OREAD Diary
September 1 〜 30, 2011

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September 30, Friday 2011

9月も今日が最後。明日から10月、神無月。

昨夜遅く、一泊の小旅行から戻ってきた家人が、庭が広く明るくなっていると驚く。庭にあった最も大きかった2本の木がなくなっている。

午前中、新しいアルバムのためのライナーや曲目紹介などを書く。9月いっぱいには書き終えたいと思っていたが、もう少しかかりそう。

午後、町内にオフィスのあるふたつの新聞社に、10月15日(土)の太田裕士カルテットJazz Live の記事をお願いしに行く。

夜、オーリアッド。明日1時から、貸切で小さなコーラスグループの発表会がある。8名全員がステージに上れるように、不要なものを整理する。マイクは使わないとのことで、マイクスタンドも裏の物置へ。

そこへ、お客さん。誰かと思ったら「きらきら音楽旅団」のベーシスト、松橋さん。用事があって近くまで来たとのこと。9月15日に生まれた赤ちゃんの写真を見せてもらった。可愛い女の子。名前は果穂とのこと。いい名前である。信州の今のシーズンにぴったり。

10月15日のライブには、奥さんが赤ちゃんと家に戻ってくる日で、ライブには来られないとのこと。「パット・メセニーやマーカス・ミラーと共演してきた人がくるなんてすごいですよね」と残念がっていた。パット・メセニーは知っていたが、マーカス・ミラーは知らなかった。松橋さんによれば、若いうちからマイルズ・デイヴィスのレコーディングに参加した天才的ベーシストらしい。

パット・メセニーやマーカス・ミラーと共演してきたというその人は太田裕士カルテットのドラマー、青木延明さん。1961年生まれ。小曾根バンドにてプロデビュー。バークリー音楽大学卒。

辰野の町で本格的なジャズの演奏を聞くチャンスはそう多くはありません。是非お出かけください。

  日時:2011年10月15日(土)午後6時半開場、7時半開演
  会場:オーリアッド
  出演:太田裕士(sax)、青木延明 (drums)、
  浜本銘二 (bass)、佐久間淳(keyboard)
  チケット: 予約・前売り:2000円 当日:2500円
     miura@secondwind.jp 0266-41-3611



September 29, Thursday 2011

午前11時半から午後1時まで、蟻ヶ崎高校の格技室(小さな体育館)でトークライブ。将来人文系の大学に進学を希望している70名ほどの一年生が対象。この日はテストが午前中で終わり、全学をあげて大学の先生による模擬授業などが行われたようである。

機材を運んでいたら、ひとりの年配の先生がぼくを横目で見ながら歩いているのに気づいた。立ち止まるかなと思ったら、そのまま通り過ぎて行かれた。と思ったら、戻ってきて「三浦先生ですよね」と話しかけて下さった。先生のお名前をお聞きして、先生が美須々ヶ丘高校の進路担当をしていたとき何度かお会いしたことを思い出した。

2002年3月に、専任教員を辞めるまで、年に何度か学生募集のための高校訪問をした。蟻ヶ崎にも何度かきたことがある。

ぼくが話をした生徒たちはまだ高校一年生。話の途中、前列にすわっていた女性徒に「何年生まれ?」ときくと、「1995年」とのこと。1945年生まれのぼくとはちょうど半世紀の隔たり。大学受験までにはまだ時間がある。将来何をしたいのか具体的には決められていなくても無理はないが、どの分野に進もうと、英語とコンピュータを使う能力は将来必ず役に立つ。今のうちからしっかり勉強しておいてほしい。ただ、英語もコンピュータも道具に過ぎない。その道具を使って何をしたいか、自分がこの人生で何をしたいかは、時間をかけて決めたらいい。

就職のことだけを考えて大学や専攻を決めることはできれば避けてほしい。就職難のこの時代にこんなことを言うのは非常識だと重々承知しているが。

スティーブ・ジョブズ、ジョン・ニュートン、キング牧師、宮沢賢治、それに斎藤宗次郎等の話をし、いくつか歌も歌う。I Have a Dream を歌う前に、英語のリズムと発音についての短いレッスン。最後は Amazing Grace の一番を一緒に歌って終了。大きな声で歌ってくれた。終わって、トイレに行く途中、一人の男子生徒が話しかけてきた。「歌がよかったです」。身につけている迷彩服に少々驚いて「すごい格好だね」と言うと、「これからダンスをするんです」と言う。蟻ヶ崎高校は書道ガールズが活躍しているとTVで見たことがある。ダンス部もがんばっているのかも。

爽やかな15歳の若者たちに話す機会を与えてくださった武居先生に感謝。それに、別の会場に行かねばならなかった武居先生のかわりに、機材の運搬含め面倒を見てくださった宮坂先生にも。彼女は、もう何年も前に県ヶ丘高校の生徒だったとき、ぼくのトークライブを聞いたことがあるとか。

3時過ぎ、家に戻ると、潔さんの姿はなく、サワラの木はすでに倒されていた。庭が明るく広くなった。

オーリアッド。『語る禅僧』の続きを読む。この本はさらっと読み流すことができない。1ページ読んでは、またもとに戻り、読み返し、頭の中を整理しなければならない類の本。遅々として進まない。それだけにいろいろと考えさせられる。


September 28, Wednesday 2011

「大きな木」はついに切り倒された。ぼくが彼女を見染めることもなく、山からとってきて庭に移植しなければ、彼女は今でも王城山の山腹に悠々と風に吹かれていたことだろう。心の中で謝りながら、潔さんが彼女を倒すのを見ていた。そのうちに、いいことを思いついた。子供の頃、朴の板で版画を彫ったことがある。朴の木は柔らかい。円空仏のような仏像を彫ることができるかもしれない。適当な長さに切ってもらうことに。



午後、潔さんは家の前のイチイの木の剪定を始めた。しばらくして「ハチに刺された!」と、大きな声を出して梯子を降りてきた。左の二の腕を右手で押さえている。木の上にスズメバチの巣があると言う。留守をしている家人に電話して重曹のありかを聞く。重曹が効いたのか、厚いフランネルのシャツの上から刺されたからか、かなり広い部分が赤くなったが、そんなに腫れはしなかった。顔を刺されたら大変だった。

土曜日以来のオーリアッド。うとうとしているところへお客さん、かと思ったら、カラオケの機械を入れないか、という業者の方。丁重にお断りする。

明日は松本蟻ヶ崎高校でのトークライブ。その練習を少し。


September 27, Tuesday 2011

朝、中学へ行く。読み聞かせのため。1年生のクラス。「雨にも負けず」のモデルといわれる斎藤宗次朗についての文を読み、「雨にも負けず」を歌う。

シニア大学の事務局から、先日のトークライブの感想が送られてきた。「歌と語りが心にしみました。時間があっという間に過ぎてしまいました。楽しかったです」と書いてくださった方がいる。楽しんでくださったようでよかった。「3年前ガンの手術を受けました。その前後は死の意味、生きる意味を私なりに考え悩みました。今日お聞きしたスティーブ・ジョブズさんの言葉は私の心にスーッと入ってきました」と書いてくださった方もいる。「久し振りに、ボブディランを聞いて、家に帰ったらレコードを聞いてみようと思いました」と書いてくださった方も。CDではなくレコードというところがいい。

「カムサハムニダ、イ・スヒョン」がよかったという声が多かった。だからというわけではないが、新しいアルバムに、ボーナストラックとして、「カムサハムニダ、イ・スヒョン」と「碌山」を入れることに今日最終決定する。2006年12月のマンダラ2でのライヴヴァージョン。聞き直してみると両者ともとてもいい。特に「カムサハムニダ、イ・スヒョン」が。

今日も「隣の潔さん」が庭木の剪定にきてくれた。東側の花壇に被いかぶさるように枝を広げて、家人を困らせてきた朴の木も、可哀想だと思ったが、切ることに。先祖の地に戻ってきたのは1982年の3月だった。その年の夏、王城山で見つけた小さな朴の木。そのあまりに美しい姿に、庭に移植して、長い間楽しませてもらった。

「大きな木」という絵本を思いだした。英語のタイトルは確か Giving Tree だった。ぼくもこの木から多くのものを与えられた。石垣を崩す欅を切っても何も感じないのに、朴の木を切ることに後ろめたさを感じるのはなぜだろう。左の写真は、枝が払われ、幹が途中まで切られた朴の木。明日、完全に切られてしまう。


September 26, Monday 2011

今日も「隣の潔さん」が庭木の手入れにきてくれた。ありがたい。

見上げると秋の空。卓也の柿も色づいてきた。イチゴの本植え用の畝を2本作るために耕運機で溝を作り、その中に堆肥を入れる。堆肥枠の中にはいい堆肥ができている(写真下・中)。ミミズがいっぱい。右側に見える白いものは、カブトムシの幼虫だろう。

崩れそうになっている石垣を見に建築会社 CEOの松田君が業者と一緒に来てくれた。応急処置でとりあえず、崩れかけているところを積みなおしてもらうことに。欅の根もとってくれるとのこと。感謝。




夜、岡谷のスカラ座へ The Tree of Life を見に行く。前から気になっていた映画。前半は「2001年宇宙の旅」の最後のシーンを思わせる壮大な宇宙創造のスペクタクルが延々と続く。不覚にもここで居眠りし、家人に起こされる。前半は、この映画の意図が飲み込めなかったが、徐々に、ストーリーがわかってきた。場面はアメリカ50年代の平凡な中流階級の家庭。3人の息子がいて、父親と長男の間の葛藤が描かれる。そして次男の死がこの家族のそれぞれのメンバーの心に影を落とす。特に長男の心に。次男がなぜ死んだかは何の説明もない。郵便屋さんがもってきた封書を開いた母親が泣き崩れるところから、ベトナムで戦死したと推測できる。

最後の部分で大人になった長男が、ひとつの門をくぐり、すでに亡くなった家族と出会うシーンが幻想的に描かれる。映画の最初と最後が幻想的で、つかみどころがない気もするが、それだけに生と死、家族などについて深く考えさせられる。

大人になった長男はショーン・ペンが演じている。父親はブラッド・ピット。日本ではあまり評判がよくないようで、アメリカでも賛否両論があるようだが、ぼくは見てよかったと思っている。父と子の対立と和解というテーマは50年代のアメリカの映画にはよくあった。「理由なき反抗」「エデンの東」。それに80年代につくられた「フィールド・オブ・ドリームズ」にも。


September 25, Sunday 2011

家人は早朝東京へ。スクールカウンセリングの講習会 at 早稲田大学。6時過ぎ目覚めて階下へ行くと、すでに出発していた。

昨日の木曽の山奥へのドライブのせいか疲れている。原田さんは車を換えるとのことで、愛着ある古い車を手放す前に、いろいろなところへフェアウエル・ドライブをしているとのことだが、ぼくは運転が苦手である。松本へ往復するだけで疲れる。しかし疲れはしたが、昨日は木曽の今まで行ったことのないところへ行けてよかった。木曽路はすべて山の中。豊かな自然。

名取さんが、夏アメリカに行って、いかに日本の自然が豊かであるか実感したと語っていたが、ぼくもアメリカへ行って帰ってくると、いつも同じように感じる。2006年9月、テキサスへ行って戻ったときは、黄金色に輝く稲穂の美しさに感動した。

昨日も藪原高原こだまの森への行き帰り、太陽の光を浴びて輝く稲穂が実に美しかった。

夜、LSECのクラスへ。今日の読み物はチャールズ・シュルツの人生哲学。スヌーピーは知っていたが、チャールズ。シュルツが誰か知らない人が多かった。チャーリー・ブラウン、スヌーピー、ライナスなどの生みの親。歌は、Silent Night。今までクリスマスソングを取り上げたことはなかった。みなさんよく知っている歌で、すぐに歌うことができた。次回は It Came upon the Midnight Clear。

家に戻ると家人が帰っていた。東京は暑かったとのこと。こっちは寒いほどだったが。それに早稲田大学の広さに驚いた様子。会場を探すのに一苦労したとか。


September 24, Saturday 2011

今月最後のオープンマイク。

先ずぼくが、今日レスリーが送ってくれた絞り染めのバンダナを被って「オーリアッド・バンドの歌」「サンタバーバラの夏」、そして「幼い頃野原には」。3曲目を歌う頃には歌い手も徐々に集まってきた。続いて原田和恵さんにお願いする。意表をついてイタリア歌曲を3曲。1曲目は「カロミオベン」。あとの2曲は、先週、先々週と歌った「私を泣かせてください」と「さよならコリンド」。ものすごい声量。オペラ歌手誕生。

藤森和弘さん。「今日は土曜日」から入り、「君のために作った歌」と「わかって下さい」。3曲目は昔聞いたことがあった。以前にも何度かそういうことがあったが、藤森さんが歌うのを聞いて、初めてこの歌がいい歌だと思った。続いて、名取友紀子さん。夏休みにアメリカへ行き、9.11の10周年前直前のことで、殊のほか警備が厳しくて驚いたと話したあと、「愛しのエリー」。そしてニューヨークではティファニーを覗いたとのことで、その宝石店の名前がタイトルに入っている映画の主題歌「ムーン・リバー」、そして「オリビアを聴きながら」。

名取芳夫さん。原田さんに伴奏を頼み、「カロミオベン」を歌う。クラシックはマイクを使わないと、マイクなしで。驚いた。見事な歌声。後で知ったが、高校時代、合唱部に所属していたとのこと。そのあと、昨夜行った無言館の印象を語る。赤羽真理さん。ステージに台風で倒れた秋明菊と百日草を入れた花瓶を置いておいたせいか、「花はどこへいった」から。そして、「驚くばかりの」と「千両梨の実」。ここで休憩。







後半トップを垣内彰さんにお願いする。今日行ってきたという荒神山公園芝生広場で開かれた「おてんとさんぽ」について語る。「おてんとさんぽ」という言葉は初耳だが、なんでも全国的に行われているクラフトフェアとのこと。原田さんも行ってきたらしい。垣内さんは、辰野町でのこのイベントを主催した共和堂の米沢さんを絶賛。やはり、イベントを成功させるには、行政の補助金などを当てにしない、彼のような情熱的な個人と仲間が必要と、垣内さんは言う。

原田さん、先日寝ようとしたときに出てきた大きな蜘蛛の話をしてから、「トロイメライ」を弾き、「御手の中に」を歌う。藤森さん、「夢の旅人」と、「今日は蚊山遊三さんががいないので」と言って加山雄三の「海・その愛」を歌う。後者はいつも藤森さんが歌う歌と比べるとかなりキーが低い、そのせいかとても新鮮に響いた。名取(友)さん、「最近あまり練習していないので」と言って後半は「エデンの東」1曲のみ。名取(芳)さん、先ず、夏休みのアメリカ行きについて語り、訪ねていったミシガン州の地形を、左手の甲を使って説明。そのあと、「サンタルチア」を英語と日本語で。日本語は、黒田節の歌詞。最後が少し変わって、「一樽、二樽、三樽ちあ」。大きな笑い。

原田和夫さん、名取(友)さんの「エデンの東」を聞いて思い出したという高校時代の話。アルバイトをして稼いだお金で「エデンの東」を見にいったとのこと。当時は一日働いても、50円か60円にしかならなかったとのこと。定かではないが、映画は100円だったのではないかという。そのアルバイトは輪切りにした大きな丸太を蒸気で蒸して、それを薄く切って屋根を葺く板を作る仕事。話しているうちに、蒸された丸太の匂いがしてきたいう。ひとつの音楽がさまざまな記憶を呼び覚ました。赤羽さん、「愛に生き平和に生きる」。そして最後にぼくが「新しい光迎えよう」を歌い、今夜のオープンマイク終了。

来週、再来週はオープンマイクがありますが、その次の10月15日(土)は「太田裕士カルテット Jazz Live」のためお休みします。すごいメンバーによるコンサートです。是非、お出かけください。


                          ■

夏休みが始まる前に David から結婚披露宴に招待された。今朝11時に家を出て、何度も迷いながら会場着。木曽のレストランで行われるとばかり思っていたら、なんと、木曽の山奥のスキー場、薮原高原こだまの森。野外パーティである。

すでに開始予定は過ぎていたが、新郎新婦はまだ到着していない。後で知ったが、事故を起こし、その処理に手間取ったとか。200人ほどの人が集まった。もっといたかもしれない。知っている人は Mark など数人。パーティは2時間遅れで、David の挨拶と、シャンパンの乾杯で始まった。

ピザ、ラーメン、シシカバブなどの車の屋台があって、そこで各自注文して食べるのである。飲み物もしかり。どこも長蛇の列。 Santa Rosa とボディに横書きされたピザのお店に並ぶ。車の中に薪を燃やす窯がある本格的なピザ。20分ほど並んでクアトロ・フォルマッジョ(4種類のチーズのピザ)をゲット。かなり大きい。Jonathan のすわっているテーブルに行き、シェア。




DJがリクエストを募りながら音楽を流し、会場はお祭り気分。おそらくこのあと、バンドの演奏に合わせてダンスがあったり歌ったり、パーティは一晩中続くのだろう。残念ながら6時までに家に戻らなければならない。4時過ぎに会場を後にする。

それにしても、デイヴィッドと奥さん、そして息子のサムの新たな門出を祝福するような、素晴らしい秋晴れの一日。


September 23, Friday 2011

目が覚めて階下に下り驚いた。庭が明るい。昨日、欅の木を切り、白樺の枝を落としたせいで、太陽の光が庭に降り注いでいる。白樺は枝葉が少なくなり、少し寒々しく感じられるが、春になればまた生い茂るだろう。

朝食後、墓参りに。お盆に掃除をしたのに、一昨日の台風のせいか、墓地には小枝や葉っぱが散乱している。持参したレーキや竹箒できれいにする。線香をあげ、般若心経を唱える。

午後遅く、茗荷を山裾の畑にとりにいく。たくさんあって驚く。前にきたときは土を掘らなければでてこなかったのに、今日は薄い赤紫の茗荷がいっぱい顔を出している。

6時、オーリアッド。しばらくして、一人のお客さん。先日のシニア大学でぼくの話を聞いた方から頼まれて、『追憶の60年代カリフォルニア』を2冊買いにきてくださったのである。前もってメールでお二人の名前が送られてきていたので、サインをして用意しておいた。感謝。

その後、ギターを持った二人の女性。原田さんと森西さん。原田さんが最近購入したギターは実に格好がいい。近い将来、ギター弾き語りで歌ってもらえるかも。

『甲子園への遺言』を読み終える。選手としてはケガゆえにあまり活躍できなかったが、打撃コーチとして通産8つのチームで活躍した高鼻導宏という人の伝記。彼は50を過ぎてから一念発起して、高校で教える資格をとり、九州の高校の社会科の教師になる。プロ野球の選手が高校の教師になっても、2年間は野球部の監督をすることはできないという制約があるようで、彼は結局高校生を指導することなく、癌で亡くなってしまった。彼が高校野球の監督になって、甲子園で戦うところを見てみたかった。

落合監督もロッテ時代に投手の癖によって球種を読む方法を彼から学んだようである。落合監督の辞任には驚いた。残念だが、他のチームで、できたら横浜のような下位のチームへ行って監督をしてもらいたいもの。


September 22, Thursday 2011

台風一過、秋晴れの晴天、とはいかないが。青空が少し見える。気温はぐんと下がり、寒いくらい。朝食後、外に出る。畑を一回り。向日葵が何本か倒れている。ピーマンがいくつもついた枝が、何本か折れている。被害といえばそれくらい。ついでにトマト、ゴーヤ、ピーマン、韓国唐辛子を採る。

野菜の被害はなかったが、東側の石垣が少しせり出しているように見える。よく見ると、石垣の間に生えた欅の木が数本大きくなり、大きな石をいくつか押し出している。このままにしておいたら、確実に石垣は崩れてしまうだろう。そこへ、「隣の潔さん」(紙ヒコーキ)の奥さんがやってきた。奥さんに、潔さんに石垣を見にきてもらうようにお願いする。

昼前に彼がやってきた。やはり木を切ったほうがいいということになった。1時過ぎ、仕事部屋にいたら、チェーンソーの大きな音が聞こえてきた。半日かかって、欅とその周辺の雑木のみならず、庭の4本の白樺の枝を払い、頭を止めてもらった。低い枝はチェーンソーで、高い枝は梯子を使って途中までいき、あとは木に飛び移り、ノコギリで枝を払う。

その身のこなしの見事さ。田舎に戻ってきてから、何度となく思い知らされたことは、大工仕事ができるとか、野菜や米の作り方を知っているとか、茸のシーズンには松茸が生える秘密の場所を知っているとかいうことが、生きる上でいかに重要かということ。英語が少々話せるとか、コンピュータを使えるとかいうことは、二次的なことに思えてしまう。

午後6時、オーリアッド。久しぶりのドクターY。満面の笑み。お孫さんが生まれたとのこと。みんなに愛される幸せな赤ちゃん。そして、周りのみんなを幸せにする赤ちゃん。


September 21, Wednesday 2011

台風15号。辰野は午後2時から3時にかけて一番風が吹いた。庭の白樺の木が大きく揺れて、ゴウゴウと大きな音を立てた。雨も昨日から降り続け、土手が崩れないか心配になったほど。


*風に揺れる白樺の木の写真を撮った。スチルの写真では動きをとらえることは難しい。

6時、オーリアッドへ。雨は降っているが、風はほとんど止んでいる。町の中はひっそり。人の姿は見えず、車も時折、通り過ぎるだけ。

読書三昧の夜。読みかけの本がたくさんある。

田舎の町ゆえ、本屋さんがない。かつてはあったが、廃業して久しい。欲しい本はアマゾンへ注文することになる。便利になったもので、一冊注文しても、送料なしで2,3日で届く。それはそれでありがたい。しかし、本屋で時間をかけて選ぶ本とは違い、当たり外れがある。

今夜先ず読了した本は、昨夜読み始めた和田静香さんの『コンビニ店員は見たっ!』。後半になってますます面白くなった。ブログで読む歯に衣着せぬ威勢のいい和田節がややトーンダウンしていたが、これは仕方ないだろう。あの調子で書かれていたら、働いているコンビニの棚には置けないだろうし、店長さんや一緒に働いている「オバちゃん」たちに献本することもできないだろう。

もう一冊読み終えた。藤原智美著『文は一行目から書かなくていい』(プレジデント社)。タイトルに魅かれ昨年購入したが、数10ページ読んだだけで、そのままになっていた。特に目新しいことが書かれているわけではないが、いくつか参考になったところはあった。「シナリオライターの『箱書き』手法」など。ストーリーを展開させる上で、歌にも使えるかもしれない。

それにもう一冊。門田隆将著『甲子園への遺言』(講談社)の最初の100ページほど。数ヶ月前届いていたが今まで読んでいなかった。伝説の打撃コーチ高鼻導宏の伝記である。プロ野球選手からコーチになり、50歳半ばで一念発起、通信教育で教師の資格を取り、高校の先生になった矢先にガンになり60歳で亡くなったという人の話。

子供の頃から野球が好きだったが、彼の名前を聞いたことがない。彼が南海に入団した昭和42年を挟む3年間、サンタバーバラに住んでいて、日本の事情に疎かったということもあるが、彼が開幕前の練習中にケガをして、選手としてはあまり活躍しなかったからだろう。

彼は七つの球団で打撃コーチを務め、多くのタイトルホールダーを育てたという。その中には落合やイチローがいるとのこと。「コーチの仕事は教えないこと」と生前語っていたとか。落合やイチローの独特のフォームはそこからきているに違いない。「教師の仕事は教えないこと」と言い換えることもできるかもしれない。少なくとも英語教師の仕事は。

今夜は早目に閉店することに。10時過ぎ、外に出ると雨は止んでいた。家について見上げると、雲間に輝く星。明日はいい天気になるだろう。


September 20, Tuesday 2011

一日中強い雨。昨日の夕方からずっと降り続けている。各地で大雨による被害が報告されている。心配だ。

昼前に長男を駅まで送ったあと、オーリアッドへ。『メッセージ』というCDを探しに。今朝、辰野に戻ってから作ったすべてのCDが欲しいという注文が入った。他のものはすべて家に在庫があったが、『メッセージ』だけ見当たらない。家人がオーリアッドで見たことがあると言う。カウンターの上をざっと探したあと、ステージ裏の物置へ。いくつかの箱を開けたが見当たらない。諦めかけて開けた最後の箱の中に、ほかのCDにまじって、一枚だけあった。よかった。できたら、少し増刷したい。ぼくのCDの中ではもっとも売れたCD。

夜、カバー曲の著作権のことで、ソニーミュージックのKさんに電話をする。ぼくだとわかるとKさんは開口一番「和田さんの本を読みました? 面白いですよ」。「アマゾンから昨日届いたけれど、まだ封を切ってません」。電話をきったあと、早速、厚紙の封を開けた。

   和田静香著『コンビに店員は見たっ!』(ぱる出版)

副題は「レジの裏から日本が見える」。帯には「人生に迷ったらコンビニへ!」。今月15日発売。和田さんは音楽ライターである。プロローグに「私はもともと音楽ライターで、バイトを始めたのはCD不況もあり、レコード会社や雑誌からの仕事依頼が激減したからだ」と書かれていた。でもさすがライター。短期間の間に、しっかり本を書いてしまった。まだ十数ページしか読んでないが、面白い。残りは明日から、オーリアッドで読もう。慢性的不況の上に、明日は台風で本を読む時間はたっぷりありそう。


September 19, Monday 2011

敬老の日。テレビのニュースによれば、65歳以上の高齢者の数が過去最高になったとのこと。2980万人、総人口の23.3%。ほぼ4分の1。その数字のなかに、ぼくも昨年11月から入っている。

正直なところ、自分では高齢者になったという意識がない。まだまだ若いつもり。しかし客観的に見れば、先日「あかり」のイベントで、70歳以上に見られたように、少なくとも年相応には老けているのだろう。同級会で、最初は誰かわからないほどに老けた級友に会っても、しばらくするとその老いた人の中に昔の少年が見え始め、年齢を感じなくなるように、人は鏡に写る自分の中に、少年の頃の、あるいは青年の頃の、自分を見ているのかもしれない。

家人は今日区の敬老会で大正琴の仲間と演奏をし、アンコールもあったと気をよくして帰ってきた。

こんなメールをいただいた。

今日は各地区で敬老の催しが行われます。私自身わざわざ年寄りと接したくないので参りません。アイシャドウと口紅を濃い目に引いて、背筋を伸ばして生きましょう。102歳で亡くなった私のピアノの師匠高木東六氏が、年を取ったら清潔でお洒落な身だしなみをすることだと言っていました。

この方の正確な年齢を知らないが、敬老会に招待される年齢に達していることは確か。いつもしゃんと背筋を伸ばし、筋の通った生き方をされている。

高木東六さんが彼女のピアノのお師匠さんだったとは!ずっと昔、ぼくがまだ20歳のころ、NHKの「あなたのメロディ」という番組で、ダークダックスがぼくの「一万マイル」を歌ってくれた。そのときの審査員のひとりが高木東六さん。メロディを口ずさみながら絶賛してくれたことを懐かしく思い出す。

夕方雨が降り始める前、とうもろこしの茎を取り去り、その上に耕運機をかけ、ネギの土寄せをし、芝を刈る。汗びっしょり。土がカラカラに乾いていた。この雨はありがたい。しかし、紀伊半島には、台風の影響による大雨の予報。気の毒である。大きな被害がなければいいが。


September 18, Sunday 2011

朝起きたときは薄曇りだったが、すぐに快晴に。真夏日。

昨夜のライブで原田さんが、映画『大鹿村騒動記』が撮影された大鹿村へいってきたと話したのを思い出し、久々に帰省した長男と、大鹿村へドライブすることに。高遠を抜け、長谷村、大鹿村を目指す。前にも一度この道を通って大鹿村へ行ったことがある。しかし、すっかり忘れていた。これほど険しい細い道だったとは。ヘアピンカーブの連続。運転は長男に任せたが、大鹿村に着いたときには、へとへと。

それでも、大鹿村の美しい自然を目の当たりにし、映画に出てきたバス停、橋、大鹿歌舞伎が行われた神社などを見たら、映画のさまざまなシーンが思い出されて、疲れもふきとんだような。最後に訪問したのが、映画の主要な撮影現場の「ディア・イーター」という食堂。今月22日に、映画の中の食堂と同じ名前で、オープンするという。店の前で写真を撮っていると一人の年配の女性が出てきて、「どうぞ中も見ていって」と言う。中に入るとカウンターの中にもう一人の中年の女性。この方が、この食堂を中心になってスタートさせる遠藤由美子さんだと紹介される。大鹿村では知らない人がいない大鹿歌舞伎のスターとのこと。来月30日の公演では、原田芳雄さんの奥さん役の大楠道代さんが演じた道柴役をやるらしい。お二人から映画や大鹿歌舞伎についていろいろ教えていただいた。お礼に、遠藤さんの写真がラベルになっている焼酎を一本いただくことに。http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/node_195507




帰りは、困難を極めた高遠経由の道ではなく、中川村へ出る道を行くことに。山道も少しあったが、このほうがずっと楽。原田さんはどの道を通って行ったのだろうか。

夜になってもまだ暑い。ライナーノートを早く完成させなければ。


September 17, Saturday 2011

実に多彩で感銘深いオープンマイクになった。

お客さんのいないうちにと、家人が明後日の区の敬老会で琴の会の仲間と弾く「琵琶湖周航の歌」と「ふるさと」を演奏。次にぼくが「流転の歌」と「フランチェスカ」を歌う。後者は赤羽真理さんから以前リクエストされた歌。歌いながら、自分自身、次はどうなるのかとストーリー展開に興味がわくほど久しぶりに歌う。時々コードもおぼつかないところもあったが、それなりに新鮮だった。

続いて「きらきら音楽旅団」のみなさん。「リベルタンゴ」「とてつもない」「クリームソーダ」の3曲。今日はチェロの大森彩さんの参加もあり、素晴らしい演奏。2曲目は、「きらきら音楽旅団」のリーダー山口真保呂さんの親友、有賀三将さんが書いた歌。有賀さんは真保呂さんに人前で歌う喜びを教えてくれた人とか。そして今日が有賀さんの10数回目の命日とのこと。3曲目は、真保呂さんと奥さんの美都子さんの合作。とろけるようなラブソング。そうそう、ベースの松橋亮輔さんに一昨日女の子の赤ちゃんが生まれたとのこと。おめでとうございます。

丸山俊治さん。「セピア色の安曇野」「小さな王様」「おじさんたちよ」。1曲目は、小学一年生のとき担任だった美しい先生(白雪先生というのが彼女のニックネームだった)を偲んで数日前に書いた新曲。この先生の居所を最近つきとめ、文通が始まったことは以前に書いた。今朝の信濃毎日新聞に、丸山さんを紹介する「70歳 歌い上げる人生賛歌」という記事が掲載された。先日オーリアッドで記者が撮った写真入り。その記事を読んだ山の内町の方からの電話でそのことを知る。午後長男を駅に迎えにいったとき駅の売店で新聞を買おうと思ったら、なんと、売店がなくなっていた。嗚呼。今夜、丸山さんから記事のコピーをいただく。

原田和恵さん。「また会う日まで」「みどりもふかき」「さよならコリンド」。1曲目は、お世話になった方へ捧げる歌。今日その方の葬儀とお別れの会があったとのこと。2曲目は、先々週の宿題の歌。先週も歌ったが、今日はその宿題を出す基になった武居先生もお見えになっていた。3曲目は、先週の歌とは違うが、引き続きイタリア歌劇から。先週にもまして朗々たる歌声。

前半最後は、野澤さん。10月30日(日)の茅葺の里の能舞台でのコンサートの発起人。このコンサートについて語り、参加者を募る。今日演奏した人たちの中から2組ほど参加する方向になったようである。ここで10分休憩。










大きな写真はオーリアッド Facebook で。

後半トップは、藤森和弘さん。今日は愛音ちゃんの運動会の日で、歌いに来られないとのことだったが、前半終了間際駆けつけてくれた。愛音ちゃんは「かけっこ」は2位だったとのこと。「愛音」「「大空と大地の中で」、そして愛音ちゃんと「カントリー・ロード」。妹のミレイちゃんも、ひと時ステージに。丸山さん、「千両梨の実」を練習したが難しいとのことで、「鹿のように」を日本語と英語で。先週、「来週は赤羽さんが来られないようなので、赤羽さんの歌を歌います」と予告していた。よかった。そして「70歳になったのだ」と「アルプスのヨーデル歌い」。原田さん、「ラルゴ」「君は愛されるため生まれた」「そばにいるよ」。「きらきら音楽旅団」、宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」、そしてチェロの大森さんをフィーチャーした「送り人のテーマ」、そして三将さんの曲に真保呂さんが詩をつけた「ちゃらんぽ」。

音楽旅団の後半の演奏の真ん中あたりに、岡谷のジャズ喫茶での演奏帰りの太田裕志さんが、バンド仲間の岡只良さん(ギター)と北島博志さん(パーカッション)と立ち寄ってくれた。2曲お願いする。1曲目の曲名を聞きそびれた。2曲目は誰もが知っている「枯葉」。今夜のフィナーレを飾る素晴らしい演奏。

その後、しばし歓談。みなさんのおかげでとてもいい夜になった。 「伝道の書」にある a time to be born, a time to die (生まれるに時あり、死するに時あり)という言葉に思いを馳せる夜でもあった。


September 16, Friday 2011

今日も暑かった。昼前、外出先から戻ってきた家人が、「山のほうでサルの鳴き声がする。向日葵が狙われているかもしれない」と言うので、山裾の草をビーバーで刈りに行く。大きな音を出しておけば、少しは怯えて近づかないだろう。その効あってかどうか、その後サルは出てこなかった。

午後、しばらく新しいCDのライナーノートを書こうと悪戦苦闘。その後、午睡。不思議な夢を見て目が覚めた。車で走っていると左側の家が次々と、地面が液状化しているのか、つるんと滑ってひっくり返る。こう書くとかなり恐ろしげな夢だが、目覚めたときそれほど恐ろしいとは思わなかった。あまり見事に家がひっくり返るので、恐ろしいというよりは、びっくりしたというほうがそのときの気持ちに近い。

6時、オーリアッド。今夜もスピーカーからは So Beautiful Or So What 。原田さんと一局指そうとしているところへ、お客さん。結局今夜は指せなかった。お客さんの一人から、英語の発音について質問される。センター入試の英語のテストは8割とれるが、ヒアリングだけが5割とか。英語のリズムと発音の法則を手短にお話する。うまく伝わったかどうか。英語のヒアリングの力をつけるには、英語のリズムの特徴を知ったあと、ディクテーションを繰り返すと効果がある。

遅くに、中学3年生の女子生徒が両親と一緒にやってくる。お父さんが、「娘が合唱の伴奏をすることになっているが、歌とピアノが上手く合わないと」言う。ピアノを弾いてもらう。ものすごく上手い。クラシックに詳しいドクターTも、絶賛。これだけピアノが上手なら、あとは何度か一緒に練習すれば、問題ないはず。


September 15, Thursday 2011

伊那市の「いなっせホール」で長野県シニア大学伊那学部でのトークライブ。休憩を挟んで、10時から12時まで。長時間にもかかわらず、みなさん熱心に聞いてくださった。

前半4曲、後半4曲。みなさんと一緒に歌った歌は「ゴンドラの唄」。終了後、何人かの方々が話しかけてくださった。


photos by s. katagiri

夜、オーリアッド。午後届いた山折哲雄著『デクノボーになりたい―私の宮沢賢治』(小学館)を読み始める。斎藤宗次郎について書かれたところが興味深い。

今日のトークライブでも、山頭火、宮沢賢治について語ったが、山頭火も賢治も、そして宋次郎も、当時、世間的には good for nothing (役立たず、ごくつぶし)の蕩児だった。異質な異端児だった。

賢治の「冬のスケッチ」という長い詩のその五に、斉藤宋次郎がモデルと思われる加藤宋二郎という名が出てくる。

   冬のスケッチ 五

       朝

   みちにはかたきしもしきて
   きたかぜ檜葉をならしたり
   贋物師加藤宗二郎の門口に
   まことの祈りのこゑきこゆ


「道にはしっかりと霜が下りて、北風がヒバの葉を鳴らしている、そんな寒い冬の朝、贋物師(いかものし)加藤宗二郎の家の中から、祈りの声が聞こえてくる」というのである。しかも「本物の祈りの声」が。

「贋物師」という言葉がなければ、この詩はかなり陳腐なものになってしまう。「贋物師」はイカモノシともニセモノシとも読める。それは彼に対する世間の評価。イカモノ、ニセモノ、デクノボー。そのニセモノ師の家の中から聞こえてくる祈りを賢治はホンモノだと見抜いている。賢治の宋次郎に対する評価は世間とは正反対。

彼らは Stay Hungry, Stay Foolish を実践した。


September 14, Wednesday 2011

暑い一日。真夏に逆戻り。それでも最も暑かった7月後半と比べるとしのぎやすい。朝食後、野沢菜とほうれん草と白菜の畝に水遣り。そのあと、とうもろこしを保護していた網と杭を取り除く。汗だく。

昼過ぎ、英語教育に関するDVDを見る。後期の授業に使えないかと先日取り寄せたもの。残念ながら使えそうもない。

午後3時半、病院へ。定期健診。先月の血液検査の結果が出ていた。ドクターも驚くほどの数値。中性脂肪(TG)は、半年前と比べて、176 から正常域内の137に、LDLコレステロールは142 から正常域内の138に、γ-GTP は、まだ若干高いが、103から62に。診察の前に計った血圧は118/73 という、今まででは考えられない数字。レスベラトロールの「効果あり」としか思えない。来月の様子次第では、降圧剤をさらに減らしてもらえるかもしれない。

6時、オーリアッド。先日届いたポール・サイモンの So Beautiful Or So What を聞く。Graceland 風の、リズムを重視したアルバム。悪くはないが、手放しで「これはいい」とも言いがたい。聞き込めば、印象も変わるかもしれない。また曹洞宗の禅僧、南直哉著『語る禅僧』(ちくま文庫)を読み始める。仏教の常套表現をできるだけ使わず、哲学的思弁的に書かれていて、極めて刺激的な本である。タイトルは、不立文字、教外別伝を標榜する禅宗のお坊さんが敢えて饒舌に語っているところから来ているか。

遅くに原田さんが大型バイクでやってきた。今夜も四間飛車で勝利。二連勝はおそらく初めてのこと。原田さんはどこか調子が悪いのかな。

明日は伊那の「いなっせホール」でのトークライブ。長野県シニア大学伊那学部。昨日の「あかり」がいいリハーサルになった。


September 13, Tuesday 2011

NPO法人辰野自立生活支援の会「あかり」でトークライブ。午前10時15分から、休憩を挟んで、12時まで。高齢者の方々を対象にした昼食会を兼ねたイベント。「歌と朗読」という依頼だったので、前半は朗読と歌を半々ずつ。

後半はスティーブ・ジョブズのスピーチの「死」についての部分を朗読し、「祈りの歌」「中谷勲」など、朗読の会「ひびき」との出会いによってできた歌を中心に歌う。「ひびき」のメンバーの方々も何人か聞きにきてくださった。

前半終了後の休憩時間に93歳の女性から話しかけられた。若々しい品のいいおばあさん。スタッフによると書や和歌の大家だとか。以前にもぼくの歌を何度か聞いてくださったとか。一度は見宗寺で。後半が始まったときその方について、お世辞でもなんでもなく、「93歳とは思えませんね。お若いですね」と話したところ、一人の男性が手を上げて「わしは95歳」とおっしゃる。みなさんお元気だ。

85歳だという男性が、休憩時間にぼくの年齢を聞く。率直に「65歳、もうすぐ66歳です」と答える。その方が、後半が終わって、別室で昼食をいただいているときに「三浦さんが若いので驚きました」と言う。65にしては若く見えるということだろうと、気をよくしていたら、その方がすかさずおっしゃった。「70か80だと思いました」。そ、そんな!



食事のあと、お元気で快活な一人の男性に「健康の秘訣は何ですか」とお聞きすると、「わしは一度死んだ人間なので」とおっしゃる。どういうことかと思ったら、戦争中、満州で衛生兵をしていたが、肺病にかかり、脊椎カリエスを併発し、そのままにしておいたら死んでしまうところを、軍医に手術をしてもらい助かったとのこと。

野原にゴザをしき、その上に仰向けに寝かされ、痛み止めの注射を2本打たれたところで気絶してしまい、2日後、意識がもどったら、肋骨が3本切り取られていたとのこと。そして、群がる蠅を、戦友たちが追っ払っていてくれたとのこと。

その戦友たちは全員亡くなっているのに、生死の境をさ迷っていた彼だけが元気に生きている。病を得て、人一倍健康に留意されてきたからだろうか。彼の旺盛な好奇心も健康に寄与していると思われる。今日の会もそうだが、健康教室などには率先して出ていかれるとのこと。でもそういう会にいくと女性ばかりで、男性はいないので、気が引けるときがあるとのこと。丸山さんの「おじさんたちよ」を彷彿させる話。

今日お集まりのみなさんのそれぞれの人生に、秘めたドラマがあり、歌があると思った。

   君看よ双眼の色、語らざれば憂い無きに似たり

多くのところで歌わせていただいたが、80代、90代の方々を中心としたオーディエンスの前で歌うのは初めて。大いに学ぶところがあった。

「どこからが歌でとこからが話かわからんこんな歌は初めて聞いた」と、ぼくを70か80だと思ったという方が言う。もう聞きたくないのかと思ったら、「また来てください」とのこと。「声をかけていただければ、いつでも来ますよ」とお応えする。考えてみれば、あと5年すれば、ぼくは70、彼は90。お互い元気でいればまた会えるはず。


September 12, Monday 2011

午前中は畑と家の仕事。植えたばかりの野沢菜と白菜の苗に水をやり、トウモロコシを採る。猿が残していった最後の5、6本。それから芝を刈り始めたが、モウアーが途中で動かなくなった。仕方なし、家に入り、家事室の窓の網戸を作ることに。前から家人に頼まれていたもの。木の枠を作って、網をはり、それを外側に開く窓枠に、内側からはめ込んだ。体裁は悪いが、なんとか合格点。

午後、自立支援NPO「あかり」で明日行うトークライブの準備。「歌と朗読」とのことで「朗読」も期待されているようだ。対象は年配の方々。何を読んだらいいか。

午後遅くから雲が出てきて、今夜の名月が見られるかどうか不安だった。夕食後、家人の「お月さんが出ているよ!」という声が聞こえてくる。早速カメラをもって外へ。雲間に光る月がみえる。1枚目の写真。しかしすぐに黒雲の中に入ってしまい見えなくなる。諦めて家の中に。10時過ぎ、2階のベランダに出ると、東の空にはまだ雲はあったが、月は上空にのぼり、しっかりと輝いている。



カメラの調子が悪く、残念ながらいい写真が撮れなかった。カメラのせいにしてはいけないか。


September 11, Sunday 2011

朝10時、横川峡の茅葺の里の能舞台へ。10月30日(日)に開催される「横川渓谷紅葉祭り」の一環として、この能舞台で何組かのバンドのコンサートを開きたいが協力しれもらえないかと先日打診された。(1) 3.11震災支援、(2) 町の財産である横川渓谷の美しい自然と、松茸などの特産品を多くの人に知ってもらい町を元気にしたい、(3) あまり使われていない立派な能舞台を活用したい、という3つの主旨、特に2と3に賛同し、参加することに。予算が少ないとのことで、今日はぼくの機材を使うことができるかどうかチェックしに。

最近使っているYamaha の小型PAシステムは音が弱くて使えないが、以前使っていた 大きなYamahaのアンプとElectroVoice のスピーカーだと使えないことはない。4人編成のアコースティックバンドの演奏にもなんとか対応できそう。

能舞台の上に初めて立ったが、実に立派である。こんな立派な舞台を風雨にさらすだけにしておくのはもったいない。



お昼に「茅葺の館」でお蕎麦を食べ、近くのコーヒーショップでコーヒーを飲み、食べることのできる黄色いホウズキをいただき、家に戻る。1時間ほど午睡したあと、畑へ。白菜用の畝にマルチをかけ、苗を植える。それだけで汗びっしょり。朝は涼しかったが、昼間は蒸し暑つくなった。30℃を超えていた。

夕食後、外に出たら丸い月が木の間に。明日は十五夜、中秋の名月。中秋の名月と満月は必ずしも一致しないらしいが、今年の中秋の名月は5,6年ぶりに満月と一致するとのこと。幸い明日の晩は、天気予報では晴れ。



9.11から今日でちょうど10年、3.11からちょうど6ヶ月。テレビではその両方の特集が終日放映されていた。10年という歳月の短さを思う。その短さを思えば、人間の一生は実に短い。長くてもせいぜい 10x10=100年。


September 10, Saturday 2011

    70歳のシンガーソングライター
   丸山俊治コンサート

    
日時:平成23年10月2日(日)14:30開場 15:00開演
    場所:コンディトライ・アン・マリーレ(大町温泉郷)
    チケット代:前売り1200円 当日1500円(ケーキ&ドリンク付き)
    問合せ、ご予約:roba@am.wakwak.com  0261-85-0662
      (入場できる人数に限りがあります。事前にご予約ください。)

9月になって2度目のオープンマイク。今夜は信濃毎日新聞の記者の方が松本からお見えになった。上記の丸山さんのコンサートに関する取材記事の写真を撮るため。取材は先日松本で行われたようである。

そこで、トップバッターを丸山さんにお願いする。先ず、戦争三部作「満州の丘」「ぼんぼん」「とうもろこしの葉っぱ」。そしてリクエストに応えて最近の傑作2曲「小さな王様」「70歳になったんだ」と、初期の名曲「職人になったおじさんたち」。6曲つづけて聞くと、丸山さんの豊かで確固とした世界観が鮮明に伝わってくる。

原田和恵さん、「G線上のアリア」「アヴェ・マリア」をピアノで、そして最近気に入っているという「めぐり合い」と「おひさま」のテーマ曲。今夜のドレスの色ににマッチしたショールも手作りとのこと。

原田和夫さん、丸山さんの歌を受けて幼児期における満州体験の話、そして来し方70余年の思い出。感銘を受ける。いぶし銀の光。

続いてぼくが 「祈りの歌」と「碌山」。後者を歌ったのは、丸山さんの小学校時代の同級生で現カリフォルニア在住の旧姓星敏子さんから、上記コンサートのチラシを碌山美術館に置いてきたらどうかとサジェストされ、今日置きにいってきたという話を受けて。驚くべきことに、彼女のお祖父さんは黒光さんのお兄さんとのこと。女優の星由里子は親戚のよう。

ここで休憩。原田和恵さん差し入れのブドウが丸ごと入ったお菓子をいただく。実に美味しい。何かのコンテストで一位になったお菓子で、すぐに売り切れてしまい、なかなか手に入らないらしい。






大きな写真はオーリアッド Facebook で。

後半トップは赤羽真理さん。「私を待つ人がいる」「森の小道」「陽の当たるところへ」、そして「人生の海の嵐に」。丸山さん、「白雪先生」「一番最後に」、そして「心の鏡」。続いて、原田和夫さん、和恵さん、赤羽さんによる賛美歌2曲「みどりもふかき」と「キリストには代えられません」。前者は先週からの宿題。次に和恵さん。卒業記念に歌ったという歌劇『リナルド』からヘンデル作曲の「私を泣かせてください」。凄い!続いて、「主の愛は今」「私の愛する人よ」。赤羽さん、「御手の中へ」「私が悩むときも」、そして「千両梨の実」。最後にぼくが Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot?, Goodnight Irene, Take Me Home Country Roads などを英語で。みなさんにもコーラスの部分を一緒に歌ってもらう。

これで今夜のオープンマイク終了。その後、しばし歓談。丸山さんは大町でのコンサート以外にも、いろいろ出演依頼がきているようで、忙しくなりそうである。

11時過ぎ、家に戻ると西に傾きかけた頭上に大きな丸いお月さん。中秋の名月は9月12日の月曜日。晴れてくれるといいが。


September 9, Friday 2011

朝から、今日締め切りの講演のレジメを書こうとしたが、なかなか書けず、途中畑に出て仕事したりして、完成したのは午後3時過ぎ。早速メールで送る。9月15日(木)の伊那のシニア大学でのトークライブ。タイトルは「音楽と人生」。4年前に初めて依頼されたときに与えられたタイトル。副題は「振り返ればいつもそこに歌があった」。毎回同じタイトルなれど、その年によって話す内容と歌う歌は若干異なる。今年は3.11に言及しなければならないだろう。

宮沢賢治について調べていたら、賢治が生まれる2ヶ月前、岩手県を中心に死者行方不明者が2万人を超えた三陸地震津波が起こったことを知る。そして、生まれて5日目に岩手県と秋田県の県境で陸羽地震が起き、大きな被害が出たとのこと。陸羽地震の際、お母さんは生まれたばかりの賢治を入れた籠を覆いかぶさるように抱きしめ、念仏を唱えていたという。

石崎さんから速達で 2nd Mix が届く。お願いしておいた修正が施され、とてもよくなった。特に「花語らず」の歌と楽器のバランスがよくなり、説得力が増したよう。いいアルバムになりそうだ。

午後遅く、著作権協会のHPから録音利用申請書および明細書をダウンロードしようとしたが、PDFのファイルが上手くダウンロードできない。郵送してもらおうと電話したら、ファックスで送ってくれるという。それに記入しファックスで送り返したらいいとのこと。ありがたい。

6時、オーリアッド。今夜の一局は、四間飛車。相手の角すじを封じて、すっきりした勝利。原田さんが少し先を急ぎすぎたようだ。



September 8, Thursday 2011

朝食後、畑へ。作業を始める前、あまりにも空がきれいなので、カメラを取りにいく。秋の空。シュウメイギクやミズヒキソウも秋を告げている。野沢菜用の畝をつくる。そのあと、苺の苗を本植えするところに耕運機をかける。そして、畑と家のまわりの草をビーバーで刈る。ビーバーで草を刈るとコオロギがカマキリが草むらからあわてて飛び出す。おそらく気がつかないうちに多くの殺生をしていることだろう。危うく、交尾中のカマキリをまっぷたつにするところだった。






昼前、業者が新しいボイラーを設置するとのことでオーリアッドへ。業者が作業している間、ステージ裏の物置の整理。最近聞かないCDがたくさん出てきた。その中に、5,6年前、三井徹さんから送られてきたCDがあった。三井さんと友人の橋本さんという方が、1961年から1967年の間に吹き込んだアメリカやイギリスの民謡、バラッド、そしてインストルメンタルの全23曲。

そのCDを今夜、お客さんが帰ったあと聞いた。懐かしかった。特に Go Tell Aunt Rhody, Goodnight Irene, Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Feet? の3曲。これらの歌をぼくもよく歌ったもの。今でも歌うのは Goodnight Irene のみ。最後の歌は、ほんのときたま、家人と掛け合いで歌うことがある。ぼくの知っている歌詞は、feet ではなく foot となっていて、タイトルも Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot? 1曲目は、日本では「むすんでひらいて」と歌われる。作曲は『エミール』の著者、あの偉大なジャン・ジャック・ルソーと言われている。


September 7, Wednesday 2011

朝起きて、階下へおりるとき、寒いと感じた。台風一過、季節は急速に秋へ。

昼前、業者にみてもらったところ、オーリアッドのボイラーは、部品がないとのことで修理不可。新調することに。仕方ない。

朝、昨日トラックダウンした7曲の曲順を考える。「祈りの歌」は当然1曲目だが、最後は「雨にも負けず」のお経からアカペラの「新しい光迎えよう」へと続くのが一番いい。その順序で全編通して聞いたとき、「鎮魂」という言葉が頭に浮かんだ。レクイエム。

3曲目の「花語らず」の最後は、

  
永遠にほろびぬ生命のよろこびが
  悔いなくそこに輝いている


この歌は、柴山全慶老師の詩に、1969年、サンタバーバラにいたときに曲をつけたもの。『ガビオタの海』に入れたが、今回新たに録音しなおした。今年の3月1日に亡くなった福島慶道老師追悼のため。サンタバーバラの空港へ、この「出家とその弟子」をお迎えにいった日のことが懐かしく思い出される。福島老師はそのときのことを『いま、ここを無心に生きる』(春秋社)に書いてくださった。

午後遅く、伸び放題に伸びた家の裏の草をビーバーで刈る。ぼくの背丈ほどの草もある。草の伸びる速さに驚かされる。草刈をしているところへ近所のおばさんがやってきて言う。「サルが草を食べてくれたらいいのにね」。本当に!

6時、オーリアッド。名古屋の大学で教えている宮沢さんがやってくる。名古屋へ行く途中に寄ってくれたようだ。袋に入った玄米をいただく。彼の無農薬の田んぼでつくったお米。感謝。丁度、玄米を切らしていたところ。しばらく四方山話。サーチュイン遺伝子を知っていたが、レスベラトロールのことは聞いたことがないとのこと。

その後、フォトグラファーの垣内さん。7曲通して聞いてもらう。聞き終わったあと、「アルバムタイトルは『祈り』がいいですね」と言う。『祈りの歌』にするつもりでいたが、『祈り』も候補としてあった。後者の場合、同名の歌やアルバムがいくつかあるが、気にしなくてもいいかもしれない。『祈りの歌』より、『祈り』のほうが、より普遍的である。

11時、帰宅。月は見えないが、かなり明るく、西の山の上にいわし雲。東の空には大きな星。秋の空に星ひとつ。



September 5, Monday & September 6, Tuesday 2011

昨日と今日の2日間、オーリアッドにてレコーディング。なんとか3曲録音。前回の録音と合わせて全7曲。




石崎さんには本当にお世話になった。ミキサーをサウンドエンジニアと言うが、彼の仕事を見ているとまさにエンジニア。太田君と原田さんにも少しお手伝いいただいた。感謝。

一応7曲分のトラックダウンがすんだ。レコーディングするたび、実力のなさを思い知らされる。疲労困憊。

「祈りの歌」のCDが欲しいという声が多い。マンダラ2の年末ライブまでには間に合わせたい。


September 4, Sunday 2011

一日中、断続的な雨。和歌山県や奈良県では大きな被害が出ている。多くの方々が犠牲になった。自然の脅威は計り知れない。濁流逆巻く熊野川の映像は怖ろしい。

辰野ではここ数日断続的に降ったが、大きな被害は今のところ報告されていない。被害はわが家の畑にあった。猿の被害。とうもろこしは全滅。先日網をかけたが、支える杭が一本折られ、中に入られてしまった。近くの人参も掘り起こされ、新しい畑に植えたサツマイモも、まだ小さいのに、三分の一がとられた。向日葵の頭もいくつか散乱していた。種が食べられた跡あり。張子の虎の威力も薄れたよう。




世界陸上、男子マラソンは、団体で銀メダル。公務員ランナーもがんばった。4x100の男女のリレーは、両方とも決勝にすすめなかった。10年ほど前、家人が辰野東小学校で一年間非常勤として教えたとき、今夜女子のリレーでアンカーをつとめた今井さんがクラスにいたとのこと。当時から足は速かったようだ。性格のいい可愛い子だったようだ。

夜、昨日原田和恵さんから借りた『それでも僕の人生は希望でいっぱい』(三笠書房)を読了。著者はニック・ブイチチ。初めてYouTubeで彼の講演を聞いたときほどは感動しなかったが、「過去は変えられない、しかし未来は変えられる」というような教訓的な言葉がちりばめられている。

http://www.youtube.com/watch?v=k_h5XJcJR40


September 3, Saturday 2011


オープンマイク。台風12号による大雨にもかかわらず、歌いに、そして聞きにきてくださった方々に感謝。

トップは原田和恵さん、「ラルゴ」「G線上のアリア」の演奏のあと「風が運ぶ」。さらに、妹のかおりさんと「アメイジング・グレイス」。本田美奈子ヴァージョン。美しいハーモニー。この歌が今夜のオープンマイクのトーンを決定。和恵さんとかおりさんが身につけているショールは和恵さんの手編みとのこと。

藤森和弘さん、「夏祭り」「人生に勇気」、そして何と、本田美奈子ヴァージョンの「アメイジング・グレイス」。渋い。そして「今日は土曜日」。「蝉」を歌った歌を探したがなかったとMCで話していたが、確かに蝉のことを歌った歌を聞いたことがないような。ヒグラシの歌ならありそう。

次に赤羽真理さん、意表をついて「自転車に乗って」と「風」のフォークソングのスタンダード。そして「アメイジング・グレイス」の正調日本語ヴァージョン、「おどろくばかりの」。最後に「千両梨の実」。

次に家人とぼくが「Amazing Grace」。ピアノのサポートは原田さん。そしてぼくがソロで「雨にも負けず」と「中谷勲」。ここで休憩。スピーカーからはジュディ・コリンズの Amazing Grace。






大きな写真はオーリアッド Facebook で。

後半、原田さん、めぐり合いの不思議を歌った「めぐり合い」、そして「静まって知れ」と「そばにいるよ」。藤森さん、師匠の一人の「ひまわり」と、もう一人の師匠の「雨あがりの街」。そして1曲目の師匠の歌に戻り「道」。「道」を歌う前に「今夜は飯田のおじさんも、丸山さんもいないので」と言って歌いだした。2箇所にヨーデルが入った

次に、最近よく聞きにきてくださる武居美智子さん。その真偽のほどはわからないが「私は音痴で歌えないので」と前置きして、クリスチャンだった叔父さんが好んで歌ったという賛美歌「みどりもふかき」の詩の朗誦。

  みどりもふかき 若葉のさと
  ナザレの村よ 汝がちまたを
  こころ清らに 行きかいつつ
  そだちたまいし 人を知るや

  その頭には かむりもなく
  その衣には かざりもなく
  まずしく低き 大工として
  主は若き日を 過ぎたまえり

  人の子イェスよ 君の御名を
  みつかいたちの ほむるときに
  めぐみににおい 愛にかおる
  み足のあとを 我はたどらん

続いて原田和夫さん。和恵さんのサポートで「主は日々そばにいまし」。そして先日、名古屋へギデオン教会主催のイベントにいってこられた話。そして孤独になって夜通し祈る行について語る。最近届いた中学の同窓会誌を見ていたら「孤独であることは一つの仕事である」という講演のタイトルが出てきた。忘れていたがぼくがずっと前にした講演だった。そのタイトルを自分で考えたのか、誰かの著作から引用したか定かではないが、確かにそれは真実であると思われる。孤独であることは一つの仕事。孤独について古今東西の賢者の言葉を集めたこんなサイトがあった。孤独の格言

赤羽さん、先ず一昨年自宅の屋根につけたソーラーシステムの話から。一年間トータルして、お釣がくるほどに電気を中部電力に売ることができているとのこと。凄い。そして「鹿のように」「森の小道」。九雀さんの落語会を終えて駆けつけてくれた長島勲さん、「いのちの理由」。いい歌である。法然上人800年大遠忌 記念曲とのこと。

そのあとぼくが歌詞の解説をしたあと The Rose。そして最後に、赤羽、藤森、三浦の3人で We Shall Overcome。残念ながら最後の3人の写真がない。

11時過ぎ、家に戻り、なでしこジャパンが2-1で辛勝したことを知る。前半のロスタイムの澤、川澄、大野の3人の連携プレーは見事だった。


September 2, Friday 2011

台風が近づいている。風が強い。雨も降ったり止んだり。各地ですでに大雨による被害が出ているよう。

夏の疲れが出たのか、ここ数日身体が重い。低気圧のせいかも。しかし血圧は以前よりも低い。特に拡張期の血圧(下の血圧)が80と90の間いある。ぼくが高血圧を自覚したのは、10数年前、町役場のロビーにある血圧測定器で測ったとき。上が150ぐらいで、下が100を超えていた。その後、降圧剤の服用を始めたが、上は下がっても、下は下がらなかった。いつも90を超えていた。下がったのはレスベラトロール効果か。

オーリアッド。遅くに長島君。忙しそうだ。明日は小野で、明後日は宮木で桂九雀さんの落語会があるとか。確か彼は九雀さんが辰野で公演するときは出囃子を担当している。明日遅くにオーリアッドに来れるかもしれないとのこと。

11時閉店し、外に出るとかなり強く雨が降っている。豪雨災害のないことを願うばかり。

家に戻り、日本と北朝鮮の試合の結果を知る。1- 0。家人曰く「チャンスは何度もあったのに、もたもたしていて、点が入ったのはロスタイム終了直前」。スポーツニュースで確かめようとしたが、なかなか始まらない。二階へいき、nikkansports のサイトを見る。5分のロスタイムの最後の最後、吉田麻也がヘッディングで決めた。先日の女子の日本とタイの試合でも、後半宮間が入ってからいい展開になった。長友の欠場が響いたに違いない。


September 1, Thursday 2011

昨日サルにトウモロコシとトマトをとられたので、そのあとトウモロコシとトマトに網をかけて固定した。今朝トマトをとりに出たが、面倒。サルだけでなく人間にとってもとても不便。

畑の向日葵は種が重くなり、みな頭を垂れている。山頭火の句に、

    松はみな枝垂れて南無観世音

というのがある。さしずめ、

    向日葵はみな頭垂れて南無大師遍照金剛

である。わが村のお寺は真言宗。




午後、オーリアッドで太田君と練習。「雨にも負けず」と「中谷勲」。石崎さんの体調も上向きとのことで、来週早々、追加のレコーディングをすることに。

夜、オーリアッド。7時過ぎ家人と交代。家に放置していたダルシマをもっていき、弾いてみる。うまく弾けないが、その音色がいい。アパラチア山脈の風の音。弦は4本。一番外側の太い弦が D で、次が A で、身体に近い2本の弦も A である。奏法は家人が弾いている大正琴にも似ているが、それよりも簡単な気もする。しかし簡単なものほど奥が深い。簡単には弾きこなせそうもない。

とりあえず今はDのキーでしか弾くことができない。7月の初め、岡山の禁酒會舘で、ダルシマの名手よしだよしこさんと「アメイジング・グレイス」を一緒に歌ったとき、「キーは E でお願いします」とぼくが言うと、彼女は事もなげに E で弾いたが、チューニングを素早く変えたのだろうか、それともネックの抑えるところを変えたのだろうか。

丸山さんが遅くにやってきて、「それは何です?」とダルシマに興味を示す。しばらく触っているうちに、「ふるさと」を見事に弾き始めた。さすがベース、ピアノ、ギターを弾きこなすミュージシャンである。



数日前に大町の真保呂さんから彼が主催する丸山さんのコンサートのチラシが送られてきた。そのチラシをアップしようとしたが pdf ファイルを上手く貼り付けられない。コンサートの概要のみ下に記すことに。

          

   70歳のシンガーソングライター
 丸山俊治コンサート

  
日時:平成23年10月2日(日)14:30開場 15:00開演
  場所:コンディトライ・アン・マリーレ(大町温泉郷)
  チケット代:前売り1200円 当日1500円(ケーキ&ドリンク付き)
  問合せ、ご予約:roba@am.wakwak.com  0261-85-0662
     (入場できる人数に限りがあります。事前にご予約ください。)




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