OREAD Diary

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June 30, 2009 Tuesday

今日でちょうど2009年の半分が終わったことになる。今年の前半は忙しかったが充実していた。その間の最大の出来事は、4月半ば、カリフォルニア州オークランドでレナード・コーエンのコンサートを3日間連続で見たこと。今もその余韻の中にある。

今夜も遅くに Live in London のDVDの一部を見る。歌い終わったあとのコーエンの純粋無垢の笑顔には伝染性がある。いつしかぼくの顔にも微笑が。Godfather of Gloom (陰鬱のゴッドファーザー)と呼ばれた頃のコーエンとは、確かに何かが違っている。抑えても抑えきれない cheerfulness が滲み出ている。このDVDは音楽療法にいいかも。

午後松本で2コマの授業。往復の車の中、 Roger Love のヴォーカル・ウォームアップ・エクササイズを聞く。試しに女性用のエクササイズを一週間前にやってみたところ、最初は高くて声が出なかったが、徐々に裏声ではあるが出るようになってきた。そのあと男性用に移ると、かなり楽に声が出る。

事務局と相談して、4月にオークランドへ行ったときに休んだクラスの補講を来週と再来週行なうことになった。マーク・Bに代わってもらったクラスは補講の必要がないが、彼のクラスで翻訳について語ったり、英語の歌の指導をしたりすることになるかもしれない。

昨夜からメールボックスが使えなくなっていたが、今夜試行錯誤を重ねてなんとか復旧した。まだ完全に元通りになったわけではないが、とりあえず送受信できるようになった。そのあと少し歌の練習をし、DVDを見る。 Take This Waltz に完全に魅了されている。



June 29, 2009 Monday

午前中は陽が射していたが、午後から雨。今も降っている。午前中、晴れている間に畑仕事。右中指の爪を割る。今週末は岡山と京都で歌うことになっている。ギターが弾けるだけの爪が残ってくれればいいが。午後は区長会の思い出会の案内ハガキに宛名を書き投函。

午後、本棚を整理していたら、Take This Waltz: A Celebration of Leonard Cohen という本が出てきた。いくつか付箋もついている。拾い読みして思い出した。レナード・コーエンの60歳の誕生日(日本式に言えば還暦)を記念して、さまざまな人が寄せた言葉を集めたもの。数年前にコーエンの最初の3アルバムを訳しなおし、エッセイを書いたとき、Amazon.com から取り寄せた本。そのときは、Take This Waltz の美しさがまだ分かっていなかった。

15歳のときコーエンはフェデリコ・ガルシア・ロルカの詩集を読んで、「ロルカは、彼が描く憂うつ極まりない世界と説得力ある言葉で、ぼくの人生を狂わせた」と語ったという。強烈な出会いの体験。碌山が「考える人」の前で受けた衝撃。Take This Waltz は、ロルカのスペイン語の詩をコーエン自身が英訳して曲をつけたもの。この歌を聞けば、15歳のレナード少年の気持ちが分かるような。

とにかく Take This Waltz は美しい。



June 28, 2009 Sunday

総おどりの疲れか、今朝起きたら身体の節々が痛む。午前中、ぼっとして過ごす。昼過ぎ、19年度区長会の思い出会開催通知の文面を考え、代表幹事の隣村のMさんに確認してもらう。そのあとオーリアッドへ。昨夜の後片付け。昨夜は、町外からホタルを見にきた人たちが飛び入りライブとは知らずに入ってくれた。おかげで、いいライブになった。ライブやコンサートは、出演者と聴衆がつくるものだということが分かる。いい演奏のためには、いい聴衆が必要である。

夜、岡谷市へ。LSECの英語クラス。「ほたる祭りライブ」の感想を聞く。彼らの印象に残った歌は、「祈りの歌」「一万マイル」「詩集」「碌山」「私は風の声を聞いた」。そのうち3曲は昔の歌で、彼らが初めて聞く歌。今日のレッスンは先ず Dance Me to the End of Love を含む英語の歌を10曲、そのあと、初心に戻って、英語のリズムと、音の連続による音の変化の解説と練習。来月から再びテキストを使うことに。

さて、今週末は岡山、京都へ。一年ぶりの岡山。一年前、昔のぼくのレコードを何枚かもってきた人がいて、サインを頼まれた。彼はその後、手術をする予定とのことだった。元気になって、今年も聞きにきてくれたらいいのだが。


June 27, 2009 Saturday

町民総おどり。趣向を凝らした30以上の連が1時間にわたって大通りを踊り歩いた。わが今村区も紫の法被を着て参加。芸能協会はそろいの浴衣。いつもの水戸黄門と助さん格さんは宮木区。辰野町職員共済会の先頭には町長と副町長。下辰野区のプラカードをもった男の人が話しかけてきた。誰かと思ったら小学校時代の同級生の矢島君。ピエロの鼻と口の周りに描いた髭でまったくわからず。





                      ■

6時半、踊りが終わり、オーリアッドへ。すでに何人かのお客さん。6番テーブルにいたNさんからディランとバンドの Before the Flood のリクエスト。確か、最近出た紙ジャケがあるはずと探したが見つからない。しばらくしてプラスティックケースに入った古いCDが出てきた。久しぶりに聞く。新鮮だった。Nさん、「I Shall Be Released はこのバンドのヴァージョンが一番いい。涙が出そうだ」と、感激した面持ち。

今夜のオープン・マイクは山梨県長坂町からやってきた山本さんのおかげで大いに賑わった。オーリアッドは3回目だが、ソロでは初めて。総おどりやホタル見物のお客さんも入った客席からケーナやサンポーニャについての質問が飛ぶ。おなじみの「エル・コンドラ・パサ」「花祭り」など、フォークローレを堪能した。

藤森さん「今日は土曜日」、そして、スペシャルゲストの愛音ちゃんが「ふるさと」。藤森さんのときより盛大な拍手。そこで藤森さん「小さな幸せ」。赤羽さん、「鹿のように」から始まり、最後は大月さんのサポートで「千両梨の実」。大月さんソロでは「カノン」の一曲。今夜は大月さんのご家族全員がお見えになり、お父さんからはお借りしている拓本の説明をお願いした。客席から説明されたが、朗々としたよく通る声。

名取さん、何か語るかと思ったら、一曲「遥かな友に」をアカペラで。懐かしい歌。

  
静かな夜更けに、いつもいつも
  思い出すのはお前のこと
  おやすみ、安らかにたどれ、夢路
  おやすみ、たのしく、今宵もまた






ぼくは、前半ディランファンのNさんのために「ボブ・ディランに捧げる歌」、そして、後半大月さんのサポートで「千の風」と「薫子」。最後に赤羽さんも一緒に「アメイジング・グレイス」。

その後しばし歓談。そのうちに客席から藤森さんに「大空と大地の中で」のリクエスト。大月さんにも加わってもらって歌ってもらうことに。高音がきれいにのびて、素晴らしい。その後更に何曲かリクエスト。最終的に店を出たのは12時過ぎ。2009年総おどり大会の夜 OREAD Special Open Mike!! 楽しい一夜になった。



June 26, 2009 Friday

朝、村を一周し、テレビをつけたら、Michael Jackson Dead という文字が目に入ってきた。えっと思い、注意して聞くと、心拍停止状態でUCLAメディカルセンターへ運ばれたが、まだ死亡は確認されていないとのこと。しばらくして「死亡が確認された」とのアナウンス。そのあと、多くの人が彼の死について、彼の音楽、彼の人柄について語る映像が流れた。その中で、クインシー・ジョーンズだったか、「彼は誰にたいしても優しく親切だった」と語ったのが印象的だった。彼のファンだったことはないが、極度に整形する前の彼は魅力的だった。ぼくがもっともよく覚えているのは We Are the World のメイキングのビデオ。

9時50分から、そして10時50分から、2度にわたってブックトーク。先ず、マイケル・ジャクソンの死を伝えたが、ほとんどの中学生はすでに知っているようだった。彼の死を悼み、We Are the World の一番の訳を読み、歌う。そして、50年代60年代の公民権運動の話に移る。マイケルが整形を繰り返し、白人の顔に近づこうとした真の理由は知らないが、彼の本来の顔のほうがはるかに魅力的であった。

  
今こそ耳を傾けなければならない
  世界がひとつにならなければという呼びかけに
  多くの人が死につつある、手を貸さなければ
  神のもっとも偉大な贈り物、命に
  どこかの誰かがなんとかしてくれると考え
  何もしないで生きていくことはできない
  私たちはみな大きな家族の一員
  そしてこの世界でもっとも大切なのは、愛
    私たちが世界、みんなその子供たち
    明るい明日を作ることができるのは私たち、分かち合おう
    彼らを助けることは、自分たちの命を救うこと
    よりよい明日を作ることができるのは私たち、あなたと私
    (miura訳)

夜、オーリアッド。赤羽(孝)さんが、代わりに注文してあげたコーエンの『ライヴ・イン・ロンドン』のDVDを取りに来た。そのとき彼が、最近映画を見ていたらコーエンの歌が流れたが、その歌が何か知りたいという。映画のタイトルを聞くと、『狩人と犬、最後の旅』だという。英語のタイトルの The Last Trapper で検索したら、そこで使われたコーエンの歌は、By the Rivers Dark だということがわかった。聞いたことのないタイトル。更に調べると、Ten New Songs の中の一曲。2001年にぼくが訳したアルバム。忘れていた。
http://www.youtube.com/watch?v=eA3sBuolUkA&feature=related

遅くなって赤いTakemine の弦をかえる。今朝2度めのブックトークの際、4弦が切れてしまった。演奏中に弦が切れるのはぼくにとっては珍しい。そんなに強く弾いていたわけではないが。

明日は総おどり。そして久々の飛び入りライブ。



June 25, 2009 Thursday

松本へ。山麓線からの眺望が素晴らしい。4講時目のクラスが終わり、カバンに教科書や印刷物を入れ、教室を出ようとしていると、次のスペイン語のクラスの学生たちが入ってきた。そのうちの一人が話しかけてきた。

「土曜日のコンサートよかったです。それにCDをありがとうございました」。先日のコンサートのあと、4人の韓国人留学生に「カムサハムニダ、イ・スヒョン」の韓国語ヴァージョンが入ったCDをプレゼントした。そのときの一人だった。「スペイン語をとっているの?」と聞くと、違うという。廊下を歩いているとぼくが見えたので入ってきたとのこと。コンサートにきたもう2人の学生が近くの教室にいるというので、彼の後についていくと女子学生と男子学生がいた。

しばらく話す。みんなCDの歌詞カードに書いてあった文章がよかったという。今その歌詞カードが手元にないので、詳細は分からないが、「カムサハムニダ、イ・スヒョン」ができた経緯を書いてヨン先生に訳してもらったもの。あの事故から8年が経っている。日本の大学生同様、韓国の大学生も、2001年1月に事故が起こったときはまだ小さくて、事故のことを覚えていないかもしれない。覚えていたとしても、忘れてしまったかもしれない。もう一度韓国語で歌えるように練習してみようか。

夜、オーリアッド。遅くなって、7月3日(金)の岡山市の禁酒會館でのコンサートを想定していくつか歌ってみる。岡山となると「宝福寺にて」は抜かせない。


June 24, 2009 Wednesday

朝少し雨が降っていたが、すぐに上がり、久しぶりに村をぐるっと一回り。雨上がりの山道は気持ちがいい。きれいな花も咲いている。



そのあと、前から家人に頼まれていた仕事をする。網戸をガレージから出し、水をかけて洗い、窓枠にはめる。これがなかなか大変。もう暑くて窓を開けずにはいられない季節になった。今日も日中は30度近くまで上ったと思う。

                   


夜、オーリアッド。久しぶりに太田君が訪ねてくれた。他のお客さんがくるまで、ソロで数曲、そして一緒に何曲か。しばらく休んでいた「どきわのドレッシング LIVE」を再開するとのこと。

  
第10回ときわのドレッシング LIVE
  JAZZ NIGHT

  日時:7月11日(土) 18:30開場、19:00 開演
  出演:太田裕士 (sax)、向山博 (bass)、横川忍 (drums)、
      大野田豪 (guitar)、大槻和彦 (piano)

  会場:レストランときわ (宮田村役場近く)
  チャージ:2000円(1 drink&軽食付)



June 23, 2009 Tuesday

ありがたいことに、朝起きると、昨夜の激しい雨は止み、陽が射している。昼前、松本へ。午後2コマの授業。今日の歌は「ローズ」。久々に歌ったらコードを忘れていた。何とか思い出し、事なきを得る。それにしてもいい歌である。すべてのヴァースがいいが、特に2番がいい。

  
It's the heart afraid of breaking that never learns to dance
  傷つくことを恐れる心は踊ることを学ぶことがない

明日6月24日は、レナード・コーエンの『ライヴ・イン・ロンドン』(DVD)の発売日。http://www.amazon.co.jp だと定価5460円が4040円で購入できる。日本語字幕入り。感動的なコンサートの感動的な映像。どなたにもお勧めします。


June 22, 2009 Monday

朝起きると雨。幸楽苑で冷麺を食べてから、東京へ帰る長男を塩尻駅まで送る

家に戻り、2時間ほど午睡。ようやく疲れがとれてきた。

夕食後、隣村の公民館へ。2007年度の区長会の思い出会の打ち合わせ。北部4区の元区長が最初の会の幹事を務めるとのことで。日時、会場、会費などを決め、その後、歓談。久しぶりにお会いする方ばかり。いろんな話題が次から次へ。

帰路、激しい雨。大粒の雨が車の屋根を打ち、大きな音を立てる。ワイパーでは払いきれないほどの雨がフロントガラスを覆う。一瞬数年前の集中豪雨のことが頭をよぎる。



明日の準備をと思ったが、眠くて仕方ない。今夜は早く寝ることにしよう。雨はまだ激しく降っている。


June 21, 2009 Sunday

昨夜の疲れか一日中うとうと。夜、手伝いにきてくれた長男と3人で、オーリアッドへ後片付けに行き、そのあと、ホタルを見に行く。最近見たこともないほどの、いや、今までに見たこともないほど多くのホタルが舞っていた。空中高く。しかも、ホタルが乱舞している場所が数ヶ所あり、それは見事な光のページェント。近くにお住まいの方でホタルを見に行きたいと思っている方がいましたら、早いうちに行かれることをお勧めします。

40数年前、第一男子寮の同期生だったS君からメールがあって驚いた。彼からのメールは初めて。もう20年以上、ロサンゼルス近くのマリブに住んでいるという。マリブといえば著名アーティストが多く住む高級リゾート住宅地。羨ましい限り。6月13日のこの日記に第一男子寮の閉寮について書いたのを読み、「矢張り懐かしの寮が取壊されるのは、寂しいですね」と書いてきてくれた。1年と数ヶ月しかこの寮にいなかったぼくを覚えていてくれて、メールを寄せてくれたことに感謝。


June 20, 2009 Saturday

第13回ほたる祭りライブ、多くの方々に支えられて無事終了。遠く横浜、東京からきて下さった方々、信州大学で学ぶ韓国からの留学生たち、そして多くの地元のみなさんのご協力に感謝。野間さん、大月さん、そしてエンジニアの石崎さんには、長時間のリハーサルを含め大変お世話になった。

このコンサートに寄せるぼくの思いを、みなさんにどの程度伝えることができたか少々心もとない。短い時間の中にあまりにも多くを詰め込もうとしてしまったような気がする。しかし、ぼくにとっては、いくつかの古い歌の「最発見」を含め、「歌」と出会ったころの初心を思い出すいい機会になったことは確かだ。

長年会いたかったTさんには、コンサートの始まる前に、短時間ではあったがお会いすることができた。立派な紳士になっていたが、笑顔は、ぼくが覚えている第一男子寮にいた頃のTさんの笑顔だった。懐かしかった。







楽しい打ち上げだった。しばらく歓談したあと、歌も飛び出した。野間さんが歌う「仕事は嫌だ、家に帰ろう、妻のいる楽しい家に」という主旨の歌がよかった。その「妻」の志都さんも夫のギターで「酒と涙と男と女」を熱唱。大月さんの「カノン」も大きな喚声を呼び、増澤さん、赤羽(真)さんの歌もよかった。野間さんと一緒にやってきた入江さんが驚いていた。「みんないい歌を書きますね」。

ありがとうございました。


June 19, 2009 Friday

昼前、ブックトーク at 辰野中学校。午後、明日のライブに向けての準備。ピート・シーガーの The Power of Song の前半を見る。明日、みなさんとどのピートの歌を一緒に歌おうか。

夜、オーリアッド。明日のライブのPAの担当してくださる石崎さんが8時ごろ到着。しばらくレナード・コーエンの『ライヴ・イン・ロンドン』のDVDを一緒に見る。彼もそのサウンドを絶賛。「9人編成のバンドなのに実によく調和がとれた抑制されたサウンド。譜面どおりに演奏していて、しっかりした音楽ディレクターのもとでリハーサルを繰り返したはず」とのこと。

いよいよ、ほたる祭りライブは明日ということになった。準備をしたつもりだが、どうなることか。いいコンサートにしたいものである。



June 18, 2009 Thursday

夜、オーリアッド。見慣れない若いふたりのお客さん。ほたるを見にきたのかと聞くと、そうではなく、辰野町の企業に会津若松から研修にきていて、今夜居酒屋での飲み会があり、その帰りとか。昔、猪苗代湖の砂浜で野宿した話をする。この湖には海のような砂浜があって驚いた。70年代初め、長い休みになると、全国を旅して多くの町を訪ねた。その中でもっとも気に入ったところは、会津若松と萩だった。

明後日は「ほたる祭ライブ」。多くのみなさんのご協力のおかげで、今年も盛況になりそうである。まだセットリストが確定していないが、小さい頃からのぼくの音楽や歌との出会いを語りながら、それぞれの時期から「代表的な」歌を何曲か選んで歌ってみたいと思っている。しかし、それを15曲ほどにまとめるのが難しい。

11時過ぎ、帰宅し、ライブのために、ピート・シーガーの The Power of Song を再度見始めたが、眠くてだめ。今夜は早く寝ることにしよう。


June 17, 2009 Wednesday

中学でのブックトーク、病院での定期健診。夜はオーリアッド。その合間をぬって「第13回ほたる祭ライブ」のための準備。最終セットリストが決められないでいる。あれもやりたい、これもやりたい、と考えていると2時間の枠には収まりきらない。そこを何とか金曜日までには決めなければならない。

レナード・コーエンの『ライヴ・イン・ロンドン』のDVDのサンプル盤が午後届いた。オーリアッドへ行く前、全部最初から最後まで見た。ほんとうに素晴らしいコンサートである。百分の一でも千分の一でも、このコンサートのような雰囲気を創り出すことができたらいいのだが。Take This Waltz, Anthem, If It Be Your Will, Suzanne が印象に残った。もちろんすべてよかったのだけれど。このDVDの発売日は6月24日。

暇な夜。土曜日のコンサートに向けての練習。しかし、弾きすぎないように注意しなければいけない。右腕が先週から痛くなり、曲がりづらくなっている。コーエンの言う I ache in the places where I used to play (Tower of Song)の一例か。


June 16, 2009 Tuesday

8時50分から50分間、辰野中学校図書室でブックトーク。司書の先生が、人権に関する本を何冊か紹介したあと、ぼくが、「アメイジング・グレイス」の詩を書いたジョン・ニュートンについて少し語り、「ローザ・パークス」と「I Have a Dream」を歌う。 

そのあとすぐ家に戻り、松本へ。Roger Love のvoice training のCDを久々に聞きながら。やはり Roger Love はいい。午後2コマの授業。DVDを見るためにカーテンを閉めていたが、クラスが終わりカーテンを開けたら、外はかなり暗い。激しい雨が降ったようだ。そういえば雷鳴が聞こえていた。後で知ったのだが、松本では雹が降ったところもあるらしい。

夜、7時半から、オーリアッドで大月さんと練習。いい感じになってきた。「電線の上の一羽の鳥のように」のピアノのイントロがいい。

明日は2回のブックトーク。忙しいけれど、得がたい機会を与えていただいたことに感謝。


June 15, 2009 Monday

もう何年もお会いしたいと思っていた方からメールをいただいた。

土曜日、国際基督教大学第一男子寮の閉寮式に参列したのは、ひとつには、ひょっとしたらその人に会えるかもしれないと思ったからである。彼には会えなかったが、出席していた高校の先輩から、その人は最近、木曽福島に住み始めたとお聞きし、メールアドレスを教えてもらい、昨日メールを打っておいたのである。木曽福島と思っていたら、住んでいるところは飯島町だった。

その人は、1965年4月ぼくが第一男子寮に入寮したときの同室のTさん。当時、寮は各学年一人づつの4人部屋だった。Tさんは4年生だった。熱心なクリスチャンで彼が主宰する聖書研究会にもときどき参加させてもらった。

翌年3月彼は卒業し、ぼくは9月にUCSBに編入した。ICUのことを思い出すたびに、Tさんのことを懐かしく思い出した。シカゴにいると聞いて、手紙を書いたことがある。返事はなかった。もうシカゴには住んでいなかったようだ。数年前、彼が長い間の海外生活を終えて、日本に戻り、某企業の常勤監査役をされているとお聞きし、電話をしたことがある。取り次いでもらえなかった。そのTさんが辰野町のすぐ南の町に住んでいるという。確か新潟県出身のはず。何という驚きだろう。ほたる祭りライブに来て下さるとのこと。本当に懐かしく嬉しい再会。Amazing Grace である。

夜、明日のブックトークのため久々に、「I Have a Dream」と「ローザ・パークス」を歌ってみる。なんとか歌えそうである。


June 14, 2009 Sunday

不思議なタイミングの出会いだった。午前中に昨夜の後片付けのためオーリアッドへいく予定が、疲れていて、起床したのが午前9時過ぎ。その後もうとうと。昼過ぎにはたまらず、ベッドに入り昼寝。結局、今日はやめにして、明日しようといったん決めたが、それでも今日中にしたほうがいいと家人と家を出たのが3時半。オーリアッドに近づくと、大きな白い車が止まっていて、外の掲示板を見ている男の人の背中が見える。外国人のよう。

車から下り、近づくと、彼は振り向いて、"Hello, Miura-san"と話しかけてきた。ジョン・Kがアップしたぼくのインタビューと I Have a Dream のYouTube を見たとのこと。松本に住むニュージーランド人で、出身は北島のネイピアとのこと。日本人の奥さんと6歳の娘さんも一緒だった。

中に入ってもらって、しばらく話す。諏訪大社へ行ってきた帰りとのことで、神道とユダヤ教には共通点が多く、興味がつきないと言う。前にもそんな説を唱える人と話したことがある。一神教と自然崇拝の多神教とは根本的に違うと思うが、彼の話には、そうかもしれないと思わせるものがある。

もう少し話していたかったが、夜、区の委員会があるため、彼が好きだという Bird on the Wire を日本語で歌ってお別れする。また是非会いに来てほしいもの。急いで食器を洗い、家に戻り、夕食後、区の委員会へ。

芍薬の3番目の蕾も開いた。実に鮮やかな色。ソフィーとフィービーも元気である。最近は外に出て遊ぶのが好きだ。





June 13, 2009 Saturday

かつて1年3ヶ月住んだ国際基督教大学第一男子寮が今月末に閉鎖され、7月に解体されるとのことで、現役の寮生がOBに呼びかけ、閉寮式とパーティが開かれた。正門でタクシーを降り、キャンパスに続く長い道を歩く。懐かしさが押し寄せてくる。会の開かれるアラムナイ・ハウスで受付をすませ、第一男子寮へ。キャンパス全体が狭くなったと感じるのは、大木に成長した立木と、いくつもの新しい建物のせいか。

第一男子寮の外観には見覚えがあった。壁の色が同じだったか記憶にない。もう少し黒っぽかったような気もする。中に入ってみた。かなり乱雑である。風呂場へも行ってみた。木曜日の夜、この更衣室に一年生が集まって翌日のリーディング・テストのために勉強したことを思い出す。2つの寮が解体され、7階建ての鉄筋コンクリートの寮が建つとのこと。第一男子寮の建物を残し、内部を改装して、寮としてではなく、他の目的に使えなかったのかと、ふと思う。






現学長、そしてかつての寮のアドヴァイザーの先生方のスピーチ(中にひとつ too long のスピーチあり)の後、パーティ。何人もの懐かしい先輩、後輩、同期生に会う。同期生の何人かを除いては、40数年ぶりに会う人ばかり。名札を見て初めて誰とわかる。どこかでお会いした存在感のある人がいると思っていたら、最後の最後に思い出した。数年前、白馬童子さんと一緒にオーリアッドに来たことのある馬場さんだった。声をかけると、彼もどこかで会った奴がいると思っていたとのこと。

                      ■

6時前に帰宅し、オーリアッドへ。今日はオーリアッド再開後6周年の記念日。またオーリアッドを陰で支えてくれた家人の○回目の誕生日(also known as 還暦)を記念するオープン・マイク。

今日の初登場は、飯島の大島さん。そして大島さんの音楽仲間、塩尻の笠原さん。三線と唄。三線のゆったりとしたおおらかな音色がオーリアッドを満たす。「安里屋ユンタ」「十九の春」など。大工さんを思い出した。祖山さん、尺八の演奏。「小諸馬子唄」「月の砂漠」など。藤森さん、今夜は「チェインジ」から。赤羽(真)さん、「人生の海の嵐に」。「千両梨の実」は大月さんのサポートで。大月さん、自作のまだタイトルのない曲と「カノン」。「ブラボー!」とのかけ声。ぼくが、家人の○歳の誕生日を記念して久々に「薫子」。そして原田さんをサポートして「キリストには代えられません」。








今夜のオープンマイクで特筆すべきはドクター矢島が辰野町の姉妹都市ワイトモ・ディストリクト(New Zealand) の若者を連れてきてくれたこと。一言挨拶をしてもらう。名前はジョナサンで、弟のネイサン (Nathan) は数年前、日本語のスピーチコンテストに優勝して、そのご褒美として、辰野を訪問したらしい。ドクター矢島いわく、「ネーサンのニーサンがジョナサンです」。

最後に家人がお礼の挨拶。そしてぼくと Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot? をデュエット。最後に赤羽(真)さんに加わってもらい、大月さんにピアノをお願いし、みなさんと一緒に「アメイジング・グレイス」。

その後、レナード・コーエンの『ライヴ・イン・ロンドン』を聞きながら、そしてスパークリングワインを飲みながら、しばし歓談。多くの方々のご協力に感謝。明日からオーリアッドの7年目が始まる。



June 12, 2009 Friday

快晴。昨日小雨の中を歩いたとき、小さな白い花をつけた潅木を見つけた。今まで見たことのない木である。今日、早速写真を撮った。ぐるっと回ってきて家の芍薬の写真を撮る。2つ目の花も大きく開いたが、3つめは蕾のまま。東側の生垣の近くに咲いていた黄色い花が鮮やか。



午後、昨日届いたヴォイス・トレーニングの本を参考に声を出してみる。ちょっと期待はずれ。この種の本で看板に偽りのなかったのは Roger Love の本。それにCD。DVD も取り寄せたが、今は行方知れず。

6時過ぎ、ニュージーランドに住む次男から電話。今日は家人の○回目の誕生日。オーリアッドに行っているというと、電話を切る前に「レナード・コーエンのDVDを買ったよ」とのこと。このOREAD Diary を読んで興味をもったようだ。リンはコーエンのアルバムを一枚もっているが、今度のほうが断然いいと言っていたとのこと。次男も気に入ったようだ。日本語字幕入りのDVD『レナード・コーエン/ライヴ・イン・ロンドン』は6月24日発売予定。

しばらくして家人より電話。高校の先輩がきているとのこと。早速オーリアッドへ。家人と交替。忙しい夜。11時過ぎ帰宅。



June 11, 2009 Thursday

朝起きたら、小雨が降っている。歩くかどうか迷ったが、帽子をかぶって村の中を一回り。そのあと予習をして松本へ。コーエンの「テイク・ディス・ワルツ」を繰り返し聞きながら行く。『ライヴ・イン・ロンドン』disc 2, track 6。1回の演奏時間、8分37秒。6回聞き終わったところでキャンパスに到着。頭の中に「テイク・ディス・ワルツ」のリズムとメロディーが渦巻いている。

この歌の原詩はスペインの詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカの「リトル・ウインナ・ワルツ」(Little Viennese Waltz)。コーエンがこの詩を自由に訳して曲をつけた。対訳の際は、ロルカの原詩に大いに助けられた。いずれにしろ、この歌は、ロルカとコーエンとウエブ・シスターズ、そして卓越したミュージシャンたちのコラボレーション。比類のない美しさ。

ロルカの原詩とコーエンの「テイク・ディス・ワルツ」の対比は次のURLから。
http://www.webheights.net/speakingcohen/waltz.htm

このアルバム、あるいはこのツアーで歌われているものではないが、次のURLで「テイク・ディス・ワルツ」の素晴らしさを感じることができる。コーエンが凄く若くみえる。60歳ごろのコンサートだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=2sZzJAxfD-4&feature=related





上記の写真を見ると、オークランドでの3日間が思い出される。あのときからほぼ2ヶ月が経った。2ヶ月経っても興奮が続いている。そんなコンサートを他に体験したことはない。

午後2コマのクラス。帰りには雨は上がり、青空。新緑が雨に洗われて輝いている。山麓線を途中でおり、国道19号線へ。

7時過ぎオーリアッドへ。ジブランの会。そのあと、多くのお客さん。ウイークデイにしては忙しい日。レナード・コーエンのあと、お客さんのリクエストでビートルズの「1」を聞く。うーむ。レナードもいいがビートルズも凄い。なんといってもそのリズム感。



June 10, 2009 Wednesday

朝起きて芍薬を見に行くのが楽しみになった。2つ目の蕾が開き始めた。確かに鮮やかな色だ、芍薬は。下の写真(右)は先日Hさんに株分けしてあげた「ミヤコワスレ」。芍薬とは対照的に淡い紫色をした可憐な花。



午後しばらく歌の練習をしたあと午睡。3時間近くも寝てしまった。7時過ぎオーリアッドに入り、家人と交替。スピーカーからはレナード・コーエンの『ライヴ・イン・ロンドン』。何度聞いても感動する。こんなアルバムが他にあっただろうか。

遅くに原田さん。将棋を一局。最後、原田さんが「そうしたら負けるよ。ここにこれを打てばいい」とぼくの飛車を自らの王の後に置く。完全にぼくの負け。

今日から梅雨入りとのこと。朝から曇っていたが、夜になって降りだした。3年前の豪雨はこりごりだが、恵みの雨。稲や野菜にとっても、草や木にも。そして生き物たちにとっても。


June 9, 2009 Tuesday

朝、ぐるりと村を回り、それから山へ上る。それが日課になった。そのあと、今日のクラスのための準備。そして昼前、松本へ。クラスが午後なので、午前中ゆとりがあるのはありがたい。

夜、大月さんとほたる祭りライブにむけて練習。「ボブ・ディランに捧げる歌」が感じよくなってきた。まだ最終的なセットリストは決まっていないが、昨年とは一味違ったコンサートになりそう。

練習中に、Oさんから電話。一年前ソニーミュージックを定年退職された洋楽のディレクター。レナード・コーエンの「ライヴ・イン・ロンドン」に感激したという電話だった。数年前、コーエンの最初の3枚が紙ジャケで復刻されたとき、対訳をさせていただいたが、そのときの担当がOさんだった。この企画は、コーエン側の希望によって、この3枚で終わってしまった。このときにライナー用のエッセイを書かせてもらった。コーエンについて、特に「スザンヌ」と「バード・オン・ザ・ワイヤー」について深く考えるいい機会になった。感謝。

中学校でのブックトークのスケジュールが決まってきた。来週、ほたる祭りライブの直前の4日間。松本へ行く日もあるので、忙しいが、ライブにむけていい刺激になると思う。


June 8, 2009 Monday

今朝は少々血圧が高く、ウォーキングに出かけるか迷ったが、運動したほうがいいだろうとゆっくりと歩くことに。旧道に下り、昨日写真を撮らせていただいたお宅へ写真を届けて歩く。夕方、Hさんが、イチリンソウの株を鉢に入れてもってきて下さった。ありがたいことである。わが家の庭の隅に咲いているミヤコワスレを見て、欲しいと言われるので、早速シャベルで掘り起こし、数株をお返しに。

そうそう、芍薬が今朝さらに大きく開き、ふたつ目のつぼみも膨らんできた。3つが咲きそろったら綺麗だろう。

午後、血圧はいつもの数値に戻る。昼寝のあと、コンサートのための練習。夕方、下水処理施設関係の書類を何軒かの家に配る。いつもなら車か自転車に乗っていくが、歩くことに。夕暮れの淡い光の中、ウォーキングシューズをはき、Tシャツ一枚で歩く。暑からず寒からず、いい季節である。

夜は明日の授業の準備を少々。



June 7, 2009 Sunday


朝7時、いつものウォーキングへ。先ず村の旧道を歩き、何軒かの庭先の花の写真を取らせてもらう。





下段右の写真は、わが家の芍薬。3年前に小さな苗を買ってきて植えておいたのだが、ようやく今年3つの蕾をつけた。そのうちのひとつが昨日、少し開き、今日は大きく咲いた。「立てば芍薬、すわれば牡丹・・・」、確かに綺麗な花だ。下段左は、この花が咲いていた家の人によれば、イチリンソウ(一輪草)という名前らしい。可憐な花である。株を分けてもらうことになった。

村をぐるっと回ったあと、イノシシよけの電柵を乗り越えて山道を途中まで登り、引き返す。朝食後、下水処理施設の敷地の草刈に役員として出かける。1時間半ばかりの作業。今日は午前中かなり歩いたことになる。

午後は家人に促され、和室と廊下の整理の続き。ようやくきれいになってきた。夕方、畑に出てイチゴを採る。2週間前の日曜日、出かけている間に猿がきて赤くなったイチゴを全部食べてしまった。それで、近所のおじさんの助けを借りて猿よけのネットを張った。ようやく数日前から赤くなりはじめた。その後猿はきていない。



10時過ぎ、外に出てみると南の空に満月。Strawberry Moon!




June 6, 2009 Saturday

今日は久しぶりの family-oriented open mike。最初に入ってきたのは藤森さんと愛音ちゃん。愛音ちゃんはお兄ちゃんたちからボウリングに誘われたが、オーリアッドのほうがいいとやってきたとのこと。「ふるさと」と「犬のおまわりさん」を歌ってくれた。長い歌なのに歌詞をしっかり覚えている。 藤森さん、愛音ちゃんのことを歌った「愛音」「小さな幸せ」など。k. miura さん、Amazing Grace と Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot? 大月さん、まだ題名のついていないオリジナル曲。ゆったりとした soothing melody。そして「カノン」。ぼくが大月さんのサポートで「ボブ・ディランに捧げる歌」「祈りの歌」など。赤羽さん、賛美歌、そして「千両梨の実」。







オーリアッドのメニューに加えられたスパークリングワインを飲みながら、しばし歓談。各自の歌にまつわる思い出や抱負など。誰もがさまざまな制約のなかで音楽を続けている。是非続けてもらいたいもの。

家に戻ると、満月に近い月が南の空に。6月の満月は8日の午前3時11分ごろとのこと。6月の満月は英語では、strawberry moon。分かりやすい。イチゴの実が赤くなる頃。




June 5, Friday 2009

朝、いつものウォークに出かけようと外に出ると、ぱらぱらと降り始めた。気にせず、ショートコースを回る。最後に、山の登り口に自生している山椒の葉を5枚ほどとって家にもどる。朝食後、雨が本格的に降り始め、外の仕事ができない。そこで家人に促され、部屋の整理。とりあえず避難させた本やCDや書類などが散乱している客間の整理。不要なものはナイロンの袋へ入れ、必要なものは箱にいれ、すでに飽和状態のぼくの部屋へ戻す。元の木阿弥。

6時からオーリアッド。開店後しばらくして、初めてのお客さんがふたり。骨董屋さんとのこと。大学教授風の風貌をした年配の方がフレンドリーで、いろいろ話してくれる。若いころは東京でカメラマンをしていたとのこと。

10時過ぎ大月さんが、練習のためにやってくる。お客さんがいたのでちょっと待ってもらったが、10時半からお客さんの了承を得て、練習開始。最初に、「ボブ・ディランに捧げる歌」。大月さんには初めての歌だが、コードを確認し、すぐに合わせてくれる。いい感じである。お客さんからのリクエストで「カムサハムニダ、イ・スヒョン」「私は風の声を聞いた」なども歌う。

「私は風の声を聞いた」はレナード・コーエンの「アンセム」に通じるところがあると勝手に思っている。今までとは違う感じにしたいと思っているが、さてどうなるか。ウェブ・シスターズのような女性コーラスが入ればいいが、それは難しい。

12時過ぎ家に戻る。もう一度、オバマ氏のカイロ大学でのスピーチを聞く。彼の勇気、オネスティ、バリトンの説得力ある声、深い知識。どれをとっても awe-inspiring。演説の途中で、聴衆から "We love you." の声が飛ぶ。前任者がイラクで演説したときは靴が飛んだ。



June 4, Thursday 2009


もうあれから20年が経ったとは思えない。でも、やはり20年が経ったのだ。20年前の今日、寝転んでニュースを見ていたら、戦車の前に立ちはだかる若者の姿が飛び込んできた。思わずソファの前に正座して見た。あのとき43歳。信州に戻ってから歌をやめていたが、あの映像を見て、もう一度歌う決心をした。http://www.youtube.com/watch?v=O4xtkpO7ZqU

戦車を止めようとした若者の消息は今もわからない。戦車を操縦していた兵士はどうしているだろう。彼はこの若者の制止を無視して直進することもできた。でも彼はそうしなかった。

あれから20年後の今日、アメリカの若い大統領がエジプトのカイロ大学でスピーチを行い、イスラエルとパレスティナの、そしてアラブ世界とアメリカの和解、新しい出発を訴えた。長い歴史をもつ紛争が一回のスピーチで解決するとは思えないが、彼のスピーチには、大統領選で実証されたように、人々を動かす力がある。少しでも中東の紛争がよい方向に向かうことを願わずにはいられない。
http://edition.cnn.com/2009/POLITICS/06/04/egypt.obama.speech/index.html?iref=topnews#cnnSTCVideo

1989年6月から過去に20年遡った1969年6月、ぼくは23歳、サンタバーバラに住んでいた。7月、何人かの友人とタサハラの禅センターへ行った。その帰り、ビッグサーのキャンプ場に一晩泊まった。そのとき、海岸の大きな岩にすわり、日本に帰って何をしたいか自問した。いくつかの可能性、選択肢があった。結論は歌うことだった。その年の秋、京都に移り住み、71年から小さな音楽事務所に属し、人前で歌い始めた。

20年後の2029年6月、ぼくは83歳になっている。その時まで生きているかどうか分からない。でも生きていたら、そしてギターを弾くことができたら、歌っていたいと思う。そのときまで、歌うだけでなく、歌を書くことができる感受性を、感動する心を、持ち続けていることができたらいいのだが。

音楽的才能のまったくないぼくに、歌い続けさせてくれたは、あの若者の勇気。I can't thank him enough. 感謝してもしきれない。

遅くなって歌の練習。Dance Me to the End of Love.


June 3, Wednesday 2009

今朝も昨日とほぼ同じコースと距離を歩く。まだ3日しか歩いてないが、階段を上るのが楽になった。少しは筋肉がついたかも。朝食後、畑と庭の周りの草を刈り、そのあと芝刈り。剪定した枝の整理も含めて、最終的に終わったのは、昼食を挟んで、2時過ぎ。その間、汗をかき、2度Tシャツを変えた。けっこうな運動量だ。

6時からオーリアッド。レナード・コーエンの1973年にリリースされたライヴ盤『ライヴ・ソングス』を聞く。ぼくの知っているコーエンがそこにいた。例えば「ナンシー」。「聞きながら手首を切るのにいい音楽」の典型。この雰囲気こそコーエンそのもの。Godfather of Gloom の面目躍如といったところ。

一週間前にリリースされた『ライヴ・イン・ロンドン』にはうつ病から抜け出した陽気なコーエンがいる。「喜び」がアルバムに充満している。「陽気なコーエン」という表現は形容矛盾だと思う人がいるかもしれない。しかし、ただ陽気で明るいだけではない。「明るさ」が更に闇を際立たせている。

そして、このアルバムに関していえば、何といっても、コーエンを支えるバンドが素晴らしい。ライヴ盤とは思えぬ緻密で無駄のない演奏。今夜もまた Take This Waltz を何度か聞く。なんという素晴らしい詩とメロディと演奏。

遅くなって歌の練習。「ボブ・ディランに捧げる歌」「私は風の声を聞いた」。


June 2, Tuesday 2009

今朝は7時過ぎ、旧道へ下りて北へ進み、村をぐるっと回ってから、裏山を中腹まで上った。やはり平らな道路を歩くのは楽だ。最初から山に上るより、平地を歩いてから上るほうが、上りやすい。長く続けるにはこのほうがいいかもしれない。

松本へ。午後2コマのクラス。最初のクラスで、久々に Field of Dreams の冒頭のケビン・コスナーのモノローグを使った。これは英語のリズムを身に付けるために極めて有用である。2つめのクラスでは Dance Me to the End of Love を歌う。We are both of us beneath our love, both of us above の一行は歌いづらいが、ここが歌えるとこの歌はそれほど難しくない。

マーク・Bと話す。彼の友人が書いた本を一緒に訳さないかとの申し出。ありがたいが、実物を見てからでないと決められない。


June 1, Monday 2009





朝6時半、ウオーキング・シューズをはき、裏山へ上る。新緑がきれだった。名も無い小さな花がいくつも咲いていた。

もう15年ほど前になるだろうか、一年間、ほぼ毎日この裏山を走った。下峠から山の神様までは曲がりくねった急な坂道で、そのあとは、ゆるやかな狭い上り坂が上峠と合流するところまで続く。それからほぼ平坦な広い道が尾根に沿って走っている。その道の終わるところまで走り、折り返し、帰りは上峠を下って家に戻った。最初のうちは山の神様まで歩いて、そこから走ったが、すぐに、全コース走るようになった。体調もすこぶるよかった。しかし、ドッヂボールをしていて足首を捻挫して走れなくなった。スイミングを始めたのはその頃。

もう全コース走ることは期待できないが、山の神様までなら歩くことはできる。できるだけ毎日歩いてみようと思う。

昼前、6月24日発売予定の Leonard Cohen Live in London の DVDR が届く。何回かにわけて見た。CDだけでも、コーエンのうつ病が治ったということは彼の言葉から、そして全体の雰囲気から、伝わってくる。しかし、DVDを見るとそのことは一目瞭然。彼のくったくのない笑顔が随所に見られる。特に歌い終わったあとのはにかんだ笑顔が素敵だ。生まれたばかりの赤ちゃんのよう。誰かの笑顔に似ていると思ったら、かつてお世話になった柴山老師の笑顔だった。

このアルバムの中の歌はどれも素晴らしい。その中でも「アンセム」「テイク・ディス・ワルツ」「イフ・イット・ビー・ユア・ウイル」が好きだ。どれか一曲と言われたら、「テイク・ディス・ワルツ」を選ぶだろう。

夜になって明日のクラスの準備を始めたが、眠くて集中できない。明日の朝ということにしよう。


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