OREAD Diary

November 1 〜 November 30, 2007

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November 30, Friday 2007

正午までに原稿を送り、何とか締め切りに間に合わせることができた。続いて、次の仕事にとりかかる。時間の余裕はそれほどない。それにしてもジョニー・キャッシュは凄い男だ。彼が真に評価されるのはこれからではないだろうか。

お客さんから「焼きそば」が食べたいが始めないかと言われた。彼に勧められてピザを始めた経緯がある。しかし、現在、これ以上メニューを広げることは難しい。ピザに関しては感謝している。おかげでピザはオーリアッドのメインメニューになった。

11時過ぎ帰宅。南の空にオリオン座。

気がつけば今日は11月最後の日。明日から12月。うーむ。2007年もあと一ヶ月。がんばろう。



November 29, Thursday 2007

松本へ。夕方戻り、夜はオーリアッド。ノート型回復。翻訳。


November 28, Wednesday 2007


今日も終日翻訳。午後、すわり続けているので、外に出て庭を走る。体力が落ちていることを痛感する。Message in a Bottle という映画の中で、Robin Write Penn が砂浜を走るシーンがある。彼女の走る姿の美しいこと。走るために生まれたきたかのよう。あんなふうに風の中を走りたいもの。

オーリアッド、前半は家人に頼み、9時過ぎ、交代する。光ケーブルが入ったのに、お店のノート型は極めて調子が悪い。翻訳中の原稿をメールで送ったが、それが読めない。困った。

しかし、昨日今日と集中して仕事をしたおかげで、何とか締め切りには間に合いそう。


November 27, Tuesday 2007

終日翻訳。楽しい苦しい時間が続く。新聞記事がコラージュのように組み合わされた部分は、拡大しても、かすれていて読み取れないところがある。前後の関係から類推するより仕方ない。

このブックレットを訳しながら、ぼくが経験したアメリカの60年代後半はわずかな部分だったことを知る。当時ぼくはテレビを持っていなかったし、聞く音楽もフォークを中心にしたほんの一部だった。いろんなミュージシャン、いろんなスターについて学んでいる。

10時過ぎ、業者が温水ルームヒーターを寝室に取り付けにやってきた。この家に住み始めて25年、2階の部屋、特に寝室の暖房に苦労してきた。暖冬とはいえ、真冬は零下10度になる。

Derek & the Dominos 時代のエリック・クラプトンの映像を見た。ちょっとみても彼と分からないほどに痩せていて髪が長い。しかし、カール・パーキンスとギターを弾き合うところを見ると、さすがクラプトンと納得する。


November 26, Monday 2007

終日翻訳。かなり進み、なんとか締め切りに間に合いそう。ジョニー・キャッシュとの縁が数年前からでき、いくつか訳してきたが、今回はDVD「ジョニー・キャッシュ・ショー」のブックレット。これを訳しながら、ぼくが偶然見たディランが出演した「ジョニー・キャッシュ・ショー」は、第一回目だったと知る。

そのとき、黒い服を着たディランが、ものすごく大人で、暗い雰囲気で、緊張しているように見えた。今回、その映像を見て、ディランが若くて、初々しく、もの凄くハンサムに見えた。それほど緊張しているようには見えない。38年の年月がぼくの見方を大きく変えたようだ。

母の命日前後は互いに都合がつかず、今日昼前、姉たちがやってきて、墓参りへ。般若心経を唱える。4年が経った。


November 25, Sunday 2007

忙しい一日。朝、2階の寝室に暖房器具を設置するために業者がきた。今までオイルヒーターを使っていたが、この数日の急な寒さに対応できない。それで、先日家電店へエアコンを設置してもらうようにお願いしてきた。しかし、取り付け業者は、このエアコンでは真冬は無理だという。暖房だけなら、屋外燃焼の温水ルームヒーターがいいと勧められる。変更することに。取り付けは後日。歳を取るにつれて年々寒さが堪える。うまく機能してくれるといいのだが。

昼過ぎ、垣内彰さんの写真展を見に行く。会場に入る前から目のなかに飛び込んできたのが入り口正面に展示されているドクターふあの写真。会場をぐるっとまわると、知っている人たちの顔、顔、顔。もっとも印象に残ったのは、身体を傾け、髪振り乱し、ギターをかき鳴らす豊田(勇造)君の写真。赤羽真理さんとダニエルの写真もよかった。赤羽さんとぼくの写真の前で記念撮影。

 
photos by k. miura

そのあと、臨時の中学生クラスを教え、塩尻の家電店へ契約変更に行き、夜は諏訪の英語クラス。諏訪からもどり、しばらくやむなく放置していた翻訳再開。締め切りになんとか間にあわさなければ。


November 24, Saturday 2007

長い一日。午前8時からお寺の冬囲いと庭園の整備。午後1時半から、自立支援の会「あかり」の10周年記念コンサートat オーリアッド。夜、飛び入りライブ。

記念コンサートは、お茶の時間を挟み、和気藹々とした雰囲気のうちに行われた。いいコンサートだった。唱歌を歌うコーナーでは、みなさん美しい声で歌ったてくださった。そのまま「あかり合唱団」として活動してもいいほど。あとでお聞きすると、町の合唱団に入っている方も多いとのこと。

終了後、多くの方がお帰りになったあと、年配の女性が話しかけてくださった。中学の同級生H君のお姉さんだという。中学時代、彼の住む横川渓谷の奥の村まで、友だちと二人で歩いて遊びに行ったときのことを、お姉さんは懐かしそうに話してくれた。そのときお会いしたお母さんは今も健在とのこと。H君は歌が好きで、よく一緒に歌ったもの。今は静岡に住んでいるとのこと。長い間会っていない。

                  ■

飛び入りライブ。まず藤森和弘さんが、愛音ちゃんを含む総勢5人でやってくる。オーダーを取りにいくと、まず愛音ちゃん、「おじちゃんはビール」と、おじちゃんのために注文。

藤森さん、「子守唄のように」「愛音」「花」など。ぼくが、いくつかの英語のラブソング。そして再度、藤森さんが「さよなら模様」「住みなれたこの町で」など。大月高志さん「カノン」と「ローズ」の演奏。ダニエル・ジリッグ、ギター・インストラメンタル、そして Better Be Home Soon など。

「Better Be Home Soon (はやく家に戻ったほうがいい)」といえば、ダニエルは12月の半ばにオーストラリアに帰国することになった。彼は1年半ほど、オーリアッドの土曜の夜を、彼の歌と笑顔で、楽しませてくれた。またオーストラリア出身の歌う友人を何人も連れてきてくれた。妹さんも。

12月8日(土)にダニエルを送るパーティー/コンサートを計画している。そのときみんなで Waltzing Matilda を歌いたいと思い、ダニエルのヴォーカルとギター、大月さんのピアノで、しばらく練習。

ダニエルを最初にオーリアッドに紹介してくれたのは守屋武志さん。守屋さんとダニエルで Two of Us そして Get Back。最後は、大月さんのサポートで藤森さんの「今日は土曜日」と「おまえの歌が聞こえる」。







12月8日(土)、ダニエル・ジリッグを囲んで、「送別パーティー/コンサート」を開きます。オーリアッドでダニエルに会う最後の機会です。歌いに聞きにお出かけ下さい。会費制ではなく、いつもの飛び入りライブ形式で行います。

その際、 Waltzing Matilda のコーラスの部分を一緒に歌いたいと思います。

  Waltzing Matilda, Waltzing Matilda
  You'll come a Waltzing Matilda with me
  And he sang as he watched and waited till his billy boiled
  You'll come a Waltzing Matilda with me

YouTube でいくつかこの歌を聞くことができます。次のURLをクリックすると、1分間ほど英語で歌の説明があり、そのあと歌われます。紙芝居のように、絵が変わっていくので、分かりやすいし、面白いです。http://www.youtube.com/watch?v=INdjRCNcZj0

次のURLからは、トム・ウエイツのヴァージョンを聞くことができます。
http://www.youtube.com/watch?v=XrkThaBWa5c&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=CBdo4DL2cBM&feature=related

ロッド・スチュアートのヴァージョン。

http://www.youtube.com/watch?v=NKOrXICgMOM&feature=related

12月8日(土)は、ダニエルを知っている人も、知らない人も、歌いに聞きに、演奏しに、お出かけ下さい。そして、Waltzing Matilda でオーリアッドの空間を満たし、ダニエルの旅立ちを祝したいと思います。


November 23, Friday 2007

11時前、堀金総合体育館サブアリーナ着。お手伝いをお願いし、機材を運びセッティング。そしてサウンドチェック。お昼を挟んで、1時15分頃から、豊科高校吹奏楽部の演奏。見事な演奏。1時半、安曇野教育大集会スタート。

主催者挨拶、来賓紹介のあと、三郷小学校の先生と県立こども病院の看護士の方の体験発表。最後にぼくのトークライブ。今回は安曇野に因んで、特に「教育」がテーマなので、井口喜源治の「次郎」を中心に話を進める。

ロールモデルを持ちにくい時代である。しかし、安曇野には井口喜源治という素晴らしいロールモデルがいる。彼の生き方、思想こそ、今の日本に必要なものだと思う。そして彼の思想は「次郎」の中に簡潔に歌われている。

「次郎」は藤村の『若菜集』に影響を受けたと言われる。確かに「おえふ」のセカンド・ヴァース:

  水静かなる江戸川の
  ながれの岸にうまれいで
  岸の櫻の花影に
  われは處女(おとめ)となりにけり

は、「次郎」のファースト・ヴァースの最初の4行に酷似している。

  水豊かなる万水の
  ほとりにわれは生まれけり
  川辺の柳うちけぶり
  菫のにおう春の朝

しかし全体を読めば、その違いは明らか。「戯れに」つくった「換え歌」ではない。内容においても、格調の高さにおいても、「次郎」は「おえふ」に勝るとも劣らない。

夜はオーリアッド。ウイークデイにしては忙しい日。カウンターで飲んでいた大月高志さんにお願いして、ピアノを弾いてもらう。「カノン」に対して大きな拍手。ぼくもリクエストを受けて2曲歌う。「カムサハムニダ、イ・スヒョン」と「千の風」。後者は大月さんにピアノのサポートをお願いする。お客さんの中にいたHさんが「信濃の国」を歌詞を見ないで最後まで歌う。凄い!

明日の午後はオーリアッドで「あかり30周年記念コンサート」。20日まで希望者を募り、定員40名で打ち切ったとのこと。夜は飛び入りライブ。


November 22, Thursday 2007


まだ11月なのに、何と寒い日。松本からの帰り、153号線沿いの気温表示のパネルが0℃を示している。一瞬目を疑った。北海道、東北では11月としては史上最高の積雪とか。どうなっているのだろう。

夜はオーリアッド。今夜は明日のトークライブの準備のため、かなり長い間歌ったが、咳き込まなかった。熱も下がっている。かろうじてセーフといったところ。熱が出たのが直前でなくてよかった。

11時、店を閉め、外に出る。町は静まり返っている。車も通らない。野良猫一匹いない。

家にもどると、翻訳中のブックレットのDVDが届いていた。よかった。これがないと先に進めない。


November 21, Wednesday 2007

オーリアッドの無線LANが今夜は接続できた。NTT-MEのOさんのおかげ。万一無線が働かないときのためにと、長いケーブルまで作ってきてくれた。感謝。

一週間の速いこと。明日は、また松本へ。

この週末、2回のトークライブがある。遅くなってから、ギターの弦をかえる。その後、しばらく練習。風邪を引いていたために、この一週間、ほとんど声を出していない。咳き込まないように、こわごわ歌ってみる。大丈夫だ。

11時閉店。家に帰るために車に乗り込むと、フロントガラスに氷がはっている。気温を見ると、3℃だった。フロントガラスの表面は氷点下なのだろう。これからはこういう日が多くなる。

いよいよ冬。



November 20, Tuesday 2007


朝起きると真冬並みの寒さ。長い夏が終って、すぐに冬に突入したような。

午前中、冬の準備の買い物に。いくつか大きな買い物をした中に、小さな買い物も。体温計。今まで使っていた電子体温計は5分経たなければ計れなかった。今度のは30秒でOK。これは助かる。

一進一退を繰り返してはいるが、ありがたいことに、体調はようやく元に戻りつつある。今週末はいくつか予定が入っている。

自宅の光ケーブルは順調だが、オーリアッドのは無線LANが接続できなくなってしまった。NTT-MEのOさんに調整をお願いした。


November 19, Monday 2007


昨夜は上田市(旧丸子町)の鹿教湯温泉のホテルに一泊。午後6時前三才山(ミサヤマ)トンネルに近づくと雪が舞い、路上が少し白くなっている。タイヤはノーマル。不安だったが、無事ホテル着。今朝、目覚めて外を見ると、雪はまったくない。よかった。

10時30分から長野大学のクラスで、60年代の若者文化、特に映画と音楽について語る。準備不足は否めず、どこまで学生たちに伝わったか心配である。クラスのあと、N先生、S先生と会食。

彼らと別れ帰路につき、しばらくすると派手な神社が見えてきた。生島足島(イクシマタルシマ)神社とのこと。武田信玄ゆかりの神社とのことで、観光バスが何台かとまっていた。樹齢800年という欅の木が見事。

 

気温は低いが晴れ上がった美しい日。家までのドライブを楽しんだ。松本で楽器店に立ち寄り、Bのハーモニカを購入。

家に戻ると、すぐに区の用事が待っていた。


November 17, Saturday 2007

飛び入りライブ。トップバッターは、臼田町のリイチさん。オーリアッド2度目。雰囲気になれたのか前回よりも安定した歌声。オリジナルのラブソング3曲。次は、藤森敬一さんと水野哲男さん。それぞれの持ち歌を互いにサポートしながら歌う。両者ともに卒業生を送る気持ちを歌った歌など3曲づつ。

藤森さんの歌を聞くのは久しぶり。前半印象に残った歌は、タンザニアから信州に嫁いできた人が語るという形をとった歌。Sisi Sote Sawasawa。「私たちはみな同じ」という意味らしい。差別について、そして豊かさの意味について問いかける。水野さんのギターも息が合っている。藤森和弘さん「おまえの歌が聞こえる」など3曲。ぼくが「それぞれの道」など3曲。前半終了。









後半トップ、リイチさん。御代田町のフォークサークル ベストフレンドのリーダーが書いた詩に曲をつけたというラブソングなど2曲。水野さんと藤森(敬)さん、それぞれ2曲づつ、互いにサポートしながら。水野さんの歌で印象に残ったのは、白馬のオリンピック用のジャンプ台で事故死した16歳の若者を歌った歌。ジャンプ台を滑り始めたが、いまだに着地していない、という主旨のことばにインパクトがあった。藤森(敬)さんの歌では「君がそばにいるだけで」がよかった。藤森(敬)さん、リクエストに応えて「恩師との再会」。藤森和弘さん、「長い夜」「住みなれたこの町で」。藤森(和)さんのオリジナル曲のよさを再認識させられた。

最後に、再度リクエストに応えて、藤森(敬)さんが「よみがえる木を信じて」と「君とここで暮らしたい」。中国の砂漠に木を植える話と「おーい日本、長野県」の歌。水野さんのギター、大月高志さんのピアノのサポートが入る。

その後しばし歓談。リイチさんから和菓子をいただき、みなさんにお裾分け。「お菓子をつくることと歌をつくることには共通したところがある」という話しには説得力があった。前回いただいた楕円形のどらやきの開発には一年ほどかかったらしい。

お客さんに「よろこんで」いただけるお菓子、お客さんに「よろこんで」いただける歌。今日みなさんの歌を聞かせてもらって感じたことは、サブジェクト・マターの重要性。何を歌うか。


November 16, Friday 2007

朝9時から、家とオーリアッドで、光ケーブルの工事が同時にスタート。オーリアッドは比較的簡単にすんだが、家のほうは屋根裏に入ってケーブルを通す作業があったり、キッチンの電話が鳴らなかったりで、昼過ぎまでかかってしまった。ぼくはただうろうろしていただけだが。小さな穴から、するりと天井裏に入り込む機敏さにただただ感心。

念願の光ケーブル。信じがたいほど、とまではいかないが、けっこう速い。ときどき、詰まったようにスローになるのは、ケーブルではなくコンピュータのせいか。あるいは期待が大きかった分、スローに感じるのか。

今夜は、風邪はだいぶいいが、昨日今日と少々疲れたので大事をとって家にいることに。オーリアッドは家人に頼む。

家で翻訳。それに、月曜日の長野大学のクラスの準備。下野さんが教科書として使っている『ハリウッド100年史講義』(平凡社新書)が数日前 amazon.co.jp から届いた。それを拾い読み。特に、第4章(2)「六○年代、あるいは映画をめぐる自由と自由をめぐる映画」。


November 15, Thursday 2007

体調もだいぶもどり、松本へ。行きは余裕はなかったが、帰りは山麓線の真盛りの紅葉を楽しんだ。しかし、例年に比べると色が悪い。ぼんやりとくすんだような色。暖冬で、十分に色づく前に枯れ始めたような。

夜はオーリアッド。音大の声楽科を目指しているという娘さんとお父さん。諏訪に住んでいるとのこと。土曜日に歌いにくるようにお願いする。

後半けっこう冷えてきた。やはり冬だ。


November 14, Wednesday 2007

今日も午後点滴を打ってもらいに病院へ。風邪はだいぶよくなった。還暦を過ぎて今日で丁度2年。無理がきかなくなった。いやいや、そんなに否定的に考えてはいけない。考えようによっては、風邪を引くのにもっともいい時期だった。コンサートの直前だったら、多くの方に迷惑をかけていた。ついてる。ラッキーだった。

今夜のオーリアッドは遅刻早退。7時半に出勤、10時閉店。シャルロット・ゲンズブールが歌う Just like a Woman が心に沁みる。

    Nobody feels any pain
    Tonight as I stand inside the rain


明日は松本。あっという間の一週間だった。


November 13, Tuesday 2007

風邪を引いてしまった。昨日は、一日暖かくして寝ていた。今朝起きると少し楽になっていたが、大事をとって病院へ。来週は、いくつかコンサートがある。注射をしてもらったあと、一時間ほど点滴のため横になった。その間、昨年亡くなった、ロシア語通訳で、名著『不実な美女か貞淑な醜女』の著者、米原万里の『魔女の1ダース』(新潮文庫)を拾い読み。どこまで、本当かなと思うところがないわけではないが、面白いエピソード満載。

そのひとつは、ベトナム民族舞踏団が日本を訪れたときの話。みんな「妙齢でトビキリの美女たち」である。招聘元の興行会社から派遣された20代の独身男性は彼女たちと話したい一心で通訳にベトナム語の初歩を教えてもらう。

  ベトナム語には、類冠詞というのがある。たとえば、樹木をあらわす言葉
  には、必ずその手前に樹木を表す「カイ」という冠詞をつける。その後に
  樹木の名称を言う。柳はカイ・リュウ。・・・同じように全ての鳥類を表
  す言葉には「チム」という類冠詞が先行する。雀は、チム・セエだし、鶯は、
  チム・ワイン、鳩は、チム・ボコである云々。


時は5月。京都に滞在していた舞踏団が、休演日、市内観光に出かけた。平安神宮前の広場に到着したとき、鳩の群れがアオザイの美女の群れにむかって舞い降りた。それを見た興行会社から派遣された若者、彼女たちのところへかけより、覚えたばかりのベトナム語で叫ぶ。「チム・ボコ、チム・ボコ」。

  美女たちも、嬉しそうに応じて、歓声をあげた。まるで、風鈴屋の店先で
  音色の異なる風鈴が一斉に突風に吹かれて鳴り響いたようだった。
  「オーッ、チム・ボコ、チム・ボコ、チム・ボコ・・・」

彼女はこういうシモネタを得意とするが、もちろんそればかりではない。国内、国外の政治情勢に対してもシモネタ同様、ズバッと切り込む。とにかくこの人の書く文章には躍動感があって読ませる。

午後は再びベッドへ。先週後半、寝不足が続いたのがいけなかった。健康には睡眠第一。

夜は、マスクをして消防団第三分団の会議に出席。消防費の区の負担について。

葛根湯を飲んで寝ることに。明日目覚めたとき、気分よくなっていたらいいのだが。


November 11, Sunday 2007

午前中は翻訳、午後は区の委員会の資料づくり。夜、委員会。

昨日から喉が痛く、今朝から鼻水が出るようになった。咳も少し。葛根湯、生姜紅茶、生姜湯を頻繁に飲む。時々次男がNZから送ってくれたpropolis throat spray を使う。何が効いたのか、今は喉の痛みが和らぎ、鼻水も少なくなった。このままよくなってくれたらいいのだが。

委員会から戻り、テレビをつけたら、アジアシリーズ、中日が5対3で韓国のチームに勝っている。回は7回。もう大丈夫と2階へ上がった。しばらくして戻ったら、9回裏。5対5の同点。どうなってるんだと驚いたが、最後に中日が1点とり、6対5で辛勝。無表情がトレードマークの落合監督もうれしそう。

葛根湯を飲み、足湯をし、早く寝ることにする。


November 10, Saturday 2007

飛び入りライブ。先ず藤森和弘さん。3曲目「野風僧」、久しぶりに聞いた。「おまえが二十歳になったら、女の話で飲もうじゃないか」―こんな歌詞があったんだ。ダニエル、新しいギターをもってやってきた。リサイクルショップで買ったという。今までのよりいいと言う。1曲目、そのギターでインストラメンタル。確かにいい音。あとで、密かに値段を聞くと、3000円だったという。ギターは値段ではないようだ。

大月高志さん、先週は東京へ演奏に行き、「ピアノは弾き飽きたので」とギターのインストラメンタル、「イーハトーブの朝」。見事な早引き。イーハトーブときたので、そのあと、大月さんの「ローズ」の演奏に合わせて、薫子の「雨ニモ負ケズ」のリシテイション。そして、ぼくが久し振りに「握手」「僕は唱歌が下手でした」。ここで前半終了。








 

後半は大月さんのサポートで、藤森さんの「今日は土曜日」からスタート。3曲目、大月さんはギターに持ち替えて「神田川」。この曲も久し振に聞いた。名曲である。次に登場は垣内彰さん。11月23日から24日まで、辰野町荒神山のパークセンターふれあいホールで開かれる写真展の案内。それから、ABNのふるさとCM大賞に応募した作品が入賞し、最終選考で大賞が期待できるとの報告。

赤羽真理さん、今日はソロで「千両梨の実」一曲のみ。いつ聞いても心を落ち着かせてくれる歌。守屋武志さん、ダニエルのサポートで Two of Us、ダニエル、長男が誕生したときに書いた Stars in Your Eyes、そして大月さんのピアノと守屋さんのコーラスが入って、Get Back。フィナーレは大月さんの「カノン」。カウンターにいたクラシックファンのドクターT、「あんなふうにピアノが弾けたら楽しいだろうな」。

その後しばし歓談。11時閉店。


November 9, Friday 2007

ライナーの英訳をなんとか完成し送る。英訳する過程で、1988年1月、ボブ・ディランがロックの殿堂入りしたときのブルース・スプリングスティーンのスピーチを読んだ。感動したところが2箇所ある。

  ディランは革命家だった。エルヴィスが肉体を解放したように、ボブは
  精神を解放した。

  ボブがいなかったら、ビートルズは『サージャント・ペパー』を作れな
  かっただろう。ビーチボーイズは『ペットサウンド』を作れなかっただ
  ろう。・・・・今でも、偉大なロックミュージックが作られるとき、そこに
  は必ずボブ・ディランがいる。


ブルースは偉大なミュージシャンであると同時に偉大なスピーチライターだ。

夜、新しい翻訳開始。DVD 「ジョニー・キャッシュ・ショー」にかかわるもの。69年の6月、偶然、「ジョニー・キャッシュ・ショー」に出演したディランを見た。アイラヴィスタのカレッジ・イン。キャッシュとディランが「北国の少女」をデュエットした。そのときの様子は、長野ジャーナル「ぼくが出会った歌、ぼくが出会った人」の第19回、または『追憶の60年代カリフォルニア』の18章「アイ・スルー・イット・アウェイ」で。


November 8, Thursday 2007

終日、松本。今日は、冒頭、Daivid Gilmour の Remember That Night のDVDから"On an Island" を学生と一緒に見る。

美しいメロディ、卓越した演奏、ノスタルジックな歌詞、見事なハーモニー、どれをとっても比類がない。

  あの夜のことを覚えているかい
  暖かさにあふれ、笑いが絶えなかった
  教会に人けはなかったけれど
  ロウソクが灯っていた
  夜明け、誰もいない通りを歩いて
  ぼくたちは海辺へ下りていった
  夢見た者たちはみんないなくなった
  でもみんなまだここにいるような気がする


ギルモア、1946年3月生まれの61歳。コーラスのデイヴィッド・クロスビー、1941年8月生まれの66歳、グラハム・ナッシュ、1942年2月生まれの65歳。

「凄い!」の一言。彼らとほぼ同じ年齢のぼくだからこう感じるのだろうか。

夜、オーリアッド。ジブランの会。

遅くなって、DVDで Shane の後半を見る。最後にジョウイが "Shane, come back!"と叫ぶとき、彼の両親も背後にいるかと思っていたが、彼一人だった。


November 7, Wednesday 2007

秋たけなわ。

昼過ぎ、信号機に関しての回覧板の原稿をつくり、8軒の組長宅へ。秋晴れの気持ちのいい日。自転車にのって紅葉の中を行く。途中、収穫した蕎麦の実を袋に詰めている人がいた。大きな袋が8袋もあった。しばらく立ち話。帰り際に、ブルーベリーの苗木をいただいた。

午後は翻訳。それに今朝届いた ディランの伝記映画 I'm Not There のサントラ盤を聞く。どの歌に一番感動したかというと、Charlotte Gainsbourg という女性が歌う Just Like a Woman。まったく知らない人だが、実に魅力的な声と歌い方。

今グーグルで調べてみたら、かなり有名な女優であり歌手である。カタカナでは、シャルロット・ゲンズブールと表記されるようだ。彼女が歌うときの発音から、英語圏ではないヨーロッパの国の人だろうと思っていたが、イギリス生まれのフランス育ちとのこと。

6時から、オーリアッド。ゲンズブールの歌を聞く。とてもいい。実にいい。


November 6, Tuesday 2007

午前10時から、初めて村に設置された信号機の点灯式。信号機はすでに先月23日から使われているが、信号機の支柱を守るガードポストがようやく完成。今日、正式な点灯式ということになった。

警察署交通課から2名、役場の建設水道課から2名、区からぼくを含めて5名が参加。歴代の区長さん。いくつかの挨拶のあと、ぼくがスイッチを入れ、渡り初めをして、セレモニー終了。多くの区民のみなさんから、国道に出やすくなった、国道をわたりやすくなった、という声が届いている。

点灯式のあと病院へ。定期検診。問題なし。

昼食後、役場の産業振興課へ電柵に関する書類を届け、オーリアッドに立ち寄り、生姜紅茶を飲み、少し練習。「みかんの花咲く丘」「ゴンドラの唄」。その後家に戻り、ソファに横になったら、眠ってしまった。1時間半は眠ったようだ。目覚めると、身体に重いものがのっている。ソフィーとフィービーがぼくの上で眠っていた。重いはず。二人合わせて10キロはある。


November 5, Monday 2007

終日、翻訳。自分の書いたものなのに、英訳するとなるとややこしい。できるところから訳しはじめた。引用した原典の見つからないところをのぞいて、ほぼラフの訳は完成。

午後、お客さん。お会いするのは久しぶり。ソフィーとフィービーを気に入ってくれたようだ。彼らは多くの人たちから「可愛い」「きれいだ」と言われてきたが、今日来たお客さんの褒め方が最高だった。かなりの猫好きだ。自分の「子供たち」が褒められるのはうれしいもの。親ばかである。



夕方、先日取り残した柿をとる。天気予報によれば明日は雨。雨が降ると猿が出る確率が高い。猿たちは知っている。雨が降ると人間が畑にいないことを。

昨日NHKBSでフランク永井と松尾和子をフィーチャーした番組があった。録画しておいてもらったものを昨夜遅く、そして今朝、二度に分けて見た。彼らがこの番組で歌った歌はほとんど全部知っていた。子供の頃ラジオから流れてくる彼らの歌に耳を傾けたものだ。特にフランク永井が好きだった。

フランク永井は最初ジャズを歌っていたが吉田正との出会いを通して歌謡曲に転向する。改めてテレビの映像を見て、彼の歌い方に感銘を受ける。喉にまったく力が入っていない。腹式呼吸で、高い声になっても決して力まない。同じ声量を保っている。

彼が小林旭と一緒に出演している映画のワン・シーンが流れた。そこで彼は英語を話したが、見事な発音だった。声帯を鍛え、腹式呼吸で、胸腔 (thoracic cavity) を振動させながら話すと英語の発音がよくなるという、ぼくの仮説を証明する発音。つまり、それは Speak like you sing and sing like you speak. ということ。


November 4, Sunday 2007

午後
、区の公民館の文化祭を見に行く。手芸、油絵、ちぎり絵、拓本、書道、写真、菊の花、野菜などが並べられている。その中に茸の入った箱があり、「入札、上限2000円」と書かれている。松茸2本に、種々の雑茸が入っている。安い!家人と二人、二枚の札を入れる。

そのあと、オーリアッドへ。土曜日の片付けをしているところに分館長さんから電話。「おめでとうございます、茸が当たりました!」。「うそでしょう?」「10人ほどが見ているところで、私がくじを引きました。厳正な抽選の結果です」。

今夜、早速松茸ご飯にしていただいた。今村産の松茸は香りが強い。美味しかった。

夜、自分が書いたスプリングスティーンに関するエッセイの英訳に取り掛かる。簡単にできると思っていたら、意外とやっかいだ。引用した元の英文を探し出すのに時間がかかる。ネットで検索しても出てこないものがある。


November 3, Saturday 2007

飛び入りライブ。前半、丸山俊治、木村みや子、三浦久、三浦薫子、水野哲男、川島茂、太田裕士の各氏。後半、丸山、木村、三浦 with 太田、水野、川島 with 太田、上條俊一郎、藤森和弘の各氏。And the final OREAD session with T. Mizuno, K. Fujimori, H. Ota and S. Kawashima (from left).




This photo by t. mizuno







楽しい一夜になった。先ずやってきたのが上條俊一郎さん。来年わさびーず結成40周年とのことで、堀六平さんを中心にしたイベントを考えているようだ。なんらかの形でぼくもその末席に加えていただけるかも。

丸山俊治さん、今夜の彼のハイライトは昨夜書いたという「おじさんたちよ」。おばさんたちに比べて元気のないおじさんたちに向けた応援歌。彼によると、おじさんとは退職した60を過ぎた男とのこと。今晩それに該当したのは丸山さんとぼくの二人。嗚呼。初登場、木村みや子さん。ギター独奏。「日本のわらべ歌組曲」が印象に残った。彼女は、30年(そのうち20年は外国暮らし)の間、ふるさとから離れていて、最近戻ったばかり。日本のわらべ歌に寄せる郷愁はよくわかる。

水野哲男さん、最近あまり歌っていないとのことだが、相変わらず安定したギターワーク&ヴォーカル。「白馬を離れるときに書いた歌」「旅」など、昔書いたという歌が新鮮だった。「日本」はいつ聞いてもドキリとする。川島茂さん、「時代が変わっても」「40s」「ニュースタート」のオリジナルもよかったが、今夜は「傘がない」に脱帽。ヴォーカリストとしての面目躍如。太田さんのサックスのサポートも素晴らしかった。

太田裕士さん。「虹の中へ」「宇宙のうた」ともに、以前聞いたときよりも説得力が増している。それに彼の人柄、理想主義、ロマンティシズムが音になったかのようなサックスの音色は比類がない。藤森和弘さん、今夜は消防団員だったころの思い出会があり、したたか飲んできたとのことだが、そんなことはまったく感じさせない歌いっぷり。久しぶりに聞く「水鏡」は彼のヴォーカリストとしての資質を証明するに十分。

ぼくは三度にわけて、「碌山」「千の風」「次郎」を歌う。最後の2曲は太田さんのサックスのサポートで。今夜はあまり人前で歌うことのない薫子が「ローズ」を歌う。「ローズ」は上條さんも好きな歌らしい。

最後のファイナル・セッションの「岬めぐり」「子守唄のように」のヴォーカルは藤森さん。大いに盛り上がる。みなさんのおかげでとてもいい夜になった。感謝。


November 2, Friday 2007

午前中、畑の整理。いくつかの事情で今年は、野菜作りがおろそかになった。来年はもう少ししっかりやりたいと思っている。乾いた雑草やトウモロコシの茎、剪定した小枝など燃す。いいオキができたので、家人にさつまいもを持ってきてもらい、焼き芋にする。美味しかった。

畑の仕事を終えて中に入ろうとすると、猿の軍団が裏山から下りてきた。最初2、3匹しか見えなかったが、奥のほうに目をやると、うじゃうじゃといる。彼らがやってきたら、西側の柿木はひとたまりもないだろう。家人と相談して、柿をとることに。

「七人の侍」という映画があった。秋の収穫を待って襲ってくる野武士の集団を、侍を雇って、迎え撃つ村人たちの話。猿の襲撃を避けるべく柿をとりながら、その映画のいくつかのシーンを思い浮かべていた。

オーリアッド、ウイークデイにしては比較的忙しい日。大月さんと一緒にDavid Gilmour の On an Island を見る。Y先生とは『続・三丁目の夕日』の話題。

11時過ぎ、家に戻り、見上げると、南東の空にくっきりとオリオン座。暖かいと思っていても、季節は確実に冬に向かっている。

November 1, Thursday 2007

今日から11月。松本へ。この一週間は早かった。あっという間だった。帰路、駅前の楽器店へ。さらにその隣の輸入食品店へ。ところが食料品店があったところは空っぽ。10月31日で閉店の貼り紙。

家に戻ると David Gilmour のDVDが届いていた。Remember That Night, Live at the Royal Albert Hall。素晴らしい。On an Island にしびれた。What a melody! 

松本の丸山さんが、箕輪の歌声喫茶の帰りだといって寄ってくれた。明後日の飛び入りライブにきてくれるようである。そして、クラシックギターを弾く女性も。

中日が53年ぶりに日本シリーズに優勝した。8回まで好投した、というより、パーフェクトに抑えていた山井を9回、岩瀬に代えた。非情に徹する落合監督らしい、と思っていたら、山井の手の豆がつぶれていたらしい。中日にこんな投手がいたなんて知らなかった。

球場でインタビューに応える落合監督の目には涙があった。今年の春、どこの球団からも求められず、かろうじて中日にテスト生として入った中村紀洋がMVPを獲得した。嬉しかっただろう。彼もまた泣いていた。


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