OREAD Diary
                
March 1-31, 2014

To Past OREAD Diaries
To OREAD Homepage 
To Hisashi Miura Homepage 



Monday, March 31, 2014

午前中、ようやく親戚に配るアルバムが完成。全7冊。最初のページは集合写真。最後のページは雅樹くん。

午後、ジョギングに。山の腰道から龍ヶ崎公園へ。途中、ふきのとうが群生しているところがあった。帰りに摘むことに。白いクロッカスも目に入ってきた。長い間、城山公園だと思い込んでいた(正式名称)龍ヶ崎公園からは、東に守屋山、南に雪を頂いた仙丈ヶ岳の山頂を見ることができる。

帰路、ふきのとうをフリースのポケットにいっぱい採る。木々の枝には新芽が出始めている。家に戻ると、フィービーがサンデッキで伸びをしていた。夕食にふきのとうの天ぷらをいただく。ふき味噌はたくさん食べられないが、天ぷらにするとたくさん食べられる。







今夜はディランの東京での初日。どんな歌を歌っただろうか。明日になれば、セットリストがわかるはず。チェックして、歌詞をしっかり読んでおかねば。4月7日に行く予定が、急遽4月4日に行くことになった。ありがたいことに2階の椅子席のチケットが入手できた。


Sunday, March 30, 2014

一日中雨。特に午後はかなり激しく降った。雨の中、伊那へ買い物に。ニトリでは、古い製氷機のあった場所に置く棚がほしいと思ったが、寸法の合うものがなかった。平安堂では、親戚へ送る写真集につけるカバーとリボンを購入。TSURUYAでは食材を。

伊那へ行く途中、農協の販売所へ寄り、梅の木の苗の植え方を尋ね、それに必要な完熟肥料を購入。芝生の種まきについても相談。

夜になって思い出した。今日は39囘目の結婚記念日だった。家人に言うと「知ってたよ」とそっけない。買い物の最中に「ケーキを買おうか」というので、「いらない」と答えたが、そのとき気づくべきだった。

とりあえず、残り物の清酒で乾杯。ツマミはリッツのクラッカーにクリームチーズとママレードを乗せたもの。

午後9時から、NHKスペシャル「ミクロの大冒険」を見る。人はどう生まれ、どう生き、そしてどう死んでいくかを、細胞という観点から検証しようとする番組。今夜はその第1回。昨夜放映されたプロローグは今、オンディマンドで見ているところ。4月5日と6日に第2回と3回が放映される。これは見逃せない。


Saturday, March 29, 2014

午後思い切って、庭に耕運機をかけることに。32年前この先祖の地に引越してきてから2,3年後、庭を耕し西洋芝の種を蒔いた。それから、芝刈りも含め大いに楽しませてもらった。しかしここ数年は雑草に負けて、見る影もなくなってしまった。そこで思い切って新たに種を蒔くことに。

庭のあちこちにふきのとうが出始めた。さっそく、ふき味噌にしてもらう。早春の味。水色のクロッカスもいくつか顔を出した。





オープンマイク。前半の出演:原田和恵、堀田克彦、坂井俊水、堀越哲朗、赤羽真理、三浦久。

原田さん、3曲目に「親愛なる子供たちへ」という詩に最近自ら曲をつけた歌を歌う。老いた親が子供に向かって語りかける歌。すでにこの詩に曲をつけて歌っている人もいるようだが、どんどんオリジナルの曲をつけて歌ってもらいたいもの。この歌の歌詞は、先日 facebook で知ったギリシャの老いた父親と息子のやりとりとも共通するところがある。https://www.youtube.com/watch?v=2kpLDkWg5DA

堀田さん、オーリアッド初登場。元気のいい歌とギター。「満月」などオリジナルを含む3曲。坂井さん、God Bless You を原田さんと一緒に。そのあと Jitterbug (ジルバ)と「風の日」。堀越さん、久しぶりにエスラジの演奏。音色といい、演奏技術といい、実に素晴らしい。2曲目、タブラの代わりに、坂井、堀田両氏のパーカッションのサポートで演奏。これがまたよかった。

赤羽さん、最近完全にレパートリーのひとつになった「種の歌」、そしてご存知「千両梨の実」。前半最後は、お待たせしてしまったが、開店後にぼくの「夢のブックストア」の入ったCDがないかと訪ねてくれた方のために、その歌と、その歌の中に登場する「ガビオタの海」を歌う。ここで休憩。










More and larger photos at Oread facebook

後半の出演:赤羽、堀越、坂井、堀田、原田、三浦。

赤羽さん、「闇の中に独り」。堀越さん、原田さんのリクエストに応えてギターでナナオ・サカキの詩を歌う。「これで十分」など。坂井さん、 Sweet Home Chicagoと「ぼくらの夢」。堀田さん「どうにかなるさ」と「とってもプラトニック」。原田さん、「主の愛が今」とピアノ演奏「トロイメライ」。2曲ともに原田さんの本領発揮。

最後に、三浦久&薫子 with 原田、坂井、赤羽で Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot? そして最後の最後、Amazing Grace を皆さんと一緒に。

Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot?を歌っているところへ太田君が入ってくる。Amazing Graceにサックスで入るように勧めたが、今夜は隣町のジャズスポットで十分吹いてきたので、もういいとのこと。終了後、太田君のピアノレッスン。生徒は原田さん。


Friday, March 28, 2014

忙しい一日。10時半、町の病院へ。1時間待たされてから、内視鏡による食道と胃の検査。ありがたいことに、まったく問題なし。もう20年も前に最初に検査してもらったときよりも胃壁の状態は良好だった。色もよく、ポリープもなかった。

家に帰り次第、前町長のお母さんのお葬式のお焼香に。彼のお父さんとぼくの母は小学校の同級生だった。ぼくの姉の一人と町長は同級生だった。さらに、町長の弟とぼくは中学の同級生だった。

昼過ぎ、今年最初の本格的農作業。小麦をまいたところの雪がようやく溶けたので、今更かもしれないが、麦踏みをし、いただいた籾殻を上からまき、さらに有機肥料を施す。6月なったら麦秋が見えるかどうか。ちょっと生育が悪いような。

家人は、先日購入したパンジーを鉢植えにする。恒例の春の初めの「行事」。





夜、オーリアッド。以前に何回か来たことのある根橋唱二さんの甥の根橋ツトム君がやってきた。遅れて金髪の若者が入ってくる。どこかで見かけたきがするが、思い出せない。根橋君が言う「根橋唱二さんの息子さんです」。驚いた。どこかにお父さんの面影がある。根橋さんには3人の息子がいた。3番目のミコト君だという。長男がタケル、次男がヤマト。

しばらくして二人で演奏してくれた。ミコト君がギターを弾き歌い、ツトム君がギターでサポート。オリジナルではないが、なかなかいい感じである。ギターを弾き始めて1年というからすごいものである。何となくディランの Like a Rolling Stoneに似たコード進行とリズム。誰の歌かと思ったら、桑田圭祐だと言う。

二人は辰野東小学校出身。あとからあやってきた原田さんに歌ってもらうようお願いすると、先ず歌った歌が辰野東小学校第二校歌だった。

従兄弟同士のツトム君とミコト君は明日は予定があってこれないが、また近いうちにオープンマに来たいとのこと。

11時すぎ家に戻る。昨夜8時から内視鏡検査のため絶食していたせいか、それに午後畑仕事で汗をかいたせいか、体重が2キロ減っていた。何キロから2キロ減ったかは言えない。これからしっかり農作業をしなければ。


Thursday, March 27, 2014

午前9時から長野県神社総代会上伊那支会の講習会へ。平出公民館。駒ヶ根、伊那、箕輪、辰野などの神社の総代が一堂に。200人はいただろうか。もっといたかもしれない。拝礼するときの頭の下げ方、かしわ手の打ち方、三方という供物を載せる台の持ち方など、神事にかかわる作法を学ぶ。

午後6時から森林組合の委員会。4月からの新年度の日程などについて。30分ほどで懇親会。7時前に中座し、オーリアッドへ。歌声喫茶。




明朝は内視鏡の検査を受けることになっている。午後8時から絶食。


Wednesday, March 26, 2014

雨。一雨ごとに春に近づいてくる。家の庭の雪もほとんどとけた。サンデッキの東側、ふきのとうが二つ顔を出している。まだ採るには小さすぎる。

1978年2月にボブ・ディランが初来日したときから、彼が日本にきたときは聞きに行かなかったことはなかった。しかし今月の31日から始まる今回は行かないことにしていた。Zepp Tokyo の立ち見は辛いし、最近の彼の作品に感動することが少なくなっていたので。ところが今日、4月7日と8日のチケットなら僅か残っていて入手可能だというメールが入った。それを聞いたら俄然行きたくなった。4月7日のチケットをお願いした。できたら2階の指定席があればいいが、これは無理だろう。

夜、オーリアッド。ディランのアルバムを数枚続けて聞く。先日送られてきた 音質がいいというBlue-spec CD2 によるリマスター盤。昔から好きだったアルバムばかり。音の良し悪しについてはよくわからなかったが、その後に聞いたSide Tracks にはびっくり仰天。素晴らしい。その中の曲はほとんど知っているが、アルバムとしては初めて聞く。これぞぼくの好きなボブ・ディラン節。

家に戻り、メールを開けたら、小野の中村さんからメールが入っていた。今年の冬は大雪で、雪景色を撮ろうとしたがカメラが壊れていたので新しいカメラを注文したが、届いたときには雪はとけてしまっていたとか。それで最近は、毎年この時期にやってくるヤマガラを撮っているとのこと。その写真を一枚送ってくれた。いい写真である。



ヤマガラの名前はマーちゃとか。



Tuesday, March 25, 2014

昨日につづき暖かい一日。桜が開花したというニュースがあちこちから届いた。

昨夜プリンターのインクがなくなり、今日の午後、隣町のホームセンターへ買いに行く。ついでにジャガイモの種芋と肥料も。いよいよ農作業が始まる。

インクが亡くなったのは、長男の結婚式のとき、式場の専属カメラマンが撮ってくれた大量の写真データが届き、そのいくつかを親戚の人たちのためにプリントアウトしようとしたため。今夜もその作業の継続。



夜、4月からクラスで使う歌をどうするか考える。ほとんどは例年通りとしても、何曲かは新しい歌を加えたい。Morcking Bird HillThe End of the World はその候補である。



Monday, March 24, 2014

暖かい一日。午後、選抜高校野球、明徳義塾 vs. 智弁和歌山の試合を見ながら、2つの工具箱の整理。不要なものを捨てることに。延長15回裏、明徳義塾がワイルドピッチで1点を入れ、3対2で勝つ。見ごたえのある試合だった。

夜、50年前サンタローザでお世話になった Mrs. Harvey に手紙を書く。Facebookのおかげで彼女の住所がわかった。現在96歳。正直なところ、まだ健在でいるとは思っていなかった。

Triumphs of Experience: The Men of the Harvard Grant Study のKindle 版を購入した。人間が幸せになる要素は何かを調べるために268名のハーバード大学の男子学生を1938年から75年間にわたって追跡調査した結果がまとめられた本。Facebook でその概要を知り、購入したが、まだ読んではいない。ただFacebookに書かれていたことで興味深かったのは、政治的に革新的か保守的かによって、性的活動に違いが出るというところ。

With regards to sex lives, one of the most fascinating discoveries is that aging liberals have way more sex. Political ideology had no bearing on overall life satisfaction, but the most conservative men on average shut down their sex lives around age 68, while the most liberal men had healthy sex lives well into their 80s.
性に関してわかったもっとも興味深い発見のひとつは、リベラルな人たちは老いても性的に活発であるということ。どのような政治的イデオロギー持っていようが、個人の幸福感にそれほど違いはなかったが、極めて保守的な人たちは平均して68歳で性生活を終えるが、リベラルな人たちは80過ぎても活発である。

ホントかな。革新と見えても保守であったり、保守的と思えても内心は革新的であるということが、その人のsexual activities からわかってしまうかも。

Sunday, March 23, 2014

宮木諏訪神社の宮司さんを迎えて村の神社で祈年祭が行われ、午前中のお掃除から参加した。祈年祭(きねんさい)とは、Wikipedia によれば次のとおりである:

毎年2月に行われ、一年の五穀豊穣などを祈る神道の祭祀である。11月の新嘗祭と対になるとされるが、皇室祭祀令では祈年祭は小祭、新嘗祭は大祭とされていた。明治の改暦前は旧暦2月4日に行われた[1]。改暦後は2月17日に行われるが、時期は統一されておらず、北国には3月・4月の春祭りと併せて行う神社もある。





Saturday, March 22, 2014

朝6時起床。すぐに仕事部屋へ。昨夜遅くから本格的にとりかかった今日午後行われる朗読の会「ひびき」発表会に向けての歌を書く作業。武井覚太郎と北澤小八郎についての略歴を書いた紙を眺めながら、思案する。歌になりやすいのは北澤小八郎。しかし、せっかくだから、二人を同時に取り上げようとも思う。箕輪屋での二人の会談は歌にできないだろうか。

彼らの明治大正昭和に渡る足跡を眺めているうちに、富国強兵、殖産興業を目指した明治維新後の日本の歴史は、ぼくが住むこの小さな田舎の町の歴史と深く関わっていたことを知る。そしてあの時代を生きた人々は今どこにいるのか思ったとたん、一行目が浮かび、一番の歌詞ができた。

人はどこから来てどこへ行くのだろう
ぼくは今北澤小八郎のことを考えている
明治大正昭和と、激動の時代を
生き抜いた一人の男のことを

そのあと、北澤の人生におけるいくつかのキーワードをもとに終戦後伊北農商を退職するまでのストーリーを9つのヴァースにまとめる。武井覚太郎に関しては「資産家」として一言登場するだけになってしまった。ぼくの昔の歌に似ていると思いながらほぼ同時に曲もつける。出来上がったのは12時過ぎ。あわててオーリアッドへかけつける。

1時開場、1時半開演。50人を超える聴衆。「ひびき」のメンバーが先ず武井覚太郎について書かれた文章の朗読。次に北澤小八郎について書かれた文章の朗読。そして最後の30分ぼくの「辰野の人を歌う」ミニライブ。「北澤小八郎」「即宗和尚」「中谷功」、そして辰野の人の歌ではないが「菅野有恒」。

いつものようにアンコールおばさんこと粟津原さんからのアンコールがあり、「ここがぼくのふるさと」を歌って終了。1曲目は通して歌うのは初めてという危ういものだったが、なんとか歌うことができた。おそらくこの歌は今後いくつかの変遷を経て完成するだろう。「即宗和尚」や「中谷功」のように。





More and larger photos at Oread facebook

                    ■

一旦家に戻り、午後6時再度オーリアッドへ。最初に入ってきたのは、アイリッシュハープをかかえた原田和恵さん。ハープを演奏するときのマイクの位置を決め、サウンドチェック。ハープの演奏はあとで多くの人がきてからしてもらうことにして、先ずピアノで歌をお願いする。意表をついて1曲目は「種の歌」。

ぼくがここで「北澤小八郎」を歌う。午後歌ったときとは若干メロディが違うような。続いて丸山俊治さん、「雪のかくれんぼ」「兵隊が戦争に行くとき」「人生の椅子取りゲーム」。1曲目は原田さんのサポート。2曲目はシャンソンのカバーとのこと。3曲目は丸山さんのメロディーメイカーの面目躍如たる歌。「じんせいーというなの」のところのメロディは実に美しい。

再度原田さん「忘れないで」「青いキャンバス」「君は愛されるため生まれた」。そしてぼくが長い歌「フィールド・オブ・ドリームズ」。丸山さん「白雪先生」「オーリアッドバンドの歌」。後者は原田、赤羽、長島三氏のサポートで。

赤羽真理さん、「種の歌」「私を待つ人がいる」。前者は原田さんがピアノと歌で、丸山さんはマンドリンでサポート。長島功さん、今夜は高校入試に合格したばかりの息子さんと一緒。彼の前で「ブリキの魔法」「月のこころ」。息子さん、お父さんの歌を熱心に聞いている。そして思い切り拍手。いい光景である。息子へのお父さんの思いがしっかり伝わっているのを感じる。ここで休憩。











More and larger photos at Oread facebook

後半はいよいよ原田さんのアイリッシュハープの演奏。レッスンを受け始めたばかりとのことだが、しっかりした演奏。大きな拍手。次に母校弥生高校の校歌。そして辰野東小学校第二校歌。丸山さん、「三角広場に桜咲く頃」「満州の丘」。赤羽さん「森の小道」「千両梨の実」。長島さん「いのちの理由」「最後の手紙」。そして最後にぼくがもう一度「北澤小八郎」を歌い、家人と「Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot?」。後者は赤羽さんと原田さんにサポートをお願いする。前者は「丁度よい」似ているかもしれないと言うと丸山さんが「サンタバーバラの夏」に似ていると言う。何かに似ているとは思っていたが、「サンタバーバラの夏」だった。

そうそう原田さんが6時すぎ入ってきたとき「デレクがいなくて淋しいですね」と言う。デレクはよく開店後一番先に入ってきて、ピアノを弾いたり、スパゲッティを食べたりしていた。いなくなってその人の存在の大きさを知ることはよくあること。確かに彼の人懐こい笑顔が見当たらないのは淋しい。

11時すぎ家に戻り、今日朗読の会の方々からいただいた花をテーブルの上に飾ると、いつでも好奇心いっぱいのフィービーがやってきて、眺めたり、匂いを嗅いだり。

疲れたが、いい一日だった。 そうそうリサから先日の写真が送られてきていた。




Friday, March 21, 2014

久々に伊那市の TSURUYAへ。それに平安堂とニトリへ。今まで見たこともないほどニトリが混んでいた。新学期が近いからか、あるいは消費税が上がる前だからか。帰路、農協の販売店に寄り、注文しておいた梅の木を3本購入。山際にはまだ雪がかなり残っている。雪がとけたら植えることにしよう。

夜、オーリアッド。明日の朗読の会「ひびき」の発表会のために、武井覚太郎か北澤小八郎の歌を書きたいと構想を練る。しかしなかなか切り口が見つからない。過去、「中谷功」と「即宗和尚」をこの朗読発表会に合わせて書いてきたが、今年は難しいかも。


Thursday, March 20, 2014

一日中雨。昨日始めたジョギングに行けなかった。しかし、晴れていたとしても行けなかっただろう。昼までに送ろうと思っていたエッセイを送ったときは、すでに夜の7時半だった。なかなか書けなかったが、切羽詰ってからいくつかアイディアが湧き、一気に書けた。

ぼくが1969年の夏、タサハラ禅マウンテンセンターでお会いした日本人禅僧チノウさんは、カリフォルニアに渡る前に京大大学院で仏教学を学んでいる。そして、このエッセイの主人公である飛騨の禅僧原田道一さんは、チノウさん(つまり乙川弘文さん)とは、チノウさんのカリフォルニアの自宅に泊めていただいたことのある間柄である。そしてチノウさんはスティーブ・ジョブズに禅を教えた人。

エッセイのタイトルを「出会いという不思議で幸福な連鎖反応」にした。縁起とか因果に善悪はない。不思議ではあるが「幸福な」という形容詞は当てはまらない。しかしあえてその言葉を入れた。それは即宗和尚が言う「仏教徒は因果を受け入れることだ」という言葉に依拠している。最近読んだアドラー心理学の本『嫌われる勇気』からの影響もある。

スティーブ・ジョブズ自身、「点と点の結びつき」ということについてスタンフォード大学の卒業式のスピーチで述べている。

繰り返しますが、将来を見て、点と点を結ぶことはできません。結ぶことができるのは、振り返ったときのみです。できることは、点と点は将来いつか結びつくだろうと信じることです。何かを―自分の直感、運命、人生、カルマ、何であれ―信じなければなりません。なぜなら、やがて点と点は結びつくと信じることで、それが世間一般のやり方から外れていたとしても。あなたは自分の心の願いに従う自信をもつことができるのです。

今夜は家人が隣町の高校の送別会に出席して留守のためオーリアッドに先に行って開けていてもらえなかった。結局開店したのは7時半過ぎ。そのあと、何人ものお客さん。11時5分前にも、ドアが開き、「6人ですが、いいですか」。「すみません、11時閉店です」とお断りしたが、30分ぐらいなら延長してもよかったと反省。家人が送別会に行ったように、今は送別会のシーズンだ。

家人は隣町の高校で外国籍の子供たちの日本語支援を10年間続けたが、4月からカウンセリングの仕事が忙しくなり、辞めざるを得なくなった。今までは高校3校だったが、4月からは小学校と中学校も何校か行くことに。しかも範囲がかなり広がった。


Wednesday, March 19, 2014

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、今日はかなり暖かくなった。昼前、なかなかエッセイが進まないので、気分転換にジョギングに行くことに。walking ではなく jogging 。旧道へ降り、南にくだり、徳本水へ。しばらく前まではツララがぎっしり付いていたが、今は何もない。緑の苔が鮮やか。横川川は雪解けの水で増水し、滔々と流れている。



しかし、城山公園へ行く道にはまだ雪があった。滑ったら危ない。引き返すことに。旧道から坂を上って家に戻る。庭の日陰の部分にはまだ雪が残っている。日当たりのいいイチイの樹の下では福寿草が今が盛りと咲いている。15分、本当にゆっくりながら走ることができた。できたら毎日続けたいもの。




夜、オーリアッド。暖かいといっても夜は冷える。2つの灯油ストーブに火をつける。そして小山卓治さんの『Circle Game』をCDプレイヤーに挿入する。1曲目「クリスタルレインドロップ」の雰囲気が好きだ。確か彼はサイモンとガーファンケルの影響とか言っていたような。「天国のドアノブ」に入ったところでお客さん。

10時過ぎ、早めに閉店。家に戻り、エッセイの続き。今夜中には送れそうもない。もう一日待ってもらうことに。


Tuesday, March, 18, 2014

ワタナベさんが、harness でのライブの写真を「宅ふぁいる便」で送ってくれたが、開けることができない。メールに添付していくつかに分けて送ってもらう。ワタナベさんの撮る写真は明らかにぼくが撮る写真とは違う。色が深く鮮明。おそらくカメラと技術がかなり違うのだろう。




「小山さんと三浦久さんのライブ@ハーネスよかったです。元気なおじいちゃんだ。若造ぶってる小山さんを見られるのも貴重」と誰かがTwitter に書いていた。まだ「おじいちゃん」じゃないと強がるのはやめたほうがよさそうだ。どこからみても、ぼくはもう立派な「おじいちゃん」。

エッセイの修正がなかなか進まない。修正部分はできたが、冒頭部分を新たに書き加える必要がある。その部分が遅々として進まず。遅れたら迷惑をかけてしまうと思いながら、身体の芯が疲れているのだろう。言葉が流れてこない。明日には必ず。

Monday, March 17, 2014

土曜日、harness に行くために家を出るまで、CDをいくつかもっていかねばと思っていたのに、最後はあわてて1枚も持たずに家を出てしまった。『祈り』はアマゾンで購入してもらうとして、アマゾンでは売っていない『メッセージ』は、送ることに。本日4枚発送。3枚しか残っていないかもしれないと思っていたが、何とか4枚あった。『メッセージ』はぼくのアルバムの中ではよく売れたほうである。

先々週の土曜日、デレクが帰るまえに一度会おうということになった。「火曜日にオーリアッドで」と約束していたが、デレクから連絡があり、火曜日は一年間教えた中学の卒業式と、送別会があるというので、急遽、今夜わが家にきてもらうことに。6時前、リサといっしょにやってきた。

デレクはオーリアッドに入ってくるときはいつも、鴨居にぶつからないように、身をかがめて入ってきた。今日わが家にも同じように入ってきた。身長はいくつかと聞くと、194センチと言う。大きい。180センチを超える友人は何人かいるが、190を超える友人は、今考えても他に思いつかない。

スキヤキをすることに。鍋といえばわが家では京都時代から水炊き専門で、スキヤキはずっと昔、2,3度しただけ。正月に長男が帰省したとき、たまにはスキヤキをしようということになった。そうなったのは、スーパーに行ったら、見事なスキヤキ用の肉が売っていたことと、年をとったら肉を食べたほうがいい、日野原先生は週2回はステーキを食べている、と言う家人の意見があったから。

食べてみたら美味しかった。昔と違って、スキヤキ用の肉やタレが田舎のスーパーでも売っていて、ほぼプロの味が楽しめるようになっている。これに味をしめて、次男夫婦が1月から2月かけてNZから帰省したときもご馳走することに。だから今夜は今年3回目。もうしばらくはいい。

食後、デレクがピアノを弾いてくれた。リサも。長い間チューニングをしていない安物のピアノだが、音がいいと言う。天井が高いせいか。




水曜日に信濃町へ行き、その後、ハワイを経由してお母さんの住むコロラドへ帰るとのこと。そして、しばらくそこに住み、旅行社で働く予定とのこと。まだ28歳。無限の未来が開かれている。リサはまだしばらく日本にいて、オーリアッドにも来たいと言う。8時半、彼らを送って外に出たら、東の空に、見事な満月。

彼らが帰ったあと、頼まれていたエッセイの修正を試みたが、今夜中に送るのは難しい。明日は何とかしなければ。



Sunday, March 16, 2014

午前10時、ホテルをチェックアウトし阿佐ヶ谷の駅へ。みどりの窓口へ直行し Suica を購入。早速それを使って五反田へ。週末京都へ行っていた家人と五反田駅で落ち合い、長男の雪谷大塚のアパートへ。今月いっぱいでこのアパートを引き払い、新居へ移るとのことで、掃除のお手伝い。結局ぼくは疲れてソファで眠っていただけだが。

午後6時の高速バスで辰野へ。9時すぎ、帰宅。「感動すると疲れない」という言葉が好きだ。しかし、小山さんとのライブには大いに感動したが、家に帰るとさすがに疲れた。

昨夜はライブ終了後、残った方々と楽しいひととき。小山さんがぼくの「フィールド・オブ・ドリームズ」がいいと、彼の歌の間に話したものだから、その歌が入っている『メッセージ』がほしいという人が4人もいた。そのうちの一人は、エリオット・マーフィーが大好きで、ぼくがずっと昔に訳したマーフィーのCDをもってきて、サインをしてくれという。ぼくがサインしたら価値が下がるよといいながら、対訳三浦久の横にサインをする。そして彼はインディーズで出ているマーフィーの新譜をプレゼントしてくれた。筋金入りのエリオット・マーフィーファンだ。もう一人は、「ゴースト・オブ・トム・ジョード」日本ツアーのパンフレットをもってきていて、これまた対訳三浦久の横ににサインをすることに。

とにかく、harness での小山卓治さんのファンは熱心に歌の言葉に耳を傾けてくれる人が多い。今回お客さんは昨年より若干少なかったが、とてもいいコンサートになった。


Saturday, March 15, 2014

素晴らしい夜になった。「小山卓治&三浦久ライブ」 at harness, Asagaya, Tokyo。数日前に小山さんからのメールに返信し、お願いしたことがある。それは、前回はお互い40分の持ち時間だったが、一緒に歌う歌を減らして、それぞれの持ち時間を60分、少なくとも50分にしてくれないかと。

その結果最後に「パーティーは終わったよ」を歌うことにして、あとは各自1時間以内で歌うということに。

ぼくのセットリスト:「門」「中谷勲」「電線の上の一羽の鳥のように」「菅野有恒」「碌山」「千の風」。MCも含めてこれで一時間。歌おうと思っていた「新しい光迎えよう」「祈りの歌」は割愛することに。MCでは小山さんのリクエストもあってスプリングスティーンとの出会い、そして彼の対訳をすることになった経緯なども少し話す。

1曲目の「門」を歌いながら思った。ああ、この歌は High Hopes のテーマと同じだと。



小山さんが歌った歌は知らない歌が多かったが、気に入った歌がひとつあった。「クリスタル・レインドロップ」。これでぼくが好きな彼の歌は「ひまわり」「種の歌」「クリスタル・レインドロップ」と、3曲になった。もちろんほかにもいい歌はたくさんある。「クリスタル・レインドロップ」が収められている『Circle Game』というアルバムをいただく。

小山さんのセットリストは、ぼくに合わせてフォーク調の歌が多いように思えたが、最後の2曲で、ロックシンガー・ギタリストの面目躍如、見事なギターワークと歌声で聴衆を魅了。



アンコールは「パーティーは終わったよ」だけでなく、「種の歌」もいっしょにやることになり、ぼくは「花は歌う、小さな声で/笑って、さあ笑ってと」の最後の部分を正調で歌い、小山さんがハーモニーをつけることに。この歌に関してもよかったという声が多かったが、それはぼくが歌う部分をできるだけ少なくしたからに違いない。

「種の歌」が終わったあと、「パーティーは終わったよ」の代わりにちょっと長いけれど「フィールド・オブ・ドリームズ」を歌わせてほしいとお願いする。というのは彼がMCの中で、この同名の映画が大好きで、ぼくの歌も気に入ったと話していたので。彼にリードギターをお願いする。Bm と A だけで、12分引っ張る歌。

この歌を歌い終わって終わりと思ったら、「パーティー」もやりましょうとのことで、ぼくが1番と4番を彼が2番3番を歌うことに。予定よりかなり時間オーバーだったけれど、前回感じた未消化感はなかった。




打ち上げの席に、岩手県出身の小山さんのファンがいて、「菅野有恒」がよかったと話してくれた。彼は陸前高田の松林のあった海岸へ子供のころお父さんに連れられてよく行ったとのこと。この歌に関しては何人もの人たちから「よかった」と言われたが、特にぼくの過去20回の年末ライブにおそらく19回は来てくれている、どちらかというと無口なS君から「『菅野有恒』がよかったです」と言われたのは嬉しかった。この歌は、3.11後3年目の先日、放映されたいくつかの特集番組に喚起されて数ヴァースを付け加え、ようやく「完成」したもの。

最後に残った人々で記念撮影。




最後は小山さんを含め4人で近くの居酒屋へ。楽しいひととき。


Friday, March 14, 2014

午前10時半から、朗読の会「ひびき」の「お話を聴くひととき」のリハーサル。辰野町の先人を取り上げる3回目。今回取り上げるのは武井覚太郎と北澤小八郎。前者は製糸業で財をなし、伊北農商(現辰野高校)の創設に寄与し、上伊那図書館を寄贈した事業家。後者は札幌農学校に学び、伊北農商の第4代校長として22年間にわたって伊北農商の礎を築いた教育者。

この二人について書かれた文章の朗読を聞いていると、辰野のみならず、日本、そして世界の明治から昭和にかけての時代の変遷を身近に感じることができる。

ぼくも後半少し歌わせてもらうことになっている。

第15回お話を聴く会 礎その3
日時:3月22日(土)13:00開場、13:30開演
会場:オーリアッド
会費:500円(飲み物&お菓子)
主催:朗読の会ひびき






午後、明日の阿佐ヶ谷 harness でのライブに向けての練習。特に「菅野有恒」。歌うたびに少しずつ変わってしまうが、ようやく定着してきた。ラインではなくマイクで、フィンガーではなくストロークで、弾くことに。

夜、オーリアッド。ずっと前にいただいていた齊藤皓太さんのニューアルバム The Last Train を聞く。ロックアルバム。楽器の音に比べて、ヴォーカルが少し抑え気味かなと思ったが、なかなかいい。一番気に入ったのは「夕暮れ」。



Thursday, March 13, 2014

朝からしとしと雨が降る。一時はかなり激しく。関東地方では風が強かったようだが、ここはほとんど無風。

霧に霞んだ王城山を背景に、膨らみ始めた蕾がついたライラックの枝に水滴が溜まっている。真っ青な青空もいいが、こういう景色も好きだ。









少し前までは雪に覆われていて何も見えなかったベンチも、今日の雨で完全に顔を出した。まだ周りは雪だらけだが。

夕方、原田老師のエッセイ集を出す出版社から、ぼくが彼について書いた文章の校正をしてほしいとメールが届く。何度試しても Adbe Reader が開かない。Word のファイルで送ってほしいとメールを打つ。

夜、オーリアッド。ジブランの会の方々。彼らがお帰りになったあと、歌の練習。「菅野有恒」。ラインを入れてストロークでギターを弾き、大声で歌っているところへ、長島君。彼曰く「マイクでとったほうが、歌の言葉がはっきり伝わる」。ぼくの歌は音楽ではなく、言葉である。言葉が伝わらなかったら無に近い。さて、どうしよう。明日また考えることに。

帰宅してメールをチェック。Open Office で送られてきた原稿を見る。老師から打診があったとき添えられていたのは、ぼくがどこかで書いた文の中から原田老師に言及した部分を抜粋したものだったので、問題ないと思っていたら、ずっと前に書いた「ぼくが出会った歌、ぼくが出会った人」に書いた一回分のエッセイだった。編集者はこれをぼくが最近書き下ろしたものと勘違いしているようだ。これは大変。手直しが必要である。困った。時間がない。


Wednesday, March 12, 2014

終日、探し物と歌の練習。両方とも思うようにならず。

その間に、昨夜遅くに届いた坂村真民さんの「弥勒の唄」の詩(抄録)にどう曲をつけたらいいか考える。飛騨の禅僧原田道一さんに曲をつけるように頼まれたもの。送って下さった出版社の方に問い合わせると、送られたてきたものはもとの詩のほんの一部で、原詩は10000字以上あるとのこと。それに冒頭と最後の部分を除くと、詩というよりは散文である。曲をつけるためには、歌える言葉に変えなければ難しい。しばらく時間がかかりそう。

夜、オーリアッド。小山卓治さんとのライブに向けて歌の練習。やはり 3.11から3年が経った直後だから、「祈りの歌」「千の風」「新しい光迎えよう」、それに「菅野有恒」は歌いたい。最後の曲は、先日、震災関係の番組を立て続けに見て、新たに3ヴァースを付け加え、お経を入れたために、長い歌が更に長くなった。でも説得力は増したような。


Tuesday, March 11, 2014

朝、農協から電話があった。梅の木について。以前に農協に勤めていた森林組合の理事長が早速電話をしてくれたようだ。すぐに取り寄せてくれるとのことで、大中小の梅の木を2本づつ、計6本お願いする。後で考え直し、各1本づつに変えてもらう。

というのは、農協に電話してくれた森林組合の理事長がやってきて、庭先の梅の木を消毒してくれるのを見たからである。この梅の木はこの先祖の地に引っ越してきてから一度も消毒したことがない。花が咲き、実はなるが、あまりいい実ではない。一度は花が咲かない年もあった。「切ってしまおうか」と家人とその木の前で話した翌年は見事な花が咲いた。とにかく、6本も梅の木を植えても、十分に管理できないと思ったのである。3本でも多すぎるかも。

消毒液は硫黄で、身体には悪くないが、黄色くなるとのこと。事実、まだ残っている雪が一面黄色くなった。白黒写真に色を塗ったような感じ。



午後、豊南学園の武田理事長を偲ぶ会に列席する。開学以来お世話になった豊南短大を辞めたのが2002年3月だったから、ちょうど12年ぶりに、あの坂を上ったことになる。校舎の中に入った印象は12年前と変わっていないということ。ひとつ違っていたことがある。靴を脱ごうとすると「そのままどうぞ」と言われた。開学当初、そのことを提案したが、直ちに却下されたことを思い出した。

偲ぶ会は記念ホールで行われた。花で囲まれた武田先生の遺影の前で、幼児教育科の音楽の先生たちの演奏で始まった。お別れの言葉を述べたのは野口先生。開学当初から歴史を教えていた先生で、髪の毛は短く、身なりのきっちりした先生だった。長髪髭面、ブルージーンのぼくとは好対照だった。ところが今日の先生は仙人と呼ぶのにふさわしい風貌。やはり12年という歳月は長い。

ぼくが武田先生に関してもっとも印象深く覚えていることは、入学式、卒業式での挨拶である。原稿を見ず、「あー」とか「うー」とか「えー」とか言うことなく、淀みなく話されたこと。そのままテープを起こせば、完璧な原稿ができあがるように思えた。立ち振る舞いは常に背骨が伸びて、堂々としていた。しかも温顔で。今日いただいた栞に記されていた先生のプロフィールでその謎が解けた。剣道5段、柔道3段だった。

学生代表2名のお別れの言葉、武田先生の娘さんで新しく理事長になられた方のあいさつ、それに森本新学長のお礼の言葉。その後、参列者全員の献花があって終了。





記念ホールを出たところで、野口先生と記念撮影。そこへ昔のすでに退職された同僚の人たちもやってきて、もう一枚。野口先生以外はみなさんお変わりない。

帰りの車のラジオで、3.11の記念式典の様子を聞く。2時46分、サイレンがなり、車を運転しながら一分間の黙祷。その後しばらくして家に着く。

夜、震災の日に生まれて今日3歳になった子供たちを特集した番組を見た。涙なしでは見られなかったが、彼らの笑顔を見ながら、子供たちは本当に救いであり、未来への希望だと思った。彼らの前途が明るいものであってほしいと願わずにはいられない。


Monday, March 10, 2014

いつまでも寒い。

午後、村の生産森林組合の理事長が3月末の理事会の案内をもってやってきた。上がってもらい、しばらく話す。実は彼から以前、山の麓の畑に梅の木を植えて、花と実を楽しんでいるという話を聞いたことがある。最近、数年前に戻ってきたわが家の山麓の畑にも梅の木を植えたらどうだろうと思い始めた。農協の販売所で苗木をそろそろ売り出すとのこと。彼のアドバイスで大中小の3種類、計6本を購入することに。

梅の木を植えようと思ったのは、長男のお嫁さんが、披露宴のとき渡されたプロフィールに「好きな食べ物」として「梅干」とだけ書いてあったからである。都会育ちのお嬢さんの好物が梅干と知り驚いた。せっせと世話をしていい梅を作りたいもの。

1963年から64年にかけて一年間お世話になった家の奥さん(ぼくの American Mother) の住所が娘さんから届いた。娘さんはぼくがお世話になっているときはすでに結婚して家を出ていたので、あまり親しくはなかったが、 facebook を通して連絡がとれた。そのときからすでに50年が経っている。娘さんもかなり高齢なはず。

ぼくの American Mother は現在、96歳(ということは左の写真の彼女はこのとき46歳ということになる)。南カリフォルニアのヨーバリンダという町に暮らしているとのこと。最後にお会いしたのは、1979年夏。ロサンゼルス近くのフラートンという町に住んでいる彼女を訪ねたとき。その後いくつかの事情があって音信不通になってしまった。2004年秋、高校のClass of 64 の40周年リユニオンに参加するためサンタローザに行ったとき、彼女の消息を尋ねたが誰も知らなかった。だから、もうすでに亡くなっているに違いないと思っていた。よかった。早速手紙を書くことにしよう。最近の写真も入れて。



Sunday, March 9, 2014

日曜の朝は、たいてい、いつもより遅くまで寝ていて、8時頃下に降りて行き、サンデーモーニングを見る。8時40分ぐらいから始まるスポーツコーナーが楽しみ。でも今朝はキャスターからコメンテーターまで5,6人が東北の被災地に行っていて、震災についてのニュースや話し合いに終始した。他局も同じだった。無理もない、3.11の3年目直前の日曜日だ。その日生まれた赤ちゃんは3歳になる。

家人は今日は大正琴の発表会があるとのことで朝から伊那市へ。ぼくは週末の阿佐ヶ谷 harness での小山卓治さんとのライブの準備。

震災関係の報道を見ているうちに、一昨年の秋、陸前高田の町を訪れたことを思い出した。瓦礫と雑草以外何もない陸前高田の駅の跡地に立った時の寂寥感が蘇ってきた。駅前の商店街にぼくのCDをよく注文してくれた菅野有恒さんの和光堂という写真館があった。線香を上げ、般若心経を唱えた。

震災のあと彼が亡くなったことを知り、彼のために歌を書いた。あの何もない雑草の生えていた跡地に立ったときのことを、その歌の最後に加えようと思い立ち、夕方までかかって仕上げる。メロディも一度変えたが、最終的にはもとのメロディでいくことに。綺麗なメロディより、畳み掛ける歌い方のほうがこの歌にはあっているように思えたので。


Saturday, March 8, 2014

午後6時過ぎ、デレクがいつものようにドアの鴨居に頭がぶつからないように腰を曲げて入ってきた。その後からリサが入ってきた。デレクが何か言っている。難聴のぼくの耳にはよく聞こえない。 I can't hear you. と言いながら近づくと彼が言う。I have a bad news for you. どんな悪い知らせかと思ったら、再来週アメリカに帰ることになったと言う。ALTの契約が更新されなかったとのこと。

「それじゃあ今日が最後のオープンマイクだね」とい言うと、「来週は来れる」と言う。「残念ながら来週はお店が休みでオープンマイクはない」と伝える。来週末、ぼくは東京へ、家人は京都へ行くことになっている。

今夜のオープンマイクは期せずして、デレク・ハースト Farewell Open Mike となった。デレクに初めて会ったのは2010年11月24日のこと。県の総合教育センターで行われたALTの先生たちの研修会で話をさせていただいたとき。

そのとき、翌年1月の「キング牧師の日チャリティーコンサート」の話をして、興味のある人は参加してほしい旨伝えたところ、一番前にすわっていた長身の男が真っ先に手を上げた。それがデレクだった。当時彼は信濃町に住んでいたが、信濃町から電車に乗って翌年のチャリティーコンサートに来てくれた。次の年彼は東京に住んでいたが、また来てくれた。

アメリカに帰っているうちに、オーリアッドの近くに住みたいというメールが届いた。そして昨年4月から隣町のALTになり、毎週土曜日顔を出してくれ、ピアノ弾き語りの素晴らしいオリジナルを聞かせてくれた。

今夜の出演は、前半:デレク・ハースト、原田和恵、リサ・ハスコール、垣内彰、重政知志、坂井俊水、太田裕士、赤羽真理、玉田美恵子。

















More and larger photos at Oread facebook

後半:三浦久、玉田美恵子、長島功、赤羽真理、太田裕士、太田&デレク、坂井俊水、重政知志、原田和恵 with 坂井俊水、デレク・ハースト。

最後にデレクのために全員でAmazing Grace を歌う。人と人の出会いは不思議だ。Amazing Grace だ。4年前の11月、ALTの先生たちの前で話をしなければ、デレクに会うことはなかったし、会っていても彼が手を上げなければこのような繋がりを持つことはなかった。そして何よりも、彼がオーリアッドの近くに住みたいと決断し、それを実行したことが大きい。

アメリカに帰ったら旅行社に勤めることになっていて、日本にくる機会があるかもしれないとのこと。近い将来、彼がまた、頭を打たないように腰を曲げてオーリアッドのドアを開けて入ってきてほしいもの。その時まで、 Good bye, good luck, Derek Hurst!


Friday, March 7, 2014


一日中、寒い日。朝起きたときは真冬並みの−11℃。お昼のニュースで野辺山は今日の最低気温が−25.3℃だったと知る。信じがたい寒さ。

しなければいけないことがいくつもありながら、なかなか手につかない。その一つは、礼状やお悔やみの手紙を書くこと。手書きの手紙となると途端に身構えてしまい、先延ばしの悪い癖が出てしまう。

夜、オーリアッド。開店後しばらくして入ってきたお客さん、灯油ストーブの近くにすわりながら、「食事だけすることができますか?」「もちろんですよ。土曜日のみオープンマイクでいろんな人がきて歌ったり演奏したりしますが、水木金は普通の喫茶店です」。聞けば、単身赴任で近くの会社に勤めているとか。

昨日読み始めた『俺のブルースを聴け』読了。面白い。ぐいぐい引っ張られるように最後まで読んでしまった。結末は書かないでおいたほうがいいだろう。最後のブルーズのセッションシーンでは思わず涙ぐんだ。この本を先に読んでいたら、先日の「キング牧師の日チャリティーコンサート」のとき、著者に少し話してもらっていただろう。というのは、この小説の背後には南部の人種差別が描かれていて、白頭巾のKKKも重要な役割で登場する。

講演依頼のメールがあった。5月15日の午後。何曜日かなとカレンダーを見たら、木曜日。これは無理と思ったが、すぐに思い出した。昨年度は水木にクラスがあったが、今年度は月火水。木曜日は大丈夫だ。早速、OKの返事を書く。


Thursday, March 6, 2014

先日の「キング牧師の日チャリティーコンサート」に東京から来てくれた山口明雄(ペンネーム岑亜紀良みね・あきら)君の本『俺のブルースを聴け』(光文社)が届き、早速読み始めた。期待以上の面白さ。

高校のときに能登の教会で聞いた黒人の説教師でありブルーズシンガーである男をを探しに小宮吉之助なる若者が、日本からミシシッピー・デルタ地方へ旅する物語。随所にバイオレンス、セックス、ミステリーが散りばめられている。まだ3分の2しか読んでいないが、映画にしたらさぞ面白いだろう。彼の別の作品『Best Guy』が、織田裕二主演で映画化されているというのも頷ける。

夜、オーリアッド。ものすごい寒い夜。こんな夜はお客さんはこないだろうと思っていたら、坂井くんがギブソンを持って入ってきた。ストロークでそのギターを弾いた時の音色が素晴らしかった。しばらくして、丸山さん、そして原田さん。期せずしてセッションが始まる。

最後に残った丸山さんに『俺のブルーズを聴け』の話をする。読みたいというので、ぼくが読み終わったらお貸しすることに。

昨夜設置した小型の製氷機は、実に都合がいい。今までは365日、毎日24時間、製氷機に電源を入れ、大量に氷をつくっていた。オーリアッドの営業が週4日夜のみだということを考えると実に無駄であった。今は必要なときだけ、電気を入れ氷をつくることができる。余分にできた氷はナイロンの袋に入れ、冷蔵顔の冷凍庫に保管しておけばいい。


Wednesday, March 5, 2014

一夜にして冬に逆戻り。








Tuesday, March 4, 2014

今朝は年に数回しかないような美しい日。空の青さが目にしみる、という表現が大げさではない。大げさどころか、この美しさを表現する言葉が見つからない。







10時、堀越さんがやってきた。ダンボールに3つか4つの本を引き取ってもらうことに。昨年「陸前高田図書館ゆめプロジェクト」に賛同し、10数箱の本を送った。そのシステムをぼくが理解していなかったと言えばそれまでだが、なんか「詐欺」にあったような気がした。ぼくが送った本に対する代価が陸前高田の図書館建設のために寄付されたのだが、その額はぼくが送った本1冊の値段にも満たないほど。そこへ行くと堀越さんは良心的である。

Kindle 版『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)を2日前に購入。今朝読了。アルフレッド・アドラーの Individual Psychology(個人心理学) についての本。久々に夢中になって読んだ。

夜9時からBSで「クレーマー、クレーマー」(原題 Kramer vs. Kramer)を見る。この映画は昔見たことがある。ダスティン・ホフマンとメリル・ストゥリープ主演。見ないでおこうと思ったが、見始めたら、結局最後まで見てしまった。大体のところは覚えていたが、細かいところは完全に忘れていた。特に最後の結末は家人もぼくも完全に逆だと思っていた。ダスティンとメリルの演技が素晴らしいのは当然だが、両親の離婚の間で翻弄される息子ビリーを演じた子役の演技が実に素晴らしい。


そうそう、午後中村ブンちゃんから電話があった。東京芸大日本画科の娘さんが、大学院の試験に合格したとよろこんでいた。かなりの難関だったらしい。8日に上田に歌いに来るとのことだったが、ちょっと聞きに行くことは難しい。

今夜もフィービーは足元の猫ベッドの中。




Monday, March 3, 2014

朝からリビングの本棚の整理。本棚の上に置いてあった「プラトン全集」「アリストテレス全集」「西田幾多郎全集」「鈴木大拙全集」「ベルジャーエフ全集」「ポール・ティリック全集」などは、1982年に引っ越してきてから一度もさわってないものが多い。こんな上にあっては、簡単に手に取ることもできない。脚立にのぼって本の上の部分を触ってみる。ホコリがすごい。本をおろし、掃除機でホコリを吸い、棚は雑巾で拭く。これらの全集をなんとか下の棚に入れるためには、今後読みそうもない本を処分する必要がある。古書店マザーアースの堀越さんに電話したら、明日の午前中に取りにきてくれることになった。

夜は、久々にBSでアカデミー賞受賞作の今夜から始まるシリーズの最初の映画を見る。邦題「追憶」、原題「The Way We Were」。タイトルは聞いたことがあるし、同名の主題歌も聞いたころがある。でも映画は見たことはなかった。主演はローバーと・レッドフォードとバーバラ・ストライザント。監督、シドニー・ポラック。

正直なところ、前半は退屈した。何度か2階に上がろうとしたが、徐々に面白くなってきて、結局最後まで見てしまった。


Sunday, March 2, 2014

フィービーは夕食後ぼくが仕事部屋に上がると、ついてきて、ぼくの膝にピョイッと跳び乗る。しかし今日は今朝から仕事部屋の一大模様替え。パソコンラックが部屋の真ん中に置かれていて、部屋を二分していたが、家人の suggestion で、パソコンをラックから下ろし、長い机の上に置く。プリンターも。ラックは机の横の壁際に。そうすることで、床が広くなり、猫用ベッドを楽に置けるようになった。

フィービーが膝に乗っていると、しばらくすると膝が痛くなるし、タイプを打つにも邪魔である。ベッドに入れてもすぐ出てきてしまう。着ていたフリースを脱いでかけてやったら、おとなしくなった。






そうそう、この仕事部屋はもともと納戸として設計されたもの。部屋自体が狭くて長い。そこへ下の家事室で使っていた手作りの横に長い作業机が邪魔になり、この部屋に押し込んだので更に狭くなった。京都から引っ越してから長男と次男はひとつの広い部屋を共同で使っていたが、4,5年して、その部屋に壁をつけて2部屋にしてもらった。そのとき、仕事部屋の、机と反対側の壁一面に、床から天井までの本棚をつけてもらったので、さらに狭くなった。

パソコンの場所を変えることによって、部屋が広くなった。ありがたい。



Saturday, March 1, 2014

もう3月。

何人かの出演予定者のキャンセルがあったり、オープンマイクではなく、「会議」を目的にやってきた団体があったりして、前半はいつものオープンマイクとは少し雰囲気が違ったが、結果オーライのいい夜になった。

デレク・ハースト、先ずオリジナルのピアノ・インストゥラメンタル 「Vestige of Peace」、そして 「Heart without Boundary」 。それに先日のキング牧師の日のイベントで歌った 「We Are the World」。原田和恵さん、「G線上のアリア」と「翼を下さい」「早春賦」。丸山俊治さん、「あの道、この道」「愛しいあなたへ」「マザーロードの旅」。先日ギター工場でFM松本の番組に出演したのだが、その工場のショールームにルート66(マザーロード)の標識が飾ってあったとか。次にぼくが「Today」「I Have a Dream」「祈りの歌」。ここで早めの長めの休憩。














後半は、赤羽真理さんから。「闇の中に独り」「約束」、そして「種の歌」。最後の歌は丸山さんがピアノでサポート。デレク、「Heart Always Knows for Sure」「Hope」。原田さん、最近ライブで聞いたという田中君の「こころの道路」、そして「God Bless You」。

ここからセッション開始。丸山さん with 赤羽真理&原田和恵、「昔々総理がいた」(古川君の「昔々少女がいた」の替歌)、「オーリアッド・バンドの歌」「雪のかくれんぼ」。原田さん with 丸山俊治&赤羽真理、「友よ」。赤羽さん with 丸山俊治&原田和恵、「驚くばかりの」。三浦久&薫子 with 赤羽真理&原田和恵、「Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot?」

最後の歌は昔、アライダ・ボルンカムからもらったフォークソング・ブックに載っていた歌。Google で検索したら、ぼくが覚えたヴァージョンとは少し違うが、ウディ・ガスリーがこの歌を歌っていた。http://www.youtube.com/watch?v=nWs6ICnkT8g