レイルロード・オブ・ドリームズ」に乗って


木本よしのぶのアルバムを聞いてぼくが感じたことを一言で表すなら「懐かしさ」だ。しかし、それは単に昔を回顧する後ろ向きの懐かしさではない。その懐かしさには強い意志が伴い、過去と未来に開かれている。

そしてその過去と未来を結ぶものが今は廃線となってしまった「手宮線」である。彼は歌う、

   手宮線にはどこを探しても
   プラットホームはないけれど
   ゆっくり目を閉じて待っていれば
   やってくるはずさ
   おんぼろの魔法の汽車が


彼は手宮線に汽車が走っていた頃の小樽の町を懐かしむだけではない。その時代の人々のつましい質素な、それでいて豊かな生活を、自らの生活の中で生きようとしている。それは大量生産、大量消費の生活の対極にあるもの。彼の歌の中に、太陽ではなく月が何度も登場するのも、そのことと無縁ではないだろう。

映画『フィールド・オブ・ドリームズ』の中で、自分で作った球場を手放さなければならない瀬戸際に追い込まれたレイ・キンセラに、テレンス・マンという作家が、「球場を手放す必要はない」というところがある。テレンスは、多くの人々が、お金を払ってでもレイの球場を見にくるだろうというのである。彼はさらに次のよう続ける、
   彼らには、お金はあるが心の平安がない。彼らは観覧席に歩いていき、上着を
   脱いですわる。彼らは子供の頃、そこにすわり英雄たちを応援したことを思い出
   す。・・・まるで魔法の水に浸ったかのように、思い出が幾重にも蘇ってくる。手で
   払いのけなければならないほどだ。
ぼくが木本よしのぶのアルバムを聞いて思い出したのはテレンスのこのことばである。「今はなき手宮線に乗って」は「レイルロード・オブ・ドリームズ」ということもできる。

多くの作品の中で、木本は現代社会の「速度」に警告を発している。インドへの旅を歌った「12月の夏(バラナシという街で)」では、

   ガンジス河を目の前にすりゃあ
   何にもしていないのが一番さ
と歌い、さらに手紙を出すポストを探すのに半日かかってしまった「不便さ」を歌う。しかし彼はこの不便さを楽しんでいる。なぜなら、「こんなに遠くまできている」で歌っているように、

   風景をしっかり見たいなら
   歩いている速さが一番いい
からである。極めつけは「夕日がゆっくりと沈む速さで」である。

   ぼくは今高速道路を歩いている
   夜空にゃあぽっかり丸いお月様

  10
トントラックが道路を揺らし走り抜けた
   そのあとの静けさの音を聞きながら
10トントラックが轟音をたてて走り抜ける高速道路と、そこを歩く「ぼく」、そして頭上に輝く満月のイメージは鮮烈である。

このアルバムを聞いてぼくが感じた「強い意志を伴った懐かしさ」は、この歌をはじめアルバム全編を通して感じられる自らのライフスタイルを大事にする木本の姿勢からきている。それは「お金」ではなく、もちろんお金も必要ではあるが、「心の平安」により大きな比重をおいた生き方なのである。
音楽的には、友部正人や豊田勇造の影響が随所に感じられる。「ミスター・ソングアンドダンスマン」は友部に捧げられた歌であるし、彼らの歌のいくつかを髣髴させる歌詞やメロディもある。
このアルバムを聞くと、60年代に歌い始めたシンガーたちの影響が一世代若い人々に確実に受け継がれていることがわかる。雲散霧消してしまった日本の「カウンターカルチャー」が確実に小樽の町に根付いていることがわかる。

小樽の町だけではなく、日本の各地にまだ「レイルロード・オブ・ドリームズ」が走っていることを願わずにはいられない。

                 木本よしのぶ『ソング&ダンスマン』オリジナル・ライナーノート




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