OREAD Diary October 1〜October 31, 2006




October 28, Saturday 2006

大盛況の飛び入りライブ。聞きにきてくださった方もいつもより多く、オーリアッドは満席の状況。

7時過ぎ前半開始。一人3曲づつ。先ず、大平俊郎さんの「隣のおばちゃん」などの飄々とした歌から入る。続いてHalukaさん。「ウサギの物語」など。そして、よねやまたかこさん。「贅沢な人生」など。この歌には甕綾子さんがコンサーティーナで、Halukaさんがコーラスで入る。




藤森和弘さん。「子守唄のように」がよかった。中島裕志さん、大槻和彦のピアノのサポートで「羅漢さん、風の中」など。ピアノの大槻さんとサックスの太田裕士さんで、Take the A Train を含む、ジャズの演奏。盛り上がった。



前半終了。10分休憩。

後半はまず今夜初めて歌う人たち。各2曲づつ。赤羽真理さんからスタート、 with 大月高志 (piano) and 太田裕士 (sax)。「旅人の木」が今日は印象に残った。ダニエル・ジリッグさん、Dusty Daysなど。ウクレレで。数週間前に書いた歌とのこと。井原仁志さん、「夕証」など。最初に吹いた「紅葉」のハーモニカが印象的。



月之民(ムーミン)さん、「真冬の桜」など。これ以後、前半に歌った人たちに再登場願い、1曲づつお願いする。大平さん「くにゃくにゃ」。Halukaさん、よねやまさんのコンサーティーナのサポートで「タケシという名の舟、マリコという名の海」。



よねやまさん、「柳の木の下で」。サポートバンド:ピアノ、大槻;オートーハープ、中島;コーラス、Haluka。中島さん、大槻さんと一緒に「ふるさとの緑」。オリジナル・カーター・ファミリーの曲に独自の詩をつけたもの。次の藤森さんから、オーリアッド恒例セッションタイム。Close Your Eyes, with 大月 on piano, 太田 on sax.

   

ダニエル、I Shall Be Released with OREAD Session Band with 大月, 太田, and 春日淳也 (percussion), 田中創 (guitar)。続いて、田中さん、ご存知、Sweet Home Chicago。ダニエルがギターに。最後、太田さんに「ドレッソング」を歌ってもらったあと、大槻さんとのセッション。C Jam Blues。「ドレッソング」のメロディを織り込んで客席を沸かせる。



すべての演奏が終ったとき11時を過ぎていた。ちょっと疲れた。おそらくオーリアッド再開後、もっとも多くの歌い手が集まった飛び入りライブではないかったかと思う。残念ながら、歌ってもらえなかった人たちも何人か出た。次にくるときは、前もって連絡いただき、早めに来てもらえればと思う。

終演後、いくつかのグループに分かれ、話に花が咲く。最終的に閉店したのは12時過ぎ。外に出ると道路が濡れていた。雨が降ったようだ。


October 27, Friday 2006

家で仕事をしているところへオーリアッドから電話。4年半ぶりにお会いするNさんが山梨から会いに来てくれているとのこと。急いでオーリアッドへ。元気そうで何より。国産100パーセントのぶどう酒をいただく。国産ぶどう酒と銘打っていても、外国のぶどう酒をブレンドしてあって、100パーセントのものは珍しいとか。

禁煙になってから一度きて、しばらく来なかったへヴィースモーカーのMさんがやってきた。しばらく四方山話し。最近バイクで飛騨高山まで行ってきたとのこと。元気だ。

明日の飛び入りライブは大盛況。多くの歌い手が歌いにきてくれることになっている。ありがたいことである。ただ一人あたりの時間が少なくてご迷惑をかけることになるかもしれない。できるだけ早くきてもらえるとありがたい。

鹿児島へ行って帰ってきたら、野良猫がガレージの中で3匹の、ひょとしたら4匹の、子猫を生んでいた。困った。猫は嫌いではないが4匹は困る。どうしよう。



October 26, Thursday 2006

夕方松本から戻り、少し休憩し、オーリアッドへ。着いた時はすでに歌声喫茶が始まっていた。アコーディオン、ギター(2台)、ウッドベースの演奏にあわせて季節の歌が歌われている。年配の人たちが多いように思うが、歌声は若々しい。

少し彼らの歌を聞いてから、英語教室へ。終っておりてくると、すでに歌声喫茶は終了していた。

木曜日にしては珍しく、遅くに何人かのお客さん。会話がはずみ、帰宅が少々遅くなった。

今晩も昨夜に引き続きロイ・オービソンを聞く。地声と裏声の区別がまったくつかないなめらかな歌い方。どんな練習をしたらあんな声が出るのだろうか。気に入った歌はいくつかあるが、今は「ブルー・バイユー」のゆったりとしたリズムとメロディが心地よい。



October 25, Wednesday 2006

久々のオーリアッド。明日はもう木曜日。松本へ行く日。この一週間は早かった。

オーリアッドに入るとエリック・クラプトンがかかっていた。そういえば最近聞いてなかった。ベストアルバム。Tears in Heaven が流れてきた。懐かしい。

クラプトンのあと、今日 BMG JAPAN から発売されたロイ・オービソンの『ブラック・アンド・ホワイト・ナイト』(BVCM 37762)を聞く。オリジナルライナーと歌詞の翻訳を担当した。

最近、発声ということに強い関心をもっているが、ロイ・オービソンの歌い方は本当に凄い。オペラ歌手の如き高音を軽々と出している。荻原健太さんの解説の中に、オービソンがロックの殿堂入りしたとき、授賞式でスプリングスティーンが述べたという言葉が紹介されていた。


  
1975年、『明日なき暴走』を作るためにスタジオ入りしたとき、ぼ
  くはボブ・ディランのような歌詞をもつ、フィル・スペクターのよ
  うなサウンドのレコードを作りたかった。そして何よりも、ロイ・
  オービソンのように歌いたかった。でも、誰も彼のように歌えない
  ことをみんな知っている・・・

スプリングスティーンの挨拶もなかなか洒落ている。

明日はオーリアッドで、歌声喫茶が7時から9時まで行われる。



October 24, Tuesday 2006

旅から戻り、雑用に追われている。しかし、その合間に、今回の旅で出会った多くの人たちのことを考えている。久々にいい旅をしたものである。旅は景色よりも、食べ物よりも、やはり人との出会い。

短い旅だったが、戻ったら庭の木々がかなり色づいてた。白樺、沙羅双樹、モミジ・・・、大分秋も深まってきた。その色づいた木々に朝から静かに雨が降っている。

朝からジョニー・キャッシュ。『サンクエンティン』完全版のライナー訳。一旦取り掛かれば勢いがついてスムーズに進む。しかし、取り掛かるまでに時間がかかる。疲れているとなお更だ。それでも夜までにかなり進んだ。

今日から蠍座の月。もう少ししたら裏山の落葉松も色づき、本格的な秋がくる。ぼくの一番好きな季節。

旅の写真は次の矢印から。



October 21, Saturday 2006

ぼくは鹿児島へ歌いに行っていて留守をしていたが、和気藹々とした良い飛び入りライブになったようである。特筆すべきは、藤森さんの奥さんが最後に歌ったこと。是非次回も聞かせてもらいたいものである。また、ダニエルはウクレレを弾いて雨乞いの歌 Dusty Days を歌ったようである。

    

     

  
  All photos by A. Kakiuchi

  

   
  All photos by K. Miura

白黒写真はすべて垣内彰さん提供によるもの。白黒写真というのは、ときにはカラー写真以上に説得力をもつもの。中列左のダニエルの表情が実にいい。すべての歌い手、そして聞きにきてくださった方々に、感謝。


October 19, Thursday 2006

木曜日は忙しい。朝から夕方まで松本。帰ってきてしばらく休憩し、オーリアッドへ。前半英語教室、後半オーリアッド。降りていくと、ダニエルからもらったアイリッシュ音楽が流れていた。

明日から3日間、鹿児島の南端、湧水町、霧島市、蒲生町のお寺で歌わせていただくことになっている。どんな出会いが待っているか楽しみである。美味しい焼酎もいただけそうである。

今夜は早めに店を閉めて帰宅。しかし、すぐに寝るわけにはいかない。今朝届いたリヴィングストン・テイラーの校正が明日までとのことで、最初から読み直し、何箇所か修正して送る。何度見直しても、修正したくなる性格というのは困ったものだ。


October 18, Wednesday 2006

一昨日、中学時代の同級生から、茸山をもっているが茸をとりにこないかとの電話。今朝、7時に同級生が何人か彼の家に集まり、北大出(キタオイデ)の山へ。急斜面と聞いていたが、わが家の裏山よりははるかになだらか。シーズンはすでに終りに近いが、1時間半ほどで、かなりの松茸とたくさんのコムソウと呼ばれる雑茸が採れた。

松茸もさることながら、色づき始めた赤松の林がきれいだった。




午後は、疲れて、しばらく午睡。その後、ジョニー・キャッシュのブックレットの翻訳にとりかかる。以前のアルバムに使われていたライナーもあり、実際には昨日思ったほどの量ではない。ありがたい。

6時半過ぎ、オーリアッドに入る。大工哲弘さんの『蓬莱行』が流れている。確かにこのアルバムはときどき聞きたくなる。今朝の山行きがこたえて、身体がしんどい。大事をとって9時過ぎ家に戻る。



October 17, Tuesday 2006

今日も一日ジョニー・キャッシュ。今朝はブックレットのカラーコピーも届き、訳さなければいけないライナーの量に目を見張ると同時に、見たこともないサンクエンティンでのコンサートの写真にも目を見張った。中でも客席で無邪気に笑う囚人たちの顔、顔、顔。なんと素敵な笑顔だろう。この笑顔が、ジョニー・キャッシュの実力を示している。

写真といえば、昨日の日記を読んだというN先生より写真が送られてきた。彼は今年の夏休み、今年1月に亡くなったジャネット・カーターのお墓参りにヴァージニア州ヒルトンズへ行ってきたとのこと。ジャネットはAPカーターとサラの娘。ギターの形をした墓石はAPの息子ジョーのもの。その右がAPの墓石で、ジャネットの墓石はまだできていないとか。

先生はまた Wildwood Flower の翻訳不可能なことにも触れて、カーター・ファミリーの伝記から次の部分を引用してくださった。

  What was whispered in at one end of the line came out
  the other end in sometimes nonsensical little couplets. By
  the time Sara popularized the song in 1928, the first
  line had become "I'll twine with my mingles," a line
  without literal meaning...

  片方の端でささやかれたものが、もうひとつの端から出てきた
  とき、まったくナンセンスな詩句になっていることがあった。
  サラがこの歌を1928年に流行らせたとき、一行目は、まったく
  意味のない"I'll twine with my mingles"になっていた。

子供のころよく遊んだものだ。何人か一列にならんで、一方の端にいる者にメッセージをささやくと、それが次から次へと伝達され、最後の者がそれを声を出していうときには、最初のメッセージとはまったく異なるものに変化していた。Wildwood Flower の歌詞が歌い継がれているうちに意味不明になったのもそれに似ているというのである。

N先生が送ってくれたもう一枚の写真は WILDWOOD FLOWER DR.という通りの標識の写真。すべての通りにカーター・ファミリーの歌のタイトルがついているらしい。

いろいろ勉強になった。N先生に感謝。


October 16, Monday 2006

昨日今日と、カーター・ファミリーの Wildwood Flower のファーストヴァースを訳そうとして、結局、空しく過ぎてしまった。難しい。

 Oh, I'll twine with my mingles and waving black hair
 With the roses so red and the lilies so fair
 And the myrtle so bright with the emerald hue
 The pale and the leader and eyes look like blue

ぼくの英語力では1行目と4行目が訳せない。そのまま訳してもナンセンスである。カーター・ファミリーに詳しい友人に連絡したところ、高石友也が歌う日本語ヴァージョンを教えてくれたが、肝心なところは英語に忠実でない。

ネットで調べているうちにこの歌のいくつかのヴァージョンがあることがわかった。その中で、次のヴァージョンが英語としては理解できるものだった。

  I will twine and will mingle my raven black hair
 With the roses so red and the lilies so fair
 And the myrtle so bright with an emerald hue
 The pale amanita and hyssop so blue

しかし、4行目の amanita は毒キノコみたいで、これが困った。そんなものを髪に飾る女の人は少々おかしな人である。そして何よりも、何度音源を聞いても、最初に書いたもののように聞こえるのである。

インターネットでさらに検索するうちに面白いスレッドを見つけた。この歌について、特にこのファーストヴァースについて多くの人たちが意見を述べている。その結果わかったことは1927年に、カーター・ファミリーがこの歌を歌い始めたとき、耳に聞こえたとおりに覚えて歌い、辻褄が合っているかどうかは考えなかったというのである。4行目にいたっては、もうそれこそ千差万別の表現が登場する。

  1. And the pale aronatus with eyes of bright blue
  2. The pale emanita and violets of blue
  3. And the pale Amaranthus with violets of blue
  4. The pale emanita and eyes look like blue
  5. And the pale aronatus with eyes of bright blue
  6. And the pale amanita and islip so blue

まだまだ出てくるがキリがないのでこのくらいにするが、これを読んだ結論は、どう訳してもいいということ。しかしフットノートをつける必要があるだろう。

この歌に興味のある方は、次のURLをクリックしてみてください。そして出てきたページを少しスクロールダウンすると、スレッドを読むことができます。

http://www.mudcat.org/thread.cfm?threadid=4074



October 14, Saturday 2006

開店後まもなく、山岸豊さん、ジョン・サンダーズ、ステファニー・ペドリッチの3人が入ってくる。そしてまもなく太田裕士さん。今日は、ジョンと太田さんのツイン・サックスの演奏が楽しみ。二人は初対面。さっそく自己紹介をしあい、サックス談義に花が咲く。太田さんが言う、「ジョン・サンダーズというのはすごい名前ですね。ジョン・コルトレインとファラオ・サンダーズの名前を合わせたような」。後者の名前は知らなかったが、有名なサックス奏者らしい。ジョンとステファニーはシカゴで年老いたファラオ・サンダーズの演奏を聞いたことがあるという。歩く姿はよぼよぼのお爺さんだったが、サックスを持ったら一変したらしい。

さっそく、二人に音あわせをしてもらう。即興で2曲。初対面とは思えない。息があっている。聞いている人はまだ少なかったが、喚声があがる。続いてステファニーにフルートをお願いする。以前にも感じたが、まずフルートを吹くときの彼女の立ち姿が美しい。音色はもちろんのこと。



山岸豊さん。「夕暮れ」「次の場所へ行く幸せ」「Forever Young」の3曲。ジョンがサックスでサポートに入る。久々に山岸さんの歌を聞いたが、力が抜けて、歌い方がソフトになっている。聞きやすい。



続いて藤森和弘さん。先ず太田さんのサポートで「人生に勇気」「子守唄のように」の2曲のオリジナル。そしてソロで「大空と大地の中で」。最後の曲は2週間前の奉納コンサートで、豪雨被害を受けた方々を激励する意味で最後に歌ったとのこと。



続いて、飯田から久々登場の中島裕志さん。前回中島さんは彼が率いるバンド、中島雑貨店としての演奏だったが、今夜はピアニストの大槻和彦さんと二人。オートーハープのソロの部分もたくさんあり、その音色の美しさが際立った。「サリー・ガーデンズ」「アロハ・オエ」「ブラインド・メアリー」の3曲。見事な演奏。オートーハープを初めて見る、聞く、という人も何人かいて、いくつかの質疑応答。オートーハープもよかったが、中島さんの歌声も説得力があった。



続いて、大槻さんに残ってもらい、ジョンと太田さんにステージに上ってもらう。2曲のジャズ、「ナウ・イズ・ザ・タイム」「枯葉」。ツイン・サックスの掛け合い、ハーモニー、それに大槻さんのピアノソロ。聴衆を魅了する。大きな歓声、長く続く拍手。大槻さんは、中学3年のとき、ビートルズを聞いて独学でピアノを始め、ジャズを弾き始めてからはまだ日が浅いとのこと。そんなふうには思えない見事な演奏。



次にぼくが、太田さんと一緒に「果樹園の道」「次郎」「千の風」。久々に2曲目は後半のワンヴァースのみを除くロングヴァージョン。



次にステファニーがバッハの「ポロネーズ」など3曲。美しい安定した演奏。長く静かに拍手が続く。ステファニーの演奏曲目が難聴気味のぼくには聞き取りづらく、あとでも確認できず、ここに書くことができない。Sorry about that, Stephanie。これで前半終了。10分の休憩。



後半は太田さんの歌から。歌い始めるとすぐに感じた。歌声が安定している。高音のところを力みすぎたり、強く歌いすぎる傾向があったが、それが少なくなっている。「虹の中へ」「宇宙のうた」、そして最後は「ドレッソング」。「宇宙のうた」は今まで聞いた中で一番よかった。彼の想いが伝わってくる。



山岸さん、ソロで「歌はかけがえのないもののひとつ」。そしてセッションバンドとともに、「松本の高校で教えていたときの教頭先生で、今年の豪雨災害で亡くなられた辰野のM先生への追悼の気持ちを込めて歌います」と、「夕暮れ」を。名曲である。



次に、大槻さんに残ってもらい、二人のサックス奏者に登場願い、ジャズを一曲。客席のY先生から「A列車」との声がかかり、Take the A Train。太田さんのサックスは5月以来何度も聞いてきたが、やはり、ジャズサックス奏者。今夜はまさに「水をえた魚」のよう。



中島さん、大槻さんとともに、「故郷の春」「羅漢さん、風の中」、そして最近、戦没した画学生の絵が集められている「無言館」を訪れてからよく口ずさむようになったという「幻の翼とともに」。2曲目は最近亡くなった友人のために書いた曲とのこと。なんと美しいメロディーだろう。



ステファニーの「セレナーデ」の最後の長く伸ばされた音が静かに消えて行く。そのあと、しばらく沈黙がつづく。おそらく2、3秒の間だろうが、長く感じられた。演奏者なら誰でも経験したことがあるだろうが、それは聴衆が完全に演奏に魅了されたときにおこる現象。その余韻の中で、大月高志さんの「カノン」。本当に素晴らしかった。オーリアッドが3年前に再開してからもう何度も彼が弾くこの曲を聞いたが、今晩は、その中でも one of the best。



最後に、藤森さん。1曲目は、飯田から出てきてくれた中島さんと大槻さんの演奏を、みなさんにもう一度聞いてもらいたいという彼の配慮で、お二人にサポートをお願いし「花」。2曲目は大月さんと太田さんのサポートで「住みなれたこの町で」。これで今夜の飛び入りライブすべて終了。



長い素晴らしい夜になった。演奏してくださったすべての方々に、聞きにきてくださったすべての方々に、感謝したい。演奏者のひとりから「オーリアッドを止めないでくださいよ」といわれたが、こんな夜がある限り、続けていくことができる。いや、続けていきたいと思う。

その後しばし歓談。ぼくはジョンとステファニーに、ジョニー・キャッシュ/サンクエンティン・コンサート(コンプリート・ヴァージョン)のMCの聞き取れないところを助けてもらう。Thank you, John. Thank you, Stephanie.


October 13, Friday 2006

今朝 Johnny Cash at San Quentin の完全盤のうちの、まだ訳してない歌の歌詞とMCの確定を始める。基本的に、Carl Perkins, The Statler Brothers, The Carter Family の歌と、その前後のMC。ジョニー・キャッシュの歌も2曲ある。全31曲中の10曲。歌詞のほうはインターネットで検索するとかなりの確立で得ることができる。しかしMCは大変。

カーターファミリーが 彼らの有名な Wildwood Flower を歌っている。この歌詞が、特にファースト・ヴァースが難しい。耳になじんだ歌なので簡単だと思っていたが、アニハカランヤ。

今晩はピザの焼き方の講習を受けた。そのあと入ってきたお客さんがピザを注文。完全に一人で焼いて出すことができた。具を乗せすぎて少々不恰好ではあったが。


先日入手したオールディーズのCDを聞いていたら、Mary Hopkins の Those Were the Days が聞こえてきた。昔よくラジオから流れてきたメロディ。今聞けば、身に沁みる歌詞。Bob Dylan's Dream にも通じるところがある。

  Those were the days my friend
  We thought they'd never end
  We'd sing and dance forever and a day
  We'd live the life we choose
  We'd fight and never lose
  For we were young and sure to have our way.

  あのころはよかった、友よ
  思っていたものだ、この楽しい日々は終ることがないと
  ずっと歌って踊って生きていけると
  思っていたものだ、自分で選んだ道を行き
  戦っても決して負けることはないと
  若くて、なんでも思い通りになると信じていた


October 12, Thursday 2006

一日中、松本。夕方戻り、しばらく休んでからオーリアッドへ。前半英語教室。9時過ぎ階下に降りる。ジブラーンの会の方々がまだ話していた。4月から松本へ行く日が木曜日になり、オーリアッドへ入る時間が7時を過ぎるようになった。さらに英語教室の終る時間も遅くなり、ジブラーンの会の方々と会うことが少なくなった。

久々にウラジミール・ヴィソツキーのCDをプレイヤーに入れ、プレイのボタンを押す。突然、渋いぶっきらぼうな声が飛び出してくる。言葉は分からない。しかし、彼の声に感動する。彼の声の中には物語が含まれている。今ぼくは言葉にもまして、声に興味がある。こんなふうに思ったのは、長い間歌い続けてきて初めてのこと。

昨日は、そして今日も忙しかった。かなり疲れている。ジョニー・キャッシュのSan Quentin の未訳分の翻訳を始めなければならない。今夜は疲れていて無理。明日から始めよう。

ヴィソツキーが歌い終わったところで閉店。


October 11, Wednesday 2006

朝から小雨。一日中ぐずついた天気。でもあまり寒くはない。朝早く、リヴィングストン・テイラーの対訳のうち、最後まで迷いに迷った Carolina Day の訳を確定して送った。奥さんのマギー・テイラーさんに何度も質問のメールを送った。ありがたいことに、そのつど丁寧な答えが返信されてきた。

ジョニー・キャッシュの Concert at San Quentin の完全盤が DVD付でリリースされるということで、今日、音源が届いた。このアルバムは今年の初めにMCも含めて訳したものだが、今回はカーター・ファミリーやカール・パーキンス、スタットラー・ブラーザーズの演奏も入った完全盤である。まだ聞いていないが、カーター・ファミリーが The Last Thing on My Mind を歌っている。ぼくの大好きなトム・パクストンの歌。


今日は長野市のTV番組制作プロダクションのクルーが来た。先日電話があって、荻原碌山にインスパイアされて現在活動している人たちを取材しているという。「碌山」「次郎」「千の風」の3曲を、午後オーリアッドで収録。大月高志さんと太田裕士さんにサポートをお願いする。23日にNBS(長野放送)の番組で放映されるようである。50分ほどの番組のうちのおそらく10分ほどだろうと思う。夕方のオーリアッドの撮影には多くの方々に協力いただいた。感謝。



October 7, Saturday 2006

リヴィングストン・テイラーの Unsolicited Material のライナーの訳も一段落つき、午後遅く、久しぶりにスイミングへ。このライナーを訳していてこのライブ盤は Walkabout Clearwater Coffee Shop というところで録音されたことがわかった。10月3日の日記に、Clearwater Revival のコンサートだろうと書いたが、そうではなかった。しかし、奥さんのマギーからのメールによれば、このコーヒーショップはハドソン川浄化運動を推進する人たちと深いかかわりがあるとのことなので、当たらずとも遠からずと言ったところ。

開店後しばらくして、安曇野市の川島茂さんご夫妻がはいってくる。オーリアッド2度目の出演。その後、東京からしばらく辰野を訪問しているというFさん。彼女もオーリアッド2度目。

先ず、最初にぼくが、秋になると必ず歌う「一通の手紙」。そのあと川島さんにお願いする。「神無月にかこまれて」「がんばれ営業マン」「長いタイトルのラブソング」「I Love You」の4曲。前回も聞かせてもらったが、陽水節がすごい。高音がきれいにのびて、聞いていて気持ちがいい。表情も、とくに額のあたり、よく似ている。オリジナルの長いタイトルのラブソングもよかった。




次に、藤森和弘さんが食べ終るまで、ぼくがつなぎで「丁度よい」を歌う。そのあと、藤森さん「人生に勇気」「子守唄のように」「水鏡」「秋桜」の4曲。3曲目は久しぶりに聞いたが、いい歌だ。4曲目は先週の神社での奉納コンサートの冒頭でも歌った歌。そのとき飛んできた「おひねり」、計730円。ビール1本にお釣がくる。



次に再びぼくがつなぎの一曲。飛び入りライブではあまり歌ったことのない「それぞれの道」。そのあと春日淳也さん。「ロックの子」「免停ブルーズ」「タイトルのまだない歌」のオリジナル3曲。免停45日は辛かったに違いない。不思議な感性の持ち主。面白い詩を書く。それをどう聞き手に伝えるかが難しいところ。



久々に「いがらん」こと栗林秀和さんが美しい奥さんとやってくる。大月高志さんと一緒に「誕生」。そして大月さん、ソロで「カノン」。栗林さんの「老人のつぶやき」を聞きたかったが、最近歌ってないとのことで、歌ってもらえなかった。



赤羽真理さん。「鹿のように」「森の小道」をソロで、3曲目「千両梨の実」を大月さんのピアノと一緒に。数日前にお見えになった箕輪のYさんが、「赤羽さんの<千両梨の実>は実にいいね」とおっしゃっていたが、何度聞いても感動する。どんなにいい歌でも何度もきけば通常飽きるものだが。大月さんのカノンにも同じことが言える。



赤羽さんのあと、太田裕士さん。ぼくのリクエストで「虹の中へ」。今日の午後スイミングから外へ出ると東の空に大きな虹。思わず「虹の中へ」のメロディが浮かんできた。虹を見るだけで幸福な気分になるから不思議だ。太田さん、「虹の中へ」の前に英語でジャズのスタンダードを歌い、3曲目がご存知「ドレッソング」。持参したドレッシングは完売したようだ。

ここで10分の休憩。何人かが外に出て行く。オーリアッドが禁煙になってから初の飛び入りライブ。途中から入ってきた人が「空気が澄んでいて驚いた」というくらいに煙がない (smokefree)。愛煙家の藤森さんは「タバコを吸わないから今夜は声がよく出ない」と言っていたが、それは彼の思い込み。彼の声はきれいにのびていた。

後半はセッションタイム。川島さん、ぼくのリクエストで「少年時代」、そして自ら選曲した「傘がない」。ピアノ、大月高志;サックス、太田裕士;ギター、ハーモニカ、春日淳也のセッションバンド。「傘がない」がこんなにいい歌だとは思わなかった。川島さんの歌といいバックの演奏といい、秀逸。つづいて藤森さん。「住みなれたこの町で」と「Close Your Eyes」。サポートは大月さんと太田さん。



続いて春日淳也さん、オリジナルのブルーズ「労働者ブルーズ#2」を同じサポートメンバーで。写真を撮るのを忘れていた。最後に、赤羽さんが、同じサポートメンバーで「驚くばかりの (Amazing Grace)」。セッションバンドとこの歌を歌うのは初めて。新鮮だった。



ここで今夜の飛び入りライブは終了。しばし歓談。閉店間際、辰野にしばらく滞在しているFさんが「前回聞いた<碌山>がよかった」とカウンターにきて言ってくれたので、大月さんと太田さんにサポートをお願いして「碌山」を歌う。さらに「オーリアッド・バンドの歌」。



来週の飛び入りライブにはシカゴのサックス奏者ジョン・サンダーズと太田裕士さんのサックスの競演が実現しそうである。楽しみだ。


October 6, Friday 2006

一日中、雨。大雨が予想されていたが、ありがたいことに大雨にはならなかった。茸のためには絶好の雨といったところ。ビクを腰に下げて裏山に上っていく人を何人か見た。

ぼくは山に上っている時間がない。午前中は明科の社協の方と打ち合わせ。11月12日の「明科福祉まつり」で歌わせていただくことになっている。午後は、翻訳。

6時からオーリアッド。今日は雨なのでお客さんは少ないだろうと思ったら、ありがたいことに何人ものお客さん。


October 5, Thursday 2006

朝から松本へ。
夕方戻り、前半英語教室。後半オーリアッド。

岡谷へニ胡のレッスンに行った帰りだといって、箕輪のYさんが寄ってくれた。是非一度聞かせてくださいというと、「まだまだ人に聞かせられるようなものではない」と謙遜される。しばらく四方山話。四国から若い頃出てきて、10数年前に独立して会社を始められた方だけあって、教えられることが多い。

smokefree に関しては賛否両論ある。今日は、「いつかそうなるだろうと思ってました」という方と、「お客がこなくなるよ」という方がいた。うーむ、苦渋の決断ではあったが、決断した以上例外はつくれない。まあ、これ以上お客さんが少なくなる心配はないだろう。

ダニエルからもらったアイリッシュ音楽を聞く。初めて聞くものばかりなのに、懐かしいメロディの数々。


October 4, Wednesday 2006

久々のオーリアッド。オーリアッドが禁煙になってから今日が最初の営業日。

   禁煙 Smokefree
    
オーリアッドは2006年10月1日より禁煙になりました。
     
OREAD is smokefree from October 1, 2006

という張り紙を用意した。

ピザを食べたいができないかと先週言われて、前もって予約してもらえればというと、是非お願いしたいとのことだった。今晩7時半過ぎにくると言っていたその人は、7時少し前にやってきた。ぼくも久々に食べたが、これが美味しかった。ピザは準備に時間がかかるし、焼くにも時間がかかるが、できたらメニューに加えたいものだ。

11時過ぎ家に戻ってメールをあけたら、リヴィングストン・テイラーの奥さんのマギーさんからメールが入っていた。どうしても訳せないところを聞くために、今日の午後、オフィシャル・ホームページのアドレスにいくつか質問を送っておいたのである。まさかすぐに返事がもらえるとは思わなかった。ネイティヴの友人の誰もわからなかった Herc は、リヴィングストンやジェイムズが子供のころ飼っていた犬の名前だった。分からないはずだ。

「他にもわからないところがあったら遠慮しないで聞いてください」と書かれていた。お言葉に甘えて、そうさせてもらおうと思っている。


October 3, Tuesday 2006

10月になったと思ったらすでに3日が過ぎた。今日は朝から Livingston Taylor の Unsolicited Material というアルバムの対訳の最終調整。翻訳の一番楽しいところ。昨日までに一応ラフで訳してあるものを、もう英語の歌詞のことは考えず、日本語としてどう表現するかだけに苦心する。ああでもない、こうでもない、と考えて、いい訳が浮かんだときは実に嬉しい。その喜びは、子供のころ一人で積み木をつんだり、砂場でトンネルを掘ったりして遊んだころの喜びに匹敵する。

このアルバムについて詳しい情報は与えられていないが、23曲入りのライブ盤。MCの一部から、ハドソン川浄化運動の一環であるクリアーウオーター・リヴァイヴァルでのコンサートだと推測できる。リヴィングストンの語りからは大いに学ぶところがある。

掲示板にも書いたがトミー・ハンコックからメールが入った。嬉しいメールだった。今は時間がとれないが、「バラッド・オブ・トミー・ハンコック」を書きたいと思っている。最近長いバラッドを書いてないが、これは長くなりそうだ。

今週から、松本でのクラスが始まる。夏休みが終ったらもう寒くなっている。


October 2, Monday 2006

終日雨、そして翻訳。締め切りは明日。ほとんどラフの訳は出来上がっているが、英詞の確定ができないところと、訳が難しい歌が一曲ある。最後切羽詰って、エイヤッとすませることになりそうである。

急に寒くなり、とうとうぼくの仕事部屋にヒーターを入れた。狭い上に、紙の山に囲まれているので、オイルヒーターを使っている。電気代は少々かかるが、安全には代えられない。


October 1, Sunday 2006

箕輪町の生協病院主催の健康まつりで歌ってきた。ぼくの出番はお祭りの最後。1時45分から一時間。12時過ぎに出かけた。あいにく雨が降り出した。コンサートは病院内の待合室なので影響はない。しかし外の屋台は雨のために予定の人数を確保できたかどうか。

いつも選曲はぎりぎりまで決めない、というか、決まらない。今日もだいたい決めていたが、最終的に何をどの順番でやるか決めてなかった。待合室の一角に設けられた原爆被災者の写真、絵、発言、特にビキニ島での実験で被災したアメリカ人の写真と発言を見て、急遽「アルバカーキの空は今日も」をやることに。

  母は、頭や足は真黒に焦げて
  胴体は生焼けでした。
  母の姿を見ても
  悲しいとかなんとかじゃなくて
  自分自身何か魂の抜けたような
  ・・・ただもう
  うつろな感じで
  ・・・・・・・・・
  ここが家だったら
  やはり、母かも知れません

右の写真下についていた文章である。自分の家があったあたりも定かでないほどに破壊された地面に立つ少女。その足元には黒焦げの焼死体。

待合室ステージではいろいろな人が歌ったり、手品をしたり、研究発表をしたり。ぼくの前は、箕輪、福与地区の童謡合唱団。秋にちなんだ歌を何曲か。そのあとぼくが歌う。「アルバカーキの空は今日も」は、館野公一さんの「DU」(劣化ウラン弾)という歌を、彼の許可を得て、ぼくなりに歌いやすく言葉を変え、新しいメロディをつけさせてもらったもの。久々に歌ったが、ストレートなメッセージが多くの人々に届いたようである。その他久しぶりに歌ったのは「前立腺肥大の歌」。最後の歌は「新しい光迎えよう」。



家にもどってからも、原爆被災者の写真が頭から離れない。9月28日の日記に引用した「馬」という詩に言葉を付け加えて、メロディをつけた。短い反戦歌ができあがった。

今日から10月。後半には鹿児島へ歌いに行く。体調に気をつけなければ。





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