OREAD Diary February 1〜February 29, 2004

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February 28, Saturday 2004

実にバライエティに富んだ飛び入りライブだった。先ず、八子(やこ)ひろえさん(from 多治見)と、甕(もたい)綾子さん(from 松本)によるアイリッシュ音楽の演奏。使った楽器はアイリッシュハープ、コンサーティーナ、ボタンアコーディオン、ティンホイッスル。それらの楽器の哀愁を帯びた優しい音色に魅せられた。1曲安藤則男さんがギターで入った。たくさんの曲を演奏してくれたが、もっとも印象に残ったのは、Blind Mary と Sheebeg and Sheemore。彼らが演奏したときはまだお客さんが少なく、もったいなかった。聞く側にすれば実に贅沢な演奏。

      

2番目に登場したのは小宮山敏明さん(from 辰野)。若い頃クラシックギターに熱中し、その後長い間遠ざかっていたが、一昨年あたりからからまた弾き始めたとのこと。「アルハンブラ宮殿の想い出」「アデリータ」「禁じられた遊び」「ディアハンターのテーマ」「タイムトライアル」など。是非また来てほしいもの。3番目に登場したのは大高一克さん(from 伊那)。彼はオーリアッド飛び入りライブ初の手品を披露。3月13日の、息子さんの結婚披露宴で手品を披露するための予行とか。新郎のお父さんが手品をする披露宴というのも珍しい。4番目の登場はフランケン池上さん(from 伊那)。「没関係ブルーズ」など数曲。大高さんの息子さんが結婚するとのことで、彼が昔書いたという結婚式用の歌を歌い始めたが、歌詞を忘れてしまい、これは途中まで。

     

STILLの演奏は、ベーシスト伊藤享さんが到着した9時過ぎから。このときまでにはお客さんはかなり増えていた。今回は彼らは曲目をがらりと変えて演奏した。前回は英語の歌が多かったが、今回は最後の Blowin' in the Wind を除いて全曲日本語。「ユー・エイント・ゴーイング・ノーウエア」「ものいわぬ目」「オートリカスの唄」「アイ・シャル・ビー・リリースト」など。詩の朗読のような歌も入り、かなり「文学的」な雰囲気を漂わせていた。またギターとベースの軽妙な掛け合いも見事だった。

  

堀内千晴さん(from 諏訪)は大高さんに触発されたのか先ず手品をひとつ。それから Where Have All the Flowers Gone? をドイツ語で。堀内さんの後、アイルランド音楽の八子さんと甕さんに再登場してもらい、後から来たお客さんのために2曲演奏してもらった。大喝采だった。次に今年初登場のボブ鈴木さん(from 諏訪)が「この間のことさ」「明るい表通り」「モジョー・フィーリング」「ほんじゃね」の4曲。これで最後と思ったら、松本からSTILLの伊藤さんと一緒にきていた久保沢孝子さんが1曲歌いたいとのことで、プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」を歌う。プレスリーというよりロッド・ステュアートばりの声で聴衆の度肝を抜いた。

  


February 27, Friday 2004

辰野の唯一のディラン通(とぼくが思っている)瀬戸さんが寄ってくれた。bootleg series vol.6 を聞いてもらおうと探したが見つからなかったので、 Steve Howeの Portraits of Bob Dylan をかけた。久しぶりにこのアルバムを聞いた。ディランの歌がある種の軽妙さをもって演奏される。淡々と歌うHowe の声も嫌いではないが、バックに流れるギターワークが小気味よい。さすが Kiss の名ギタリスト。

Howe のアルバムが終わる頃に、探していたアルバムが出てきた。2枚組だが、disc one だけ入っていた。disc two は家のPCの中に入っているのを忘れていた。リマスターされたそのアルバムの音のよさに瀬戸さんは驚いていた。また同時にディランの快活さにも。

田中誠一君からメールがあり、3月7日8日と白馬にスノーボーディングに行くが、6日(土)の飛び入りライブで歌えるか問い合わせがあった。もちろん歌えると返事を書いた。田中君はかつて「あさもりかい」という名前で京都レコードの歌手として歌っていたことがある。彼の歌を聞くのは何十年ぶりだろう。今のメインの仕事は劇画作家である。

3月27日(土)にも彼は野間さんと一緒に歌いにくることになっている。野間さんは今やっているバンドPIXYSのボーカルの女性と一緒にくるらいしい。

田中君のホームページは、次の画像をクリック。

    

彼の京都レコード時代の活動については、「あの頃ミュージシャンだった頃の思い出」で知ることができる。



February 26, Thursday 2004

かなり寒い日。夕方オーリアッドに着いたとき、温度計では4度あったが体感温度はもっと低くかった。最初は細かい雨だったが、帰るときには雪に変わっていた。しかしありがたいことに積もるほどではなかった。

ビジネスはスローで、久しぶりにかなり読書をした。読書といっても芥川賞受賞作が載っている「文藝春秋」で、仏教についてのエッセイや対談、それに受賞作の「蛇にピアス」を読んだ。

山折哲雄と石原慎太郎の対談が面白かった。

  山折:私は死んだ後はお葬式はしない、墓はつくらない、骨
  は残さないという三無主義を唱えています。焼いた後の骨は、
  野山に散骨して欲しいと思っているのです。

  石原:それは大賛成だ。だいたい戒名なんてものは全く要ら
  ないですよね。白洲次郎の遺言は見事なもので、「葬式無用、
  戒名不要」の二行だけでした。

それに山折は、

  ユダヤ・キリスト教的な一神教の世界だと、天上の彼方にあ
  る唯一絶対の神を信じなければならない。こうした「信じる」
  宗教に対して、私は日本の仏教は「感じる」宗教なのだと思
  います。森の中、自然の中に、神・仏がお隠れになっている。
  それを感じるかどうかの世界です。

と語っていたが、なるほどと思わされた。

好き嫌いは別にして、「蛇にピアス」には最後まで一気に読ませる勢いがある。気がついたら閉店時間をとっくに過ぎていた。ぼくが若い頃に読んだ文学書とはかなり異質な内容・文体である。こういう小説をいつも読みたいとは思わないが、ある意味では人間存在の危うさや哀しみが、見事に描写されているということもできる。



February 25, Wednesday 2004

開店後しばらくして水野哲男さんが21日の飛び入りライブの写真をCDに焼いてもってきてくれた。その中にお父さんの演奏姿を撮ろうとしている弘介君が映っているほほえましい写真があった。

 
    photo by T. Mizuno


以前この日記に、暖かくなったら歌いにきてもらいたいと書いた「よしだよしこ」さんのライブを5月28日(金)午後7時半から行うことになった。

彼女は、70年代の中ごろ一世を風靡した「ピピ&コット」というフォークグループの中心メンバー。吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸、海援隊等と活動を共にしたあと、アメリカに渡り、長い間音楽から離れていたが、1999年に高田渡さんの「どうだい歌ってみないかい?」という一声で23年ぶりに活動を再開したとのこと。

 
   photo from her website 

20年ほど前最初にオーリアッドを開いたとき、女性のソロシンガーが歌いにきてくれたことはなかった。再開後は、4月30日(金)の茶木さん、それに5月28日(金)のよしださんと、女性シンガーが続く。女性が元気になったということだろうか。

YAMA-SHOWSのくのやんこと久納ヒサシさんからメールが入って彼独自のホームページ rover's sketchbook の存在を知らされた。1月10日の駒ヶ根高原美術館でのぼくのコンサートのレポートが載っているという。

sketches の中にぼくの歌に対するコメントが載っていて、若い彼がぼくの歌の「カタチ」をどのようにとらえているか知ることは興味があった。しかしそれよりも何よりも profile を読んで、彼の好きな作家の中にケルアックとサリンジャーが入っていたことに驚いた。ぼくは「路上」よりも「ダルマ・バムズ」のほうが好きだけれど。同時に彼の生き方にも共感を覚えた。



February 21, Saturday 2004

大盛況の飛び入りライブデー。メインの篠原一弘さんの歌がよかった。それに予期せぬ飛び入り参加者もいて、大いに盛り上がった。

最初に常連の赤羽真理さんに「放浪者の子守唄」「森の小道」など3曲を歌ってもらう。そしてぼくが「その人がこの町に嫁いできた頃」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」の2曲。それから堀金村の山岸豊さんが友部正人の「一本道」それにオリジナルの「ゆうとととうきょう」などを歌い、山岸さんの伴奏で松本のリエさんという若い女性がオリジナルの「バンビ」を含めて数曲歌う。

  

ここで篠原一弘さん登場。「ほんの少しだけ」「O-Y-A-J-I」「ひまわり」「星ヶ丘」「青空」などギターとピアノの弾き語りで9曲。彼自身、小田和正に影響を受けたと語っていたが、ピアノ弾き語りの歌にいい歌がたくさんあった。ことばがしっかりしている上に歌唱力もある。何の曲だったか尾崎豊を思い出させるようなメロディーラインもあった。

  

そのあと、本城村からの帰りに寄ってくれた水野哲男さんが「C」「商業主義」「錆びた耕耘機」を歌う。そのあとオーリアッド初登場の塩尻の藤森一志(ひとし)さんが「ノックの音が」「あの頃の風景」を独特の声で歌う。そして、YAMA-SHOWSのくのやんこと久納ヒサシさんがディランを意識して書いたという「時は流れる」と、初めて人前で歌うという新曲「ゼロ」を歌う。彼は1月の駒ヶ根高原美術館のコンサートにもきてくれた。また歌いにきてほしいものだ。

   

最後にメインフィーチャーの篠原さんが、初めて父親になったときの心境を淡々と語る「君が生まれた日に−弘介のうた」を歌って終了。この歌に一番心打たれた。おそらくその場にいた多くの人たちが同じように感じたのではないだろうか。

  君の名前を考えながらひとりで祝杯をあげた 
  あんまりいいのがうかばなくて、ひとりで何杯も飲んだ
  ひろい心を持ち、誰かのために優しくできる
  大きな人になってほしいと君の名前をつけた

その3歳になった弘介(こうすけ)君もお母さんと一緒にきていて、盛んにお父さんの歌う姿をデジカメで撮っていた。心和む風景だった。

今晩の飛び入りライブには、原村、松本、堀金村、塩尻、箕輪、辰野のシンガーたちが歌いにきてくれた。それぞれが独自の歌い方、独自の弾き方で、自らを表現しようとしていることに感動する。お客さんも篠原さんの歌を聞きにきてくれた方々を中心に最近になく多かった。感謝。


February 20, Friday 2004

明日は「飛び入りライブデー」。メインフィーチャーは原村の篠原一弘さん。彼のホームページからアクセスできる彼の歌のことばを読むと、かなりレベルの高い作品を書いているように思われる。どんな歌を歌うのか楽しみだ。

篠原さんのファンの方だろうか、諏訪に住んでいるという女性からオーリアッドへ行くにはどうしたらいいかという問い合わせがあった。

有賀峠をくると、平出の信号を直進し、天竜川にかかっている橋を渡り、最初の信号を左折(右折すると辰野駅)。400mほど進むと飯田線の踏み切りがある。それをわたるとすぐ伊那富橋。伊那富橋を渡って右手4軒目の木造の建物がオーリアッド。

ぼくは明日は午後2時から4時までの本城村社協主催の「わたげコンサートに」出演。6時までには戻れると思いますが、万一遅れる場合でも、オーリアッドは6時に開店いたします。歌いに、聞きに、また玄米カレーを食べにお出かけ下さい。


February 19, Thursday 2004

今晩は暇で、明後日の本城村でのコンサートのためにいくつかの歌を、特に「その人がこの町に嫁いで来た頃」を練習した。これは、長野県に戻ってから最初に出したアルバム『セカンド・ウインド』(1994年)の1曲目に入っている。アルバムではキーはDでピックで弾いているが、最近はBでフィンガーで弾くことが多い。今晩はオリジナルのDに戻し、ピックで弾く練習をした。このほうが勢いがあっていいようだ。

   その人はいつも憧れに喪服を着せ
   伏目がちに歩く癖がついてた
   その人がこの町に嫁いで来た頃
   スーパーはまだ一つしかなかった


February 18, Wednesday 2004

開店と同時にフランケン池上さんが入ってくる。先日の「かんてんぱぱホール」でのジョイントコンサートの裏話をお聞きする。トニカ4人、BONOBO3人が一緒に集まって練習する時間を調整するだけでも大変だったらしい。「エル・コンドラ・パサ」などは一度練習しただけだとか。またトニカのメンバーの中に絶対音感の持ち主がいて、池上さんの弾くF♯が低いと何度も注意を受け苦慮したとのこと。少なくともぼくが聞いたところでは、そんなことは感じさせない見事な演奏だった。

久しぶりに花岡明生さんが顔を見せてくれた。昨年11月に岡谷で行われた「古川豪コンサート」のCDRをもってきてくれたのである。スピーカーからカントリーが流れていて、カントリーの話題になる。バンジョーを弾くだけあって花岡さんはカントリーに詳しい。I Saw the Light も歌えるとのことで、一度一緒に歌ってみた。いい感じである。特にコーラスのところは、池上さんも加わって大いに盛り上がる。

花岡さんのオリジナル曲を初めて聞いた。

   里山の小さな畑に
   娘とふたり来た
   青く澄んだ空が広がる
   もうすぐ雪が来る

ということばで始まるカントリー調のとてもいい歌だ。今度「飛び入りライブ」で歌ってもらいたいものだ。デジタルカメラのフラッシュカードをお返しするのを忘れてしまった。


February 17, Tuesday 2004

「テネシー・ワルツ」の歌詞を検索していたらレナード・コーエンが歌っている歌詞が出てきた。コーエンが昔カントリーシンガーを目指したというのは有名な話。

ファースト・ヴァースはパティ・ペイジと同じだが、セカンド・ヴァースが次のようになっている。

  Now I wonder how a dance like the Tennesse Waltz
  Could have broken my heart so complete
  Well I couldn't blame my darlin', and who could help fallin'
  In love with my darlin' so sweet

  どうしてテネシーワルツのようなダンスが
  ぼくの心を完全に打ち砕くことができたんだろう
  あの娘を責めるわけにはいかない、そして誰だって
  あんな素敵な娘に会ったら好きにならずにはいられないだろう

これからはこの歌詞をぼくのレパートリーに入れよう。Who could help fallin' in love with my darlin' so sweet? さすが、レナード・コーエン。


February 16, Monday 2004

田中誠一君から、彼のホームページとぼくのホームページをリンクしたというメールが入った。そこには、3月に野間義男さんを誘って、オーリアッドの飛び入りライブに行きたいが、いつがいいかとも書かれていた。田中君は劇画作家、カメラマンを現在の生業としているが、かつては京都レコードに所属していたシンガーだった。

彼のホームページに「あの頃ミュージシャンだったような思い出」というコーナーがあり、ここを読むと、河島英五や「あのねのね」と一緒に活動した頃のことが生き生きと描かれている。ぼくの知らなかった英五君や清水・原田両君の当時の生活が伝わってくる。特に英五君の人の知らないところでのものすごい努力の話が印象深い。

3月13日(土)を除いては今のところいつでもいい、と返事を書いておいた。ただし、3月はまだ寒いので、4月になってからのほうがいいのではないかと付け加えておいた。

田中君のホームページ「毎日が真夏・・・」は次のURLをクリックして下さい。http://members.jcom.home.ne.jp/seiichi-tnk/menu.html


February 14, Saturday 2004


午前11時、伊那市の「いなっせホール」へ行く。3月1日(月)1時30分からの「歌を交えて景観トーク−わが心のふるさと」のための音響チェック。200人収容の気持ちのいいホールで、音響は申し分ない。当日は簡単な照明もあるとのこと。せめて3分の1の席が埋まってくれればいいのだが。

その後、グリーンファームで玉ねぎ、りんご、チョコレートなどを買い、かんてんぱぱホールへ。アンサンブル・トニカとBONOBOのジョンイントコンサートを聞くため。

  

300人を超す超満員の観客にまず驚いた。すごい集客力。まずトニカが40分演奏する。リコーダー、ピアニカ、ピアノの4人組。各人のテクニックが素晴らしい。ただし、ことば人間のぼくとしては、途中少し疲れた。その後、BONOBO。フランケン池上、芦部清志らの見慣れた顔がステージに並ぶ。「飯田線」の歌、それに芦部さんの「切なくて」が印象に残った。曲ごとにMCが入ったが、数曲軽快な歌をMCなしで続けて歌うところがあれば、もう少しメリハリがついたかも。最後にトニカとBONOBOが一緒に何曲かやる。「エル・コンドラ・パサ」がよかった。

オーリアッドは飛び入りライブデー。今夜はメインフィーチャーはなく、誰が歌いにきてくれるかなと思っていたら、まず大月高志さんが入ってきた。いつものようにジャックダニエルズのシングルを注文し、しばらくカウンター越しに話す。彼とゆっくり話すのはこれが初めて。彼の音楽的背景などの話を聞く。某有名音楽大学卒と聞いて、彼の華麗なピアノに納得がいった。

  

彼の話を聞いていて、今は昔、今出川烏丸の角にあったラーメン屋さんで働いていたアメリカ人を思い出した。彼は、英会話を教えれば楽に稼げるのに、それを嫌い、ラーメン屋で働いていた。大月さんにもそんな「不器用な」ところがあるように思えた。言うまでもなく、それはぼくの好きな「不器用さ」である。

その後、赤羽真理さん、堀内夫妻登場。最初にぼくが、I Saw the Light, Cotton Fields, Tennessee Waltz、それに Colours を歌う。その後、赤羽さんが、「今旅立ちの時」と「森の小道」を歌う。次に大月さんに先週弾いてくれた「パッヘルベルのキャノン」をもう一度お願いする。何度聞いても素晴らしい。2曲目に彼は「太陽に吼えろ」の中から「山さんのテーマ」を彼なりに編曲したものを弾いた。堀内さんは、「戦友」を歌詞を見ず、一気に、歌った。彼の記憶力にはいつも驚かされる。

最後に、大月さんにお願いして「碌山」にピアノを伴奏をつけてもらった。いつもと違った「碌山」になった。


February 13, Friday 2004

今晩は久々にカントリー&ウエスタンのオムニバス盤を聞いた。ハンク・ウイリアムズの I Saw the Light が耳に残った。確かディランもツアーでこの歌を歌っていたことがある。次のコーラスから分かるように、ギンギンのクリスチャンソングである。

   I saw the light, I saw the light
   No more darkness, no more night
   Now I am so happy, no sorrow in sight
   Praise the Lord, I saw the light
   光を見た、ぼくは光を見た
   闇は去り、夜もない
   今はとても幸せ、悲しみは見当たらない
   主を讃えよ、ぼくは光を見た

あまりにも一面的で教条的ではあるが、軽快なリズムにのって歌われると、気分がかなり上向きになる。ある種、軍歌と共通するところがあるかもしれない。明日の「飛び入りライブ」で歌って見ようと思う。


February 12, Thursday 2004

久々に建築家のMさんが訪ねてくれた。彼はぼくが辰野へ戻ってから親しくなった何人かの友人の一人。元気そうだ。4月から豊田市にある母校で非常勤講師として建築学を教えることになったとか。遠いので通うのは大変だろうが、彼は教師としての素質を十二分にもっている。いい先生になるだろう。

生まれ変わったら建築家になりたいと思っていた時代があった。今でも建築家にはあこがれるが、やはり生まれ変わってもフォークシンガーになりたいと思う。今よりも少しはましなフォークシンガーに。


February 11, Wednesday 2004

粉雪が舞うかなり寒い祭日の夜。人の行き来はもちろん、車の通る音もほとんど聞こえない。がらんとしたオーリアッドで、ディランのBootleg Series vol. 6 を何度か聞く。この2枚組みのアルバムのMCの部分を訳すように依頼されたからである。このライブが行われたニューヨークのフィルハーモニック・ホールがどのくらいの大きさかしらないが、ディランはかなり明るく、時には上機嫌で、聴衆とのやり取りを楽しんでいる。

このコンサートが開かれたのは1964年10月31日。この頃はディランがアコースティックギターからエレキギターへ移っていくちょうど過渡期だった。Another Side of Bob Dylan が64年5月に発売され、Bringing It All Back Homeが発売されたのは、65年3月のこと。そして有名なドキュメンタリー Don't Look Back が撮影されたイギリス・ツアーは65年の5月だ。

送られてきたワーディングされた英語を参考に、ディランと聴衆のやり取りを聞き取る作業をしなければならない。聴衆の声はほとんど聞こえないが、明らかにディランはそれに反応して話している。ただディランの語っているところを連続して訳しても、意味も伝わらないし、面白みもない。

このコンサートが行われた1964年10月、日本では東京オリンピックが行われた。そのころぼくはサンタローザでの1年間の留学を終え辰野に戻り、現在オーリアッドがたっているところにあった古家の一室で、大学入試のための勉強をしていた。19歳になろうとしていた。

40年の時をへだてて、遠くニューヨークで開かれたコンサートを、信州の田舎の町で聞きながら、この人生で、ディランの音楽と出会えた幸運を思っている。


February 10, Tuesday 2004

茶木みやこさんから電話があった。茶木みやこさんといっても、ひょっとして、その人誰?と思う人もいるかもしれない。しかし、東京オリンピック銅メダリストで、メキシコオリンピック直前に自殺した円谷選手を歌った「一人の道」を歌っている人といえば知らない人はいないだろう。あるいは横溝正史シリーズの主題歌だった「まぼろしの人」「あざみの如く棘あれば」を知っているという人もいるかもしれない。

京都にいたころ、彼女と何度かコンサートをやったことがある。とてもきれいな声をもっている。いい歌はたくさんあるが、やはり「一人の道」が好きだ。

   ある日走ったその後で
   僕は静かに考えた
   誰のために走るのか
   若い力をすり減らし

導入部分に使われているマラソンの実況録音が鮮烈である。

一度オーリアッドでライブをと前から話があったのだが、4月30日(金)午後7時からということになった。詳細は近いうちに。

1973年11月30日、京都会館別館ホールで開かれた茶木さんとのジョイントコンサートのチラシが日記に貼り付けられていた。チケット前売り300円、当日500円。時代を感じさせる。ぼくの髪が一番長かった頃。

午後、スイミングへ行く前に、カレーを仕込む。スライスした玉ねぎやニンニクをいためながら、ガムサマサラやターメリックといった香辛料を振りかけている時間はぼくには新しい世界。けっこう楽しい。歌がよかったといわれることと、料理がおいしかったといわれることには、共通した何かがある。しかし、同じを歌を歌っても同じに歌えないように、同じカレーでも、いつも味が微妙に違ってしまう。


February 9, Monday 2004

1月27日にSTILLが演奏したとき、松本から聞きにきてくれた甕(もたい)綾子さんから、2月28日(土)の飛び入りライブにSTILLと共に参加したいというメールが入った。

甕さんは、アイリッシュ・ハープとコンサティーナを演奏し、もう一人の八子(やこ)ひろえさんが、アコーディオンとホイッスルを演奏するとのこと。お二人で2年ほど一緒にアイルランド音楽の演奏活動をしてきたとのことだが、ユニット名はまだないらしい。Yako & Ayako はどうだろうか。楽しい一夜になりそうだ。

昨年10月4日に演奏したYAMA-SHOWS のコンサートを6月の「ほたる祭り」期間中にしたいと辰野地区マネジャーのふりーぱさんからメールが入った。まだ今年の「ほたる祭り」の日程が発表されていないので、発表され次第、詳細を決めたいと思う。



February 7, Saturday 2004


今日の飛び入りライブデーで最も印象深かったのは大月高志さんがピアノで弾いた「パッヘルベルのカノン」。「香月!」のリーダーとしてのギターとピアノの演奏は聞いたことがある。しかし、ピアノ独奏は初めて。なめらかに鍵盤の上をすべる彼の指づかいが凄い!彼はあまり多くを語らないので、彼がどのような音楽的背景を持っているか知らない。おそらく小さな頃から自らに厳しい練習を課してきたに違いない。

伊那市の山裾に喫茶店を開いているというご夫妻がフランケン池上さんと一緒にやって来た。彼らの喫茶店は木曜日から日曜日の昼間のみ営業。しかも冬の間は休業とのこと。驚いた。世の中にはオーリアッド以上にのんびりした喫茶店があるのである。奥さんの手作りパンが好評とのこと。

赤羽真理さんは、その話に触発されたのか、「メアリーズ・ジェリー・ロール・ベイカリー」を歌う。その他、「放浪者の子守唄」、定番の「森の小道」「アメージング・グレイス」など。セカンド・ラウンドで歌った「ケサラ」は素晴らしかった。

    

フランケン池上さんは「ウイスキー・ソング」「夢よさめないで」「上を向いて歩こう」などを歌ったが、彼の歌でもっとも強烈だったのは、夜も更けてセカンド・ラウンドで歌った春歌。「あなたの腰の拳銃」のイメージは、ブルーズの中にはけっこうある。最近訳したロバート・ジョンソンの歌の中にも、

   俺のピストルを撃とう
   ガットリング砲をぶっ放そう
   俺のピストルを撃とう
   俺のガットリング砲をぶっ放さなくちゃ

というところがあった。

諏訪の堀内さんは「早春賦」「塩尻東小学校校歌」、県ケ丘高校応援歌「覇権の剣」を歌う。

娘さんと最近土曜日に来てくれるようになった岡谷の小池さんが「いつもは娘に止められて歌えなかったけれど今日はいないので」と、初めて大月さんのピアノ伴奏で「どうぞこのまま」を歌った。娘さんは辰野町内での飲み会に参加しているとのこと。今度は娘さんも一緒に歌って下さい。

ぼくは、「俺が生まれて育ったとこは」「サンタバーバラの夏」「ガビオタの海」とサンタバーバラにまつわる歌。セカンド・ラウンドで、「一通の手紙」「フィールド・オブ・ドリームズ」。


February 6, Friday 2004

午後、ジムへ行く前にオーリアッドに寄り、玄米を炊く準備をしているところへソニーのKさんから電話。ディランの bootleg series vol. 6 の中の1曲を訳してほしいとのこと。早速、家とオーリアッドの両方にメールで歌詞を送ってもらうようにお願いする。

ジムから戻りすぐに訳して送ろうと思ったが、今晩は思いの外お客さんが多く、なかなか翻訳に取り掛かれない。4つのバースからなる簡単な英語である。お客さんからのオーダーの入らない合間を縫って訳して9時過ぎに送った。

ディランの歌としては珍しいと思っていたら、トラディショナル・ソングでジョーン・バエズが歌っているとわかり、納得。ディランはハーモニカを吹いている。こんなバースがある。

   ママはいう、男はみんな浮気者
   口では愛してると甘いことをいい
   次の晩には他の女を口説いてる
   いくら嘆き、ため息ついても知らんぷり

最後の残ったお客さん4人に要請され何曲か歌った。久しぶりに歌った「俺が生まれて育ったとこは」が一番好評だったようだ。


February 5, Thursday 2004

今晩は思いもかけず、松本から学生がふたり来てくれた。一人は今年度後期にWriting のクラスをとったF君で、もう一人は昨年度、前期後期にReading および発音のクラスをとったTさんである。二人は先日の松本大手公民館でのコンサートにもきてくれたようである。

F君の英語力はかなりのもので、大手の塾で中高生に英語を教えている。彼は、ぼくが最初の授業で少し触れた英語の構造、それに英語の発音・ヒアリングの習得法に興味をもったようである。Essay Writing のクラスなので、その話は最初だけしかできなかったが、もっと聞きたかったとのこと。

Tさんはビートルズのファンだという。Stars on 45 の「ショッキング・ビートルズ」をかけたら、そこに出てくるすべての歌を知っていた。正真正銘のビートルズファンである。しかし、Stars on 45 のことは、ふたりとも知らなかった。

無理もない。Stars on 45 が流行ったのは彼らが生まれる前のこと。誰も信じてくれないだろうが、一時ぼくはディスコにこったことがある。コンパのあと学生に連れられて河原町のディスコへいったことがきっかけである。学生たちがぼくの手を引っ張って踊らせようとしても、ぼくは踊らないよ、といってすわってお酒を飲んでいたのだが、突然ビートルズの音楽が流れてきた。ディスコのリズムにのって細切れのビートルズの曲が次から次へと続く。I Want to Hold Your Hand が流れてきたときには、たまらず椅子から立ち上がり、踊りはじめた。それ以後何度かディスコとは縁のない人たちを誘って踊りに行った。「純ちゃん」のお父さんと行ったこともある。

F君はカレーが好きでどこへ行ってもカレーを注文するようだが、オーリアッドの玄米カレーは「たくさんのスパイスが使ってあってとてもおいしい」とのこと。使っているスパイスは、思いつくままに、ガムサマサラ、ターメリック、クミン、コリアンダー、ニンニク、赤唐辛子、ローレル。まだ他にいつくかあるような気がするが思い出せない。最近はカレーを作るのが楽しくなってきた。以前はニンニクと赤唐辛子以外、その名前さえ知らなかった。


February 4, Wednesday 2004

トップページに岡谷の林功一さんが今朝もってきてくれた御神渡りの写真を載せた。昔は御神渡りは当然のごとく毎年見ることができたが、最近は暖冬続きで見ることが難しくなってきている。御柱の年の御神渡り、縁起がいいかも。

オーリアッドはいつも暇であるが、中でも水曜日が一番暇である。しかし今日は、20年ほど前にジブラーンの『預言者』を一緒に訳した6人の方々が集まって下さった。4,5年かかって訳し、自費出版で一冊の本にしたのだが、その本をもってきた方が、その中の最終章「死について」を朗読した。その最後の部分は次の通り。

    死ぬということは、風の中に裸で立ち、太陽の中にとけ
    込むということ以外の何であろうか。呼吸が止まるとい
    うことは、休みなき潮の満ち引きから呼吸を自由にする
    ということ以外の何であろうか。そうすることによって
    呼吸は肉体から立ち上がり、広がり、何ものにも妨げら
    れることなく、神を探すことができる。

    沈黙の川の水を飲む時、あなた方はほんとうに歌い始め
    る。山の頂上に辿りついた時、あなた方は登り始める。
    そして肉体が土に帰る時、その時こそ、あなた方はほん
    とうに踊り始めるのである。

これからは1か月に1度オーリアッドで集まろうということになった。英語で読むのは大変だが、自分たちが訳した日本語で読みなおしたらどうかということになった。

今日の午後、ロバート・ジョンソンの訳詞の校正を送った。1曲大変苦労した。Stop Breaking Down Blues である。Some pretty mama start breaking down with me. の start breaking down with me をどう訳すか、多くのネイティブスピーカーにも聞いてみたが統一して見解が得られなかった。今日校正を送る前にいい訳を思いついた。かなり気に入った訳だが、ここでは残念だがまだ非公開。

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