「話せば長いんですが、実にいい話なんです」
  ―ストーリーテラーとしてのブルース・スプリングスティーン
                             
映画『フィールド・オブ・ドリームズ』の主人公、レイ・キンセラは、アイオワの田舎町からフォルクスワーゲンのバンに乗って、はるばるボストンまで、敬愛する作家テレンス・マンに会いに行く。
かつては反体制運動にかかわっていたテレンスだが、今や隠遁者の如き生活をしていて、レイが何度ドアベルを鳴らしても会おうとしない。しかしレイは執拗に食い下がり、最後には力ずくで部屋に押し入り、なんとかテレンスに話を聞いてもらえることになる。
レイがテレンスに言う。「野球の試合にお連れしたいんですが。今夜のレッドソックスとアスレチックス戦です」
突然見知らぬ男から、野球の試合に連れて行きたいと言われ、「何だって。おまえは頭がおかしいにちがいない」と当惑するテレンスに、レイがすかさず言う。「話せば長いんですが、実にいい話なんです。野球場へ行く途中でお話しますよ」
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「話せば長いんですが、実にいい話なんです」という台詞はブルース・スプリングスティーンの歌の前置きにぴったりだ。彼は人生の途上で出会った人々や見聞きした出来事から、様々な物語を紡ぎ出す。
彼の歌は、リアルであれフィクショナルであれ、彼が見たり、彼が感じたりしたアメリカ社会の様々な側面を写し出す。だから、彼が「学校よりも3分間のレコードから多くのことを学んだ」と歌ったように、ぼくたちは彼が語る物語からアメリカ社会について学ぶことができる。
彼の物語の多くはハッピーエンドではない。彼が扱う主題は、多くの場合、アメリカ社会の底辺で蠢いている人たち―アメリカの夢に裏切られ続けても何かを求めて疾走する若者たち、アメリカに戻っても居場所を見つけることができないベトナム帰還兵たち、殺人をはじめ様々な犯罪を犯した者たち、一攫千金を夢見て命がけで国境を越えてきた不法入国者たち、かつては繁栄していたが今はさびれてしまった製鉄所や工場で働く労働者たち―などである。それに、愛すれば愛するほど猜疑心に苛まれる男の気持ちを歌った歌や、彼の家族、特に父親のことを歌った歌も多い。
彼は10歳の時にエルヴィスの演奏を聞いてギターやロックに興味を持つようになったらしいが、歌の主題までエルヴィスに影響を受けたわけではない。10歳の少年が、歌の内容にではなく、ギターを弾きながら腰をくねらせて歌うエルヴィスの格好よさに惹かれるのは当然である。
それでは、歌の言葉や内容に関して彼に影響を与えたのは誰だろうか。それは、彼が多感なハイスクール時代に聞いたボブ・ディランであると思う。
先ず言葉の使い方であるが、特に彼の初期の作品においては、ディランの影響が顕著である。例えば、デビューアルバム『アズベリー・パークからの挨拶』の1曲目「ブラインディド・バイ・ザ・ライト」はディランの「サブタレイニヤン・ホームシック・ブルース」や「イッツ・オールライト・マ・アイム・オンリー・ブリーディング」の如く、ほとんど翻訳不可能な言葉が機関銃のように吐き出される。
Madman drummers bummers and Indians in the summer with a teenage diplomat
In the dumps with the mumps as the adolescent pumps his way into his hat
しかし言葉の使い方以上にブルースが影響を受けたのは、ディランの作品、特に初期の作品に見られる弱者への眼差しである。周知の通り、ディランはプロテストシンガーとして世に出た。彼は、多くのアーティストによってカバーされた「風に吹かれて」や「時代は変わる」ばかりでなく、多くのプロテストソングを書いている。反戦歌である「戦争の親玉」「神が味方」、人種差別に抗議する「オクスフォード・タウン」「ハティ・キャロルの淋しい死」、貧しい白人労働者の一家7人の心中事件を歌った「バラッド・オブ・ホリス・ブラウン」等、彼の初期の作品には優れたプロテストソングが多い。
ところがディランはケネディー暗殺を境にダイレクトに人差し指を突き出して糾弾する歌を書かなくなる。「単純な」フォークソングの世界から、難解なシュールな詩の世界へ入っていく。音楽的には、アコースティックからエレクトリックに移行する。
その過渡期に発表されたのが4枚目のアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』である。わずか一日で録音されたと言われているこのアルバムは、ディランの変化を考える上で極めて重要である。
『アナザー・サイド』から5枚目『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』にかけての変化を指摘する人が多いが、これらのアルバムにおける内容の変化は、その演奏スタイルほどにはドラスティックではない。むしろ3枚目『時代は変わる』から『アナザー・サイド』への変化の方が、内容的には注目に値する。しかもこのふたつのアルバムの間にはわずか半年の隔たりしかないのである。
この時期にディランに何が起こったかということは、拙文の主旨からそれる。『時代は変わる』に収められている作品のほぼすべてがプロテストソングだったが、『アナザー・サイド』ではプロテストソングは影をひそめてしまったと言うだけにとどめておこう。
ただその中に一曲だけプロテストソングと呼びうる歌がある。「チャイムズ・オブ・フリーダム」である。
ディランはこの歌によって何かを糾弾したり、抗議したりしてはいない。彼は仲間たちと、嵐を避けて身を寄せた大聖堂の戸口の中で、絶え間なく鳴り続ける雷鳴を聞く。彼にはその雷鳴が、虐げられてきた者たちのために鳴っている「自由の鐘」の音に聞こえる。

その鐘は、「戦わないことが強さである兵隊」「武器も持たず逃走する難民」「火あぶりの刑の業火に焼かれる追放者」「耳や目や口が不自由な者」「虐待され続けた孤独な母親」「間違った肩書きをつけられた売春婦」「不当な理由で投獄された無実の魂」「心に癒されることのない傷を負わされた者」「途方に暮れている者」「告訴された者」「酷使された者」「神経過敏な者」など、つまりこの「全宇宙の苦しみ悩む者たち」のために鳴っていたのである。
ブルースがカバーしているこの歌が収められている『アナザーサイド・オブ・ボブ・ディラン』がリリースされた時、彼は15歳だった。おそらく彼はこのアルバムを、そしてその直後に続くディラン絶頂期の3部作『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』『追憶のハイウエイ61』『ブロンド・オン・ブロンド』を、心の慄きとともに聞いたであろうことは想像に難くない。
「チャイムズ・オブ・フリーダム」の弱者への眼差しは紛れもなくブルースの多くの歌の中に感じられる。『明日なき暴走』の大ヒットによってロックミュージシャンとして成功した後も、その眼差しは変わらなかった。彼のアルバムを訳してきて感じることは彼の一貫した優しさと誠実さである。
彼自身が自らの作品をいかに考えているかということに示唆を与えてくれる発言がある。『ゴースト・オブ・トム・ジョード』のソロ・アコースティック・ツアーでアズベリーパークを訪問した時、彼は地元の新聞記者のインタビューに応えて次のように語っている。「今夜は、22歳の時に書いた歌も歌うし、40歳の妻帯者として書いた歌も歌う。すべてがうまく収まる。ぼくの作品はいわばひとつの連続小説だからね」
彼の今までのアルバムをひとつの連続小説であると考えると、第1章は、『アズベリー・パークからの挨拶』であり、現時点での最終章は『ゴースト・オブ・トム・ジョード』ということになる。
彼は物語の語り手として、まわりの景色と自らの内面の世界を、淡々と観察し、物語ってきた。善悪の判断は希薄である。まるでカメラマンが景色や事件を撮影するように、カメラを回してきたのである。
このように考える時、彼の作品が、同じところにとどまらず、常に変化してきたのは当然だということが分かる。彼は年と共に、時代の変化や内面の変化に敏感に反応し、それを作品にしてきたのである。彼がもし『明日なき暴走』の世界に固執し、その世界のみを繰り返し歌いつづけてきたならば、「小説」としては極めて魅力の乏しいものになっていただろう。
また彼の作品には、ひとつの立場からもうひとつの立場を糾弾するものが極めて少ない。そのこともまた、彼が観察者であり、「カメラマン」であるということから理解できる。彼はカメラを回し、まわりの景色を写しているだけなのである。警察やマフィアやヘルズ・エンジェルズなども善悪の判断の対象ではない。彼らもまたひとつの風景であり、人生という「サーカス」にはなくてはならない存在なのである。
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サイゴン陥落は遥か昔
俺が育った町にあったのと同じコカコーラの自販機
メスキートの茂る峡谷から橋を渡ってやってきた
俺と橋の下の兄弟たち
というヴァースから「ブラザーズ・アンダー・ザ・ブリッジ」は始まる。サイゴン陥落は1975年4月30日。アメリカで深刻なベトナム帰還兵の問題が生じてくるのはこの後である。改めてブルースの作品を読みなおしてみると、ベトナム帰還兵に言及した歌が多いことに気がつく。本書に収められた作品の中だけでも、「ヤングズタウン」「シャト・アウト・ザ・ライト」「ボーン・イン・ザ・USA」「ハイウエイ・パトロールマン」「ブラザーズ・アンダー・ザ・ブリッジ」「ガルヴェストン・ベイ」など、かなりある。
中でも、物語としての完成度が高いのは「ガルヴェストン・ベイ」である。リー・ビン・ソンは元南ベトナム政府軍の兵士で、サイゴン陥落後、家族を連れて難民としてテキサスの小さな町に移住する。機械工として働き、金を貯め、エビ漁船を買い、ガルヴェストン湾で漁業に従事するようになる。そこではすでにベトナム帰還兵のビリー・サターが同じ仕事についていた。そのうちに巷では「アメリカはアメリカ人のものだ」という話でもちきりになり、ある晩リーの船は3人の男に焼き討ちされる。燃えさかる炎の中、リーは2人の男を撃ち殺してしまう。裁判にかけられ、正当防衛で無罪になるが、リーが裁判所の階段を下りてくる時、「必ず殺してやる」とビリーが憎々しげに言う。そして―
夏の終わりのある晩
リーは岸辺で見張りをしていた
ビリーは手に軍用ナイフを持ち
物陰に隠れていた
月が雲の後ろに隠れ
リーはタバコに火をつけた
湾は鏡のように静かだった
リーが近づいて来た時
ビリーは深く息を吸い
ナイフをポケットにしまい
リーをそのまま行かせた
夜明け前の暗闇の中
ビリーは起き上がり
台所へ行き、水を飲み
眠っている妻にキスをし
海峡へ出て行く
そしてガルヴェストン湾に
網を投げる
まさにこの歌にはカメラマンがカメラを回している趣がある。ひとつのストーリーが淡々と語られる。教訓を伝えようという気負いも押しつげがましさもない。だからこそこの歌を聞き終わった時、静かな感動がある。いい映画を見た時のようにしみじみとした気分になる。
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ブルース・スプリングスティーンの父親、ダグラス・スプリングスティーンは1998年4月23日に亡くなった。ぼくが最初に訳したブルースのアルバムは『闇に吠える街』で、その後いくつかのアルバムを訳してから気がついた。彼のアルバムには必ず父親に言及した歌が1,2曲入っていると。

「ファクトリー」「アダム・レイズド・ア・ケイン」「独立記念日」「ぼくの父の家」「ウォーク・ライク・ア・マン」など。その多くは父親との激しい葛藤を歌っている。
彼の父親は一生ブルーカラーの労働者だった。敷物工場、タクシー運転手、刑務所の看守などの仕事を転々とした。息子がスーパースターになってからも、カリフォルニアでバスの運転手をしていた。
反骨精神のある父親だったらしいが、厳しいだけではなかった。子供たちが小さい時は、よく一緒にドライブに出かけたようだ。「父はドライブが好きだった。ぼくたちを乗せて、あてもなくドライブしたものだ」とブルースは述べている。「マイ・ホームタウン」のファースト・ヴァースに描かれているように、父親の膝に乗せてもらって、一緒にドライブする幼いブルースの姿が目に浮かぶ。
しかし、成長するにつれて父親との葛藤は徐々に大きくなる。彼の作品からふたりの対立はかなり激しいかったことが分かる。父親のことを歌った歌はフィクションなのかリアルなのかとブルースに聞いたことがある。答は「autobiogaphical」つまり「自伝的だよ」だった。ふたりが和解したのは、いやブルースが父親の悲しみを理解できたのは、彼の結婚式に参列した父に会った時であった。「ウオーク・ライク・ア・マン」がその時の情景を物語っている。
自伝的」といえば「イン・フリーホールド」である。1999年7月26日、ニュージャージーのイーストラザフォードでのコンサートでこの歌を初めて聞いた。彼が生れて育ったフリーホールドの町のことが歌われている。この歌にも父親が登場する。
フリーホールドにうんざりしていた親父は
この町を出て、30年間戻らなかった
ただ一度だけ3日かかってカリフォルニアからドライブしてきた
そして親戚のみんなに悪口を浴びせて出ていった
今、親父はハイウェイ沿いに埋められている、土の中に埋められている
彼の亡霊はフリーホールドのみんなに中指を突きたてている
最後の一行が利いている。昔は大嫌いだった父親に対する慈しみの気持ちに満ちている。
父親のことを歌った歌は多いが。母親のことを歌った歌は少ない。「ザ・ウイッシュ」のファースト・ヴァースは、おそらく、エルヴィスの歌を聞いた後のことだったのだろう。
雨と雪でぬかった汚れた通り
男の子と母親が
小さな楽器店をのぞいている
クリスマスツリーのてっぺんには
ひとつの星が輝き
その下には真新しい日本製のギター
ここからスーパースター、ブルース・スプリングスティーンが誕生したと思うと感慨深いものがある。
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ディランの作品が初期の頃から、極めて精神的であったのと比べると、スプリングスティーンが描いてきた世界は、精神的な救済というよりも、勤勉と努力と少しの幸運によって誰でも到達できると教えられてきた「アメリカの夢」を求める世界であった。そして、その夢の実現のために必要な乗り物は、決まったレールの上しか走ることのできない汽車ではなく、どこへでも自由に行くことのできる車だったのである。
ところが、新曲「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームズ」では汽車が登場する。
さあ切符とスーツケースを持って
汽車が轟音を立てて近づいてくる
行き先は分からない
空は暗くなりつつある
疲れていたらぼくの胸に頭を休めるがいい
持てるものを持ち
持てないものは置いていこう
ということばで始まり、次に「ジス・トレイン」という古いフォークソングを下敷きにしたコーラスが繰り返される。コーラスの部分の最初の4行は、
この汽車、聖者と罪人を乗せてる
この汽車、敗者と勝者を乗せてる
この汽車、売春婦と賭博師を乗せてる
この汽車、真夜中の放浪者を乗せてる
である。これは極めて象徴的である。本歌の「ジス・トレイン」に乗れるのは正しい者、信仰心の厚い者、神の掟を守る者だけであり、賭博師や売春婦は論外である。しかし、ブルースの汽車には誰でも乗ることができる。
ブルースは、自らの作品を「連続小説」であると見做し、第1章『アズベリー・パークからの挨拶』から現時点における最終章『ゴースト・オブ・トム・ジョード』まで、さまざまな世界を見せてくれた。様々なストーリーを語ってくれた。
そしてそれらのストーリーを通して分かることは、彼の成長と共に、彼のストーリーテラーとしての関心が、フリーホールドから、ニュージャージーへ、そしてアメリカ全土へ、そして最後には世界へと広がって行ったということである。
そしてそれは外に向かって広がると同時に、より内省的に、より深くなっていった.。その典型が『ゴースト・オブ・トム・ジョード』である。さらに、新曲「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームズ」に至って、彼の「連続小説」の方向が、より精神的なものになりつつあると感じられる。
これからいくつの章が付け加えられ、どのようなストーリーが語られるのか楽しみである。
from 『スプリングスティーン 36ストーリーズ』(DHC) 2001年5月

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