OREAD Diary October 1-31, 2014

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Friday, October 31, 2014

対訳というのは労多くして報われることの少ない仕事である。10のうち1つでも誤訳があれば、他の9については言及されず、その1つに集中砲火を浴びる。ときには読む人の英語力不足故に、正訳であっても誤訳と断定されることも。

しかしこう書いたからといって、ぼくが誤訳をしてこなかったというわけではない。その逆である。振り返れば、冷や汗の出ることばかり。そして今思えば、誤訳を指摘してくれた方々に、大いに感謝しなければいけないだろう。そのおかげで、スプリングスティーンであれ、ディランであれ、コーエンであれ、一語一語意味を考えながら丁寧に聞いたり読んだりする習慣が身に付いたのだから。

CDがリリースされる前、訳をしながら、ああでもないこうでもないと、何度も聞くものだから、リリースされたあとはほとんど聞かなくなってしまう。10月22日に出たコーエンの Popular Problems についても同様である。

今日このアルバムについて言及している Website に出会った。誤訳を指摘されるどころか、対訳と「訳者ノート」を褒めてくださっていて嬉しかった。しかも、この方はこのアルバムが「今年度 No.1の洋楽アルバム」と断定している。
http://ameblo.jp/nihonyogaku/entry-11945402448.html

曇り空にもかかわらず、庭の紅葉が美しい。








Thursday, October 30, 2014

午前中伊那中央病院へ。お見舞いには何度か行ったことがあるが、診てもらうのは初めて。わが町の病院と比べると規模が違う。そしてエフィシャントである。

問題ないとは思うけれど、大事をとって内視鏡検査を受けることに。今日は打ち合わせ。検査は来週金曜日ということになった。内科の受付の中年女性がとてもフレンドリー。帰り際に「先生の教え子です」と言う。ぼくには教え子は一人もいない。大したことも教えていないのに「教え子」なんて呼ぶのはおこがましいといつも思ってきた。だからぼくは学生をみんなぼくのクラスにいる人、あるいはいた人と呼ぶ。死ぬまでに一度でいいから自信をもって「彼女は(あるいは彼は)ぼくの教え子です」と言えたらいいのだが。

話をもとに戻すと、彼女はかつて教えていた短大の10期生だという。「All My Loving も We Shall Overcome も今でも歌えます」とのこと。名前を聞いても顔を見ても思い出せない。しかし、かつてのぼくのクラスにいた少女が、素敵な女性に成長しているのを見るのは嬉しいものだ。

帰路、家人に頼まれていた玉ねぎの苗を100本買い、昼過ぎ、すでに植えてある200本の苗に加えて植える。夜は日本シリーズを見たり見なかったり。うむ、結果は面白くないことに。


Wednesday, October 29, 2014

昼を挟んで2コマのクラス。午後遅く、家に戻り、しばらく休む。今夜は天竜ずくだし倶楽部主催の歌声喫茶の日。お茶の始まる8時少し前にオーリアッドへ。



後半の歌を聞かせてもらう。前にも書いたことがあるが、ここに集まってくるみなさんの歌声はほんとうに美しい。先日のオープンマイクで歌った Inahoさんのお母さんもお見えになっていた。

家に戻り、TVをつける。阪神Xソフトバンク 2対2。9回の攻防。結局決着がつかず。延長戦。そして10回の裏3点をとられて阪神は負けた。



Tuesday, October 28, 2014


朝からまれに見るいい天気。外に出たらフィービーがサンデッキで日向ぼっこをしていた。ぼくが下に降りると彼もついてきた。







午後2コマのクラス。小テスト、今日の歌は Tennessee Waltz。


Monday, October 27, 2014

午後、2コマのクラス in 南箕輪村。最初のクラスの途中で防災訓練のベルが鳴った。先週言われていた。まずスピーカーでアナウンスがあり、そのあと窓とドアを開け、全員机の下に伏せるように、と。予定の時間になってもアナウンスがない。防災訓練はないかもしれないと思っていたら、突然ベルが鳴った。学生に窓とドアを開けるように指示し、全員机の下に伏す。ベルは1分ほど鳴り続けた。頭を机の下にいれた状態で1分間はかなりきつい。



帰路、農学部の特産品売り場で、りんごのジャム、乾燥プルーンなどを買う。車はそのままに、歩いて農学部自慢のユリノキの写真を撮る。








Sunday, October 26, 2014

昨日は午後になって、急遽お医者さんに診てもらうことに。来週の前半3日間クラスがあるので大事をとって。すでに診療時間が過ぎているとのことで、担当は当直医の長髪の「可愛らしい」顔の、若い外科の先生だった。診察は熱を計り、喉のリンパ腺のあたりを触っただけ。薬は2種類、2日分だけ。なんとなく不安だった。

しかし、ありがたいことに、今朝起きたら気分なかなりよくなっている。まだ微熱があり咳が少し残っているが、金曜から止まらなかった鼻水がとまった。卵酒を飲んだら身体が温まるだろうと、昨夜寝る前、スコッチに砂糖と卵を入れて沸騰させたものを飲んだが、それも効いたかもしれない。

夜、明日のクラスの準備。寝る前にお風呂に入った。昔から風邪をひいたらお風呂に入らないほうがいいと言われてきたが、微熱の場合はむしろ入ったほうがいいようだ。

4月からの糖質制限ダイエットで10キロ近く痩せたが、ひょっとしたらそのせいで抵抗力が落ちているのかも。筋力をつける運動を同時にしたほうが良さそう。


Saturday, October 25, 2014

今月最後のオープンマイク。出演順に坂井俊水、松下元英、垣内彰、長島功、原田和夫、丸山幸子、三浦久、赤羽真理、三浦薫子(敬称略)。坂井、松下、長島、三浦は2巡。最後は長島、赤羽、三浦、坂井で Amazing Grace。























今夜の演奏で最も印象に残った歌は坂井俊水さんの「私の誕生日」。先日62歳になったお母さんの言葉をそのまま歌にしたとのこと。One more verse 加わると更によくなるような。松下元英さんの「追憶」はいつきいてもいい。名曲である。豊田くんのカバー「雲遊天下」もよかった。

長島功さんの友だちが2人、塩尻から聞きにきてくれた。その一人、丸山幸子さんに、感想を聞く。「<道化師のソネット」をリクエストしたのは私です。でももうひとつだった」と率直な感想。さだまさしと比べたら、もうひとつかもしれないが、彼のオリジナル「魔法のブリキ」「ノーサイドの笛」はよかったのでは? 

赤羽真理さん、恒例の「旅人の木」と「千両梨の実」。いずれも名曲である。でも「熟し柿のうた」を聞きたかった。ぼくは前半で「スーとジョンのバラード」と「門」を歌い、最後に家人と Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot?を歌う。 もう少し一緒に練習したほうが良さそうだ。


Friday, October 24, 2014

秋になると八木重吉の詩を思い出す。中でも「素朴な琴」を。はるか昔、京都御所の庭でギターを弾いていた。しばらくしてギターを置いて、八木重吉の詩集を読んだ。その時、近くの銀杏の木から葉が何枚かギターの弦の上に落ち、かすかな音を立てた。「素朴な琴」の世界だった。

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかね
琴はしずかに鳴りいだすだろう




朝から鼻水が止まらない。鼻炎かなと思って、鼻炎スプレーを使ったがなおらない。以前処方してもらった抗生物質も飲んだがなおらない。今夜は早く寝ることに。


Thursday, October 23, 2014

今朝、宮木諏訪神社の宮司さんが、一人の若者を連れて訪ねて下さった。その若者は現在 UC Santa Barbara の Sociology (社会学)専攻の4年生とのこと。昨日神式で行われた祖父の葬儀に参列するため急遽帰国したとのこと。ぼくがUCSB を卒業したのは 1969年。それから45年。ぼくが知る限り、この町出身でUCSBで学んだ人は、ぼくのあと彼が初めてではないだろうか。

大学のことや、キャンパスに隣接する学生街アイラヴィスタの様子などを聞く。現在、日本人の学生はあまりいず、中国からの学生が圧倒的に多いとのこと。驚いたことは、授業料やアパート代の高騰である。授業料だけで、500万から600万円というから、アパート代食費などを加えると莫大な額になる。(次男もアメリカの大学へ行くという話もあったが、わが家の経済力では難しかった)。

「中村先生のノーベル賞受賞で学校は大騒ぎでしょう」と聞くと、もちろんみんな喜んではいるが、日本ほどではないとのこと。そうだろうと思った。日本はノーベル賞に関して騒ぎすぎ。

昨日の朝羽田に着き、午後には葬儀に参列し、明日はまたサンタバーバラへ戻るとのこと。来年6月に卒業したら日本に帰ってきたいというので、また会うこともありそうだ。彼に会えたのは宮司さんのおかげである。

午後、山際の畑の草を刈る。家人は地元の高校へカウンセリングの仕事。

夕食後、NHKで「ぼんくら」を見始めたが、眠ってしまい、目覚めたときは終わっていた。いけない、いけない。時間をもっと有効に使わなければ。


Wedanesday, October 22, 2014

雨。今朝も忘れ物。家を出て200メートルほど行って、CDプレーヤーのスイッチを押す。音が小さい。ボリュームを上げてもあまり変わらない。耳に手をやって忘れ物に気づいた。補聴器。あわてて引き返し、事なきを得た。教科書を忘れても困るが、補聴器を忘れても困る。今朝、充電しておこうと外したのがいけなかった。昼を挟んで2コマのクラス。

帰路、あがたの森の喫茶店へ。最近は駐車場がいっぱいのことが多いが、今日は雨。駐車場も空いているだろうと思っていったが、かろうじて一台分のスペース。コーヒーを飲みながら窓外を見る。雨に濡れた紅葉がきれいだ。

コーヒーを飲んでから外に出て、傘をさしながら写真を撮って歩く。真紅のドウダンツツジや黄色のイチョウやクヌギの木が、雨に濡れて輝いている。きれいだ。









夜、「相棒」を見る。このドラマは今までは午後の再放送しか見ることができなかった。ぼくが知る限り、今は3人目の相棒。ぼくが一番好きなのは、最初の相棒である。


Tuesday, October 21, 2014

忘れ物もとうとうここまできたか。松本へ行くために、教科書などの入ったカバンをもって、ガーレージへ。カバンを脇に置き、シャッターを開ける。旧道から国道に入り、北へ向かう。小野の信号で止まったので、水を飲もうと後部座席を見たがカバンがない。しまった、ガレージを開けるときに置いたままだ。あわてて引き返した。小野から家まで往復17,8分かかり、クラスにはかろうじて間に合ったが、テストを印刷する時間がない。事務局の方に印刷をお願いした。

考えてみれば、小学校のころ、何度かランドセルを背負わずに学校へ行ったことがある。そのころとあまり変わっていないのかも。

家人がいればこの失敗はなかったが、彼女は今日は朝早くから隣町の小学校へカウンセリングの仕事。その小学校の近くに最近熊が出たとのことで、「熊に気をつけてください」と言われ、駐車場の車のところへ行くのも不安だったらしい。今年は熊出没のニュースを各地で聞く。


Monday, October 20, 2014

午後2コマのクラス at 南箕輪村。

土曜日のオープンマイク、家でカメラをしっかり充電してオーリアッドへいったのだが、いざ撮ろうとすると「メモリー残量がありません」。しまった、SDカードを入れるのを忘れた。家に取りにもどろうかと思ったが、時間がない。急遽、丸山さんに無理をいってSDカードをお借りすることに。ライブが終わり、家にもどり丸山さんのSDカードからパソコンに移そうとしたら、なぜか前半の写真が消えてしまった。以前にも同じようなことがあったが、そのときは「ゴミ箱」に入っていた。今回はそこにはなかった。

それで残っていた写真のみアップしていたが、今夜、Googleで調べたら、CardRecovery なるソフトがあることがわかった。無料とあったので、ダウンロードしたのだが、最終的には3700円払うことに。それでも、あら不思議、消えたはずのデータが、瞬く間に出てきた。一度ダウンロードすると何度でも使えるようだが、こんなことが頻繁に起こって欲しくない。

日本ハムは結局、日本シリーズ進出できず。でもいい試合をたくさん見せてくれた。最後負けたときぼくは見ていなかったが、家人が両軍の選手が集まって稲葉を胴上げしたと話してくれた。クライマックスシリーズの彼の成績をみれば、まだ現役を続けることができそうだ。


Sunday, October 19, 2014

昨夜のオープンマイクに三重県名張市から参加してくれた花岡さんと西川さんが、朝早く、松本のあがたの森公園のクラフトフェアへ行く途中、立ち寄ってくれた。昨夜はゆっくり話すことができなかった。前から依頼されていた名張市でのコンサートの日程を話し合った。まだ確定ではないが、来年3月中旬はどうかということになった。ひょっとしたら、奈良の室生寺の境内でもコンサートをする可能性があるとか。それは面白い。


Saturday, October 18, 2014

今夜のオープンマイク。出演順に、坂井俊水、原田和恵、花岡誠、西川昌代、小林路子、形山ゆか、大月高志、丸山俊治、赤羽真理、三浦久、粟津原由子、長島功、inahoの各氏。

オーリアッド初登場の方も多く、大いに盛り上がった。松本からきた小林さんと形山さんはAll That Jazz などのミュージカルナンバーを踊りながら歌い、拍車喝采。東京で活動している inaho さんは、ピアノ弾き語りでオリジナルのいい歌を聞かせてくれた。三重県名張市からやってきた花岡さんと西川さんは、「秋止符」と「学生時代」を歌う。前半最後は、粟津原さんのハーモニカにあわせて「赤とんぼ」「紅葉」「若者たち」をみなさんと一緒に。































粟津原さんのアンコールに応えて丸山さん「山スキーの歌」を歌う。最後は恒例の Amazing Grace と We Shall Overcomeを歌い、大賑わいだった今夜のオープンマイク終了。


Friday, October 17, 2014

今日は12時から「紅葉の会」の昼食会。朗読の会「ひびき」のメンバーが中心となって活動している視覚障害者のみなさんとの交流会。食事のあと、「ひびき」のみなさんの朗読、そして粟津原さんのハーモニカに合わせて「若者たち」「紅葉」「赤とんぼ」などを歌う。

ぼくは今日は短い歌をいくつか歌うのではなく長い歌を2つ歌おうと思っていた。「フィールド・オブ・ドリームズ」と「フランチェスカ」。しかし、前者を歌い終わった途端、「アンコール」の声。そして「旅立つおまえに」がリクエストされた。アンコールおばさんの粟津原さん。長男のために書いた歌。彼女は先日教会でこの歌を聞いて、この曲をリクエストしてくださったのだ。












気をつけなければいけない。オーリアッドの営業時間を土曜日だけにしてから飲酒量が増えている。飲むのはウイスキー。スコッチ。これは「まっさん」の影響か。今夜も、セパ両リーグのクライマックスシリーズを、リモコンで変換して見ながら、ちびりびりと飲む。いつの間にかかなり空いている。試合の結果は今夜も、ぼくの期待通り。

2ホーマーを打った台湾出身の陽選手の言葉が印象に残った。

泣きそうだったので、ずっと打てなくて。1本出て、すごく気持ちが楽になりました。ずっと打てなかったんで、使ってもらって本当、感謝してます。

彼についてはよく知らなかったが、昨日まではチャンスに出てくるたびに、凡打か三振だった。「泣きそうだった」という彼の言葉には実感がこもっている。そして、栗山監督への感謝の気持ちが伝わってくる。ぼくがこのチームが好きなのは、おそらくこの監督が好きだからだろう。

明日のオープンマイクはかなりの人が歌いにきてくれることになった。初出場の人も多い。どんな展開になるか楽しみである。



Thursday, October 16, 2014

今日は月曜の振替授業の日。朝食後、南箕輪村キャンパスでのクラスの準備をしていると、家人が下から呼ぶ声がする。「隣の潔さん」が木を切りにきてくれたのだろうと思いながら降りて行くと、メール便だった。

10月21日発売のレナード・コーエンの POPULAR PROBLEMSが入っていた。ぼくは対訳と対訳にまつわる苦労話を「訳者ノート」として書かせてもらった。二校までさせてもらったのだが、2箇所、ぼくが見逃していたところがあった。ひとつは frame of mind とすべきところが frame of mine になっていた。(送った原稿を見たら、frame of mineになっていたので、これは完全にぼくのミス)。それにコーエンの語った言葉がぼくの言葉のように誤解されかねないところが1箇所。よく読めばコーエンの言葉だとわかるはずだが、校正の段階でもう少し注意すべきだった。

後期が始まってから、農学部ではよやく2回目の授業。先日の台風で休校したクラスの補講は16週目の試験期間にすることに。

今夜も、セパ両リーグのクライマックスシリーズの試合を見る。今夜はぼくの希望するチームが勝った。途中、NHKの時代劇まで見てしまった。松阪慶子が太ったのには驚いた。



Wednesday, October 15, 2014

お昼を挟んで2コマのクラス。
帰路、うちだファーマーズマーケットへ。梨、マルメロ、そして洋梨を1袋づつ。もうソフトクリームは売っていないだろうと思っていたが、行ってみるとまだやっていた。さっそく、林檎と牛乳のミックスソフトをひとつ。おそらくぼくの目的は果物ではなく、これだったに違いない。

今朝、松本へ向かう車の中、足元の箱の中から古いテープ1本取り出し、カセットプレイヤーに入れる。寒くなるとCDプレイヤーがうまく働かない。テープは大丈夫。そのテープでは、ぼくが話をして歌っていた。帰路、巻き戻して最初から聞く。京都産業大学で1時間ほど講演をしたようだ。カセットテープのケースには、

  第2回放送祭 vol. 2
  S51. 10.31 PM 1:00〜
  516教室


と書かれていた。

昭和51年というと、ぼくが31歳のとき。10.31 はぼくの誕生日前だから厳密に言えばまだ30歳。精華短大の専任教員になって2、3年経ったころ。産大でも非常勤で教えていた。

不思議なことに、このイベントのことはもちろん、ぼくがそこに出演したこともまったく覚えていない。リードギターを弾いている安達君という若者のことも覚えていない。

話は、ユングの Individuation をもとに、アニマ、アニムス、桃太郎、かぐや姫、ディランの Like a Rolling Stone などについて語り、産大で使った教科書 The Catcher in the Rye と The Graduate にまで及んでいる。散漫なることこの上ない。歌は、「ボブ・ディランに捧げる歌」「おまえのことしか歌えない」「私は風の声を聞いた」の他に数曲。その中に「卒業」という歌があった。おぼろげにそんな歌を書いたことを思い出したが、このテープを聞かなければ、永遠に忘れていただろう。そのままでは歌えそうもないが、少し変えれば歌えるかも。

テープを起こしたら、4番の歌詞には映画「卒業」の影響が。

 ぼくのミセス・ロビンソンはもう川を渡り
 ドアは固く閉ざされて
 イレインはイン・ザ・レイン、待っている
 アルファロメオのスポーツカー

夜、セパ両リーグのトップを決めるファイナルステージ初戦を掛け持ちで見る。セはよかったが、パが残念なことをした。日本ハム・ソフトバンクの九回裏は、見るに見かねってお風呂に入った。出てきたら、逆転負けしていた。


Tuesday, October 14, 2014

午後2コマ。少し早めに行き、今日と明日のクラスの資料と小テストの印刷。
帰路、いつものスーパーで買い物。今週金曜日、オーリアッドで視覚障害者の方々との交流会(紅葉の会)が開かれる。そのときのための「柔らかいクリームチーズ」などの食材を家人から頼まれた。

夜、小テストの採点など、明日のクラスの準備。夜はけっこう冷える。もう10月も半ばだ。


Monday, October 13, 2014

先週の台風18号に続いて、より大型の19号がくるとのことで、今日は昼過ぎ、オーリアッドへ行き、土曜日の後片付けをすませたあと、外に出ている飛びそうなものを建物の中へ。

そのあと、家に戻り家の周りの整理。テーブルは玄関先のデッキまで運び、逆さまにして、薪を何本かその上に。椅子はデッキの下へ入れる。バケツやジョウロはガレージの中へ。それから下の階の雨戸を全部閉める。雨戸を全部閉めるというのはめったにしたことがない。

夕食後外に出てみると、フィービーが雨のあたらない軒下で雨を見ていた。けっこう大粒な雨。風はまだ強くない。





夜は明日のクラスの準備。しかし正直なところ、台風がくるとなると、集中できない。明日は午後2コマなので、明日の朝もある。何とかなるだろう。集中できないのは休校を期待しているから?


Sunday, October 12, 2014

飯森君と岡本君は8時半、横川峡の蛇石までランニング。長男は車であとから追いかけ、蛇石から二人を乗せてくるとのこと。ぼくは9時から村の神社のお掃除。神社委員として。ぼくが担当したのは主に長い石段の落ち葉掃き。竹箒で落ち葉を掃き落とす。休憩を挟み、1時間半で終了。

11時近く家に戻ると、若者たちはすでにランニングから戻っていた。上り坂10キロ強走っても平気のようだ。お昼を食べに天竜川沿いの鰻屋さんへ。

再度1時過ぎ、村の神社へ。1時半から秋の例祭。宮司さんのお祓いを受け、玉串を奉納する。そのあと、直会(なおらい)。お神酒をいただく。







3時近く家に戻ると、彼らは既にいなかった。東京まで3時間でいくところを、5時間かかったと、夜電話があったらしい。台風を避けて、多くの人が1日早く家路についたのかも。

直会でお酒をいただいたせいか、翻訳疲れのせいか、
夕食後急激に眠くなる。今夜は早く寝ることにしよう。


Saturday, October 11, 2014

長男が同僚2人と昼頃やってきた。飯森くんと岡本君。彼らはお昼を食べたあと、隣村の温泉へ。帰ったら庭で焼肉をするというので、BBQ用コンロと炭をガレージから出す。考えてみたら今年は庭で焼肉を一度もしなかった。



彼らがウチワであおいで火をおこしているうちに、われわれはオーリアッドへ。

出演者が少ないときは、家人の大正琴から始まり、最後は二人で Who's Gonne Shoe Your Pretty Little Foot を歌うことが定番になっている。今夜もそのパターン。

家人の大正琴は決して上手くはないが、今夜「瀬戸の花嫁」はよかった。もうこの楽器を始めて何年になるだろう。5年ぐらいか。ようやく、なんとか弾けるようになってきた。続いてオーリアッド初登場。と、言ってもオーリアッドに来たのは、先日の「カンタ!ティーモール」上映会に続いて2回目の富野航之朗さん。コカリナの演奏。「大きな古時計」「ルリ色の地球」など。やさしい音色である。

原田和恵さん、「花鳥風月」「バースデイ・ソング」など。この2曲ともマシュマロママさんの曲とのこと。本当にいい歌である。この2曲だけでも、彼女のソングライティングの才能を感じることができる。「バースデイソング」は明日誕生日だという名取友紀子さんへ捧げられた。名取さん、「風のささやき」「Sweet Memories」など。ご主人が一緒でないときのほうが、名取さんの演奏は自由でのびのびしているような。

赤羽真理さん、「真夜中の子供たち」「種の歌」など。ぼくが「アルー」を歌って前半終了。























後半、原田さんはハープの演奏。「歌の翼に」など。富野さん「少年時代」「見上げてごらん夜の星を」など。名取さん「太陽がいっぱい」など。赤羽さん、今日の午後、柿の木にのぼり熟した柿をとろうとしたが、なかなかとれなかった話をし、それを即興で歌う。笑いと拍手喝采。ぼくが「菅野有恒」を歌い、次に、休憩中に、焼肉を終えてやってきた3人にお願いする。歌わないというので、スピーチを頼む。和歌山県出身の岡本君は実家が柿農家とのことで、赤羽さんの熟し柿の歌を聞いて、柿にまつわるいくつかの体験談。続いて飯森君、松本に生まれてすぐに千葉に引っ越したが、信州が好きで、よく山登りにくるとのこと。ロッククライミング、マラソンもやるようである。長男はピアノでEndless Rain を途中まで。

続いて、ぼくと家人で Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot? そして最後は、赤羽さん、原田さんも一緒に恒例の Amazing Grace。そうそう、最後の最後は We Shall Overcome。この歌を初めて聞いたという若者たちも最後は大きな声で歌ってくれた。

どうなることかと危ぶまれた今夜のオープンマイク。終わってみれば、楽しい一夜になった。ありがとうございました。

               ■

オーリアッドの営業時間変更のお知らせ。

2003年6月12日に再オープンしてから、水木金土の4日間、午後6時から11まで営業してきました。3年は続けようと思って始めましたが、11年を超えました。多くの出会いに、そして多くの歌に感謝いたします。

時代が変わり、オーリアッドの役割も終わりつつあると感じていますが、当面の間、土曜日午後6時から11時まで、オープンマイクのみの営業とさせていただきます。但し、歌声喫茶、ジブランの会は、従来通りに行います。またイベントやご予約に関しては、お気軽にご相談ください。


Friday, October 10, 2014

10月10日が終わる5分前、Bud Scoppa の書いたライナーノートの訳を送る。「締切の目安は10月10日です」と書かれていたのでギリギリセーフか。一箇所わからないところがあって、苦労したが、それが劇的にも10月10日が終わる10分前に分かったのである。

Like the decade that had borne them into prominence, they had run out of time.

よく学生に英語を読むときは思い込みで読まないで、素直に英語を読みなさい、というようなことを言うが、今回は素直に読みすぎていた。decade は10年だから、何も考えずにthe dacade をその10年と訳したが、意味が通じない。「彼らを有名にしたその10年のように」と直訳しても意味が通じない。run out of time も「時間切れを起こした」と素直に読んでいてもよくわからない。腕組みをして考えているうちに閃いた。その10年とは、60年代の10年なのだ。それで辻褄が合う。「時間切れを起こした」とはもう彼らの時間が終わったのだ。それを総合すれば、「彼らを有名にした60年代が終わりつつあったように、彼らの関係も終焉を迎えていた」となる。

何はともあれ、よかった。

レナード・コーエン、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクルと続いた翻訳の仕事がひとまずこれで終わりそう。明日から、昼夜逆転の日々から普通の生活に戻れそう。あるいは生活のパターンをこのままにしておけば、仕事がしっかりできるかもしれない。

明日は午後お客さんがくるとのことで、しばらく仕事を離れて外回りの整理整頓。それに芝刈りも。めっきり涼しくなり、芝も伸びなくなった。

家人が寝る前にぼくの部屋のドアを開け、お風呂場にカエルがいるので出しておいてと言う。訳を送ったあと、風呂場へ行って、シャンプーやコンディショナーを置いてあるラックを持ち上げたら、カエルが跳び出てきた。アマガエルより少し大きいカエルである。殿様ガエルか。

捕まえようとしたらカエルはピョンと跳ね湯船の中へ。だいぶ冷めていてよかった。湯に手を入れて捕まえようとしても、逃げ回る。手でつかもうとしても滑る。ティッシューを濡らして、湯から跳ね出て湯船のへりで休んでいるカエルに被せる。それを掴み窓の外へ放りだした。ところが窓の外へ跳びでたのはティッシューだけで、カエルはまた湯船へ。

仕方なく同じことを繰り返し、今度はティッシューとカエルの両方を窓の外へ。



Thursday, October 9, 2014

朝病院へ行こうとしているとこへ電話があり、岡山でお会いした大槻さんが、松本にいるので10時に会いにきたいとのこと。10時には戻れない。家人は仕事に出かけて留守。困った。午後が都合がいいと思ったが、できるだけ早く岡山に帰らなければならないという。11時にきてもらうことに。

病院から10時半過ぎに戻り、台風のために片付けておいたテーブルを庭に出し、お茶の用意。と、いっても何もない。一昨日アルプス市場で買ったアケビとブドウがある。11時10分前、心配になって電話をする。案の定、オーリアッドへ向かっていて、もうすぐだと言う。家の住所を言うと、すぐにやってきた。総勢4人。

黒部峡谷のトレッキングの帰りで、昨夜は松本へ泊まったとのこと。彼らには岡山の禁酒会館で歌わせていただいたときにお会いした。大槻順一郎さんは、真の自由人。世界を股にかけて動いている。今年の夏は家具の買い付けに北欧へ行き、今月はネパールへ彼が作った学校の落成記念に行くとのこと。また4月からは京都の大学に入り直し、 landscaping を学んでいる。

「エネルギーといのちを語る」実行委員会事務局長の橋本省吾さんは、根っからの山男。学生時代から山に登るために信州へは何度もきたことがあるとのこと。今も、毎年信州の山に登っているらしい。他の二人の方も、橋本さんの山仲間とのこと。みなさんお元気だ。



家人は、11時半過ぎ戻ってきて、急いでお茶を淹れてくれ、彼らと少し話ができた。彼らは岡山に夜用事があるとのことで、12時前、出発。距離にして600キロ、時間は7時間かかるとか。

その後、翻訳の仕事。Bud Scoppa のライナーノートのラフの翻訳を済ませたあと、少し仮眠をとる。明日のうちに、ちゃんとした訳を送らねばならない。原稿用紙にして25枚ほどか。

夜はジブランの会があったが、家人に頼むことに。



Wednesday, October 8, 2014

昼を挟んで2コマのクラス。後期は少し方針を変えて、クラスの中で学生にできるだけ作業をしてもらうことに。小テストも行う。教科書やプリントからも出題するが、facebookでいつも楽しませてもらっている Humans of New York の文章もその対象に。まさに生きた英語、活き活きした英語である。

アルプス市場をのぞいたら、菊の花がたくさん大きなトレーで売っていた。さっそく購入。



帰宅してメールをチェックすると、昨日、英訳を送った翻訳会社から、2箇所、元の文が差し替えになったとのことで、あらたに文章が送られてきた。その中に「これからの時間は、黄昏、夕さり、夕まぐれ、火ともし頃と経過していきます」というところがあった。これを訳し分ける能力はぼくにはない。しかし、昔の日本人の自然描写はなんて繊細なのかとも感じ入った。夏の夕暮れが徐々に暮れて行く段階を4つにわけて表現するとは。

今夜はとにかくその訳を済ませるべく、8時に寝ずに頑張る。10時ごろ、送り、その後 S&G Boxset のライナーノート訳。あともう少し。今夜は12時過ぎに寝ることに。



Tuesday, October 7, 2014

午後2コマのクラス。帰路、アルプス市場へ寄ったあと、塩尻のホームセンターヘ。家人に頼まれたシャンプーや食洗機の洗剤などを購入。そうそうアルプス市場では見事なアケビが売っていた。こんなに大きくて美しいアケビは初めて。ひとつ食べてみたら、ほんのりと上品な甘さが口に広がった。



アケビといえば子供のころ食べ過ぎて苦労した思い出がある。あの夥しい数の種を出さずに食べてしまったのだ。

ネットに明日は満月で皆既月食が見られるとあった。外に出てみると大きな月。満月といってもいいほどにまん丸い。明日の夜が晴れ襲いたらいいが。



今日も、8時すぎ睡魔が襲い寝ることに。起きたのは12時すぎ。このパターンが定着しつつある。不思議なことに、松本から帰るとき、以前は途中で眠くなって車を止めて仮眠をとることが多かった。しかし、このパターンになってから、善知鳥峠あたりで眠くなることがなくなった。ぼくには合っているのかも。


Monday, October 6, 2014


今日は午後から2コマのクラスの予定。台風が来ている。学校のHPを見ても、休校かどうか何も書いてない。8時半、電話をかけて聞いてみようと思っているところへ電話があり、本日休校とのこと。

それで今日は思いがけず、翻訳に専念できた。Bud Scoppa のライナーノート、何とか金曜日の締切りまでには完成できそう。

台風はありがたいことに、長野県にはあまり大きな影響はなかった。昨夜から今朝にかけて雨はかなり降ったが、風はそれほど強くなかった。

夕方家人に頼まれて隣村まで生活クラブの品物をとりに行く。歩くことに。夕焼けがとてもきれい。徳本水で見た横川川の水量は増えていたが、この程度だと昨夜の雨量もそう多くなかったことがわかる。帰路、東の空に月が出ていた。あと数日で満月。









夕食後、仕事を再開したが、あまりの眠さに一眠り。起きたら0時過ぎ。お風呂に入って、これからもう一仕事。


Sunday, October 5, 2014

530デイ。小雨が降っている。中止かもしれないと思いながら、ビニールのカッパを着て、ゴミを入れる袋をもって外に出る。旧道を南に下って徳本水まで。ゴミは落ちていない。徳本水に着くと、隣組7組と8組の人たちが軽トラのところに集まっている。もっていった袋をゴミとして出してきた。ゴミが減ったのは徳本水の急カーブにバイパスができて交通量が激減したから。同時に年2回のゴミゼロデイ(530デイ)の成果でもある。



古い友人、テイヨー・ゲイブラーからメールがあった。5月にジム・グリーンが亡くなって以来か。しかしそのときは彼の死を伝える事務的なものだったので、実質的なメールは本当に久振り。7,8年ぶりか。そのメールは次のように始まっていた。

1時間前、夢から目が覚めた。その夢の中でぼくは馬車に乗って旅をしていた。まるで魔法か映画のセットのような景色の中を。トンネルを通り抜けたところに、おまえが立っていた。明らかにぼくが来るのを待っていたようだ。会えて嬉しいと思った途端、目が覚めた。それでメールを書くことにした

まるで小説か何かの書き出しのようだ。

テイヨーとジムはサンタバーバラ時代の友人。『追憶の60年代カリフォルニア』の中で彼らに何度も言及した。ジムとは帰国1か月ほど前、何人かの友人と一緒にタサハラの Zen Mountain Centerへ行った。テイヨーとは帰国寸前にケルアックの Dharma Bums の真似をして、シエラネバダ山脈の頂きのひとつに登った。

そして2人は、1970年になって相次いで京都へやってきた。2年後彼らは福島元照さん(後の福島慶道老師)の弟子になり岡山県総社市井山の宝福寺で修行を始めた。ぼくが「宝福寺にて」の言葉を書いたのは彼らを訪ねて数日泊めてもらったときのことである。

今日は不思議な日だ。スーザン・ブランツからもメッセージがあり、ハワイに住むトムという男がぼくのことを知っているという。写真も添えられていたが、見覚えがない。そのうちに、再度彼女から連絡があり、トムは京都でぼくのことを知っていたとのこと。それなら、トム・ライト以外の誰でもない。

トムは鷹峯の安泰寺で修行をしていた。トムもぼくも京都ユネスコ協会で英語を教えていた。後に龍谷大学の教授になったと聞いた。トムは極めて穏やかな性格のアメリカ人で、誰からも信頼されていた。ぼくが悩んでいたとき、大いに彼から慰められたことがある。

スーザンが添付してきた写真に見覚えがなかったのは、ぼくが知っていたトムは常に剃髪し墨染の衣か作務衣を着ていたからである。今は髪もあり、さらに髭までたくわえている。

テイヨーは、またバーモントへ遊びに来ないかと書いてきた。長男が高校生、次男が中学生とき、家族4人でバーモントを訪ねたことがある。その節はすっかりお世話になった。「スーとジョンのバラード」の背景はバーモントである。実際のストーリーはニュージーランドなのだが。

最後の最後、彼は We are healthy. Hope you and your family are healthy. と書いてきた。死は誰も避けることはできない。でもその時までは健康でいたいもの。


Saturday, October 4, 2014

朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。


オーストラリアからダニエル・ジリッグを5年ぶりに迎えてのオープンマイク。みなさんの演奏もそれぞれに素晴らしく、とてもいい夜になった。

出演順に、宮澤いずみ with 山添貴文、原田和恵、守屋武志、ダニエル・ジリッグ、坂井俊水、重政知志、赤羽真理、三浦久、ローズマリー・ジリッグ。



















ダニエルのお母さんローズマリーさん、息子の演奏はもちろん、他の演奏者にも熱心に耳を傾けてくれた。そして大いに楽しんでくれたようである。音楽は言葉がわからなくても伝わるということが実証されたような。

彼女は1941年生まれというから、ディランや丸山さんと同じ歳。笑顔がダニエルにそっくりな素敵な女性である。来週は息子家族と一緒に京都見物に出かけるとのこと。この時期の京都は実にいい。Hope they'll have a good time.


Friday, October 3, 2014

終日、翻訳。ひとつは英語から日本語へ。もうひとつは日本語から英語へ。両方とも難しい。投げ出したくなる。しかしそれは意地でもできない。なんとかしなければ。英語から日本語のほうは、文の構造が複雑。やたらに挿入句が多い。そして不要とも思われる装飾的な字句も。日本語から英語のほうは、「文学的」過ぎて言おうとすることがよくわからない。例えば、

梅の花の匂いには夜の闇も似合いますが、あっけらかんと晴れた空もいいものです。冬を越え春一早く花を開く力強さや、馥郁たる香りを辺りに振りまく様が、あの空の屈託のなさに通じるのです。

これをどう訳す? Give me a break.

明日のオープンマイクに、久々にダニエルがやってくる。何年ぶりだろう。楽しみだ。


Thursday, October 2, 2014

午後3時、翻訳を完成し送る。一安心。すわってばかりいたので、村を歩いて写真を撮ることに。昨日、一昨日と松本へ行く時、村の家々の庭にコスモスの花が咲いているのに気づいた。それぞれに特徴のあるコスモス。先ず、上の段をわが屋から北へ進み、お寺のところで下の段に降り、旧道を南へ下る。わが家の下を通り、「隣の潔さん」の家の下まで来て、上の段へ上がった。これでほぼ村を一周したことになる。















夕食後、今夜も眠くなり、結局12時近くまで寝てしまった。まさにサンタローザから帰ってから昼夜逆転の日々が続いている。

Basement Tapes の訳が一段落ついたので、これから 12月発売の S&Gの全アルバム Boxset のブックレットの翻訳にとりかからねば。このライナーを書いたBud Scoppaという人のライナーは、数年前に一度訳したことがある。いい文章ではあるが、難解な文章。簡単に訳せるものではないが、大いに勉強になる―翻訳の仕方について、それに音楽的視点にについて、この場合はS&Gおよび60年代の音楽の捉え方について。

夜遅く、舟木一夫ファンの方からメールが届いた。舟木さんが9月25日、新橋演舞場の1か月公演の千秋楽夜の部の最後に、「宝福寺にて」を歌ったとのこと。ありがたいことである。

 楠の木の梢をわたって
 気持ちのいい風が吹いてきます
 彼岸花が散っています
 秋もだいぶ深まりました

まさに今の時期に歌うのにぴったりの歌である。


Wednesay, October 1, 2014

水曜日は前期と同じ、昼をはさんで2コマ。

帰路、今日は「アルプス市場」と「うちだファーマーズ・マーケット」へ立ち寄る。残念ながら、両方とも、雑きのこはなかった。アルプス市場で、かなり背の高い金木犀の苗木を正価2300円のところ、500円で売っていた。さっそく購入。この衝動買いがいけない。

家に戻り、畑で働いていた家人に、安かった金木犀の自慢をしようとしたら、「家にもあるよ」とそっけない。そうか、サンデッキの前のツツジの横にあった。大きくなるので、いつも剪定していた。

今日も、夕食後眠り、11時すぎに起きる。できるだけ早く46曲分の翻訳をすませて送らねば。いずれも正規に録音されたものでなく、中にはかなり聞き取りづらいものがある。ワーディングされた歌詞を参照し、再度音源を聞きながらの訳。

今朝から新しい朝のドラマが始まった。ニッカウイスキーの創立者がウイスキーのつくり方を学ぶためにスコットランドへ行き、エリーというスコットランドの女性を連れて広島の実家へ戻ってくるところからドラマは始まった。



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