OREAD Diary February 1〜February 28, 2005

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February 28, Monday 2005

先週土曜日、飯塚さんが、新しいトシ・コンサートのチラシとチケットをもってやってきた。最初は4月17日(日)が予定されていたが、都合により、5月8日(日)に変更になったとのこと。

  トシ・コンサート ― 世界がひとつであれば
  日時:2005年5月8日 午後2時15分開場、2時半開演
  会場:いなっせ(伊那市生涯学習センター)
  チケット:前売り3000円、当日3500円


チケットは駒ヶ根と伊那のベルシャインで購入できる。オーリアッドにもあります。


February 26, Saturday 2005

寒い一日。静かな飛び入りライブだった。久々に堀内夫妻チハルナコンビで登場。「冬の星座」「荒城の月」「朧月夜」「里の秋」。ぼくも子供のころよくこれらの歌を歌ったものだ。学校でも歌ったが、主に家で母や姉たちと歌った記憶が強い。今の子供たちにもこれらの歌は歌われているのだろうか。次に赤羽真理さん登場。



「鹿のように」「薔薇は憧れ」「森の小道」「千両梨の実」。そしてリクエストに応えて「人生の嵐」。2曲目を除いては極めて宗教的な歌。つづいてぼくが歌おうとすると、飯塚さんより、「奥さんも一緒に」という声がかかる。そこで「千の風」を一緒に歌い始めたのだが、あまり上手く歌えない。しばらく歌唱指導。



そしてその後、赤羽さん、堀内さん、飯塚さん、ルナさんにも歌唱指導。ぼくの歌はやさしいようで、微妙な節回しが難しいようだ。昔、「あのねのね」に「パーティーは終わったよ」を教えたとき、何度教えても、「パーティーはおわーたよー」の「わーた」の部分が微妙に変化するところが歌えなかった。「千の風」も「私はその石の下に、眠ってはいまあーせん」の「いまあーせん」の微妙な音の変化が難しいようだ。しかし、最後にはなんとか歌えるようになり、みんなで合唱。



そのあと、ぼくが一人で「千の風」「死は終わりではない」「もう一度」「新しい光迎えよう」を歌う。いずれも賛美歌のような響きをもった歌。「千の風」を歌いながら、考えた。キリストは、十字架上で殺され、墓に埋められ、その上に大きな石が置かれたが、三日後に蘇った。マグダレアのマリアが墓に行くと、大きな石は横に転がされていて、遺体は見当たらなかった。「私はその石の下に眠ってはいません」ということばはイエスのことばととることもできる。

そのあと、堀内夫妻が「若者たち」「赤とんぼ」「今日の日はさようなら」を歌う。それで立ち上がろうとするので、ぼくの好きな韓国語の「故郷の春」をリクエスト。続いて、赤羽さんが、「放浪者の子守唄」「旅立ちのとき」、そして最後に「アメージング・グレース」を歌って飛び入りライブは終了。11時まで歓談。



February 25, Friday 2005

家のベランダの木が腐りかけてきたので、思い切って全面的に新しくしてもらった。ついでに屋根と外壁の塗装もしたので、かなり大掛かりな工事になってしまった。今朝、足場が撤去されてすべて終了。

ベランダを作った板の残りがたくさんあったので、夜、その板を利用して、CDを置くための棚を作り、以前カセットテープ用のラックがあったところに取り付けた。釘がはみ出たり、板が割れたりしているところもあるが、散乱していたCDが片付いて、カウンターの中が少し整理された。明日行ったら、棚が落ちていたなんていうことにならなければいいのだが。

最近のぼくの愛読書は佐藤勝彦さんの『こころの書』。インターネットの古書店で見つけたもの。今晩も少し、その本から拾い読みした。アトランダムにいくつかの文を抜き出してみよう。

  はたして、字がうまくなることが happy につながるだろか。
  つながらないとはいい切れないが、むしろ人と競ったり、人
    を羨んだり、悩んだり、とらわれたりで、なかなか happy に
    してくれないのではないだろうか。

  いまの世の中では、「社会で認められなければ、書がうまい
  とはいわれない」という錯覚をもっている人が多いのではな
  いだろうか。なんでもかんでも社会が価値基準であるという
  が、しかし、幸福というものは、自己が価値の主体でなけれ
  ばならないはずである。

  手はすぐ、うまさへと向かう。心を離れて生きたがる。・・
  書の世界でも、一度、技でほめられると、技を誇示したくな
  るのである。心はそうしたことを調節するために、ほめられ
  てのぼせないように、下に下に、元へ元へと戻そうとする調
  節器官のようなものである。

  手が先に進むということは、多かれ少なかれ社会的な進み方
  をするものである。人にほめられるような方向である。いわ
  るゆ、きれいな、うまいという世界である。

  ところが心が先行すると、自分らしいということをふまえる。
  自分の素直な安心という立場をとる。これが外にあらわれる
  時大いに違ってくる。社会の多くの人から見て、なんと汚い
  ものだということだって起こり得る。

  子供の絵が生き生きしているのは、自分らしいことしかでき
  ないからである。

  書を習いたいという人に、子供の絵や書を見せて、興味があ
  るかどうか、反応させてみると面白い。子供の絵や書に、興
  味を覚えるようならば、書をやってもいいが、そうでないも
  のは、90パーセントだめだと断定してもいい。

  多くの大人や、大先生の字がつまらないのは、社会に価値を
  置いて、うまいといわれたい、きれいだといわれたい、そう
  したまわりの人たちに合わせなければならない悲しい意識が
  あるからだといえる。

ちょっと引用が長くなってしまった。これは書だけの話しではないだろう。オーリアッドのステージに飾ってある六地蔵の絵と般若心経の書は佐藤勝彦さんのもの。


February 24, Thursday 2005

雪まじりの小雨が降る寒い日。開店後しばらくして、小野春宮の自然農法家、黒岩さんがやってきた。彼はいつもの一番テーブルにすわり、先週土曜日に読みかけた佐藤勝彦さんの『こころの書』を読みはじめた。『千の風』以外のぼくのアルバムを聞きたいというので、『メッセージ』をCDプレーヤーに入れ、ぼくはセカンドウインド英語教室へ。

9時過ぎ教室から戻ると彼はすでにいなかった。妻によれば、「王城山に黄色い月がのぼり」がよかったといっていたらしい。ただ、本を読みながらだったので、歌に集中できなかったといい、CDを購入してくれたとのこと。感謝。

そのあと、ぼく自身、『メッセージ』を最初から聞きなおした。本当に久しぶりに聞くので、他の人のCDのようにかなり客観的に聞くことができる。今ならこうは歌はないと思うところもいくつもあった。アルバムに入れないほうがよかったかもしれないと思う歌もあった。しかし、以前は納得できなかったのに、なかなかいいと思う歌もあった。一番いいと思ったのは「門」。「スーとジョンのバラード」は最近まったく歌わないが、たまには歌ってもいいかもしれない。

そのあと、スプリングスティーンのファースト・アルバム GREETINGS FROM ASBURY PARK, N.J. を聞く。

11時過ぎ、店を閉め、外に出る。昨夜の満月とは違い、今夜は吹雪だ。道路はすでに一面真っ白。


February 23, Wednesday 2005

午後5時半過ぎ、オーリアッドへ行くために、わが家のある上の段から旧道へ下りる坂を降りはじめると、真正面、王城山のすぐ上、満月がぽっかり浮かんでいた。思わず、「よい湯からよい月に出た」という山頭火の句が浮かんできた。こうこうと輝くその月は、11時過ぎ家にもどったとき、ちょうど真上にあった。あたりは明るく、庭の草木が識別できるほど。

長野県は今2月26日から始まるスペシャル・オリンピックの話題で賑やかだ。わが家ではかなり前からホストファミリーとして選手を受け入れたいと考えていたが、辰野町がホストタウンとなったアゼルバイジャンの選手団は町が経営する宿泊施設に宿泊することになった。

そこで、できたらお昼だけでもご馳走できないかと相談したところ、宮木区の民生委員の方々が全員協力して下さることになり、今日のお昼、アゼルバイジャン選手団を招いてオーリアッドで昼食会が開かれた。



選手たちは12歳から17歳とみな若く、元気な子供たちだった。民生委員の方々が作って下さったチラシ寿司、おでん、カレーなどのお昼を食べたあと、選手たち全員にアゼルバイジャンの歌を歌ってもらった。そのあと、「ふるさと」と「かえるの合唱」のローマ字表記と英訳を添えた歌詞カードをわたし、日本人スタッフやボランティアの方々と一緒に歌う。



そのあと、若い選手たちが次から次へとステージに上り、歌を歌ったり、踊ったり、太鼓を叩いたり。楽しい一時になった。彼らの笑顔、積極性が素晴らしい。名前だけしか知らなかったアゼルバイジャンという国が身近になった。



宮木地区の民生委員の方々には大変お世話になった。


February 19, Saturday 2005

午後3時ごろ、水野哲男さんから、都合が悪くなり参加できないとのメールが入った。彼の親友、藤森敬一さんも今回は見合わせるとのこと。藤森さんは、北信の坂井村在住だから、こんな雪の日には無理しないほうがいい。二人は来れなかったが、今夜は出演者もバラエティに富み、レベルの高い飛び入りライブになった。

ぼくが「ガビオタの海」と「千の風」を歌ったあと、井原仁志さんと木下卓也さんに、「がんばれ友よ」と「悩みがあるから人間なんだ」を続けて歌ってもらう。ライブが始まる前、書家の山崎会心さんがきて、彼らに、その二つのタイトルを合わせた「頑張れ友よ、迷いがあるから人間なんだ」と書かれた色紙を贈ったからである。それだけでなく、山崎さんは彼らの名前の一文字を彫った「仁」と「卓」の落款印もプレゼント。山崎は書家であると同時に、落款印も自ら彫る。ぼくも数年前に「久」と彫られた印をいただいた。



「悩みがあるから人間なんだ」のあと、木下さんが続けて、「自分」「10月の海」を歌う。後者のフィンガーピッキングの音色に聞き惚れた。さらに、井原さんが、「とどけよ、とどけ」「酔いつぶれた、太陽よ」を歌う。後者は河島英五の「酒と涙と・・」を彷彿させる野太い歌声と激しいギターワーク。



次は、オーリアッド初登場、大平俊郎さん。「一万尺よ」「すっぽんのタコ親父」「チンピラゴボウ」の強烈な3連発。タイトルもユニークだが、内容もユニーク。会場は、クスクス笑いから哄笑へ。この強烈パンチに対抗できるのはシュビドゥバ・タケイさんしかいない。



1曲目何で迎え撃つかと思ったら、「ビッグ・レインボー」だった。そして「ぼくという証明」。とどめは「ジュエルの箱」。会場が「シュビドゥバ、シュビドゥバ、シュビドゥバ」の渦。ここでしばらく休憩。その間に、神戸からきた JamzIp にセッティングをお願いする。

下記の真ん中の写真、右から2人目がリーダーの井村真琴君。かつて(10年近く前?)ぼくのクラスにいたことがある。英語のリズムと、音の連続による音の変化を身につけるため、ぼくのクラスでは歌を多用するが、ある日、みんなで歌っていたら、リードギターが聞こえてきた。それが井村君だった。楽しいクラスだった。その右の写真は、彼らのロード・マネジャー(?)との記念撮影。スプリングスティーンの大ファンとか。




正直なところ、JamzIp がこれほどやるとは思っていなかった。CDでは聞いていたが、やはり、生で聞かなければ本当のよさは分からない。サウンドチェックの段階から、これは凄いと感じさせた。1曲目は「はじまりの唄」。見事にハーモナイズした井村君とサトさんのボーカルに、軽快にドライブする井村君のギターとサトさんのピアノ、それに湯坐啓人さんのカホンが、絶妙にブレンドする。2曲目はアルバム・タイトル曲「それでいいんだ」。

   同じコードでも、君にしか
   歌えない歌があるはずさ
   線を引いたら、君はへたくそさ
   だけどだれも線なんてひけない
   それでいいんだ、それでいいんだ
   ・・・

3曲目「なめくじ」はカホンの湯坐さんをフィーチャーしたリズミカルな曲。椅子としか思えないカホンという打楽器の極限の可能性を感じさせる演奏。湯坐さんの「手さばき」と、叩く場所によって異なるサウンドのブレンドに会場の誰もが息をのむ。演奏が終わったときは、割れんばかりの拍手。




つづいて、オーリアッド2度目の「たかよ」さん。「カナダ」と「心は曇りのち晴れ」の2曲。熱狂的なファンの大声援を受けて熱唱。そして、赤羽真理さんの「千両梨の実」。いつも聞いている歌だが、今日は立って演奏したせいか、ギターも声も一段とよく響き、説得力があった。



赤羽さんの次は、ギターの山田守人さんと5弦ベースの斉藤勇さん。「月光値千金」と「変な夢」の2曲。二人は、風貌のみならず、演奏もボーカルも渋い。格好いい。



その二人にボブ鈴木が加わり3曲。「サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」「バーボン・ダブル・ストレートパンチ」「川を下って」。ボブのサイドでブルーズのリードを弾くとき、山田さんのギターは更に冴える。いつまでも聞いていたい気分になる。ボブも彼らとやるときは、本当に気持ちよさそうに歌う。




昨日同様、6時開店と同時に入ってきた小野春宮の自然農法家の黒岩さんは、最後まで2番テーブルで聞いていた。最後の最後になってしまったが、大月高志さんに、黒岩さんが聞きたいといっていた「カノン」の演奏をお願いする。演奏する前に、大月さんは、最後に演奏した「おじさんたち」を見ていると歳をとるのも悪くないと思わされるという主旨の話をした。彼らを見ていると本当にそう思う。お金とはあまり縁はなさそうだが、いい人生を生きている。音楽を本当に楽しんでいる。

  

すべての演奏が終わったとき、11時を少し過ぎていたが、ミッドナイトまで歓談。黒岩さんは、「待ったかいがありましたわ」といって帰っていった。大平さん、それに山田さんと個人的に話す。山田さんは JamzIp の演奏を高く評価していた。


February 18, Friday 2005

開店直後に入ってきて一番テーブルにすわり、長い間静かに本を読んでいる人がいた。長髪で独特な雰囲気をもっている。フォークシンガーかなと思ったが、あまり個人的なことを聞いてはと思い黙っていた。

勘定をいただいたときに、『千の風』のCDを欲しいというので、どこでこのCDについて知ったか聞くと、小野の中村さんのところだという。それをきっかけに長い間話し込んだ。

彼は、一昨年の夏、会社をやめて、大阪から小野の春宮に移り住んで自然農法で野菜を育てているという。その前に一年、奈良の川口由一という自然農法家のところへ通って、自然農法を学んだとのこと。また伊那の島崎山林研修所へも大阪から月2回通って山の手入れについても学んだとのこと。

中村さんとは偶然に出会ったとのことだが、二人の人生観には共通しているところがある。出会うべくして出会ったのだと思う。

この「オーリアッド日記」もよく読んでいてくれるようで、「カノン」を弾くピアニストを聞いてみたいという。明日きたら、聞けるかもしれないよ、と話す。

遅くなってやってきた大月さんにその話しを伝える。おそらく弾いてくれるだろう。


February 17, Thursday 2005

前半セカンドウインド英語教室。まだ左下の歯茎と頬、そして唇の一部が大きく腫れていて、口を開くのが大変。リピートさせるための英文を読むことが難しい。発音も不鮮明だ。しかし、ありがたいことに痛みはほとんどない。

9時過ぎ、オーリアッドに入るも、このひどい顔でカウンター内にいてお客さんを驚かせてはいけないと、今晩も早退。土曜の飛び入りライブまでには腫れが引いていればいいのだが。

家に戻ったら、電話が鳴った。受話器をとると、たどたどしい日本語で、「ミウラさんですか」という。聞いたことのない声だ。相手は、日本語は不得手なのでと英語で話し始めるが、その英語もかなりわかりずらい。2年ほど前にわが家を訪ねてきたソウルのジュリアさんの夫だった。アメリカ資本の会社に勤めているとは聞いていたが、今仕事で東京にいるという。土曜日にソウルに戻り、すぐ香港へいかねばならないが、3月後半はソウルにいるので、是非遊びにこいとのことだった。

昨年末にジュリアからちょっとした贈り物が届いたので、そのお礼の手紙に、3月末にできたら韓国を訪問したいと書いておいた。今の段階では、はっきり行けるかどうかわからない。しかし、できたら行きたいと思っている。ソウルの石を焼いた蒙古風サウナに入るだけでも行く価値がある。



February 16, Wednesday 2005

久々のオーリアッド。月曜日から左下の歯茎が腫れ始め、激痛が走る。昨日はたまらず、Dr. Yajimaに診てもらいにいってきた。歯茎を切開し、少し膿を出してもらったが、腫れは引かない。痛みは増すばかり。そこで今晩、オーリアッドは後半、妻に代わってもらい、家に戻り休む。

家にもどったとたんよしだよしこさんより電話。5月の後半オーリアッドにきたいとのこと。今度はダルシマをたくさん弾いてもらえそうだ。日時が確定次第、お知らせします。

今度の土曜日の飛び入りライブには、久しぶりに藤森敬一さんがきてくれることになった。知っている人が多いと思うが、「おーい日本、長野県」の歌「君とここで暮らしたい」を歌っている人。昨年の「軽井沢ラブソング・アウォード」でも本選グランプリにノミネートされたとか。彼ののびやかな高音ときれいなメロディラインは耳に心地よい。

同時に、単に耳に心地よいだけではなく、深い思想性のある歌もある。中国へいって木を植える歌。何十年ぶりに同級会で会った老担任教師への慈しみの気持ちを歌った歌など。

藤森さんと、水野哲男さん、シュビドゥバ・タケイさんは、高校時代、同じフォークソング・クラブで活動した仲間。今度の土曜日は、その3人がそろう。面白くなりそうだ。


February 13, Sunday 2005

茅野の「くるみ」で行われた「高田渡コンサート」へいってきた。テレビでは何度か彼が歌うのを見たことがあるし、LPレコードやCDで彼の歌を聞いたこともある。しかし、生でワン・ステージ聞かなければ、「タカダワタルテキ」なものはわからないと実感した。彼の歌、姿、語り、すべてが「タカダワタル」というひとつの芸なのである。「ぼやき漫談」ともいうべき語りで、会場は何度も爆笑の渦。おそらく歌っていた時間より、語っていた時間のほうが長かったのではなかろうか。

目をつぶって、しばらくことばが途切れたときは、例の「ステージ上で眠ってしまう」という「伝説」の再現かと期待したが、再び口を開き話し始めた。それも芸のうちか。

歌では、何度も聞いたことのある「夕暮れ」「生活の柄」が印象に残った。名曲である。

ひがしの(ひとし)君は彼と親しかったと聞いているが、歌、ギターの弾き方、語りともに、かなり共通した部分があるように思えた。


February 12, Saturday 2005

6時開店。直後に、見知らぬ方が入ってきた。「お久しぶり」というので、どこでお会いしたかと考えたが、思い出せない。息子さんが、長男の伸也と中学、高校と一緒だったという植松和寛さんだった。通りかかったので、飛び入りライブとは知らずに、寄ってくださったとのこと。

たまたま今日は、妻が留守で、伸也に手伝いにきてもらっていたので、しばらく一緒に話す。伸也と息子さんは同級だったことはなかったが、中学時代二人とも剣道部に所属していたとか。


植松さんが、「ダニー・ボーイ」をピアノ弾き語りで歌うのが夢で、10ヶ月ほどピアノの先生について習ったことがあるというので、お願いして弾いてもらう。「ダニー・ボーイ」の他に、「アメージング・グレース」「ロンドンデリーの歌」も弾いてくれた。そのあと、ぼくが「碌山」「千の風」「次郎」を歌い、続いてオーリアッド2回目の北村智明さん。1曲目は「聞いてね」という、短い歌。歌ができる瞬間を歌にしたもの。




さらに彼は、デビルという名前の猫の目で、人間世界を眺める「デビル」、それに「真夜中のピアニスト」「やさしい気持ち」を歌う。次に登場は、森西ふみさん。「うたう」「今この時」「流浪の民」。前回は小ぶりのギターだったが、今回は、大きな黒いボディに大きい白いピックガードのコントラストが鮮やかなギター。音もよく出る。



ここで最初にピアノを弾いてくれた植松さんがお帰りになるというので、久しぶりに3人そろってきてくれた「香月!」の大月さんに「カノン」をお願いする。素晴らしい迫力。次に、信大の近藤菜穂子さんが、Let It Be を演奏。



近藤さんのあとを受けて、久々登場の赤羽真理さん。新しいチューナーを購入したとのことで、入念にチューニングをしてから、いつもの「千両梨の実」を歌い始める。いつ聞いていい歌だ。つづいて「人生の嵐に」「風車」「森の小道」。



続いて、「香月!」のギタリスト栗林秀和さん。今日はギターを半音下げてチューニングして演奏。「ワインの匂い」「老人のつぶやき」の2曲。後者を聞くのは3回目。今日が一番よかった。「私が好きだったあの人も、今ではもう死んでしまったかしら」、そんなつぶやきが似合う歳にぼくは近づきつつある。続いて「香月!」登場。



「秋桜」、そして「Ann〜ラストソング」。2月26日(土)、松本の HOT LAB でのライブに向けて練習を重ねているだけあって、3人の息が見事にあって、いい演奏だった。もっと聞きたかったが、2曲で終わり。最後に、子供たちが眠るのを待って、遅れてきた長島功さんに歌ってもらう。自作の「最後の手紙」と「無縁坂」に「ふるさと」。「最後の手紙」はまだ発展途上で、いつも歌詞やメロディが変わっているが、今日が一番よかった。



その後11時まで歓談。最後にぼくの「次郎」を聞いてもらったが、賛否両論。CDに入れることにはしているが、このまま入れていいものか。


February 11, Friday 2005

ジムでおそるおそる1キロ走ったあと、オーリアッドへ。突破性難聴の治療薬のせいか、あるいは、単なる食べ過ぎ&運動不足のせいか、体重がかなり増えてしまった。今日はトレッドミルで走ってから泳ぐつもりだったが、ジャグージーに入り、いざプールに入ろうとしたら、ライフガードが走ってきてジャグージーのあとはプールに入れないと注意された。サウナのあとはいけないと知っていたが、今までに何度もジャグージーに入ってから泳いだことがある。一度も注意されたことはない。祭日でいつものライフガードと違っていたからか。規則は規則、仕方ないので、サウナに入っただけでオーリアッドへ。

第2回オーリアッドサロンでお話していただいた田中美智子さんのお嬢さんが訪ねてくださった。昨年一月に田中さんはお亡くなりになったとのことだった。オーリアッドの本棚には田中さんが寄贈してくださった本が何冊もある。ゆっくり話すことはできなかったが、彼女は、1990年代に4年間サンタバーバラに住み、UCSBで学んだとのこと。ぼくが住んだアイラヴィスタという学生街に住んでいたかと聞くと、サンタバーバラのオールド・ミッションという古い教会のある地域に住む先生のお宅に下宿していたとのこと。

田中美智子さんの「メイヨー・クリニックでの30日間」というお話は、次のURLから。http://www.secondwind.jp/monthsalontanaka.htm

中断しているオーリアッド・サロンを再開したいと思っているが、諸事情でなかなか再開できないでいる。


February 10, Thursday 2005

英語教室が終わり、階下に降りていくとジブラーンの会の方々はすでに帰ったあとだった。今晩は、「苦しみについて」と「自己認識について」の2章を読んだと伝言が残されていた。

  あなたの心が、日々の奇跡に対し、畏敬の念を抱くことが
  できるなら、あなたの苦しみは、あなたの喜びと同じよう
  に、素晴らしいものに思えるだろう。そして、あなたが野
  原を通り過ぎて行く季節を受け入れてきたように、心の中
  の季節も受け入れることができるだろう。
                ―「苦しみについて」より

「次郎」のオリジナルの詩に曲をつけるべく、試行錯誤を繰り返している。まだ完成はしていないが、かなりはっきりした方向が見えてきた。そして、やはり、抜粋したり、ことばを変えたりしないで、全部を歌ったほうがいいと感じている。レコーディングに関しては、『千の風』と同じく、エンジニアの石崎信郎さんと、ディレクター&アレンジャーの関島岳郎さんに協力してもらえることになった。

遅くなって、パソコン・レッスン帰りの Dr. Yajimaと、森林関係の会合で伊那へいってきたという小野の中村さんが顔を出してくれた。Dr. Yajimaは、25th Anniversaryに3人の娘さんから招待されていったきたというディズニーランドでの写真を見せてくれた。彼は、ディズニーランドに関しては一家言をもつ、日本でも有数のディズニーランド・オタク、否、オーソリティである。ディズニーランドには、今までに100回以上はいっているはず。

最後に中村さんに「鉄道員」のテーマを弾いてもらう。この曲はいつ聞いてもいい。Dr. Yajimaはこの映画を最近見たとのことで、この映画のいくつかのシーンのことで話が盛り上がる。


February 9, Wednesday 2005

午後、碌山美術館と信大へ行く。その帰り、山麓線から見た北アルプスの上に広がる夕焼けがきれいだった。思わず車をとめて写真に撮った。



6時にオーリアッドに入る。店の内も外もいつも静かだが、今晩は特に静かだ。あとで気がついたが、サッカーのワールドカップ予選があったのだ。その影響かも。

碌山に大きな影響を与えた井口喜源治さんの詩「次郎」をもとにした「万水川慕情」を『碌山』というミニアルバムに入れるかどうかまよっていた。午後、館長の山田さん、そして碌山友の会理事長の榊原さんとお話したところ、是非入れてほしいとのことだった。そして、タイトルも「万水川慕情」よりも「次郎」のままがいいだろうということになった。

そこで今晩は、歌詞とメロディをもう一度検討した。長い詩で、古語が多く、聞いただけでは理解できない表現が多いが、そのまま全部歌ってしまうほうが、記録という点からも、そして、井口喜源治という人を知ってもらうためにも、いいのかもしれないと思い始めている。

碌山美術館の帰り、「次郎」に曲をつけてCDに入れることを了承してもらおうと、井口喜源治記念館に寄ったが、冬期は土日のみオープンとの張り紙。入り口にあった銅像を写真に撮って引き返した。



午後11時、店を閉めて、家に戻ってニュースを見た。サッカーの試合の熱狂振りに驚いた。



February 5, Saturday 2005

今晩は一風変わった飛び入りライブになった。

6時開店と同時に山岸豊さんが入ってくる。昨年12月4日以来とのこと。ぼくが突発性難聴で入院した翌日のこと。あれからもう2ヶ月が経ったとは驚きだ。山岸さんにはトップバッターをお願いすることが多いが、今晩はまずぼくが Can't Help Falling in Love, All My Loving, Cucamonga Californiaなどを歌う。そのあと、妻がダルシマで Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot?を弾く。まだ歌いながら弾くことは難しいようだ。



山岸さんもダルシマに興味を示し、手にとって弾き始める。ダルシマという名前さえ知らなかったとのことだが、ギターを弾く人にはダルシマは簡単なようだ。All My Loving, Blowin' in the Wind などを見事に弾く。

その後、しばらく山岸豊ワンマンコンサート。まず I Shall Be Released を英語と日本語で。そのあと、昨年は2曲しか新曲ができなかったとのことだが、その2曲「ゆうとときょうと」と「遠距離恋愛」。さらに、「雪降る夜に小布施で」「木陰の季節」。そして奥さんにプロポーズするために書いたという「君が好き」。つづいて「天気がいいから蒲団を干した」「次の場所へ行く幸せ」。



山岸さんの「雪降る夜に小布施で」と「君が好き」にまつわる恋の話を受けて、堀内千晴さんが大学時代にほのかに想いを寄せていた人について語り、そして「シーハイル」「学生時代」「北帰行」「冬の星座」を歌う。つづいて垣内彰さんも昔の恋の話。詳しくはここには書けない。 



さらに彼は高村光太郎の「郊外の人に」を朗誦。大学で電気工学を専攻した彼が多くの詩歌を、しかも長いものを、暗唱できることに驚かされる。「郊外の人に」もけっこう長い。その詩の最後の部分は次の通り、

  愛人よ
  こは比(たぐ)ひなき命の霊泉なり
  されば君は安らかに眠れかし
  悪人のごとき寒き冬の夜なれば
  いまは安らかに郊外の家に眠れかし
  をさな児の如く眠れかし


飯塚さんもまた、「22才の別れ」のような昔日の思い出を話し、4月17日(日)に伊那市の「いなっせ」で開かれる「トシ・コンサート」について語る。(このコンサートのチラシとチケットはオーリアッドにあります。ご希望の方はどうぞ。)



飯塚さんのトシさんに寄せる想いは恋とはいわないまでも、それに近いものかも。あるいは、母性本能的なものか。歌いたい人が自由に歌えない状況を憂え、とにかく歌う場所を提供してやりたいという熱い思いが伝わってくる。

次に登場したのが栗林秀和さん。中学時代の初恋の話と高校時代に想いを寄せた人の話。京都の大学に進んだ彼女に会いに何度も京都を訪ねたとか。詳しいことは省略。歌った歌は「老人のつぶやき」。その歌の中に、

  ただあの人に私の愛が伝えられなかった
  それが心残りです

というところがある。おそらく誰にも多かれ少なかれそんな「心残り」があるのではないか。



次に大月高志さん。今夜はピアノではなく、栗林さんのギターを借りて2曲。1曲目は、以前にも一度演奏したギターインストラメンタル「ビター・スイート・サンバ」と、飯塚さんの話を受けて「22才の別れ」。大月さんに関して驚くことのひとつは、いくつものフォークソングを歌詞を見ないで歌うことができること。昔の恋の話については彼は口を閉ざしたままだった。



最後に、ぼくが、「万水川慕情」「薫子」、そして「千の風」を歌って今日の飛び入りライブは終了。その後しばし歓談。歌い手は少なかったが、和気あいあいとした楽しい夜だった。次の写真は垣内彰さんから送られてきたもの。そうそう、大月さんが今夜は眼鏡をしていた。一ヶ月半かかって取り寄せた特注のフレームとか。イチローのサングラスのフレームと同じとのこと。ソウルで買ったぼくの4000円の眼鏡とは違う。




February 4, Friday 2005

スイミングのあとオーリアッドへ。ボブ鈴木よりファックスが入る。19日か26日のどちらかの飛び入りライブに来たいとのこと。同時に、茅野の「くるみ」での高田渡ライブの案内が入っていた。

  高田渡くるみライブ
  日時:2月13日(日)午後6時半開場、7時開演
  会場:くるみ
  チケット:前売り3000円、当日3500円
  問合せ:くるみ(0266-72-3612)

日曜日なので、ぼくもいけるかもしれない。

オーリアッドのメニューには、どくだみ茶、イチョウの葉茶、よもぎ茶、高麗人参茶などのほかではあまり飲めないお茶がある。けっこうこれがよく出る。最初は好奇心で飲んでみるのだが、次からは、病みつきになる人もいるようだ。今夜も、前にもきたことのある団体が入り、どくだみ茶、イチョウの葉茶、よもぎ茶の注文が多かった。

先日、かんてんぱぱホールへ寄ったときに購入した『いい会社をつくりましょう。』という伊那食品社長塚越寛さんの本を読んでいる。以前からこの会社の方針というか「あり方」には感銘を受けていたが、この本を読んでその思いをいっそう強くしている。例えば次のような記述がある。

  会社をただひたすらに成長させることを善とするのは、間違った
  ことです。必ずしも、成長イコール善ではありません。とくに急
  激な成長は、いろいろなところにしわよせを起こしやすいもので
  す。・・・1981年に販売を始めた「カップゼリー80℃」がヒット
  したとき、大手スーパーから全国流通の誘いを受けましたが、当
  社の身の丈に合わないという判断から、お断りしました。

塚越さんが、国がすべきは「不況対策」ではなく「好況対策」だと考えているのも同じ発想である。つまり急激な成長は長続きするものではなく、生産過剰に陥り、経済が低迷する原因だというのである。だから彼は、国のレベルでビジネスにおける「法定速度」を守らせる制度が必要だと考えている。

詳細はアマゾン・ブックスで見ることができます。


February 3, Thursday 2005

寒い日が続いている。ぼくの気持ちが少々落ち込んでいるのは、この寒さのせいもある。今朝起きて「たつの新聞」を見て、更に落ち込んだ。昨年のほたる祭りライブにきてくれた矢ヶ崎和秀君が亡くなり、東京ですでに葬儀が行われたと書かれていた。

この左の写真は、ライブのときに矢ヶ崎君がもってきてくれたバラの花。写真に撮らずにはいられないほどきれいだった。ライブが終わったとき、彼はもういなかった。そのお礼をいいたいと思っていたが、その後会うことがなく、その機会は永遠に失われてしまった。

英語教室がおわり、9時過ぎ、店に入る。しばらくして、Dr. Yajimaがパソコン・レッスンのあとだといって立ち寄ってくれた。あれやこれやと四方山話。特に、辰野とワイトモの姉妹都市提携10周年に関する話題。もう何年も前、Dr. Yajima夫妻がワイトモでホームステイした家がジョン・モランさんの家。ジョン・モランさんは現在、ワイトモの国際交流協会の会長で、今月半ばに記念行事の打ち合わせのために辰野にくることになっている。

今晩は、ティム・ハーディンを聞く。Bird on the Wire がいい。それに Georgia on My Mind も。


February 2, Friday 2005

千葉の齋藤皓太さんからCD-Rが送られてきた。1月9日に船橋の「ニックナック2」で行われたライブ盤である。齋藤さんは後半で5曲歌っている。その中に、昨年不慮の事故で亡くなったくつわだたかしさんの「河」が入っていた。この歌は、石原吉郎の「海を流れる河」という詩にくつわださんが曲をつけたものである。齋藤さんとくつわださんは同じ高校の先輩後輩の仲。齋藤さんの「河」は齋藤さん特有の高音のうつくしさと相俟って説得力がある。ノーザンライトもよかった。

CD-Rは2枚入っていて、一枚は長島功さんに渡してほしいと書かれていた。長島さんは、くつわださんが初期オーリアッドで歌ったとき客席にいた数少ない人の一人。遅くになって長島さんが入ってきた。さっそく一枚渡し、一緒に齋藤さんの歌を聞いた。

石原吉郎の「海を流れる河」という詩は、ぼくの長野ジャーナルの同名のエッセイで読むことができる。http://www.nagano.net/journal/miura/040814.html


また、ニックナック2で、3月27日(日)午後7時より、「三浦久/齋藤皓太ライブ」がある。詳細は、次のURLから。http://www.secondwind.jp/miuraschedule.htm



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