もし今あなたが悲観的な気分に苛まれていたら
                     
「もし今あなたが悲観的な気分に苛まれていたら、確実な治療法があります。バーミンガムやミシシッピーやアラバマへ行きなさい。そこに住んでいる人たちを助けに行きなさい」と言って、ピート・シーガーは1963年にリリースされた実況録音盤の中で、「ウィ・シャル・オーバーカム」を歌い始める。
人はそれぞれ落ち込んだ気分から逃れるための治療法を持っているに違いない。ぼくにもいくつかある。ボブ・ディランの歌を聞くこと、裏山を走ること、積んでおいた本を一気に読むことなど。最近新たに、極めて有効な治療法を見つけた。それは、ピート・シーガー風に言えば、「もし悲観的な気分から逃れたいと思っているなら、ベトナムへ行きなさい」ということになる。
2月の終りにベトナムへ行ってきた。かつてサイゴンと呼ばれた街に一週間滞在した。戦争博物館や戦争孤児のための施設を見学した。また、クチという村にある戦時中に掘られた地下トンネルを見に行ったり、メコンデルタツアーに出かけたりもした。
60年代後半、カリフォルニアに住んでいた。だからベトナムには以前から関心があった。後年対抗文化と名づけられた若者文化はベトナム戦争抜きには考えられない。
1967年の夏、ヒッピー発祥の地、ヘイト・アシュベリーへ行ったことがある。その街角に立った時、その混沌と喧燥に圧倒された。通りは汚い格好をした長髪の男女で溢れ、公園ではコンサートが開かれ、人々は思い思いの方法で楽しんでいた。どこでも、見知らぬ人が「ピース」と言いながら微笑みかけてきた。ドラッグはいらないかと声をかける者もいれば、小銭を恵んでくれと近寄ってくる者もいた。
かつてサイゴンと呼ばれたその街で目撃した光景は、30数年前、ヘイト・アシュベリーの街角で目撃した光景に似ていた。そして、昭和20年代から30年代にかけて経験した信州の田舎の町での生活、貧しいけれども誰もが助け合いながら必死に生きていた生活をも彷彿させた。
道路という道路は、自動車、バイク、自転車、それにシクロ(人力三輪車)であふれていた。信号がない交差点が多く、四方からあらゆる乗り物が殺到してくる。歩行者優先という概念は存在しない。道路を横切るのは命がけ。ぼくは悲鳴の上げっぱなしだ。
人々は、老若男女みんな働いている。道の両脇にある店の他に、路上にも、様々な品物が並べられている。観光客を目当てに、みやげものを売り歩く者、新聞を売り歩く者もいる。両腕に抱えた「許可なく複製された」廉価本を売り歩く者もいる。著作権という概念は存在しないのだろう。複製されたCDも1枚1ドル。ビートルズもディランも何でも1ドルだ。
その間を物乞いが歩き回る。片足を失って松葉杖をついている者。枯葉剤ゆえか目をそむけたくなるほどに折れ曲がった身体をかろうじて台車に乗せて、手で漕ぎながら進んでいる者もいる。
買い物をして、財布を取り出すと、どこからともなく手が伸びてきてお金をせびられる。たいていは拒否したが、あまりにも気の毒で断れないこともあった。生まれたばかりの赤ん坊を抱いた顔色の悪い母親から「おとうさん」と呼び止められ、思わず小銭を渡したこともある。後でその話を親しくなったレストランのオーナーにしたら、「多くの場合、赤ん坊はレンタルだ」と言われ唖然とした。
買い物をする時は、値段の交渉から始めなければならない。値切るということに不慣れなぼくは、法外な値段で買わされたことが何度かあった。35ドルと言うのを30ドルまで値切って買った鐘が、翌日他の店では10ドルだった。
そんなくやしい思いをしながらも、その町を後にする日が近づくにつれ、不思議なことに気づいた。落ち込むどころかとても元気になっていたのだ。なぜだか分からなかったが、空港で買い物をしている時、その答が分かった。空港での買い物は自動販売機で物を買うのとほとんど変わりがなかった。人間的なかかわりが一切なかったのだ。この街で元気になったのは、嫌なことも含めてすべての経験に人間的なかかわりが濃厚だったからだ。
その時、60年代後半のアメリカの若者たちが求めていたものが実感として分かった。彼らは人間的なつながり、人間のぬくもりを求めていたのだ。50年代の豊さの中、郊外の衛生的な新興住宅街で、スポック博士の育児書によって衛生的に育てられた彼らは、ベトナム戦争という現実、つまり生きるか死ぬかという現実を前にして、人間的なぬくもりを求めていたのだ。彼らの試みの成否は別にして、ヘイト・アシュベリーでぼくが目撃した「狂ったような」光景はその現れだったのだ。
日本でも今、豊かになるにつれて、人と人の関わりが希薄になってきている。電車の中で化粧する現象はその象徴的な例だろう。豊かで衛生的ではあるが、人々の顔は、特に若者や子供の顔は、少しも幸せそうではない。
以上述べたことは通りすがりの旅人が見た皮相的な観察に過ぎないという謗りを免れないかもしれない。確かに、ベトナムは、貧困や若年層に広がるヘロイン中毒等、多くの問題を抱えている。中でも最大の問題はベトナム戦争が、自国民がふたつに分かれて戦った戦争だったということだ。戦後25年以上たった今でも、その傷跡は深い。
しかし、多くの問題を抱えながらも、ベトナムの人たちは今必死に生きている。そのエネルギーには目を見張るものがある。日本人が失ってしまった多くのものを彼らは持っている。彼らを見ていて思った。生きるために人を殺す人はいるかもしれないが、殺してみたいと思って殺す人はいないだろうと。
「もしあなたが今悲観的な気分に苛まれていら」、早めに身支度をして、航空券の予約をすることをお勧めします。


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