OREAD Diary
         July 1 - 30, 2015

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Friday, July 31, 2015

今日も朝から外の仕事。いくつかの潅木の剪定。野菜の収穫。それにガレージの西側と裏の草を刈払機で刈る。少し働いただけで汗ビッショリ。昼食後、午睡。しかし暑さのせいか、すぐに目が覚める。パジャマが汗でビッショリ。4時すぎ、日が陰り、再度外の仕事。やり始めると次から次へすることができて、なかなか終われない。それでもだいぶ、きれいになった。

夜、NHKのきょうから始まる時代劇を見る、これは面白くなりそうだ。父親の死によって急遽参勤交代を仕切らなければならなくなった若侍の話。

テストの採点の継続。歌の問題はかなりできている。経済学部のクラスは、いままでぼくが受け持った経済学部のクラスでは最高のクラスかも。

ニュースを見に階下におりていくと、Family History をやっていた。今夜は中山エミリ。途中からだったが、面白かった。エミリの曽祖父のロジャーは朝ドラで取り上げたら面白そう。

明日は朝7時から村の運動公園の掃除。寝過ごさないように注意しなければ。



Thursday, July 30, 2015

久々に朝からガレージの掃除。いらないものがたくさん溜まってしまった。燃えるものは三の畑の奥にもって行き、燃やすことに。幸い、風もなく、火をつけたあと、安心して放っておいた。あとで見に行ったらよく燃えていた。

先日富士見高原花の里で購入した百合の一本が花開いた。イエローダイアモンドという種類らしい。百日草が長いあいだ咲いている。百合は2,3週間の命だが、百日草は、100日かどうかわからないが、長いあいだ咲いている。

サンタローザのルーサーバーバンク記念館で購入したいろんな種を、春先にまいたが、今はメキシカン・サンフラワーという花が盛んに咲いている。日本名はニトベギクというキク科の花らしい。







夕方、芝刈り。ここ数日蒸し暑く、夕立も3日続けて降り、芝生の伸びること。

夜、昨日のテストの採点を始める。できたら8月4日までに採点をすませたい。8月4日は試験期間の最後の日。2人の学生が、その日に歌の試験をうけたいと申し出ている。


Wednesday, July 29, 2015

午後、2クラスの期末試験。昨年度は週3日6コマを受け持っていたので、試験問題作成、試験監督、採点、成績付けと、ほんとうに大変だった。今年は週2日4コマで少し余裕がある。それでも試験をすることと採点、そして成績付けは大の苦手。Teaching Asiisitant がいて、全部を代行してくれたら何て素晴らしいだろう。それなら6コマ受け持つことも可能だろう。現実にはありえないが。

帰路、久々に TSURUYAに寄る。アボカドがかなり値上がりしている。昨年まではメキシコ産の大きな完熟アボガドが1個130円だった。それが160円になっている。茸では最近マイタケが気に入ってよく食べる。とくにこのスーパーのマイタケは好きだ。味噌汁に入れると独特の風味が出る。その他、チーズやドレッシングなどの食材を購入。

夜、歌声喫茶。家人が先に行き、ぼくはお茶の時間から。久々に「学生時代」を聞く。素晴らしい歌、素晴らしい歌声。




Tuesday, July 28, 2015

朝起きると曇り空。それに涼しい。外の仕事ができる。と、思ったが、しばらくしたら日が照り出して、じわじわと暑くなる。それでも外に出て、ツツジの剪定をし、家の裏の雑草を刈払い機で刈る。すぐに汗だく。





6時から村の公民館で森林組合の理事会。会議のあと懇親会にしばらく参加し、退席。帰宅したら、東の空の夕焼けが美しい。カメラを取りに家に入り、一枚写す。



夜、期末試験問題の最後のチェック。


Monday, July 27, 2015

暑い一日。今年一番の暑さと何度も書いたが、今日が今年一番の暑さ。午後2コマのクラス。歌を歌うときとビデオを見るときは、ドアは閉めたが、窓は開けておいた。学生にはいつもと逆にあまり大きな声で歌わないように指示。

夕方、家に帰り芝生と花に水をやる。そのあと夕食。今は野菜が豊富。畑をするのは大変だが、やはり新鮮な野菜をたべられるのはありがたい。今夜はゴーヤチャンプルーが美味しかった。ピーマンとゴーヤは猿対策をしなくてもいいので、楽で、放っておけばいつの間にかたくさんなっている。

夜、NHKのプロフェッショナルで獣医さんの番組を途中から見る。いい番組だった。


Sunday, July 26, 2015








Saturday, July 25, 2015

飯田からの3人そして、オーリアッド初登場の2人の参加があり、熱のあるいいオープンマイクになった。初回登場順に、(敬称略)小松正秀、下平茂隆、島岡博、松下元英、中島裕志、丸山俊治、坂井俊水、赤羽真理、三浦久。

吉田拓郎やさだまさしの知らない歌を知ることができたのもよかった。とくに前者の「がんばらないけどいいでしょう」は、彼の意外な側面が歌われていて興味深かった。丸山さんの「70歳になったのだ」のパロディともいうべき、60歳になったばかりの島岡さんの「60歳になったのだ」も面白い。



















それぞれに素晴らしい演奏だったが、もっとも印象に残ったのは中島さんの「ケサラ」。この歌は何度か昔聞いたことがある。とくにそのキャッチーなメロディは心に残っていた。家に戻り、検索したらホセ・フェリシアーノが歌う「ケサラ」があった。イタリア語と英語の字幕つき。その英語の字幕を読んで、初めてこの歌の元の意味がわかった。いい歌である。
https://www.youtube.com/watch?v=jRhtJtUDAZs


Friday, July 24, 2015

今朝、ルイースから写真が送られてきた。3人の女性はフランス語のTAで、ぼくの横の男性はルイースの隣のアパートの住人とか。この写真を見て驚いたことは、3人の女性は大学院生でぼくより年上だったので、当時ぼくには大人に見えたが、今見れば、みんな可愛い少女だ。

彼女たちの一人がぼくのフランス語のTAだった可能性はあるが、ぼくにはその記憶がない。何度かルイースのアパートを訪問して歌を歌ったりしたらしいが、彼らを訪問したことは覚えているが、詳しいことは何も覚えていない。ぼくの記憶が鮮明になるのは、この次の学期に専攻を政治学から宗教学に変え、ジム・グリーンやテイヨー・ゲイブラーたちと出会ってからである。

この写真をみるとぼくの顔にはすでに髭が見える。髭を伸ばしたばかりだった。それにひどく痩せている。

先日富士見高原リゾートで購入した百合を、昨日、白樺の木のまわりに植えた。かなり大きな蕾がついている。1,2週間で咲き始めるだろう。楽しみだ。



鶴見俊輔さんが亡くなった。今朝のニュースで知った。精華短大に勤めていたころ、精華の同僚であった鶴見さんの奥さんに用があって、電話したことがある。奥さんはお留守で、鶴見さんが出た。そのとき2,3言葉を交わした記憶がある。彼とはそれくらいしか接点はなかったが、彼や「思想の科学」に影響を受けた人たちには何人にも会った。まず第一に「思想の科学」の編集長をしていた大沢眞一郎さん、そして鶴見さんのお宅に書生として住んでいたことがあるというキム・ミョンガン氏である。

ひとつの時代が終わりつつあるようだ。


Thursday, July 23, 2015

朝起きて、facebook をチェックしたら、ミセス・ハーヴィーが亡くなったということを、息子のジョンの投稿で知った。1963年から64年にかけて一年間、サンタローザでホームステイをさせてもらった家の ぼくの American mother 。享年97歳。昨年サンタローザへ行ったとき、彼女の住んでいるロサンゼルス近くのヨルバリンダの町を訪ねようとしたが、いくつかの理由で叶わなかった。でも一昨年、感謝の手紙を彼女に送ることができたし、彼女から自筆の手紙も届いた。

当時のぼくの家の生活とはあまりにもかけ離れた、あまりにも豊かな生活ゆえに、彼らの生活にときには違和感を感じたこともある。しかし、あの一年間がなければぼくの人生は今とはまったく違ったものになっていたはずである。彼女の、そして早くに亡くなったミスター・ハーヴィーの親切と寛大さには、感謝してもしきれない。Thank you for everything, Mr. and Mrs. Harvey. I am forever indebted to you. May you rest in peace.

また今日は、思いがけない人からメールが入った。驚いた。最近 facebook friend になったM. Kanda さんが、彼のfacebook にぼくとアラン・ラオのことについて書いていたので、1969年8月にサンフランシスコを出港したプレジデント・ウイルソン号の上で、アランを含む4人で歌っている写真を、一昨日コメント欄に投稿した。Kandaさんがその写真をアランに送ったところ、アランから、写真を友人たちとシェアしたら、ぼくを知っているという人がいたというメールが入った。

今朝、その人からメールがきたのである。彼女の名前は Louise Kikuchi。ぼくが知っていたころの名前と同じかどうかはわからない。結婚して苗字が変わっている可能性はある。彼女のメールを読んでおぼろげながら思い出した。ぼくはUCSBに編入してから外国語科目としてフランス語をとった。彼女がぼくのフランス語のTA (Teaching Assistant)だったかどうか定かでないが、当時彼女はフランス語を専攻する大学院生で、フランス語のTAをしていたという。神田さんと facebook friend になったことによって、50年前の忘れていた風景が蘇ってきた。

夜、期末試験に関する学生の質問に答えるメールを送る。確かに彼女が質問してきた英文は、読めば内容はすぐわかるのだが、それを辻褄のあう日本語に置き換えるのは難しい。半分だけ答えて、残りの半分は明日ということに。



Wednesday, July 22, 2015

今日も、いい天気。真夏である。午後2コマのクラス。来週の期末試験用の模擬試験。とくに歌の問題。かなりよくできている学生も何人かいた。来週試験の前、昼休みに、10曲歌詞をみないで歌うので聞いてほしいと申し出た出た学生がいた。2コマ目のクラスでは、TOEIC の試験の結果を返す。

帰路、TSURUYAに寄り、食材を購入。家に戻るとテーブルの上に、家人のメモが。緊急の連絡が入って、カウンセリングの仕事に出かけるとのこと。岩手の中学校でのイジメ問題が報道されてから、学校はより注意深くなっているのかも。

この種の問題が浮上すると、学校の隠蔽体質が取りざたされる。確かにそういう一面はある。しかし、この問題には簡単に白黒を決めることができない複雑さがある。

とにかく願うことは、いじめられた子供が自ら命を断つことのないようにということ。中学の期間はわずか3年間。中学校を終えてからの時間のほうが圧倒的に長い。我慢できたら我慢して、できなかったら、学校へ行かない選択をすることもできる。


Tuesday, July 21, 2015

午後遅く、フィービーを獣医さんのところへ連れて行く。完治したとお墨付きをいただく。フィービーは首のまわりのカラーもとれ、のんびり庭で夕涼み・







フィービーも苦労したが、われわれも苦労した。


Monday, July 20, 2015

今朝も快晴。「やぎたこ」さんのところへ音源を宅急便で送ったあと、富士見高原リゾート花の里へ。以前は「百合の里」と言われていたが、現在「花の里」と呼ばれているようである。百合のシーズンは3週間。スキーシーズの冬を除くいて、3シーズン賑わうためには、あらゆる季節に咲く花がなければならないと、考えた人がいたに違いない。

高速道路を降りて、ナビの指示するままに進む。ナビがなかったら、確実に迷っていただろう。あまり標識がない。到着後まず、入口の建物内のレストランでざる蕎麦を食べ、腹ごしらえ。そして、入園料1000円、リフト代600円を払って中に入る。

最初ぼくは、白樺林に自生している百合を見るのに入場料はいらないだろうと思っていたので、1600円は高いと思ったが、すべてを見終わったあとには、これは安いと感じた。この倍払ってもその価値がある。









とにかく素晴らしかった。最後、入口のところで販売している百合の鉢植えを買う。2鉢と思っていたが、結局5鉢買ってしまい、1鉢はおまけしていただいて計6鉢に。おまけしてくれたのはこのリゾート会社の社長さん。いろいろとお話を伺う。ここまでくるには大変な苦労をされたようである。

帰りは高速ではなく一般道で帰る。それほど時間は変わらない。1時間から1時間20分といったところか。息子たち家族が帰省した際には是非連れていきたいものである。


Sunday, July 19, 2015

朝起きるととてもいい天気。前から行きたいと思っていた富士見高原の百合をみに行こうということになった。ネットで場所を確かめ、地図まで用意したが、午前中、家の中と外の仕事をしているうちに、曇り始めてきた。行くことを断念し、昼食後、昨夜の後片付けにオーリアッドへ。


Saturday, July 18, 2015

初回出演順に(敬称略):丸山俊治、坂井俊水、三浦久、水口竜吉、原田和夫、長島功、水口美奈子、赤羽真理。

丸山さん、今夜は新安保法案が衆議院を通過したことに対して抗議の意を込め、全7曲、戦争に関する歌。しかも1曲を除き、すべて丸山俊治作詞作曲。ぼくと4歳しか違わないが、ぼくが生まれたのは昭和20年11月。丸山さんは昭和16年5月。しかも、満州からの引き上げ体験がある。戦争に対してぼくよりもはるかに強烈な思いがある。

とくに今夜印象に残った歌は、幼くして亡くなった2人の妹を歌った「ぼんぼん」。


















水口美奈子さんは20年前、ぼくのクラスにいたことがあるという。ぼくが七夕コンサートで留守にしていた7月4日に15歳の息子とやってきてくれた。息子のダンスはその夜とても好評だったと聞いたが、今夜も大好評。そしてお母さんは、ぼくのクラスで覚えた We Shall Overcome をいっしょに歌ってくれた。20年たっても歌詞を覚えていて歌えるというのは凄い。



閉店後、水口親子といろいろ話す。つい話に夢中になり遅くなってしまったが、いい夜だった。



Firday, July 17, 2015

朝起きたら、雨は止んでいた。台風は昼頃には四国から中国地方を抜けて日本海へ達したようだ。

家人は一日中カウンセリングの仕事。

朝早く、長島君が車をとりにきてくれて、2時間ほどで修理してもってきてくれた。オイル交換もしてもらった。

午前中、期末試験の問題を作り始める。問題をつくるときは、いつも難しくしようとしてしまう。簡単な問題も入れておかねば。午後、弐の畑の草をビーバーで刈り、それを藤棚の周りに敷いた新聞紙の上に運ぶ。雑草防止の作業、ほぼ完成。蒸し暑さのせいもあるかもしれないが、短期間働くだけで、疲れる。午後遅くしばらく午睡。

夜、オールスター戦を少し見る。昔、オールスター戦に夢中だったことが嘘のよう。最終結果を見ることなく、二階に上がる。今夜は疲れた、早く寝ることに。



Thursday, July 16, 2015

朝から、断続的に降ったり止んだり。

夕方、雨が止んでいるときに、写真を撮りに出る。玄関近くの踏み石に鮮やかな薄緑色の毛虫。ベンチの横にはセミの抜け殻。しばらく姿が見えなかったフィービーもやってきて、ぼくについてまわる。











今夜から始まったNHKの木曜時代劇を見る。何ヶ月か前の「雲霧仁左衛門2」ほどの面白さはない。「恋をして傷つくのは女ばかり」というステレオタイプの台詞を書く脚本家は女性だろうと思っていたら、やはりそうだった。

報道ステーションで安保法制採決に抗議する若者たちの映像を見た。熱心に抗議する若者たちの姿に感動する。国会議事堂前での抗議に参加した人は60000人とか。

今年の年末ライブは12月18日(金)に決め、中野さんに連絡する。寒いけれど、この時期が一番落ち着く。テーマは「死と再生」か。


Wednesday, July 15, 2015

暑い一日。午後2コマのクラスのあと久々にハルピンラーメンの店へ。昼食を早く食べたせいか、お腹がすいた。この店は今日で3回目。美味しかった。

帰宅後、夕食を食べ、6時過ぎから、家人に頼まれていた壱の畑の雑草を刈払い機で刈る。明日から台風の影響で雨が降り、できなくなる可能性があるので。そのあと、芝を刈り、藤棚の近くの花壇のまわりに新聞紙を敷き、水を撒き、刈った芝をのせる。この場所でこうするのは今日が2回目。雑草防御対策。次に芝を刈る時にもう一度する必要がある。









これだけで8時近くまでかかってしまった。フィービーもやってきて遠く、近く、ぼくのしていることを見ている。

マンダラ2の中野さんからメールが入り、年末ライブの日を決めるように依頼される。今年は9月にしようと思っていたが、やはり長年やってきた12月が収まりがいいようだ。


Tuesday, July 14, 2015

朝、中学校で読み聞かせ。何を読むかまよったが、「それぞれの道」ができた経緯について書いたものを読み、歌うことに。少しでも子供たちにぼくの意図が伝ったことを願う。帰り際、担任の先生が追いかけてきて、「その歌詞をいただけますか」と言う。「学級通信に載せたいので」。「もちろんいいですよ」。歌詞とスティーブ・ジョブズがいじめられた話などを書いた文章をお渡しする。若い女の先生。

朝食前、ほぼ3週間ぶりに、フィービーの首からカラーをはずし、外に出してやる。まだ傷は完全になおっていないけれど、この暑さの中、外に出たがって悲鳴のような鳴き声を上げるフィービーをこれ以上閉じ込めておけなかった。彼は一日中、家から出たり、入ったり。自由はいい。







午後、隣町のホリデイ車検へ。家人がぼくの車から落ちたと思われる大きなプラスティックのカバーのようなものを見つけた。何日か、がりがりと音がしていたが、それが取れたようだ。タイヤの上のカバーだった。新しいものに替えてもらうことに。取り寄せる必要があるとのこと。そのあと「湯にいくセンター」へ。あいにく、お休み。仕方なしにパークホテルの温泉へ。これがよかった。無人の露天風呂に寝そべり、遠くに見える東山の山並みと、その上の青空と白い雲を眺める。まさに極楽、極楽。


Monday, July 13, 2015

午後2コマのクラス。南箕輪村。What a Wonderful World を歌い、Think Different の小テスト。歌を歌ったり映像をみたりするときは通常は隣の教室の邪魔にならないように、ドアと窓を閉めるのだが、今日はドアは閉めたが窓は開けておいた。猛烈な暑さ。教科書はUnit 5、イギリスと日本の大学入学制度の違いについてエッセイを読み、男女共学 coeducational school と 共学でない学校 same-gender school のいい点と悪い点についてのエッセイを書く準備の英作文。来週は海の日で学校はない。再来週月曜日が授業としては最後。その次の週は期末試験。

帰路、途中で一度休み、家に着いたのは5時半すぎ。名古屋場所の最後のいくつかの取り組みを見る。名古屋場所の楽しみのひとつは常連の綺麗どころを探すこと。今日は新人の若い美しい人が一人。白鵬は初日、二日目と勝ったは勝ったが、力が衰えていることは明白。これからは照ノ富士が相撲界を引っ張ていくだろう。

相撲が終わって夕飯になる前、あまりの暑さに外に出て夕涼み。写真を何枚か撮る。











夜、 facebookで土曜日の小山卓治コンサートに対するみなさんの書き込みを読む。オーリアッドでの打ち上げのあと、エルボン組はそのあとホテルの部屋で午前3時まで二次会をしたとか。いつまでも夜があけずに、小山卓治さんのコンサートの余韻に浸っていたいという、みなさんの気持ちが伝わってくる。ほんとうに素晴らしいコンサートだった。


Sunday, July 12, 2015

朝早く、家人は筑波大学へ。カウンセリング研究会。10時すぎ、オヤマ、コヤマ、イマイズミの三氏がやってくる。庭で撮影セッション。改まって撮影となるとどう身構えていいか迷ってしまう。12時前、コヤマさんの 真っ赤な Volve に便乗させてもらいオーリアッドへ。荷物を車に積んだあと、彼らは東京へ向けて出発。昨夜のコンサートはとてもいいコンサートだった。感謝。

家に戻り、昨夜スズメバチを駆除してくれた業者に会う。年配者かと思っていたら、若者である。駆除代は思っていたより高かったが、巣ができていた場所を考えればやむを得ないかも。

そのあと、午睡。2時間ほど寝たか。再度、オーリアッドへ。昨夜の後片付け。

夕方、畑へ出て、野菜をとっていると、ヒグラシが鳴いた。今年初めて聞いた。なんとなく物悲しく、夏の終わりのような気分。

家人は8時すぎもどってきた。スズメバチに刺された左脚のふくらはぎは少し痛いとのことだが、あまり腫れてもいず、大事に至らずよかった。

夜、明日のクラスの準備を少し。


Saturday, July 11, 2015

小山卓治コンサート at OREAD














Friday, July 10, 2015















Thursday, July 9, 2015

雨ばかりで外の仕事がなかなかできない。朝、一時雨が止んだときに、家人に頼まれていた裏の梅の木の剪定をする。ひょっとすると蜂の巣があるかもしれないから気をつけてと言われたが、大丈夫だった。ついでに、梅の木の近くの木瓜の木の剪定をし、表にまわって、もう1本の梅の木、椿、ノウゼンカズラの剪定もする。

昼食後、補聴器を受け取りに伊那の眼鏡市場へ。いままで通販で取り寄せた数種類の簡易補聴器に比べ、両耳の状態に合わせてコンピュータで調整してくれたこのドイツ製の補聴器は、この種の補聴器としてはもっとも安いものではあるが、まったくレベルのちがう精密機械である。

補聴器を受け取ったあと、南箕輪で用事のあった家人を拾って、ながたの湯へ。久々の温泉。久々のながたの湯。

夜、家人はジブランの会のためオーリアッドへ。ぼくは小山卓治ライヴ間近のパブリシティーを少し。小山卓治さんからメールがあり、昨年の「ほたる祭りライブ」でいっしょに歌う予定だったが歌わなかった「アニー・イナシオのバラード」をいっしょにやりましょうと提案があった。「カンタ!ティモール」の上映会を開いてくれた小野さんと藤岡さんもきてくれるとのこと。あれ以来歌ってない。練習しなければ。

ぼくの駿台予備校のクラスにいた人から friend request があった。年賀状は毎年届いていたがローマ字で書かれた名前をみて一瞬誰だかわからなかった。某新聞社の徳島支局長になっていた。先日の七夕コンサートでも昔ぼくのクラスにいた人たちが何人もきてくれた。いい加減な教師ではあったが、こんなときは教師をしてきてよかったと思う。



Wednesday, July 8, 2015

午後2コマのクラス。前期のクラスは今日を含めてあと3回。そのあと期末試験。そして夏休み。今日は、まだ歌っていない2曲を一気に歌う。 We Shall Overcome と What a Wonderful World。 そしてApple のコマーシャル Think Different の小テスト。

Think Different narrated by Steve Jobs:
https://www.youtube.com/watch?v=Rzu6zeLSWq8

Here's to the crazy ones. The misfits. The rebels. The troublemakers. The round pegs in the square holes. The ones who see things differently. They're not fond of rules and they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them. About the only thing you can't do is ignore them. Because they change things. They push the human race forward. And while some may see them as the crazy ones, we see genius. Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.

クレイジーな人たちに幸あれ。はみ出し者、反逆者。問題を起こす人。四角い穴の丸い詮。物事を違った角度から見る人。彼らは規則が好きではない。現状維持にまったく敬意を払わない。彼らを引用することもできるし、反対することもできる。褒め称えたり貶したりすることもできる。できないことは、せいぜい彼らを無視することぐらいだ。なぜなら彼らは物事を変えるからだ。人類を前進させるからだ。彼らは狂っていると思う人たちがいる。しかし私たちは彼らは天才だと思う。なぜなら、自分たちは世界を変えることができると考えるほど狂っている者たちだけが、世界を変えることができるからだ。(miura訳)

帰路、山麓線を降りたところにある「道の駅」で休憩。しばらく仮眠。この「道の駅」は少し道路から離れたところにあって入りずらい。いつもは善知鳥峠を越えた分水嶺公園前の小さな駐車場で休むのだが、今日はそこまで行く自信がなかった。

小山卓治ソロコンサートはいよいよ今週土曜日。再会が楽しみだ。



Tuesday, July 7, 2015

9時すぎ、宅急便が届いた。ギターとキャリーバッグ。早速、キャリーバッグを開け中の歌詞の入ったファイルを取り出す。あった、あった。ファイルの中から出演料とCD代の入った封筒が出てきた。封筒を入れたと思い込んでいたショルダーバッグに入っていなかったので、どこかで落としたかもしれないと心配していた。最近ますます物忘れがひどくなった。

朝早く松尾レミさんのお父さんからメールが入った。次のように書かれていた。

娘が最近、みうらじゅんさんと知り合い 昔、三浦久さんがやっておられたラジオの話で 盛り上がり、そんなこんなで いとうせいこうさんが大竹まことさんと光浦靖子さんと やっているラジオにてその件に関する事を 今日UPされているのを発見! 事実とはちょっと違う事もありましたが ↓にURLを添付しましたので 是非是非聞いてみて下さい!」
https://www.youtube.com/watch?v=p-zHvAzDgNU

確かに、事実とちがうところもあるが、松尾レミさんが大ブレイクしつつあることを知って嬉しく思った。

このラジオの中でも触れられていたが、ジャニス・ジョプリンの Move Over を彼女はカバーしている。これがとてもいい。
https://www.youtube.com/watch?v=KStAxfknmOM

明日は午後2コマ。松本。


Monday, July 6, 2015

朝7時半、ホテルを出て、烏丸五条まで歩き地下鉄で京都駅へ。五条から京都駅まで一駅である。そうすると、このホテルの位置はけっこう便利なところにあるとも言える。

すぐ新幹線で名古屋へ。名鉄高速バスセンターで松本行のバスに乗る。阿智のSAで休憩するまでぐっすり眠る。12時45分頃中央道辰野に着き、迎えにきてくれた家人の車で家へ。それから大急ぎで、準備をし、農学部へ。ぎりぎりセーフ。

2コマのクラス。いずれのクラスでも昨夜会った土井君の話をする。土井君は農学部だった。彼が言ったことで印象に残った言葉のひとつ、「13年前、We Shall Overcome を歌ったり、キング牧師の話を聞いたりしてもピンと来なかったけれど、今になってようやく先生が伝えようとしたことがわかるような気がします」。半分以上社交辞令だとしても嬉しかった。今日の歌は We Shall Overcome。

それにApple の CM、 Think Different の解説。誰もがスティーブ・ジョブズのようには生きられない。生きられないが、彼の生き方、考え方にぼくは賛同する。

昨夜拾得で染原さんがぼくの歌の中で一番好きだといった歌の歌詞が出てきた。タイトルは「冬支度」である。

霜に打たれた柿の木の葉が
音を立てて落ちている
鳥も草も虫もみんな
冬支度に忙しい

冷たい風が秋から冬へ
足早に吹き抜ける
王城山に雲は低く
冬はもうすぐそこまで

やがて地面は雪でおおわれ
狐が山で鳴くだろう
風が窓を激しく打ち
徳本の水も凍るだろう

頭の中を季節は巡る
いくつの冬を耐えたのか
この北国の吹雪の中で
俺は独り 立ち尽くす

京都から辰野に戻った直後にできた歌に違いない。こういう曲を1曲CDに入れてもいいかもしれない。


Sunday, July 5, 2015

第43囘七夕コンサート、2日目。初日のトップバッターは2日目は好きなところを選べるとの暗黙の了解で、今日は豊田勇造、古川豪、中山ラビ、三浦久の順。

今夜は最初からカメラをあきらめ、他のメンバーの歌を聴くことに専念。ぼくは今夜は「中谷勲」「祈りの歌」「夢のブックストアー」「ガビオタの海」「パーティーは終わったよ」を歌う。

今夜は昨夜にましてぼくの歌にたいする反応はよかった。CDもかなり売れた。13年前に松本キャンパスでぼくの「アメリカ大衆文化」のクラスをとったという元学生に会えたのは嬉しかった。土井君というその元学生を拾得に連れてきれくれたのは、古川君のバンドのメンバーだった染原さんである。染原さんと土井君はたまたま神戸の飲み屋で偶然横にすわり、土井君が信州大学出身だと知った染原さんが、ぼくを知ってるかと聞いたらしい。「三浦先生の授業を受けたことがあります」との答えを聞いて、今日連れてきてくれたようだ。

染原さんと話していて驚いたことは、もう30年ほど前、現在シドニーに住んでいるお父さんを拾得につれてきたことがあったが、そのときぼくが歌った歌をお父さんも彼も気に入ったとのこと。お父さんはそのとき1回だけだが、染原さんは2,3回聞いただけで、そのあとぼくはその歌をまったく歌わなくなったらしい。「鳥も花も草も虫も」というような歌詞がありましたと彼が言う。思い出せない。「人も草も風も、時もそして愛も」ではないかと聞くと、違うという。

そのうちに彼が一行目を思いだした。「霜に打たれた柿の木の葉が、音を立てて落ちている」。言葉だけでなく彼はメロディーも思い出した。それを聞いてぼくも思い出した。

  霜に打たれた柿の木の葉が
  音を立てて落ちている
  鳥も草も虫もみんな
  ・・・・・

4行目は思いだせない。どこかに保存されていればいいが。9月のレコーディングのときにこの歌を入れることができるかもしれない。

今夜も本番前に、そして終わったあとも、来年はどうするか、ということを4人で話し合った。それぞれ方法論は若干ちがっても、続けようということで一致した、ように思う。

明日は朝8時までに新幹線に乗る必要がある。名古屋で9時10分発の高速バスに乗り換え、午後1時からの農学部のクラスへ駆けつけなければならない。それで少し早めに、といっても11時過ぎ、ホテルに戻る。烏丸松原の南東の角にできたばかりのホテルである。ホテル代が軒並み値上げされ、いままで泊まっていたホテルはいずれも空室なしで、インターネットで見つけたホテル。今までのところより若干不便ではあるが、悪いホテルではない。

そうそう、大阪から自転車で30キロの道のりをぼくに会うためだけに、コンサートのあとやってきてくれた人がいた。「来年もやってほしい」と彼は言った。



Saturday, July 4, 2015

第43囘七夕コンサート。雨にもかかわらずたくさんのお客さん。今回が最後かもしれないとのことできてくれた人も多いだろう。そのことについて、4人で本番の始まる前に本音で話し合う。結論は出ないまでも、来年以降も何らかの形で続けようという方向は定まった気がする。

出演は、くじ引きで、三浦久、古川豪、中山ラビ、豊田勇造の順。「私は風の声を聞いた」「バード・オン・ザ・ワイヤー」「菅野有恒」「祈りの歌」を歌ったあと、客席の最後列カウンターのところへ行って他の出演者の写真を撮ろうとしたが、数週間前に購入した中古の電池式コンパクトカメラは性能が悪い。暗いところでは完全にぼけてしまう。写真を撮るのを諦めて、演奏を聴くことに専念する。ぼくにとって「七夕コンサート」の魅力のひとつは他の出演者の演奏を聞くことである。。

みんなそれぞれによかった。特に豊田くんの「七夕コンサート」に想いを寄せる歌はよかった。

終了後、客席に行き、いろんな人たちに会う。ドーシー先生は今年もきてくれた。「祈りの歌」がよかったと話してくれた。そして「祈りの歌」が好きな理由も話してくれた。それは彼が経験した病気と関係がある。この歌のもとのタイトルは「ある病者の祈り」である。




大学院時代の先輩矢野さんの奥さんも来てくださった。豊田くんとぼくと奥さんの3人で写真を撮ってもらったが、ぼけていて使えない。

石川県に住んでいるという精華短大でぼくのクラスにいた大杉さんもご主人と来てくれた。二人共スプリングスティーンの大ファンとか。三重にオーリアッドを真似てライブハウス兼ギャラリーを作っているという漫画家で歌も歌う石黒さんもきていて、その写真を見せてくれた。まさにウッディな建物である。三重といえば、去年初めてきた西川さんも来てくれた。東京の友だちはピアノを弾くとのことで、今度みんなでオーリアッドのオープンマイクに行きたいとのことだった。

歌を通して多くの人びとと出会ってきた。歌に感謝。七夕コンサートに感謝。


Friday, July 3, 2015

まだ先のことと思っていたのに、明日になってしまった。第43囘七夕コンサート。ぼくは続いてほしいと思っているが、これが最後になるかもしれない。

終日、月曜日のクラスの準備とコンサートの準備。テストの採点など、前者にほとんど時間を費やしてしまった。自分の実力以上のことはできない。いつものように淡々と歌うより仕方ない。

フィービーを獣医さんのところへつれて行った。もうカラーをとってもいいと言われると期待していたが、あと2週間つけたままにして、外に出してはいけないとのこと。フィービーも辛いが、われわれも辛い。










Thursday, July 2, 2015

朝起きて新聞を取りに出ようとしたら、猫ドアを塞ぐ観葉植物の植木鉢が20センチほど動かされている。猫ドアのフックも外されている。家人が外へ出してやったとばかり思っていた。実は彼女もぼくが出してやったと思っていたとのこと。フィービーは重い植木鉢を押してずらし、首のまわりのカラーか、あるいは手でフックを外したのだろう。

朝飯を食べていても、なでしこジャパンの試合を見ていても、首のカラーがひっかかってどこかで動けなくなっているのではと心配した。1時間ほどして、家人が叫ぶ声が聞こえた。「帰ってきたよ」。あわてて玄関へ行くと、フィービーがちょうど玄関のドアから入ってくるところだった。首のカラーが折れ曲がっている。何かにひっかかって、思い切り引っ張ったのだろう。とにかくよかった。猫ドアのまえにもう1つ植木鉢を置き、さらに薪を一把並べた。これならぜったい開けられない。




久々に外に出て疲れたのか、そのあとはソファの上でぐっすり眠ってしまった。明日獣医さんのところへ行き、OKが出ればカラーをはずし、外に出してやるつもり。



2週間前、ワイトモ訪問団の一員として辰野にきてわが家に滞在したマレイ・ダルジールと奥さんのジョセフィンから数日前メールが届いた。彼らは東京で訪問団と別れ、京都と広島へ行ったのだが、その様子が詳しく書かれていた。彼らに返事を書き、滞在中の写真を送ろうと、写真を探していたらマレイが雅樹のために The Very Hungry Caterpillar という絵本を読んでやっている写真が出てきた。光の明暗といい、雅樹の表情といい、とてもいい写真である。



昼過ぎ、七夕コンサートのための準備と練習を少し。そのあと、疲れたのでしばらく午睡。2時間ほど寝て、5時から芝刈りをする。今の時期、芝はみるみる成長し、1週間に1度は刈る必要がある。芝刈りは好きだ。芝を刈る時の匂いがいい。芝刈り機を押しているときは、けっこう無心になれる。


Wednesday, July 1, 2015

朝から激しい雨。幼い子供の頃を思い出した。雨降りが好きだった。古い茅葺き屋根の農家の縁側にすわり、あきずに雨だれが落ちるのをみていた。

午後2コマのクラス。松本。最初のクラスではテストを返すことができたが、もうひとつのクラスは来週ということに。両方のクラスで Here's to the crazy ones. (クレイジーな人々に乾杯!)で始まるApple の Think Different の CM を紹介する。

授業が終わり外に出ると、雨は止んでいた。陽が少し射していた。久しぶりに TSURUYAに寄る。バナナ、マイタケ、モヤシ、チーズを購入。それにマグロのお刺身を少々。

夜、長島君が、車のことで寄ってくれた。しばらくよもやま話。先週土曜日のオープンマイクの話など。



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