ぎにオーリアッドへ。家人と交替。外は雨が静かに落ちている。久々に『ライヴ・イン・ロンドン』をプレーヤーから取り出し、別のCDを入れる。以前U先生からいただいたバッハのフーガ集。静かな雨の夜、バッハの音楽がオーリアッドの空間を満たす。

遅くなって、「祈りの歌」の練習。いろんな歌い方で歌ってみる。それに「私は風の声を聞いた」。この歌はサムピックを使うと効果的。



July 16, 2009 Thursday

昨日の山作業の最中に上唇をハチに刺された。痛みもそれほどなく、腫れもしなかったので、気にしていなかったが、朝起きて驚いた。顔の左下全体が醜く腫れ上っている。特に刺された上唇の左側が大きく腫れて、唇を動かせない。ということは、話しができない。もちろん歌うことも。

とにかく、休講は避けたいと、午後のクラスにはマスクをしてでも行く覚悟をしていたのだが、昼前には、腫れもかなり引いてきた。十分ではないが、声も出るようになった。

午後のクラスを終えた時点で、完全ではないが正常に歌える状態まで回復。マーク・Bから誘われていたボトムダラーでのライブに参加することに。

出演者も聴衆も大部分は松本地区の外国人英語教師とその友人たち。一番感動したのは、LA出身のリチャードが歌った Gone Too Soon。マイケル・ジャクソンがエイズで死んだ若者のために書いた歌とか。本人自身、この歌のように、あまりにも早く逝ってしまった。リチャードは歌う前にこの歌が書かれた経緯と、MJへの思いを語った。その歌を歌う必然性が感じられた。それがないとどんなに上手く歌ってもカラオケになってしまう。

マーク・Bも歌い、ジョン・Kもギターを弾いた。そのたび聴衆の中から大きな声援が飛ぶ。ぼくは Bird on the Wire と Tomorrow Is A Long Time を日本語と英語で。そして「祈りの歌」。「祈りの歌」を歌う前に英訳を朗読。ぼくより若い外国人の先生の中には、レナード・コーエンを知らない人もいた。ボブ・ディランは知っていても Tomorrow Is A Long Time は知らなかった。最後はダリルのボーカルをフィーチャーしたセッションで No Woman No Cry。盛り上がった。





ボトムダラーの食べ物も飲み物も美味しかった。10時少し回ったところで演奏終了。しばらく彼らと話したあと、山麓線を通って辰野へ。夜の山麓線にはほとんど車もなく、あっという間に家に着く。疲れたが有意義な一日だった。

「祈りの歌」は日野原重明著『わたしが経験した魂のストーリー』(キリスト教視聴覚センター)の中にあった「病者の祈り」という詩に多くを負っている。その詩に曲をつけようとしたが、上手くいかなかった。そこでインターネットでもとの英詩を見つけ、それをぼくなりに訳し、言葉を変えたり加えたりしてできた歌である。今度の日曜日、その本の著者にお会いできることになった。「祈りの歌」も直接聞いていただけそうである。気後れも感じるが、ここはセキギョク的にいくことにしよう。あまりにも多くの偶然が重なって、この出会いの機会が与えられた。まるで必然ででもあったかのように。感謝あるのみ。


July 15, 2009 Wednesday

朝8時からお寺の駐車場に集まり、区の山の整備。若いひのきに巻きついている蔓を切る作業。組合の理事に今年からなり、初めてこの種の作業に参加した。およそ4時間、険しい斜面での作業。最後に神社の上り口で、野菜がたっぷり入った味噌汁をいただく。その美味しいこと。汗を流さなければ味わえない味だろう。



午後、少し横になり、4時から定期健診。午前中、いい汗を流したせいか、血圧はいつもより低かった。

夜、家人の妹から、ニュージーランドの南島で大きな地震があったとの連絡。家人があわててクライストチャーチに住む次男に電話をしたところ、「いつあったの?」とのこと。ぜんぜん感じなかったらしい。一安心。

8時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交替。おそくなって歌の練習。明日の夜、マーク・B等に混じって数曲歌うことになっている。初めて行くボトムダラーというお店。


July 14, 2009 Tuesday

朝から太陽が顔を出し、暑くなりそう。補講を含め3コマのクラスを終え、帰宅すると、家人から「梅雨明け宣言が出された」と教えられた。36度を超えたところもあったようである。いよいよ本格的な夏。

補講のクラスでは最後に『ライヴ・イン・ロンドン』のDVDから数曲を見せ、感想を聞く。ディランを知らない者さえ3分の1いるわけだから、レナード・コーエンを知っている者は皆無。暗くてわかりづらい歌だという感想の多いなか、好意的な感想もいくつか。

  *レナード・コーエンの声はとても低くて安定感を感じさせる声であると思った。
  *曲がどれも難解で暗い歌が多い気がしたが、雰囲気はよく、格好いいと思った。
  *レナード・コーエンは紳士だと思った。ミュージシャンを1人1人丁寧に紹介していたところなど。
  *吹奏楽器を担当していた人は一人でいくつもの楽器を演奏していてすごいと思った。(ディノ・ソルドーに対
    する感嘆の声は他にもあった。)

レナード・コーエンとは関係ないが、「歌詞は単語でしか聞き取れない部分が多かったが、ちゃんと意味ある文として聞こえたところもあり、うれしかった」というのがあった。歌を通して英語のリズムを身につけヒアリングの力をつけることがこのクラスの目的のひとつ。こういう反応はうれしい。



July 13, 2009 Monday

朝から雨が降ったり、止んだり。急遽思いついて、家人とICU時代の先輩Tさんを訪ねることに。彼が辰野から30キロほど南の中央アルプスの麓に住んでいると知ったのはちょうど1ヶ月前。道の駅で待ち合わせ、彼の家へ。南アルプスの眺望がすばらしい。数年前1500坪の山林を購入し、そのうち300坪を宅地にかえ、昨年家を建てたとか。「どうしてここに?」と聞くと、「中央道を走っていて、景色が素晴らしかったから」とのこと。同じ質問に対して、「白馬三山が一望できるから」という似たような答えを以前聞いたことがある。その人もICU出身。そう思ってもなかなか実行に移せないが、彼らは決断し、そうしたのである。「変わり者」に違いない。その言葉はぼくにとってはほめ言葉。

Tさん宅へ、一冊の日記帳を持っていった。Tさんは学内で聖書研究会を開いていて、ぼくもときどき顔を出していた。1965年11月のぼくの20歳の誕生日に、その研究会のみなさんから66年度用の日記帳をいただいた。その裏表紙の内側に、ぎっしりと寄せ書きがされている。10人の方々。その中で、ぼくが覚えているのは同室だったTさんとYさんだけ。その寄せ書きをTさんに見せたところ、その中に奥さんの名前もあることが判明。奥さんはぼくを覚えていなかったし、ぼくも奥さんを覚えていなかった。

高校に入ってしばらくしてから英語で日記を書き始めたが、この時いただいた日記帳も、1966年の1月1日から12月31日まで細かい字でぎっしりと書き込まれている。この年はぼくの大きな転機になった年。9月にUCSBに編入したのである。『追憶の60年代カリフォルニア』を書くことができたのは、この日記帳のおかげである。そんな話をしながら、『追憶の60年代カリフォルニア』を一冊、Tさんに贈呈。

4時半、Tさん宅を辞し、帰路、宮田村の「ときわ」で早めの夕食。「宮田どんぶり」が実に美味しかった。先週土曜日のジャズバンド・ライブは大成功だったようだ。

寄せ書きのトップにTさんの字で次のように書かれていた。

  
神を見た者は、まだ1人もいない。もしわたしたちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、
  神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。(ヨハネI、4:12)


July 12, 2009 Sunday

諏訪二葉高校伊北支部同窓会総会にてトークライブAt たつのパークホテル。みなさんの反応から、楽しんでいただけたのではないかと思う。そのあと、校長先生や本部の役員の方々のテーブルでお昼をいただく。校長先生は以前に何度かお会いしたことがあった。一度オーリアッドの「ほたる祭りライブ」にも来て下さったこともある。それぞれが自己紹介をし、青春時代の思い出を語る。最後は「ほたる小唄」を踊って終了。

午後少し横になり、夜は区の委員会。

7月4日に拾得で「七夕コンサート」を聞いたという方から、『メッセージ』と『追憶の60年代カリフォルニア』の注文が入った。以前に『千の風』を通販で、『ガビオタの海』は先日拾得で購入していただいたとのこと。ありがたいことである。

島岡さんのおかげで、急遽「ボブ・ディランに捧げる歌」のmp3をトップページにアップした。何度か聞きなおしたが、なかなかいいサウンドに仕上がっている。大月さんのピアノ、そして野間さんのギターが実にいい。それにエンジニアの石崎さんのおかげである。オリジナルアルバムのクニさんのキーボードが突然頭のなかで鳴ったりする。

「ボブ・ディランに捧げる歌」 at 「第13回三浦久ほたる祭りライブ」 → {MP3}


July 11, 2009 Saturday

飯田から3人のミュージシャン.。それぞれが異なる楽器を携えて。久々登場の丸山さんは、新曲2曲を携えて。

ぼくがサウンドチェックで2曲ほど歌ったあと、先ず丸山さん。新曲のひとつは、戦争末期の満州での幼児体験から、帰国後、花火の音が怖かった記憶を歌にしたもの。「昼間の花火」。島岡さんは、ボブ・ディランのカバー。「オール・アロング・ザ・ウオッチタワー」など。彼はもう20年以上も前に出版された『ボブ・ディラン/詩の研究』を持ってきた。この本を持っているということは根っからのディラン好きに違いない。難解な本。最後まで読んだのは訳者と編集者だけではないかと、半分冗談で語ったことがある。

中島さん、「アロハ・オエ」のメロディーが心に沁みる。なんと優しいオートーハープの音色。バンジョーの久保田さん、今夜は「ジョン・ヘンリー」で決まり。藤森さん、「今日は土曜日」などの定番から。大月さん、佐久の「なんだ館」で近々歌うとのことで、拾得での七夕コンサートについて語ったあと、「誕生」。そして、大月さんのサポートでぼくが、「ボブ・ディランに捧げる歌」を、こおろぎ会島岡さんに捧げる。そして、「バード・オン・ザ・ワイヤー」。






休憩を挟んで、Round Two: 先ず、垣内さんにレナード・コーエンのDVD『ライヴ・イン・ロンドン』を見た印象を語ってもらう。とにかく、低音の Thank you so much, friends. にまいっているようである。アルマーニのスーツを着て、中折れ帽をかぶれば、垣内さんもかなりコーエン風。丸山さん、後期高齢者たちを代弁する「ふざけるな」など。島岡さん、20代で書いたという「さらば東京南台」など。久保田さん、軽快なバンジョーで Going Back to Dixie。藤森さん、久保田さんのバンジョーのサポートで「愛音」。今までにない「愛音」の響き。赤羽さん、大月さんのサポートで「千両梨の実」。





長い、楽しいオープンマイクになった。歌いにきてくれた皆さんに感謝。

ライブ終了後、島岡さんから「ボブ・ディランに捧げる歌」を教えてほしいといわれ、歌詞とコードをお教えする。そして、そのmp3をメールで送ることを約束したが、容量が大きすぎて、送れないことが判明。急遽トップページにそのmp3を置くことに。興味のある方はどうぞ。



July 10, 2009 Friday

朝起きて先ず第一に外を見る。雨。猫たちも退屈している。

朝食後、徐々に雨が上り、少し庭の仕事。家人がもらってきた珍しい草花を東側の花壇に植える。名前を聞いたが今思い出せない。ダリヤの球根は西側の花壇に。

午後は青空が見え始めた。久しぶりにスイミングへ。200メートル歩いたり泳いだりしたあと、ジャグジーにゆっくりつかり、サウナに5分ほど入って終了。そして、受付のカウンターに行き、退会届を提出。20年ほど会員だっただろうか。最初の頃は、南箕輪村のキャンパスで教えていたこともあり、週2回、時には3回も通ったこともあった。最近は、締め切りが重なったりすると、何ヶ月も行かないことがあった。今年になってからは、おそらく3回、多くても4回しか、行ってないだろう。スイミングに行くよりも温泉に行くほうがよくなってきたのかも。

夜、オーリアッド。二葉高校伊北地区同窓会の役員の方が2名最後の打ち合わせにお見えになる。今度の日曜日。10時から総会、ぼくの出番は11時から。9時までには行って機材をセットする必要がある。

そのあと、垣内さん。姉妹都市ワイトモの新聞を見せてもらう。ワイトモの役所も、辰野と同じく、税収が減り、収支のバランスをとるのが大変のよう。

垣内さんには、「ほたる祭りライブ」のときだったか、レナード・コーエン『ライヴ・イン・ロンドン』のCDをお買い上げいただいたが、今夜はDVDも。辰野にも、レナード・コーエン信者が増えつつあるような。

ホームページの掲示板に、 「DVD画面の前で、スタンディング・オヴェーション。拍手と涙がとまりません」と書き込んでくれた方がいる。部屋のなかで一人『ライヴ・イン・ロンドン』を見ながら、涙を流しながら拍手している姿は、微笑ましい。見方によっては、鬼気迫る。でもその気持ちはわかる。それほどに感動的である。

11時過ぎ、家にもどる。本当に久しぶりに月が見えた。少し欠けてはいたが、大きなお月様。Buck moon。その左下に明るい星がひとつ。木星か。




July 9, 2009 Thursday

松本へ。午後、2コマの授業。まだまったく無名のディランが1962年に録音したデモテープの「風に吹かれて」を聞く。ディラン自身による、そして多くの歌い手によるこの歌の異なるヴァージョンを数限りなく聞いてきた。しかし、この Roy Silver The Lost Interview に収められている「風に吹かれて」が最高だと感じることの中に、歌うことについての大きな示唆が与えられている。

夜、オーリアッド。ジブランの会。

遅くなって、二葉高校伊北地区同窓会トークライブに向けて練習。

今夜も曇っていて月は見えない。



July 8, 2009 Wednesday

7月の満月は英語では buck moon というらしい。昨日は七夕の満月。buck はbuckskin のbuck、牡鹿。牡鹿の角が生え始める頃の満月。このところ忙しく、月を眺める余裕がなかった。あったとしても、ここ数日、曇ったり雨が降ったりで、見えなかった。今夜も雨。

先週木曜日以来のオーリアッド。慌しくも充実した一週間だった。岡山、京都で、多くの旧友と再会。そして多くの新しい出会い。

レナード・コーエン信者の赤羽(孝)さん。今日はギター・レッスンの日だったとか。ピザが焼けるまでぼくのマーティンを弾く。ピザを食べながら、Live in London。I Tried to Leave You が好きだと、彼が言う。この歌は、アンコールのところで効果的に使われている。この歌を含め、コーエンのアルバムから何曲か選んで聞く。

赤羽さんが来る前、野間さんからもらったサムピックを使って、ギターを弾いてみた。低音が出すぎるような気がするし、ストロークをするとひっかかってしまう。以前にも何度もサムピックにトライしたが、そのつど挫折。今回は、しっかり練習してみよう。


July 7, 2009 Tuesday

松本へ。4月、コーエンのコンサートに行くために休講したクラスの補講があり、今日は3コマ。週末のコンサートの疲れもありさすがに疲れた。3コマ目のクラスのあと、John B. と話す。近々松本でライブをやるのでぼくにも出演しないかとのこと。出演する方向で考えることに。

土曜日のコンサートが終わったあと、若い女性が話しかけてくれた。以前、ぼくのクラスにいたとのこと。歌を歌って、たくさんの本を読んで楽しかったとのこと。10冊の本と10本の映画と30曲のビートルズをキャッチコピーにしていた頃か。確かにあのクラスは楽しかった。歌の力は偉大である。

そして次のように書かれていた。「先生のオリジナル曲を聴いたのは初めてでしたが、心に響く歌で、まるで小説の朗読を聴くようにその詩に聴き入ってしまいました。先生のボーカルと、ピアノともう一つのギターの音色とが、絶妙のコンビネーションで、とても心地良かったです。また機会があれば、昔の授業の成果を披露しに(?!)信州に歌いにも行ってみたいと思います」。是非歌いにきて下さい。

土曜日の写真は撮らなかったのだが、垣内さんが写真を送ってくれた。感謝。


*左の豊田君の写真は、他の写真に合わせるために修正しました。


July 5, 2009 Sunday

第37回七夕コンサート2日目。

朝9時。東福寺の老師訪問。初めてお会いしたのは1969年3月。サンタバーバラでのこと。23 歳だった。それから40年。今もなお、多くのことを教えていただいている。

6時半開演。今日は豊田君が初日先頭だったので、2日目は好きなところで歌えるという不文律により、残り3人でくじ引き。その結果、古川、三浦、ひがしの、豊田の順。控え室へ上る階段にすわり撮ったのが下の写真。ぼくの写真は by ひばりさん。

今日もいいコンサートになった。古川君は今年はバンジョーのみで歌い、「バンジョーの古川」の名をほしいままに。ひがしの君の1曲目、「大きな木にもたれて空を見る」で始まる歌。いつ聞いてもいい。「彼の歌がもっとも仏教的だ」と仏教学者の桂さんが打ち上げの席で喝破。豊田君は今日は「ありがとう、ディラン」と「行方不知」がよかった。レナード・コーエンの影響もちらほら。ぼくは、今日は最後に「セカンド・ウインド」。昨夜、テリーから「リハーサルでやったあの歌をやればよかったのに」といわれていたし、この歌の好きな大造君が聞きにくると知っていたので。リハーサルでもこの歌を何度か練習した。本番ではぼくがリズムを崩し、伴奏のふたりに迷惑をかけてしまった。しかしさすがに野間さんと大月さん、ぼくのミスを見事にカバーしてくれた。多くの方々からギターとピアノがよかったと言われた。





打ち上げでは、ここでは書ききれないほどの不思議な出会いがあった。それはまたいずれ書くときがあるだろう。ここでは楽しい打ち上げになったというだけにとどめよう。今年も大月さんの高校時代の担任の先生だった井上さんが来てくださった。井上さんも桂さんもぼくの1曲目「一通の手紙」がよかったとのこと。井上さんはUCSBの大学院で学んだし、桂さんは、娘さんがUCSBで学んだので、何度か訪問したことがあるとのこと。また息子さんが今年の秋から物理学者としてUCSBで教えることになっているとのこと。サンタバーバラつながりである。




拾得を出たのは12時を過ぎていた。この三日間、多くの方々のお世話になった。感謝あるのみ。



July 4, 2009 Saturday

3時、拾得入り。すでに野間さんと大月さんは着いていて、リハーサル。今年は、古川君、ひがしの君、豊田君とぼくの4人。長い間この4人だけの「七夕コンサート」が続いたが、その頃に戻ったよう。恒例のくじ引き。その結果、今夜は、豊田、ひがしの、古川、三浦の順。客席には懐かしい顔がいくつも。

落ち着いたしっとりとしたコンサートになった。ぼくは2曲目の「バード・オン・ザ・ワイヤー」を歌う前に、『追憶の60年代カリフォルニア』の一節を読んだ。レナード・コーエンのライヴ盤から教えられたひとつのやり方。

  サンタバーバラでの最後の夜、ぼくは海へ行った。月の光を浴びて波がキラキラと輝いていた。はるか沖の
  ほうに油井やぐらが黒いシルエットになって見えた。シャーロッテがその海の中の油井やぐらを指さして「海賊
  船みたい」と言ったことばを思い出した。

  そしてぼくは辰野の町のことを思った。王城山や天竜川や、ぼくを待っていてくれる家族のことを思った。1ヶ
  月もしない内に、ぼくは辰野駅のプラット フォームに降り立ち、伊那富橋に向かって歩いて行くだろう。一日
  千秋の思いでぼくの帰りを待っている母も姉たちも祖母も、変わってしまったぼくを見て驚く だろう。おそらく
  ぼくが日本に帰ってからしたいと思っていることはいくら話しても分かってもらえないだろう。フォークシンガー
  になりたいとか、禅僧になり たいなんていったら、頭がおかしくなったと思うに違いない。

  そんなことを考えながら海を見ていた。頭の中では、レナード・コーエンが低い淋しい声で「ぼくはぼくなりのやり
  方で自由になろうとした」と繰り返し歌っていた。ぼくが日本へ帰ってやりたいと思っていたことはそのことな
  のだ。ぼくなりのやり方で自由になりたい、ということ。

  電線の上の一羽の鳥のように
  真夜中の聖歌隊の酔っ払いのように
  ぼくはぼくなりのやり方で自由になろうとした

July 3, 2009 Friday

岡山駅、タクシー乗り場を探していると目に入ってきたのが「青春感謝の像」。昨年は迎えにきてもらい、車ですぐに移動したので、この像には気づかなかった。見ているだけで「意気揚々」とした気分になる。旧制高校生の心意気が伝わってくる。ホテルにチェックインし、会場の禁酒會館へ。尾崎さんが一人でセッティングをしていた。6時半から、都合で来られなかったパーカッショニストを除く3人の尾崎ユニットの演奏。そのあと、ぼくが歌う。ピート・シーガー、ボブ・ディラン、レナード・コーエンの歌との出会いを語りながら、「ボブ・ディランに捧げる歌」「電線の上の一羽の鳥」「宝福寺にて」「碌山」「ガビオタの海」など、気がつくとアンコールを含めて2時間歌っていた。




いろいろな出会いが会った。昨年、脳の手術の直前にきてくれた方も元気になって、聞きにきてくれた。実験音楽ユニットをやっているというTさんはレナード・コーエンの音楽に詳しかった。それに昨年お会いした面々がみなさんおそろいで、楽しい打ち上げとなった。1時近くお開きとなり、ホテルに戻る途中に豪雨。尾崎さんの奥さんが車を回してくれて、ホテルまで送っていただく。すべてに感謝。


July 2, 2009 Thursday

昼前、Roger Love のヴォーカル・エクササイズを聞きながら、松本へ。午後2コマのクラス。ボブ・ディランという名前を聞いたことのないという学生が、両方のクラスともに、三分の一いたことに驚かされる。今日の歌は「風に吹かれて」。さすがにビートルズという名前を聞いたことのない学生はいなかった。

オーリアッドのことをウエブサイトで知ったという茨木県にお住まいの方から数日前にお電話があり、松本へ行く用事があるので、木曜日にオーリアッドを訪ねたいとのことだった。開店と同時にお見えになった。ぼくの歌が聞きたいとのことで、明日の練習を兼ねて、数曲歌わせていただく。日本のフォークソングにかなり詳しい方のようである。是非また土曜日に訪ねてきていただきたいものである。

早目に閉店し、帰宅。明日の準備。


July 1, 2009 Wednesday

朝から雨が降ったり止んだり。ときにはとても強く降った。梅雨の終わりはいつもこうだ。九州や関西は大雨で、被害が出たところもあったようだ。

午前中、晴れ間を見て、先日、家人がたくさんもらってきた3種類の朝顔の苗を植える。これが一斉に咲き始めたらきれいだろう。

午後は、週末のコンサートの準備を少しして午睡。夜はオーリアッド。製氷機が調子悪くなっていたが、メーカーの人が何度足を運んでくれて、3箇所部品を換えてようやく動き出した。氷ができて、下に落ちる音を久々に聞いた。いいものである。

レナード・コーエン信者になった赤羽(孝)さんが、注文してあげたCDを取りにきた。『レナード・コーエンの唄(
Songs of Leonard Cohen)』『ひとり部屋に歌う (Songs from a Room)』『テン・ニュー・ソングズ (Ten New Songs)』の3枚。しばらくコーエン談義。外は激しい雨。

閉店前、普段あまり歌わない歌をいくつか練習。





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