OREAD Diary September 1-November 30, 2018
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Friday November 30, 2018













Thursday November 29, 2018

午後2コマのクラス。

Wednesday November 28, 2018

午後1コマのクラス。先週は水曜日が金曜日のクラスの振り替え授業で、授業なし。そのことをすっかり忘れていて、The Sound of Silence を一緒に歌おうとすると、教わってないという。それで思い出した。先週はクラスがなかったことを。その歌を教えたのは木曜日のクラスだった。歌詞を解説し、Mythology の歌う Sound of Silence をYouTubeでみる。そのあと一緒に歌う。この歌を聞いたことのある人? という問に手が上がったのは0。この歌は60年代を代表する歌のひとつであるだけでなっく、少々大げさに響くかもしれないが、人類が共有した最高の歌のひとつ。
https://www.youtube.com/watch?v=8HNHKvtjoj8

帰路、直接村の公民館へ。森林組合の理事会。そのあと、オーリアッドへ。歌声喫茶のお茶のお手伝い。



勝谷誠彦さんの訃報がいろんなメディアで報じられた。享年57歳。若すぎる。彼とは田中康夫さんを応援する会でお会いした。豪放磊落に見えて極めて繊細な魂の持ち主だった。


Tuesday Novemb er 27, 2018

最近は朝食前にウオーキングをすることにしている。夕方は釣瓶落としの秋の夕暮れ、暗くなるのが早い。今週末は京都精華大学50周年記念のイベントに参加することになっている。そのためにも足腰を鍛えておく必要がある。それにしても今年は暖冬。12月になってもいつもの年より暖かい。ありがたい。

最近スプリングスティーンの翻訳をしているときから、データ転送のためのUSBハブの接続が悪く、だましだまし使っていた。今日それをなおそうとして力を入れたら、ばらばらに壊れてしまった。午後、隣町のホームセンターへ。ワンランク上の製品を購入する。しばらくおとなしく言うことをきいていてほしいもの。外付けハードディスクもほしいと思ったが、これは次男が時間のあるときに、一緒に見てもらって決めることにする。





明日は午後1コマの授業。中間試験。


Monday November 26, 2018

いつの頃からか、夜、ベッドに入ってから眠れないままに本を読む癖がついてしまい、ベッドの横のテーブルは読みかけの本で山積みになっている。昨夜、手にした本は数学者岡潔さんの「日本のこころ」である。以前にも何度か読んだことがある。たまたま「情緒について」の章。さて4歳ごろの習慣が情緒の養成には大事とのことだが、さて一体、情緒とはなにか。Weblio の和英を引いてみた。emotion, feeling,, atmosphere, mood などの訳語が与えられていた。でもいずれも「情緒」の訳語にはふさわしくないような気がする。

tender, romantic, or nostalgic feeling or emotion という解説的な訳もあり、こちらのほうがぼくが感じる「情緒」に近い。まさにぼくがこの村に感じている感情は「優しい、ロマンティックで、ノスタルジックな感情」である。わずか3歳から7歳まで4年間しか住まなかったこの村に戻ってきたのは、この村に対する「情緒」が形成されたからとしか考えられない。





Sunday November 25, 2018

今朝はおきたときから、体が疲れている。そうか、昨日はチロルの森へ行き、さらに夜はオープンマイクがあった。自分では歳をとったという自覚はない。今でも若いつもりでいるが、やはり体は正直である。

今日は次男の誕生日。38歳。15歳で単身ニュージーランドの高校へ留学。その後大学、結婚、就職とずっとニュージーランドで暮らしてきた。おそらく人知れず苦労したことがあっただろう。辛いこともたくさんあっただろう。よく頑張った。今年の2月の末からは1年の予定で家族と一緒に帰国し、わが家で暮らしてきた。それはわれわれにとってかけがえのない贈り物だった。

お昼は彼らだけで食事に出かけ、夜は再度出かけるのは大変と、彼の好物の鰻重と鯉のあらいを取り寄せ、ささやかなお祝い。デザートはリンの作ったケーキ。これが美味しかった。





来年の初めにはまたニュージーランドに戻る。過ぎてしまえば、あっと言う間である。また、長期休暇などには、子供たちも一緒に顔を見せてほしいもの。もう少し大きくなれば、子供たちだけで来ることもできるかも。


Saturday November 24, 2018

今シーズン最後のチロルの森へ。ぼくはずっと昔、この施設がオープンしたころに来たが、今回きてその充実ぶりに驚く。子供たちが喜ぶものばかり。しかも、良心的な料金設定。この施設は冬期間は閉鎖される。今日も人が少なく閑散としていた。おかげでどこも待たずに利用できてよかったが。















Chiaki は直に見る動物に大喜び、Masaki はそり滑りが気に入ったようで、何度もすべり降りていた。ぼくも滑りたいと思ったが、変なこけかたをして、ケガをしたらいけないと、遠慮しておいた。

                    ■

オープンマイク。ひびきの林さんの紹介で駒ケ根在住のイギリス人、ジョン・バーズさんがやってきた。髪の毛のない彼が日本語で「結婚しようよ」を歌ったのは、ユーモアのセンスのある証拠。それだけで、大いに共感するものがあった。オリジナルの Travellerは実によかった。



田中君は今日もオリジナルを1曲携えてやってきた。「日の目を見るとき」。それを聞いて、スプリングスティーンがニュージャージーの田舎でくすぶっていたときについてSpringsteen on Broadway で語っていることを思い出した。売れる歌がいい歌とは限らないし、いい歌が売れるともかぎらない。そこが難しいところ。今夜聞いた彼の歌でもっともよかったのは Good Town, My Town。



来週のオープンマイクは都合によりお休みします。次回は12月8日です。真珠湾攻撃の日であり、レノンが撃たれた日でもある。「ジョン・レノンに捧げる歌」を歌ういい機会である。


Friday November 23, 2018

朝食後、家人と、元南信パルプの跡地に建てられた平井星光堂へ暖炉のための焚付けを買いに行く。2日前に25把購入したが、1把60円と安価なので、さらにもう30把いただきに。これは薄い細長い板を40センチほどの長さに切ったもの。最初に火をつけるにはこのくらいの薄いものがちょうどいい。平井星光堂はカレンダー制作会社。何枚かカレンダーも購入。お店で買うよりもかなり安い。





そのあと、少し畑作業をしたあと、塩尻の大戸家にお昼に行く。牡蠣フライ定食。美味しかった。

家に戻り、少しうとうとした後、歌の続きを書こうとしたが、なかなかエンジンがかからない。明日のオープンマイクには間に合わないかも。


Thursday November 22, 2018

午後、2コマの中間テスト。4講時の Listening & Reading は50名の受講者。ちょっと多すぎる。しかし、皆とても熱心。テストのあとの残った時間で、The Sound of Silence を歌う。
https://www.bing.com/videos/search?q=the+sound+of+silence+youtube+&view=detail&mid=EBA0AF331C1E5393E278EBA0AF331C1E5393E278&FORM=VIRE

ぼくの新しい車は燃費がいいばかりでなく、運転しやすい。安定している。この前の車は、加速がいいが、抑えるのが大変だった。2度追突事故を起こした。不幸中の幸い、大事にならずにすんでよかった。


Wednesday November 21, 2018

朝起きて外を見たら、かなり霜が降りている。寒い。カメラは必要ないかと思ったが、玄関を出るときには、手にカメラがあった。無意識のうちに持っていたようだ。習慣とは恐ろしい。でももってでてよかった。というのは、お寺に上がる坂を上ったら、銀杏の木が葉を全部落としていて、あたり一面黄色の絨毯。昨日まではしっかり葉は木についていた。この村に戻ってきてから、36年。こんなに見事に銀杏の木の落葉が撮れたのは初めてだ。






Tuesday November 20, 2018

ようやく光が見え始めた。昨年末から考えていた歌がようやく日の目をみそうだ。できたら今週末のオープンマイクで歌ってみたい。

昔、世界史のクラスで学んだことがある
第一次大戦は始まったのは
オーストリアの皇太子が、サラエボで
セルビアの青年に殺されたからだと

でもそのクラスで学ばなかったことがある
それは1918年、戦争が終わったあと
イグナッツ・ヤン・パデレフスキが
独立ポーランドの初代首相になったこ




パデレフスキは31歳のときにアメリカではじめてコンサートを開いてから80歳で亡くなるまで1500回以上コンサートを開いたという。特に女性のファンが多かったとのことだが、この風貌に女性は魅せられたに違いない。

Monday November 19, 2018

福島慶道老師に初めてお会いしたのは、1963年2月、柴山全慶南禅寺管長の侍者としてUCSBへ来られたときである。そのときはまだ元照という名前であった。その最初の出会いから、2011年3月にお亡くなりになるまで、大変お世話になった。



柴山老師が説明して下さっている間、侍者の福島さんは警策(けいさく)を前に置き、微動だにせず坐っていた。その晩彼は一言もしゃべらなかった。それでも彼はその沈黙によってわれわれに多くを語った。ぼくたちはその晩みんな福島元照という若い雲水に恋をしたのである。(p. 162 「追憶の60年代カリフォルニア」

彼の著書はほぼ全部持っている。それらの本の中で、最近読み返して、もっとも福島老師のありのままの姿というか肉声が感じられた本は趙州録提唱(2013年 春秋社)である。最近少しずつ再読していると、老師が近くで話しているような錯覚に襲われる。

それでは、いま自分が言ったように、かりにお釈迦さんが中国人だとして、中国で仏教が起こったとして、仏教は全く別の本質をもった宗教になっただろうか。これは変わらないでしょうね。というのは、お釈迦さんという個人の、その宗教体験というものが、その悟りの体験というものが、仏教の基礎であるからだ。それが一番の基礎だ。表現は変わるかもわからんが、「縁起なるゆえに、無自性空」というお釈迦さんのお悟りの体験の内容は変わらない。宗教の世界では体験を無視したら宗教は成立せんのだ。(p. 62)



Sunday November 18, 2018

Masaki と Chiaki は回転ずしが大好きだ。いままでに3軒の異なる回転ずし店へ行ったが、かっぱ寿司が一番好きなようだ。理由は単純明快。注文したお寿司が新幹線で運ばれてくるから。Masaki はすわるところも、ボックス席ではなくカウンターが好きで、自由にタッチパネルをあやつって好きなものを注文している。今日も夕食を食べに行こうということになり、早めにでかけた。カウンター席に大人4人、子供2人が並んですわるためには、早めに行く必要がある。4時半着。少し待ったが、カウンターに並んですわることができた。

回転寿司の世界も競争が激しいに違いない。この店にきたのは今年3回目だが、以前よりも格段に美味しくなっているように思えた。

回転寿司店へ向かう車の中。いい笑顔のChiaki と Masaki。




Chiaki と Masakiといえば、彼らの日本語能力には驚かされる。Chiakiは今1歳8ヵ月になるところで、片言をしゃべるだけだが聞く力はかなりある。Masakiは小学校へ4月から通っていて、日本語の話す力も聞く力もかなりついた。二人の会話はほぼすべて日本語である。Chiakiは「隣のトトロ」が大好きで、ほぼ毎日見ている。おかげでぼくも今まで見たことのなかったこの名作を、何回かにわけて、見ることができた。


Satuday Novemb er 17, 2018

オープンマイク初回出演順(敬称略):長島功、坂井俊水、佐藤学、フランケン池上、三浦久。











長島君の新曲「迷子」はいい。言葉もさることながら、身体が反応する。キャッチ―なメロディとリズム。坂井君の「ぼくらの夢」は何度きいても素晴らしい。傑作である。長島君の小学生のころからの友人、佐藤さんは1985年、オーリアッドがオープンしたころ来たことがあるとのこと。「オーリアッドには、世間の時間とは別の時間が流れている」という。誉め言葉と受け取っておこう。池上さん、今日は彼が以前属していたバンド「ボノボ」のレパートリー「走れ飯田線」を歌う。前にも聞いたことがあるが、名曲である。武居先生が聞きに来てくれた。ぼくが久々に日記を更新したのをみて、とのこと。これからはあまり休むことなく書きたいと思う。が、どうなることか。

次回のオープンマイクは、駒ケ根在住のイギリス人ジョン・バーズさんが出演する予定。仕事の都合で、後半のみとのこと。田中君も、新曲を披露しにきてくれるはず。その次の12月1日はオーリアッド臨時休業のためオープンマイクはありません。ご注意ください。


Friday November 16, 2018

11年目のシニア大学。前半は散々のでき。後半なんとか挽回できた、ような気がする。しかしここ2週間ほどの翻訳疲れのせいか、もうひとつ精彩がなかった。帰路、ながたの湯へ。空いていてゆっくり入ることができた。疲れがとれたかどうかわからないが、いい湯だった。


写真は事務局の浦野さんより。

Thursday November 14, 2018

午後2コマのクラス。先週休講したことを謝り、来週の中間テストについて語る。範囲はジョブズのスピーチのfirst とsecond story。最後に授業評価のアンケートをとる。ひとり「すべての授業の中で一番楽しい」と書いた学生がいた。そう感じてくれたなら嬉しいことだ。しかし、楽しいだけでなくおおいに勉強になったということであれば、もっと嬉しい。毎回同じなのが、板書が読みずらい、筆記体が読めないというもの。注意はしているのだが、これはなかなかなおらない。

ベルがなり、機材を片付けているところへ、ひとりの男子学生がやってきた。「ぼくの両親も三浦先生の授業を受けたとのことです」。これには驚いた。おそらく両親は18歳か19歳のころ同じクラスにいたに違いない。長い時間が経ったことがわかる。この学生が両親と一緒に All My Loving や Blowing in the Wind を歌っているところを想像するのは楽しい。

            ■






















Wednesday October 4, 2018

今日は気分よく学校から帰ってきた。午後の4時間目のクラスが終わった後、ひとりの学生が近づいてきて、言う。「6月に受けたTOEICのテストが700点を超えていたので、授業を受けなくても単位が認定されることになりましたが、このクラスはおもしろいので受けてもいいですか」。「もちろん」と応える。単位に関係なく受けたいという学生は大歓迎。今学期ぼくが教えている3クラスには優秀な学生が多い。うかうかしていられない。半年休んで、先日復帰したが、いいものである、こんなふうに若者とかかわることができるというのは。

                         ■

Monday September 16, 2018

敬老会 at 徳水館





Saturday September 15, 2018

オープンマイク、初回出演順(敬称略):長島功、三浦久、田中創、赤羽真理。田中君がくるときは最後にいつも歌ってもらう Sweet Home Chicago が今日はとてもよかった。





Friday September 14, 2018

夜8時、BSで雲切仁左衛門4の2週目を見た。ストーリーはほぼ毎シリーズ同じだが、なぜか魅かれるドラマである。最近はあまりテレビを見ることがなくなったので、先週からこのドラマのエピソード4が始まっているのに気づかなかった。

Thursday September 13, 2018

隣家のおじさんの葬儀。




Tuesday September 11, 2018

小野藤沢の杣人、中村さんを訪ねる。奥さんともども笑顔で出迎えてくれた。電話では話したことはあるが、会うのは久しぶり。最後に会ったのは腰痛で入院している病院に彼を見舞ったとき。多分今年の1月か2月。元気そうで何より。



コーヒーをご馳走になったあと、近所を歩く。先日の台風で折れた木がまだ屋根にのったままの家があった。近くの神社の樅の大木も1本折れていた。樅の木は重い。撤去作業は大変だろう。



日本ミツバチの巣箱の横にいるのは近所の友人というよりも親戚の方。西洋ミツバチは攻撃的だが日本ミツバチはおとなしいとか。ほとんど自給自足の生活。大変と思う反面、羨ましくもある。






帰宅後しばらくして、明後日の葬儀の打ち合わせに隣家へ。ぼくがこの村に戻ってきたとき、隣組の葬儀となると、丸2日間、各戸2人参加することになっていた。葬儀はお寺で行われ、2日間自分たちの食べる食事と精進落としの料理を作った。葬儀にはつきものの天ぷらを揚げたり鯉こく(、鯉の味噌汁)をつくったりした。それがいつの頃からか、葬儀は精進落としの料理も含め、プロの葬儀屋に任せ、葬儀用の会館で行われるようになった。以前は、古いやり方に批判的だったし、今さらながら昔に戻ることはできないが、最近いくつかの葬儀に出て、昔のやり方にちょっぴり懐かしさを感じていることも確かである。


Monday September 10, 2018

朝食後、1の畑の藤棚のまわりの草を刈り払い機で刈る。夏の前半は雨が降らなかったが、ここにきてよく降る。草はわが意を得たりとのび放題。ぼくの腰ほどの長さのものもある。途中雨が激しく降り始めギブアップ。

午後7時、近所のおじさんの訃報が届く。隣組長として隣組のみなさんにあかすために暗闇の中、懐中電灯の灯りをたよりに歩く。享年86歳。歳に不足はないが、ご家族にとっては大きな悲しみだろう。ご冥福を祈る。


Sunday September 9, 2018

朝7時、村の公民館の庭の草取り。来週月曜日の敬老会の準備のため。参加者の多くは祝ってもらう人たち。草はほとんどなく、短時間で終わる。

秋場所初日。稀勢の里の相撲から見た。勢を寄り切って勝った。これだけでは何とも言えないが、しばらく勝ち星が続けば、往年の勘を取り戻すかも。御嶽海の相撲はみれなかったが、星取表によると正代を押し出して勝っている。先場所は優勝したものの横綱不在の場所だった。大関になれるかどうか、今場所にかかっている。

Saturday September 8, 2018

オープンマイク。出演者(初回出演順、敬称略):萩野旺亮、畑春彦、坂井俊水、長島功、味沢ひろし、三浦久、赤羽真理。16歳の萩野君、初登場。クラプトンやグリム・スパンキーのカバー。初々しい、のびのびとしたボーカルとギター。今後どのように成長していくか楽しみである。ジャズ喫茶 Kanoya の再建に情熱を傾けている畑さん。伊那谷の音楽シーンも徐々にかわりつつある。確かに時代は変わりつつある。

味沢さんの小野さんの言葉に曲をつけた「もしもあのとき」は実にいい。小野さんのことばはもちろんのこと味沢さんのメロディも。良いことばが良い音楽を導き出したような。


Friday September 7, 2018

町の中学校へ読み聞かせに行く。昨夜から何を読むかまよっていたが、先日届いた久重さんの手紙についてぼくが書いた文を読み、その手紙に書かれていた「果樹園の道」を一緒に歌うことに。久重さんの手紙は、息子が韓国の女性と結婚し、昨年8月初孫が生まれ、先月、1歳の誕生祝いにソウルへ行ってきたと綴られていた。彼女はそのお祝いの席で、アカペラで「果樹園の道」を歌ったのである。この歌はぼくのCD『祈り』に収められていて、歌詞カードには韓国語の歌詞がカタカナで記され、そのあとに日本語の歌詞が添えられている。日本語の歌詞は直訳ではなく、ぼくの若干の創作が含まれている。彼女がぼくのクラスにいたのは、ほぼ40年前。来年1月には還暦を迎えるとのこと。ぼくが歳をとるのも無理はない。

中学生たちは大きな声で歌ってくれた。もっと一緒に歌っていたかったが、あっという間に10分は過ぎてしまった。是非この歌を覚えて、折に触れて歌ってほしい。国と国の関係は政治家たちが決めるのではない。ささやかであっても互いの文化を享受しあうところから始まる。

札幌の川股君から今夜8時40分ごろ電話があり無事が確認された。地震以来丸2日停電していたとのこと。我が家も今週火曜日の夕方から水曜日の夕方までほぼ24時間停電していたので、その大変さはよくわかる。


Thursday September, 6, 2018

昔、祖母や母が病院からもらってくる薬の多さに驚いたものだが、ぼくが今その状態である。今日は定期検診の日。病院につくと先ず採血と採尿。採血は問題なかったが、採尿には閉口した。日ごろはどちらかというと頻尿気味だが、いざとなるとなかなか出てこない。結局採尿は検診のあとにさせてもらう。

最近は家にいることが多く、血圧のくすりをちゃんと飲んでいるせいか、あるいは気候のせいか、今日病院ではかった血圧は上が135下が84だった。ちょっと信じがたい数字である。

今日処方された薬は:アレテック錠、エブランチルカプセル、エパデール900(以上血圧の薬)、ハルナール(排尿障害改善)。以上はいつもの薬。今回は、これに加えて、ここ数か月声が出ずらいというと、次のクスリを一週間分処方された:クラリシッド錠、ムコダイン錠、メジコン錠。いずれも咳や痰を抑える薬のようである。これで効かなかったら、耳鼻咽喉科へ行くことを勧められる。声がでずらくなったのは単なる老化現象かもしれないが、できることならもう少し歌いたい。


Wendesday September 5, 2018

昨日午後6時より今日の午後6時まで停電。24時間の停電は多分生まれて初めて。いかに今の生活が電気に依存しているか身にしみた。

それにしても台風21号は多くの被害を各地にもたらしたものだ。大阪や京都の被害が甚大だ。

我が家の土手に生えている小柿の木の枝が2本折れた。春夏秋冬変化して美しい姿を見せてくれていたが、無様な姿になってしまった。これほどの被害は初めてだ。幼い時に住んでいた4年間を含めて。







停電の原因は徳本水に生えている何本かの大木が台風の風に倒されて電線を切断したことによるようだ。まずクレーンで折れた木を取り除き、そのあと、電線を接続する工事をして、午後6時、24時間ぶりに電気がきた。ありがたかった。







今日昼過ぎ、松本から信大の先生、フレッドが自転車でやってきた。善知鳥峠は厳しかったようだが、それでもケロッとしていた。タフである。電気がなかったので、家ではオブンが使えなかった。オーリアッドに移動してピザとサラダのお昼を食べる。彼のことは長い間知っていたが、あいさつ程度のつきあいだった。初めて今日多くを知る。





Monday September 3, 2018

夕方、村はずれにある郵便ポストに、10月13日に行われる京都精華大学創立50周年の記念式典に「欠席」する旨のハガキを入れにいく。12月に「ホームカミング」のイベントがあるとのことで、そちらには今のところ参加する予定である。

歩きながら写真を撮る。すっかり秋の空である。







今年は葬儀に参列することが多い。今日で5回目か。今日は2日前に亡くなった村の90歳の方の焼香にいってきた。奥さんはもう10年ほど前に亡くなったが、二人とも温厚な素晴らしい方々だった。Kさん、ご冥福をお祈りいたします。いろいろありがとうございました。


Sunday September 2, 2018

7時にサイレンがなり、防災訓練の開始。今年は4月からわが家が隣組長である。上の段から旧道に降りて、7組の出欠状況をチェックする。わが家からは孫たち2人を含む6人全員が参加。それから村の公民館まで歩く。消防隊員の消火栓の使い方の説明、奉仕団員の応急手当の解説のあと、小型ポンプの実施訓練。そのあと、各隣組に分かれて、消火栓のチェック。

Masaki はいつものように好奇心旺盛、セキギョクテキに参加する。積極的過ぎて怪我をしたら大変だが、消極的で、ものおじしているよりはいいだろう。







午後、家人に促されて、カボチャ畑の整理。猿対策のために使った金網や杭の撤去。これが時間がかかる。しかし、この網のおかげで、たくさんのカボチャがとれた。25個はとれたのではないか。坊ちゃんカボチャという種類。小さいけれど、味はいい。左のカゴにはいっているのは茗荷。薬味としては茗荷の右に出るものはない。





Saturday September 1, 2018

午後、中学時代友人が、埼玉県から先祖の墓参りにきたついでに立ち寄ってくれた。1時間ほど四方山話。彼女の息子が遊んでくれたので Masaki も Chiaki も大喜び。







夜、オープンマイク at OREAD。初回出演順(’敬称略):長島功、坂井俊水、味沢ひろし、三浦久、赤羽真理。期せずして、それぞれの喜びや悩みをかたる味わい深いオープンマイクになった。味沢さんは、前半は若いころに書いた詩の朗読三篇。

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