OREAD Diary 
              September 1-30, 2017

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Saturday September 30, 2017

家人は1週間ほど前から左肩の不調を訴えていたが、今朝の痛みは耐えがたいとのことで、ぼくが7月から8月にかけて1か月半ほど通った小野の整骨医へ。自分で運転していくつもりだったが、運転席にすわってみると、左腕が使えないとのことで、ぼくが送っていくことに。彼女が診てもらっている間、小野藤沢の友人宅訪問。しばらく彼も腰痛に悩んでいたが、ようやく元気になったようだ。特に、ここ数日、杖をつかずに歩けるようになったとのこと。喜びが彼の顔にも奥さんの顔にも。



家人の肩は働きすぎからきている五十肩とのこと。最近、農作物の取り入れや、イチゴの本植えの畝をつくったりで、ちょっと無理をしていた。しかも、ぼくとは逆に、5分でもぼけっとしていることが嫌いな性格で、常に働いている。無理はできない年齢になったということか。

                ■

午後7時からオープンマイク。今日は飲み物は家人に任せ、ぼくが厨房に。カレー、ピザ限定でお願いしたが、遅れてご迷惑をおかけした。ピザ生地は午後つくり、焼けばいいだけにしておいたが、久しぶりにやったので、最初、ピザソースを塗ることを忘れていて、最初からやりなおすことに。

オープンマイク初回出演順(敬称略):ふあ、丸山俊治、原田和夫、根橋三幸 & her husband、柳沢さとる、丸山俊治&歌声ガールズ、赤羽真理、三浦久、長島功&サトル。





















Friday September 29, 2017

秋晴れの美しい日。午前中、しばらく庭の仕事。先日剪定した白樺の枝をストーブに入れることができるサイズに切ったり、土手の草を、やり過ぎないように注意しながら草刈り機で刈る。

赤とんぼハナモモの枝の先にとまっていた。いよいよ秋である。







来週月曜から信大の授業が始まる。夜はその準備を少し。それに10月8日の五郎さんとのコンサートに向けての準備。10月になると忙しくなる。


Thursday September 28, 2017

母が亡くなったあと、押入れからいろんな段ボールの箱が出てきた。その中にぼくが送った手紙や写真がびっしり入っている「アメリカ手紙」と書かれている箱があった。その箱はぼくの部屋にもってきていたが、今日初めて中身を全部ではないが確かめた。全部を確かめるにはそうとう時間がかかりそう。

その中に、1963年か4年にサンタローザから送ったと思われる厚紙の額に入っている写真が出てきた。おそらくイヤーブックか何かに載せるためにプロの写真家が学校へきて撮ってくれたものだろう。自分でいうのもおこがましいが、なんと可愛いらしい顔。短髪であるが縮れていることはすぐわかる。

もうひとつ、ICUに入学した直後にNHKの「あなたのメロディー」という番組に出演したときの写真が何枚か出てきた。これはおそらく家のテレビで誰かが撮ったものだろう。白黒のボケた写真である。

1964年6月21日、一年間滞在したサンタローザを後にして、サンフランシスコへ行き、AFSプログラムでベイエアリアに一年間滞在した27か国44人の高校生が一緒にグレイハウンドバスにのり、一か月かけて、途中ホームステイをしながら、ニューヨーク、そしてワシントンDCまで旅をした。

その旅が始まる前に、ひとりの女の子のことを想い、歌を書いた。「一万マイル」というその歌を、帰国後、楽譜にしてNHKの「あなたのメロディー」という番組あてに送ったのだが、それが65年4月にICUに入学してから、採用されたのだ。




この歌を『千の風』(2004年)のアルバムに入れようと思い、録音したのだが、入れなかった。やはりぼくが覚えているダークダックスが歌ったそれと比べると、かなり見劣りがしたからである。制作に携わってくれた関島さんも石崎さんも、悪くないと言ってくれたのだが。

その箱の中に入っていたメモ帳には、27か国44人の寄せ書きがあった。その国のいくつかを読み取れる範囲で書いてみる。Uruguay, Ecuador, India, France, West Germany, Syria, Thailand, Holland, Argentine, Sweden, Finland, Turkey, England, Egypt 等々。

シリアの学生は次のように書いてくれていた。

First of all I would like to thank you, for you got me interested in Judo. I hope I'll master it someday. I wish you all the luck next year in college. Good by. Sing all the time.

彼がおそらく柔道についてぼくに尋ねったので、いくつかの技と、受け身の方法を教えたのに違いない。でもぼくがびっくりしたのは、彼のFaisal M***** という名前の下に、Aleppo, Syriaと書かれていたからである。アレッポという名前を聞いたのはつい最近、シリアの内戦が激しくなり、この町が爆撃によって破壊され、夥しい数の難民が生じ、多くの犠牲を払って海を渡る映像をニュースで見たからである。50数年前一緒にバスで旅したファイサルがどんな顔をしていたのかまったく覚えていないが、こうして彼の書いたものを今日読んで、急に親しみを覚え、彼が無事でいてほしいと思った。


Wednesday September 27, 2017

父の命日は忘れることが多いが、今日は思い出した。家人は毎朝お茶をあげ、線香を立てているが、ぼくは仏壇の前に立つことはそう多くはない。しかし今日は線香をあげ、般若心経を唱えた。父は1905年、明治38年生まれ。亡くなったのはぼくが生れる直前の1945年の今日。享年40歳。生きていたら112歳である。ぼくとは正反対な几帳面な人だったらしい。残っているわずかな自筆の文字をみると、日本語も英語もきちんとした筆跡で書かれている。机の上にも不要なものは一切のっていなかったらしい。

 
父よあなたが残した遺産はないけれど
 あなたはすべてを与えてくれた
 夜明けの太陽、風に舞う鳥、雨に打たれる花
 それらを美しいと感じる心を与えてくれた


夜、歌声喫茶。天竜ずくだし倶楽部主催。みなさんの歌声が素晴らしい。



夜暗くなってから、車で近くまで用足しに。家の近くの坂道で大きなカエルがのそのそ歩いていた。もう少しで轢くところだった。車を止め、ライトをあて、写真を撮る。以前に見たガマガエルとはちょっと違う。後ろ脚が長いので歩き方はぎこちない。車に轢かれないように早く草むらに逃げてほしいと思いながら、これを捕まえて、草むらに逃がしてやるだけの度胸がなかった。歌声喫茶へ行くときも、帰りも、このカエルがいるかどうか徐行したが、カエルの姿はなかった。轢かれた様子もなかった。よかった。



政界再編の動きが目まぐるしい。民進党は小池新党に吸収されてしまいそうである。とにかく望むことは、Power corrupts. という警句そのものの安倍一強の状態を瓦解させてほしいということだけである。

Tuesday September 26, 2017

松本筑摩高校でのトークライブ。「ボブ・ディランと9条」という難しい命題を与えられた。松川村でも6月に同じタイトルでお話させていただいたが、そのときは自分でもよくわかっていなかった。今回は準備の段階で少し時間の余裕があった。前回より少し掘り下げて語ることができた気がする。今回のトークの鍵は問いと答え。重要なのは問うこと。「風に吹かれて」は九つの問いの歌。「答えは風に吹かれている」だけ。与えられていない。憲法九条も問いである。その問は答えを要求していない。あえていえば、その答えは各人が自らの中で、自らの行動で出さなければならない。求道則ち道。問うことが答えである。

柳沢先生にはお世話になった。それに若い「社会」の先生にも。鷹野先生。驚いたことに、10年以上も前にぼくの信大のクラスにいたという先生が2人、講演のあと話しかけてくれた。「風に吹かれて」の歌詞は柳沢先生が用意してくれたのだが、We Shall Overcome はその場で歌うことになり、「We Shall Overcome という歌を知っている人はいますか?」という問に、数人の手が上がった。その中におそらく2人の先生はいただろう。

柳沢先生から写真が送られてきたが、すべてグリーンの文字化けのような画像が出てくるだけ。なんらかの処理をすれば写真として見ることができるのだろうか。(このあと先生から再度写真が送られてきた。今度はちゃんと見ることができた。)






Monday September 25, 2017

朝食後、仕事部屋にもどってしばらくして、階下から家人の声。何事かと思っておりていくと、「メキシカンサンフラワーのところにアゲハチョウがいるよ」とのこと。最近はめずらしいものがいたり、あったり、すると、教えてくれるようになった。蝶々は遠くで飛びまわっていたが、しばらくしたら、すぐ目の前の花にとまった。いい写真が撮れた。



昼過ぎ、また彼女の声が聞こえた。今度はカマキリ。サンデッキに干してあるシーツの上にいるという。こちらは身動きせずに日向ぼっこをしている。Indian summer いわゆる小春日和の、暖かいというよりは暑いくらいの午後のひととき。



3時過ぎ、伊那市の眼鏡市場へ。補聴器の調整をしてもらいに。クリーンアップと調節をしてもらいうんと聞こえがよくなった。帰路オーリアッドにより、マイク、スタンド、譜面台、ハーモニカなどを車に積み込む。明日の筑摩高校での講演のため。家に着いたら、丁度6時。解散表明の記者会見。あまり爽やかな顔つきではない。何か後ろめたいような、腹黒いような。

中川五郎さんとのジョイントを企画してくれた若松さんが「セカンド・ウインド」をYouTube にアップしてくれた。今年のほたる祭りライブで歌った映像である。譜面台とその上の大きな歌詞の入ってファイルが気になる。歌詞も一部よく聞こえないところもある。でも klos のギターの音はそれなりに鳴っている。東京へもこれを持っていこう。明日の筑摩高校へも。
https://www.youtube.com/watch?v=9s_cYJmIEMY


Sunday September 24, 2017

昨夜の「輝く痛みについてのバラード」の失敗があとを引いている。少々気分がすぐれない。午後、気をとりなおして、昨夜の後片付けにお店へ。

大相撲は、日馬富士の優勝で終わった。千秋楽結びの一番でも優勝決定戦でも、日馬富士の気迫があきらかに豪栄道の気迫を上回っていた。安馬の時代から日馬富士が好きだったので、彼の優勝は嬉しいのだが、なぜか今回は豪栄道に勝ってもらいたかった。御嶽海は勝ち越し、かろうじて関脇の座をまもった。

夜、明後日の筑摩高校での教研集会でのトークライブについて考える。松川村9条の会のときと同じテーマで話すことになったので、これはやりやすい、と思ったが、いざ実際に考えてみると難しい。ただありがたいことに、今回は1時間半の時間が与えられたので、「ボブ・ディランにおけるプロテストソングの方法」について、前より、詳しく説明できるだろうと思う。

信大の後期がそろそろ始まる。ぼくの最初のクラスは10月2日(月)から。その準備を少し。後期もボブ・ディランの歌を2曲はいれたいと思う。そのうちの一つは Mr. Tambourine Man にしようと思っている。


Saturday September 23, 2017

オープンマイク初回出演順(敬称略):鈴木幹夫、松下元英、丸山俊治、味澤宏、久保田信二、坂井俊水、松下きよこ、赤羽真理、樽沢和子、三浦久。

松本から鈴木幹夫さんを師とする中山作詞作曲同好会のみなさんと飯田から松下夫妻を迎えて、いい夜になった。鈴木さんの大きな歌声と迫力あるギターワーク、それに「中山は山の中」、丸山さんの「人生の椅子取りゲーム」、久保田さんの満州から幼い久保田さんを連れて引き上げてくれた100歳になろうとするお母さんへのオマージュ、阿智村在住という樽沢さんの「私に人生というものがあるなら」、味澤さんのシャンソン風オリジナル、松下さんの歌詞を見ないで歌う長い自作の歌の数々、奥さんのカンボジアへの旅の話、坂井君の「中山は山の中」への即興の返歌、赤羽さんの「千両梨」、いずれも素晴らしかった。 こういう夜があると、オーリアッドをもう少し続けたいと思う。

唯一わるかったのはぼくの「光輝く痛みについてのバラード」。歌い始めてすぐ、家で歌っていたのとは異なるメロディーで歌っていると気づいたが、あとの祭り。そのメロディで押し通す。練習しなおさなければ。






















味澤さんが書いた小説「いのちの鍵」を昨夜と今日の午後、2回にわけて読む。彼は1970年代にしばらくカリフォルニアに滞在していてその時の体験を書いたもの。ある意味『追憶の70年代カリフォルニア』である。しかし、ぼくの60年代の体験よりも、セックスとドラッグと暴力シーンにあふれていて、実に生々しい。小説だからフィクショナルなところが多いだろうと思ったが、彼によると半分ほどは実際に体験したことらしい。「面白い」人が現れたものである。


Friday September 22, 2017

午前中、家人が鼻炎で病院へいっている間、イチゴ用の2本の畝に牛糞を入れる。イチゴを美味しくするには、たくさんの肥料が必要ということを家人が先日近所の人から聞いてきた。3の畑の肥料置き場から牛糞を一輪車に乗せ、1の畑のイチゴの畝に運ぶ。14回。去年の倍の肥料を入れた。



午後、昨日から作り始めた「輝く痛みについてのバラード」を完成したいと、ああだこうだと言葉を換えたり、繋げたり。ハミングをしているうちに、曲もできてしまった。歌詞のほうも、まだぎこちないところはあるが、だいたいまとまった。ぼくの歌としては珍しいメロディ。めずらしい歌詞。


Thursday September 21, 2017

朝8時から、村の神社の清掃奉仕。隣のおばさんを車で神社から家まで送り、そのあと、隣の潔さんのところへ行って、車をターンしようとしたら、コスモスがあまりにもきれい。潔さんも奥さんもお留守だった。無断で写真を撮らせてもらう。









午後、先日古い段ボール箱を整理していたとき出てきたカザフ共和国の詩人、ムフタル・シャハーノフの「輝く痛みについてのバラード」をぼくなりに手直しして、歌にしようと努める。曲はまだついていないが、歌詞としてはまとまってきた。

ある日の午後、私の許へ
一人の女が訪ねてきた
挨拶もそこそこ、その人は言った
教えてください、どうしたらいいか

あなたの知恵を借してください
私と娘がこれからずっと
穏やかな光に包まれて
暮らしていくにはどうしたらいいか

大事に育ててきたつもりですが
娘は最近いうことをききません
何度見合いを勧めても
誰とも会おうとさえしません

娘には好きな男がいるのです
乱れた髪の貧しい絵描き
朝から晩までその男が
娘の頭の中に住んでいます


これは最初の four verse で、あと16 verse ある。「碌山」と同じくらいか。


Wednesday September 20, 2017

寝室の床はフローリングになり見違えるように明るくなった。張り替えるためにガラクタを整理したので、部屋が広くなった。いつもこうしていたいもの。





午後、2人の大工さんが働く信州ハウジングの会長が顔を出してくれた。中学時代の同級生。彼は言う「この二人は会社の宝だ。最近は若い大工がいなくなった」と。確かに彼らは若いからというだけでなく、腕もいい。

松田君と話しているところへ、背の高いスレンダーな爺さんが杖をついて歩いてきた。小野藤沢の杣人中村さんだ。しばらく腰痛で入院していたが、現在は自宅療養中。まだ少し痛むようだが、ここまで回復してよかった。しばし四方山話。





Tuesday Septemeber 19, 2017

今日から大工さんが2人、寝室の床をカーペットからフロアリングに変えたり、サンデッキの腐った板を張り替えたりしてくれている。カーぺットは埃がたまり、喉や気管支のためにわるいというので。

驚いたことに、大工さんの一人はオーリアッドと建てたとき、中心になって働いた林さんの息子とのこと。そうそう、家のサンデッキも、建てたときのものは腐ってしまい、15年ほど前に完全に張り替えた。その仕事は、林さんが一人でやった。








Monday September 18, 2017

敬老会に参加した。まだ敬老会には早いと思いながらも、今年で2回目。ぼくはこの村に戻ってきたとき37歳だった。そのときから35年。そのころ中心となって村を支えていた方々はすでになく、まだ若いと思っていたぼくが祝われる側の席にすわっている。感慨深いものがある。

家人は区の大正琴の同好会に入っていて、今年も演奏した。全体として毎年進歩しているようだ。子供たちの花笠踊りや歌も可愛らしかった。













Sunday September 17, 2017

昼前にオーリアッドへ行き、昨夜の後片付け。

重いElectro Voice のスピーカーを昨日南小で使ったことは、サウンド的にはよかったとしても、体力的には消耗した。今朝起きたときいつもと違う疲労感。小型のPAシステムを購入したのはそのせいだったが、忘れてしまったようだ。午後は、うとうとして過ごす。それでも遅くになって、家の周りの風にとばされそうなものの整理。過ぎてしまえば、いつもここまでしなくてもと思うのだが、やはりニュースで台風の進路をみて、長野県が直撃するようなときは、心配になる。





台風が長野県にもっとも接近するのは明日の午前3時とのこと。眠っている間に通り過ぎてしまうだろう。明日の朝目覚めたら、敬老会。うむ、まだ敬老会に出る心の準備はできてないが、今年も昨年につづき、参加することに。


Saturday September 16,2017

午後2時から、辰野南小学校PTA講演会。対象は児童、PTA会員、教職員、校区区民、区外も可とのことで大勢の方々が来てくださった。1時半、機材を積んで小学校に到着。役員の方々に手伝っていただいて、機材を運び込む。今回大事をとって、以前使っていたElectro Voice のスピーカーにしたが、重い。セッティングをしている段階で各種のハーモニカを収めているケースがないことに気づく。家人に電話してもってきてもらおうとしたが、出ない。

結局今回はハーモニカなしで歌ったが、結果的にはそれがよかったのかも。時間短縮につながった。「雨にも負けず」から始まり「ふるさと」の合唱で終わった。丁度60分。

予想通り、低学年の子供たちの心をつかむことは難しいと思ったが、全体的にはまあまあの出来だった。あとから来た家人の話では、話の部分では子供たちは集中していなかったが、歌になるとけっこう集中していたとのこと。歌の中の言葉がひとつでも心に残ってくれたら、よしとしなければならないだろう。いずれにしろ、今日の講演を、11月に集中している他の学校での講演の参考にして、軌道修正をしたい。

終了後、校長室にて「たつの新聞」の小坂記者のインタビューを受ける。「祈りの歌」に関してかなり突っ込んだ質問を受ける。校長先生ともお話する。新潟出身の素敵な女性の校長先生。社交辞令含みに違いないが、「よかったです」という一言に慰められる。

                    ■

オープンマイク初回出演順:坂井俊水、藤森敬一、jujumo、原田和夫、赤羽真理、三浦久、丸山永子、鈴木美智子。

沖縄からjujumoという夫婦ユニット、それに麻績村から藤森敬一さんを迎えてのオープンマイク。jujumoのボーカル丸山くんのおかあさんは中学時代の同級生。同級生がかなり集まってくれた。jujumoは沖縄を中心に活動しているが、ときには台湾や香港へも呼ばれて演奏しに行くとのこと。ときどき沖縄のメロディが織り込まれるリズミカルな楽しい歌。

ボーカルの奥さんは細身の可愛らしい女性。見事なボーカルを聞かせてくれた。見事なボーカルといえば、丸山くんのおかあさんと彼女の友だちの鈴木さんが「ふるさと」を藤森さんの伴奏でデュエットしたが、声といいハーモニーといい実に素晴らしかった。

見事なボーカルといえば、藤森さんのボーカルもいつものことながら、素晴らしかった。何度聞いても、SISI SOTE SAWA SAWAには感動する。長野県に嫁いできたタンザニアの女性の歌。

坂井君の新曲「日本車」は面白い。走行距離10万キロの日本車が東南アジアの国に売られ、そこでは70万キロまで走るという。確かにありそうな話である。赤羽さんはいつものように淡々と、それでいて凄みのある演奏。特に「許し」は。

ぼくは後半で「六朗」を歌ったのだが、後で藤森さんが話しかけてくれた。「あの歌は浅原六朗のことを歌った歌ですよね。池田町の小学校で教えたことがあります。でも彼の背後にそのような物語があったとは知りませんでした」。

みなさんのおかげで素晴らしい夜になった。jujumoのCD、オーリアッドで購入できます。


















Friday September 15, 2015

いよいよ南小学校での講演会は明日になった。

Thursday September 14, 2017

今日は久々に庭の草刈りをする。長い間。草刈り機のエンジンがかからなかったので敬遠していた。今日朝食後外に出て、草刈り機を取り出し、燃料を入れ、エンジンをかけたら、なぜか一発でかかった。

それでいろんなところの草を刈っていたら、春先にオレンジ色のきれいな花をつけるレンゲツツジの幹を半分ほど切ってしまった。慌てて、紐でしばり固定し、柿の木にしばりつけた。なんとかもってくれればいいが。








トンボが午後の太陽を浴びて、薔薇用のトレリスの先に止まっていた。ちょっと幻想的。






Wednesday September 13, 2017

朝外にでたら、玄関先のサンデッキに孵化したばかりと思われる蝉がいた。カメラを取りにもどり、何枚か写真を撮った。位置を変えて撮ろうとしたら、勢いよく飛びだっていった。長靴の上にはカマキリが。





いよいよ秋になり、蝉もカマキリも、他の虫や花も、冬支度に忙しくなる。


Tuesday September 12, 2017

リビングの天井から雨漏りがしているのに気づいたのは1か月ほど前。しかしその後、どんなに大雨でも雨漏りしなかった。ゴミか何かが穴につまって漏らなくなったのもしれない。しかし用心したほうがいいと、信州ハウジングに点検をお願いした。今日屋根の専門の職人さんがきてくれた。点検のつもりが、屋根に上ったと思ったら、下りてきて、雨漏りの可能性のあるところを何か所かコーキングしたとのこと。それに、雪止にゴミや落ち葉がつまり、そこに雨水がたまり、漏る可能性があると、2本の雪止の1本を取り除いてくれた。仕事が早い。

新しい歌が書けそうで書けないでいる。昔京都にいたときに、ホテルのロビーにすわっていたとき目撃したおじいさんとおばあさんの話。

それは、次のように始まる。

  ホテルのロビーでおじいさんとおばあさんが
  懐かしそうに話している
  お呼び出ししてすみません、とおじいさんが言えば
  お懐かしゅうございます、とおばあさんが言う

このあとの展開はぼくのまったくの想像である。


Monday September 11, 2017

今日は2017年9月11日。今からちょうど16年前の9月11日、ニューヨークの世界貿易センタ―の2つの塔が次々と黒煙をあげて崩れ落ちた。この日から世界の新たな悪夢が始まったようだ。憎しみの連鎖をどこかで断ち切らなければ。今こそ、再び、中村哲さんの言葉に耳を傾ける時だ。facebook に中村哲医師のアフガニスタンでの活動を特集したNHKのドキュメンタリーがアップされていた。昨年これが放映されたときリアルタイムで見たが、もう一度見た。彼こそノーベル平和賞に値する。

ETV特集「武器ではなく 命の水を〜医師・中村哲とアフガニスタン〜」 2016年9月10日(土) 午後11時00分(60分) 2016年9月17日(土) 午前0時00分(60分) 以下のリンクから視聴できます
https://www.youtube.com/watch?v=Ln-v-qKxTao

Sunday September 10, 2017

今朝は各テレビ局とも桐生祥秀の日本初の100メートル9.98のニュース。これでダムの水門が開かれたように、10秒突破が頻出するかも。

サンデイモーニングを見たあと、オーリアッドへ行き、昨夜の後片付け。その後、家に戻り、2階の和室の整理。更に古い珍しい写真がたくさん出てきた。


Saturday September 9, 2017

村の唯一の信号の近く、国道沿いに住む方から、一昨日『九つの物語』の注文が入った。昨日お届けしようと思っていたが、なにやかやあって、行けなかった。今朝ウオーキングを兼ねてお届けすることに。彼女は『祈り』をもっていて、気に入ってくれたようだ。眠れないときにはよく聞くとのこと。聞いているうちに寝てしまうこともあるという。なんだ眠り薬かと思いきや、ときには涙が流れてますます眠れなくなるときもあるという。涙が出る歌は何ですかと聞くと、「樋口の先生の歌」という。「中谷勲」だ。『九つの物語』も気に入っていただけるといいのだが。


オープンマイク初回出演順(敬称略):匿名希望君&足助仁、柳沢、坂井俊水、丸山俊治、Don't Worrys, 赤羽真理、原田和恵、三浦久、丸山真弓。


















Friday September 8, 2017

一日かかってオーリアッド通信を作成し発送する。10月の下北沢での五郎さんとのライブと1月の大阪での「がん哲学外来あずまや5周年記念」について。それに9月16日(土)の辰野南小学校から始まる「人権講演会」について。

               ■
1.中川五郎&三浦久ライブ
出演:中川五郎、三浦久
日時:10月8日(日)17:30 開場 18:00 開演
会場:下北沢ラカーニャ 世田谷区北沢2-1-9 第二熊崎ビル B-1

下北沢駅(小田急線・井の頭線)南口下車徒歩5分
チケット:予約 3000円 当日 3500円(要ワンドリンク・オーダー)
予約:tel: 03-3410-0505 email: lacana1980@mac.com

中川五郎さんとぼくの歌を同じところで聞きたいという奇特な人が現れ、現在のりにのっている中川五郎さんとジョイントコンサートをすることになりました。今日からちょうど1か月後の10月8日(日)です。最近の五郎さんの活躍には目覚ましいものがあります。ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの翻訳はもとより、「一台のリヤカーが立ち向かう」などの優れたトピカルソングを次々と発表し、全国を旅し歌いつづけています。国が音を立てて崩れかけているかのような現在、多くの人に彼の歌を聞いてほしいと思います。

長年続けてきた12月末の吉祥寺マンダラ2での「三浦久年末ライブ」は一昨年の12月、22回をもって終了しました。今回、久々に東京で歌います。「ありがとうミスターコーエン」などの新曲もあります。季節も12月の厳寒期でなく、10月の秋たけなわの3連休の中日です。どうぞご都合をつけてお出かけください。

ご予約は会場のラカーニャに電話かメールでお願いします。会場はそれほど広くないと聞いています。お早めにご予約ください。

2.「大阪がん哲学外来メディカルカフェあずまや」5周年記念イベント
日時:2018 年1 月14 日(日) 14:00〜16:30(13:30 受付開始)
会場:大阪コロナホテル http://osakacoronahotel.co.jp/

新大阪駅より徒歩2分 大阪府大阪市東淀川区西淡路 1 丁目 3 番 21 号
参加費:2,000 円
定員:50 名(申込順)

ぼくはこの2時間半のイベントの中で、1時間歌わせていただくことになっています。
大阪で歌うのは何十年ぶりでしょうか。ご都合がつきましたらお出かけください。

このイベントに参加することになったのは、まさに不思議な連鎖反応のおかげです。物語は、今年の5月に届いた一通のCD注文の手紙から始まります。それは40年前にぼくの京都産業大学のクラスにいたというS君からの手紙でした。そこには、一昨年、体調が思わしくなく、病院へいくと右胸壁骨肉腫だと診断され、余命いくばくもないと告げられ、生れて初めて死を意識したと書かれていました。昨年4月に手術をし、手術と抗がん剤治療のおかげで、7月には退院できたとのことでした。そして驚くべきことに、9月からほぼ2か月かけて、四国八十八ヶ所の四国遍路を歩いて成就したとのことでした。

手紙をもらってから2か月後の7月9日(日)、彼は京都拾得での「七夕コンサート」にきてくれました。終演後、彼に会い、いろいろ話を聞きました。京都産業大学でぼくが使った教科書はジミー・カーターの Why Not the Best?
だったこと、この教科書を使った理由は、カーターが、「ボブ・ディランとディラン・トーマスが好きだ」と書いてあったからと言ったとのこと。その教科書を使ったことは覚えていましたが、それを使った理由はまったく覚えていませんでした。更に彼は、「メディカルカフェあずまや」でガン患者の方々と交流していること、そしてぼくの「祈りの歌」がその方々の間で話題になっていること、などなど話してくれました。それで彼に、もし何か機会があったら、いつでも「あずまや」に歌いに行かせてもらうと伝えました。そのあとすぐ「メディカルカフェあずまや」を主宰されている東先生からメールをいただきました。そして来年1月の5周年イベントで歌わせていただくことになったのです。

申込用紙は次の「あずまや」のフェイスブックからダウンロードできます。https://www.facebook.com/azumaya.medicalcafe/
もしダウンロードできない方がいましたら、ぼくのところへ「参加希望」とメールを送っていただければ、申込用紙をお送りいたします。定員50名とのことです。お早めにどうぞ。

3.人権講演会について
昨年のノーベル文学賞をボブ・ディランが受賞したせいか、今年の秋は、辰野町教育委員会の要請で辰野町のすべての小学校と中学校で「人権」に関する講演をすることになりました。松本や伊那のいくつかの学校からも依頼があり、驚いています。基本的に、児童生徒、保護者、教職員が対象ですが、すでに打ち合わせを行った2つの学校では、地域の方々も歓迎するとのことでしたから、どの学校も同じスタンスだろうと思います。講演とはいいましても歌も歌います。興味がありましたら、お出かけください。予定は次の通りです。

9月16日(土)14:00〜15:00 辰野南小学校
9月26日(火)16:00〜17:30  松本筑摩高校
11月 2日(木)14:00〜15:00 辰野東小学校
11月 7日(火)14:50〜15:50 辰野中学校
11月10日(金)時間未定  松本開成中学校
11月21日(火)14:00〜15:00  川島小学校
11月30日(木)時間未定 辰野西小学校
12月 1日(金)時間未定 伊那東小学校
12月 5日(火)14:00〜15:00 両小野小学校
*松本筑摩高校は人権講演会ではなく、教研集会である。但し、派遣申請書には演題が「ボブ・ディランにおけるプロテストソングの方法」となっているので、やはりボブ・ディランがらみである。

               ■


Thursday Sepotember 7

若松さんから頼まれていた五郎さんとの写真を探す。探していた写真がようやく出てきた。探し物上手の家人が見つけてくれた。ぼくは写真ばかりでなく、整理整頓ができないので、人生の大半を探し物に費やしている。



同時に珍しい古い写真がいっぱい出てきた。なつかしい写真ばかり。そのいくつかをfacebook に載せる。








Tuesday September 5, 2017

午後1時半、定期検診のため病院へ。前回の血液検査の結果は特に問題ないとのこと。前回加えてもらった降圧剤アテレック錠5mmが劇的に効いたので、しばらくオルメティックは服用していないと先生に伝える。それで今回はアテレック錠のみを処方してもらうことに。

一旦家にもどり、4時半、辰野南小へ。人権に関するトークライブの打ち合わせ。会場は視聴覚室ときいていたので、好都合と思っていたら、狭いので体育館に変更したとのこと。早速、体育館を見せてもらう。かなり広い。持って行った簡易PA機材をセットし、音を出してみる。担当の先生二人に歌を聞いてもらう。 Tomorrow Is a Long Time。体育館の中ほどに立っているいる先生方まで、音は十分届いているとのことで、これでいくことに。

大学生のような若い先生方である。学校の先生や警察官、郵便配達の人たちが若く見えるということは、ぼくが年をとったということである。

プロフィールと演題を明日までに送ることに。

若松さんから頼まれていたエッセイを、ようやく今夜遅くに送った。249字オーバーした。なんとか受け取ってもらえればいいが。


Monday September 4, 2017

昨夜は厚い布団をかけて寝たが、ちょうどよかった。いよいよ季節は本格的な秋へ。

頼まれていたエッセイをほぼ書き終えたが、字数が少々オーバー。どの程度までオーバーしていいかメールを打つ。もし駄目ならかなり削らなければならない。

午後、オーリアッドへマイクとスタンドを取りに行く。明日の南小での打ち合わせのとき、できたら、機材をセッティングして音を出してみたい。帰ってきて、イチゴ、キャベツ、白菜の苗に水をやる。

「秋は夕暮れ」と清少納言は「枕草子」に書いた。確かに秋の夕暮れは風情がある。写真を何枚か撮る。







シュウメイギクの蕾が膨らんできた。いよいよ秋。


Sunday September 3, 2017

朝食後、家人に頼まれて、宮所の堀内さん宅まで、生活クラブの牛乳とお豆腐をとりに行く。写真を撮りながら歩くことに。朝の光を浴びた景色が美しい。







帰路、徳本水のところで、消防団のラッパ隊が練習していた。朝の光が降り注ぎ、とてもいい感じ。お伽の国の物語に出てきそうな風景。 隊長と3人のラッパ手。



午後、秋篠宮家長女の婚約発表の記者会見を見た。二人ともぼくの大学の後輩にあたる。ぼくが1965年4月、国際基督教大学に入学したとき、田舎の町ではだれもその存在を知らなかった。「牧師になるのか」と何度か訊かれた。あれから50余年、誰もが知る大学になった。但しぼくはこの大学を卒業していない。1年と1学期通っただけで、大学の交換留学プログラムでカリフォルニア大学サンタバーバラ校 (UCSB) に編入したからである。

驚いたのは、今日の記者会見の二人が出会ったのは、大学の交換留学プログラムの説明会でのことだった。一人はイギリスへ、もう一人はアメリカ (UCLA) へ、1年間留学した。ぼくも最初は1年の予定で渡ったのだが、学生運動が激しくなり、次の年、またその次の年も、学校が留学生を選考できず、ぼくが3年続けて、授業料免除などの恩恵を受けることになった。

今日の記者会見を聞いていて、そんなことを思いだした。もう半世紀も前のこと。


Saturday September 2, 2017

午後2時から、赤羽泉美さんの「ボサノバ室内楽」コンサート。バイオリンは弘田久美子さん、ピアノは今井亮太郎君。とてもいいコンサートだった。東京や横浜から聞きに来た人もいて、確実にファンが増えていることがわかる。









明日は長野市でのイベントにこの3人で参加するとのこと。

今夜のオープンマイクは取りやめたので、夜は家にいた.
土曜の夜家にいることがないので、ちょっと時間を持て余したような。面白そうなTV番組もなし。


Friday September 1, 2017

飯田の熊谷先生へお礼のはがきを投函しに、朝食後、村の北の端にある郵便ポストまで、あるく。蕎麦の畑が見違えるよう。蕎麦の成長は早い。







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