OREAD Diary
April 1〜30, 2009


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April 30, Thursday 2009

体調は最悪。喉が痛み、咳が出て、微熱がある。swine fluが話題を呼んでいる次期だけに、大事をとって、松本へ行く前に病院へ。マスクをして授業をしたのは初めて。

夕方戻り、エッセイを今晩中に書いて送ろうと思ったが、書けない。明日のお昼まで延ばしてもらうことに。


April 29, Wednesday 2009

終日コンピュータの前。ほぼ書き終えたが、どうも読み直して感動しない。何かが足りない。事実を並べただけの文章。困った。明日また考えることに。

明日はまた松本。週2日は忙しい。


April 28, Tuesday 2009

今日も気温は低い。昼から松本へ。午後2コマのクラス。帰りに輸入食料品店に寄り、タコスのシェルを購入。

夕方戻り、再びレナード・コーエン。体調が悪く、エンジンがかかるまでに時間がかかる。インターネットで、オークランドのコンサートに関するいくつかのレヴューを読む。すべてのレヴューに共通しているのが「こんなコンサートにめぐり合えることはめったにない」とういう主旨の言葉。100パーセント同意。

いろいろな資料が集まったが、何を選ぶか迷う。やはり自分の耳、目の印象を最優先すべきだろう。今夜はあまり進めなかった。早めに寝ることにしよう。すべては明日。



April 27, Monday 2009

終日レナード・コーエンについて考える。考えれば考えるほど、何を書いていいかわからなくなる。夜になってようやく、ひとつの方向が見えてきた。学生にはエッセイの書き方について、トピック・センテンスとかサポーティング・センテンスとか、アウトラインの重要性などについて語りながら、自分が書くときには、一応はアウトラインを考えるが、その通りにいった試しがない。書いているうちにいろいろアイディアが湧いてきて、ぼくの意に反して、勝手にどんどん進んでいってしまう。こうなるまでが大変。

北海道では大雪とか。信州も寒い。豚インフルエンザ(swine flu)が猛威を揮っているとか。鼻水が出て喉が少し痛む。疲れと寒さのせいだろう。


April 26, Sunday 2009

締め切りの12時に数分遅れてDVDの字幕の校正を送る。いくつか迷っているところがあったが、締め切りのおかげで決断することに。締め切りがなければ、仕事は永遠に終わらない。

続いて、オークランドでのコンサート評を書き始めた。しかし、あまりの眠さに横になる。目が覚めたら5時。

夜も結局、うとうとしているばかりで、はかどらず。今日は諦めて寝ることに。明日、がんばろう。



April 25, Saturday 2009

今夜は「きらきら音楽旅団」の参加により、大いに盛り上がり、充実した夜になった。ギター、ベース、バイオリン、鍵盤ハーモニカ、パーカッションを駆使する4人組のバンド。アイリッシュミュージックを中心にしたインストラメンタル楽団。後半の演奏は実に盛り上がり、アンコールの連続。

常連の藤森さん、赤羽さん、大月さんも熱演。










最後、飛び入りライブが終わったあと、何人かお客さんが入り、閉店時間まぎわに、「きらきら音楽旅団の」バイオリン奏者、家塚さんにも加わってもらい「アメイジング・グレイス」。そのあと、大月さんの中学時代の同級生4人で記念撮影。

長い夜だったが、とても楽しい夜になった。


April 24, Friday 2009

庭の白樺の葉がみるみるうちに大きくなっている。芝生も延びてきた。毎年ゴールデンウイーク中に採りにいくコシアブラも今年は早いかもしれない。仕事が一段落したら裏山に上ってみよう。

終日 Live in London のDVD校正。歌詞カードの対訳とDVDの字幕は性格が異なる。DVDの場合は画面が一瞬に消え、次に移る。後に戻って読み直すことができない。簡潔にしてイメージを喚起する表現が望ましい。しかし、言うは易し行なうは難し。

今夜も遅くにオーリアッドへ。原田さんがお見えになり、5月1日(金)、ある写真家の方を招いて環境についての話しをしてもらいたいが、オーリアッドを会場にできないかとの相談を受ける。明日、娘さんが打ち合わせにお見えになるとのこと。



April 23, Thursday 2009

松本へ。午後2コマのクラスのあと、ジョン・Kと使われていない教室でギターを弾く。彼はギターを弾き始めたばかりだが、難しい曲をどんどん弾く。Peaceful Easy Feeling とか Heart of Gold など。ギターを弾きながら歌うことが難しいよう。

夕方もどると、Live in London のサブタイトル付きのDVDが届いていた。日曜日正午までに校正する必要がある。さっと印刷されたものに目を通したが、歌詞に関してはCDの対訳がそのまま使われているし、ナレーションも若干短縮されたところがあるものの、大きく修正する必要はなさそうだ。但し、一箇所、どうしても修正しなければいけないところがある。いろいろ試みたが、字数の関係でピタッとくる表現がみつからない。

夜、8時過ぎにオーリアッド。家人と交替。今、車の中でレナード・コーエンのアルバムを聞いているという赤羽(孝)さんと、コーエンについて話す。


April 22, Wednesday 2009

99回目の碌山忌。午後2時から記念コンサート。早春賦合唱団の方々の歌、西山さんの足踏みオルガンの演奏、桂さんのフルート演奏、影武者さんのシンセサイザーの演奏のあと、「碌山」「次郎」「祈りの歌」を歌わせていただいた。碌山のゆかりの地で年に一回、「碌山」や「次郎」を歌わせていただけることに感謝。仁科先生や柳沢先生にお会いできるのもこの日の楽しみ。




April 21, Tuesday 2009

松本へ。午後、2つのクラス。天気予報通り、2つ目のクラスが終わって外を見ると雨になっていた。かなり激しく降っている。岐路、猫砂を買って帰る。

家に戻りメールを開けると懐かしい人からメールが入っていた。フランス人のアラン・L。昔一乗寺に住んでいたころ近所に住んでいた。熱血漢のジャーナリスト。何度ケンカ腰の議論をしたことか。真夜中に思いついてぼくの『セカンドウインド』をかけて、グーグルで検索してぼくのアドレスを見つけたと書いてあった。そして手短に2000年にフランスに戻ってからの様子が書かれていた。

昨年本を出版したこと。パリは生活費がかかるのでブルターニュ地方のレンヌに引っ越したこと。パーキンソン病にかかっていて歩行困難ながら、今年の夏はブルターニュ地方を歩いて一周する計画を立てていること、等々。彼は一度、東京から200キロ歩いて辰野やってきて数日わが家に滞在したあと、300キロ歩いて京都へ戻ったことがある。

病気の身体をおして無理しなくてもと思う反面、アランならやりかねないという気もする。

明日は碌山忌。2時から碌山忌記念コンサート。



Aapril 20, Monday 2009

暖かい一日。外で働くことが多かった。耕運機で溝をつくり、堆肥と鶏糞を入れ、トウモロコシ用の畝を2本つくる。車のタイヤを換える。それに、庭に散乱している剪定後の枝などを片付ける。さすがに疲れたが、汗をかき、気持ちよかった。

留守をしている間にいろんな花が咲いていた。白樺の新芽もかなり大きくなった。



気がつけば明後日は碌山忌。記念コンサートは午後2時から。ぼくの出番は3時過ぎになりそう。当日は美術館も含めて入場無料。苗木の無料配布もあるとのこと。


April 19, Sunday 2009

夜7時から区の総会。新三役の挨拶のあと、前年度の会計による決算書の説明と承認、そして今年度の会計による予算案の説明と承認が行なわれた。その後、前年度分館長として活動報告を行い、決算書の説明をし、承認される。雨のほたる祭り総おどりを除いて、みなさんの協力もあり、充実した活動ができたと思う。これで一先ず、区の大役終了。引き続き、区の委員としては残るが、総務委員長の役からも解放され、少し楽になった。

総会のあと懇親会。久しぶりにビールをたくさんいただく。肩の荷がおりたせいか、美味しい。

総会から戻り、見てきたばかりのコンサートについて書き始める。締め切りは今月末。その前に Live in London の DVD の監修を済ませなければならない。

気がついてみたら、水曜日は碌山忌記念コンサート。


April 18, Saturday 2009

ノースウエスト航空27便は、サンフランシスコを金曜日午後1時過ぎに離陸し、土曜日の午後4時半、成田に着いた。辰野に着いたのが10時20分。オーリアッドに着いたときには飛び入りライブは終わっていたが、まだ常連の方々が待っていてくれた。



上の4枚の写真は家人がケイタイで撮ったもの。久々登場の愛音ちゃんは「ふるさと」を歌ったとか。最後に写っている赤羽(孝)さんは、映画『ジャイアンツ』の中のジェームス・ディーンのよう。

オーリアッドに着いたとき、ぼくの高校の同窓会帰りの方が何人かお見えになったばかりだった。そのうちの一人は先週サックスを吹いた川島君のお父さん。一人一曲ということで再度「飛び入りライブ」。赤羽(真)さん「千両梨の実」、藤森さん「チェインジ」、大月さん「カノン」。そしてぼくがレナード・コーエンについて少し話したあと、大月さんのサポートで「祈りの歌」と「ガビオタの海」。





あわただしくも有意義な一週間だった。明日からまた日常が始まる。先ず明日の夜は区の総会。過去一年の分館の活動を報告し、決算書の承認を得なければならない。


April 16, Thursday 2009

昼前、ホテルをチェックアウトし、バークレーのモーテルへ。友人のリチャードが迎えにきてくれた。日本を出る数日前に彼からメールが入り、4日間彼の家に泊まるように勧められたが、ホテルに泊まることに。すでにホテルの予約が済んでいたし、それに、コンサートの時間と時差ぼけを考えて、迷惑をかけたくなかった。

彼には大昔、今出川大橋の上で偶然出会った。1971年から72年のことで、彼は台湾へ行く前、しばらく京都に滞在していた。何度かぼくの下宿にも来たことがある。その後音信不通だったが、数年前、突然彼からメールが入り、驚いた。彼の仕事はカーペンター。中国建築や日本建築を得意とし、大工さんたちのコンフェランスで講演をしたりしている。土曜日からカナダへ講演に行くことになっているとのこと。





彼の家の庭には自分で作った藤棚があった。家には日本の和室に似た部屋があった。物静かな大工さん。


April 15, Wednesday 2009

3日目となるとかなり余裕がでてきた。ぼくの右隣にすわった女性は、ラスベガスのヘア・スタイリストだった。コーエンの大ファンで、仕事を休んで聞きにきたとか。彼女の職場では誰もコーエンを知らないらしい。そういえば、昨夜のインド人も同じことを言っていた。レナード・コーエンは、日本ではもちろんだが、アメリカでも household name ではないことがわかる。でも、そこがいいとぼくは思う。

初日にぼくの右横にすわった人は3曲聞いただけで席を立ち、最後まで戻ってこなかった。今日は、しばらくして、かなりステージに近い席がひとつ空いているのに気づいた。休憩後、その席に移動する。コーエンの表情が良く見える。声もしっかりと聞こえる。ありがたい。


3日間ともに基本のセットリストは同じだが、一、二曲毎晩新しい歌が歌われた。最初の晩は新曲だと思われる歌が歌われた。おそらくタイトルは Lullaby。いい曲である。

レナード・コーエンは、今夜の19曲目 Take This Waltz を歌うと、スキップしながらステージを去った。当然のことながら拍手は鳴り止まない。彼は、しばらくして、スキップしながら再登場し So Long Marianne を歌う。続いて We Take Manhattan and Then Berlin に突入。そして Famous Blue Raincoat。そして次の歌を歌う前、その歌ができた経緯を少し話し、最初の2ヴァースを朗誦したあと、ウエブ・シスターズが自分たちのハープとギターの伴奏で歌う。 If It Be Your Will。彼女たちの透明な声の美しさは、この世のものとは思えない。続いて、Democracy。ここでまたステージを去る。万雷の拍手と喚声は、彼がスキップして最登場すると徐々に静まる。ここで彼は、I Tried to Leave You (あなたと別れようとした)を歌う。3晩とも聴衆はここで大笑い。彼の音楽が暗いなんていう定説は完全に覆される。

そして、最後のヴァースが歌われる前、彼はミュージシャン一人ひとりの前にたち、それぞれがソロの演奏をし、聴衆は熱狂的な拍手と喚声でミュージシャンを称える。そして最後のヴァース。Good night, darling, I hope you are satisfied! (おやすみ、愛しい人よ。満足してくれたらいいのだが)と歌い始めると、聴衆が叫ぶ。Yes! とか Yeah! とか。そして最後の最後に全員がステージの前に立ち、アカペラで歌う。 Wither Thou Goest。

そして、コーエンが聴衆に語りかける。ミュージシャン以外のツアーメンバーに言及した後、彼は次のように述べる。

  
どうもありがとう、友よ。外はかなり冷えています。風邪を引かないように気をつけて下さい。また会うときま
  で、
みなさんが、友だちや家族に囲まれていますように。しかしそれがあなたの定めでないなら、孤独に
  あっても、豊かに祝福されますように。ありがとう、友よ。神の祝福を!
  Thank you so much, friends. It's chilly out there, so be careful not to catch cold. Until we meet again
  I pray you will be surrounded by friends and family. But if this is not your lot, let blessings find you in
  your solitude. Thank you so much, friends. God bless!


April 14, Tuesday 2009

幸運にも、2日目のチケットも入手できた。昨夜はノートをとることに夢中になって、充分に音楽を聞くことができなかった。今夜はノートをとるのを控え、音楽に専念する。遅れて入ってきた人が横にすわりながら「<バード・オン・ザ・ワイヤー>はもう終わったか」と聞く。今終わったばかりだというと、残念そう。休憩時間に話しをする。34歳のインド人。カルカッタ大学の学生だったころ、コーエンのファンになったとのこと。現在カリフォルニア在住。横にいる奥さんともども「バード・オン・ザ・ワイヤー」が大好きだという。

休憩を挟んで4、5曲目に聞きなれた前奏が流れてきた。隣のインド人がぼくの耳元でささやく。「これはぼくの2番目に好きな歌です」。順位はつけられないが、ぼくもこの歌が昔から大好きだった。「パルチザン」。フランス語で歌いはじめるとこで、ウエブ・シスターズのハーモニーが入ってくる。背筋がぞくぞくするほど美しい。昨夜は「チェルシー・ホテル#2」が聞けた。



Live in Londonでは、コーエンはミュージシャンを何度も紹介するが、コンサートでは前半後半一度づつ2回だけだった。回数は減ったが、コーエンがそれぞれのミュージシャンに並々ならぬ尊敬の念を抱いていることが、言葉の端々から、そして物腰から伝わってくる。それぞれのミュージシャンを紹介したあと、深々と頭を下げる姿は、まさに禅僧のそれである。

最後にコーエンが語ったことばを噛みしめながら、強い風の中、歩いてホテルに戻る。


April 13, Monday 2009

入国手続きはいつも緊張する。アフリカ系アメリカ人の係官が、いかめしい顔で、右手の4本の指を、そして親指を黒っぽいガラスのようなパネルにのせるように言う。それがすむと、左手も同じようにするようにと促す。にこりともしない。

そしてお決まりの質問。What's the purpose of your visit?「訪問の目的は何か」。普通はSightseeing と答えるが、具体的に「レナード・コーエンのコンサートに行くこと」と答えた。予想外の答が返ってきたので、彼は少し驚いた様子を見せ、にっこり笑い言った。「レナード・コーエンの音楽は好きじゃない。暗すぎる」。

多分多くの人たちが同じように感じているだろう。でも Live in London を聞けば、レナード・コーエンが長い間のうつ状態から解放され、新しい境地に入っていることを知るだろう。

泊まったホテルはオークランドのダウンタウン、ブロードウエイと10番街の交差点の近く。ワシントン・イン。会場のパラマウント・シアターまで半マイル。オールド・オークランドと書かれた地域にある趣のあるホテルである。ここに泊まることができてよかった。コンサートは午後8時に始まり、何度かのアンコールがあり、終わったのは12時近くになっていた。素晴らしいコンサートだった。

グッズの売り場を見てから外に出ると、シャロン・ロビンソンが誰かと話していた。幸運にも一言二言、言葉を交わすことができた。コーエンは見当たらなかった。外は寒かったが、暖かい気持ちを抱いて、歩いてホテルに戻る。




April 12, Sunday

京都精華大学40周年記念式典には間に合わなかったが、祝賀会には間に合った。少し遅れたが。多くの懐かしい方々にお会いする。キャンパスには昔の面影はまったくない。大きな立派な建物がたくさんたっている。いくつかの記念撮影。

在校生数人、それに荒井舞さんの演奏のあと、ぼくの番。何を最初に歌うか迷っていたが、歌う前に、ぼくが在籍していた頃、韓国からの留学生だったキム・ギジョウさんに会った。名刺には大邱大学、造形芸術大学長と書かれていた。それで1曲目は、キムさんに聞いてもらいたいと「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を歌うことに。そのあと「祈りの歌」「碌山」など。最後に「山頭火」のリクエストがきた。歌い終わると、「ライク・ア・ローリング・ストーン」という声が聞こえてきた。それは歌えないので、代わりに「ガビオタの海」を。30分の予定が、トークを含めてかなりオーバーしてしまった。

上手く歌えたかどうかわからないが、皆さんに熱心に聞いて下さった。同窓会沖縄支部の竹牟礼さんに声をかけてもらってよかった。







ステージを下りると、イギリスの大学で教えているとばかり思っていた長谷川先生が立っていた。4,5年前に戻り、今は同志社で教えておられるとのこと。懐かしい先生の一人である。

京都駅の近くでライブがあるという荒井舞さんに八条口まで送ってもらう。助かった。最初の予定では、関西に泊まり、伊丹から成田に飛び、そこからサンフランシスコへ行く予定だったが、万が一伊丹から成田の便が欠航になったら、一大事と、今夜は東京に泊まることに。オークランドでの4月13日と15日のレナード・コーエンのコンサートを聞くため。14日のチケットも何とか現地で入手できたらいいのだが。



April 11, Saturday 2009

久々に川島君登場。4月から無事高校生になったとのこと。今夜は、お祝いにお父さんから贈られた新しいサックスを吹く。今後が楽しみな15歳。藤森さん、ステージから、「川島君のおとうさんは先生ですか?」との質問。そこから川島君のお父さんは藤森さんが高校生だったときの先生と判明。直接は教わらなかったとのことだが、先生も藤森さんを覚えていた。即、「野球部にいたでしょう」。今では想像しがたいが、ドカベン風の肥満体のキャッチャーだったとか。

垣内さん、11年前に高遠少年の家でぼくが歌った「私は風の声を聞いた」を聞いて、碌山美術館でこの歌を聞きたいと思ったとのこと。垣内さんの紹介で、碌山美術館で歌ったのは、2000年8月のこと。10年一昔とはよく言ったもの。その後、いろいろなことがあった。










藤森さん、久々に「住みなれたこの町で」など。いい歌である。原田さん「キリストには代えられません」。ぼくは明日、精華大学で何を歌うか考えながら、「碌山」「祈りの歌」など。

今日は10時半に閉店とさせていただく。明日は7時40分のバスで京都へ。


April 10, Friday 2009

日中は20℃を超す暖かさ。午後塩尻まで買い物に出かけた。車の中は暑いくらい。暖房の季節が終わったと思ったら、もう冷房の季節だ。カメラ用コンパクトフラッシュカードを買う。最初の店ではいいものがなく、2番目の店で、512MBの容量のものを買う。今までは128MBだったので、かなりたくさん撮れそう。

朝届いた Live in London の初校のゲラ刷りに修正を施し、昼前に送る。素晴らしいアルバムである。ぼくの生涯で出会ったアルバムの中から1枚を選ぶとしたら、このアルバムを選ぶだろうと思うほどに素晴らしい。

夜は少し遅れてオーリアッド。家人と交代。牧師さんご夫妻がお見えになった。オーディオのことで相談を受ける。アンプやスピーカーの容量について尋ねられたが、あまり詳しくないので、少々しどろもどろに。牧師さんのほうがずっと詳しい。いずれにしろ、教会での年2回のコンサートに向けて、PAシステムを完備したいとのこと。素晴らしいアイディアである。

少々早めに閉店し帰宅。月光を浴びて、庭は昼間のよう。



April 9, Thursday 2009

松本へ。素晴らしい天気。新緑には早いが、桜の花があちこちで咲き始めている。遥か左前方には雪を頂いた北アルプス連邦。青空と白雪のコントラストが美しい。春夏秋冬、この道は本当に楽しめる。久しぶりのクラスだったので、バックパッカーのギターを忘れてしまった。

クラスのあと、ジョン・Kからコーヒーを飲みにいかないかと話しかけられ、あがたの森の喫茶店へ。I will race you. と言って、彼は自転車で、ぼくは車で。わずかの差で彼のほうが早かった。

天気がいいので外のテーブルにすわることに。しばらく四方山話。



夜はオーリアッド。少し遅れて入る。ジブランの会のみなさん。それに二葉高校同窓会伊北支部の役員のみなさん。

遅くに歌の練習。11時過ぎ家に戻ると、南の空高く満月。




April 8, Wednesday 2009

午後、家人に促されて少し畑仕事。いよいよ春である。大型耕運機で耕してもらうために、畑の整備をする。取りのぞかなければならない一番大きなものはトマト用の枠。それに昨年使ったあちこちに散乱しているマルチ。

オーリアッドから戻ったら大きな月が頭上に。4月の満月は英語では、ピンクムーン (pink moon)というらしい。春になるとピンクの花が咲くので pink moon なのかと勝手に想像していたが、調べてみたら、当たらずとも遠からず。ナデシコ科の花を総称して pink というらしい。日本語では「ピンク」には「わいせつな」という意味があって、「ピンクムーン」にはなんとなく艶かしい響きがあるが、その意味の色は英語では blue。

右下に写っている緑の葉は高野槇(コウヤマキ)で、先日中村さんに先を止めてもらったもの。以前なら、この位置から撮れば、月は完全に隠れていた。高野槇には高さ30mに達するものもあるらしい。

明日は、久々の松本。今年は週2回行くことになり、少し忙しくなる。


April 7, Tuesday 2009

午後7時からの分館三役引継ぎ会に向けて、朝から書類の整理。十分とはいえないが、何とか引き継ぎ会を済ませることができた。まだ中部ブロックの引き継ぎ会が残っている。これは来月まで延ばしてもらうことに。怒涛の2年間だった。しかし、いい経験をさせてもらった。

明後日から松本のクラスが始まる。その準備がすっかり遅れてしまった。

朝晩はまだ寒いが、この数日、日中は気温が上がり、早咲きのツツジが花をつけ始めた。桜の咲くのも間近だろう。



April 6, Monday 2009




前から気になっていた庭木の剪定を小野の森林仕事人、中村さんにお願いした。お茶を飲んでいるときに飛んできたヤマガラを見て、中村さんは、仕事の合間に廃材で小鳥の巣箱をつくり、家の前のイチイの木に取り付けてくれた。ヤマガラが巣箱を気に入ってくれたらいいのだが。

午前中、金曜日に送った英詞と対訳を修正し送る。午後は中村さんの手伝い。手伝いというよりは足手まといだったかも。夕方までに、庭は見違えるようになった。夜は、分館引継ぎ会の準備。

中日と楽天が三連勝とか。今年のプロ野球は面白くなるかもしれない。


April 4, Saturday 2009

シカゴのサックス奏者ジョン・ソーンダーズと奥さんのフルート奏者ステファニーを迎えての大賑わいの一夜になった。ステファニーは一昨年まで安曇野の高校で教えていて、今回休暇で「里帰り」。短期間の滞在にもかかわらず、オーリアッドを忘れずにいてくれたことに感謝。クラシックの小品のサックスとフルートの二重奏。素晴らしかった。山岸さん、昨年夏シカゴを訪れてジョンと何度も演奏したという「ミュージック・イズ・ア・ギフト」など。彼が悩んでいたときに聞いたジョンの言葉が歌になった。久しぶりに聞いた藤森(一)さん、声が実にさわやか。20年前の松本駅前から、あがたの森までの景色を歌った歌など。

小野の若者二人は来るたびに新曲をもってくる。中村さん、最初「着物のように」とぼくには聞こえていたが、「干物のように」だった。山田さん、「上野原」、これはいい歌である。










レギュラー陣も今日は勢ぞろい。藤森さん、「人生に勇気」、赤羽さん、「旅人の木」、大月さん、「カノン」。原田さん、「キリストには代えられません」。ぼくが「祈りの歌」。最後にジョン、赤羽、大月、三浦で「アメイジング・グレイス」。

みなさんのおかげで楽しい一夜になった。ジョンとステファニーには、次の「帰省」の際にもまた顔を出してもらいたいもの。


先ほど、Amazon com. をチェックしたら、コーエンの新しいアルバムは更に順位を伸ばしていた。

  
Amazon com Sales Rank: #2 in Music
  #1 in Music > Rock > Live Albums
  #1 in Music > Folk
  #1 in Music> Pop> Singer-Songwriters


アメリカよりもヨーロッパで人気があるコーエンだが、このアルバムによってアメリカでもファンを増やすに違いない。



April 3, Friday, 2009

夕方までに英詞と対訳を送ることができた。Leonard Cohen の Live in London。アメリカでは3月31日にリリースされ、評判がいいようである。amazon.comの music 部門で#3だった。folk, rockの部門では #1。

高校の先輩のMさんが久しぶりにやってきて、大いに語る。そこへ原田さんも。そして最後に赤羽(孝)さんも。



April 1, Wednesday, 2009

気がついたら4月である。4月ではあるが、気温は低い。ときおり雪が舞ったりしている。今夜も、9時前オーリアッドへ行くために外に出たら、雪が激しく降っていた。11時過ぎ、帰るときには、細いミゾレのような雨になっていた。

終日、翻訳。与えられたブックレットと実際に歌われている歌詞にかなりの差がある。それで聞き取ったものを使わせてもらうことに。というのはライブ盤で、歌詞が大幅に違っていたり、削られたりしていて、MCを入れようにも、入れる場所がないものがいくつか。特に歌詞の違いが目立つのが Hallelujah。それに Bird on the Wire 。それで今日は朝からその作業。disc one は昼過ぎ完了し、disc two はオーリアッドからもどってから、ほぼ完了。

それにしても、インターネットがなかったなら、歌詞を修正する作業はもっと時間がかかっただろう。本当にありがたい。


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