ローリング 60's ライブパーティー出演者


ひがしのひとしは、現在大阪枚方市在住だが、70年代初めは京都に住んでいて、そこで知り合った。ソルティー・シュガーの「鼻毛の唄」の作者として知られている。一昨年リリースされた彼のCD『水の記憶』は傑作である。「奇妙な星」「いつか還る空」「何も知らずに」など、素晴らしい歌がたくさん入っている。



拾得のテリー(寺田国敏)は、ぼくが69年秋京都へ行って出会った最初の友人。69年から70年にかけて、一緒にいろんなところで歌ったものである。現在は内外の多くのミュージシャンが絶大な信頼を寄せる京都のライブハウス「拾得」のマスター。「ドック・オブ・ザ・ベイ」を歌わせたら彼の右に出る者はいないだろう。



野間義男は、ぼくの3枚目のアルバム『ポジティヴリー寺町通り』(東芝EMI)のディレクター&アレンジャーであり、長いあいだ河島英五のバンド「スロー・トレイン」のギタリスト&リーダーだった。ぼくのアルバムのほとんどにギタリストとして参加している。最近お父さんになり、嬉しくも忙しい日々を送っている。



中村ブンは、「柔道一直線」「青春を突っ走れ」「太陽にほえろ」「必殺仕事人」などに出演した俳優で、ぼくのファーストアルバム『私は風の声を聞いた』(1974年、ワーナー)と同じ頃、ワーナーからアルバムを出した。70年代中頃、金沢かどこかでワーナーの企画で競演したことがある。現在、各地でコンサート、講演を行っている。



中山昭は、飯田市在住のイラストレーター。ブルーズ&ラグタイム・ミュージックの名手。ミシシッピー・ジョン・ハート風なあったかいブルーズを得意とする。飄々とした風貌、飄々とした演奏は、聞く者の心を癒さずにはいない。「フィッシング・ブルーズ」は必聴にあたいする。



藤原和義は、松本市在住のジャーナリスト。70年代初め、新宿の歌声喫茶「ともしび」で7週連続リクエスト一位の座を占めた「バラライカ」の作者。ぼくが好きな彼の歌は「カントリー・ワルツ」、それに彼自身の訳で歌う「テネシー・ワルツ」。



安藤則男は、かつてジョニー大倉バンド、喜多郎バンドでギターを弾いていた松本市在住のギタリスト。ボブ・ディランの歌をこよなく愛し、最近はディランの歌を全曲日本語で歌う試みを続けている。一昨年CD『G. Elegans』をリリース。



「ドクターふあ」は、松本市在住の精神科医、詩人。ぼくは彼が歌う「島」が大好きだ。70年代の後半、ぼくが京都に住んでいたころ、訪ねてきてくれたことがある。またぼくが松本へ歌いに行ったときは、まだ医学生だった彼の下宿に泊めてもらったことがある。



ボブ鈴木は、諏訪市在住のブルーズマン。ゆったりとしたレイドバックのブルーズを得意とする。長い間ジーンズショップを経営してきたが、このへんで一区切りつけ、新しい道を歩き始める覚悟を決めたようだ。そのことによって彼の音楽がどのように変化するか、あるいはしないか、楽しみである。



山田守人は、長谷村在住のブルーズマン。ブルーズバンド「パンジャ」のリーダー。ギタリストとして抜群の技を誇るが、ヴォーカリストとしての力量も並々ならぬものがある。エノケンの「私の青空」「ダイナ」「月光値千金」を好んで歌う。



赤羽真理は、辰野町在住のクリスチャン・シンガー。真理と書いてマコトと読む。レーナ・マリアの「森の小道」や「アメージング・グレース」を得意とするが、ぼくが一番好きなのは彼のオリジナル「千両梨の実」である。



三浦久は、かつて「70になっても小さな喫茶店の片隅で歌っていたい」と書いたことがある。60はまだ通過点。With a little help from my friends, これからも歌い続けるつもりである。

Written by miura, November 8, 2005

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