December 1〜December 31, 2006



December 31, Sunday 2006

大晦日。ここ数日、家中の掃除。今日の午後はリビング。乱雑に床に積み上げられたCDやビデオや本を元に戻し、使えなくなったオーディオ機器などを整理。ずっと昔ラジオ大阪で番組をもっていたとき、オーディオに詳しいスタッフに日本橋まで連れていってもらい、Lux のアンプとカセットデッキを購入した。それらも物置へ。長い間お世話になった。

掃除をするとソフィーとフィビーが喜んで走り回る。邪魔になることこの上ない。夜彼らは疲れてぐったり。

信州では大晦日に「お年取り」と称するご馳走を食べる。家族いっせいの合同誕生パーティー。年が明けるとみんな一歳年をとる。今日は、昨日帰省した長男を含め三人でお年取り。途中、NZ在住の次男から電話が入る。今年も何とかみな無事に年を越せそうである。

ソフィーとフィービーがわが家にやってきてから5週間。大きくなった。夜久々に彼らの写真を撮った。




彼らがきてからまだ5週間。だが、ずっとわが家にいたかのよう。一年を振り返ってみれば、今年も悲喜こもごもいろいろあった。嬉しかったことの上位に、ソフィーとフィービーがきたことがくる。

この一年、いろいろお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。月並みではありますが、2007年がよい年でありますように。

最初の飛び入りライブデイは1月6日(土)です。



December 30, Saturday 2006

カーリー・サイモンのInto White を聞く。白状すれば、名前はよく知っていたが、彼女の音楽はまったく知らなかった。彼女の私生活についてはなおさら知らなかった。

リヴィングストン・テイラーの Unsolicited Material (『持込音源』)を訳す際、彼女がかつてリヴィングストンの兄、ジェイムズの妻であり、結婚前も離婚後もリヴィングストンとは親しい友だちだと知った。

リヴィングストンの上記のアルバムに収められている Over the Rainbow をカーリーもこの新しいアルバムで歌っている。そればかりでなく、Oh! Susanna, Jamaica Farewell, You Are My Sunshine, I Gave My Love a Cherry, Scarborough Fair, Hush Little Baby/My Bonnie など、昔懐かしい歌をたくさん歌っている。

スプリングスティーンの The Seeger Sessions もそうだった。アメリカでは古い昔の歌が見直されているのだろうか。

ぼく自身、今、日本の昔の童謡や昔の歌に興味をもっている。「みかんの花咲く丘」「ふるさと」「月の砂漠」など、いい歌がたくさんある。折りにつけて、これらの歌を歌っていきたいと思っている。

過去のカーリ・サイモンのアルバムに関しては何もわからない。でもこの Into White は好きだ。


December 28, Thursday 2006

2006年、オーリアッド営業最終日。

開店と同時に、赤羽真理さんと彼の同僚たち。しばらくして大月高志さん。英語教室から戻ると、さらに多くの人々。水野哲男さんもいる。

続けてではないが、大月さんの「カノン」、赤羽さんの「千両梨の実」、水野さんの「君の声が聞こえない」を聞く。そして遅くなって、ぼくが「メドレー」を歌い、そして最後に、もう何年も前、ぼくのクラスにいたKさんと All My Loving を歌って終了。

後片付けをすませ外に出ると、一面雪景色。天気予報では日本海側は大雪とのことだったが、いよいよきた。


December 27, Wednesday 2006

先週、金土と休業したので、ほぼ一週間ぶりのオーリアッド。今晩はためらわず、Songs of Leonard Cohen を聞く。続いて Songs from a Room を。前者では Suzanne、後者では Bird on the Wire がぼくのお気に入り。

この2曲はよく聞くが、アルバムを通して聞くことは最近なかった。通して聞いてみて、1st album では、So Long Marianne やHey That's No Way to Say Goodbye、2nd album では、The Partisan や Story of Isaac のような懐かしい歌があった。しかしやはり上述の2曲が秀逸。

レナード・コーエンの声は昔から低くて渋いと思っていた。改めて聞きなおし、「声が若い!」と思った。現在の彼の声と比較してのことだが。彼は1934年生まれだから、1968年に Songs of Leonard Cohen がリリースされたとき、33歳か34歳だった。今から40年近くも前のこと。声の変化は当然である。不思議なことに、彼の声は、年をとるにつれて衰えるどころか、上質のワインのように熟成している。換言すれば、イデアとしてのコーエンの声に、年とともに近づいている。そう、レナード・コーエンの歌は、言葉とともに声だ。

クリス・クリストファーソンは、Bird on the Wire の最初の3行を自分の墓碑銘にしたいと語ったといわれている。そう言われてみると、ぼくの墓碑銘にもよさそうだ。

  Like a bird on the wire
  Like a drunk in a midnight choir
  I have tried in my way to be free

  電線の上の一羽の鳥のように
  真夜中の聖歌隊の酔っ払いのように
  私は私なりのやり方で自由になろうとした

来年はレナード・コーエンと共に楽しみ、そして苦しむ年になりそうだ。

遅くなって、お客さんから今年の聞き収めに「千の風」を歌ってほしいとリクエストされる。先日マンダラ2で初めて歌った「メドレー」(ショートヴァージョン)と「千の風」を歌う。


December 26, Tuesday 2006

今外では激しい雨が降っている。校正は夕方までかかったが、終了。いつも思うのだが、万全を期して訳したつもりでも、誤訳があったり、訳抜けがあったり、直さなければいけないところがあるものだ。それに最初に訳したとき、苦労して何とか日本語に置き換えたものの中には、校正の段階で、再度、ああでもないこうでもないと考え始め、やたらと時間が経ってしまうものもある。

インターネットの時代になって、校正の時間が与えられ本当にありがたい。LPレコードの時代は、原稿用紙に訳を書き、郵送したら、次にその訳を見るのはアルバムがリリースされてからであった。

今はインターネットでファイルを送り、それがそのまま入力されるから問題ないが、当時は、誤訳に加えて、ぼくの悪筆が読み間違えられて印刷されてしまったケースも何度かあった。

京都に住んでいたころ、70年代後半、郵送では間に合わず、担当者と静岡駅で落ち合い、プラットフォームで原稿をお渡ししたことがあった。先日東京でその担当者にお会いした。懐かしい思い出である。

さて気がついてみたら、2006年も残すところあとわずか。先ず机の上の整理から始めようか。


December 25, Monday 2006 





昨日写真を送ってくださったSさんから、今日さらに写真が何枚か送られてきた。「光のトンネル」の写真は圧巻である。その他の写真は後日まとめてアップしたいと思っている。

午後、南箕輪へ。代講の授業。帰りに千先生の研究室へ。髪を短くして、はつらつと元気そうだった。

疲れているが、今夜はこれから Johnny Cash at San Quentin (Legacy Edition)の最終の校正。締め切りは明日。


December 24, Sunday 2006

この写真は松本のSさんが今朝送ってくれたもの。昨夜ご主人と国営アルプスあづみの公園へイルミーネーションを見に行き、ぼくの歌も聞いてくれたようである。5時半に家を出て、豊科で一般道に入ったが、渋滞でなかなか進めなかったとのこと。

凄い渋滞で本当にたどり着けるのかと不安でしたが、何とか駐車場に入れたのが6時半でした。光のトンネルの先の池でちょうど花火が上がる時間だったようでそれを見ることが出来ました」と書かれていた。花火は7時からの予定が、昨夜はなぜか6時45分からに変更された。丁度いいときに駐車場に着いたことになる。

ぼくはホールの中にいて花火が見えなかったし、この
楽器のイルミネーションも見なかった。ぼくは入り口と森の音楽会の行われるホールの間しか歩かなかったが、おそらく広い公園のどこかにあったのだろう。時間があればぐるっと一回りしてみたかった。

今朝は疲れていて仕事にならなかったが、午後から少しづつ再開。火曜日締め切りの校正。それに先週から引き受けた1月までの代講の授業の準備。明日が冬休み前最後のクラス。

ニュージーランドの高校へ3ヶ月勉強に行き、今朝戻ったという女子高生がお父さんと一緒に訪ねてくれた。彼女の明るい生き生きとした顔が、実り多い3ヶ月だったことを語っている。本当に自分のやりたいことに向って努力している人を見るのは嬉しいものである。この3ヶ月はトライアル期間であったが、彼女はおそらく来年またニュージーランドへ戻ることになるだろう。


December 23, Saturday 2006

昨日は、第13回年末ライブ at マンダラ2。多くの方々の協力をえて、いいコンサートになった。前半は野間義男さんに、後半は野間さんと太田裕士さんにサポートをお願いした。前半のハイライトは I Have a Dream で、後半はジョニー・キャッシュのサンクエンティンのライブ盤からヒントを得たメドレー。両方ともに、多くの方々から好意的な反応が届いた。

ありがたいことに、舟木一夫さんのファンの方が何人かきてくださった。それに、Trust nobody over 30. の話題のところで、「今日は30前の人はいないでしょうね」という言葉に対して、いくつかの手が上がった。そのうちの一人は、高校の後輩で21歳の大学生だった。あとで話しにきてくれた。何年か前に新聞でぼくのことを知り、一度聞いてみたいと思っていたとのこと。

そうそうヨン先生を通して知り合い、オーリアッドのほたる祭りライブにもきてくれたことのあるM君も来てくれた。4月から東京で働いているとのこと。

そのほかにも何人か若者がきてくれた。おかげで今年は、三浦久年末ライブ参加者の平均年齢が例年になく低かったように思う。



今日は午後、東京から戻り、安曇野市の国営アルプスあずみの公園へ。高速道路を降りて公園へ向うが、公園に近づくにつれて、渋滞で車が動かない。すべての車がこの公園を目指しているかのよう。

仕方なしに妻に運転をまかせ、ぼくと太田さんは歩くことに。2キロほど歩く。歩き始めたときは寒かったが、到着したときはぽかぽか。会場に入るときれいなイルミネーションが目に飛び込んできた。妻は一時間後にようやく到着。ゴスペル、オカリナ、ハーモニカ、シンセサイザーなどの演奏のあと、30分ほど歌った。みなさん熱心に聞いてくださった。




かなりの強行軍で疲れたが、いくつもの出会いのあった有意義な2日間だった。


December 21, Thursday 2006


冬休み前、最後の松本。夕方戻り、しばらく休んでオーリアッドへ。着いたときには、歌声喫茶が始まっていた。いつも思うのだが、歌声喫茶に集まってくる人たちは実にいい声をしている。歌が上手い。歌うことが好きだということが伝わってくる。今日は町の有線放送の取材もあったようである。

英語教室から戻ると会は終っていて、役員の方々が歓談していた。ぼくは、挨拶をしただけで、家に帰る。明日のマンダラ2でのライブの準備のため。


December 20, Wedesday 2006

土曜日以後毎日、22日のマンダラ2に向けての練習にきていたので久しぶりな気がしない。営業としては土曜日以後初めて。

今日は数名の予約が入っていた。この町に住む舟木さんのファンのMさんと彼女のお友だち。会食が一段落したあと、「宝福寺にて」をリクエストされた。「その人がこの町に嫁いできたころ」「千の風」、そした最後に「宝福寺にて」を歌わせていただいた。

連日の練習、それに急遽入った仕事ゆえに、身体が疲れているのがわかる。今夜は10時に閉店し家にもどることに。明日は一日松本。夜は英語教室。うーむ、あまり時間が残されていない。何とかなるだろう、と言い聞かせて、寝ることにしよう。



December 18, Monday 2006

昨夜遅く諏訪から戻るとき、小雪が舞っていた。今朝起きると、あたり一面うっすらと積もっている。いよいよ本格的な冬の始まりである。

午後伊那へでかけた。帰途、新雪におおわれた仙丈の山頂に夕陽があたり、えもいわれぬ美しさ。カメラをもっていなかったのが悔やまれる。

マンダラ2でのライブが近づいてきた。先週は忙しかったり、体調を崩したり、あまり準備ができなかった。今晩、久しぶりに太田裕士さんと練習。今まで一緒にやってきた歌をさっとおさらいしたあと、「宝福寺にて」「門」の2曲の練習。いい感じである。

ソフィーとフィービーのアルバムをチェックしたら 1000 views を超えていた。ぼくの他のアルバムと比べると驚異的なスピード。世界中のネコキチたちが撮った写真を見たい方は、このサイトへいき、右側のフレームの categories の This album is filed in .. の下の cats をクリックしてください。


December 16, Saturday 2006

今年最後の飛び入りライブ。めずらしい顔ぶれが揃い、大いに盛り上がった。最初にぼくが、いくつかの歌をメドレーで歌ったあと、赤羽孝昌さんがアカペラで The Water Is Wide の日本語ヴァージョンなど。以前より歌い方が安定している。簡単なギターのコードを覚えれば、弾き語ることができる。続いて、マーヴィ増沢、名曲「ミンゴスのママへ」など。ダニエル・ジリッグ、ギターを膝に乗せてのスライドギターがシブイ。

香さん、アカペラで意表をついて「津軽追分」など。赤羽真理さん、今日はなんといっても1曲目の「人生の海の嵐に」。完全に自分のペースで歌う術(すべ)を身につけたようだ。前半最後は、田中創さん。「東京」。歌い終わったあと、客席の一角から大喚声。しばらく拍手がなり止まない。





10分の休憩のあと、たまたま同席、再会した「香月!」の3人のメンバーが9ヶ月ぶりに演奏。「桜秋」「誕生」の2曲。懐かしい歌声、懐かしい歌。そのあと、ぼくがいくつかの歌をメドレーで。そのあとダニエルが、田中・春日ユニットのサポートで Happy Christmas 。

続いて赤羽真理さん、大月さんのサポートで「千両梨の実」。歌も、ピアノもよかった。大月さんのピアノソロのあと、ダニエル・春日ユニットのサポートで、田中さんが Nobody Knows You When You're Down and Out と Sweet Home Chicagoを歌い、2006年最後の飛び入りライブ終了。






その後しばし歓談。

              ■

今年一年、多くの歌い手が飛び入りライブに参加してくれた。「歌に魅せられた魂たち」の歌声に耳を傾けることのできる幸せを何度も味わった。舞台慣れしたプロのコンサートよりも、飛び入りライブのアマチュアの演奏のほうがいいと思ったことも再三ある(プロとアマチュアの定義はさておき)。

ぼく個人にとっては、今年は、歌うときの声の重要性に気づかされた年であった。30年前にこのことを知っていたらと悔やまれるが、never too late 、遅すぎるということはない。それに気づいたきっかけは ryu のCDだが、オーリアッドで歌ってくれた歌い手たちの「声」からも多くを学ばせてもらった。

今年気づいたもうひとつのことは、歌を書くという行為と聴衆の前で歌うという行為の違いである。歌を書くという行為は孤独な作業である。また自分の歌を山に向って歌う行為も孤独な作業である。山に向って歌ったり、仲間と自分の部屋で歌ったりするなら、どのように歌ってもかまわない。しかし、お金を払って、それが一杯のコーヒーであったとしても、聞きにきてくれた人たちの前で歌うときは、迎合する必要はないが、聴衆に伝えようとする姿勢、努力が必要である。

おぼろげに感じていたこのことが明確になったのは、リヴィングストン・テイラーの言葉を読んだとき。以前にも引用したが、もう一度ここに引用しよう。

  君がステージに立つただ一つの理由は、聴衆がいるからであ
  る。君の音楽は何の意味も持たない。それが意味を持つのは
  君の音楽が聴衆の心に到達したときだけである。

心の中には、この言葉に対する反論もある。聴衆の心に到達しなければ音楽に意味がないならば、ぼくは絶望するしかない。100人の聴衆がいたとして、100人の心に到達するのは無理だ。1万人の心に届く歌のほうが一人の心に届く歌より意味があるのか。そもそも「心に到達する」とはどういう意味なのか。様々な反論が浮かぶ。

それでもなお、リヴの言葉の意味はぼくには明確である。それは、聴衆を無視して演奏するのではなく、聴衆に敬意を表し、彼らに伝えようとする姿勢、努力が必要だということ。先日見た彼のコンサートはまさにその実証だった。

プロでもアマチュアでも完璧な人はいない。常に進歩の過程にある。オーリアッドの飛び入りライブに歌いにくる人たちの中で進歩したと感じる人たちに共通しているのは、他のミュージシャンの演奏に謙虚に耳を傾ける姿勢である。

2007年の最初の飛び入りライブは1月6日です。


December 15, Friday 2006



後半忙しい日だった。カウンターにおいてあるこの2枚の写真をもう何人もの人に上げた。今日も、某印刷会社の社長さんが興味津々といった面持ちで見ていたので、差し上げることに。彼が言うには、この写真をビルの壁一面の大きさに印刷することもできるとのこと。もしこの写真がビルの壁面を飾ったら、道行く人々も、少しは柔らかい気持ちになれるのではなかろうか。

落ち込んでいても、この写真を眺めると、ニンマリとしてしまう。小さなことにこだわっていても仕方ないと思えてくる。わが家のソフィーとフィービーの写真を見た上西(保幸)君が送ってくれた写真。名前はミクロ。大阪にある彼のデザイン事務所のスタッフが生まれたばかりの子猫を拾ってきて、みんなで育てている猫とのこと。今や事務所のアイドルらしい。



December 14, Thursday 2006

朝起きて体温を計る。昨夜と比べたら下がったもののまだ微熱がある。迷ったが、松本へ行くことに。インフルエンザを恐れたが、熱が下がったのでその恐れはなさそうだ。

7時からニュージーランドからの二人のお客さんを囲んで、ジブラーンの会の方々と英語教室の生徒たちと会食。英語と日本語でいろんな話題が飛び交った。特に「よかったねー」の表現について。昨日バスに置き忘れたパスポートと帰りの航空券が入ったカバンが、今朝東京のバス会社に保管されていることが判明したと、(お客さんの)サラが、話したとき、ジブラーンの会の方々が異口同音に「よかったねー」と「ねー」にアクセントを置いて叫んだ。

この「よかったねー」を英語でどういうかということで盛り上がった。It was good. でもないし、You are lucky.でもないし、You must be relieved. でもない。そのすべてを合わせたような意味だという結論に。今考えると、I'm happy for you. が一番近いかもしれない。でもやはり、「ねー」にアクセントを置いた「よかったねー」とは微妙に違う。

昨夜、とにかく警察に届けておこうと、オーリアッドの近くの警察署へ行ったことも、今となってはいい経験である。本当に、よかったねー!


December 13, Wednesday 2006

土曜日以来のオーリアッド。部屋が冷え切っているためか、なかなか暖まらない。身体が寒い。先週つけたサーキューレーターのおかげで、前よりも早く、あたたまるようになったが、それでも寒い。

ジミー矢島さんの「冬の日差し」を聞いた後、千葉の齋藤さんが送ってくれたCD-R「Almanac House Live vol. 1」を聞く。以前にも聞いたが、今日は後半にクレジットされてない歌が2曲入っていることに気づいた。1曲目と5曲目の別テイクである。断然この最後の2曲がよかった。1曲目は幼い頃の夏の思い出。5曲目は、ホーチミンシティの戦争博物館で悲惨な写真を目前にしての述懐から始まる。

寒気がし、頭も少し痛い。大事をとって少し早めに閉店。家に戻り熱を測ったら、微熱がある。明日は松本へ行く日。朝になったら、なんとか下がっていてほしいもの。


December 12, Tuesday 2006

昨夜、赤坂の草月ホールで、リヴィングストン・テイラーのコンサートがあった。このホールに向って歩いているとき、前に一度来たことがあることを思い出した。クニ河内さんのデビュー何周年かのコンサートだった。こじんまりとしたいいホールである。

ギターとピアノの弾き語り。15分の休憩を挟み、2時間ほどのコンサート。フライヤーのキャッチコピーに「永遠のハートウォーミング・ヴォイス」とあったが、声ばかりではない。あたたかい柔らかいオーラが彼の身体から放射されているようだ。

コンサートのあと、誘われて楽屋へ行くと笑顔で迎えてくれた。「光栄にも Unsolicited Material を訳すチャンスが与えられた」と告げると、You did a great job. と社交辞令。メールでいくつもの質問に答えてくれたマギーから話を聞いていたのだろうか。

中川五郎さんに写真を撮ってもらおうとカメラを差し出すと、カメラは苦手、駄目というジェスチャー。すかさず横にいた人が「ぼくが撮りましょう」と、撮ってくれた。ひょっとしたらプロのカメラマンだったのかも。一枚だけなのに、よく撮れていた。


December 9, Saturday 2006

「ジョン・レノンに捧げる歌」「ガビオタの海」をぼくが前座で歌ったあと、久々登場の堀内千春さんにお願いする。体調を崩しているとのことだが、気分転換に出てきてくれたようだ。久々に「故郷の春」など。ボブ鈴木、smokefree になったオーリアッドの向こうを張って「ヘヴィー・スモーカー」など。藤森和弘さん、「子守唄のように」が一番説得力があった。客席が静まり返るのがわかる。ジミー矢島、「ちょとブギウギ」など。いつ聞いても彼のギターワークには圧倒される。川島茂さん、長いタイトルのラヴソングなど。太田裕士さん、静かなピアノ演奏が続く。この辺で歌が入ればいいのにと思っていると、聞きなれたメロディーに変り、「宇宙の歌」。よかった。前半の最後は赤羽真理さん、「千両梨の実」。サポートは大月高志さんと太田さん。







後半はいつものようにセッション。後半のトップは、ダニエル・ジリッグ。1曲目のスライドギターのブルーズがよかった。つづいてボブ、ジミー、藤森さん。そして川島さん。今夜最後の曲となった川島さんの歌は、昔、News 23 のエンディングテーマ曲。風貌といい歌い方といい本物そっくり。





その後、しばし歓談。ジミーさんからいただいた『冬の日差し』を聞きながら。これは彼が一人でいくつもの楽器を駆使して録音したインストラメンタルアルバム。遅れて入ってきたお客さんが即座に一枚ほしいというほどの素晴らしさ。

            ■

明後日、月曜日、草月ホールへリヴィングストン・テイラーのコンサートを聞きにいくことになった。送られてきた資料に、彼がバークリー音楽院での講義で語ったという言葉が載っていた。それが頭から離れない。

  君がステージに立つただ一つの理由は、聴衆がいるからであ
  る。君の音楽は何の意味も持たない。それが意味を持つのは
  君の音楽が聴衆の心に到達したときだけである。


December 8, Friday 2006

飛び入りライブでよく歌ってくれる赤羽真理さんが、会社の方々ときてくれた。会食後、同僚の方々に乞われて、赤羽さんが「旅人の木」と「千両梨の実」を歌う。そのあと、ぼくも歌う。「ジョン・レノンに捧げる歌」と「千の風」。今日は12月8日、太平洋戦争の開戦日であり、レノンが暗殺された日。

その後、さらに赤羽さんの同僚の方々が押し寄せ、赤羽さんが再度上記の2曲と「驚くばかりの(アメージング・グレース)」を歌う。そしてぼくが「風に吹かれて」と「宝福寺にて」、そして「薫子」を歌う。「風に吹かれて」は17年前にぼくのクラスにいたという赤羽さんの同僚からのリクエスト。そうそうクラスでよく歌った「オール・マイ・ラヴィング」も彼女と一緒に歌った。17年経っても彼女は歌詞を覚えていた。

数日前から『黒澤明vs.ハリウッド』という本を読み始めた。分厚い本で、まだ5分の1ほどしか読んでないが、面白い。真珠湾攻撃にまつわる映画『トラ・トラ・トラ!』の撮影を巡っての黒澤明とハリウッドのやりとり、かけ引きが詳細に描かれている。結局、黒澤明はこの映画から降りることになる。彼の完璧主義に驚くとともに、妥協を拒む彼の強靭な精神力に脱帽。


December 7, Thursday 2006

オーリアッドにくる人たちの中には洋楽に非常に、時には異常と思われるほどに、詳しい人たちがいる。聞いたことのないミュージシャンや曲名を云々する方に、「詳しいですね」と言うと、「そうでもないです。三浦さんが詳しくないだけですよ」と言われてしまう。

確かにぼくは詳しくない。リヴィングストン・テイラーのことも今回 Unsolicited Material (邦題『持込音源』)のライナーと歌詞の訳を依頼されるまで知らなかった。でもその翻訳を通して、彼の音楽、そして人柄が好きになった。

彼が12月に来日することは知っていたが、聞きに行く予定はなかった。しかし、幸運なことに、急遽、11日の草月ホールでのコンサートを聞きに行けそうである。彼に会うこともできるかもしれないとのこと。もし会えたら、伝えたいことがいくつかある。


December 6, Wednesday 2006

12月になってもう一週間ちかく経ってしまった。

久々のオーリアッド。かなり寒い。しかし、月曜日にサーキュレーターをつけてもらったので、前よりは若干暖かい気がする。真冬になっても効果があればいいが。

9月にオースティンへ行ったとき美術館で購入した HOW WE GOT OVERというゴスペル集を聞く。Gee's Bend というアラバマ州の小さな村の住民たちがアカペラで歌うゴスペル集。Disc One が1941年のレコーディング。Disc Two が2002年のレコーディング。歌の原点がそこにある。

11時過ぎ、家に戻ると、ソフィーとフィービーが寄ってきた。Webshots というサイトにアップしている彼らの写真は、その後少し追加した。さきほどみたら、574 views となっていて驚いた。



December 2, Saturday 2006

じっくり歌い、じっくり聞くことのできた飛び入りライブデイ。まずぼくが、久々に「アニー・イナシオのバラード」。最近お客さんから「先日初めて東チモールの歌をCDで聞いたが、是非今度歌って下さい」と言われていたので。その人はいなかったが、練習を兼ねて歌ってみる。続いて藤森和弘さん。「子守唄のように」などオリジナル4曲。4曲目は先週初登場した新曲「生きて」。「夢を諦めないで」というフレーズが耳に残る。

太田裕士さん。「宇宙の歌」がよかった。聞くたびに進化している。そのあと、大月高志さんと太田さんのセッション。久々に「カノン」を二人で演奏するのを聞いた。大月さん「誕生」をソロで。声がいい。新しいPAシステムだけのせいではなさそう。少しスリムになって、体調もよさそうだ。

休憩の前、久振りにたずねてくれた上條俊一郎さんに一言語ってもらう。その世界ではGGといったほうが通りがいいようだ。URC系のミュージシャンのマネジャーやプロデューサーを経て、信州に戻り、最近また松本を中心にコンサートなどの企画演出を始めたとのこと。

10分ほど休憩。後半。まずぼくが太田さんのサポートで「次郎」と「宝福寺にて」。そのあと藤森さん。2曲を大月&太田ユニットのサポートで、3曲目は一人で。太田さん、「よく一人で山へ行くんですが、山に向って、感じたままを音にして吹くのが好きです」と語ったあと、そのようにしてできた曲のひとつを吹く。山々を吹き渡る風を思わせる印象的なメロディー。そして最後に大月さんとのインプロヴィゼイション。








今夜は大月さんと太田さんの演奏をたっぷり聞くことができた稀有で贅沢な夜になった。その後、上條さんを囲みしばし歓談。コンサートを主催する苦労話などをお聞きする。今の時代、「地味な」歌のコンサートを企画し、継続して開催することは大変なこと。がんばってほしいものである。


December 1, Friday 2006

いよいよ12月。2006年も残すところあと一ヶ月。

今晩は、後半忙しくなる。クラシック音楽に精通しているU先生が10数名の方々と一緒に入ってくる。先生が解説をしながら、持参したバッハやヘンデルのCDをかける。最後は師走とのことで、CDに合わせて第九の大合唱。

オーリアッドの音響システムを新しくしておいてよかった。やはり音がよくなっている。「家で聞いたのではこういう音は出ない」と、U先生。

ソフィーとフィービーの写真を Webshots の cats/pets のカテゴリーにアップした。数日前にアップしたばかりなのに、今チェックしたら 200 views となっていた。やはり世界には猫好きが多いようだ。




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