OREAD Diary
          February 1 - 28, 2013
 

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Thursday, February 28, 2013

最近は雪の日と晴れの日が繰り返される。今日はまれに見る美しい日。昨日の雪は、イチイの木の下や、サンデッキの近くの陽がよくあたるところでは、溶けてしまい、福寿草が顔を出した。真っ青の空と黄色の福寿草のコントラストが美しい。




オーリアッド。朗読の会「ひびき」の発表会に向けて歌を書かねばならないが、その資料が見当たらない。オーリアッドにあると思ったが、ひょっとしたら家に持ち帰ったかも。「中谷勲」は一昨年の「ひびき」の発表会のために書いた歌。この会には大変お世話になっている。「アンコールおばさん」の粟津原さんにお会いしたのも何年も前の発表会。

遅くなって、歌の練習。アメリカのフォークソングを初めて聞いたころの歌を何曲か。



Wednesday, February 27, 2013

朝起きたら、雪。冬に舞い戻ってしまった。少し寝過ごし、10分遅れて旧道の雪
かきに。大部分は村の除雪車がやってくれる。昔に比べたら楽になった。それでも家の周りも含め、雪かきが終わるとどっと疲れる。

昨日あれほどに陽の光を浴びて咲いていた祠の前の福寿草にも雪。イチイの木の枝のおかげで、そこは雪が少ないが、家の周りは完全に冬景色。




昨日寝る前に気づいた。「さくらインターネット」から「ドメインの移転手続き完了しました。ドメイン情報の変更やネームサーバー変更、ゾーン設定などが可能になりました」という内容のメールが届いていた。月曜日の段階では1週間ほどかかるかもしれないとのことだったので、ちょっとびっくり。

早速、今朝、メールに記されていた指示通りに設定を始めたが、すぐに諦めた。10時過ぎ、「さくらインターネット」に電話。サポートをお願いする。今朝はすぐにつながり、親切丁寧なサポートのおかげで、ぼくとしては、かなりスムーズに設定、移転することができた。

ところが、gotta さんから電話。まだ全部移転されていないとのこと。トップページも以前とは違うとのこと。試しに古いOREAD Diary を見ると、写真が抜けている。gottaさんの言うには、iij のFTPサーバーからすべてが移されていないのではないかとのこと。移したつもりが、何度か「エラー」が出て中断したのがいけなかったかも。再度、最初から、すべて移転作業。一括して移転しようと、しばらく留守をして戻ると、「エラー」の表示。細かく区切って移転することに。それでも何度か「エラー」が出て中断。ようやく移転したものを今度は「さくらインターネット」の FTPサーバーに移転。そんなこんなで、結局、全部終了したのは5時過ぎ。オーリアッドへ行かなければならない時間。

今夜のオーリアッドは、天竜ずくだし倶楽部主催の「歌声喫茶」。ずっと前、この「歌声喫茶」をオーリアッドで隔月に行っていたが、希望の曜日が合わず、しばらく宮木公民館で行っていた。先月から、毎月4週目の水曜日に再度オーリアッドで行うことに。

丸山俊治さんが、オーリアッドへ初めてきたのは、2006年8月24日(木)の歌声喫茶とき。日記によれば、このときの伴奏者は6人: アコーディオン2人、ギター2人、ピアノ1人、ウッドベース1人。最後のウッドベースが丸山さん。2日後のオープンマイクのとき、再び丸山さんが現れた。椅子を忘れたとのことだった。

今夜の伴奏者は3人。ギターの岩垂さん、ギター&カホンの長島さん、それにピアノの丸山さん。今夜は雪のせいか、隔月が毎月になったせいか、集まった人の数はそれほど多くなかったが、なつかしい歌の数々を聞かせてもらった。休憩時間に、丸山さんが「職人になったオジサン達」を、長島さんが「ブリキの魔法」を歌う。
後半は岩垂さんが、いくつかボーカルを担当。いい声である。



11時、家に戻ると gotta さんから「さきほどオーリアッドのHPを見ましたが、正常に表示されていました。お疲れさまでした」という主旨のメールが届いていた。ここまでこれたのも三木さんのおかげ。特に三木さんのアドバイスで「さくらインターネット」を知ってよかった。年間、かなりの額が節約ができる。因みに、gotta さんも「三浦久ホームページ」を「さくらインターネットを使って、次のURLに移転した。http://gotta.jpn.org/miura.htm

それにしても今回のドメイン移転騒動は、「禍転じて福と為す」のことわざどおり。今月10日にぼくのコンピュータの調子が悪くならなければ、何も知らずに、iij の期限が切れる 5月31日を迎えていたかもしれない。そうしたら、すべてのHPのデータは失われていた可能性がある。更に、四苦八苦して移転作業をしたことで、以前よりも、わずかではあるが、コンピュータのしくみがわかったような。FTP が file transfer protocol のアクロニムであることも。

今回の移転に関しては、庄司さん、上條さんにもお世話になった。ありがとうございました。


Tuesday, February 26, 2013

気温は低いがいい天気。イチイの木の下に石の祠がある。毎年その前で福寿草が咲く。数日前まで雪におおわれていたが、雪が溶けて顔を出した。昨日以上に黄色が鮮やかだ。



午後、フィービーの餌を買いに隣町へ。CDのケースと名刺用のペーパーも。

夜、WBCのチームと阪神との強化試合を見る。この試合を見る限り、このチームにはあまち期待できそうもない。でも大会が始まれが、やはり応援するだろうし、勝ってほしいと思うだろう。

昨夜は天気がよく、満月の写真をとることができた。だが実は満月は今日。だから夕方からそわそわして写真を撮ろうと身構えていたが、月の出のときには、王城山には薄い雲がかかっていて、ぼんやりとしか見えなかった。そのうちにけっこう暗くなり、完全に雲におおわれてしまった。12時過ぎ、外を見たら、雪が舞っていた。明日も雪かきか。


Monday, February 25, 2013

朝起きて、階下に降りて行くと、家人が言う。「今朝は寒かった。−14℃だった」。家の中ではストーブを焚き、外は太陽の陽射しが強いので、あまり寒くないと思っていたが、かなり冷え込んだようだ。

家の周りはまだ一面雪におおわれている。しかし、陽があたるイチイの木の下とかサンデッキの近くは雪が溶けている。よく見たら福寿草がひっそりと咲いている。写真を撮ろうとカメラを持って外に出ると、フィービーがついてきた。もうそろそろ2月も終わり。春ももうそこまで。



午前10時、「さくらインターネット」のカスタマーサービスに電話を入れる。混んでいるので、向こうから電話をくれるとの返事。待つこと3時間半。電話がきたの1時30分。そのあと、電話で指示を受けながら、ホームページとメールの設定をする。実際に運用できるのは、1週間ほど経ってからとのこと。

先週金曜日の担当者とは違う人だったが、両者ともに極めて親切だった。ぼくのようなコンピュータ音痴にも、嫌な顔ひとつせず、懇切丁寧に教えてくれた。もしぼくが彼らの立場にいたら、イライラして語気を強めていたに違いない。

今夜の満月は綺麗だった。正式には満月は2月26日ということになっているが、調べてみたら、2月26日午前5時26分が満月とのことなので、今夜のほうが明日の晩よりも、満月に近いはず。今夜の満月の写真は次のぼくのfacebook のページで見ることができます。https://www.facebook.com/hisashi.miura1

                         ■

先日注文していた舟越保武著『巨岩と花びら』(筑摩書房)が届いた。早速、最初の数ページを読む。このタイトルの意味をはかりかねていたが、最初のエッセイを読んで、がてんがいった。

彼が山梨県の丹波川支流の深い谷で釣りをしていたときのこと。疲れて、岸辺の巨大な岩のそばに寝転んでいると、山桜の花びらが一枚舞ってきて岩肌にとまり、そしてすぐにまた風に飛ばされていってしまった。彼は言う:

私の目の上にある岩は、何千年も何万年も前からここにあって、流れを見おろしている。それなのに私は、たった一度だけこの岩に会って、手を触れて、少し語りかけて、永久に去ってしまうのか。そして私が死んだあとも、君は平然と、ずうずうしく、まだ何千年もここにでんとすわりつづけるのかと考えて、この岩に嫉妬を覚えた。

・・・この岩と私の間には冷酷な開きがある。この岩からみれば、私と走り去った花びらとはなにほどの差もなく、まことに微細な存在に過ぎないのだ。

瀬の音と鶺鴒(せきれい)の声しか聞こえない渓谷に寝そべってこんなことを考えていると、家のことも、仕事のことも、生も死もはるかに小さくけし粒のようになってしまって、人間の存在の意味が、私の頭の中で、でんぐりかえるような気持ちになってしまう。あくせく緊張し、心配し苦労している自分の日常が、なんの意味もないと思われる。駆けずりまわり、わめき合い、せり合う人間の生活が、いま目の前に来てしきりに尾を振る一羽の鶺鴒にさえ劣るように思われる。(p. 10)

次は、15歳のときに簗川(やながわ)にかかる土橋のそばで見た「一枚の葉」についてのエッセイだった。

山近いこの川の、小さなせせらぎを背景にして、潅木のしげみが私のすぐ前にあった。

この繁みに、私は対って立っていた。目を凝らして、この繁みの一点をにらむように見据えていた。まばたきもしないで見据えたので、涙が出た。

それで潅木が、かすんだ。かすんでボヤケた眼の前が、やがてもとにもどって鮮明になり出したとき、私の視野のまん中にある一枚の葉だけが、浮き出して見えた。

・・・このとき私は、眼の前のこの一枚の葉を生涯忘れまいと、なぜか心に誓った。たった一枚の葉を、心に焼きつけて置こうと決心した。何の意味もないことだが、必ずこの葉を心に記録しようと決めた。

・・・この葉は、やがて秋が深まり、霜の降りる頃には枯れ落ちて、流されてしまうだろう。長されて、川下の岸にひっかかって、朽ち葉になって色褪せて、来年は、ほとんど土になってしまうだろう。

・・・五十五年の時間が流れ去った今、私には、鮮明にあの一枚の葉が瞼によみがえる。写真をとり出して見るように、私の眼に、そのままのこっている。

十五の年の夏に、私の眼に焼きつけたあと一枚の葉は、宝石のように、今も光を失っていない。(pp. 12-14)

3番目のエッセイは、山奥の渓流沿いに咲いていた白百合にとまった蝶について。「花びら」「葉」「蝶」。ここまで読んで気がついた。彼の彫刻の女性がみな美しいのは、移ろいやすい女性の美しさを永遠に固定しようとする作業だからに違いないと。


Sunday, February 24, 2013

2週間ほど前、オーリアッドの天井とカウンターのハロゲンランプをLED電球に換えてくれた電気技師の岩垂さんが、10時に来てくれた。家を建てたときにつけた(であろう)電球が切れたのが数ヶ月前。何度か自分で換えようとしたが危なくて断念。天井が高い上、階段があって脚立を上手く立てることができない。岩垂さんは、4本の脚の長さを調節できる脚立をもってきて、難なく取り替えてくれた。今までの電球は100Wだったが、今度は、10W以下のLED電球。

昼過ぎ、次男のSkype に繋がる。お風呂に入ったばかりとのことでマサキはまっぱだか。リンは仕事にもどり、週3日教えているとのこと。その間、マサキは学校の中にある保育所で過ごすらしい。モニターに映るわれわれに向かい手を伸ばし何やら話しかけるが、何を言っているかわからない。これからNZは秋に向かう。冬物の服を送ってやりたいと家人はマサキのサイズを聞いている。

午後遅く、村の方が何人か訪ねてくれた。一杯飲むことに。この村に引っ越してきてからお世話になった方々。そのうちの一人は「隣の潔さん」。マンドリンをもってきて、今日は一緒に「花語らず」。オーリアッド・デビューも間近か。

リビングの窓から、柿の木の枝を通して、王城山にのぼった月が見えた。満月は明後日だが、かなり丸い。サンデッキに出て、写真を一枚。

お客さんがお帰りになったあと、日本対オーストラリアの野球を途中から見る。逆転されたところで2階に上がったが、再度逆転して勝ったようだ。日本人大リーガーが参加した過去2回のチームに比べて、今年のチームは見劣りするが、がんばってもらいたいもの。

2階に上がるとき階段のスイッチを押すと明るく電気がつく。ありがたい。



Saturday, February 23, 2013

昼前、北海道の阿知波一道さんから最近彼がリリースした『器(うつわ)』というCDが届いた。55歳のときの5月5日、5時間55分、55曲を歌ったときの音源から11曲を厳選してつくったというライブアルバム。「空は飛ぶ鳥を選ばない」「踊ってよギリヤークさん」など以前に聞いた歌を含めいい歌がいっぱい入っている。中でも特に印象に残った歌が2曲あった。ひとつは新曲の、というよりも、初めて聞く「田中さん」という歌。

もうひとつは、ぼくが書いたり話したりした言葉をまとめて曲をつけたという「Peace to You」。この歌は前にも何度も聞いたことがある。いい歌だとは思っていたが、このライブ・バージョンを聞いたとき、その言葉、メロディがぼくの心にストレートに突き刺さってきた。言葉に関しては、本当にびっくり。ぼくがこんなことを言ったのかというものがいくつか。

午後、「隣の潔さん」がマンドリンをもってやってきた。「山頭火」「果樹園の道」「祈りの歌」「新しい光迎えよう」を練習する。オーリアッド・デビューまではもうしばらく時間がかかりそう。彼が帰ったあと、今夜のオープンマイクで歌いたいと、「Peace to You」をしばらく練習。若干言葉を歌いやすく変えさせてもらう


オープンマイク。ぼくがサウンドチェックを兼ねて歌っているところへ、坂井俊水さん。今夜はGibson Les Paul Spcecial をもって登場。見るからに、美しいギター。「Messenger」「Winding Road」「君が幸せであるように」。山口恵三さん、坂井さんにサポートを頼み「Stand by Me」。Gibson Special は美しいだけでなく、音色も実にいい。山口さん独自の日本語歌詞もよかった。山口さん、続いてソロで「陽気に行こう」と「パフ」。山口さんはぼくより若いが、若いころ好んで聞いた音楽には共通するものが多い。次にぼくが「セカンド・ウインド」「Peace to You」、そして「What a Wonderful World」。最後の曲は去年12月に山口さんにコードを教えてもらった歌。

早くも今夜は2巡目。坂井さん、「恋心」「Missing You」。山口さん「コンドルは飛んで行く」、そしてご存知「陽のあたる道」。長島功さん、鼻笛で「ふるさと」、そしてもう10年ほど前に亡くなった慕っていた先輩に捧げた「最後の手紙」。ここで休憩。

武居先生差し入れのシュークリームをいただく。いつもありがとうございます。スピーカーからは阿知波さんの「田中さん」そして「Peace to You」。








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後半トップは、ぼくが、今日の午後「隣の潔さん」と練習した「新しい光迎えよう」と「Peace to You」。前者を歌う前、この歌を、千歳空港のホテルで書いたときの経緯を話す。次に、藤森和弘さん。今夜の彼はかなりダンディ。歌うときは脱いでしまったが、Gibson Herring Bone のジャケット、脚の後ろの部分に模様の入ったジーンズ。帽子にはナイキのロゴが。「住みなれたこの町で」「男たちの大和」。この2曲はコード進行が同じだとか。赤羽真理さんが驚く、「同じコード進行でもまったく違う歌になるんだね!」

山口さん、これまた懐かしい「Gone the Rainbow」と「Where Have All the Flowers Gone?」 この2曲も昔よく聞いたり歌ったりしたもの。長島さん、お母さんの一周忌が近くなって、生きていたとき以上にお母さんの存在を身近に感じるという話をして「ブリキの魔法」、そして「無縁坂」。赤羽さん、彼の確固とした信仰をうかがわせる「祈ってごらん、わかるから」「主は生きておられる」。原田和恵さん、「G線上のアリア」を弾き、小さな姪のための子守唄「君は愛されるために生まれた」を歌う。

ここでぼくが再度、「Peace to You」を歌う。今夜3度目なれど、山口さん以外の人たちには初めて。この歌を歌いながら、歌への情熱が再び少しながら蘇ってきたような。思えば長い間、歌のお世話になってきた。歌に助けられてきた。2番の歌詞に次のようなところがある。

  揺れ動く時代の中を
  歌に問われてここまで来た
  歌に救いを求めてみても
  何も変えられはしなかったけれど
  捨てきれぬ悲しみや苦しみを
  歌を書くことで乗り越えて来た

  Peace to you 何も足さなくていい
  Peace to you 何も引かなくていい


最後は山口さんが来るときは恒例になった「陽のあたる道」のセッション。山口さんと赤羽さんのハーモニーが作り出す高揚感が、おのずとみなさんの笑顔に繋がっている。もう1曲、長島さんの鼻笛をフィーチャーして、「ふるさと」。これで今夜のオープンマイク終了。

11時閉店。帰宅し、車から出ると、あたり一面、かなり明るい。見上げると頭上に、大きな月。わが家のまわりは一面まだ雪におおわれていて、月光が反射してぼっと明るく浮かび上がっているよう。満月まであと数日か。



Friday, February 22, 2013

よくわからないところもあるが、「さくらインターネット」のカスタマーサービスの親切な指示によって、とにかくパーソナルドメインとレンタルサーバーを取得することができた。iijとの解約は余裕をみて、3月15日にした。それまでにオーリアッドのHPとメールのアカウントを移動しなければ。ちょっとややこしそう。とにかく、今までのURLとメールアドレスを維持できるのがありがたい。スパムが多いので、メールアドレスを変えることも考えたが、secondwind.jp というドメインには愛着もあるし、そのアドレスを登録してあるすべてのところへ、パスワードともども変更の手続きを出すのは大変である。

オーリアッド。金子さんから借りていてお返しするのを忘れていた美輪明宏のCDをCDプレーヤーに。今朝NHKの朝の番組に彼が出ていた。「よいとまけの唄」が断然いいが、こうしてじっくり聞いてみると、どの歌も歌唱力が際立っている。上手い。発声が淡谷のり子に似ていて、高い声でも無理がない。シャンソンの歌い方なのか。金子さんが次にくるときには、お返ししなければ。

寒中、何人かのお客さん。ありがとうございます。


Thursday, February 21, 2013


今日も終日、寒かった。TVで北海道の大雪のニュースを見た。かつてぼくも訪ねたことのある江別市が雪に埋もれていた。辰野の寒さや雪に今年は悲鳴を上げているが、このニュースを見ると、これくらいで文句をいってはいられない気持ちになる。北海道にいる何人かの友人たちが元気でいることを願う。

生協のブックストアへ4月から始まるクラスの教科書依頼のメールを打ち、ようやく春休みが始まった。延ばし延ばしにしてきたいくつかのことをしなければ。まずは、部屋の整理整頓?

オーリアッド。二つの灯油のストーブに、エアコンのヒーターをつけてもなかなか暖まらない。

スピーカーからはここしばらく、マーティン・スコセッシ・シリーズの「Keb Mo」が流れてくる。6曲目の「Henry」が始まると田中君がこの歌を歌ったのを思い出す。いい歌である。


Remember if you can
When cotton was picked by hand
Down in Dixy under southern sky
Working from sun to sun

Remember if you will
Lightening from a whiskey still
The blues and the breese
The sweet magnolia trees
A little church house upon the hill

And I can hear the Delta calling
From the light of a distant star
I can see my future and I can feel my past
When Henry plays his steel guitar

できたら思い出してほしい
手で綿を摘んでいた頃のことを
南部の空の下、遥かなディクシー
日の出から日没まで働いて

思い出してほしい、こんなlことも
ウイスキーの密造酒
ブルーズ、そよ風
甘い香りのモクレンの花
丘の上の小さな教会

デルタが俺を呼ぶ
遠い星が瞬くたび、
未来が見える、過去が感じられる
ヘンリーのスチールギターを聞けば (tr. miura)

http://www.youtube.com/watch?v=0G42xlGXIN4

しばらく前に取り寄せた『当マイクロフォン』を読む。NHKのアナウンサーだった中西龍(なかにし・りょう)を主人公にした小説。小説ではあるが、ほぼノンフィクションといってもいいだろう。作者は、長年彼を慕い、NHKで歌謡番組を手がけていた三田完という人。

ぼくも中西龍の名調子のナレーションが好きだった。そのロマンティックな、ときにはセンチメンタルな語りからは信じらっれないほどに、彼は、この「小説」によれば、若かった頃、かなり性的に放縦だったようだ。巻末の解説の部分に、作者が久米宏と対談をしている。その中で久米宏が言う:


ぼくは中西さんご本人の人柄についてはまったく知りませんからね、仰天しました。なんといっても、女性遍歴が凄いでしょう。うわ、ほんまかいな、と(笑)。

この本を取り寄せる前に、彼のナレーションが入ったCDを2枚取り寄せたが、YouTube でも彼の声を聞くことができることを知った。彼の名前を覚えていなくても、60年代、70年代に青春時代を生きた人なら、彼の声を聞けば、ああ、あの人だとわかるはず。

YouTube: http://www.youtube.com/watch?v=v8WnV8eSFXQ

こんなブログも:
http://rationalfool.air-nifty.com/kochan/2008/09/post-9556.html


Wednesday, February 20, 2013

午後、成績を提出しに松本へ。締め切り一日前に行くのは極めて珍しい。いつもは締め切り日の締め切り時間5時ぎりぎり。これで解放されたと思っていたら、生協のブックストアへ教科書を注文するのを忘れていた。生協へ行き、用紙に記入しようとしたが、前後期合わせて8コマ分。ややこしい。明日メールで送ることに。

帰路、久しぶりにTSURUYAへ。いくつか食材を購入。新鮮なセロリがあったので、Skippy の Super Chunk (粒入りピーナツバター)を買う。ピーナツバターをつけたセロリを食べるのは久しぶり。家人のためにイカの塩辛。彼女の好物でありながら、ぼくが食べないのでわが家の食卓に上ることはなかった。それに練りウニも一瓶。

オーリアッド。ふたつのストーブをつけてもなかなか暖まらない。寒い夜。おそらく今が一番寒い時期かも。サムピックをつけてギターを弾く練習を少し。

午後10時から NHKBS で『80年後のKENJI〜宮沢賢治21世紀映像童話集〜』があるというので、録画を頼むとともに、早目に家に戻ることに。最初の童話は見逃したが、2番目の「注文の多い料理店」から見ることができた。CGを駆使した映像が時には凝りすぎていて、少々目障り、耳障りだった。映像も音声もシンプルがいい。

ぼくのお気に入りの kazenozizi さんのブログに、今まで知らなかった賢治と同じ岩手県出身の彫刻家、船越保武(ふなこし・やすたけ)が取り上げられていた。そのブログの最後にその彫刻家の言葉が引用されていたが大いに共感した。

自分を含むすべての存在は、とてつもない大きな力によって動かされている。それを神の力といってもいいかも知れない。私は、このまま流れの中に浮いて、流されて行けばいいのだ。そうして,野の花が風に吹かれ流れにのって流れ去る様に,私もまた同じ様に流れてゆけばよいのだ。私の苦悩も焦燥も…・‥。野の花々と同じ運命をたどるとすれば,今私のなすべきことは何もない。そう思ったときに,私の中にあるひとつの憧憬が頭をもたげて来る。ひとつ の憧憬、それは職人の生き方についてのあこがれ。それが今でも根強く私の中に生きつづけており,種々の悪条件はさほど悲しむべきことではないということに 今更の様に気がついたのだ。そうだ,私は生命のあるかぎりそのように生きてゆけばよいのだ。職人の生き方に憧れるもう一人の職人,それが私自身というものだろう───

ぼくも「職人になったオジサン達」の一人になりたいものだ。船越保武の作る彫刻の女性たちはみな美しい。


Tuesday, February 19, 2013

今日も時々粉雪が舞う寒い日。東京も寒かったようだ。テレビのニュースで閑散とした巣鴨の「とげぬき地蔵」界隈が取り上げられていた。お年寄りには寒さが堪える。自分も「年寄り」の一人であることを忘れたような言い草だが、今日発表された「サラリーマン川柳」傑作100選の中に次の句があった。

  
窓口で 歳も聞かれず 割り引かれ  

ぼくにも何年か前、そんなことがあった。 100句のうち一番気にいったのは、次の句。 


 
 孫の名が ふつうに読めて ホッとする

学生の名簿にも読めない名前が増えてきた。

午後、シラバスを入力。前期後期合わせて8クラス。雛形があるので、それにそって入力する。例年苦労するが、ありがたいことに、今年は意外とスムーズに完了。

明日はできたら成績を提出しに行きたいもの。


Monday, February 18, 2013

今朝もまた雪。昼ごろから細い雨に変わり、夕方まで。国道は大渋滞。5時過ぎ、旧道へ降りて行き、雨交じりの重たい雪をかいていたら、北のほうから何台もの車。国道を避けて、旧道を下ってきたのだろう。狭い道。危ない、あぶない。こんなに頻繁に雪が降った年は、1982年に信州に戻ってから初めて。

終日、採点。とりあえず、すべて終了。あとは中間試験や課題などを考慮して成績をつけて提出するだけ。木曜締め切り。同時に、来年度のシラバスも締め切り。それも何とかしなければ。ホームページやパーソナルドメインの引越しはそのあと。

                        
 ■

ときどき送られてくる TED talk の案内。今週送られてきた韓国の作家キム・ヨンハの「誰でも芸術家になれる、今すぐ!」はよかった。英語の字幕を読みながら見ることができる。彼は著名な作家らしいが、作家であれ、画家であれ、ソングライターであれ、何かを創り出そうとしている人にとっては、彼の言葉は多くの示唆に富んでいるように思われる。それに彼の声が素晴らしい。機関銃のように、英語の字幕を読むのが追いつかないほどのスピード。

彼の声を聞くだけでも十分楽しめます。下のTED talk の後の部分をクリックすれば聞けます。冒頭の部分の英語のスクリプトと、その抄訳を載せておきます。TED talk: Be an artist, right now!

The theme of my talk today is, "Be an artist, right now." ...And some of you may think you've strayed too far from art. Well you might have, but I don't think so. This is the theme of my talk today. We are all born artists.

If you have kids, you know what I mean. Almost everything kids do is art....Kids will sometimes perform monodramas -- playing house is indeed a monodrama or a play.

And some kids, when they get a bit older, start to lie. Usually parents remember the very first time their kid lies. They're shocked. "Now you're showing your true colors," Mom says. She thinks, "Why does he take after his dad?" She questions him, "What kind of a person are you going to be?"

But you shouldn't worry. The moment kids start to lie is the moment storytelling begins. They are talking about things they didn't see. It's amazing. It's a wonderful moment. Parents should celebrate. "Hurray! My boy finally started to lie!" All right! It calls for celebration.

For example, a kid says, "Mom, guess what? I met an alien on my way home." Then a typical mom responds, "Stop that nonsense." Now, an ideal parent is someone who responds like this: "Really? An alien, huh? What did it look like? Did it say anything? Where did you meet it?" "Um, in front of the supermarket."

When you have a conversation like this, the kid has to come up with the next thing to say to be responsible for what he started. Soon, a story develops. Of course this is an infantile story, but thinking up one sentence after the next is the same thing a professional writer like me does. In essence, they are not different.

Roland Barthes once said of Flaubert's novels, "Flaubert did not write a novel. He merely connected one sentence after another. The eros between sentences, that is the essence of Flaubert's novel." That's right -- a novel, basically, is writing one sentence, then, without violating the scope of the first one, writing the next sentence. And you continue to make connections.

私の今日のトークのテーマは「誰でも芸術家になれる、今すぐ!」です。・・・皆さんは、「私はもう芸術から、創造的なことから遠く離れてしまった」と思っているかもしれません。そうかもしれません。でも私はそうは思いません。私たちはみな生まれながらに芸術家なんです。これが今日のテーマです。

子供がいる人は、私の言っていることがお分かりと思います。子供がすることのほとんどは芸術的、創造的です。・・・子供たちはときどき一人芝居をします―ままごとは、ひとりの場合は一人芝居、ふたり以上であれば、芝居そのものです。

子供が大きくなると、ウソをつきはじめます。両親は子供が初めてウソをついたときはショックを受け、そのことをよく覚えています。「おまえの本性が見えたね」とお母さんは言い、「どうしてお父さんに似たんだろう」と思います。そして「大きくなったらおまえはどんな人になるんだろう」と嘆きます。

でも心配ご無用。子供がウソをつき始めた瞬間、物語の創作が始まっているんです。見えないことについて、実在していないことについて、話しているんです。それは驚くべきこと、素晴らしい瞬間なんです。親たちはお祝いをすべきです。「万歳!息子がとうとうウソをついてくれた」と。それはお祝いに値する瞬間なんです。

例えば、子供が言います。「お母さん、あのね。学校帰りにエイリャンに会ったよ」。この言葉に対するたいていの母親の返事は「馬鹿なこと言うんじゃないよ」でしょう。理想的な返事は、「えっ、本当?エイリャンに? ねえ、どんな姿をしてた?何か喋った?どこで会ったの?」「えーと、えーとね、スーパーマーケットの前で」。

こんな会話が始まれば、子供は自分の最初の発言と辻褄のあう言葉を見つけなければならなくなります。そこからひとつの物語が始まるのです。もちろんこれは幼稚な物語でしょう。しかし、ひとつの文のあとにつなぐ文を考えるということは、私のようなプロの小説家がすることとまったく同じなんです。本質的に何も変わりません。

ロラン・バルトはフロベールの小説に関して次のように語ったことがあります。「フロベールは小説を書いたのではない。彼はただ文と文をつなげただけ。文と文の間のエロス―それがフロベールの小説の本質なのだ」。そうなんです。小説というのは、基本的に、先ずひとつの文を書くこと、そしてその文の意味する範囲を逸脱することなく、次の文を書くこと。そしてその作業を継続して行くことなんです。( miura訳)



Sunday, February 17, 2013

午前10時半から、岡谷市の諏訪湖ハイツで「フタバから遠く離れて」というドキュメンタリーフィルムを見る。原発事故後、双葉町から埼玉県の廃校となった高校の建物に避難している人たちにスポットを当てた映画。地震、津波、原発事故の直後に見たテレビの映像ほど衝撃的ではなかったが、自分の町を、家を追われ、見知らぬ土地で過ごさねばならない人たちの苦悩に胸が痛む。もうそろそろ2年になる。

映画終了後、ロビーに下りてゆくと、二胡の演奏をしていた。美しいメロディ。上級者。





諏訪湖ハイツは文字通り諏訪湖畔に建っている。写真を何枚か撮る。

午後、疲れて少し横になる。6時まで眠る。

夜は採点。もう少し。



Saturday, February 16, 2013

家人によると、夕方岡谷のTさんから電話があり、迷子の猫の飼い主が見つかったとのこと。驚くことに、その飼い主は小野の人とか。小野はわが町の北の端にある地域。その北には塩尻市の南の端である北小野がある。北小野から岡谷へは、勝弦(かっつる)峠を通っていくことができる。その猫は峠を越えて行ったのだろうか。それにしても、よかった。ソフィーもどこか知らないところで生きているかもしれない、という一縷の希望がわいてきた。

                             


オープンマイク。静だが味わい深い夜になった。先ず前半の主役は坂井俊水さん。いつもよりかなり早目にきて、スピーカーから流れていた Keb' Mo' のブルーズに合わせて、しばらくギターを弾く。そのあと「恋心」「ミッシング・ユー」「今君が幸せであるように」。失恋3部作。かつての恋人に語りかける歌。今の自分に語りかける歌がほしい。そして「職人になったおじさん達」。長島功さん、「無縁坂」「最後の手紙」。後者は彼の最初のオリジナル曲。人生半ば、自ら命を断った友への歌。赤羽真理さん、「私が悩むとき」「約束」。後者は初めて聞く歌。いい歌である。

前半最後、ぼくが「あの果てしない大空へ」「ここがぼくのふるさと」。前者は次男のために、後者は結婚する前、家人のために、書いた歌。人生は実に不思議。時間と空間の中で展開する複雑に入り組んだ出会いや出来事のひとつでも異なっていたら、まったく違う世界に生きることになる。次男に関していえば、木名瀬先生が豊南に赴任されて、ニュージーランドとの関係ができなければ、彼は今ニュージーランドに住んではいない。






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後半は原田和夫さんのトークから。諏訪のギデオン教会支部での聖書を若者たちに手渡す活動の話、それに昭和32年の静岡で開かれた第9回国民体育大会で、5000メートル4位になったときの感動的な話。走る遺伝子は孫のトモノリ君に受け継がれているようだ。隔世遺伝、atavism。

長島功さん、原田さんのトークを受けて、走るのが好きだという息子の話。彼は中学では陸上部に入り、更に諏訪にあるラグビーのクラブチームにも所属しているとのこと。そして、ブリキ職人だったお父さんの話。一度家業を継ぐと言ったときの、お父さんの言葉。「これからはトタンの屋根はなくなる。他の仕事についたほうがいい」。今でも宮木神社の一角にあるお父さんが葺いたトタン屋根を見るたび、お父さんを
思い出すとのこと。歌は「転宅」「ブリキの魔法」。前者はさだまさしの歌。

赤羽さん、「離農」「千両梨の実」。前者は以前に何回か聞かせてもらったことがある。北海道の獣医師が書いた歌とのこと。オジイが開拓した農地を冷害と借金で手放さなければならない農民の苦渋の歌。2番は「牛がいなくなった・・・」と始まる。獣医師にとって辛いことだっただろう。

垣内彰さんのトーク。長島さんのトークを受けて、お父さんの話。お父さんは、芝浦タービン(現IHI)を途中退職し、板金屋を始めた。小さい頃、お父さんが、ブリキの板をさまざまに変えるところを飽きずに見ていたという。だから「ブリキの魔法」という言葉が実感としてわかるという。お父さんは3年後には豆腐屋を始めたという。垣内さんに似た好奇心旺盛な人だったに違いない。

次にぼくが「幼いころ野原には」を歌う。京都にいたころに先祖の地である今村に戻ることを夢見て書いた歌。この歌を歌っているうちに、What a Wonderful World を歌いたくなり、歌う。「幼いころ、野原には風吹きわたり/空は澄み、雲が流れ、木々は緑だったよ」が、「I see trees of green, red roses, too./I see them bloom for me and you」や「I see skies of blue, and clouds of white」を思い出させた。

最後に原田和恵さん、「祈りの歌」。ぼくの歌をぼく以上に上手に歌ってくれた。そして彼女の大好きなよっちゃんの歌「君がそこにいるの知ってる」をアカペラで。

最後の最後、長島、赤羽、原田和恵、そして途中から三浦薫子も加わり「ふるさと」。今年一番の寒さといってもいいほどに寒い夜だったが、心の中はあたたかに。

11時過ぎ、家に戻り、玄関先の温度計を見ると、−12℃。寒いはず。ドアを開けると、フィービーが「ニャー」と、迎えてくれた。


Friday, February 15, 2013

今朝、家人がローカル新聞の片隅に「12日午後2時ごろ、岡谷市長地の東部交番付近で黒猫(オス)を保護しました。お心当たりの方はご連絡下さい」という記事を見つけた。小さな写真だったが、その黒猫はいなくなったソフィーに、似ていた。しかし、岡谷の長地まで、ソフィーが行くとは思えない。でも、いなくなった猫が100マイルも離れたとこにいたというような記事を読んだことがある。あのとき行っておけばよかったとあとでくよくよ考えないように、とにかく確かめに行くことに。

雪が降る中、岡谷へ向かう。何度か、道に迷いながら、精密機械の工場をやっているという岡谷東部交番ちかくのTさん宅に着く。Tさんは外に迎えに出てくれていた。彼が中に入ろうとドアを開けたとたん、黒い猫が飛び出した。その瞬間、ソフィーでないことがわかった。黒ではあるが、色がまったく違う。

Tさん宅にはもう一匹猫がいて、その猫を飼えないので、わが家で飼えないかと言う。ちょっと難しい。しばらく猫談義をしておいとまする。




帰り際に撮らせてもらった写真を見ると、かなりソファイーに似ている。写真右上のTさん、年齢を聞いて驚いた。70歳とのこと。若い!! 50代かと思った。

朝から降り始めた雪は午後にはかなり積もった。一昨日の雪は夕方までにかなり溶けたが、今日は午後遅くまで降っていたので、路面に車に踏み潰された雪が残っている。国道は大渋滞。いつもは家からオーリアッドまで7,8分で行けるのに、今夜は30分もかかった。

オーリアッドに着いて先ずしたことは雪かき。そのあと、ベートーベンのピアノ曲を聞きながら採点のつづき。かなりはかどった。遅くに、歌の練習。10時過ぎ、早目に閉店。帰りは、路面が凍っていて、行きよりも怖い。宮木の信号のところに、警官が2名立っていた。みんなノロノロ運転。


Thursday, February 14, 2013

iij から wakwak へ、パーソナル・ドーメイン名とHPを移すべく、一日中奮闘。両社のカスタマーサービスに電話をし、seocondwind.jp 及び、HPのアドレスをそのまま移すことが可能であることを確認する。ありがたいことに、料金もかなり安くなる。しかし、「whois情報に記載されるメールアドレス」などよくわからない表現があって、今日は手続きを諦めることに。

今夜はジブランの会の方々。月一回の勉強会。最初は自分たちで訳したジブランの『預言者』を輪読されていたが、最近は次から次と新しい本に挑戦しているようである。

前から話を聞いていた宮木区今年の「還暦を祝う会」主催のチャリティ・コンサートのポスターとチラシを垣内彰さんがもってきてくれた。

あの日を忘れない「栄村復興支援コンサート」

日時:2013年3月17日(日) 午後1時半受付、午後2時開演
出演:三浦久、長島功
会場:宮木公民館2階大広間
参加費:500円(以上)の支援カンパ



例年の飲み食いだけの「還暦を祝う会」ではなく、少しでも記憶に残る意味のある会にしたいというのが実行委員長垣内さんの思い。その思いにどこまで応えることができるか。


Wednesday, February 13, 2013

大雪が降るとの予報があり、今朝は4時に目が覚めてしまい、その後眠ろうとしたが眠れず、5時に起きた。外は真っ暗。サンデッキの灯りをつけ、外を見る。大雪だ。今年一番の大雪。平均して20センチ、深いところでは30センチはありそう。

6時、まだ暗いうちに外に出て、旧道へ。国道153号線は両方の車線ともに、渋滞。まったく動かない。トラックが多い。おそらく中央道が通行止めになって、すべての車が国道に降りてきたのだろう。

旧道の除雪機の使えない部分の雪をかき、家に戻る。家の周りは雪におおわれている。とりあえずガレージまでと農道まで歩くことができる幅の雪をかく。これだけでかなり疲れた。




上の写真は朝7時ごろ撮ったもの。下の写真は、午前9時ごろ太陽が出たあと撮ったもの。白と青のコントラストが美しい。このあとも気温はあがり、午後には雪はかなり溶けた。春の雪は、ありがたい。




夜、オーリアッド。遅くに原田さん。久々の一局。完全に有利に進んでいたのに、入玉されて万事休すと思っていたら、ぼくの王も敵陣に入り込んで、泥仕合に。最終的に1一王と追い込まれて、頓死。勝ちをあせるとろくなことはない。

secondwind.jp のパーソナルドーメインを維持しながら、iijからwakwakへ移ることができるかもしれないと二人の方からメールをいただいた。しかも、今以上にかなり安価に。この際、スパムメールも多いことだしメールアドレスを替えるのもいいかなと思っていたが、もし替えないですむのなら、それもいい。amazon をはじめ、さまざまなところに、登録をしていて、メールアドレスやパスワードを替えるとなると大変。

取得したいドメインで、secondwind.jp を入力すると、登録済みで使えないと出てくるが、iijを止めてwakwakに移る手続きをすれば、使えるようになるに違いない。5月31日まで待つことはないので、できるだけ早く移行手続きをとったほうがよさそうだ。

それにしても一昨日コンピュータが不調になったのは、怪我の功名。それがなければ、iijのホームページサービスが5月末に終了するということを知らずにいた。すでに昨年のうちに連絡があったらしいが、NTTやiijからの業務連絡のようなメールはめったに開けないので、知らずにいた。

今日は雪かきで疲労困憊。午後昼寝から目が覚めたら腰が痛い。もう雪はたくさん。


Tuesday, February 12, 2013

現在午前11時10分。メールに関しては先ほど iij に電話をして解決。secondwind というpersonal domain 名は、長野大学の下野先生に iij を紹介されて取得したもの。メールアドレスと同時に Webpage の提供も受け、オーリアッドのホームページを作成してきた。今回のトラブルを契機に同社のサイトにアクセスして、このpersonal domain service が5月31日をもって終了することを知った。先ほどの電話で、ホームページのサービスも同時に終了すると教えられた。

調べてみたら、iij のサービスを受け始めたのが2002年の8月9日。オーリアッドを再開したのが翌年2003年6月13日。そしてオーリアッド日記を書き始めたのが8月25日。

始まりがあれば必ず終わりがある。That's the way it is. 5月31日以降どうするか考えなければ。できたら無料で同様のサービスがあるところがあればいいが。それまでに今までのオーリアッドのホームページをどこかに、何かに、保存しなければならない。どなたかいいアイディアがありましたらお知らせください。

                         *

夜、11時。オーリアッドのHPをどこに保存したらいいか心配だったが、午前中に書いた部分を読み、メールを送ってくださった方から、「FTPソフトを利用して、現状の secondwind.joのサーバーにアップされているデータをダウンロードすれば、問題なく移行できる」と教えられた。そうだった。 iij のサーバーに送ったデータをホームページビルダーのFTPツールを起動してこちらへ転送すればいい。問題はその膨大なデータをどう新たなHPにするかだ。有料であれば問題ない。できたら無料で、あるいは今までよりも安価に、作れたらありがたい。もうしばらく時間があるので、検討してみよう。

午後から夜にかけて、採点。かなり進む。

夜になってまた雪が降り始めた。明日の朝はまた雪かきだ。今年の冬は寒くて、雪が多い。


Monday, February 11, 2013

今日も一日キーボードが動かず悪戦苦闘。最終的に10時過ぎ、長男が電話で解決方法を教えてくれた。昨日、モニターの画面を明るくしようとして、コントロールパネルをクリックしてあれこれいじっているうちに、「フィルター機能を有効にします」にチェックを入れてしまっていたようだ。これを外したら、キーボードは回復した。しかし一難去ってまた一難。メールが開けられなくなってしまった。ぼくのメールアドレスは、secondwind というドメイン名のため wakwak と iij の両方がからんでいて、ちょっと複雑。iij に明日電話してみよう。

連休の2日間、こんなことで終わってしまった。疲労困憊。明日からまた採点をしなければ。



Sunday, February 10, 2013

昨夜遅く Oread Diary に写真をアップして、寝てしまった。今朝、文章を加えようとパソコンに向かうと、画面がいやに暗い。階下で家人のノート型の画面を見た直後。画面を明るくしようと、コントロールパネルを開けていろいろいじっているうちに、画面が明るくならないばかりか、キーボードを打っても文字が書けなくなってしまった。

いつものことながら電話で長男に助けを求める。画面の明暗はデスクトップの場合、モニターの下についているボタンで調節できるとのこと。確かに、+と−のボタンがあって、それで明るくすることができた。しかし、キーボードを使っての書き込みは、いくつかアドバイスに従って試してみたが、できない。

昼前、昨夜の片付けに、オーリアッドへ。終わった後、Homepage Builder の入ったお店のノート型を持ち帰り、文章を加えることに。悪戦苦闘の末、最終的にアップできたのは、夜遅く。コンピュータはややこしい。


Saturday, February 9, 2013

丸山俊治さんのCD発売記念のスペシャルオープンマイク。前から予告していたように、7時ジャスト、スタート。今夜は丸山さんにたくさん歌ってもらうため、他の出演者は前半後半、1曲づつ。

最初の二人は、われわれがお店に着いたときには、すでに駐車場で待っていた山梨からきた小林孝一さんと小林さんの友だち佐藤光徳さん。小林さんは「空の子守唄」、佐藤さんは「繋がった空」。共に空がテーマ。二人とも長身で、ギターをかかえて立つ姿が決まっている。次は久ぶり登場の平出美恵子さん。以前はLily☆Bell としての出演だったが、今夜はソロで弾き語り。バレンタインデイも近い。「スイート・チョコレート」。松下元英さん、「生活の柄」。飯田でも丸山さんを招待してオープンマイクをやるとのことで、そのチラシを持参された。金子昭二さん、後半のさだまさしの「オーロラ」を使ってのパフォーマンスについて。

坂井俊水さん、丸山さんの「職人となったオジサン達」をエレキギターを弾いて歌う。驚いた、ぼくもこの歌を練習してきた。坂井さんは、最後のヴァースの冒頭「嫁いでいった娘の部屋にポツンと取り残された/スヌーピーとキティちゃんが貼られた勉強机」のところで急にテンポをおとし、ささやくように歌い、いい効果を出していた。

ここで丸山さん登場。坂井さんのカバーを受けて「職人となったオジサン達」から。そしておじさんシリーズ、初期の「おじさん達よ」。そして一昨年亡くなった親友の丸山卓朗さんが66歳のとき、LAからシカゴまでルート66を辿った一大センチメンタルジャーニーを歌にした「マザーロードの旅」(アルバム未収録)。続いてこれまたアルバム未収録の柴田トヨさんの詩に曲をつけた「風と陽射しと私」。柴田トヨさんの詩集は、丸山さんに教えられ、ぼくも愛読した。前半最後は、平成の童謡として後世に残るかもしれない「雪のかくれんぼ」。大きな声援と拍手。

前半最後は赤羽真理さん。今夜は歌わずに、丸山さんの驚異的な創作意欲について手短に語る。歌い手の多いときの赤羽さんのいつもの配慮。ありがとう。でも1曲歌ってもらってもよかった。お祝だから。ここで休憩。

長野市へ行き、帰りが遅くなるからと、昨夜のうちに渡されていた原田和恵さん差し入れのチョコレーケーキや飴の詰め合わせ、飯塚さんの北海道土産の六花亭のお菓子、それに家人が焼いたチョコレートケーキ。そうそうそれに丸山さん提供のロールケーキと、今夜は食べきれないほどたくさんのデザート。スピーカーからは Rambling Jack Elliot。 Will the Circle Be Unbroken など。











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後半トップは、長島功さん。「ブリキの魔法」。以前にも何度か書いた記憶があるが、丸山さんがオーリアッドに来たのは長島さん主催の歌声喫茶がオーリアッドで行われたとき。丸山さんはそこでウッドベースを弾いた。その日は水曜日で、3日後のオープンマイクの土曜日に突然現れた。忘れ物の椅子を取りにきた。すぐに椅子をもって帰るかと思ったら、最後まで出演者たちの歌を聞き、最後には、ピアノで「サマータイム」を演奏した。

丸山さんと話したのはそのときが初めて。その後、ときどきやってきては、ベースを弾いたりピアノを弾いたりしていたが、半年後、家の近くで拾ったギターで作ったという「山スキーの唄」を歌った。それが始まりだった。いくつかの偶然が重なってフォークシンガー丸山俊治が誕生した。「忘れ物」は悪いばかりじゃない。

小林さん「作品#27小林孝一コ長調」。佐藤さん「一人ぼっちの旅人」。平出さん「歌をあなたに」。松下さん「追憶」。そして金子さん。

金子さんは6分ほどのパフォーマンスを、丸山さんの「70歳になったのだ」をもじって「私は86歳になったのだ」と始めた。小さなテープレコーダーから流れるさだまさしの「極光(オーロラ)」をヘッドフォンで聞きながら、それを英語学習のシャドーイングよろしく、口真似して歌うのである。しかし、聞いている人は何を歌っているのか皆目分からない。なにか罠にかかった獣の唸り声のような、チベットの山奥の修行僧の読経のような、極めてシュールリアリスティックなパフォーマンス。終わったあと、金子さんは「すみません」と一言。金子さん、No need to apologize. (謝る必要はありません)。

86歳の金子さんが、諏訪から自分で車を運転して、夜、有賀峠を越えてやってきて、毎回工夫をして、パフォーマンスをしてくれることに感動する。確かにわけのわからないところはある。しかし、金子さんは、存在がメッセージ。先日のキング牧師の日チャリティーコンサートでリチャード・ロビンソンがガンジーの My life is my message. という言葉を引用したが、まさに金子さんの存在がメッセージである。そういえば、リチャードは、金子さんがチャリティーコンサートのとき、 Sweet Home Chicago のセッションが始まったら、前に出て
タンバリンを叩いた姿に感動した、と言っていた。

坂井さん、「君が幸せであるように」。そして、田中創さん、丸山さんのお孫さんのために書いた歌に言及して、「ぼくが書いた子供が出てくる歌を歌います」と語り、「小さなルーカス」。ここで再び丸山さん。

「白雪先生」「満州の丘」「小さな王様」「一番最後に」、そして「70歳になったのだ」のセッション。ボーカルギター丸山俊治、リードギター田中創、坂井俊水、マンドリン赤羽真理、パーカッション長島功、松下元英。最後は全員で大合唱。

  ライブハウスで歌うんだ 70歳を超えても
  残り少ない人生を 明るく楽しく元気よく

ここで終わると格好よかったが、やはり、今夜はどうしても、オーリアッドを支えてくれている人の一人、原田お父さんには一言語ってもらいたかった。原田さんにお願いする。「白雪先生」ができた経緯、そして丸山さんと共通する満州での幼児体験について語る。何度も聞いた話。でもそのつど感動する。その幼児体験が原田さんを動かし、丸山さんを動かしている。そしておそらく、満州ではないにしても、金子さんにも、彼を動かす同様な体験があるに違いない。

遅くに長野から戻ってきた原田和恵さんにお願いする。産まれたばかりの姪の子守唄だという「雪のかくれんぼ」。いつもながらの美しい歌声。ここで終わっておけばよかった。原田さんが丸山さんの歌をカバーするのを聞いたら、ここ2日間ほど練習した「職人になったオジサン達」を歌いたくなった。丸山さんにピアノを、赤羽さんにマンドリンを、そして坂井さんにギターをお願いして歌い始めたとたん、何を歌っているのか分からなくなった。丸山さんにもボーカルをお願いして、かろうじて最後までいったが、終わったときは冷や汗でびっしょり。

7時に始まって11時終了という、長丁場のオープンマイクになったが、主役の丸山さんをはじめ、歌いに、そして聞きにきて下さった方々のおかげで、素晴らしい夜になった。ありがとうございました。丸山さん、これからはいそがしくなって、オーリアッドにもあまりこれなくなるかもしれませんが、是非また、ご無理のないところで、歌いにきてください。


Friday, February 8, 2013

天気はよかったが、寒い一日。

家人が知人を見舞いに諏訪の病院へ行くというので、一緒に行くことに。彼女を病院で降ろし、ぼくは片倉館へ。昨日の「ながたの湯」に続き、2日連続の温泉。片倉館の千人風呂に初めて入ったのは、保育園を卒業した昭和26年か27年のこと。同時に卒業した子供と、その母親たちの親睦会。

そのときの印象は強烈だった。びっくり仰天。その広さと深さに、特に深さに。その後も、何度かこの温泉に入った。小学校のときは、泳いでいて、頭を湯船の壁にぶつけた。最近は伊那谷にいくつも温泉施設ができて、この温泉より広いところはいつくもあるが、深さに関してはいぜんとして一番である。

昭和3年にできた頃の女湯の写真が隣の建物の入り口のところにあった。これを見ると、現在の施設とほとんど変わらない。



夜、オーリアッド。スピーカーからは久々に Blonde on Blonde。採点がかなり進む。明日の丸山さんのCD発売記念オープンマイクで歌うために、丸山さんの歌を練習。何とか歌えるようになった。何の歌かは明日まで内緒。

寒いはず。家に戻り、玄関先の温度計を見たら −10℃。明日の朝は冷え込むだろう。


Thursday, February 7, 2013

昼過ぎ、気温はプラス3、4度あって、それほど低くないのに、なぜかとても寒く感じる。寒いときは温泉に限る。「ながたの湯」へ行くことに。ウイークデイだから空いているだろうと思ったが、とんでもない。駐車場は車でいっぱい。考えることはみな同じ。さむいときは温泉へ。それに爺さん婆さんにとって、ウイークデイもウイークエンドも変わりないか。

駐車場の混み具合に比べて、湯船はそれほど混んでいはいない。女湯は混んでいたようだが。サウナ、露天風呂にも入り1時間ほど。暖まった。

帰路、家人と「最近田中先生がお見えにならないね」と話していたら、何と、今夜真っ先に入ってこられた。入試や期末試験などで忙しかったようだ。そのあと原田和男さんと丸山さん。原田さんは同窓会帰りで、丸山さんは歌声喫茶帰り。丸山さんのCDは大好評のようだ。FMラジオでも流れ、静岡の人から問い合わせがきたとか。原田さんは自分用と、白雪先生用に2枚購入。このお二人がオーリアッドで出会わなかったら、「白雪先生」も「セピア色の安曇野」も、この世に存在しなかった。出会いとは本当に不思議である。

今週中に採点をすませて、成績を提出したいと思ったが、ちょっと無理のようだ。締め切りはまだ先なので、そんなに慌てなくてもいいが、できたら早く終わらせてしまいたい。


Wednesday, February 6, 2013

雪は予報されたほどに降らず助かった。

朝9時、オーリアッドで電気技師の岩垂さんに会う。客席の天井についているハロゲンランプをLED に換えてもらう。単に電球を換えるだけでなく、E26の口金に合うソケットに換える必要がある。カウンタの上の3個も含めて9個換えなければならない。12時までかかる。今までのハロゲンランプは電気代がかかったが、これからは安くなるはず, I hope。



夜、オーリアッド。付け替えたLEDランプの具合がどうか楽しみだったが、以前よりはなんとなく「暖かみ」に欠ける。LEDは電球色にしたのだが、調光機対応の容量の大きなものがなく、吹き抜けの部分の光が十分に下まで届かない。慣れたら気にならなくなるだろうか。もっと大きな容量の調光機対応ランプが手に入ったら、付け替えたほうがいいかも。

ソロモン諸島で大きな地震があったらしい。あの地域にもときどき大きな地震がある。クライストチャーチの地震の復旧もまだ進んでいないようだ。



Tuesday, February 5, 2013

ぼくの靴のサイズは28である。27.5でも履けないことはないが、靴下を履くときついことがある。長さだけでなく、幅も標準より広いため、履き心地がよくて手ごろな値段の靴にはなかなかお目にかかれない。

だから、アメリカやニュージーランドへ行くときは、たいてい靴を買う。NZの靴はとても立派で頑丈で、値段も手ごろである。難点は、重いこと。アメリカでは2足買うと1足無料になるという安物(たいていは Made in China )をよく買う。最初は履き心地がいいが、すぐに駄目になってしまう。それでも3足あれば、かなりもつ。

冠婚葬祭以外に、スーツを着ることがないので、正装用の靴はもう何年も前に、おそらく京都にいたときに買ったサイズ27.5 の幅のせまい靴を、いまだに履いている。しかし、長い間はいていると足が痛くなる。そこで、今朝、靴を買いに隣町の大きな靴屋さんへ。

ぼくより背の高い若者は多くなったが、足のサイズは大きくなっていないのか、28がない。取り寄せればあるというが、他の靴屋さんへ。途中、よく宣伝をしている全国チェーンの洋服店の看板が目に入る。「ここにあるかもしれない」と家人が言う。無理だろうと思いながら入ってみる。一足だけあった。先が少し細いが、履き心地は悪くない。これを履く機会はそれほど多くない。おそらくこの種の靴を買うのはこれが最後だろう。

明日は雪がつもると予報されている。また雪かきか。


Monday, February 4, 2013

朝起きて外を見る。雪が降っている。それほどつもってないところを見ると、降り始めたばかりのよう。そのうち、ありがたいことに、雨になった。

昼過ぎ、伊那へ。合同庁舎にあるシニア大学の事務局へ追加のCDと本を届けたあと、家人に頼まれた用事を済ませ、隣町に新しくできたヤマダ電機に寄り、CD-Rのパックを購入。

家に戻り、テストの採点。途中眠くなり、あまりはかどらず。

夕方、先日のジャズバンドのベース担当の若井君から、東京に戻ったとの電話があった。オーリアッドでの演奏が楽しかったので、また将来演奏しにきたいとのこと。次回は太田君も一緒に演奏できたらいいが。



Sunday, February 3, 2013

午後1時、「お昼よ」という声で階下へ降りて行く。ニュースを見ようとTVをつけ、チャンネルを回したら、別府大分毎日マラソンをやっていた。スタートから1時間ほど過ぎている。そのときは、先頭集団に10人ぐらいの選手がいたが、そのうちに川内と中本が抜け出して、二人の一騎打ち。稀に見るデッドヒート。10キロ以上の抜きつ抜かれつの大接戦。最後は、公務員ランナーの川内が20秒ほどの差をつけて優勝。見ごたえがあった。

ロンドンオリンピック、マラソン6位入賞の中本に川内が勝ったことで、川内の強さが証明された。今年8月にモスクワで行われる陸上の世界選手権に、陸連は彼を選らばずにはいられないだろう。もしここでオリンピックのときのように、わけのわからない、陸連の面子を守る理由で、川内をはずすようなことがあったら、それはもうイジメであり、理不尽な暴力である。

今日は一日暖かかった。庭の雪もかなり溶けてきた。夕食前、豆まきの真似事をする。明日から、試験の採点を始めよう。

                           



Three more skype photos from yesterday.


Saturday, February 2, 2013

昨日のジャズライブに続いてのオープンマイク。朝から、今日が日曜日に思えて困る。

今夜はみなさん比較的早目にお見えになる。まずぼくがサウンドチェックを兼ねて「バード・オン・ザ・ワイヤー」「夢のブックストア」など3曲。歌い終わるまでに、長島功さんの幼馴染だという矢島雅彦さん、続いて長島さんが入ってくる。二人は昨夜のジャズライブの会場で、17,8年ぶりに、共通の知人の仲介によって、会ったようだ。矢島さんは現在岐阜県在住。先週お父さんがお亡くなりになり、帰省中。

長島さん、昨夜ジャズライブが終わったあと、矢島さんに約束したとおり、自作の歌「ブリキの魔法」と「最後の手紙」を歌う。そして矢島さん、下辰野保育園から辰野中学校まで一緒だったという幼馴染の長島さんについて語る。中学のときは、共に柔道部で、そして共にさだまさしのファンだったとか。中学以後、彼は洋楽に傾倒し、ロックバンドで演奏もしてきたようだ。しかし今夜は演奏なし。

原田和恵さん、「あなたは創造主」など賛美歌を2曲。赤羽真理さん、「主の力を信じて」など2曲。次に長島さんの友人酒井和美さん。長島さんとは、公民館の役員をしたときに知り合い、その縁で長島さんが西小学校のPTA会長だったとき、副会長をしたとの話。名は体をあらわす? 優しい語り口。

ここで休憩。武居先生差し入れの草餅をいただく。いつもありがとうございます。スピーカーからはエリック・クラプトン。 Tears in Heaven など。







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後半トップは、ぼくの「カムサハムニダ、イ・スヒョン」と「祈りの歌」から。前者は、前回のオープンマイクで歌うべきだった。前回のオープンマイク終了後、その日がスヒョン君が亡くなった1月26日だったことに気づいた。長島さん、「無縁坂」と作りかけの「お母さんに捧げる歌」。完成までにはもう少しかかりそう。

坂井俊水さん。「ワインディング・ロード」と「君が幸せであるように」。正装に近い服装。どうしたのかと思ったら、横浜で友人の結婚式に参列して、帰ってきたばかりとのこと。美男子だと思ってはいたが、今夜は一段と格好いい。原田和夫さん、先日諏訪の病院へ行ったときに、昔の勤めていた会社の部下に似た女性と廊下ですれ違ったので、声をかけると、はたしてその人だったと語る。その人もすれ違ったとき、昔の上司に似た人だと思ったとのこと。その後、どのような会話が交わされたかは不明。

原田和恵さん、「G線上のアリア」、そして「芭蕉布」。この歌は、沖縄で泊まった民宿のおじいが涙ながらに戦時中の話をしてくれたときから忘れがたい歌になったという。赤羽さん、「鹿のように」、そして「愛に生き平和に生きる」。最後に、恒例のセッション。「Amazing Grace/驚くばかりの」。

来週土曜日は、「丸山俊治CD発売記念オープンマイク」。聞きに歌いにお出かけください。午後7時にはスタートしたいと思いますので、お早めにお出かけください。可能ならば、丸山さんの歌をひとつカバーしてもらえたらいいのですが。もちろん、そうされなくても結構です。


                         ■

朝、久々にスカイプで雅樹を見る。赤ちゃんの成長は早い。もう這うよりは歩くほうが速いとか。




Friday, February 1, 2013

しばらくFBやHPへの書き込みがなかったので少々不安に思ってはいたが、今朝になっても音沙汰なし。あわてていくつか連絡をとったところ、本日演奏予定のカルテットのリーダー、アルトサックスの太田君が急病で入院中であることがわかった。しかしライブは、あとの3人でやるとのこと。3人のうちの1人とケイタイで話すことができた。現在バスで信州に向かって移動中、5時半にはオーリアッドに到着するとのこと。

結論から言うと、素晴らしい夜になった。ベース若井俊也、ドラムズ 柵木(ませき)雄斗、ピアノ、渡辺ショータの3人。合計年齢、合わせて72歳。うむ。昨日1st album 『70歳になったのだ』をリリースした丸山俊治さんの年齢と同じである。

歳は若いが演奏技術は抜群で、太田君の演奏を聞きにきたみなさんも十分楽しんで下さったようだ。太田君が来られなかったのは残念だが、彼の不在によって、3人の演奏がより際立つ結果になった。彼がいたら、聴衆の耳は彼のサックスに集中したことだろう。





     
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7時開場、7時半開演。途中30分ほどの休憩を挟んで、2つのステージ。9時50分終了。彼らのアンコールの Take the "A" Train を聞きながら思った。こんな小さな田舎町の小さなライブハウスで、これほどにレベルの高い演奏を聞くことができるのは太田君のおかげだと。彼は東京から故郷にもどることによって、伊那谷の音楽文化におおいに貢献をしてきた。早く元気になって、次回は一緒にサックスを吹いてほしいもの。

7時開場直後に、丸山さんとマネジャーの上條さんが入ってくる。カバンには新しいCDがぎっしり。オーリアッドではとりあえず10枚置かせていただくことに。そのうち6枚が今夜売れる。来週土曜日(2月9日)は、「丸山俊治アルバムリリース記念オープンマイク」。丸山さんにはたっぷり歌い、語っていただく予定です。どうぞ聞きに歌いにお越しください。但し、この日は早目にお越しください。丸山さんの歌をカバーしてもらっても面白いかもしれません。