OREAD Diary March 1-31, 2012

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March 31, Saturday 2012

3月最後のオープンマイク。

トップバッターは原田和恵さん。ちょっと風邪気味とのことで今夜はピアノのみ。サティの「ジム・ノペティ」とベートーベンの「祈り」。いつもの心安らぐ演奏。丸山俊治さん、昨年12月の皆既月食の夜に亡くなった親友丸山卓朗さんの初彼岸の墓参の話のあと、彼に捧げた2曲「マザーロードの旅」「月蝕の夜」。そして「小さな王様」。

堀越哲郎さん、サカキナナオの詩に曲をつけた「七行」「酢で」「ラブレター」の3曲。2曲目を歌う前、この歌を前回歌ったとき、この日記に「素手」と書かれていたが、正しくは「酢で (with vinegar) 」と話す。(3月10日の日記の「素手」も「酢で」に修正しておきました)。

からさわちなつさん、アカペラで「この道」を歌う。アカペラだと、からさわさんの独特な声が際立ち、説得力が増すような。久々登場の水野哲男さん、「卒業II」「錆びた耕運機」。前者は水野さんが、もうずっと前にこの町の小学校の先生をしていたときに書いた歌。今年3月、隣町の小学校の卒業式のあとにも、子供たちや父母の前でこの歌を歌ったとか。4月から、また別の小学校に移るとのこと。

田中創さん、最近アムネスティが50周年を記念してリリースしたディランのトリビュートアルバムを聞いて、久々にディランの歌を歌いたくなったと言って、先ず「Just Like a Woman」。そしてケブ・モーの「Closer」。1曲目は one of my favorite Dylan songs。坂井俊水さん、「恋心」とまだ名前のない「新曲」。ものすごい速度でオリジナルを書きはじめた。赤羽真理さんが、「私を待つ人がいる」「花はどこへ行った」を歌って前半終了。

武居先生差し入れの開運堂の桜もちをいただきならが、ここで休憩。スピーカーからは、前述のディランのトリビュートアルバム Chimes of Freedom








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後半は、堀越さんのエスラジの演奏から。インドの音楽は太陽と月の運行と関係があり、一日の時間によって演奏する音楽が異なるとのこと。今夜演奏したのは、日没ごろに演奏されるものとか。

体調が悪いので後半は聞くだけと言っていた原田さんに1曲だけお願いする。「G線上のアリア」。そのあと丸山さん、「白雪先生」と、「デノミの雪」。後者は「デノミの灰」ではない。「柳の下に2匹目はいないかもしれないが」と前置きして、初めてオープンチューニングで書いたという新曲。常に新しいことに挑戦する「若さ」に敬服する。

大月高志さん、X-Japan の曲をメドレーで。「Endless Rain」「Silent Jealousy」。曲自身の美しさもさることながら、見事な迫力ある演奏。からさわさん、一昨年の夏、広島で見た光景を歌にしたというタイトルのない歌。そして中島みゆきのカバーとのことで、「ファイト」。「ファイト! 闘う君の唄を/闘わない奴等が笑うだろう 」というフレーズは心に残る。水野さん、「荷物」、そして学生時代に書いたという「旅」。前者は初めて聞いたが、最近書いたものだろうか。いい歌である。水野さんのあと、ぼくが「中谷勲」を歌う。中谷先生と水野先生にはどこか共通するところがあるように思えて。

赤羽さん、「誰もみな」と「千両梨の実」。後者は大月さんのピアノのサポートで。坂井さん、1曲目は、からさわさんの歌を聞いて即興で書いたという「千夏」 or 「ちなつ」。これにはみんなびっくり。そして「ひとつの勇気」。軽快なロックンロール・ギターが心地よい。田中さん、先ず新曲「サンライズ」。毎月1曲書くという新年の決意を今月も守った。そして1月の歌「ブーツマン」。拍手喝采。アンコールの声がかかる。しかし残念ながら、すでに11時を回っていたし、明朝、家人が5時起きで、セントレアの近くの野間という町に行くことになっていて、ここで終了、閉店とさせていただく。

家にもどって、写真をアップしようとしたら、こんなメールが届いていた。


最近何度か行って感じるところですが、この頃のオープンマイク、密度が濃くなりましたね。何よりも二十代の若い人たちが頑張っているのがいいです。ストレートな直球のような音楽に、好感を持ちます。こういう老若男女が少しずつ集まってくる場として、オーリアッドの存在はますます貴重になってきましたね。


確かに、同じようなことをぼくも今夜感じた。非常に内容のあるオープンマイクだったと。「出会いと創造の空間」を創りたいと1985年8月オーリアッドをオープンした。そのあと、紆余曲折、一度は閉店したが、2003年6月再オープン。その後も、何とかここまで続けてきた。もうしばらくは続けようと思う。


March 30, Friday 2012

午前中、近くの町に住む姉の家へ。姪の長男の入学祝と、二人目の子供の出産祝いをもって。二人目の子供は21日に生まれて退院してきたばかり。すやすや眠っていた。赤ちゃんは、喜び、希望、平和。まわりにる大人の表情を和ませる。名前は心結と書いて「みゆ」と読むらしい。調べてみたら女の子の名前としては今かなり人気があるらしい。心と心を結ぶ。いい名前である。少々よみづらいが。

音楽ライターの和田静香さんから「たいへんです、たいへんです。コーエン77歳、ツアーやるんですね!!」というメールが入った。8月12日から始まるヨーロッパでの日程も書かれていた。行けることなら行きたいが、今のところその可能性は少ない。今後アメリカでの、そして他の地域での日程が発表されるだろう。できたら日本にきてほしいもの。

断捨離はかなりの体力を要する。今日は中休み。何度から勧誘されていたオーリアッドをWi-Fi のアクセスポイントにするための申込書を作成する。最初の2ヶ月は無料とのことで、とにかく試しに申し込むことに。あまり意味がなかったら、2ヵ月後に止めることに。

2009年4月、カリフォルニアのオークランドへレナード・コーエンのコンサートを聞きに行き、そこで多くの人たちがスマートフォンを使っているのを見て、帰国後すぐにドコモのスマートフォンを入手した。しかし、使いこなせなくて半年後には古い型のケイタイに換えた。このWi-Fi のアクセスポイントになると、スマートフォンやiPad の利用者にはメリットがあるようだ。

6時、オーリアッド。今夜は風が強い。いつも最初に表に出す「「コーヒー」の桃太郎旗は出さないことに。遅くに大月さんが会社の方々と。ピザを焼くオブンを250℃にあっためるスイッチを押し忘れていたため長い間お待たせしてしまった。その間ピアノを弾いていてもらうことに。同僚の方々は拍手喝采で大喜び。彼らのリクエストに応えてビートルズやX-Japanの曲を。

11時過ぎ、外に出るとまだ風が強い。こうしてだんだんと春になって行く。

明日は、オープンマイク。出演希望者が多く、ありがたいことである。お店は6時オープン、ライブは7時ごろには始めたい。できるだけ早くきてもらえればありがたい。


March 29, Thursday 2012

断捨離、再開。今日は一日中、衣類の整理。体型が変わることによって着れなくなったものもあるが、圧倒的に多いのは、古くなったTシャツやブレザー、ジーンズ。それにセーター。最近はセーターを着ることがなくなった。それにまったく着ていないシャツもいくつか。新品や比較的新しいものは、NPO日本救援衣料センターへ送ることに。その他は「燃えるごみ」として処分することに。

断捨離のおかげで、どこへ行ったかわからなくなっていたものもいくつか出てきた。そのひとつがガウン。京都にいたときに風呂上りに羽織っていたもの。これは体型が変わってもまだ十分に着ることができる。半纏のかわりに羽織ることもできる。早速今夜着てみたが、暖かい。

マリナーズとアスレチックスの試合の前半を見てから、オーリアッドへ。家人と交代。イチローは昨夜は華々しい活躍だったのに、今夜はぼくが見た三打席まで凡退。オーリアッドから戻り、ニュースを見たら、今夜は4打席ノーヒット。チームも負けたようだ。

今夜は比較的暖かく、灯油のストーブだけで十分。遅くに一人のお客さんが「生の音楽をやっているというお店はここですか」と言いながら入ってくる。10年前に辰野に引っ越してきたが、オーリアッドのことを最近初めて聞いたとのこと。仕事は諏訪で、オーリアッドの前の道はほとんど通らないとのこと。「ときどき辰野新聞に広告や記事が出ていますが」と言うと、その新聞はとっていないとのこと。土曜日のオープンマイクについてお話する。楽器の演奏はしないが、聞くのは好きとのことで、今度の土曜日は都合が悪いらしいが、また聞きにきてくれるかもしれない。

昨日の日記に高遠の「さくらの湯」について書いたところ、次のようなメールをいただいた。

高遠温泉は・・例の「ふるさと一億円基金」をもとにして掘られたものですが、湯質がかなり重くて、湯あたりしやすいですよね。・・この辺で湯質No 1は岡谷のロマネットだと思いますが、いかがでしょう?

岡谷のロマネットへは昨年一度行ったのだが、改修工事中だった。No 1と聞くと、行ってみたくなる。音楽と同じで温泉も好みの問題。どれが No 1 か決めがたいことも事実。このメールを下さった方は、「さくらの湯」より辰野の湯にーくセンターの温泉のほうが好みのようである。

先日「さくらの湯」に行ったとき、家人が一緒に入ったおばさんは、このあたりの温泉では中川村の望岳荘が一番いいと言っていたようだ。そのおばさんによれば、「さくらの湯」は600円だが、望岳荘は400円なので、「ここへ2回くる分で3回行ける」とのこと。確かに料金も、「好み」を決めるひとつの条件ではある。

いずれにしろ、身近にこんなにたくさん温泉があるといのは、ラッキー。



March 28, Wednesday 2012

2度あることは3度あると書いたのは、ついこの間のこと。

隣町の温泉のサウナで「このあたりの温泉で1番は高遠のさくらの湯だ」と聞いてから、その温泉に入りたいと思ってきた。それで今日、家人とその温泉に行くことに。高遠のメインストリートから諏訪のほうへ行く道に入って、すぐ左折し、坂を上ったところに「さくらの湯」はあった。施設そのものは、最近の新しい施設と比べると狭く、古かったが、泉質は確かによかった。それに人も少なく、快適である。露天風呂にも入ったが、桜が咲くころはきれいだろう。ただし、その頃は混んで、高遠の町に入ることさえ難しいに違いない。

温泉から出て、ロッカーの前に立っていると、後ろから話しかけられた。「いい身体をしてるね」。振る向くとお爺さん。「いや、太ってるだけですよ」というと、「いくつかね」と言う。「いくつに見えますか」というと、「80歳」と言う。えっ、と思いながら、「お、おいくつですか」と聞くと、「90」とのこと。どうも年配の方々から、ぼくは実際よりかなり老けて見えるようだ。

温泉の広間で、お昼を食べる。家人はざる蕎麦、ぼくはかけうどん。これが美味しかった。うどんといい汁といい。このうどんを食べるだけにここへ行く価値がある。

家に戻り、しばらく昼寝。温泉に入ると疲れる。

6時、オーリアッドへ。今夜は Amnesty International 50th Anniversary の Dylan の歌をフィーチャーしたアルバムを最初から聞く。disc 3の最後まで。残すは disc 4 のみ。気に入ったのは: One Too Many Mornings, Blowing in the Wind, Restless Farewell, One More Cup of Coffee, Lay Down Your Weary Tune, Love Minus Zero, Mr. Tambourine Man, Knocking on Heaven's Door, Abanconed Love, I Shlall Be Released, Like a Rolling Stone, Sooner or Later (One of Us Must Know)など。

これらは、 I Remeber You を除いてもともとぼくの好きな歌。しかし、もともと大好きな歌でも、このアルバムのヴァージョンは好きでないというものもいくつかある。例えば Tomorrow Is a Long Time,  そして Mr. Tamborine Man。それにしてもディランは偉大である。


March 27, Tuesday 2012

昼までに、今月末までに送ってほしいと言われていたトークライブの演題とレジメをようやく完成した。まだ先の5月22日のことで、切羽詰らなければアイディがわかないぼくにとっては、ちょっと辛いものがあった。結局、先日のロータリーのときの話を踏襲することに。しかし時間は30分長いので、スティーブ・ジョブズのスピーチに関して、もう少し時間をかけることができる。

先日ロータリークラブで話しているときに、ジョブズのスピーチの3つの話の最初の connecting the dots (点と点が結びつくということ)は、いわゆる仏教でいう「縁起」のことではいかと思った。今回はその点を少し敷衍して考えてみようと思っている。

夕方、久々に有賀峠を通って諏訪へ。今まで岡谷でやっていたクラスを、さまざまな事情で、今月から諏訪市の公民館で行うことになった。しばらく休んでいたので、先ず雑談から。家族とシンガポールへ行ってきた方も。ランの咲き誇る植物園や海辺の公園にたつシンガポールの象徴マーライオンはぼくもよく覚えている。

次回用にSevern Suzuki の1992年の地球サミットでのスピーチのスクリプトを配り、とりあえず解説なしで読み、だいたいの内容を理解してもらう。これを全訳してくるのが次回の宿題。次に、今月の歌 Good Night Irene を歌う。この歌は不思議なことに今までこのクラスで取り上げたことがない。考えてみたら信大でも。4月からのクラスの歌に加えようと思う。

最後にナーサーリー・ライムの This is the house that Jack built. から This is the dog that worried the cat that killed the rat that ate the malt that lay in the house that Jack built. までを次回までに暗記してくるようにと、板書する。そうしたら一人の方が、プリントを出し、ずっと前にも同じところを暗記するように言われましたと言う。うむ。忘れていた。でも繰り返すのも悪くない。このライムは関係代名詞の勉強になるばかりでなく、英語のリズムの練習にもなる。

コンピュータに詳しい方から、次のような親切なメールが入った。

ラジオの受信が困難な地域への対策として、現在はパソコン経由でラジオ放送を訊ける「radiko」というサービスがあり、長野県の場合なら、SBCラジオとFM長野の放送がネット経由でパソコンから聴けます。

実は12月に「祈りの歌」を同じ番組で流してもらったとき、番組のディレクターから同じことを言われたのだが、ぼくのパソコンの設定では東京のラジオ局は聞けるが、長野県のラジオ局は聞けないことがわかった。そのときの選択は、長野の2局を聞けるよりも、関東の数多くの局を聞けるほうがいいということで、そのままにしてあった。実際のところは、radiko を使ってラジオを聞くことは今まで一度もなかったのだが。Thank you anyway, Shoji san.


March 26, Monday 2012

今朝起きたら、右の歯茎が腫れて痛む。やはり昨日の山の下見がこたえたようだ。無理は禁物。朝飯はお粥とスープだけ。話すのもままならない。

そこへ電話。「もひもひ」と言うと、「土曜日に朗読を聞かせていただいた牧です」とおっしゃる。土曜日の朗読の会の発表会に長野市から駆けつけてくださった牧豊子さんだった。土曜日に初めてお会いしたが、会のメンバーは会の発足時に、牧さんから指導を受けたとのこと。彼女は著名な朗読指導者であり、また詩人でもある。

いずれにしろ、電話の用件は、「中谷勲」についてだった。土曜日に買っていただいたCD『祈り』の中に入っている歌である。牧さんは戸倉町の出身で、お母さんは戸倉小学校で、白樺教育を受けたとのこと。「中谷勲」は次のように始まる。

  
中谷勲が先生になったのは
  大正七年春のこと
  埴科郡戸倉小学校
  長野師範を出たばかり

  校長をはじめ、その学校には
  白樺派の先生が集まっていた
  教室には乃木将軍の代わりに
  トルストイの肖像が飾られていた


「花語らず」の詩を書いた柴山老師と、柴山老師の弟子の福島老師が修行した南禅寺も、信州と深いつながりがあると牧さんはおっしゃる。南禅寺の開山は現在の長野市若穂で生まれたとのこと。そういえば、福島老師からそのような話をうかがった気もする。牧さんが『祈り』を気に入ってくださったようでよかった。歯茎が痛み、うまくしゃべれなかったけれど、こういう「不思議に満ちた幸運な連鎖反応」は、うれしいものである。

我が家は山裾にあり、ラジオの受信がままならない。FM長野の「ほんのーり辰野町」の最後の番組が12時から始まる。「俺が生まれて育ったとこは」が流れる時間は12時35分ぐらいと昨夜遅く種治さんからメールが入った。ラジオを窓際にもって行き、アンテナを伸ばして聞こうとしたが、聞こえるのはガーガーピーピー。別のラジオで試してみたが同じこと。車のラジオで聞こうと車に乗ったのが12時25分。旧道から国道に出てもまだガーガーピーピー。それらしきものが聞こえてきたのは、宮木にはいったあたり、歌が始まったのは、新町に入ってから。「俺が生まれて育ったとこは」の短縮化が成功したかどうかわからない。それでもこの町に対するぼくの思いは伝わった、と思いたい。

歯茎の痛みは、夜にはかなり軽減し、夕食もしっかり食べることができた。


March 25, Sunday 2012

朝8時、お寺の駐車場に集合。村の森林生産組合の役員たちによる山の下見。境界線の確認や、今後の作業の段取りのため。朝起きたら雪が降っていたので、中止になるだろうと思っていたら、決行するとのこと。

分乗していった軽トラを上峠に置き、先ず、下峠のほうへ歩き、そこから右に折れ、隣の区との境界線沿いに歩く。しばらく行ってから、かなり急なスロープを上峠まで上る。滑り落ちないように木や小枝につかまりながら、時には這うようにして、上る。上りついたときには完全に息が切れていた。焚き火をし、しばらく休憩。そのあと、再度軽トラに分乗し、山の奥へ。この道はもう16,7年前、毎日1時間ほどかけて走った道。突き当たりに、車を置き、さらに左に続く小径を上る。3年前の前回は、そこから急な斜面を下まで降りたとのことだが、今日雪が少しあるので、上から眺めるだけに。





11時過ぎ帰宅。甲子園の長野県代表と大阪代表の試合を見る。わが町からひとり選手が出ている。彼は2回目の打席で2塁にゴロを打ちアウトになったが、3塁走者がかえって1対1の同点となった。同点になったところで昼寝。2時10分前、家人に起こされた。2時から、村の公民館で森林組合の会議。本年度の予定など。その後、慰労会。

4時に戻り、大相撲を見る。結局最後まで見てしまった。あれほど相撲の上手い鶴竜が豪栄道にあっけなく破れ、決定戦でも白鵬敗れてしまった。

夕食後、仕事をしようと思ったが、軽く頭が痛い。昨日今日と、少々オーバーワークか。早目に寝ることに。


March 24, Saturday 2012

朗読グループ「ひびき」の第13回目の朗読発表会。At オーリアッド、午後1時半から。タイトルは「宮沢賢治とその星々」。第一部は星にまつわる童話「銀河鉄道の夜」「よだかの星」など、5つの童話の朗読。その中ほどで、ぼくが「小岩井農場 パート九」の詩の一部を朗読する。童話に集中した頭を少々解放してもらうために。休憩を挟んで「虔十(けんじゅう)公園林」「どんぐりと山猫」「永訣の朝」の朗読。最後は全員交代で。そのあと、ぼくが「雨ニモマケズ」と「祈りの歌」を歌い、アンコールで「果樹園の道」。最後にみなさんと一緒に「ふるさと」。




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メンバー全員素晴らしかった。リハーサルのときはちょっと心配したが、今日は見事だった。ぼくがこのグループに入れてもらってから、3,4年経ったが、今日が一番よかったのではないか。

                   
 ■

一旦家に戻り、6時前再度オーリアッドへ。オープンマイク。

トップバッターは原田和恵さん。「アベマリア」「平和をつくろう」、そして「人生の扉」。新しい曲に挑戦しようとする意欲的な姿勢。次に久々登場、千葉の名取友紀子さん、「スイート・メモリーズ」「駅」、そして「愛の讃歌」をピアノで。

続いて直前のピアニストのマネジャーを自認する名取芳夫さん。先ず、「シ・プオ・ファーレ」という言葉の響きについてみなさんにどんな感じがするか尋ねたあと、その言葉がタイトルになっているイタリア映画について語る。邦題は「人生、ここにあり!やればできるさ」とのこと。Si puo fare. を Google translate にかけてみたら、You can do. と出てきた。この映画については次のURLから:http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18468/story.html

続いて、きらきら音楽旅団の山口真保呂さんと美都子さん。先日の St. Patrick's Day に白馬のパブで演奏を依頼されたとのことで、今夜はアイリッシュ・ミュージック。前半はErin Shore など3曲。今夜は no singing。美都子さんのMCで、印象的だったのは、家の近くの田んぼに3羽の白鳥がいたので、それを見ていると、更に5羽、続いて12羽の白鳥が飛んできたという話。それを至近距離で見たという。話を聞くだけで壮観である。

坂井俊水さん。「恋心」と「ひとつの勇気」。独特の坂井節。次に、太田裕士さん。「天の河原で」と「虹の世界へ」。前者は従来インストラメンタルだったが、今夜はそれに言葉をつけて歌う。前半最後は赤羽真理さん。「鹿のように」、そして「御手のなかで」。

ここで休憩。武居先生差し入れのお菓子をいただきながら、スピーカーからは Amnesty International 50周年を記念してリリースされたアルバム
Chimes of Freedom。







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後半トップは、からさわちなつさん。今夜も前回に続き英語の歌をひとつ、Hallelujah。難しい歌だが見事に歌う。名取友紀子さん、「赤いスイートピー」「太陽がいっぱい」。後者はぼくには懐かしい曲。マリー・ラフォレという女優が美しかった。原田さん、ピアノ曲「祈り」、そして「シューベルトの子守唄」を弾き語りで。ここでぼくが宮沢賢治の「小岩井農場 パート九」の一部と「告別」の朗読。後者は午後読む予定であったが、いくつかの事情で読まなかった詩。続いて少人数の「きらきら旅団」の演奏。2曲目は Fun Dance というタイトルが示すように、踊りだしたくなるようなメロディとリズム。

次に、赤羽さんの「千両梨の実」。太田さんのピアノと岡忠只良さんのギターのサポートで。とてもいい。そして坂井さんが「ミッシング・ユー」を歌うときにも、引き続き、サポートをお願いする。これまた素晴らしい。最後に、太田・岡のユニットで「ミスティー」と「Over the Rainbow」。

「朗読の会」「オープンマイク」と続いたので少々疲れたが、みなさんのおかげで、とてもいい夜になった。


March 23, Friday 2012

約束の時間午後1時直前、いいかわるいか分からないが、とにかく「俺が生まれて育ったとこは」の短縮版完成。オーリアッドへ。駐車場に入ったところに、種治さんもやってきた。この歌で行くか、他の歌にするか彼に聞くと、どうしてもこの歌がいいという。

ネットで調べたところ、平成24年3月1日現在の辰野町の人口は21,465人。「人口はたったの2万5千」のところは、より現実に近い「2万2千」にしたが、種治さんは「2万1千」がいいという。今後人口は減ることはあっても増えることはないだろうと、彼の意見を取り入れることに。「2万2千」のほうが歌いやすいのだが。

NZ にいる次男が中学に入ったあと、最初の社会のテストに、「町の人口」に関する四択問題が出た。彼は「25000」を自信をもって選択した。それは今から20年近くも前の話。その時の正解は24000だったか23000だったか定かではない。テストが返ってきてから、彼から怒られた。「お父さんの歌のおかげで間違えた」。

録音は種治さんのコンピュータで。最初、キーは B だったが、最終的には D に。彼の希望でハーモニカも入れることに。来週月曜日午後1時からのFM長野の番組「ほんのーり辰野町」の最後のほうで流れるらしい。

夜、オーリアッド。外は雨。明日の「宮沢賢治とその星々」のための練習。詩の朗読を頼まれたので、朗読の練習も。『春と修羅』の「序」の朗読も依頼された。これは大好きな詩ではあるが、難しい。字を見ないで聞いただけで理解できるかどうか。

遅くなって坂井さん。飲み会の帰りだとか。昨夜に続いて今夜も「生姜紅茶」。四方山話。その話の中で、彼のおじいさんもご両親もよく知っている人であることが判明。そういえば笑い顔はお父さんにそっくり。

11時、閉店し外に出る。どしゃ降りの雨。こんなに激しい雨は最近記憶にない。明日は晴れるといいが



March 22, Thursday 2012

明日までに「俺が生まれて育ったとこは」を書き直したいと、朝からいろいろ試してみたが、どうもピタリとした言葉が出てこない。

午後、お寺の副住職さんが彼岸のお参りにきて、時間をかけて朗々と読経してくださった。われわれも経本を渡され、一緒に読めるところは読んだ。6日間にわたって檀家参りをするとのことで、明日が最後とのこと。

7時過ぎにオーリアッドへ。家人と交代。スピーカーからはラフマニノフのピアノコンチェルト #2。そのあと、スプリングスティーンの Wrecking Ball。

カール・ブッセや石川啄木や、北原白秋、大木敦夫などの詩を飛ばし読みして、いい言葉がないか探したが、見つからない。困った、こまった。時には、「困った、こまった」と唱えているといい言葉が浮かんでくることがある。今回は難しい。

明日の朝、できるかどうか。


March 21, Wednesday 2012

いい天気だったが、寒かった。夜、オーリアッドから戻って温度計を見ると−2.5℃。寒いはずである。

午後3時半にFM長野の種治さんがやってくる。いろいろ検討した結果、「俺が生まれて育ったとこは」を使うということになった。しかし4分以内ということで、オリジナルは長すぎるので、書き直し、金曜日に録音するということになったが、うまくいくかどうか。前からこの歌を書き直したいと思っていた。いい機会ではある。最終的にはほかの歌になる可能性もある。

家に戻ると、花巻東と大阪桐蔭の試合の3回裏が終わったところだった。時間的にもう終盤かと思っていたら、家人いわく、開始時間がかなり遅れたとのこと。両投手ともダルビッシュ2世といわれるだけあって、長身でハンサムで、球が速い。直球はコンスタントに140キロ台。時にはその後半も。花巻東は最初投手のホームランなどでリードしていたが、徐々に劣勢に。試合が決着するまえに再度オーリアッドへいかねばならなかったが、最終結果は9対2で桐蔭の勝ち。

夜、オーリアッド。先日届いた CORONA の灯油ストーブを設置する。驚いたことに、今まで使っていたものと同じものだった。古いのはもう20年以上も前のもの。若干の違いはあるが、同じものと言っていい。灯油を入れ点火する。明るさといい暖かさといい断然違う。

店番をしながら、「俺が生まれて育ったとこは」のショートヴァージョンを試みる。うむ。難しい。思い切って、サンタバーバラの部分を全部カットしたほうがいいかも。

スプリングスティーンの『レッキング・ボール』、今日発売。話題を読んでいるようだ。
http://ameblo.jp/high-hopes/


March 20, Tuesday 2012

家人は朝早く、初彼岸で京都へ。ぼくは隣組のおじいさんが亡くなった家へ線香を上げに。今朝の新聞に家族のみで葬儀をすませたとの広告が出ていた。

午後、歌の練習をしようとしたが眠くて仕方ない。少し昼寝をすることに。1時間半は眠ったか。そのあと4時過ぎ、隣村の温泉へ。駐車場には車がいっぱい。混んでいるかなと思たら、そうでもなかった。サウナには2度入ったが、2度目に入ったとき、ぼくのほかに一人しかいなかった。その人に、この「ながたの湯」は伊那谷では最高の温泉ですね、と言うと、その方は同意したように見えたが、「1番は高遠のさくらの湯だ」と付け加えた。その温泉には入ったことがない。今度行ってみよう。

温泉から出て、広い通路を、玄関のほうへ歩いていくと、仰向けになって全身をマッサージする電動マッサージ器のデモンストレーションをやっていた。呼び込みに応えて試してみることに。それはフランスベッドの「スリーミーローラー 2122」という新製品とのこと。「スリーミー」とは3種類のマッサージ機能があり、2122とは21の軸と22のローラーがついているからとの説明。30分で終わるとのことだったが、説明を聞きながらだったので、1時間以上かかった。しかし、これはすぐれもの。頭のてっぺんからつま先まで、もみほぐし、背骨や骨盤のゆがみを矯正し、超音波によって血流やリンパ液の流れをよくするという。

確かに、終わったあと、身体が軽くなったような。無料ではあったが、最後にこの機械の値段はいくらだと思いますか聞かれたので、「80万ぐらいですか」という。「50万円」とのこと。ひょっとしたら100万を超えるかもしれないとも思っていたので、安いとは思ったが、すぐに「それではひとつください」といえる金額でもない。それに、もう30年近く前に買ったナショナルの椅子の電動マッサージ器があるが、最初はよく使ったが、今はリビングの邪魔ものになっている。

温泉とサウナと電動マッサージのせいか、異常に疲れている。早く寝ることに。明日の午後FM長野の種治さんに会うことに。


March 19, Monday 2012

ちょっと大げさに響くかもしれないが、今日の一大出来事は、水曜日から見当たらなくなっていたカメラが出てきたこと。ありがたい。火曜日の日記に、「仕事部屋に溢れているものを、とりあえず、2階の和室に移動させる」と書いたが、移動させるために入れたいくつかのダンボールのうちのひとつに入っていた。和室も、ダンボールの中も全部見たつもりだったが、そんなところに置くはずがないと思っていたずっと奥に置かれていた。思い込みが邪魔をしていたのだ。とにかくよかった。カメラを置き忘れたおかげで、カメラがいかに身近な必需品かわかった。

昨日のロータリークラブでのトークライブの写真が Interecity Meeting 実行委員長の垣内章雄さんから送られてきた。写真を撮ったのは彼ではなく、別の方のようだが。写真があったら送ってほしいと昨日頼んでおいたのである。ぼくがこの会でお話をさせていただくことになったのは、シニア大学でのぼくのトークライブを聞いて推薦してくださった垣内さんのおかげである。感謝。


All photos taken and provided by Tatsuno Rotary Club

午後6時から、役場会議室で国際交流委員会。姉妹都市ワイトモからのデレゲイションの受け入れ等について。

テキサスはオースティンのSouth by Southwest (SXSW) でのブルース・スプリングスティーンの基調講演が話題を呼んでいる。50分ほどのスピーチを全部聞いたが、これは貴重な演説である。彼のコンサートは、マラソンの川内選手のようにいつもぶっ倒れるまでの全力投球。その秘密が講演の最後に、若いミュージシャンたちへのアドバイスとして、明かされる。

スティーブ・ジョブズを意識してか、次のように彼は言う、
"Stay hard. Stay hungry. Stay alive. And when you walk onstage tonight to bring the noise, treat it like it's all you have." (ステイ・ハード、ステイ・ハングリー、ステイ・アライヴ。今夜演奏するためにステージに上るときは、自分のもってるすべてを全力でぶつけるんだ)。上手く訳せないが、彼の伝えようとしていることは分かってもらえるだろう。

そのkeynote speech は次のURLから。
http://www.youtube.com/watch?v=rWVp7NBp9XU&feature=related


March 18, Sunday 2012

町のパークホテルで開催された国際ロータリー第2600地区上伊那グループの Intercity Meeting で、話と歌を聞いていただいた。タイトルは「でくのぼう考―スティーブ・ジョブズと宮沢賢治」。与えられた時間は1時間。歌は5曲歌う予定でいたが、急遽、冒頭に「歳をとって歯が抜け」を入れることにしたので、計6曲。2曲目以下は「雨ニモマケズ」「碌山」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」「祈りの歌」「ここがぼくのふるさと」。最後の歌は昨日までは「薫子」というタイトルだった。

懇親会の席で多くの方々が話しかけてくださった。トークライブは、ありがたいことに、大方好評であった。話しかけてくださった方の一人、品のいい老紳士が「先生は私よりずっと年上だと思いましたが、若いんですね」とおっしゃる。「おいくつですか」とお聞きすると「86歳」だと言う。な、なんと。この映画は前にも見たことがある。その方はかつて農学部の教授だったとのこと。86歳とは思えぬほどに若々しい。それにしても、ぼくが彼より年上に見えたとは。冗談かと思ったが、冗談ではないらしい。うむ。同じことが2度あった。2度あることは3度ある?

話しかけてくださった方の中に、ぼくと同じ歳の方がいて、伊那北高校の同級生にも辰野出身が何人かいたという話になった。ぼくの幼馴染みも同じクラスだったという。彼の消息を尋ねたが、知らないと言う。懇親会が終わりに近づいたとき、彼がやってきて「彼は昨年8月に亡くなったようです」と伝えてくれた。親しい友人に電話して聞いてくれたとのこと。残念だ。詳しくは書けないが、彼は町には顔を出せない気分でいたと思う。「そんなことは気にしなくていいよ」と一言伝えたいと思っていた。もうその機会も永遠に失われてしまった。

1時間のトークライブだったが、緊張したのだろう、かなり疲れている。熱いお風呂に入って早目に寝ることにしよう。


March 17, Saturday 2012

断捨離のせいか、ここ数日カメラがみつからない。仕方なしに今夜はケイタイのカメラで。








March 16, Friday 2012

午前10時から、オーリアッド。朗読の会「ひびき」の発表会(3月24日午後)のリハーサル。宮沢賢治の童話の朗読。本番は来週土曜日の3月24日。前半は「烏の北斗七星」「よだかの星」など、星と関係のある童話、後半は、「どんぐりと山猫」を含む自然破壊を警告する童話など。最後に「永訣の朝」。宮沢賢治の童話を一挙にこれだけ聞いたり、読んだりしたことはない。

童話と童話の間にいくつか詩が入ると、もっと賢治の言葉のダイナミズムが感じられる気もしたが、宮沢賢治のファンにはたまらない「お話しを聴く会」になりそうである。是非お出かけください。(主催:朗読グループ「ひびき」)

FM長野の辰野の番組担当者の方から電話があり、3月26日の最終回に辰野のことを歌ったぼくの歌を流したいとのこと。CDになっているものがいいとのこと。何かあるかと考えたら、「旅立つおまえに」という長男が大学に入学するため、もう何年も前の4月、東京へ出ていったあと書いた歌があることを思い出した。その歌の入ったシングル盤のCDがまだ少し残っているはず。探したら3枚出てきた。

 天竜川、王城山
 おまえを育ててくれた町
 憧れだけをカバンにつめて
 おまえはひとり旅立つ
 がんばれ、がんばれ、おまえの未来は
 おまえの手の中にある


まだ決定したわけではないが、今の季節にぴったりかも。どの歌にするか月曜日に担当者と会い、決めることになっている。

夜、オーリアッド。今夜もスピーカーからは Wrecking Ball。多くの国でNo. 1 を記録しているようだ。日本盤の発売は3月21日。遅くなって、明後日のロータリークラブ Intercity Meeting のための練習を少し。原田さんとの一局は、時間切れ引き分け。


March 15, Thursday 2012

今日も午後 BS で古い映画を途中から見る。途中からなのでタイトルもわからない。しばらく見ていたら、突然、聞いたことのある台詞が聞こえてきた。

Well, anyway, I was walking down along the street and I heard this voice saying, "Good evening, Mr. Dowd." Well, I turned around and here was this big six-foot rabbit leaning up against a lamp-post.
とにかく、通りを歩いていたら、声が聞こえてきたんだ。「こんばんは、ダウドさん」。振り向くと、いたんだ、街灯の柱に寄りかかった6フィートもある大きなウサギが。


どこでこの台詞を聞いたのか最初思い出せなかった。しばらくして、思い出した。 Field of Dreams だ。レイ・キンセラが、とうもろこし畑で If you build it , he will come. という声を聞いた日の翌朝、眠そうな目をしてキッチンに入っていくと、娘のキャリンがテレビを見ていた。そのテレビの中の男が、この台詞を言っていたのだ。

その言葉を聞いたレイは、テレビのスイッチを切る。キャリンが、「どうしてそんなことするの。面白かったのに」と抗議すると、レイが言う、「いいかい、キャリン、面白くもなんともない。この男は病気だ。イカレてるんだ」とぶっきらぼうに言う。

映画が終わり、タイトルは Harvey だと知る。ハーヴィーというのは、映画に登場する、というよりも主人公のエルウッド (James Stuart) の頭の中に存在する、巨大ウサギの名前である。なぜレイがこの言葉と映像を見て気分を害したのかわかる。

「ポセイドン・アドベンチャー」「スミス都へ行く」「ハーヴィー」といずれも途中からながら、昔の映画を見た。CGや特殊撮影のない昔の映画はいい。

夜、オーリアッド。今日届いたスプリングスティーンの Wrecking Ball を聞いているところへ、Doctors T & U。四方山話。古代ローマの政治制度から、ベートーベンが愛した女性まで、話題は多伎にわたった。スピーカーからはヴァン・クライバーンが演奏するラフマニノフのピアノコンチェルト #2。

次のYouTube はラフマニノフ自身が演奏する第一楽章。力強い演奏。録音は1929年、RCA Victor。オーケストラは彼が一番気に入っていたというフィラデルフィア・オーケストラ。指揮、レオポルド・ストコフスキー。
http://www.youtube.com/watch?v=x8l37utZxMQ

次は、Earl Wild が演奏する第二楽章。これも素晴らしい。ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ、指揮、ヤッシャ・ホーレンシュタイン。1965年録音。
http://www.youtube.com/watch?v=TY3W22uu0iM&feature=related


March 14, Wednesday 2012

「断捨離」3日目といきたいところだったが、今日は中断。午後、家人とウオーキング。生活クラブの荷物を取りにいくついでに。もどってきて、今日は定期健診の日だと思い出した。3時半病院へ。とくに変わったこともなく、いつもの降圧剤を処方してもらう。先生曰く、「体重をもう少し減らしたほうがいいですね」。確かに。

12月に翻訳の仕事を始める前の体重に戻したいと以前この日記に書いたところ、

体重を落とすには、ご飯を食べないことです。減らすのではなく、一粒も食べないこと。パンも麺類もだめです。即ち、オカズだけで過ごすことです。私は主食をやめて15キロ痩せ、この数年維持しています。

とのメールをいただいた。その話を先生にすると、3食、主食抜きが難しかったら、朝食だけでも抜いてみたらどうですかとのアドバイス。明日からやってみようか。

夜、オーリアッドへ。日が長くなった。開店時間の6時でもまだ少し明るい。先ず、土曜日に調子の悪かった灯油のヒーターを掃除する。ススがたまっていて、それに火がついて、異常な燃え方をしていたようだ。分解し、ススをとる。前よりはよくなったが、まだ完全になおってはいない。

9時過ぎ、田中先生が同僚の先生2人と。今夜は3月いっぱいで退職される先生の送別会があったとか。ぼくの送別会も丁度10年前、2002年の3月14日だった。あれから10年が経ったとは。感慨深いものがある。田中先生がピアノを弾き、ぼくも乞われるままに2曲歌う。「カムサハムニダ、イ・スヒョン」と「祈りの歌」。前者は、ぼくが専任教員を辞める決心をしたことと深い関係のある歌。詳しくは:

http://www.nagano.net/journal/miura/020514.html
http://www.nagano.net/journal/miura/020614.html


March 13, Tuesday 2012

「断捨離」2日目。仕事部屋に溢れているものを、とりあえず、2階の和室に移動させる。ここまでは今までも何回もやってきたこと。問題は、部屋いっぱいに持ち込まれたものをどのくらい捨てることができるか。多いものは、本、カセットテープ、ビデオ、サンプル用の教科書。それにもう使えなくなった機器類。それに衣類も多い。そんなものをとっておいても仕方ないのになかなか捨てられないでいた。壊れていると思っていた研究者のリーダーズの英和辞典の電子辞書が、電池を換えたら使えることがわかった。これはラッキー。

古い写真、年賀状、手紙なども大事に保存してきたが、これもおいおい整理し処分する必要がある。

夜、3月18日のロータリークラブのトークライブの準備。スティーブ・ジョブズについて深く知れば知るほど、話をまとめるのが難しくなった。一筋縄ではいかない人物である。偉大な人物であることに変わりはないが。

先週土曜日のオープンマイクが終わったあと、木曽からきた高井さんが話しかけてきた。「あのボブ・ディランの絵は誰が描いたんですか」と。この絵を描いたのはアラン・ラオ。自分が誉められたように嬉しかった。しばらくアランの思い出話。次のURLをクリックすると、アランとの出会いを書いたエッセイを読むことができます。
http://www.nagano.net/journal/miura/000314.html




March 12, Monday 2012

飛行機が墜落した夢を見た。その飛行機に乗っていたにもかかわらず、ぼくはかなり離れたところに怪我もせず横たわっていて、飛行機が爆発炎上するのを見ていた。

ぞっとする夢だったが、意外と気持ちは落ち着いていて、恐ろしいという感じはなかった。しかし、この夢が何を暗示しているか考え始めたら、少々不安になった。

サンタバーバラに住んでいた22歳か23歳のとき、オートバイに乗っていて、坂道で転倒し、首がとれ、その首を自らで胸元に抱いている夢をみた。そのころ、ユング派のアナリストとしては、チューリッヒのユング・インスティーテュートで、日本人として河合隼雄先生の次に資格をとったという目幸黙僊先生のクラスを受講していた。目幸先生にその夢について相談したところ、死の夢は決してネガティブなものではなく、古い自分が死に新しい自分が生まれる可能性を暗示しているとのことだった。振り返ってみれば、日本に戻るかアメリカに残るか思い悩んでいた頃で、その夢はひとつの新しい方向を示唆していたのかもしれない。

今朝見た夢は、飛行機の墜落炎上ということだけを考えると恐ろしいが、ぼくは遠くからそれをいかなる肉体的苦痛も感じずに眺めていたといたというところから、そこには古い過去と新しい未来という図式があると言えるかもしれない。新しい方向へ一歩を踏み出すときなのかもしれない。

ひょっとしたら、昨日、大震災の映像を何度も見たことが、影響しているかもしれない。あの大災害から一年が過ぎ、厳しかった冬も終わり、春が近づきつつある。新しい未来が始まることを示唆しているのかも。そうあってほしい。

その夢の影響かどうか、今日は「断捨離」を敢行。まずぼくの部屋から。机の下に積んでおいた、10数年前からのテストや資料を整理。そして机の上のがらくたを整理。これだけで半日。まだ目に見えてきれいになったとは言い難いが、とにかく春休みのうちになんとかしたい。もしそれができれば、今朝見た夢はかなりポジティブな意味を持ってくる。



March 11, Sunday 2012

数日前に連絡があった。神社のイチイの木がお寺の裏のサツキの土手に倒れたので、区の役員、森林組合、神社委員など、関係者が集まって朝9時から撤去するとのこと。

ぼくが行っても何の役にも立たないが、顔を出すことに。総勢15名はいただろうか。先ず枝を払い、チェーンソーの幹を切る。ぼくができたことは、払った枝を運ぶこと、それに副住職さんがいれてくれたお茶を配ることぐらい。1時間強の作業。



作業から戻り、名古屋の女子駅伝を見る。見始めたとき、野口みずきは先頭集団から150メートルほど遅れていたが、30キロ直前で追いつき、一度は先頭を引っ張るかたちとなった。しかし、最後は失速し6位に終わった。それでもたいしたもの。彼女の中盤の頑張りがレースを面白くさせた。優勝は尾崎好美。終始安定した走りだった。

一年前の日記に次のように書いた。

午後、「歳をとって歯が抜け」を手直ししようと、ギターを弾いていると、なんとなく身体が揺れる気がする。身体を揺すって弾いているので椅子が動くのだろ うと、そのまま弾き続ける。でも今度は部屋が揺れているような気がする。弾くのをやめると、部屋が静かにゆらゆらと揺れている。地震だ。急いで階下に降り る。家人も最初は、血圧が低くてめまいがするのかなと思ったが、食卓の上のランプが揺れていたので地震だと気づいたとのこと。テレビをつける。地震情報が すでに画面の上に。

津波による壊滅的な惨事をリアルタイムで見たのはそのあとである。濁流が町や田園をのみ込んでいく映像に、文字通り身の毛がよだつ思いがした。今日あらたに、テレビに映し出されるそれらの映像を見て、同じ恐怖に襲われた。被災された方々、大切な人々を失くした方々、絶望の中にいる方々に、かける言葉が見つからない。

一年後の3月11日には、復興はどの程度進んでいるだろうか。


March 10, Sasturday 2012

今夜は、オーリアッド・オープンマイクの典型的な夜。ジャンルを超えた老若男女のパフォーマンス。先ず、「若」のひとり、奥住大輔君がサックスで「別れのウーパールーパー」を演奏。そして今井俊介君のボーカルで、ウクレレの高井龍さんが加わって、「上を向いて歩こう」と「空に星がきれい」。奥住君と今井君は17歳、高校を卒業したばかり。今井君と出会ったのは彼が中学3年のとき。この3年で彼は大きく成長した。

次に、山梨から、坂井俊水さんの紹介で歌いにきた小林孝一さん。「歌があるじゃないか」「ぼくはぼくのままで帰るんだ父のもとへ/帰るんだ母の胸元へ」というフレーズが入る歌。そして「作品#27ト長調」。見事のギターワークと張りのあるボーカル。木曽から初登場の高井さん「It's Only a Paper Moon」「All of Me」など3曲。「All of Me」 は奥住君がリコーダーでサポート。原田和恵さん、ピアノで一曲演奏したあと、「そばにいるよ」「君は愛されるために生まれた」。この2曲はいつ聞いても感動的。

「老」の代表85歳の金子昭二さん、ボン・ジョヴィの歌うコーエンの「ハレルヤ」を、ヘッドホンで聞きながら、一緒に歌う。振り付けつき。和田敦さん、ウクレレ弾き語り。「アロハ・オエ」「早春賦」、そして五木ひろしの「ふるさと」。丸山俊治さん、昨年、3.11の災害直後に書いた「今私にできることは」、そして友人の歌のカバー「降っても晴れても」。坂井俊水さん、「恋心」と新曲「ひとつの勇気」。軽快なロックンロール。からさわちなつさん、童謡の「海」、そして「孤独な時こそ」。「うーみーはひろいーな、おおきいなー」」とぼくも小さい頃よく歌ったもの。前半最後は堀越哲郎さん、今夜もギターでサカキナナオの詩を歌う。「酢で」と「これで十分」。休憩時間に流れた音楽は。レナード・コーエン、 Live in London から Dance Me to the End of Love。









(Larger and more photos on Oread Facebook page)

後半トップは久々登場の赤羽真理さん、「鹿のように」、そして「千両梨の実」。次にぼくが新曲を一曲。今日オーリアッドへくる直前に出来た歌。タイトルはまだない。その人のことを歌にしていいのかどうか長い間迷ってきた。3.11からちょうど一年を迎える前日、やはり歌にしておきたいと思い、午後3時ごろから書きはじめた。陸前高田市に住んでいた人。お母さんと近所のおばさんたちを車に乗せ避難させたあと、奥さんを迎えに引き返したが、奥さんともども津波に飲み込まれた。ぼくのCDをよくメールで注文してくれた。ディラン、スプリングスティーン、コーエンが好きだった。そして豊田君も。

  その人には一度も会ったことはない
  声を聞いたこともない
  でもその人の名前を呼ぶと
  懐かしい響きがする

という言葉で始まる歌。

小林さん、「太陽」を歌う。坂井さんに捧げる。高井さん、「Light Up the Fire」。原田さん、「シューベルトの子守唄」。金子さん、棟方志功について、大きなジェッシャーで語る。時には棟方志功の魂が乗り移ったかのよう。和田さん、「悲しい酒」。丸山さん、「デノミの灰」。丸山さんのメロディは、どの歌もキャッチーで、とつぜんハミングしていることがある。この歌に関しては、「デノミーの灰を空から撒き散らす」のところ。特に「灰を」の「を」を高くするところ。坂井さん、「Missing You」。今夜は3曲オリジナル。からさわさん、山口県出身の3人の美しい名前をもったtwo sisiters and one brother にインスパイアーされて書いたという歌。真ん中のブラザーの名前は旅峰(りょお)といい、現在ノルウェーから南アフリカに向けて自転車で旅行中とか。

今夜は最後は堀越さん。サカキナナオの詩「はたらき」を歌う。「燃えるよ、囲炉裏の火/更けるよ、冬の夜/春遠からず」というような言葉が繰り返される。まさに今の季節。囲炉裏がほしくなる。これで今夜の老若男女オーリアッド・オープンマイク終了。しばし歓談。ステージではギターでセッションをする人たちも。



March 9, Friday 2012

朝から小雨。夕方から、ミゾレに変わり、夜、オーリアッドから戻るときは、雪に。3日連続のジョギングはならなかった。

3月19日(日)のパークホテルで開かれるロータリークラブ Intercity Meeting でのトークライブのタイトルは、「でくのぼう考―スティーブ・ジョブズと宮沢賢治」。3月24日(土)午後1時30分からオーリアッドで行われる「第13回お話を聴くひととき」のテーマは「宮沢賢治とその星々」。

今日は、そのふたつの準備を兼ねて、山折哲雄著『デクノボーになりたい―私の宮沢賢治』(小学館)を読み直した。その中で著者は近代詩歌文学において東北の詩人たちが大きな役割を果たしてきたと指摘し、石川啄木、宮沢賢治、斎藤茂吉の名を挙げ、この三人がいなかったら、「われわれの近代文学史はたいへん貧しいものいなるのではないでしょうか」と述べている。そして次のように続ける。

三人の出身がみな盆地だということに注目したいと思います。石川啄木の生まれたのは、岩手県北部の渋民という山に囲まれた盆地。宮沢賢治の花巻も盆地です。斎藤茂吉も上山(かみやま)という盆地に生まれている。盆地という風土の特徴は、自然が美しいということ。美しい山があり、美しい川が流れている。啄木の渋民では美しく雄々しい岩手山が眼前に迫り、北上川の清流が足下を流れている。花巻も北上山地と奥羽山脈にはさまれ、美しい北上川が流れている。茂吉の上山からは蔵王の山が見え、近くには最上川が美しい姿を見せて流れている。

ところがもう一つ大切なことは、この盆地的環境というのは、じつは閉鎖的な社会を形成しているということであります。その土地に誕生した詩人の魂を、かならずしも受け入れない、そのうえ、理解することをこばむ閉鎖的な社会だというジレンマですね。・・・この矛盾した関係のなかで葛藤するところに、東北の詩人たちの一つの特質が見られるのではないか。(pp. 62-63)


朗読の会「ひびき」には大変お世話になっている。「祈りの歌」も「中谷勲」もこの会がなければ書けなかっただろう。今年のテーマは「宮沢賢治」とのこと。各メンバーの朗読のあと、ぼくが最後に「祈りの歌」と「雨ニモマケズ」を歌わせていただくことになっている。ご都合が付く方はお出かけください。花巻のお菓子も出るようです。

 第13回 お話を聴くひととき ― 宮沢賢治とその星々

 日時:2012年3月24日(土)1:00pm 開場、1:30pm 開演
 出演:朗読グループ ひびき
 会場:オーリアッド (辰野町宮木、伊那富橋から4軒目)
 会費:500円(コーヒー+花巻銘菓付き)
 主催」朗読グループ「ひびき」

 賢治の童話や詩には、星を語った作品が数多くあります。
 今回の「お話を聴くひととき」では、星や銀河が出てく
 る作品を中心に朗読いたします。賢治の心象に触れるこ
 とができるような朗読ができたらいいのですが。

 第一部 賢治の作品の星々が輝きます
 1.水仙月の四日
 2.銀河鉄道の夜
 3.烏の北斗七星
 4.よだかの星
 5.双子の星

 第二部 大震災から1年。東北が、虔十(けんじゅう)公園
 林のような緑豊かな地に早く戻ることを願わずにはいられま
 せん。

 6.虔十公園林
 7.どんぐりと山猫
 8.永訣の朝
 9.雨ニモマケズ、祈りの歌 


March 8, Thursday 2012

昼過ぎ、今日も城山公園までジョギング。今日はそこから上辰野のほうへ行くことにする。「どうど橋」を渡って、左に折れ、田んぼの中の道を通って国道に出て、徳本水経由で家に戻ってきた。少し汗をかいた。

そのあと、ロータリークラブの大会でのトークのレジメを仕上げ、メールで送る。事務局には午前中しか人がいないというので、届くのは明日になるだろう。そのレジメを書いている最中、生協の書籍部から、4月から使う教科書の届けが出ていないとの連絡が入る。しまった!昨年も同じことをして迷惑をかけてしまった。シラバスに記入した段階ですべて済んだ気がしてしまう。あわてて4クラスの教科書をメールで送る。なんやかやあって、3月は忙しい。

夜、オーリアッド。ぼくは7時過ぎに入る。すでにジブランの会の方々。そのあと原田さんがやってくる。入院していたとは思えないほどにお元気。放射線治療によって完治したとのこと。入院していたときに出会った方々との交流も続いているようで、セキギョク性と好奇心の範例である。

最後に一局。冒頭でおろかな間違いを犯しながら、久しぶりに勝ったが、なんだか勝った気がしない。うむ。

スティーブ・ジョブズの伝記を読んでいたら、一度も使われなかったようだが Think Different のコマーシャルのナレーションをジョブズ自身が行ったものがあることを知った。次のURLがそれである。実際に放映されたナレーションはリチャード・ドレイフェスのもの。聞き比べてみると、スティーブのヴァージョンのほうがはるかにいいように思う。

Steve Jobs のヴァージョン:
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=8rwsuXHA7RA

Richard Dreyfuss のヴァージョン:

http://www.youtube.com/watch?v=4oAB83Z1ydE

Here’s to the crazy ones. The misfits. The rebels. The troublemakers. The round pegs in the square holes. The ones who see things differently.

They’re not fond of rules. And they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them. About the only thing you can’t do is ignore them. Because they change things. They push the human race forward.

While some may see them as the crazy ones, we see genius. Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.

乾杯、クレージーな人たちに。はみ出し者、反逆者、厄介者たち。四角い穴に合わない丸い栓のような人たち。常識にとらわれず物事を違う角度から見る人たち。

彼らは規則が大嫌い。彼らは現状を維持することに敬意を払わない。彼らの言葉を引用したり、彼らに反対することはできる。賞賛したり非難したりすることはできる。どうしてもできないことは、彼らを無視すること。なぜなら彼らは世界を変え、人類を前進させてきたのだから。

彼らは狂っていると考える人たちがいる。私たちは彼らを天才と見る。なぜなら、世界を変えることができると考えるほど狂っている者だけが、世界を変えることができるのだから。(miura訳)


March 7, Wednesday 2012

オーリアッドから戻ったとき、ドイツ vs. なでしこ の試合は前半30分ほど経過していた。2対0。ドイツリード。これで勝負あったと思ったら、そのあと、川澄が見事なシュートを決め、2対1。後半に希望を持たせた。後半にも点を入れ、2対2。しかしドイツが終了間際PKで1点を入れ、万事休す。と思ったら、永里が相手ゴールキーパーがこぼした球を蹴りこんでまたまた同点。延長戦はないというから、PK戦にもつれこむだろうと思っていたら、一瞬の隙をつかれて、1点を入れられ、ドイツの勝利。惜しかったが見ごたえのある試合だった。澤抜きででここまで戦ったのだから、大したものである。

ロータリークラブ上伊那地区の Intercity Meeting でのトークライブの資料を早く送ってほしいとの請求がきた。いつものように切羽詰らないとアイディアが湧いてこない。今日中に仕上げて送りたかったが、まとまらなかった。明日中に必ず送らねば。スティーブ・ジョブズの扱いが難しい。

なかなかアイディアが湧かないので、午後思い切って城山公園までジョギング。ウォーキングではなく、ジョギング。それには体重を減らしたいという思いもある。この数ヶ月で、かなり体重が増えてしまった。12月の半ばに翻訳の仕事が始まる前の体重に落とすには5キロ減らさなければ。

TVでカーヴィー体操なるものがいいと言っていたので、早速取り入れる。
http://www.youtube.com/watch?v=PCuJMaV1u3o

それにミュージックライターの和田さんのブログにあった「あいうべ体操」も試している。高血圧と便秘にもいいらしい。これも取り入れる。これは活舌トレーニングになるかも。
http://mirai-iryou.com/mc_aiube.html


March 6, Tuesday 2012

朝起きて、ネットで昨夜のサッカーの結果を見る。一瞬目を疑った。勝っている。1対0。すごい。

昼前、用事で伊那へ出かけ、途中「いなっせ」の本屋さんに寄り、「見てわかる、断捨離」というムックを買う。もう少し暖かくなったら、ぼくの部屋の、そして家の中の断捨離を敢行したい。

クライストチャーチからの帰りの飛行機の中で Shawshank Redemption (邦題「ショーシャンクの空の下」)を見た。前に見たのはもうずっと前のこと。細かいところはまったく覚えていなかった。特に冒頭のところ、なぜ主人公のアンディが投獄されたのか、そして最後のところ、どうやって脱獄したのか、すっかり忘れていた。アンディとモーガン・フリーマン演ずるところのレッドが一緒に脱獄したと勘違いしていた。

英語の字幕も日本語の字幕もなかったので、いくつか内容がわからないところがあった。それで、英語のスクリプトを探して確かめてみた。ト書きの部分もあって、映画の台詞だけではわからないところまでよくわかる。便利な時代になったものである。
http://www.scifiscripts.com/msol/Shaw/shawshank.html

朝食後外に出ると空気が暖かい。伊那から戻ってきたときには汗ばむほど。夏のクライストチャーチより暑い。クライストチャーチでは、夜は必ずヒーターをつけた。特に到着した日はものすごく寒かった。テレビのニュースによると今日は全国的に暖かかったようである。このまますんなり春になるとは思えないが、いよいよ春が近いと思えば、気が少し楽になる。


March 5, Monday 2012

朝起きたら、薄っすらと雪が積もっている。細かい雪が降っている。すぐにミゾレになった。そのうち雨に。雪かきをするまでもなく、昼ごろには溶けてしまった。

午後、トークライブのレジメを書こうとしたが、まとまらない。3月18日(日)、上伊那全域のロータリークラブ・インターシティ・ミーティングでトークライブをさせていただくことになった。宮沢賢治とスティーブ・ジョブズをテーマに「でくのぼう」について話そうと思っている。その資料を3月初旬には欲しいとのこと。このテーマを考えたのはスタンフォード大学でのジョブズのスピーチをもとにしてだが、彼の伝記を読んだ今、若干修正しなければならなくなった。

アメリカ対日本の女子サッカーの試合を前半だけ見た。なでしこジャパンは澤が体調をくずして出場していないが、なかなか善戦している。眠い。後半は見ないで寝よう。まだ時差ぼけが少しある。夜中に本を読んでいるのがいけないのだが。

大町の真保呂さんから「きらきら音楽旅団」のコンサートの案内が届いた。


3月17日は、セント・パトリック・デーということなので、アイルランドの音楽を演奏する我々にお誘いが掛かりました。20時頃から白馬村の五竜スキー場の麓にある「Tracks Bar」(http://www.tracksbar.com/)というお店で「きらきら音楽旅団」が演奏することになりました。30〜40分の2セットの予定です。他に東京からアコーディオンを演奏する方が来られるそうです。また、ニュージーランド人の女の子が、アイリッシュ・ダンスを踊るそうです。


March 4, Sunday 2012

家人は朝から伊那市へ。大正琴の演奏発表会。ぼくはうつらうつらしながら、オーリアッド日記をさかのぼって書いたり、琵琶湖マラソンを見たり、Steve Jobs を読んだり。この本をリカトンモールの本屋さんで見つけてよかった。家に戻ってきたら注文しなかったかもしれないし、注文して届いてもこの分厚い本を読み始めようという意欲はわかなかったかもしれない。まとまった時間をみつけることも難しかっただろう。

旅先のモーテルで、眠れないままに読み始め、帰りの飛行機の中でも読み、家に帰ってからも読み、もう少しで読了。読み始めたら、下に置けない類の本だ。読んでよかったと思うことのひとつは、彼は、スタンフォード大学でのスピーチを聞いて想像していた「聖人」ではないとわかったこと。だからといって彼の魅力が薄れたわけではない。その逆である。禅、ドラッグズ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ラマナ・マハリシ、菜食主義、ミューカスレス・ダイエットなど、ぼくが60年代のサンタバーバラで経験したり目撃したりしたことが、次から次へと登場する。

ジョブズがボブ・ディランの熱烈なファンだということが全編通して伝わってくる。ジョブズがディランに直接会ったときのことが次のように記述されている。

The only time Jobs can ever recall being tongue-tied was in the presence of Bob Dylan. He was playing near Palo Alto in October 2004, and Jobs was recovering from his first cancer surgery. Dylan was not a gregarious man, not Bono or a Bowie. He was never a Jobs's friend, nor did he care to be. He did, however, invite Jobs to vist him at his hotel before the concert. Jobs recalled:

  We sat on the patio outside his room and talked for two hours.
  I was really nervous, because he was one of my heroes. And I
  was also afraid that he would't be reaaly smart anymore, that
  he'd be a caricature of himself, like happens to a lot of people.
  But I was delighted. He was as sharp as a tack. He was every-
  thing I'd hoped. He was really open and honest. He was just
  telling me about his life and about writing his songs. He said,
  "They just came through me, it wasn't like I was having to com-
  pose them. That doesn't happen anymore. I just can't write them
  that way anymore." Then he paused and said to me with his raspy
  voice and little smile, "But I still can sing them." (pp. 415-416)

ジョブズが覚えている限り人前で緊張して思うように言葉が出てこなかったのは、ボブ・ディランの前に立ったときだけだった。2004年10月、ディランはパロアルトの近くで演奏した。ジョブズが最初のガンの手術から回復しつつあった頃のこと。ディランは、ボノやボウイとは違って社交的ではなかった。彼はジョブズの友だちではなかったし、友だちになろうともしなかった。それでも彼はジョブズをコンサートの前、彼のホテルに招待した。

  彼の部屋の外のパティオにすわって2時間話した。緊張したよ。
  だって彼はぼくの英雄の一人だったからね。同時に恐れてもい
  た。彼が老いぼれて、以前の切れ味がなくなり、過去の栄光の
  カリカチャーになっていないかと。そうなる人は多いからね。でも
  嬉しかった。彼はとてもシャープだった。彼はぼくがそうあってほ
  しいと思っていたすべてを備えていた。実にオープンで正直だっ
  た。彼の人生について、歌を書くということについて話してくれた。
  彼は言った、「昔は、歌はぼくを通してやってきた。ぼくが努力し
  て書いたわけではない。でも今ではそんなことは起こらない。今
  ではそんな風に歌を書くことはできない」。そして彼は一息入れ
  て、微笑んで、あのしゃがれ声で言ったんだ。「でも今でもそれを
  歌うことはできるよ」。

                    *

ディランがジョブズに一番好きなボブ・ディランの歌は何かと聞いたときのジョブズの答えがいい。その歌はぼくの一番好きなディランの歌とは言いがたいが、一番好きな歌のひとつだと言うことはできる。


The next time Dylan played nearby, he invited Jobs to drop by his tricked-up tour bus just before the concert. When Dylan asked what his favorite song was, Jobs said "One Too Many Morning." So Dylan sang it that night. After the concert, Jobs was walking out the back, the tour bus came by and screeched to a stop. The door flipped open. "So, didi you hear my song I sang for you?" Dylan rasped. Then he drove off. When Jobs tells the tale, he does a pretty good impression of Dylan's voice. "He's one of my all-time heroes," Jobs recalled. "My love for him has grown over the years, it's ripened. I can't figure out how he did it when he was so young." (p. 416)

次にディランが近くで演奏したとき、彼はジョブズに、コンサートが始まる前、彼の派手なツアーバスに顔を出すように連絡した。ディランがジョブズに俺の歌の中で何が一番好きかと聞くと、ジョブスは「ワン・トゥ・メニー・モーニングズ」と答えた。その晩ディランはその歌を歌った。コンサートが終わり、ジョブズが裏口から出て歩いていると、ツアーバスが近づいてきて急停車した。ドアがぱっと開いたかと思うと、「今夜君のために歌った歌を聞いたかい」というディランのしゃがれ声が聞こえてきた。すぐにバスは走り去った。ジョブズがこの話をするときはいつも、ディランの声色をかなり上手く真似て話す。ジョブズは回想する、「彼はずっとぼくの英雄の一人だった。彼に対するぼくの気持ちは長い年月をかけてますます深くなった。熟成したと言ってもいい。彼がまだ若いとき、どうしてあんな凄い作品を書けたのかぼくにはわからない」



この歌のオリジナルの YouTube は見当たらず、「ローリング・サンダー・レヴュー」のヴァージョンが見つかりました。このヴァージョンはとても好きです。
One Too Many Morings (Rolling Thunder Review version)

日本語のサブタイトル付き。但し、コーラスの部分は次のように理解したい。

For I’m one too many mornings
And a thousand miles behind
なぜなら俺はひとつだけ多すぎる朝を迎え
行く手にはまだ一千マイルもあるのだから


miura による全訳はこちら。


March 3, Saturday 2012

2週間ぶりのオープンマイク。開店後最初にお見えになったのは原田和恵さん。そのあとすぐ、初めてお会いするご夫婦、と思ったら、以前にお会いしたことがあるとか。西宮在住で、ご主人は昔七夕コンサートでぼくの歌を聞いたことがあるとのこと。以前に伊那市にしばらく住んでいたときも一度お会いしたことがあるという。北沢貴和さん。

先ずぼくが、他の歌い手やお客さんが入るまでの間、「バード・オン・ザ・ワイヤー」「祈り」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」。歌い終わるまでに、何人かの歌い手とお客さん。原田さんにお願いする。「G線上のアリア」ともう1曲ピアノ曲。そして最近よく歌っている「めぐり合い」。次に西宮の北沢さんにお願いする。最初は遠慮されていたが、ギターのインストゥルメンタルを2曲。見事な演奏。2曲のうち1曲は Sweet Memory だと、原田さんに教えてもらう。原田さんはいろんな音楽を知っている。ぼくが知らないだけかも。次は、何年も前に一度来たことがある大島信治さん。三線弾き語り。「花」「童神(わらびがみ)」、そして「アサドヤユンタ」。大工さんの歌声を思い出した。次もまた何年も前に一度きたことのあるタカヨさん。「人々に触れて」「マフラー」、そして「まちの灯」。以前聞かせてもらったときより、声にも歌詞にも柔らかさが。

太田裕士さん、出来上がったばかりのCDを宣伝しながら、「丘の上を吹き抜ける風」「天の河原」、そして「宇宙の歌」。雄大なスケールの作品にふさわしいダイナミックな演奏と歌声。続いて、久々にお会いした安曇野「ひつじ屋」高橋さんにスピーチをお願いする。今夜一緒にきたインド舞踊の横田ゆうわさんを紹介してもらう。レナード・コーエンの新譜にも興味があるとのこと。

続いて「うたごえ喫茶10周年記念: 500人のうたごえ喫茶 in みのわ」帰りの丸山俊治さん。「おじさんたちよ」「雪のかくれんぼ」、そして「70歳になったのだ」。くすくす笑い、ときには大爆笑が聞こえてくる。前半最後は、坂井俊水さん。「恋心」「Stay Gold」「Fuckin' Perfect」。

ここで休憩。「ひつじ屋」高橋さんのために、レナード・コーエンの『オールド・アイディア』の3曲目「Show Me the Place」をかける。気に入ってもらえたかどうか。









(Largerand more photos on Oread Facebook page)

後半トップは、「朗読の会ひびき」の赤羽やよいさん。3月24日(日)にオーリアッドで開かれる宮沢賢治をテーマにした発表会の宣伝。そして、「永訣の朝」の朗読。続いて、ぼくが「雨ニモマケズ」。太田さんに伴奏をお願いする。CDの中のこの歌にも彼のピアノが入っている。つづいて、からさわちなつさん。「秋のうろこ雲に乗って」、そして前回も聞かせてもらった題名のない歌。8月6日には広島の原爆ドームの近くでこの歌を歌いたいとのこと。大月高志さん、「抱きしめたい」と「カノン」の2曲。林呉さん、以前にも聞かせてもらった「オートーハープとボールハット」。原田さん「君は愛されるために生まれた」。大島信治さん、沖縄民謡「久高」。タカヨさん、「禁煙車のバラード」。ひょっとしたら「喫煙者のバラード」か。ここで横田ゆうわさんに一言お願いする。オーリアッドのステージは狭すぎて踊ることは難しいとのことだが、是非一度、堀越さんのエスラジに合わせて踊ってもらいたいもの。

太田さん、サックスのimprovisation。サックスを吹いているときの姿が実にいい。丸山さん、孫のために書いた歌だが、大人のためのメッセージでもある」との前置きをして「一番最後でいいんだよ」。坂井さん「Missing You」。最後に太田さんと大月さんにセッションをお願いする。二人が選んだ曲は、「Merry Christmas, Mr. Lawrence」。久々に一緒に演奏したのだが、見事な演奏。盛大な拍手。

雛祭りの日のオープンマイク。みなさんのおかげで、バラエティにとんだいいライブになった。時差ぼけで眠い。後片付けは明日ということに。


March 2, Friday 2012

朝3時半に家人から起こされる。4時に次男が迎えにくることになっている。タクシーでいくから迎えにこなくてもいいと言ったが、迎えに行くと言う。子供のころから朝寝坊で朝起きるのが苦手な次男が、そう言ってくれる気持ちが嬉しい。

モーテルから空港まで10分。Christchurch Airport と書かれているライトアップされたガラスの前で記念撮影。4歳離れた兄弟たち。成長する過程で、ときには互いに indifferentであるように感じたこともあるが、やはり兄弟。久しぶりに会ってもすぐ昔に戻れるようだ。遠く離れていても、今はインターネットの時代。連絡を取り合って、仲良くやってほしいもの。



オークランドで乗り継ぎ、成田に午後4時着。新宿から、7時半のバスに乗り、10時半辰野着。家に着いたのは、11時前。猫たちはどうしているかなと心配したが、ドアを開けると、ソフィーが出迎えてくれた。元気そう。フィービーはどこかにお出かけしているようだ。留守の間、「隣の潔さん」の奥さんに猫の世話をお願いした。毎日餌を与え、水を変えてくださったようだ。

そうそう次男が、初日のぼくの腫れた脚を見て、クライストチャーチでの最終日、flight socks を買ってきてくれた。おかげで成田に着いたときには、脚の腫れはまったくなく、すぐに靴を履くことができた。フライト・ソックスはコンプレッション・ソックスのことである。

エコノミック症候群の正式名は静脈血栓塞栓症で、長時間脚を動かさずにすわっていなければいかないような場合、
脚部の静脈に血栓ができ(深部静脈血栓症)、その血栓が血流と共に人体上部の器官(心臓や肺など)に届き、特に肺の血管を詰らせて呼吸困難や意識障害を引き起こし、最悪の場合には死にいたる病気」とのこと。

長時間飛行機に乗るときには、コンプレッション・ソックス (aka フライト・ソックス)を履くことをお勧めします。値段は、2000円から5000円までの間とちょっと高価ですが、命には代えられません。40歳以上、肥満、高血圧の人は特に要注意とのこと。ぼくはすべて当てはまっている。



March 1, Thursday 2012

訪問の最終日。来るときは直通だったが、帰りはオークランド経由。明日は朝5時40分発の便でオークランドへ。そこから国際線に乗り換えて成田へ。明朝は遅くとも4時には起きなければならないだろう。

午前中、再び、リカトン・モールへ、そしてカウントダウンというスーパーマーケットへも。初めてNZへ来たのは20年近くも前のこと。交換レートは、1NZドルが50円台で、時には40円台後半のときもあった。そのせいかNZの物価がものすごく安く思えた。ガソリンなどは日本の半分だった気がする。現在の交換レートは70円前後。それだけではなく、物価そのものが値上がりしているようで、物価は日本とあまり変わらない。

午後、リンの両親と、妹と妹のボーイフレンドがやってきた。両親はショッピングモールにMuffin Break というチェイン店を持っている。忙しいところを何とか都合をつけて来てくれた。妹のボーフレンドは現在カンタベリー大学の学生。スキーが好きで、是非日本で滑りたいとのこと。NZの雪質はよくないらしい。それにお金がかかるとか。彼の趣味は他に、狩猟と釣り、それにロッククライミングとのこと。スポーツマンである。マフィア・コーポレーションの岩田さんに彼を紹介したらいいかも。岩田さんは毎年、クライストチャーチへ1,2ヶ月釣りに出かけると言っていた。

リンとお母さんが作ったラザーニャとサラダの夕食をいただく。妹がケーキを焼いてきた。彼女は毎朝3時におきて、パンやケーキを焼くベイカーとか。

食事をしながら、いろんな話に花が咲く。地震の話になり、お父さんが、地震のあと、クライストチャーチの人々は sense of community を持ち始めたと言う。クライストチャーチを復興させようとみんが助け合い協力し合っているとのこと。大聖堂はそう簡単には復元できないだろうが、是非再興してもらいたいもの。彼の店は半年仕事を休まなければならなかったが、従業員をレイオフしなかったとのこと。大変だったが、みなに感謝されたとのこと。

7時半、ジョージは新しい服に着替えさせられて、リンと次男に連れられて新生児の親の会へ。彼が他のベイビーたちに会うのはこれが初めてとか。1時間ほどして戻ってきた。8人の赤ちゃんとその両親が集まったようである。



明日の朝は早い。名残は惜しいが、別れの挨拶をし、握手をし、ハグをし、お別れする。次にジョージに会えるのはいつになることか。

宿に戻り、明日の出発の準備。早目に寝ることに。しかし眠れない。Steve Jobs の伝記を読み始める。これが面白い。ますます眠れなくなる。




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