OREAD Diary
      April 1-30, 2017

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Sunday April 30, 2017

いよいよ暖かくなって、畑の仕事が増えてきた。今日は農協へ、そして新たにできた農業資材販売店へいく。猿対策のネットとポールを購入するため。

農協では手ごろなものがなく、次の販売店へ行こうと車に乗り込もうとしたとき、後ろから「三浦さんですか」と声をかけられた。「ちょうどこのCDを聞いていたところです」と、手に『メッセージ』をもっている。これは評判がよく、かなり前から品切れになっているCD。歌詞カードを見せてくれたが、日付とサインまでしてある。今から17年ほど前に駒ケ根市で歌ったとき購入されたようだ。車の中でぼくのCDを聞いていたら、目の前にぼくがいたので、驚いたとのこと。ぼくも驚いた。現在は辰野町にお住まいとのこと。土曜の夜のオープンマイクにお誘いする。

南箕輪の国道沿いにできたお店に行くと、確かに開店セール中。安い。猿対策ネット3枚とポールを20本購入。

夜、明日のクラスの準備を少し。


Saturday April 29, 2017

オープンマイク、初回出演順(敬称略):ふあ、粟津原由子、井上喜久美、一ノ瀬悦子、坂井俊水、小森康夫、今井輝男、飯塚喜美子、三浦久、赤羽真理。

























Friday April 28, 2017

田中研二コンサート at オーリアッドも近づいてきた。5月13日。今日、再度facebookやメールなどでパブリシティを行う。田中さんと松本フォークビレッジで一緒だったという人から「都合がついたら行きたい」との連絡があった。松本フォークビレッジの存在を知らなかった。「広島フォーク村」のようなものが当時は全国にあったのに違いない。是非この方には来てほしいもの。今のところ順調に希望者は増えている。大阪や埼玉からきてくれる人もいる。

6月3日の「ほたる祭りライブ」に「ひびき」のメンバーに朗読してもらうエッセイを選択。そのままでは長くて使えないので、短縮する必要がある。これが難しい。あまり短縮すると面白みがなくなってしまう。「ひびき」の発表会はぼくの歌よりも朗読が主だった。今回は「歌」を主にしなければ。しかしその兼ね合いが難しい。発表会の構成はすべてメンバーの林さんがしてくれた。今更ながら、彼女の並々ならぬ情熱と努力に感謝。

夕方粟津原さんから電話。「今夜は歌声喫茶はありませんか」。お店までいったが、灯りがついていなかったとのこと。歌声喫茶は水曜日だったことを告げる。どこかで勘違いがあったのかも。明日の飛び入りライブに来てくれることに。


Thursday April 27, 2017

松川村の成瀬政博さんのところへ、ようやくプロフィールと演題を送った。演題は「ボブ・ディランにおけるプロテストソングの方法」。ちょっと難しそうだが、内容はディランとの出会いの話を含むパーソナルなものにしたい。昨年11月のシニア大学での失敗を繰り返さないように。

午後おそく村を一回り。一斉に咲き始めた花を撮りながら、北側の隣村まで歩く。垣内さんのローズガーデンの様子を見に。まだ薔薇には早く、咲いているのはハナモモや桜。誰もいないので、勝手に写真を撮っていたら、広い庭の片隅に動くものが。何かと思ったら奥さんだった。しゃがんで草取りをしていた。奥さんと話しているうちに、垣内さんが出てきた。「ルート66を運転してロスからシカゴまで行きたいが、通訳として一緒にいきませんか」と言う。丸山さんの歌の話をしてから、「雇ってくれるなら、行きますよ」と答える。実現は難しいだろうが、考えるだけでも楽しい。





















日本ハムがかろうじて11連敗を免れた。


Wednesday April 26, 2017

昼を挟んで2コマのクラス。その両方のクラスに小森さんの取材が入った。取材は入ったが、特別なことをするわけではなく、いつもの授業。特別なことといえば、今日の歌が「風に吹かれて」だったことか。それにしても以前から決まっていたこと。

昨年4月に比べて、ボブ・ディランという名前を聞いたことがある学生は大幅に増えたが、それ以外はあまり変わらない。歌詞を訳し解説し、いくつか発音の注意をし、音源を聞いて、歌う。現代の複雑なメロディやリズムのある歌を歌いなれている学生たちにとって、単純なメロディの「風に吹かれて」を歌うのはそれほど難しくない。すぐに覚えて歌えるようになる。

2コマ目が終わったあと、講師控室へ。小森さんを、マーク・ブライアリ―に紹介する。小森さん、流ちょうな英語で話している。さすがSophia University 外国語学部出身。

帰路、相沢病院へ。友人の顔も声も明るくなっていた。痛みもだいぶなくなり、今日は初めて歩行器をつかって少しあるいたとか。来週はゴールデンウイーク、学校がないので、お見舞いに行けない。2週間もすれば退院しているかもしれない。


Tuesday April 25, 2017

午前中、久々に畑仕事。3の畑に耕運機で3本の溝を掘る。そのあと、2の畑のハウスの中の草をとり、耕す。今年はハウスにはトマトとトウモロコシを植える予定。芝刈りも少ししたが、モグラ塚のせいでデコボコ。途中で断念。

昼過ぎ疲れて2時間ほど午睡。

夜オーリアッド。非公開の「ディランを語る夕べ」 with ドクターふあ&田中君。みんなディラン好き。談論風発。小森さんが2時間に及ぶ会話を、限られた時間の枠の中に、どう収めるか興味のあるところ。

夜、若干明日のクラスの準備。

そうそう松川村の成瀬さんから6/16のイベントに向けてプロフィールと講演の演題を送ってほしいとの電話。そうか、ぼくの中では講演をするという意識はなかったが、そうなるとしっかり内容を考えなければ。


Monday April 24, 2017

午後2コマのクラス。2コマ目のクラスが終わって外に出たら、見事な夕焼け。桜の花も咲いている。しまった、カメラをもってくるのを忘れた。農学部のある南箕輪村は四季折々実に美しい。特に春と秋。

夜、先日書いたエッセイを読み直す。うむ。言わんとすることはわかるが、種々のエピソードの繋がり具合がよくない。でも校正の段階で書き直すのは無理。誤字脱字の修正はできるが。

明日は非公開の「ディランを語る夕べ」 at Oread。小森さんの取材の一環。夜、その準備を少し。


Sunday April 23, 2017











Saturday April 22, 2017

碌山忌コンサート。

上條さんの車に乗せてもらって長野市へ舟木一夫さんに会いに行ったとき、八坂村の近くを通った。八坂とはよく言ったもの。村へ上る幾重にも折れ曲がった坂道が見えた。それで今日は「六郎」を歌うことに。この歌は何度か書き換えた。今日は歌い始めてもうひとつ乗れないなと思っていたら、やはり古いヴァージョンの「六郎」を歌っていたようだ。それにキーが低すぎて声が出なかった。完全に失敗したと思った。ところがコンサート終了後、大阪から4年前に安曇野に移住されたというご夫婦から「最初に歌った歌の歌詞をいただけませんか」と話しかけられた。早速お渡しする。それに、家人が言うには、池田町にお住まいの方が「感激しました」と言っていたとか。

  叔母に手を引かれ八坂の坂道を
  泣きながら彼は上っていった
  目に浮かぶのは高瀬川の流れ
  最後に見た母の悲しい顔  




















Friday April 21, 2017

お昼ごろまでに送りたいと思っていたが、結局送ることができたのは夜9時前だった。中学生の作文のようなエッセイになったしまったが、今のぼくにはこれが精一杯。タイトルも中学生っぽいかも。先日松本亨さんの『英語と私』について語ったのが残っていたのか、「レナード・コーエンと私」になった。字数 10311。原稿用紙に換算したら優に50枚はある。見直しもあまりできなかったので、校正の段階で手を入れさせてもらおう。



桜の花が昨日より少し増えた。曇っているので、はっきり見えないが。

Thursday April 20, 2017

終日、エッセイ。今日中には送りたいと朝から頑張ったが、最後がまとまらない。仕方なしに夕食後、もう一日待ってもらいたいとメールを打つ。やはりどこかで錚々たる執筆陣を前にして怖気づいているのかもしれない。どんなに背伸びしても、自分の能力以上のものは書けないのに。でもいろいろ勉強になっている。レナード・コーエンについて、前よりさらに詳しくなった。

3日連続ジェラルディンの写真。彼女は中学と高校と1年ずつ飛び級して15か16で UCSBに入学した。ぼくが会ったときはまだ17歳だった。ドイツで生まれて、赤ちゃんのときに、マウンテンヴューに住むアメリカ人夫妻の家に養子として迎えられたと言っていた。今どこで何をしているか。マウンテンビューといえばシリコンバレーの中心。スティーブ・ジョブズもこの町で育った。スティーブが5歳のときジェラルディンは10歳。どこかで接点があったかもしれない。



土曜日は「碌山忌コンサート」。その準備もしなければ。明日はできるだけ早くエッセイを仕上げてしまいたい。

そうそう、3年前、長男の結婚を記念して桜の苗木を植えた。今朝見たら、その木に花がひとつ咲いていた。青空に映えて美しい。今にも咲きそうな蕾もいくつか。楽しみだ。



他の花もいろいろ咲いていて、庭が賑やかになった。




Wednesday April 19, 2017

お昼を挟んで2コマのクラス。先週より、両クラスとも、歌うときの声が大きくなっている。よかった。今日は先週の閉鎖音に続いて、一気に、鼻音、側音、摩擦音、破擦音を説明する。というのは今日はLittle Child を歌うので。Little Child は閉鎖音を学ぶための宝庫である。

午後3時、今日も相沢病院へ友人のお見舞いに。先週は苦しそうだったが、今日は部屋へ入っていくと、分厚い本を読んでいた。顔色もいい。だいぶ良さそうだ。何度行ってもこの病院は迷路のよう。侵入した敵を欺く城のよう。

帰路、山麓線入口のファーマーズマーケットに寄る。ゴボウ、山芋などを購入。ソフトクリームはパス。途中、道の横の駐車スペースで10分ほど仮眠。疲れている。

夕食後、エッセイ。いよいよ切羽詰まった。でも前に進めない。困った。今夜は早く寝たほうがよさそうだ。


Tuesday April 18, 2017

終日、エッセイ。遅々として進まず。しかしなんとか形になりつつある。材料はある。あとはいかに料理するか。あと1日。

3日連続、スチュアートの写真。


それにGeraldine。
She was just seventeen
You know what I mean.




Monday April 17, 2017

午後2時40分から2コマ、南箕輪村。十分に用意をしてでかけたつもりが、リスニング教材のCDを忘れていたり、先週学生に配ったハンドアウトのオリジナルが見つからなかったり、ちょっと慌てた。2コマ目が終わって機材などを片づけ、外に出たら土砂降りの雨。傘は車の中。カバンを頭に乗せて車まで走る。

家に戻り、エッセイの続きを書こうとしたら、保存した場所が見つからない。タイトルを変え、保存場所も変えたのがいけなかった。しらみつぶしにファイルを開け、1時間後にようやく出てきた。よかった。よかった。

スチュアートの写真は2枚出てきた。この写真の彼は髭をそり、髪もきっちんとしている。着ているものはヒッピー風だが。横にいる女の子はジェラルディン、「サンタバーバラの夏」のコーラスに登場する Geraldine である。

    
Charlotte, Elaine, Ingrid and Jan
    Geraldine and Kay どうしているだろう
    映画は終わり、明かりがついて
    ただ後姿ばかり





Sunday April 16, 2017

昨日、以前に訳したコーエンの歌詞カードを探していたら、スチュアートの写真が出てきた。真ん中にいる髭面の男がスチュアート・プレスリー。1968年、メキシコオリンピックの最中、「アメリカが金メダルを取り過ぎて恥ずかしい」と言った男。

昨日メールがあった。京都に戻ったようだ。高野山三宝院のあと奈良に数日滞在し、そのあと永平寺へ行ったとのこと、永平寺では朝4時に起きて坐禅をしたようである。Had a mixed feeling. と書いてあった。おそらく、永平寺の「商業主義」について何か感じたのではないか。



Saturday April 15, 2017

オープンマイク、初回出演順(敬称略):三浦久、粟津原由子、小森康夫、丸山俊治、森嶋和也、福島明美、赤羽真理。
今夜はSBCラジオの小森さんから、オーリアッドでよく見かける視覚障碍者の方にインタビューしたいとの依頼を受け、粟津原さんにきていただいた。オープンマイク開始前、粟津原さんを小森さんに紹介する。福島さんにお会いするのは何年振りのことか。驚いたことに福島さんと粟津原さんは旧知の仲とのこと。偶然十数年ぶりに再会したとのことで、ふたりとも喜んでいた。「出会いと創造」の空間を創りたいと、30数年前、オーリアッドを始めた。物事はぼくが夢見たようには進まなかった。それでもこんな出会いを目撃すると、まだオーリアッドにも少しは存在意義があるのかもしれない。先週坂井君とやってきた森嶋君が Let It Be を歌ってくれた。最後に赤羽、丸山、三浦の3人で、久々に Amazing Grace。



















Thursday April 13, 2017

今日は、朝からレナード・コーエンに関するエッセイを書く。構想は一応ねってあるのだが、なかなか構想通りに進まない。あれもこれもと欲張りすぎてしまう。書きたいことが出てきてまとまらない。いくつかの本も並行して読んでいる。

今夜ジブランの会のコーヒーをいれにもっていった本は: Michael Fournier & Ken Norris, Take This Waltz A Celebration of Leonard Cohen.


Wednesday April 12, 2017

松本へ。2コマのクラス。2講時のクラスは理学部。昼を挟んで3講時は教育学部。いずれもいいクラスになりそうだ。教室は以前よく使っていた4階の40番教室。この教室はずっと前は音楽教室として使われていたとのことで、壁は防音壁になっている。大きな声で歌っても迷惑がかからない。しかしコンピュータを授業に使うようになってからは、なぜかこの教室の無線ランの調子が悪く、ときどき事務局の人を煩らわせなければならなかった。そのため最近は23番教室を割り当てられていたが、昨年改修工事が行われ、40番教室のコンピュータを使う環境がよくなっている。5,6年前から使われていた使いづらい変則的な机も撤去され、普通の机に置き換えられた。今日は2コマのクラスの間、コンピュータに関しては何の問題も生じなかった。

問題は、4階まで階段を上るのが困難になっていたこと。この教室を以前使っていたときは、ひょいひょいと駆け上がることができたのに。老いがひしひしと押し寄せている。

帰路、相沢病院へ、友人のお見舞いに。日曜日に会ったときより今日はしんどそうだった。痛みが激しいらしい。痛むのは辛い。なんとかならないものか。

ペギー葉山が亡くなった。印象に残るいい歌がたくさんある。享年83歳。「南国土佐をあとにして」を、中学2年の時、蓼科登山の宿舎で、松田賢二君と女装して歌ったことが思い出される。四国遍路の旅の途上、高知の中央公園近くの「はりまや橋」を見に行ったこともなつかしい。



夕食後、仕事部屋に行こうと階段を上ろうとしたら、リビングのフロアがかなり明るい。窓を開けたら、大きな月。調べたら満月は昨日だった。しかし、今夜の月も満月といっていいほどに美しい。


Tuesday April 11, 2017

朝11時、定期検診のため町の病院へ。診察を終え、会計をすませようと待っていると、高校時代の同級生の奥さんが通りかかった。どうしたのかと聞くと、「主人が腰の圧迫骨折で入院している」とのこと。3月の半ばごろかららしい。部屋の番号を聞いてお見舞いに。部屋に入っていくと、横になってテレビを見ていた。ぼくを見ると破顔一笑、にこやかな顔つきだったが、すぐに痛そうに顔をしかめた。かろうじて歩行器を使ってトイレにはいけるようだが、辛そうだ。1月ごろから痛み始め、痛みをこらえて車に乗っていたが、耐えられず入院したとのこと。酒の好きな男だったが、入院以来厳禁とのこと。

先日の日曜日は別の友人の見舞いに松本へ。彼は骨折はしていないが、腰痛治療にもう1か月半も入院しているとのこと。最近は、脊髄に細菌が入ったとかで痛みが激しく、トイレにもいけないとのこと。日頃、元気で気丈夫な人だけに、気の毒だ。明日は松本へ行く日。帰りに様子を見に行こう。

今朝、パソコンの不調が一気に直ってしまった。ポップアップと音を止めよう、いろいろ触ったときに「すべての JavaScriptをブロックする」にチェックを入れてしまったようだ。そのチェックを外して再起動したら、画像が見えるようになった。

今日は朝からかなり激しい雨。気温も低く肌寒い。


Monday April 10, 2017

今年度最初のクラスは南箕輪村。2コマ。前期は変則的に昨年に続いて4講時と5講時。4講時は2時40分開始。印刷するハンドアウトが多いので1時過ぎに家を出る。事務局の人の助けを借りて、最新のコピー機で大量の資料を素早く印刷することができた。両面を同時印刷できることは知っていたが、3枚のA4の資料を1枚目は両面に2枚目は表だけに印刷して、同時に70部がトレイに排出されてきたときは驚いた。

1コマ目では、昨年ぼくのクラスを受け単位もとれたが、もう一度履修したいという学生がいた。理由を聞くと、留学をしたいからだという。意欲ある学生は大歓迎。2コマ目のクラスでは、昨年単位を落とした学生が2人、編入生が3人。単位を落とした学生1人はぼくのクラスを落としたらしいが、よく聞くと、出席が悪くて試験も受けなかったようだ。今年はしっかりやってほしい。もう1人の学生は他のクラスを落としたが、「三浦先生のクラスは落とすのが難しい」と聞いたので是非とりたいとのこと。うむ。正直でよろしい。

今年も最初の歌は All My Loving。そうそう、1コマ目のクラスで、「今年はボブ・ディランの歌を2曲歌います」と言い、「ボブ・ディランを知らない人はいますか?」と聞く。手は上がらないだろうと思っていたが、あにはからんや、3人の手があがった。昨年はほぼ全員の手が上がった。前列にすわっていた学生に「ボブ・ディランをどうして知ってるの」と聞くと「ノーベル賞をもらった人」という。今年は前期、Blowin' in the Windと Times, They Are A-Changin' を歌う。

一週間ほど前から、パソコンの調子がわるい。ポップアップが音と共によく出てきて、煩わしいことこの上ないので、それを止めようと、いろいろいじっていたら、画像が出てこなくなってしまった。facebookにもあまり投稿ができなくなってしまった。エッセイを書くことはできるが、何か調べようと移動するときが不便である。エッセイの締め切りがせまってきた。何とかしなければ。


Sunday April 9, 2017

午後7時半過ぎにケイタイが鳴った。果たして、高野山の宿坊に滞在しているスチュアートからだった。学生時代、ものすごく無口で、話すときもかなり低い声でぼそぼそ話した男が、饒舌な高い声で話す男に変わっていた。1968年10月のメキシコオリンピックを一緒にテレビを見ていて、彼が「アメリカが金メダルを取り過ぎて恥ずかしい」といった話しをすると、「それは覚えていないが、アメリカは今でももっと謙虚になる必要がある」と言った。

彼は奥さんとサンタクルスに住んでいて、今回奥さんと一緒にサンタフェの禅センターが企画したツアーに参加したとのこと。彼は長い間、大工として働いてきたが、いまはリタイヤ―して、写真を撮ったり詩を書いたりしているとのこと。近々詩集が出るので、1冊送るという。お礼にぼくのCDを送る約束をする。

電話を切ったあと、彼の旅行の日程が送られてきた。それによると、4月4日から7日まで京都の南禅会館に泊まり、そのあと高野山にきて、3泊し、それから奈良へ行き、4月15日には永平寺へ行くことになっている。そのあと再度京都へ行くとのこと。ぼくは明日から学校が始まり、他にもいくつか予定があり、会いにいけそうもない。でも、彼とこうして連絡がとれただけでもありがたい。半世紀近く、会いたいと思っていた人である。




Saturday April 8, 2017

オープンマイク、初回出演順:坂井俊水、森嶋和也、原田和夫、三浦久、赤羽真理。

今夜は坂井君の保育園のころからの友、森嶋君初登場。ピアノで Let It Be などを披露してくれた。
坂井君には赤羽さんの「千両梨の実」にギターで参加してもらった。これが素晴らしかった。そこでみんなで最後に「風に吹かれて」を演奏。
ぼくは今日は4月22日の碌山忌コンサートの準備として「碌山」と「次郎」を歌ったが、「次郎」のコードをすっかり忘れていて、試行錯誤、ああでもないこうでもないと、無様な演奏。当日までまだ少し日がある、練習しなければ。問題は、昨年の碌山忌コンサートの前に骨折した左手が長時間ギターを弾くと痛むこと。

















                       ■

午後、三宝院に電話をしサンタフェの禅センターからの一行が着いているか聞く。まだついていないとのことだった。スチュアート・プレスリーにぼくのケイタイの番号を伝えるようにお願いする。しかし、今夜彼からでんわはかかってこなかった。団体で旅行をしているので、スケジュールの都合で、難しかったのかもしれない。1969年8月、サンタバーバラをあとにしてから、折につけ彼のことを思った。でも連絡のしようがなかった。こうして50年近く経って再会できるというのは本当に嬉しい。今回は声だけの「再会」かもしれないが。

Thursday April 6, 2017

3月末に留守してあいだに、たくさんのメールが入っていて、帰ってきてすぐチェックしたのだが、見逃していたものがいくつかあった。昨日は、コーエンの最後のアルバム You Want It Darker のぼくの訳について書いてくれた埼玉在住の方のメールが出てきた。とても丁寧に訳やライナーを読んでくださったようで、ありがたいことである。

もう一つは今日はスチュアート・プレスリーが3月20日に出したメールが迷惑メールのフォルダーから出てきた。スチュアートはUCSB時代、一時とても親しかった友人。数学専攻の背の高い痩せた男だった。彼のことで一番覚えていることは、Surfriders Apartment のレクレーションルームでメキシコオリンピックのテレビを見ていたとき、「アメリカが金メダルを取り過ぎて恥ずかしい」と言ったこと。

彼は今日本を旅行中とのこと。I'm on a tour group with  the Upaya Zen Center of Santa Fe, NM.We are at hotel near Nazenji, Kyoto.Tomorrow we go to Mt. Koya. Lodging is at Sanboln.

ぼくが彼を知っていたとき、彼は禅には興味がなかったと思うが、今や、ニューメキシコのサンタフェにあるウパヤ禅センターの仲間と仏教のモナスタリー訪問のツアーをしている。明日は高野山の三宝院に泊まるとのことなので、三宝院に電話をしてみよう。


Wednesday April 5, 2017

午前中、久々の畑仕事。冬中、イチゴの苗にかけていた藁を取り除き、マルチをかけ、あけた穴からイチゴの苗を出す作業。イチゴを育てるには時間がかかる。仮植え、本植え、藁を敷いたり、マルチをかけたり。赤く実るころには猿対策に追われたり。それでも毎年イチゴを育てる。それは自家製のイチゴは美味しいから。

フキノトウがあちこちに顔を出していた。天ぷらにしてお昼にいただく。これは美味。







レナード・コーエンに関するエッセイについて、ニュージーランド滞在中、いろいろ構想を練り、遠路会いにきてくれたポール・Dが教えてくれたコーエンに関する本 をKindle で読んでもいたが、いざ書くとなるとなかなか進まない。まだ機が熟さないということか。


Tuesday April 4, 2017

午後ふあさんの紹介で成瀬政博さんとお会いする。成瀬さんは松川村9条の会代表で、「ボブ・ディランと9条」というイベントを考えているとのことで、出演を依頼される。もちろん二つ返事で参加させてもらうことに。成瀬さんは、週刊新潮の表紙をもう20年以上も描いている画家で、同時に詩人でもあるとのこと。驚くことに、一世を風靡したイラストレーター横尾忠則さんの実弟である。成瀬さんは、どちらかというと、お兄さんよりもふあさんに似ている。特にそのやわらかい雰囲気が。SBCの小森さんもあとから取材に駆けつけてくれた。





10日間のNZへの旅の疲れがようやくとれてきた。来週からは学校が始まる。その準備もしなければならない。

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