スプリングスティーンの『ザ・ライジング』を聞いて
                     
                         

ブルース・スプリングスティーンは、初期の作品から一貫して、アメリカの夢に裏切られ、アメリカの社会の底辺でうごめいている者たち−夜毎に疾走する若者、ベトナム帰還兵、犯罪者、不法入国者、失業者−のことを歌ってきた。


特に「ネブラスカ」では、
10人の人を無差別に殺した殺人者に成り代わり、一人称で淡々と殺人の情景を語り、死刑宣告を受けたあとも、「俺たちがしたことに対して後悔なんかしていない」と歌う。

   やつらはなぜ俺がこんなことをしたか知りたがった
   この世には理由なくただ卑劣な行為というものがあるんだよ

という最後の2行を最初に聞いたとき、身の毛のよだつ思いがしたが、彼は、まるで善悪の判断を超越して、カメラマンが事件を撮影しているかのように語る。

彼はこの殺人者を表立って糾弾はしていないが、この殺人者を肯定しているわけではない。彼は、この歌を通して、「理由のない卑劣な行為」の背後にある「理由」を、なぜこの殺人者が、そのような行為にいたったのかという社会的な理由を、アメリカの夢に裏切られた者たちの思いを、この歌を聞く者に伝えようとしている。

彼の新しいアルバム『ザ・ライジング』は、ストーリーテラーとしての面目躍如たる作品がそろっている。愛する者を失った人たちの悲しみを、絶望を、彼は歌う。しかし、注目すべきは、彼の思いが、ワールド・トレード・センターの崩壊で命を失った者たちとその家族、そして「アメリカの夢」の象徴ともいえる
400メートルを超えるふたつのタワーの崩壊に怒り、悲しんでいるアメリカ人だけに向けられているのではないということである。「パラダイス」では、「ネブラスカ」で殺人犯人に成り代わったように、彼はテロリストの立場に身を置き、一人称で語る。

   川が黒く変わるところ

   君のバックパックから教本と
   プラスティックと電線を取り出し、キスをする
   君の唇には永遠の息吹

   市場の人ごみの中
   人々の顔をうかがい
   息をひそめ、目を閉じる
   そして天国を待つ
というファースト・ヴァースとセカンド・ヴァースによって、手製のプラスティック爆弾を群集の中で爆発させようとしている男の心の中の思いを描いている。

また、次のふたつのヴァースでは、「アメリカ人」と同じような、恋人、あるいは妻との日常の生活を彷彿させる描写もある。


ただ、この歌では、「ネブラスカ」ほどには、非情に徹していないようにも思われる。最後の部分では、殉教することを思いとどまっているかのような描写が見られる。


またスプリングスティーンは、「報復攻撃」を肯定する立場でないことを、「ワールズ・アパート」「レッツ・ビー・フレンズ」によって示しているように思われる。なんとか、ふたつの異質な文化が分かり合えるように、この悲劇を好機ととらえたいという姿勢がうかがわれる。

   この機会が次にいつくるかわからない
   好機はすぐに終ってしまうものだから
   ・・・・・
   君とぼくが違っていることは知っている

   歩き方も考え方も
   でも過去を歴史に追いやるときだ
   少なくとも話し合ってみよう

2001
年9月11日はアメリカでは、ボブ・ディランの新しいアルバム Love and Theft (愛と盗み)の発売日だった。いつもより遅れて届いた HWY61-L というメーリング・リストの投稿者の多くが、CDを買いにいく気になれないとか、手には入れたがどうしても聞くことができないと書いていた。その中でハワードという人が、数日前に聞いたという話を投稿していた。それは、ワールド・トレード・センターの悲劇の起こる3日前に、彼がエイミーという女性の両親から直接聞いた話である。

エイミー・ビールは、スタンフォード大学卒業後、アパルトヘイトが終わりつつある南アフリカへ行った。ネルソン・マンデラが彼女の英雄で、彼女は歴史的な平和と和解のプロセスに参加したいと強く思った。彼女は1年間ボランティアとして働いた。そしてアメリカへ帰る日の2日前、4人の黒人の若者に車から引きずり出され、殺されてしまった。4人は裁判にかけられた。彼らは、彼女について知っていたことは、彼女が白人だということだけだったと言った。裁判長は彼らに懲役
18年の刑を言い渡した。

しばらくして、エイミーの両親のところへ南アフリカから1本のビデオテープが届いた。それは、殺人犯の1人の若者の母親が泣き崩れながら、エイミーの母親に許しを乞うているテープだった。このテープがエイミーの両親を変えた。彼らはエイミーの生と死が意味を持つことができるためには、娘の理不尽な死に対する怒りや悲しみを乗り越えなければいけないと感じた。そして、その事件を引き起こした社会的・文化的な背景を理解しなければならないと感じた。


4年後、4人の若者は、「真実と和解委員会」に恩赦を願い出た。エイミーの両親は、委員会に恩赦を認めるよう嘆願するために、南アフリカへ渡った。南アフリカへ行く前に、彼らは、会社も家も売り、さらにいろんな団体から寄付を募り、「エイミー・ビール財団」を設立した。


今、数百人の人たちがエイミー・ビール財団と財団が支援する会社によって雇われている。エイミーの両親が最初に雇ったのは、エイミーを殺した4人の若者だった。彼らは今、財団を担う中心的な役割を果たしている。


ハワードは次のように投稿を締めくくっている。
彼らの話を聞いたとき、どうしてそんなことが可能だろうかと思った。言葉では理解できる。しかし、自分の娘に同じことが起こったら、彼らのように行動することは無理だと思った。しかし、今日の悲劇を目撃した後、ぼくはエイミーの両親と同じ場所に立つことを学ばなければならないと感じた。しかも今すぐに。時間はあまり残されていない。ぼくは今、世界の指導者たちが、人類のために、エイミーの両親が立っている場所に行くことができる地図を作成することを切望する。手遅れになる前に
スプリングスティンガ『ザ・ライジング』によって伝えようとしていることは、まさにこのエイミー・ビールの両親の思いではないだろうか。アルバムの最後の曲「マイ・シティ・オブ・ルーインズ」の最後のリフレーンが、そのことを示している。
   今ぼくは手を合わせ
   手を合わせ
   手を合わせ
   ぼくは主に祈る
   ・・・
   ぼくは祈る、主よ、信じる心を与えたまえ
   ぼくたちは祈る、主よ、あなたの愛を与えたまえ
   ぼくたちは祈る、主よ、失われた者たちのために
   ぼくたちは祈る、主よ、この世界のために
   ぼくたちは祈る、主よ、力を与えたまえ


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