OREAD Diary

   October 1-31


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October 31, Sunday 2010

台風一過、秋晴れの真っ青な空を期待していたが、朝外を見ると、どんよりとした曇り空。寝ている間にまた雨が降ったようだ。地面が濡れている。

家人は昨日から地区の人たちと旅行に出ている。今日は一日好きなときに起きて、好きなときに食べるというきままな生活。誰も訪ねてこず、電話もない。静かな一日。

と、思っていたら、大変な訪問者たちがきていた。午後、買い物に行こうと車に乗り、道路に出ると、柿の木の近く、食べかけの柿の実や葉が散乱している。
数日前、とうもろこしやトマトに効果のあったトラの風船を柿の木に結ぼうかと話していたばかり。車をガレージの前まで戻し、竹箒をもっていき、散乱した柿の破片や葉を道路わきまで掃く。けっこうな量である。柿はてっぺんのほうにまだ少し残っている。明日はとってしまおう。

7時過ぎ、家人が戻ってきた。日本海の夕日がきれいだったと、写真を見せてくれた。昔、旅の途上で見た夕日を思い出した。確か秋田をヒッチハイクで下っているときだった。下の写真の一番右のような夕日だった。山に囲まれた信州では、こんな夕日は見ることはできない。彼の地に西方浄土の信仰が広まったのもむべなるかな。



明日から11月。


October 30, Saturday 2010

台風がくるとのことで、午後、家の周りの風に飛ばされそうなものをガレージや玄関に運び入れた。雨は降ったが、風はそれほどでもなかった。ここ数年、台風に対処しても肩透かしをくうことが多い。しかし、それはそれでありがたい。

レナード・コーエンファンの庄司さんからメールが入った。彼はぼくよりもコーエンについて詳しい。 昨年 Live in London を訳したときには、彼から、手元にないぼくの過去の訳をファイルで送ってもらった。彼はコンピュータにも詳しく、この日記を読んでいて、ときどき適切なアドバイスを送ってくれる。

先日発売された Songs from the Road は日本盤を見たとのこと。Live in Lodon は輸入盤を見たようで、「
このDVDを見ていると、改めて Live in London の字幕入りが欲しくなりました。でも、あの日本盤を中古で手放してくれる人は現れませんねえ。たまに輸入盤のDVDが売りに出ているのを見かけますが、あれは私同様、字幕入りの日本盤に買い換えようとしているか、買い換えた後の処分品ではないでしょうか」と書かれていた。

早速調べてみた。やはり日本盤 Live in London (
DVD) の中古品は見当たらなかった。

                         ■

台風が近づいているし、出演予定者も少ないし、今夜のオープンマイクはさびしくなるかなと思っていたら、午後遅く飯田の島岡さんから3名参加したいとのメール。そのうちの一人は “「かぐや姫」大平さん” とのこと。どんな人かと思っていたら、南こうせつとかぐや姫の大ファンの男の人だった。

トップバッターは、明日早朝というか今夜遅くというか、秋田へ行くことになっている原田和恵さん。「糸」「君は愛されるために生まれた」を歌い、ピアノソロ「ラルゴ」。語りを含めて、演奏がますます安定してきた。

次に、「かぐや姫」大平さんこと大平勉さん。「そんな人違い」「青春」「アビーロードの街」。南こうせつとかぐや姫の歌とのこと。初めて聞く歌ばかり。普段聞くことのない歌を聞けるのはオープンマイクのおかげ。

松下元英さん、「子守唄」「赤い橋」「追憶」。1曲目は加川良の歌とか。2曲目は浅川マキ。これは聞いたことがある。3曲目は、前回も歌ってくれたオリジナル。「山あいにある田や畑/巡る季節のその中に/人の生きる源へ/大いなる流れ感じ取れ」というコーラスが繰り返される。聞き書きなので間違っているかもしれない。いい歌である。

島岡博さん、今夜は普段あまり使わないフラットピックをつかって歌いますと話したあと、「君に」「満月を待つ女」「死にかけた街」。2曲目はカバーで、それ以外は高校生のころ、友人と共作した歌で、今まで人前では歌わなかった歌とのこと。フラットピックを使うことでレパートリーの幅が広がるかも。

前半最後、ぼくが、秋になると歌いたくなる「一通の手紙」と、原田さんからのリクエスト「新しい光迎えよう」を歌って、休憩。休憩時間にかかった曲、Heart with No Companion と Take This Waltz。







後半トップは原田さん。先ずシューマンの「トロイメライ」をピアノで、そして「そばにいるよ」と「Climb Every Mountain」。彼女の美しい声がオーリアッドの空間を満たす。最後の曲はアカペラで。マイクを吹く音が少し気になったが、ぼくが補聴器を入れたせいかも。大平さん、「野原の上の雨になるまで」「私の詩」「うちのお父さん」。3曲目は聞いたことがあった。松下さん、「ハイライト」「死んだ男の残したものは」「梅雨」。谷川俊太郎/武満徹による2曲目を歌ったときの松下さんのギターがすばらしい。後で聞くと自分でアレンジを考えたとのこと。島岡さん、「帰省」「すごもりブルーズ」そして名曲「さらば東京南台」。最初の2曲もあまり歌わないオリジナルとのこと。若い頃たくさん歌を書いていたことがわかる。「帰省」は大学生のころ、中央線から飯田線に乗り換え、飯田へ帰省したころの思い出の歌。リニアモーターカーが飯田を通ることになったら、このような歌はもう生まれない。

次に、「ときわ」での最後の「ドレッシングライブ」後に駆けつけてくれた赤羽真理さん。「今すぐに」と「許し」。赤羽さんの歌を聞くと、凛とした気持ちにさせられる。最後にぼくが「六朗」を歌って、今夜のオープンマイク終了。

60年代前半、アメリカでフォークリバイバルがおこり、それが日本に飛び火。先ずキングストントリオやPPMなどのコピーバンドが登場し、そのあと日本語で歌うカレッジフォークが一世を風靡した。その後60年代後半、関西を中心に、ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ボブ・ディランの影響を受けたアングラフォークと呼ばれるフォークムーブメントがおきた。70年代になると吉田拓郎や南こうせつ等のヒット曲により、ニューミュージックと呼ばれる音楽が脚光をあびるようになった。さだまさし、松山千春などはまさにその旗手だった。

一方、ロカビリーやビートルズの影響によるグループサウンズも60年代後半に一世を風靡し、そのあと本格的なロックやブルーズを演奏するバンドも登場してきた。

オーリアッドにいると、それらすべてに影響を受けた人たちの演奏を聞くことができる。今後日本のポピュラーミュージックがどのように変遷していくか誰も予測できないが、おそらく今までのさまざまな流れを統合した大きな流れになっていくのではないかと思う。そう期待したい。


October 29, Friday 2010

昨日は行くときだけでなく、帰りも雨が降っていたので「傘を忘れずにすんだ」と書いた。それは確かにそう。でも今日の昼ごろ、ジョン・クーンズからメールが入った。"Aizawa-sensei found your guitar and took it down to the office on the first floor. It's waiting for you, no worries!!" 傘をもったら、バックパッカーのギターを持つのを忘れてしまったようだ。嗚呼!

忘れたといえばもうひとつ。Darkness on the Edge of Town Story の校正を夢中でしているところに電話。6時15分。「今日は出席しませんか?」「えっ?来週じゃないんですか」。「今日です」。区長会の思い出会。7時前、校正を送り、1時間遅れで、あわてて駆けつける。今夜は家人も都合が悪く、オーリアッドは臨時休業。一年ぶりに再会する方々が多いが、皆さんお元気。

二次会には行かず、帰ってきてから、気になっていた1曲の英詞と対訳を修正し、改めて送る。

コンピュータはおかげで調子がいい。軽い。

台風がきているようである。大きな被害が出なければいいが。


October 28, Thursday 2010

雨の中、山麓線を松本へ。道路沿いの木々が色づき美しい。午後2コマの授業。小テストに、キング牧師と Heart with No Companion。4講時目、最後に少し時間があまり、 Heart with No Companion を学生と一緒にもう一度歌うことに。歌い終わったとたん、間髪を入れず授業終了のベル。同時に誰かが「ブラボー!ブラボー!アンコール」と叫ぶ。声のほうをみるとジョン・クーンズが後ろのドアから顔を出していた。

しばらくジョンと話したあと、再び山麓線を下って辰野へ。朝降っていても、帰りにはやんでいることが多い。今日は違った。帰りもかなり強く降っている。おかげで傘を忘れずにすんだ。

6時半、下澤さんが、修理されてもどってきたハードディスクをもってきてくれた。それから3時間ほどかかって、彼はそのディスクからデータを抜き出し、新しいディスクに移し、さらにそのバックアップを外付けハードディスクにとってくれた。最初はなかなかデータが移動しなかったが、さまざまな方法を駆使し、移動し始めたときには、奇跡が目の前で起こっているかの感があった。本当に感謝してもしきれない。

10時前オーリアッドへ。家人と交替。11時過ぎ家に戻り、復旧したデータを整理点検する。音源のいくつかは見つからない。しかしそれは大きな問題ではない。授業や講演の資料、メールアドレス、住所録は無事回復。


October 27, Wednesday 2010

午前11時から、この数年この時期の恒例行事になった「紅葉の会」。視覚障害者の方々との交流会。主役は粟津原さん。木遣りをやり、ハーモニカを吹き、「果樹園の道」を歌う。いつお会いしても彼女のセキギョク性には驚かされる。

「てるてる坊主の歌」を歌える人がいますか?と聞くと、粟津原さんをはじめ皆さんがよく覚えていて、歌ってくれた。そのあと「六朗」を聞いてもらう。「てるてる坊主の歌」は長い間歌っていなくてもすぐ歌えるのに、この歌の作者については誰も知らなかった。歌い終わると、粟津原さんから、これまた恒例となった「アンコール!」。「丁度よい」を歌う。




3時前に家に戻り、明日の準備。

6時、再びオーリアッドへ。寒い。灯油のストーブを点ける。なかなか暖まらない。夏から、秋を通り越して冬がきたみたい。そういえば、今年は初めは、冬から、春を飛び越して、夏になったようだった。

CDの棚を見ていたらロン・セックスミスのCDがあった。彼の名前がタイトルのアルバム。その中に Heart with No Companion が入っていた。悪くない。しかし、やはりこの歌を書いた人のヴァージョンが好きだ。特に Songs from the Road に収められているヴァージョンが。

11時、家に戻り、玄関先の温度計を見たら。3℃。寒いはず。メールをあけたら、HDDが直ってきたとのメール。データが無事かは確認とれていないとのことだが、本当にありがたい。明日か明後日にはインストールしてもらえそう。


October 26, Tuesday 2010

コンピュータのハードディスクが壊れてから、クラスの準備が大変。今朝もあわただしく準備し、松本へ。午後2コマの授業。今日の歌は後期が始まってから歌った3曲、Yesterday, Imagine, Heart with No Companion. 3曲目は、一度歌ってから映像を見て、再度歌う。映像を見たあとの学生たちの歌い方は明らかに違う。

今日は新しい歌に入るかわりに、コーエンの別の歌の映像を見ることに。ひとつのクラスは Waiting for the Miracle、もうひとつのクラスは Famous Blue Raincoat。後者を見ているとき、

  
You'd been to the station to meet every train
  And you came home without Lili Marlene
  君は汽車が入ってくるたび駅へ行ったが
  リリーン・マルレーンを連れずに一人で戻ってきた

というところがあった。この歌にも Waiting for the Miracle や Stranger Song に共通するテーマがある。

壊れたハードディスクに関して下澤さんからメールがあった。故障したハードディスクを送った業者から「ファームウェアを電気的に抹消→書き込みで復旧出来る可能性が極めて高い」という返事がきたとのこと。早ければ28日には直ってくるとのこと。もしそれが本当なら実にうれしい。感謝してもしきれない。

今夜、再び、 Songs from the Road を通して見る。Live in London もそうだったが、この DVD も繰り返し見たくなる。Live in London は3時間近くもあったので、時間がかかったが、Songs from the Road は本編72分ほど。通して見る時間としてはちょうどいい。それに歌と歌の間のナレーションもほとんどカットされているので、気に入った歌だけをピックアップしても連続性が失われることがない。

「スザンヌ」はぼくが最初に聞いたコーエンの歌で、もっとも好きなコーエンの歌と言っていい。しかし、今回のDVDに関する限り、Chelsea Hotel #2, Waiting for the Miracle それに Famous Blue Raincoat の間に隠れて、それほど目立たなかった。あまりにもよく聞いた歌なので新鮮さが失われたのかと思っていた。しかし、今夜改めてDVDを通して見たとき、「スザンヌ」の言葉が心にしみわたった。やはり彼の傑作である。

なぜかコーエンは「イエスは船乗りだった、水の上を歩いたとき」で始まるセカンドヴァースをこのDVDでは最後に歌っている。つまり本来のサードヴァースと入れ替わっている。このような順番で彼が歌ったのを初めて聞いた。


October 25, Monday 2010

一日雨が降ったりやんだり。気温は10度前後でけっこう寒い。庭の白樺も日毎に色づいてきた。

ここ数日眠くて仕方がない。コンピューターがダウンして以来続いている睡眠不足のせいもあるだろうが、季節のせいということもあるかも。気がついてみると猫たちも朝から晩までよく寝ている。春眠暁を覚えずと言う。秋も、春のように眠くなるのだろうか。

明後日10月27日にリリースされるレナード・コーエンの Songs from the Road の DVD を午前と午後2度見る。Live in London を一冊の長編小説とすれば、これは短編のアンソロジー。

何度見ても一番好きなのは Waiting for the Miracle である。Stranger Song とも共通するコーエンの世界。それに、Famous Blue Raincoat と Chelsea Hotel も好きだ。Famous Blue Raincoat の次の2行は比類のない美しさ。、

  
Jane came back with a lock of your hair
  She said you gave it to her


認めなければならないだろう。レナード・コーエン中毒だと。

夜、明日のクラスの準備をしているところに、急遽3曲の翻訳の依頼。急いで訳して送る。


October 24, Sunday 2010

昼前ガレージの裏のサツマイモ堀り。ダンボールにいっぱいとれた。いくつか大きいものも。ネズミかモグラにかじられているものある。家人の言うのは。サルが何本か引き抜いていったとのこと。

昼過ぎ、辰野キリスト教会へ森下辰衛先生の三浦綾子の文学についての講演を聞きに行く。感銘深い講演だった。二重の意味で勉強になった。ひとつはもちろん三浦綾子さんについて、そして彼女をとりまく人々について学べたこと。もうひとつはプレゼンテーションの方法について。

一時期彼女の本を、エッセイ中心に、よく読んだものである。今ぼくの仕事部屋の本棚には見当たらない。家人はオーリアッドの2階の本棚にあると言う。また読み直したくなった。

もう何年も前、当時帯広にいた長男に会い北海道へ行ったとき、旭川へ寄り、三浦綾子文学記念館を訪問した。そのとき、中原悌二郎彫刻記念館も訪問した。中原悌二郎が碌山の彫刻を見て、油絵をやめて彫刻を志した話は感動的である。

夜、LSECのレッスンへ。フリートークと歌。Heart with No Companionの訳。最後、Gettisburg Address は時間切れで、聞いてもらうだけに。

今夜も雨。一雨ごとに秋が深くなる。



October 23, Saturday 2010

久々にオーリアッドを訪れてくれた方もいて、とてもいいオープンマイクになった。

トップバッターは藤森和弘さん。丸山俊治さんの言葉を借りれば「イチローのような不動の1番バッター」。「人生に勇気」、愛音ちゃんといっしょに「まあるいいのち」。近々小学校の音楽会で歌う歌とか。そして「あの日のままで」。続いて、名取由紀子さん。「いい日旅立ち」「Over the Rainbow」、そして尾崎豊の息子がデビューしたと話したあと、「I Love You]」。1曲目と2曲目の間に、名取さんの短歌の先生、松平盟子さんの短歌を紹介する。しかも辰野と関係ある短歌を。そのうちのひとつ:

辰野なる荒神山の湯の神がわれをくすぐる赤裸のいま  
             歌集『天の砂』(
砂子屋書房)より

丸山さん、1曲目は教会コンサートでも歌った「白雪先生」。そして先日見つけたという35年前に書いたという「名もないぼくらの歌」と「愛する喜び」。いい歌である。現在の丸山さんがあるのは、こうしたバックグランドがあったからと納得。しかしストーリーがあって印象に残る歌ということになると最近の歌に軍配があがる。

赤羽真理さん、「今日はやりにくい」といいながら、「鹿のように」「旅人の木」「今すぐに」の3曲。「やりにくい」のは明日辰野キリスト教会で午後1時半から講演をされる森下辰衛先生がお見えになっているからかと思ったら、会社のCEOのNさんもお見えになっていた。

原田和夫さん、「白雪先生」のナレーター、つまり主人公。「白雪先生」のテープをもらって、ぜひもう一度先生に会いにいきたと話したあと、「水野源三詩集」の序文の朗読。三浦綾子さんが書いたもの。続いて、森下先生にひとことお願いする。今日先生は、水野源三さんのふるさと坂城町で講演をされてきたとのこと。三浦綾子さんと水野源三さんの出会いについて語られる。本当に出会いは不思議である。

前半最後はぼくが、今日はハーモニカのキーを間違えないように再三チェックし、「祈りの歌」。10分の休憩。










後半トップは藤森さん。「生きて」と、彼の師匠の子供時代の春夏秋冬を歌った歌。久々に聞く1曲目、ことばが心にすっと入ってきた。次に名取さん、「カノン」、そして「家路」。ここで久々登場の赤羽孝昌さんのプレゼンテーション。30万円の自転車買って30キロのロードレースに出た話、それに現在の自分が与えられている恵みについて。

原田和恵さん、「あなたのなさることは」「君は愛されるために生まれた」。丸山さん、池田町に住むというお孫さんの話をしたあと「雪のかくれんぼ」、そして柴田トヨさんの詩に曲をつけた「風と日差しと私」。この詩のはいっている詩集『くじけないで』を丸山さんから紹介されて読んだのはもうずいぶん前のこと。今この詩集はベストセラーになっている。amazon でチェックしたら書籍全体で154位、詩集で2位。

赤羽(真)さん、「ホーボーズ・ララバイ」と「千両梨の実」。前者を歌うまえに、巣立っていった、そしてこれから巣立っていく子供たちへの思いを語る。原田和夫さん、先週報告のあった、満州時代の記憶を書き始めたことの報告の続き、そして今日行ってきたという松本の楽市楽座について。最後にぼくが、「碌山」というリクエストの代わりに「六朗」を歌わせてもらう。今日この歌を録音し、池田町の永田さんに送ったばかり。録音のために何度も歌いなおしたので、ようやく定着してきた。

終了後、しばし歓談。



October 22, Friday 2010

朝から、ボスの歌の校正。ほぼ終了していたが、3曲だけ迷っているものがあった。昼過ぎその3曲に最終決断を下し、全21曲分の校正送る。再校の機会がいただけそうで、ありがたい。

そのあと、家人に頼まれていた百日草の写真を撮る。ところどころ枯れ始めている。種を花の色で分けて袋に入れ、色別に花の写真を袋に貼っておきたいとのこと。ついでにかすかに色づいてきた白樺を撮る。



午後遅く永田さんへ送る「六朗」のCD-R を作りにオーリアッドへ。take four までいったが、満足できるものはできなかった。長い歌なので、間違うと大変。

いったん家にもどり夕飯を食べ、再度オーリアッドへ。録音の続きをと思ったが、お客さん。11時過ぎ閉店してから、2回録音。まだ満足できる出来ではない。



October 21, Thursday 2010

朝起きたら雨。奄美大島は昨日からの大雨で大きな被害が出ている。お気の毒にも、お年寄りが何人か濁流にのまれて亡くなったようである。コーエンの Who by Fire? を思い出した。「誰が火によって、誰が水によって」(Who by fire? Who by water?)

ここは静かな秋雨。スプリングスティーンを聞きながら山麓線を北上。松本へ。disc 3 の最後の曲 The Way はすばらしい。訳には苦労しているが。

午後2コマのクラス。小テストのあと、Heart with No Companion。コーエンの歌の中では、比較的明るい感じの歌。「船のない船長」「赤ちゃんのいないおかあさん」「友だちのいない心」など、内容は決して明るくないけれど。

帰路、32枚のCDを収納できるケースを2つ買う。机の上にちらばっているCDやDVDを整理しなければ。

オーリアッド。7時過ぎ家人と交替。ステージの後ろの物置から灯油のストーブを出して、点火する。寒くなってきた。歌の練習。「六朗」「イマジン」、そして「ハート・ウイズ・ノー・コンパニオン」。

遅くに下澤さんからメール。壊れたハードディスクを廉価で修理してくれる業者を見つけてくれたとのこと。ありがたい。



October 20, Wednesday 2010

朝から数曲の校正に頭をひねる。ああでもないこうでもないで、時間ばかりが経っていく。

カンボジア行きが現実味を帯びてきた。チケット、航空券、アコモデーションを確保し、午後郵便でヴィザを申請した。残念なのはジム・グリーンがプノンペンにいないこと。レナード・コーエンが目的だが、カンボジアを訪れるのも同様に exciting。

次の記事はWENN (World Entertainment Network News) からの抜粋。

このコンサートは、カンボジアのサムデック・フンセン首相とカンボジア赤十字社のロク・チャムテューヴ・ブン・レイニー・フンセン理事長の後援の下で開催される。得度した僧でもあるコーエンは、「建築学的に重要な」スタジアムで行われるlこのコンサートは、「スピリチュアルな経験」になるだろうと期待している。

マネジャーのロバート・コーリーはWENNの記者に次のように語った。「レナードは招待されたことに対し、とても光栄に感じている。彼のコンサートがこの国の文化遺産の復興や個人的な癒しに、少しでも役立つことができるならば幸いである。

周知のとおり、かつては文化的メッカだったプノンペンは、35年前、残忍な大虐殺を経験し、多くの命が失われ、美しい町の様相は一変してしまった。この町が再び躍動的な文化の中心として蘇ることに、また傷ついた人々を支援することに、少しでも寄与できればと思っている」 

The concert will be held under the patronage of Cambodian Prime Minister Samdech Hun Sen and Lok Chumtuev Bun Rany Hun Sen, the president of the Cambodian Red Cross. An ordained Buddhist monk, Cohen hopes the concert will be a "spiritual experience" at an "architecturally significant" stadium.

The Canadian star's manager, Robert Kory, tells WENN, "Leonard is deeply honoured by this invitation, and we hope that, in our small way, we can both assist in cultural restoration and personal healing."

"The world is aware that Phnom Penh, once a cultural mecca, and its people, suffered a brutal genocide 35 years ago, which ended lives and altered that magnificent city. We are hopeful that the concert may become a first step in the celebration of the city's rebirth as a vibrant cultural center and serve to aid those who have suffered."
http://www.aceshowbiz.com/news/view/w0003850.html

下澤さんがきて、ファームウエアの修正を試みてくれた・・ but in vain。専門の業者に出さなければ無理のよう。

8時過ぎ、家人と交替するためにオーリアッドへ。遅くに田中先生。お元気そうである。


October 19, Tuesday 2010

午後2クラス。キング牧師のスピーチの前半部分の小テスト。Heart with No Companion。ハードディスクが新しくなり、古いデータがないので、準備が大変だった。いかにコンピュータに依存していたかがわかる。

昨夜下澤さんから届いたメールに、ファームウエアとあったので、 farm ware と思っていたが、調べてみたら firmware だった。「ハードディスク内のROMに記憶されたマイクロプログラムで、ソフトウエアに組み込まれた機能を実行する」との説明があった。To be honest, 何のことかわからないが、firmware の修正によりデータの回収が可能とのこと。首尾よく修正できたらいいのだが。保存していた住所録もメールアドレスもすべて消えてしまった。

夜、Darkness on the Edge of Town Story の中の1曲についてあれやこれや考える。一人称で話しているが、一人の男のモノローグともとれるし、男女のダイアローグともとれる。英語だと I と you ですむが、日本語の場合は人称代名詞を何にするかで苦慮する。現在のレナード・コーエンはすべて「私」と「あなた」で違和感はない。しかし若いころのスプリングスティーンに「私」と「あなた」は似合わない。


October 18, Monday 2010

昨夜はぐっすり眠り、疲れもだいぶとれた。王様のような気分にはほど遠いが。午前中は、放っておいた畑や庭の仕事を少し。芝刈りというよりは生い茂った雑草刈り、それに玉葱用の畝作り。

インターネットを始めた10年ほど前、よくお世話になった下澤さんが、壊れたハードディスクを修復しにきてくれた。いろいろな器具に接続し試してくれたが、回復するのは難しそう。HDDレスキューの会社に送るより仕方ないかもしれないとのこと。その場合は直っても直らなくてもかなり高額の費用がかかるらしい。

もう諦めてこのままにしておこうと思っているところへ、夜遅く、下澤さんからメールがあった。「2〜3年前からSeagate社のHDDの不具合が多く確認されているのを忘れていました。HDDの型番が、以下のHPの型番と一致していたら不具合対象製品に該当します」とのこと。調べてみたら、会社名も型番もぴたりと合った。「型番が一致していた場合、ファームウェアの修正で復旧可能かもしれません」とのこと。ファームウェアがどんなものかわからないが、まだ完全に諦めなくてもいいかもしれない。

スプリングスティーンの The Promise: Darkness on the Edge of Town Story の音源が届いた。それを聞きながら、discs 2 & 3 の校正を始める。きわめてハイクオリティの作品群。一度通して聞いて最も印象に残ったのは Come On (Let's Go Tonight)。サウンド的には Factory に似ている。それにしても、ハードディスクが壊れるのが初稿を送ったあとでよかった。

明日のクラスの準備を少し。明日は Heart with No Companion を歌う予定。


October 17, Sunday 2010

恒例となった辰野キリスト教会での「秋のチャーチコンサート」。簡単なサウンドチェックのあと、1時半スタート。

長谷川和雄牧師のあいさつのあと、赤羽真理さんの司会で第一部スタート。教会の若者たちのグループ「オリーブ」による「空」「Mercy Is Falling」「God Bless You」の3曲。2曲目は振り付けがあって、元気あふれる演奏。簡単だからと、聴衆も立って踊るように促されたが、けっこうむずかしい。

続いて北原真紀さんが大月高志さんのサポートで「ハート・オブ・ソング」と「卒業写真」。1曲目はオーリアッドでも聞かせてもらったオリジナル。続いて大月さん、バッハの「プレリュード」とベートーベンの「悲愴」第二楽章。後者はゆったりとした美しいメロディ。世界で最も美しいメロディと言われているとか。

丸山俊治さん、この教会のメンバーであり、オーリアッドも大変お世話になっている原田和夫さんが60数年前の小学校時代の先生をナナハンに乗って訪ねたときのことを歌にした「白雪先生」と「心の鏡」。聴衆の心に歌の言葉がしみ込んでいくのがわかる。

第一部最後は、ぼくが「年を取って歯が抜け」「六朗」「果樹園の道」「祈りの歌」。そしてアンコールで「千の風」。「果樹園の道」はコンサートの直前に粟津原さんとお会いし、急遽歌うことに決める。以前からこの歌をぼくと一緒に歌いたいとお聞きしていたのである。ところがぼく自身韓国語のところがうろ覚え。ヨン先生に電話をして事なきを得た。粟津原さんにもマイクをまわしてもらい、一緒に歌う。日本語の部分だけだろうと思っていたら、驚いたことに韓国語の部分もしっかり覚えていた。彼女は全盲ではあるが、常に明るく前向き。お会いするたびに元気づけられる。

「果樹園の道」は別として、ぼくの演奏は、ぼくの前に演奏したみなさんが盛り上げてくださったコンサートを台無しにしてしまったと恐れるほどに随所にうっかりミスがあり、ひどいものだった。パソコンの不調もあって、昨夜一睡もできなかったということも言い訳にはできない。救いは「六朗」が、昨日とは違う新しいメロディになっていたようだが、ひとつの作品として定着してきたこと。





第二部は長谷川ひさい副牧師さんの司会で、先ず赤羽真理さんの演奏。「千両梨の実」。ピアノサポート大月さん。歌いはじめる前に赤羽さんの息子さんがイザヤ書の一節を朗読。2曲目「今すぐに」。続いて原田和恵さん、「こころくじけて」を含む2曲。オーリアッドで聞く原田さんとは少し違って、より敬虔で、より「宗教的」な雰囲気。最後にみなさんと一緒に「アメージング・グレース」。最後に副牧師さんの挨拶があって終了。このような機会を与えてくださった長谷川牧師ご夫妻、赤羽さん、そして教会の関係者の方々に感謝。

家に戻り、ひどい演奏に落ち込んでいたが、おかげでレナード・コーエンの Heart with No Companion の歌の一行の意味がしっかりわかった。

  
And I sing this for the captain
  Whose ship has not been built
  For the mother in confusion
  Her cradle still unfilled

  For the heart with no companion
  For the soul without a king
  For the prima ballerina
  Who cannot dance to anything

  そして私はこの歌を歌う
  まだ船を持たない船長のため
  揺り篭に赤ちゃんのいない
  途方に暮れた母親のため
  
  友だちのいない心のため
  王様のいない魂のため
  踊ることのできない
  主役の踊り子のため

この歌の対訳をしたとき、the soul without a king を「王様のいない魂」と直訳しておいたが、イメージはあやふやだった。ぼくの今の精神状態、自信喪失状態の魂のことだと今日わかった。明日は王様がもどってくれるだろうか。


October 16, Saturday 2010

薮田ファームの収穫祭。田んぼオーナープログラム最終日。昔の足踏み式脱穀機と手回しの「唐箕(とうみ)」というモミ選別の道具を使い脱穀作業。子供たちが大活躍。お昼は茸づくし。松茸ご飯、雑茸入り豚汁。ウシカワの大根おろしあえ。コウダケの大根おろしあえ。雑茸の煮物。紫芋のキントンも美味しかった。もみ100kgをいただいて帰る。33kg 入りの袋3袋と、精米したお米2キロ。30キロの袋というのはかなり重い。みなさん軽々と抱きかかえ車に積んでいるが、ぼくにはちょっと難しい。





午後長男が東京から緊急出動してくれて、動かなくなったパソコンをみてくれた。ハードディスクが壊れているとのことで、とりあえず新しいハードディスクに替えてくれた。おかげで基本的な機能は回復したが、重要なデータが失われてしまう可能性がある。ある程度は、古いデスクトップから移動できる。I am learning a lesson the hard way と言ったところ。

                    

オープンマイク。「六朗」を練習しているところへ原田和恵さん。「六朗」を聞いてもらってから、原田さんにお願いする。「主の愛の中に」「God Bless You」「糸」「そばにいるよ」。前回「イフ」と書いた曲名は「糸」と判明。その後、何人かお客さんが入り、赤羽真理さんが食事をすませるまで、ぼくが歌うことに。「六朗」「ジョン・レノンに捧げる歌」、そして「千の風」。赤羽さん、「花はどこへ行った」「旅人の木」「御言葉なる」。最初の曲を赤羽さんが歌うのを初めて聞いた。次に、工藤順子さんにプレゼンテーションをお願いする。辰野の温泉で知り合ったという一緒に来られた年配の女性を紹介された後、原村で自然農法を実践しているクリスチャンの方を訪問した話。息子さんがその農法に興味を示しているとのことで、うれしそう。ここで前半終了。





後半トップは原田和夫さん。長い間の念願だった幼年時代をすごした満州での回想録を書き始めたとのこと。書き始めたら、次から次へといろんなことが思い出されれると驚いていた。丸山さんが「いつか叶うといいですね」と歌った呼びかけにいよいよ応え始めたことになる。

原田和恵さん、「祈り」「心くじけて」、そして定番になったピアノ独奏「ラルゴ」。2曲目の中に繰り返される「一羽の小鳥さえ、主は守りたもう」というフレーズが印象的。次に、休憩時間が始まる直前にお父さんと一緒に入ってきた川島周君にお願いする。高校2年になったとのこと。この間高校生になったばかりだと思っていたが。A・ブレイキーの Mourning、S・テイラーの Harlem Nocturn、そしてご存知 Autumn Leaves。暑い夏も終わり、「枯葉」の季節がめぐってきた。とはいえ、この時期にしてはかなりまだ暑い。

赤羽さん、「今すぐに」と「千両梨の実」。そしてぼくが最後に、新たなお客さんもお見えになったので、再び「六朗」。今夜は3度この歌を歌い、3度とも微妙にメロディが違う。明日歌かどうか迷っていたが、「いい歌ですよ」という言葉に励まされて歌うことに。

11時過ぎ、家に戻り、新しくハードディスクを入れたコンピュータに Homepage Builder のプログラムをインストールし、とりあえず今日の写真をアップ。


October 15, Friday 2010

朝からコンピュータの調子が悪い。昨夜まで順調に動いていたのに突然動かなくなった。今、ノート型を使って打っているが、極めて使いづらい。

明日は薮田ファームで収穫祭。夜はオープンマイク。

明後日は、辰野キリスト教会で「秋のチャーチコンサー」。

    10月17日(日)午後1時半より
    秋のチャーチ・コンサート― 愛〜いつもでも残るもの〜

    出演:三浦久、丸山俊治、大月高志、北原真紀、赤羽真理、
       オリーブ他
    会場:辰野キリスト教会(JR宮木駅隣)
    入場無料
    主催: 辰野キリスト教会
        辰野町伊那富2674-1 tel: 0166-41-161

昨年、カトリック教会の前でいくら待っても、コンサートらしい気配がないので、帰ってしまったという方がいたが、宮木駅近くのプロテスタントの教会です。



October 14, Thursday 2010

今朝はもう鳩を見ることはなかった。家人に聞いたら、午後も姿を見せなかったとのこと。完全に独り立して飛び立ったのだろう、と思う。ときには顔を出してくれたらいいのだが。

午後2コマ。最初のクラスで、Imagine を学生と歌っていたら突然後ろのドアが開いて、二人のアメリカ人の先生が顔を出す。うるさ過ぎて文句を言いにきたのかなと思ったら、聞きたい言う。ドアを開けたままでは隣の教室の迷惑になる。中に入ってもらって一緒に歌うことに。

この歌を歌う前に発音の注意をする。imagine をカタカナでイマジンと歌いがち。「暇人(ヒマジン)」と同じ音。先ず「イ」。これは「イ」と「エ」の中間の音。「マ」は man, mad, mat の「マ」。つまり、m の後の a は「エ」の口の形で「ア」と言う「ア」。もっとも難しいのが、「ジン」。この「ジ」は破擦音。舌の先を上の歯の歯茎にに押し当て「ジ」といい、そして最後の n も舌の先が上の歯茎につく。jazz も John も George も破擦音。「仁」「人」「陣」というときの「ジン」は摩擦音。舌の先はどこにも当たらない。

先日の大会議室でのトークに来てくれたカナダ人のショーンが、1979年にドイツでコーエンが演奏したときのライブ盤をプレゼントしてくれた。この年にコーエンは Recent Songs をリリースしていて、その中から何曲か歌っていた。 The Guests, The Window, The Gypsy's Wife, それになんと言っても、ライブでは聞いたことのない The Ballad of the Absent Mare。このアルバムはぼくの好きなコーエンのアルバムのひとつ。

オーリアッド。ジブランの会のみなさん。それに初めてこられた何名かの方々。遅くなって「六朗」を歌ってみる。もう少し言葉を削ったほうがいいかもしれない。


October 13, Wednesday 2010

お昼頃、チリの鉱山事故で地下700メートルに閉じ込められた33人の作業員の最初の作業員が救出されるところを見た。小さな男の子が、泣きながら地上に出てきたお父さんに近づくところが印象的だった。彼にとって一生忘れることのできない瞬間だろう。

昼過ぎ、ギターを弾いて、「六朗」のファーストヴァースを口ずさんでいたら、いいメロディが浮かんできた。そのまま一挙に、3分の2の歌詞がまとまった。そして、今夜、オーリアッドから戻り、完成した。永田さんとの約束を何とか果たせそう。

浅原六朗は童謡「てるてる坊主」の作詞をした人。池田町出身。

下に引用したのは最初の2ヴァースと最後の2ヴァース。ぼくの歌によくあるように、ファーストヴァースが、最後に繰り返される。全19ヴァース。

  
雨が降ると思い出す歌がある  
  明日天気にしておくれ
  幼い頃この歌を口ずさみながら
  軒先に吊るした てるてる坊主

  明治28年2月22日
  一人の男の子が産声をあげた
  信州は安曇野 池田の町
  六朗という名前がつけられた

    (中略)

  今日もこの歌のメロディーが
  池田の町に流れてくる
  明日もいい日でありますように
  雨の日も、雪の日も、晴れの日も

  雨が降ると思い出す歌がある  
  明日天気にしておくれ
  幼い頃この歌を口ずさみながら
  軒先に吊るした てるてる坊主







October 12, Tuesday 2010

朝起きて外を見ると、雛鳥は松の木にいて、親鳥が一羽、
家と裏山の間の電線にとまっていた。ときどき鳴いて、雛鳥に話しかけている。そのうちに、松の木に飛んできてとまった。それでも、雛鳥は動かない。

  
恐れないで思い切って飛んでみるんだ
  おまえの心の中にある力を信じて
  あとは風に任せるがいい翼を広げて
  あの果てしない大空へ羽ばたいてみるんだ

15年ほど前、次男のために書いた歌を思い出した。

夕方、松本から戻り、家人に聞くと、雛鳥は一時どこかへ行っていたが、4時ごろ戻ってきて、今松の木にいるとのこと。下の最後の写真は家人が撮ったもの。



久々に、最初から最後まで、日本対韓国のサッカーの試合を見た。引き分けに終わったものの、すばらしい試合だった。ゴールはならなかったが本田のスピードある華麗な動きに感銘を受けた。長友、松井、長谷部などの堅実な守備にも。韓国選手と接触して腕を折った選手は気の毒。ワールドカップでPKをはずした選手。不運である。不運と言えば、ゴール前の韓国選手のハンドをとらなかった審判のミスジャッジ。

味覚の秋。ちょっと食べすぎ。気をつけなければ。


October 11, Monday 2010

今朝起きて、いちいの木をみたら雛鳥がいない。とうとう飛び立ったのかと、嬉しいような淋しいような。飛び立つ瞬間を見たかった。朝食後、長男が松の木の枝にとまっている二羽の鳩を見つけた。雛鳥だ。彼らはおそらく朝日とともに、4,5メートル離れた松の木まで飛んだのだろう。親鳥が一度、餌を運んできたが、結局彼らは夕方まで松の木の上で過ごした。明日の朝は裏山へ飛んでいきそうな予感。




明日のクラスの準備。キング牧師のスピーチの冒頭部分の小テストをつくり、明日歌う Imagine の練習。

ニール・ヤングの歌う Imagine が YouTube にあった。9.11 のトリビュートコンサートで歌ったもの。リアルタイムで、ニールがこの歌を歌うのを CNNかWowWow で聞いたことを思い出した。そして、その時、ニールがジョンとそっくりに歌うことによって、ジョンをこのコンサートに参加させようとしたのだと思った、ことも思い出した。

http://www.youtube.com/watch?v=Z3T8xr274q8



October 10, Sunday 2010

雛鳥たちは大きくなって、今にも飛び立ちそう。下の列の写真が親鳥が飛んできて餌を与えているところ。めまぐるしく動くので写真が撮りずらい。




久しぶりに帰省した長男と3人で、宮田村へお昼をたべに。すわる席がないほどの混みよう。「ときわ」のソースかつどんはやはり美味しい。太田君は留守だったが、おかあさんと少し話す。お元気そうだった。そのあと、権兵衛トンネルを通って木曽へ。楢川村の道の駅でワインや漆器などを買う。母がこの近くの施設に入っていた頃はこの道の駅によく寄ったもの。

夜、面白い YouTube があった。レナード・コーエンがマウント・ボールディでの禅の修行について語るもの。その内容は、以前どこかで読んだことがあるが、こうして映像でコーエン自身が語るのを聞くと、リアリティがある。70年代の初めに、修行を始めたとき、そのあまりの厳しさに、第二次世界大戦の復讐ではないかと思ったというところは笑える。

日本人の老師とドイツ人のhead monk (直日=じきじつ)が、共謀してアメリカ人の若者たちをいじめているように見えたのである。そこで修行していた多くのアメリカ人が、素足のままで草履を履いて雪の上を歩かされたり、棒(警策=けいさく)でこぴっどく叩かれたりした。

一度はあまりの厳しさに逃げ出した修行に、彼は再び戻り、毎年何ヶ月か滞在して修行をしたが、1993年から5、6年、マウント・ボールディに移り住み、侍者(じしゃ)として佐々木老師のお世話をしながら、僧堂で生活をし、修行を続けたのである。この間にうつ病が治り、ビジネスマネジャーが老後のために貯えておいたお金を持ち逃げし、彼はワールドツアーを行なうことになる。もし老後のたくわえが潤沢にあったら、われわれは Live in London Songs from the Road も持つことはなかった。何がいいか、最後になってみるまで分からないという一つの例。

http://www.youtube.com/watch?v=4-BIp7yeJ94&NR=1


October 9, Saturday 2010

今週は、
翻訳、授業再開、講演と続き、昨日は完全にグロッギー。今朝も疲れてはいたが、なんとか元気を出してメールや電話で問合せ。レナード・コーエンのコンサートに関して。12月4日(土)のハワイでのコンサートへいく計画を立てていたが、9月終わりにキャンセルすると発表された。その代わりに、11月27日(土)のプノンペン行きが浮上してきた。その実現には、クリアーしなければならないいくつかの問題がある。一番の問題は時間。前日の金曜日午前中、キャンセルできない仕事が入っている。土曜日午後7時からのコンサートに間に合うかどうか。飛行機は少し無理すればなんとかなりそう。3年にわたったワールドツアーの最終日となる12月12日(日)のラスベガスも可能性としてはある。こちらは12月17日(金)の年末ライブをひかえて、時差の問題が大きい。

                   
 ■

オープンマイク。

前半トップは丸山俊治さん。今日は藤森和弘さんの「チェインジ」を歌おうと練習してきたとのこと。本人の前で歌うことに。以前にも一度丸山さんがこの歌を歌うのを聞いたが、今回のほうが断然よかった。歌いこんだということもあるだろうが、単なるコピーではなく、丸山節になっていた。続いて 40 Years Ago の日本語バージョン。コーラスの部分だけ、It's been 40 years since I saw her last と英語で。3曲目は「白雪先生」。「和夫ちゃんよくきたね」のとこでまたもやホロリ。藤森さん、先ず本家の「チェインジ」。力強いギターワークと歌声。「おまえの歌が聞こえる」。そして3曲目は、「丸山さんの歌は歌えないので、加山雄三さんの歌を」と「海よ」。丸山さんの別名は蚊山遊三。

原田和恵さん、前回も歌った「糸」。中島みゆきさんの歌とは知らなかった。続いて、レーナ・マリアが歌っている歌とのこと。タイトル失念。そして、アカペラで「主の祈り」。高音が伸びて美しい。赤羽真理さん、「御言葉なり」「今すぐに」「旅人の木」。歌の合い間に「太田さんが10月30日に<
ときわ>での最後のコンサートをするというはがきをもらいました」と話す。レストランも10月末で閉店とのこと。驚いた。前半最後、ぼくがジョンの70回目の誕生日に因んで「ジョン・レノンに捧げる歌」。ファンダメンタリストのクリスチャンだったマーク・デイヴィッド・チャップマンについて少し語る。








休憩時間にはジョン・レノン。「イマジン」など。後半トップの丸山さん、「別れの歌―アディオス・ハカランダ」「昼間の花火」、そして 900 Miles。2曲目を歌う前に、昨夜信大のキャンパスへ久々に行ったが、キャンパスの北側の、現在市の体育館になっているところが昔は桜の名所だったと話す。小さな子供のときおかあさんに連れられて桜を見に行き、花火の音と爆弾の音を間違えた「昼間の花火」の原体験の場所。ここでドアがあき、太田裕士さんが入ってくる。一同びっくり。

藤森さん「今日は土曜日」。そしてリクエストに応えて「秋止符」。藤森さんの低音もなかなか魅力的。原田さん、ピアノソロで「ラルゴ」、そして God Bless You。長島功さん「秋桜」、そしてオリジナル「最後の手紙」。久々登場。以前より説得力が増しているように思えた。赤羽さん「許し」と「千両梨の実」。後者は大田さんのピアノのサポートで。彼独特な柔らかい流麗なタッチ。太田さん、サックスは修理に出してるとのことで、ピアノ弾き語りで「虹の中へ」「宇宙の歌」。そしてご存知「ドレッソング」。ドレミファソラシドレッシング!最後にぼくが「祈りの歌」を歌ってオープンマイク終了。その後しばし歓談。

                 ■






October 8, Friday 2010

昨日のうちに対訳を送る予定が大幅に遅れ、送ったのはお昼近く。そのあと、今夜のトーク『60年代カウンターカルチャーとポピュラーミュージック―ボブ・ディランとレナード・コーエンを中心に』の準備。前もって、少し考えてはおいたが、悪い癖で、切羽詰らないとアイディアが湧いてこない。以前に書いた紀要の論文や、雑誌やライナーに書いた文章を読み直しているうちに、ディランは Like A Rolling Stone を、コーエンは Suzanne を中心に取り上げることにした。

3時半家を出て、途中山麓線のスーパーに寄って茸を少々買い、4時半キャンパス着。マークとデイヴィッドに機材の運搬を手伝ってもらい、大会議室へ。機材の設定のあと、デイヴィッドにSuzann と Like a Rolling Stone の DVD の字幕が出るかチェックしてもらう。 家のパソコンでは、何度試しても Like a Rolling Stone (Newport Folk Festival 1965) の字幕が出なかった。デイヴィッドのMac でも、これまた何度試しても、字幕が出ない。仕方ない、Like a Rolling Stone は歌詞と対訳にとどめることに。今考えるとワン・ヴァースだけでもディランの映像を見てもらうべきだったと反省。

聴衆のほとんどは信州大学の先生。資料を用意し話そうと思っていた3分の1も話せなかったが、後の懇親会の席でお話を聞く限り、みなさん、あまり聞いたことのない話で、興味をもってくださったようである。特に、レナード・コーエンをについて初めて知ったという方が大半。Live in London のDVD から3曲、Dance Me to the End of Love, Suzanne, Take This Waltz の3曲を見てもらったが、初めてコーエンの声を聞いたヨン先生はその声にしびれたと言い、DVDを一枚買って下さった。

懇親会では、マークが Like a Rolling Stone を歌い、2年前にアルプス公園でお会いしたというフォークソング好きな方が Blowin' in the Wind を歌った。よくお見かけはするが、名前も何を教えているかも知らなかった先生方と親しく話すことができてよかった。9時過ぎ終了。ぼくは飲まなかったからと、ワインを一本お土産にいただいた。ポリフェノールの入った赤ワインは認知症予防になるらしい。

夕方のお忙しいときにきてくださった丸山さん、原田さんに感謝。それに箕輪から駆けつけたくださった中西先生にも。そうそう、久しぶりにお会いした武居先生にも。



今日の鳩さん。




October 7, Thursday 2010

午後2クラス。最初のくらすは前期のTOEICのテストの点数や成績でクラス替えがあることは知っていたが、同じ顔ぶれが3人しかいなくて驚いた。上のクラスに移動した者が多いのであれば、喜ばしいことだが、継続してやろうと思っていたことができなくなってしまった。新鮮ではある。

翻訳の難しいところを何人かのネイティブスピーカーに尋ねる。Mongolian gangs はなんとなく Hells Angels のような暴走族のように思えるが、カリフォルニア出身の二人が聞いたことがないと言う。困った。その他いくつか尋ねるが膝を打つような返事が返ってこない。

夕方からオーリアッド。今夜は忙しく、「仕事」ができなかった。もちろんそれは喜ばしいこと。

今日の鳩さん。昼間家にいない時間が多かったせいもあるが、親鳥を今日も見ることはなかった。雛たちは元気である。今夜、箕輪の帰りに寄ってくれた丸山さんは、わが家のいちいの木に巣をつくった鳩はキジバトだと教えてくれた。確かに羽の模様は雉に似ている。英語では turtle dove というらしい。亀甲模様に似ていると言われれば、確かに。




October 6, Wednesday 2010

今朝は早く目が覚めた。左の写真は午前6時ごろ撮ったもの。だいぶ鳩らしい顔になってきた。次の2枚は、午後2時過ぎに撮ったもの。この間何度も巣を見に行ったが、親鳥の姿を見ることはなかった。餌をもってきているずなのだが。



終日、翻訳の修正。ほぼ完了。校正の段階でも修正できるとのことなので、明日送れるかもしれない。

夜、土曜日以来のオーリアッド。「祈りの歌」のCDがないかと聞きにきてくれた人がいた。夏休みの間に、新しいアルバムの制作を考えようと思っていたが、猛暑だったことと、翻訳の仕事に後半忙殺されたこともあって、まったく進展していない。ライブ音源と、新たに録音する数曲を合わせて、なんとか完成させたいと思っている。もう少し、お待ち下さい。



October 5, Tuesday 2010

山麓線を通って久々に松本へ。いつもより早目について、何種類かコピーをとる。2コマのクラス。前期で歌った歌のいくつかを歌い、後期の最初の歌 Yesterday を歌う。そのあと、キング牧師のスピーチの冒頭の部分を聞き、解説。この部分は、「私には夢がある」と何度か繰り返す後半の部分の次に好きなところ。来週、その部分の quiz。今日は教科書は使用せず。

クラス終了後、デイヴィッド・Rの案内で8日(金)のトークの会場を見せてもらう。南校舎2階の大会議室。横に長い部屋。

夜は、再び翻訳の修正。これがなかなか難しい。早く済ませて8日のトークの準備をしなければ。

今日の鳩さん。朝8時30分過ぎに撮った写真。雛鳥が二羽、東のほうを向いておとなしくすわっている。とてもお利口。夕方戻ると、家人が、今日は一度も親鳥を見ていないと言う。卵を抱いているときは、親鳥がじっとうずくまっていたが、雛が孵ってからは、餌を運ぶだけなのだろうか。写真で見る限り、雛鳥はまだまだ飛べそうもない。


October 4, Monday 2010

秋の雨。暑くなく寒くなく。家の中も外もとても静か。時々、小鳥の鳴き声が聞こえてくるだけ。

今日は終日、 翻訳の修正をしたり、明日の後期最初のクラスの準備をしたり。

後期に歌う歌を最終的に決め、A4、2枚に歌詞を収め、CD-Rに入れる。Yesterday, Norwegian Wood, Hallelujah, Imagine, Heart with No Companion, The Sound of Silence, Greensleeves, Mr. Tambourine Manの全8曲。長い歌が多く、「ハレルヤ」はとりあえず1番のみ歌詞カードに入れる。

今朝の日本テレビの番組で、ビートルズ解散後のレノンの曲ベスト5というのをやっていた。ベストワンはやはり「イマジン」だった。それを見て急遽、後期の歌に入れることに。レノンは今度の土曜日10月9日で、生きていれば70歳になる。

CD-R には、スティーブ・ジョブズのスピーチとキング牧師のスピーチのDVD を mp3 に変換して入れる。RealPlayer に便利な機能がついていてありがたい。

今日の鳩さん。今日は、何度かベランダに出て巣のあるあたりを見たが、一度も親鳥の姿は見なかった。雛鳥が2羽、雨の中、じっと親鳥がくるのを待っている。まだ生え揃わない羽毛が濡れて痛々しい。




October 3, Sunday 2010

昨日の
稲刈りの疲れもあり、Aa今日はときにはうとうとしながらパソコンに向かう。翻訳。ラフの訳は一通り終わった。全21トラックあるが、コーエンに比べるとそれぞれ短く、特に難しいメタフォーもなく、かなりすんなり訳せた。しかし、これから見直して表現をスムーズにし、確定できていないところは、もう少し考えたり調べたりしなければならない。

今日の鳩さん。ここ数日親鳥が巣にいないことが多くなった。一人立ちへの準備なのだろうか。関心することは親鳥がいない間、雛たちは静かにしていること。雛は一羽か二羽か確定できなかったが、今日二羽であることが明確になった。中と右の写真は、雛鳥だけの写真。中の写真は、一羽の雛が大きく写っているが、もうひとつ右側に頭が見える。左の写真は、親鳥が、巣の近くにとまっているところ。今までこういう姿を見たことがなかった。いよいよ飛び立つための準備をしているのだろうか。



気がつけばもう10月3日。明後日の火曜日から、また松本へいくことに。後期の授業で使う歌をまだ最終的に決めてない。それに4月8日のトークの準備もしなければ、


October 2, Saturday 2010

8時から、沢底の薮田ファームでの稲刈り。全部で6面ある田んぼのうち、ひとつだけを手で刈り、あとは機械で刈るとのこと。総勢30名ほど。少し刈ると、背中から腰が痛くなる。休みながら続ける。みんな素人である。最初はどうなることかと思ったが、数の力は凄い。休憩を挟み、11時ごろまでには、刈り終わり、はぜにかける作業。これが大変だった。稲の重みで、はぜが2度も倒れてしまった。そのつど、やり直し。疲れた。しかし、田植えほどではない。

新たな翻訳の仕事が入り、疲れすぎてはいけないので、お昼をいただかずに帰宅。家人は残り、3時過ぎに戻ってきた。




初めて稲作を体験させてもらった。米という字は八十八の手間がかかるところからきていると聞いたことがある。確かに大変である。大変ではあったが、貴重な体験をさせてもらった。収穫祭は2週間後。

                         


オーリアッドへ出かける前、家人が「丸山さんから今日くると連絡があったのは、新曲ができたからかしら」と言う。「そうかもね」と答えたが、そう新曲ができるはずはないと内心では思っていた。

サウンドチェックを兼ねて、何やかや歌っているところに、原田和恵さん。つづいて丸山俊治さん。先ず、原田さんに歌ってもらうことに。初めて聞く「糸」、長谷川牧師夫妻の娘さんが結婚されるときにお婿さんのために書いたという「大切な人へ」、そして、赤羽さんも時々歌われますがと言って「御手の中で」。最後に伝道の書の一節に曲をつけた「あなたのなされることは」。

  
すべてのことには季節があり
  すべてのわざには時がある
  主よ、あなたのなされることはみな
  その時に適って美しい


丸山俊治さん、1曲目、やはり新曲を用意していた。「白雪先生」。これは、8月7日のオープンマイクで原田和夫さんがバイクで雨の中、佐久の同級会にでかけ、翌日、小学校時代の先生に会いにいったという話をされたが、その話に触発されて、自らの原節子似の小学校時代の先生にも思いを馳せて、書いたという。先生が「かずおちゃんよくきたね」と涙ながらに喜んでくれたと原田さんが語ったところがそのまま歌になっている。2曲目に丸山さんは「自分の感受性くらい」を歌ったが、原田さん、そして丸山さんの感受性に驚嘆させられる。3曲目「職人になったおじさんたち」を大月高志さんのサポートで。4曲目「心の鏡」。

大月さん、ピアノソロ。「カノン」「星に願いを」、そして「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」。教会でのコンサートに向けて新しい曲を練習中とのこと。近々聞くことができそう。赤羽真理さん、息子さんの就職が決まったことの喜びを語ったあと、「森の小道」「人生の海の嵐に」、そして原田さんが歌ったことを知らずに「御手の中で」。それぞれに特徴のある歌い方。同じ歌を別の人が歌うのを聞くのもいいもの。原田さんのヴァージョンには英語が入っていた。前半最後はぼくが、いちいの木で雛が孵った鳩の話をしたあと「アルー」。1曲で3曲分ほどの長さ。







後半トップは原田さん。彼女の定番になった「そばにいるよ」。喉の調子が悪いといいながらも、すばらしい歌声。続いてピアノの演奏、「ラルゴ」。赤羽さん「千両梨の実」「私を待つ人がいる」「許し」。続いて丸山さん。「アルプスのヨーデル歌い」「あなたと共に」。そして、原田和夫さんの話を聞いて書いたという「白雪先生」。このときまでに『七人の侍』を見終わった原田さんも到着していた。原田さん、聞きながら、目頭を押さえている。直後に、この歌の感想を原田さんにお願いする。「この歌のテープをいただいて、先生に届けに行こうかな」とのこと。最後にぼくが「祈りの歌」。丸山さんの「白雪先生」のおかげで、しみじみとしたいい夜になった。

                         

今日の鳩さん。雛が餌をもらうところはめまぐるしく動くのでうまく撮れないが、左の写真にはしっかりと雛が写っている。撮影時間は、朝6時48分。




October 1, Friday 2010

昼過ぎ、鳩がいなくなってしまった。雛鳥も見えない。しばらく頻繁に見に行ったがいない。9月9日に写真を撮り始めてから、こんなことは初めて。しょっちゅう、カメラのレンズを向けられてストレスがたまり、雛を殺してしまったのではないかと心配になった。死んだ雛が、木の下に落ちていないか見に行ったが、その気配はまったくない。4時半ごろ、見に行くといた、いた。胸を大きく膨らませて、東を向いてすわっていた。雛がだんだん大きくなって、餌を探しにいくのだろうか。その間、雛は身を伏せて、声も出さずにじっとしている。偉いものである。





オーリアッド。スピーカーからはティム・ハーディンの Bird on a Wire。コーエンのオリジナルは Bird on the Wire。定冠詞と不定冠詞の違い。受ける印象は微妙に違う。

ティムは、コーエンが I have saved all my ribbons for thee と歌うところを、I have saved all my freedom for thee と歌う。確かにコーエンの歌うこの部分は訳しづらいところであり、文章として読む場合はまだしも、聞いただけでは分かりづらい。コーエン自身、最近は、オリジナル・ヴァージョンで歌うことは少ないようだ。Live in London では、まったく意味の異なる It was the shape, the shape of our love that twisted me と歌っている。

同窓の栗林(秀)君が奥さんと訪ねてきてくれた。「どうしてました」と聞くと、この夏は、文字通り、世界中を飛び回っていたとのこと。中国、ヨーロッパ、北米、南米と仕事で回ってきたらしい。奥さんは、昨年まで住んでいたテキサスのダラスへ行ってきたとのこと。

彼から、中国のこと、これからの日本の経済について話を聞く。やはり円高というのは輸出中心の企業にとっては大きな打撃を与えているとのこと。奥さんとは、英語談義。初めてアメリカへ行ったとき、cat をキャットと発音しても通じなかったというところから。猫談義も。彼らも東京に可愛い猫を2匹飼っている。


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