OREAD Diary



Friday 15 April 15, 2022

桜は今日の雨で散り始めたようだ。それにしても今年の桜は、咲き始めたと思ったら1日で一斉に花開いた。満開の桜は見事だが、コロナウイルスの蔓延と、ウクライナの惨状を目の当たりにしては、心が沈みがちである。なんとか早く戦争が終わり、平和が戻ってほしい。このような悲惨な戦争を茶の間にいて目撃するというのは辛い。



辰野中学1960年卒業のわが3年1組の桜もきれいにさいていた。数年前に見た時よりも木が大きく成長していた。

  


Tuesday March 1, 2022

プーチンによるウクライナへの攻撃は、予想に反してウクライナの善戦



Tuesday 18, January 2022



寒い朝。しばらくドラム缶で雑木を燃やしたあと、煙がでている方へ歩いてみる。まず昇さんが火を焚いていた。さらに歩いていくと豊さんが火を焚いていた。しばらく豊さんと話す。お父さんが飼っていた猫は今はたまには上に上ってくることもあるが、たいていは下の彼の家にいるとのこと。

御嶽海は今日は負けて9勝1敗。


Sunday 16 January , 2022

数年前にコンピュータがダウンしてからOread Diary も、 Word も Email もどこか不具合があって、思うようにならず、散々苦労した。先週から、下澤さんにきてもらって修正を頼んでいたが、今朝一気に解決したようだ。それはお金を払ってダウンロードしたマイクロソフト Office を回復するのを諦め、無料のソフトを入れてもらったからである。かなりOfficeにお金をつぎ込んだが、諦めよう。

午後、清々とした気分で村の上の段の道を歩く。昇さんが火を焚いていた。しばらく火にあたりながら話しをしたあと、潔さんに会いにいく。顔色もよく元気そうだ。まだ再入院の日は決まっていないとのこと。農作業の始まる3月の終わりころまでには元気に退院できたらいいのだが。




Monday 10 January, 2022



Sunday 26 December, 2021

昨日のオープンマイクは午後1時半スタート。 いつも使っていたNikon のデジカメが壊れてしまったので、Minoltaの一眼レフを使った。慣れていないので、写真を上手に撮れなかった。それで昨夜から今朝にかけて写真のアップに大苦戦。次回のオープンマイクは1月8日。その時には今朝届いたNIkonの brand new used camera を使うことができる。

    

寒い一日。夕方、畑で火を燃やす。座光寺さんからドラム缶を切ったものをもらってから畑の焚火が楽になった。

中村哲医師のドキュメンタリーを見た。前半と後半に別れていた。後半はみたことがあるが、前半は初めて見た。いずれにしろ子どものような純真さをもった素晴しい人だ。小田原の厨川さんから電話があり、小田原のかまぼこを送ってくれるとのこと。そのとき、これから有馬記念の競馬を見るというので、競馬の実況を見たことはないが、面白そうとぼくも見ることに。わずか5分足らずの競馬の前に延々と解説がつき、終わったあともまた延々と識者の感想が続く。ちょっと閉口した。


Thursday 23 December, 2021


今日は外国からいくつかの「季節の挨拶」が届いた。そのうちのひとつは、サンフランシスコに住む牧師さんから。ICUの後輩である。彼と面識はないのだが、共通の友人を通して知り合った。ぼくはすっかり忘れていたのだが、「送っていただいた2枚のCDを丁寧に聞いています。特に Field of Dreams がいい。私にとってアイオワは第二の故郷なのです」とあった。Field of Dreams が入っているCDはMessage である。かなり前に送ったにちがいない。続けて彼は次のように書いてきた。

 
私にとってアイオワは第二の故郷なのです。先年、牧師をしていた教会からわれわれ夫婦のための墓所を贈られ、墓石を定めたところです。人口700名のとても小さな町です。デンマーク移民が最初に住んだところで、昔は Dana College のあったところです。

アイオアにはぼくもかなりの思い入れがある。偶然ではあるが、ぼくの長い物語の歌の3つにアイオアが登場する。まず、Field of Dreams である。

 卒業後2人でアイオワへ行き
 74年7月結婚した
 その年の秋、父が死に
 数年後、キャリンが生まれた

次に「フランチェスカ」である。

 アイオアに来たときリチャードが言った
 「ここは子どもを育てるにはいいところだ」
 やがてマイケルとキャロリンが生まれ
 家事と育児に追われて20年が過ぎた

最後はもっとも新しい「パデレフスキー」だ。

 その言葉を聞いて思い出した
 彼はアイオワ出身の孤児だった
 私も母を早く亡くしたので
 助けてやりたいと思ったのだ


不思議だ。ぼくの物語の歌の3つにアイオアが登場するとは。

 



Sunday 12 September,2021

あの衝撃的な日からちょうど20年が経った。

アメリカによる報復攻撃。それによって、世界貿易センターで犠牲になった人たちの何倍、何十倍もの人々が亡くなった。



次の文は、2001年9月13日の日記の一部である。

                ■

一昨日の夜、つまり2001年9月11日の夜、マイケルに電話をかけた。今回のエッセイを書くにあたって、少し質問をしたかったのだ。電話を切って、階下に下りて行った。するとニュースステーションを見ていた妻が、飛行機事故があったようよと言った。ニューヨークの高層ビルに小型飛行機が衝突したとキャスターが言っていた、と言う。あわててテレビを見たが、すでに次のニュースに移っていた。急いでCNNにチャンネルを変えた。驚いた。世界貿易センターのツインタワーのひとつから大量の煙が出ていたのである。キャスターが何度かdeliberate (意図的な)とか deliberately(意図的に)と言うのが聞こえた。事故ではないみたいよとぼくは言った。

次の瞬間見たものを信じられなかった。右手の方から飛んできた飛行機が、ツインタワーのもうひとつのビルに突っ込んだのだ。ビルの影になって衝突した瞬間は見えなかったが、左上から上がった赤い炎と煙によって、飛行機がビルに突っ込んだことが分かった。CNNのキャスターは興奮して叫んでいた。チャンネルを回すと、日本の各局でもすでにこの事件の報道を始めていた。

ぼくはマイケルに再び電話をかけた。
「マイク、テレビ見てる?」
「テレビはないんだ」
そう言えば彼の家に泊まったとき、テレビを見た記憶がない。
「信じられないことが起こった。ワールド・トレード・センターに飛行機が突っ込んだんだ。ふたつのビルが今燃えているよ。まるでアルマゲドンかインディペンデンス・デイのよう」
「へー、驚いたな」とマイケルは言った。それ以上は何も言わなかった。

ぼくは電話を切り、再びテレビを見た。しばらくすると、ツインタワーが次々崩れ落ち、大量の白煙が巻き起こった。信じられなかった。ぼくはニューヨークの近くのヴァーモント州に住むテイヨーに電話をかけた。何度かけてもつながらなかった。彼が誰かと話していたのか、回線が混んでいたのか。

2年前の夏、ニューヨークへ行ったとき、テイヨーとエンパイヤ・ステート・ビルディングに上った。世界貿易センターのふたつのビルがすぐ近くに聳えていた。今あの建物は両方とも崩壊してしまったのだ。信じられなかった。心は、悲しみと怒りが混ざり合ったような不思議な感情に圧倒された。

21世紀になれば」「21世紀には」と、誰もが21世紀を待ち望んでいた。20世紀は戦争と殺戮の世紀だった。しかしこの新しい世紀が始まってわずか9か月で、世界は再び地獄を見ることになった。

9月11日はアメリカでは、ボブ・ディランの新しいアルバム Love and Theft (愛と盗み)の発売日だった。いつもより遅れて届いた HWY61-L というメーリング・リストの投稿者の多くが、CDを買いにいく気になれないとか、手には入れたがどうしても聞くことができないと書いていた。

その中でハワードという人が、数日前に聞いたという話を投稿していた。彼が、ワールド・トレード・センターの悲劇の起こる3日前に、エイミーという女性の両親から直接聞いたというその話を次に要約しよう。

エイミー・ビールは、大学卒業後、アパルトヘイトが終わりつつある南アフリカへ行った。ネルソン・マンデラが彼女の英雄で、彼女は歴史的な平和と和解のプロセスに参加したいと強く思った。

彼女は1年間ボランティアとして働いた。そしてアメリカへ帰る日の2日前、4人の黒人の若者に車から引きずり出され、殺されてしまった。4人は裁判にかけられた。彼らは、彼女について知っていたことは、彼女が白人だということだけだったと言った。裁判長は彼らに懲役18年の刑を言い渡した。

しばらくして、エイミーの両親のところへ南アフリカから1本のビデオテープが届いた。それは、殺人犯の1人の若者の母親が泣き崩れながら、エイミーの母親に許しを乞うているテープだった。このテープがエイミーの両親を変えた。

彼らはエイミーの生と死が意味を持つことができるためには、娘の理不尽な死に対する怒りや悲しみを乗り越えなければいけないと感じた。そして、その事件を引き起こした社会的・文化的な背景を理解しなければならないと感じた。

4年後、4人の若者は、「真実と和解委員会」に恩赦を願い出た。エイミーの両親は、委員会に恩赦を認めるよう嘆願するために、南アフリカへ渡った。南アフリカへ行く前に、彼らは、会社も家も売り、さらにいろんな団体から寄付を募り、「エイミー・ビール財団」を設立した。

今日、数百人の人たちがエイミー・ビール財団と財団が支援する会社によって雇われている。エイミーの両親が最初に雇ったのは、エイミーを殺した4人の若者だった。彼らは今、財団を担う中心的な役割を果たしている。

ハワードは次のように投稿を締めくくっている。

彼らの話を聞いたとき、どうしてそんなことが可能だろうかと思った。言葉では理解できる。しかし、自分の娘に同じことが起こったら、彼らのように行動することは無理だと思った。しかし、今日の悲劇を目撃した後、ぼくはエイミーの両親と同じ場所に立つことを学ばなければならないと感じた。しかも今すぐに。時間はあまり残されていない。ぼくは今、世界の指導者たちが、人類のために、エイミーの両親が立っている場所に行くことができる地図を作成することを切望する。手遅れになる前に。

事件から2日後、ぼくはまたマイケルに電話をかけた。
「マイク、テレビ見た?」
「昨日、隣りの家で見せてもらった」
「どうだった?」
It's stupid. アメリカにいるアラブ人が迫害されなければいいけれどね」
「もう現実に起こっているようだよ」
「ブッシュはカウボーイだからね。心配だ」

『真昼の決闘』では善と悪がはっきりしていた。ゲーリー・クーパー演じるところの保安官ケインはどこから見ても正義そのものだ。ケインによって刑務所に入れられ、刑期を終えて出所し、仕返しに来たフランク・ミラーと彼の仲間はどこから見ても悪だ。

しかし、紀元前の昔からいがみ合い殺し合ってきた対立する人たちのどっちが善でどっちが悪かを判断 するのは難しい。もちろん、今回の事件の首謀者たちを擁護する気持ちは毛頭ないが、ジョージ・ブッシュがゲーリー・クーパーを気取って、無謀な報復攻撃に出ないことを願っている。これ以上無意味な血がながされないことを願っている。

あの日以来、ぼくの頭の中では、ディランの「風に吹かれて」のワン・フレーズが繰り返し流れている。

いくつの死が必要なのか
あまりにも多くの人が死んだと知るまでに
How many deaths will it take till he knows
That too many people have died?

   

 

Friday 10 September, 2021

久々の青空。長い間、雨だったり曇りだったりしたが、今日は朝から青空が広がっている。それに呼応するかのように、アサガオも今朝は生き生きと花開いている。ヘブンリーブルーという名のアサガオ。

















Thursday 27 May, 2021

一日中雨。あまり激しい雨でなく、雪が少なかった冬の埋め合わせをするかのように、静かに止むことなく振り続けた。

先日、蔓バラの枝を挿し木した。雨の中、根付いたかどうか見に行ったら、背の高い枝の葉はしおれかけていたが、短い枝の葉は生き生きとしていたので、おそらくつくだろう。その挿し木の近くに四つ葉のクロバーがあった。何かいいことがあってくれればいいが。



一昨日、下の姉から電話があり、ご主人が亡くなったと知らされた。膵臓ガンだったとのこと。膵臓のがんというのは見つけずらいし、見つけたとしても治療がむずかしいということをスティーブ・ジョブズの2005年スタンフォード大学卒業式記念講演で知った。彼は学生時代から硬式テニスを行い、会社を退職してからも毎週欠かさずテニスをしていたというから、長生きするだろうと思っていた。そういえば、今年は彼から毎年欠かさず届いた版画の年賀状が届かなかった。今年はぼくも年賀状に関してはずぼらで、来た人だけに返事を書いたので、彼からの年賀状が届かなくても気にしていなかった。

Monday 17 May, 2021

今日から新しい朝ドラが始まった。舞台は東北、登米市である。ぼくの父は宮城県佐沼町で生まれた。佐沼は今、登米市の一部になっている。祖父母が仕事の関係で佐沼に住んでいたのである。今から思えば、96歳まで生きた祖母から、亡くなる前に、佐沼のことについてもっと聞いておけばよかった。

Friday 30 April, 2021

今朝は朝から辰野病院の眼科へ。左前の白内障手術は昨年9月におこなったが、今度は右目の手術を5月11日にすることになり、今日はそのための打ち合わせと診察。眼科は混んでいた。白内障を患う人が増えたのか、あるいは、コロナウイルスの脅威に慣れてきて、人々が病院に戻りつつあるのか。


Wednesdday 28 April, 2021

家人に頼まれ、管理機で、3の畑にブロッコリーと白菜のための畝を1本掘り、牛ふんの堆肥を入れる。山の麓を見ると、以前ビーバーで半分切ってしまった梅ノ木の根元からたくさんの枝が出ている。家の電源からコードを繋いで、折れた太い幹と細い何本もの枝を電動ノコで切りとる。その近くに、2年ほど前、挿し木した桜の木が2本根づいていた。根がついた1本には、もう終わりかけだが、花もついていた。完全にネグレクトしていたのに、ちょっと感動。これからは少し肥料もやり、蔓科の植物がまとわりつくのを防いでやれば、来年はきっと、たくさんの花を咲かせてくれるだろう。


4月もそろそろ終わる。この1か月、何もせず、ぼーっと過ごしてしまった。1973年4月から始まった英語教師の仕事が3月で完全に終わった。45年以上の教師としての仕事でたまった疲れが身体の底にたまっているかのよう。5月になったら、もう少し規則正しい生活にもどらねばならない。


Sunday 25 April, 2021

朝、昨夜のオープンマイクの写真をフェイスブックに載せたあと、参議院議員補欠選挙の投票に出かける。野党の候補が、世襲議員候補であることがきになるが、それでもここ10年ほどの与党の「悪政」を思うと、与党候補に投票する気にはなれない。午後10時過ぎ、開票結果が出た。羽田次郎さんが当選。長野県ばかりでなく、広島でも北海道でも、野党候補が当選。おまけに、名古屋市長選でも、河村氏が当選。

毎日新聞「菅政権で初の国政選挙となった衆参3選挙。与党は「政治とカネ」の問題が逆風となり、「全敗」が決まった。保守地盤が厚い参院広島再選挙を落としたことは痛手で、菅義偉首相の足元を揺るがす結果となった」


Thursday April 22, 2021

農業用ハウスの周りに、猿対策を施す。







Wednesday April 21, 2021

Homepage builderの不調ゆえに、Oread Diaryが自由に書けずにいた。3月いっぱいで教えることから解放され、完全にどこにも属さない freelancer になったので、4月から Diary を再開しようと試みたが、builder の不調はますます激しくなって、完全に out of control だった。シリアルナンバーを求められたが、どこを探しても見つからない。

そこで仕方なく、新しくHomepage Builder を購入することにし、以前コンピュータのことでお世話になった 現在Epson に務めている下澤さんに連絡をとり、昨夜最新のホームペイジ・ビルダーをインストールしてもらった。彼のおかげで、昔のオーリアッド日記も保持できた。が、ぼくがかなり操作を忘れている。先が思いやられる。

昨日、アルプス市場で購入した藤の苗木を藤棚の一角に植えた。うまくついてくれるといいのだが。




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