OREAD Diary
March 1-31, 2017
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Sunday March 26, 2017
Saturday March 25, 2017
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Thursday March 23, 2017
Wednesday March 22, 2017
Tuesday March 21, 2017
今朝も雅樹と一緒に学校へ。
Monday March 20, 2017
月曜日。家人とふたりで雅樹を小学校へ送っていく。Spreydon School という小学校。ニュージーランドでは5歳になると、次の日からでも小学校に入学できるらしい。だから、一斉の入学式はない。NZの学校制度についてはまたあとで触れることにする。残念ながら、他の子供たちの写真は撮らないようにとのことで、子供たちが遊ぶ光景は撮れなかった。
学校へ雅樹を送ったあと、次男にクライストチャーチの中心部へ行くために送ってもらう。5年前にきたときは、地震の翌年で、壊滅的な被害を受けたこの部分は壁で囲まれていて中に入れなかった。今回は壁は取り除かれているが、復興はあまり進んでいないようだ。
クライストチャーチのシンボルともいうべき大聖堂は未だに復旧の見込みがたっていない。もとの姿に復元するか、まったく新しいものにするか意見が分かれて、結論がいまだに出ていないようだ。「日本は復興が早くて羨ましい」と何人かの人にいわれたが、それは隣の芝生というものだろう。
崩れた大聖堂の一時的な聖堂が、近くに建てられている。これは日本人の建築家、板茂(ばん・しげる)氏設計によるボール紙でできた教会として話題を呼んでいる。
紙の大聖堂を見たあと、アートギャラリー近くのレストランでお昼を食べる。ニュージーランドへくると必ず食べるのがフィッシュ&チップス。イギリスの伝統的な素朴な食べ物。白身魚のフライとポテト。初めてこれをワイトモで食べたときは確か4ドルぐらいだった。今は20ドル近い。ニュージーランドの物価は最近急激にあがったと次男がこぼしていたが、その原因は最低賃金の引き上げらしい。15ニュージーランドドルとのこと。1ドルが80ドルとして計算すれば、ほぼ1200円になる。
そのあと、ハグリー公園、特にその一角にあるボタニカル・ガーデンへ。ここはいつきてもいろんな花が咲いていて飽きることがない。
Sunday March 19, 2017
日曜日。近くの公園へ雅樹と行く。彼は脚漕ぎスクーター。上手いもんだ。
広い公園。小さな子供を連れた家族がブランコで遊んでいた。
今年の1月に引っ越した次男の家。実はこの家はリンが育った家で、彼らが通ったヒルモートン高校の近くにある。黄色い葉をつけた木は、ニセアカシア pseudo acacia 。その左の生い茂った木は白樺とのこと。白樺 silver birch ながら、幹はかなり黒っぽい。気温の低いところでは幹が白くなるらしい。ということは辰野はクライストチャーチより寒い。ロシアの白樺は真っ白だ。
Saturday March 18, 2017
夕方6時近く、クライストチャーチ空港へ到着。家を出てから24時間近く経っている。次男が迎えにきてくれていた。リンも雅樹もとても元気そうでよかった。それに生まれたばかりの Chiaki Laura Miura もかなりしっかりした顔つきをしている。次男のミルクを飲ませる姿も堂に入っている。
今夜は疲れているので早めに寝ることに。
Friday March 17, 2017
格安運賃の China Airline で午後2時半、成田から出発。二人で17万円は、JAL の直行便なら一人分の安さ。しかし当日搭乗するまで知らされていなかったのは、台北を出たあと、メルボルン経由でクライストチャーチへ向かうということ。体力的にはチャレンジングであったが、安いにこしたことはない。
飛行機の翼の美しさに魅了される。
台北からメルボルンに向かう機内で、Best Actress賞をはじめ6つのグラミーを獲得した La La Land を見る。閉口したのは、冒頭のシーンは渋滞する高速道路の喧騒の中で歌ったり踊ったり。セリフが聞き取れない。しかも字幕は中国語。途中から、徐々に聞き取れるようになり、最後は大いに楽しませてもらった。
古き良きアメリカ映画を思わせる作り方。最後の5分の夢想シーンは、誰もが心の奥底にもっている思いかもしれない。この5分がこの映画を意味深いものにしている。
Thursday March 16, 2017
今日は、一日、森友学園関係のニュースがテレビをにぎわした。よくわからないが、籠池氏は、今まで彼を支えてきた人たちが手のひらを返したように、知らぬ存ゼずを決め込んだことに、意を決して真実を語る決心をしたのではないだろうか。国会は23日に籠池氏の証人喚問を行うようである。あれほど明確に知らぬぞんぜずを決め込み、関与を否定したのに今更認められないだろうと思うが、彼らのことである、どういう奇策を使ってくるか。「私の記憶ではそうだった」と例の口実を持ち出すのだろうか。
今日は『嫌われる勇気』の最終回。正直なところ、全10回前半の5回は面白くなかった。でも終わりになるにつれて徐々に面白くなった。アドラーについてどれだけ知識が増えたかわからない。ただ、「それは私の課題ではない」といういい方だけは確実に覚えた。あるいは「それは私の課題であり、あなたの課題ではない」と言う方も。
嫌われたくないと他人の課題を引き受けすぎるのも問題であるし、同時に自分の課題を他に委ねてしまうことも問題である。月並みないいかたではあるが、「自分の人生は自分で生きなければ」。
まさに仏陀が臨終の間際に語ったという言葉:
All component things are subject to decay
Work out your own salvation with diligence
Wednesday March 15, 2017
茨木のり子さんの詩集は『自分の感受性ぐらい』『倚りかからず』の2冊をもっている。しかし彼女について個人的なことは何もしらなかった。調べてみたら、彼女の夫、三浦安信さんは医師で、北里病院の勤務医として働いていた1975年、肝臓癌で亡くなった。享年56歳。彼女はそのとき49歳。以後30年間独り暮らしをして詩を書いた。夫への思いをつづった詩は、「照れくさいから」という理由で死後まで発表されなかった。その奥ゆかしさが、いい。
「古歌」
古い友人は
繃帯でも巻くように
ひっそりと言う
「大昔から人間はみんなこうしてきたんですよ」
素直に頷く
諦めきれないことどもを
みんななんとか受けとめて
受け入れてきたわけなのですね
今ほど古歌のなつかしく
身に沁み透るときはない
読みびとしらずの挽歌さえ
雪どけ水のようにほぐれてきて
清冽の流れに根をひたす
わたしは岸辺の一本の芹
わたしの貧しく小さな詩篇も
いつか誰かの哀しみを少しは濯(あら)うこともあるだろうか
Tuesday March 14, 2017
町の図書館を最近利用するようになった。返却日が近づいてきたので、借りていた5冊を返しにいく。その中の『歳月』という茨木のり子の詩集をまだ読んでいなかったので、返却する前に読む。エッセイ集や小説ならそう簡単には読めないが、その点詩集は簡単に読める。簡単には読めたが、この詩集は手元においておきたい。素晴らしい。近いうちに Amazon に注文しよう。亡くなった夫に語りかけるように書いたことばの数々。しかも彼女は「照れくさいから」とこの詩集が出版されたのは彼女の死の一年後。
「なれる」
おたがい
なれるのは厭だな
親しさは
どんなに深くなってもいいけれど
三十三歳の頃 あなたはそう言い
二十五歳の頃 わたしはそれを聞いた
今まで誰からも教えられることなくきてしまった大切なもの
おもえばあれがわたしたちの
出発点であったかもしれない
狎れる 馴れる
慣れる 狃れる
昵れる 褻れる
どれもこれもなれなれしい漢字
そのあたりから人と人との関係は崩れてゆき
どれほどたくさんの例を見ることになったでしょう
気づいたときにはもう遅い
愛にしかけられている怖い罠
おとし穴にはまってもがくこともなしに
歩いてこられたのはあなたのおかげです
親しさだけが沈殿し濃縮され
結晶の粒子は今もさらさらこぼれつづけています
Monday March 13, 2017
松本へ買い物にいこうと朝、家人と話したが、結局岡谷へいくことに。岡谷には昨年新装なった Lake Walkなるショッピングモールがある。いろんなテナントが入っていて便利である。次男の家族が数年前に滞在したとき、お土産にエプロンをたくさん買っていった。それを思い出し、お土産にカラフルなエプロンをいくつか購入。
信大の学生が犯した殺人事件が大きく新聞やテレビに取り上げられている。しかも事件を犯した学生も自殺してしまった。真相は永久に封じられてしまった。
似たような事件が相次いでいる。こころを病む人が増えている。他者に危害を加える場合もあれば、自分に危害を加える場合もある。
キング牧師の次のことばは示唆に富む:You have been the veterans of creative suffering. Continue to work with the faith that unearned suffering is redemptive. みなさんは創造的苦悩のベテランである。不当な「苦悩は贖われるという信念をもってこれからも努力してください。
「創造的苦悩」とは、耐え偲ぶことによって何かがが創造されるような苦悩。
Sunday March 12, 2017
朗読の会ひびき主催の「おはなしを聴くひととき」は、ひびきのメンバーたちの積極的なパブリシティーのおかげで、希望者が多く、数日前に50名で締め切ったとのことだが、当日も含めかなりの人数の方が聞きにきてくれた。CDを買ってくださったかたも多かった。
その中に、今日ぼくが歌った歌の中では「私は風の声を聞いた」が一番よかったという方が何人かいた。これには驚いた。この歌はぼくの最初のオリジナル曲。考えてみれば、いろんな場面でこの歌に助けられてきた。この歌がなかったら、今でも歌い続けてはいなかっただろう。
今日は全体の時間の都合があって、それぞれの歌を短縮したり、繰り返しの部分は省略したりして歌ったが、「私は風の声を聞いた」にしても、四弘誓願を繰り返さず、1回だけにしておいてよかったのかも。
Saturday March 11, 2017
13:00から、朗読の会「ひびき」主催のお話を聴くひととき。「ひびき」のみなさんのおかげで大盛況だった。「ひびき」のすべてのみなさんに、そして特に、ぼくのエッセイを丹念に読み、断片的な逸話を繋ぎ合わせ、ひとつの物語を構成してくれた林さんに、感謝。
今回のイベントを通して、24のときに書いた「父よ」という歌を再発見した。1945年9月27日に嵐の海の中に沈んでいった父のことを、2011年3月11日、大津波に飲み込まれて亡くなった多くの方々との関連で考えた。歌いながら感極まって何度か言葉が出なくなったが、「プロ」のパフォーマーとしてはこれは拙い。注意しなければ。
夕方、「ひびき」のメンバーの鈴木さんから、伊那市在住の著名な華道家から「感動した」という主旨の電話をいただいたと連絡を受けた。ありがたいことである。そういえば和服姿の素敵な女性をお見掛けしたような気がする。
土曜の夜のオープンマイク。初回出演順:高山正、松下元英、丸山眞弓、丸山真美香、原田和恵、中島裕志、長島功。
少人数の参加者になると思っていたが、蓋を開けたら、賑やかなオープンマイクに。中島さんは、3.11、何かしなければと、いてもたってもいられず、上田にある戦没画学生の慰霊のための美術館「無言館」を訪れたとのこと。そのあと立ち寄ってくれた。丸山さん親子が歌ってくれた「世界に叫べ」は娘の真美香さんが相模原障害者施設での襲撃事件について書いた詩にお母さんの眞弓さんが曲をつけた歌。ある意味 3.11にふさわしい歌であるように思えた。
ひびきのメンバー赤羽さんが塾で教えた2人の高校生を連れてやってきた。4月から一人は札幌の、もう1人は仙台の大学に進学するとのこと。赤羽さんが彼らを励ます文を読み、ぼくが赤羽さんのリクエストで、長男が大学進学のために、家を出ていった日に書いた「旅立つおまえに」を歌う。
後半、長島君が、久々に息子を連れてやってきた。息子のサトル君は高校時代ラグビーを一生懸命やっていたが、いよいよ4月から関東の大学に入り、小学校の英語教師になる勉強をするとのこと。お父さんが歌った歌は、息子へのはなむけの歌「ノーサイドの笛」。試合が終われば、敵も味方もないノーサイド、信じた道を行け、と歌う。
松下さんは4月12日(水)、飯田のふぉので行われる豊田勇造ライブのポスターをもってやってきた。
次回のオーリアッドのオープンマイクは4月1日(土)です。
Friday March 10, 2017
Thursday March 9, 2017
新しい写真が送られてきた。これはかわいい。やはり女の子である。「目に入れても痛くない」というが、何度見ても、飽きない。
土曜日のイベントの準備。リハーサルでは歌詞をところどころ忘れて、アーウ―で間に合わせたが、本番ではそういうわけにはいかない。
Wednesday March 8, 2017
今朝早く、建具屋さんがきてくれた。不要になった猫ドアを外し、ガラスを入れ替え、もとに戻してくれた。ぼくにはとうていできないプロの仕事。 とても手際のいい仕事だったので、祖父母の時代からわが家にある「佐沼中学校寄贈」と書かれている黒檀の座卓の修理をお願いすることに。
外から見ると2本の桟の色が違う。黒い防腐剤を塗ったが、色は変わらない。濃い色のニスが必要である。
寒風吹きすさぶ中、庭のベンチに防腐剤を塗る。今、庭は見る影もない。4月になれば芝は緑になり、花は咲き、美しくなるだろう。
WBCはオーストラリアに4対1で快勝。名前はしらなかったけれど、いい選手がいっぱいいる。今日見事だと思ったのは、千賀という投手。大谷だけではない。
土曜日午後1時半からの朗読の会「ひびき」のお話を聴くひとときは、盛況が予想される。主催者からの電話によれば、一昨日の段階で、49名の予約者がいるとのこと。ありがたいことである。
Tuesday March 7, 2017
家人に促されながら、先日棚からおろして部屋中に広げたカセットテープ、CD、ビデオ、写真、手紙などの整理整頓。しかしこれが難しい。古い写真などはなかなか捨てきれない。ぼくの生まれる前に死んだ父の写真、高校時代の写真など、懐かしいものがたくさん出てきた。
帽子をかぶっていない眼鏡をかけた人は、宮城県佐沼町立佐沼中学時代のぼくの父。どことなく次男に似ている。佐沼町は現在の登米市。
にこやかに笑ってるこのおばあさんはぼくの祖母、父の母である。厳しい人でよく怒られたものだが、今思えばすべて懐かしい。
こんな写真も出てきた。結婚して修学院に住みはじめたころ。
実はレナード・コーエンにインタビューしたときのカセットテープを探すために、部屋中に広げたのだが、出てこなかった。テープは出てこなかったが、いろんなものが出てきた。
こんな写真も出てきた。1963年8月24日夜、羽田空港の出発ロビー。AFS生としてサンタローザへ出発するぼくを見送りにきてくれた東京在住の中学高校時代の友人たちと。慣れないネクタイ姿がぎこちない。一番左に立っているのは現内閣参与の飯島君。このころすでに彼は東京に出ていた。右下は中学時代の担任の先生だった河西先生。その横がぼくの母。ぼくの左横は中島さん。右横は小原さん。懐かしい写真である。
夜、WBCのキューバとの試合を断続的に見る。日本はよく打って、11対6で勝った。ソフトバンクの松田に脱帽。4打数4安打。4打点。3ランホームランに、タイムリー2塁打。文句なしの活躍。その他、賞讃に値するのは二塁手菊池の守備。日本のプロ野球も、ここで一気に新旧交代となりそう。
Monday March 6, 2017
ようやく家人もぼくも少し時間の余裕ができた。前から見たいと思っていた『沈黙』を見に行こうということになった。しかし岡谷スカラ座の上映スケジュールを調べたら、『沈黙』はなくなっている。つい最近までやっていたはずだが。『相棒』の劇場版をやっていた。それを見に行くことに。新しい大型ショッピングモールで買い物もしたかったので。
映画は前半は少々荒唐無稽な話だと思ったが、さすがに最後のところではどんでん返しがいくつか仕込んであって、見ごたえがあった。
ひょっとしたら、Act9の上條さんの仲介で、舟木一夫さんにお会いできるかもしれない。舟木さんは長野市で3月28日(火)に午後と夜、2回のコンサートを行うことになっている。実現したらこれは、うれしい。
夕方、空があまりに綺麗だったので、写真を何枚か撮る。
Sunday March 5, 2017
家人は朝から伊那のJA会館へ。大正琴の発表会。
午後、伊那に住む姉がお彼岸には来れないのでと線香を上げにくる。小学5年生の孫が野球をしていて、毎日忙しいようだ。
夕方、BSで『直虎』を見る。大河ドラマというものがあまり好きでなかったが、昨年『真田丸』を見た続きで『直虎』も見始めた。子役の3人が主役のころはよかった。最近はちょっと退屈。
次男の先日生まれた赤ちゃんの名前がなかなか届かない。こちららでいろいろ考えたが、難しい。姓名判断で調べるとますますややこしくなる。流派によって、良し悪しの評価が異なる。彼らがいいと思う名前に決めるのがいいだろう。
夜、遅くニュースを見たら、木村沙織というバレーボールの選手の引退試合の様子が報じられていた。この名前も悪くない。
Saturday March 4, 2017
オープンマイク初回出演順(敬称略):一ノ瀬悦子、赤坂修一、坂井俊水、野沢直二、高山正、原田和夫、赤羽真理、三浦久、一ノ瀬敏樹。
トップバッターの一ノ瀬さんは宮沢賢治の童話『気のいい火山弾』を朗読した。宮沢賢治好きを自認するぼくだが、この童話は知らなかった。ここに登場する主人公、角のとれた丸い石は、ある意味、「雨ニモマケズ」の「でくのぼう」に通ずるところがある。と、思っていたら、次に登場した赤坂さんが「雨ニモマケズ」を朗読し、人間の幸不幸は外からでは計り知れないという主旨の経験談をした。前半最後に歌ったぼくは、迷ったあげく、『祈り』に入っている「雨ニモマケズ」を歌った。
坂井君は「この街の色」と「僕らの夢」を歌う。後者は何度聞いてもいい。
赤坂さんと一緒にやってきた野沢さんは、吉田拓郎を通してディランを知ったという。拓郎、ディラン、そしてクラプトンが大好きだという。クラプトンのブルーズが好きとのことで、急きょ、坂井君にブルーズ調の歌を歌ってもらう。初登場高山正さんは、北安曇からやってきた。オリジナルは犬のナッツになりきって歌った「ナッツの歌1」と「ナッツの歌2」。面白い発想。「吾輩は犬である」。カバーでは「おなじ話」がよかった。
原田和夫さんは、最近参加した同級会の話。白雪先生はすでに96歳になっていたがお元気で、原田さんを見かけると、「和夫ちゃーん」と呼んでハグしてくれたとのこと。赤羽さん、先週につづき「種の歌」。赤羽さんに3月2日、女の子の初孫が生れたとのこと。Congratulations! 次男の赤ちゃんとは1日違い。
一ノ瀬さん、8時に会議が終わるというご主人を迎えに行く。しばらくして一緒に入ってきたご主人を見て驚いた。いろんな場面でお会いしたことのある一ノ瀬敏樹さんだった。彼は過去に2回参加したことがあるという東京マラソンの話をした。2回目に走ったときは、4時間を切ったとのこと。それは凄い。また何年も前に町内一周駅伝では、ぼくと同じ区間を走ったという。それは知らなかった。
なにやかやあって興味深いオープンマイクになった。
来週の土曜日3月11日は、午後1時半から朗読の会「ひびき」の発表会。午後7時から通常のオープンマイク。
Friday March 3, 2017
朝10時から、3月11日(土)午後1時半開演の「朗読の会ひびき」の発表会リハーサル。今回はぼくのエッセイの朗読と歌が取り上げられることになった。メンバーの林淑子さんが熱心に構成を考え、いくつものエッセイを丹念に読み、その抜粋をつなぎ合わせ、ひとつの物語に仕上げてくれた。感謝。
今年の初めに加入した新メンバーたちの朗読が上手になっていて驚いた。最初にボランティアセンターでと聞いたときと比べると長足の進歩である。
SBCの小森さんが取材に来てくれた。11日にも来るとのこと。それだけでなく、碌山忌コンサートを含め、今後しばらく取材を続けたいという。特にボブ・ディランとの関係で。ありがたいことである。
写真は何枚か家人がPentax Q-51で撮ってくれたのだが、カメラの調子が悪かったのか、すべて赤くなってしまった。1枚だけ、白黒にすることでかろうじて見られるようになった。
石原元知事の記者会見を見る。気分が悪くなる。もっと気分が悪くなったのが森友学園問題。まさに『藪の中』。
Thursday March 2, 2017
次男から送られてきた"兄と妹"の写真。雅樹は当然のことながら、昨日妹が生まれることによってはじめて兄になった。妹をやさしく抱く写真を見るにつけ、お兄さんらしくなったと実感する。赤ちゃんの心は柔らかい。その心に誰もが無抵抗に惹きつけられる。レナード・コーエンは「人間のすさんでこわばった心こそ大量破壊兵器だ」と言ったが、赤ちゃんの心はまさにその正反対。ただそこにいるだけで、まわりの人たちの心を柔らかくしてくれる。
家人は今日は北隣りの町の中学へ。ぼくはお昼を食べに南隣りの町の餃子屋さんへ。数週間前 docomoshop へいったときに偶然すぐ横にあったこの店に入った。あまりの美味しさに病みつきになった。今日で3回目。実に美味しい。しかも手ごろな値段。さらに平日1時から2時半までは餃子食べ放題500円だという。たくさん食べようと意気込んだが、3皿18個でギブアップ。
明日10時から、朗読の会「ひびき」の発表会のリハーサルがある。夜、そのための準備を少し。
Wednesday March 1, 2017
朝起きてメールをチェックしようとしたら、何にも出てこない。夜中の12時から一通も入っていない。どうしたことかといろいろ調べたら、「さくらインターネット」にドメイン更新料を払っていないことがわかった。クレジットカードの番号を変えたのに、それを報告してなかった。締め切りは2月20日で、彼らとしては10日は待っていて3月1日の真夜中を過ぎたところで、切断したわけだ。早速電話をかけ、銀行振込でペナルティ付きの料金を振り込んで事なきをえた。メールが回復したのは、午後1時過ぎ。secondwind.jpのドメインをもつオーリアッドのホームページも見られなくなっていた。facebook, gmail, yahoo は大丈夫だった。
夕方次男から、予定より2週間ほど早く、今朝の11時ごろ、雅樹に妹が生まれたという電話があった。母子ともに元気とのこと。生れたばかりとは思えないしっかりした顔つきの赤ちゃん。
今日はドメイン料未納の顛末に加えて、学生の成績確認の連絡が事務局からあり、てんやわんやであったが、最後はうれしいニュースが入り、記念すべき一日になった。