OREAD Diary 
      January 1-31, 2014


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Friday, January 31, 2014

「週刊いな」「週刊すわ」へ、「キング牧師の日チャリティーコンサート」のパブリシティーをお願いしたあと、次男家族と伊那へ。先ず「みはらしふぁーむ」の草木染め工房へ。ここには家人の友人で、次男の小学校時代の同級生のお母さんが働いている。裂き織りの小物や、お雛様の人形などをリンの両親や祖父母のおみやげに購入。

そのあと、伊那の姉の家に挨拶に行き、「かんてんぱぱ」のレストラン「ひまわり亭」へ.。お昼を食べに。ウイークデイとあって、混んでいなくてよかった。それからリンが行きたがっていた「ユニクロ」のお店へ。ニュージーランドにはユニクロのお店がないらしい。ベルシャインの一角にあった以前のユニクロはGUに変わっていた。今は市役所の近くにあると教えられる。ユニクロに着くまでに雅樹は疲れて眠ってしまった。ぼくが彼を見ていることにし、3人はお店へ。15分ほどして目覚めた彼は、ぼく以外誰もいないと気づくと「マミー」と言いながらべそをかきはじめた。慌てて、抱っこしてお店の中へ。そのあと、TSURUYAに寄り、帰宅。長い一日。






夕食後、オーリアッドへ。以前オープンマイクで歌ってくれた次男の同級生赤羽くんがやってきた。この時期帰省すると話したのを覚えていたのだ。家に電話をすると、しばらくして家人と一緒に次男がやってきた。中学卒業以来、つまり18年振りだが、そこは同級生、すぐに打ち解けて話している。

その間に、古本亭龍角散こと坂巻勉さんが久しぶりに顔を出してくれた。手作りのゆべし(柚餅子)をいただく。買えばかなり高価なものらしい。




11時、家に戻る。仕事部屋に入るとフィービーもどこからかやってきて膝の上に。ここが一番安心するようだ。

明日はオープンマイク。山口さんが、オリジナルを書いたという。楽しみだ。



Thursday, January 30 2014

午後2コマのクラス。期末試験。今学期はこれで終了。但し、インフルエンザにかかったり、スノーボードで怪我をしたり、冬期国体にスケートの部に参加したりで試験を受けられなかったが学生が4,5名いる。今年は多い。その追試をしなければ。レポートですませようか。

アルプス市場に寄り、6時前帰宅。すぐ森林組合の総会へ。先日の理事会で検討したことがすべて承認された。懇親会は欠席させていただき、オーリアッドへ。家人と交代。

坂井君が黒いエレキギターをもってやってきた。素晴らしいギターの音色。新曲らしい歌もいくつか。

遅くにピート・シーガーの歌をいくつか練習。 Turn, Turn, Tunr や This Land Is Your Landなど。1997年6月にピート・シーガーに会ったとき、彼がニュージャージーに住んでいるブルース・スプリングスティーンと最近親しくつきあい、レコーディングもする予定だという話をしてくれた。その後、ブルースは We Shall Overcome: The Seeger Sessions をリリースした。そのアルバムの対訳をさせていただけたのは実に光栄だった。

そのブルースが High Hopes のアルバムの発売に合わせてワールドツアーを始めた。その最初の場所はネルソン・マンデラへの敬意を表し、南アフリカのケープタウンだった。ブルースらしい。High Hopes 日本版は昨日発売になった。付録の Born in the USA 全曲のライブDVDを含め、売れているようである。このDVDは実に素晴らしい。是非多くの人に見てもらいたいものである。

10時半閉店。今日は雨でよかった。朝降っていた雨は、午後には上がり、また夜になって少し降ったようだ。外に出ると路面が濡れていた。

昨日ローカル新聞に「キング牧師の日チャリティーコンサート」の広告が載ったおかげで、昨日今日と予約がたくさんあった。鳥飼玖美子さんのファンという方が多い。


Wednesday, January 29, 2014

長い一日。3クラスの期末テスト。最初の2クラスは、テストのために教室を変更。40番から37番へ。40番教室は防音された部屋で歌を歌うにはいいが、机が変則的。教室を変えたせいではないだろうが、2クラス目のテストの時、コンピュータの調子が悪くなり、少し慌てたが、なんとか切り抜けた。

3クラス目のテストはいつもの33番教室。入って行くとリチャード・ロビンソンがいた。彼が黙って千円札を差し出すので、何かと思ったら、キング牧師の日チャリティコンサートのdonation だと言う。昨年彼が歌ったマイケル・ジャクソンの歌は好評だった。彼の低い響く歌声が特に。彼にそう話す。

帰路、いつものマーケットに寄り食材を購入。6時少し前帰宅。雅樹はすでに寝ていた。今日は午後、町の「ちびっこ愛ランド」(子育て支援センター)へ行って思い切り遊んできたとのこと。疲れたに違いない。

7時少し過ぎオーリアッドへ。すでに恒例の歌声喫茶が始まっていた。「学生時代」「冬景色」など懐かしい歌の数々。

10時過ぎ、早めに帰宅。少々風邪気味。ここでダウンしているわけにはいかない。明日もう一日テストがある。そのあとは採点、来年度のシラバスなど、しなければならないことがいくつもある。頑張らねば。


Tuesday, January 28, 2014

終日、と言っても途中何度も雅樹と遊びながら試験問題作成。夜遅くにようやく完成。




雅樹は何にでも興味を示し、ストーブ用の重い薪まで運んでくれた。

ピート・シーガーが亡くなったというニュースが facebook 経由で届いた。必ずこの日は来ると思っていたが、失ってみて改めて彼の偉大さが分かる。享年94歳。May you rest in peace, Pete!


Monday, January 27, 2014

寒い一日。陽射しには春の気配。雅樹は寒い信州の田舎町の生活にすぐに適応した。一瞬一瞬、精一杯楽しんで生きている。よく動き、ほとんど聞き取れないが、よくしゃべる。テーブルにすわている次男の後ろを通ろうとして、狭くて通れなかったとき、何を言っているかわからなかったが、何か言った。リンに何て言った? と聞くと、Sorry, Dada. (ごめん、とうちゃん)と言ったという。「ごめん、ちょっと通して」ということだろう。これには驚いた。

雅樹はすぐに適応できたが、可哀想なのはフィービー。家の中のどこかに隠れていて出てこない。1週間が過ぎた。そろそろ慣れてもいい頃。

雅樹はよく遊び、よく眠る。ぐずったり泣いたりすることがほとんどない。母が昔、われわれが引っ越してきたころ、「家の中で子供の声が聞こえるのはいいものだねえ」とよく言ったが、その気持ちが今わかる。



終日、期末試験の作成。基本的には3種類。しかし、同じ種類の試験でも、若干変えるので、5種類になる。試験を受ける方も、与える方も大変。試験を作っている最中、たいがいいつも、意地悪な気分になり、難しい問題を作ろうとしてしまう。そして授業でやったことを網羅する問題を作ろうとしてしまう。その結果、採点が大変になる。

今回はそういうことのないようにと心がけているが、あまり簡単でもいけない。その按配が難しい。



Sunday, January 26, 2014

9時過ぎ朝食を済ませ、宅急便で荷物を送り、10時チェックアウト。せっかく東京へきたのだから、雅樹を上野動物園へ連れて行ってやろうということになった。クライストチャーチにも小さな動物園はあるが、そこにも行ったことがないという。伊那の姉も含めてみんなで上野動物園へ。

次男は覚えていないと言うが、子供たちが小さい時にも一度行ったことがある。パンダの檻の前はものすごい人だかりで十分見れなかった。今朝はよく見えた。以前パンダを見たときは、もっと小さかった。雅樹はいろんな動物を見て大喜び。





昼過ぎ、上野から新宿へ出て、「あずさ」に乗り、信州へ。家に着いた時は4時過ぎ。疲れたが二泊三日の楽しい旅だった。


Saturday, January 25, 2014

朝食後、品川駅近くのプリンスホテルの水族館へ。式のための着付けの1時までにホテルに戻ればいい。時間は十分にある。

水族館は期待以上の素晴らしさ。雅樹はもちろん、大人たちも大喜び。




紋付袴を着るのはぼくの結婚式以来。そのときは亡き父の紋付袴を着た。羽織の袖も袴も少々短かったが、その頃は体重58キロ。なんとか着ることができた。今回は父の紋付袴は無理である。30キロ近く増えている。貸衣装を借りることに。

ぼくの好みから言えば、紋付袴も会場も、少々仰々しすぎるが、若い二人が一緒に考えたことである。費用も全部自分たちで工面するという。われわれは招待客同然。協力せざるを得ないだろう。

親族紹介のあと神式での結婚式。ここは撮影禁止。そのあと、庭園の小道を歩いて披露宴会場へ、新郎新婦を先頭に歩く。この庭園が八芳園の売り物のようだ。このときも当然のことながら自分では写真が撮れない。披露宴でも、挨拶に出向いたり、お酌をしたり、あまり写真を撮ることができなかった。リンが撮った写真をいくつか使わせてもらう。





披露宴は通常よりもかなり長かったが、退屈しなかった。もっとも感動したのは、新婦の職場である某大学病院の同僚の若い先生たちが、会場の人たち全員を巻き込み、新郎新婦を囲んで大合唱をしたこと。ぼくの知らない歌だったが。新婦が涙を拭う場面が何度か。

最後の新郎の挨拶の前に、新郎父の挨拶。何を言おうかと数日思案しているぼくを見て、「あなたはいつも余計なことを言うから、例文通りのあいさつでいいんじゃないの」と家人から言われていたが、ぼくの性格からそれはできない。紋切り型のことばを使うのは少々恥ずかしい。いろいろ話すことを考えていたが、「親孝行」をテーマに話すことにする。というのは、プロフィールや席次リストが載っている小冊子の冒頭にインタビュー形式の問答があり、その中の「これから絶対したいこと」という問に対し二人とも、「親孝行」と答えていたからである。

                    *

ぼくの父はぼくが生まれる直前に亡くなった。長男が生まれたとき感じたことは、父が落としたバトンを、かろうじて拾い上げ、長男に渡すことができたという思いだった。そして次男が生まれ、二人が成長する姿をみながら、家人もぼくもほんとうに楽しませてもらった。われわれの子供として生まれてきてくれたこと、そして、彼らの成長を一緒に楽しませてもらえたこと、それだけで、十分に親孝行をしてくれたと思った。これ以上の親孝行は必要ないと思った。しかし30を過ぎてからもなかなか結婚しようとしない長男を見て、勝手なもので、もう少し親孝行してくれてもいいものをと思った。

一昨年の秋、結婚したい人がいるとようやく打ち明けられた。家人も、ぼくも大喜び。そして矢継ぎ早に「どんな人?どこの人?」と聞いた。職業は医師で、出身は千葉の行徳だという。職業を聞いて驚いたが、行徳と聞いてもっと驚いた。というのは、まったく覚えていないが、行徳はぼくが生まれて3歳まで住んだ町なのである。そのとき本当に、縁というか、運命というか、何か計り知れない不思議な力が働いているのを感じた。バトンを渡し損ねた父の思い、願いが、そこにあるように思えた。

二人が出会って本日晴れて結ばれたこと、それだけでもうすでに十分に親孝行である。われわれのために何かをする必要はない。二人が幸せに生きてくれること、それ以上の親孝行はない。

                      *

思い出しながら書いているので、そのときのままではないが、このような挨拶を、参列者のみなさんへの謝辞のあと、述べた。

紋付袴の貸衣装を返し、ホテルに戻ったときは、8時を過ぎていた。どっと疲れたが、心地よい疲れだった。


Friday, January 24, 2014

午後1時半から3時20分まで、伊那市の「いなっせ」ホールでトークライブ。シニア大学伊那学部。10分の休憩をはさんで、前半「雨ニモマケズ」「それぞれの道」「カムサ・ハムニダ、イ・スヒョン」「ヴィクター・マトム」。最初の2曲のあと、両小野小学校で歌ったあとに、子供たちから寄せられた感想を紹介する。最後の歌の前にヴィクター・マトムとの出会い、そしてエイミー・ビール財団が設立された経緯を語る。

後半は先ずみなさんと「冬景色」「ゴンドラの唄」「ふるさと」を歌う。そのあと「即宗和尚」「中谷勲」「祈りの歌」「I Have a Dream」。最後に、20年近くも前、長男が大学に入学するため東京へ出ていった朝書いた「旅立つおまえに」。前半2曲と最後の曲は辰野の地名がでてくる。「即宗和尚」の2番か3番に「善知鳥峠を越え、小野から三里」というところがある。前半の両小野小学校の話がここで少し生きたような。「I Have a Dream」を歌う前、「キング牧師の日チャリティーコンサート」のパブリシティー。最後の歌の前、明日長男が東京で結婚すると話す。思いがけず大きな拍手。驚くと同時に感激する。



終了後、何人かの方々が話しかけてくださった。「キング牧師の日チャリティーコンサート」にも何人か来てくださるようである。もう少しお話したかったが、ゆっくりしていられない。すぐに家に戻り、辰野発16時47分の電車に乗り、岡谷で「あずさ」の乗り換え東京へ。家人と次男家族はすでに昼頃の電車で先に行っている。

山の手線「目黒」駅で降り、シェラトン都ホテルはどっちの改札からでたらいいのか思案しているところへ「おとうさん」という声。振り向くと長男が立っていた。タクシーでホテルへ。家人たちと合流。そこへ長男のフィアンセが挨拶にきてくれた。忙しいのに、その心遣いに感謝。まだしなければいけないことがあると言い、二人一緒に帰っていった。

いよいよ明日だ。



Thursday, January 23, 2014

ニュージーランドは今、夏時間で、日本とは4時間の時差がある。到着した月曜日から数えると、今日が4日目。ようやく日本の時間にも寒さにも慣れてきたようだ。雅樹くんはますます元気。朝食を食べているところを一枚。



午後2コマのクラス。2013年度の最後の授業。水曜、木曜ともに来週の期末試験を残すのみ。

6時少し前、帰宅。夜、少し遅れてオーリアッドへ。いつもは家人に先に行ってもらい交代するのだが、今夜はそいういう訳にもいかない。彼女には明後日の長男の結婚式に向けてしなければいけないことがたくさんある。それに遠方からのお客さんも。

2台のストーブをつけてもなかなか暖まらない。9時近くに来たお客さん、「今開けたところですか?」。よほど寒かったに違いない。

しばらく明日のシニア大学で歌う歌の練習。今夜は早めに切りああげることに。親族の紹介、新郎の父親の挨拶など、考えなければいけないことがいくつもある。簡単に考えていたが、席順だとか、使ってはいけない言葉とか、ややこしいルールがいくつもある。まあいつものことながら、何とかなるだろう。


Wednesday, January 22, 2014

2013年度水曜日最後のクラス。3コマ、最初の2クラスでは、一年間の総復習。英語のリズムと発音について。そしてシュリーマン及びジョージ・オウサワの外国語勉強法について。最後に Steve Jobs と Martin Luther King, Jr. のスピーチの映像の重要な部分を見る。4月にこのクラスを受講し始めたころと比べて、聞く力がついていることを実感できたらいいのだが。

これらのクラスで目指したことは、学生に、単位をとるためだけではなく、あと3年間の大学生活で、更に卒業後も、英語の勉強を独自に続けることができるノウハウを身に付けてほしいということ。コンピュータ、インターネットの進歩によって、今ほど、自問自答、自学自習ができる時代はかつてなかった。

3コマ目のクラスでは、 シュリーマンとジョージ・オウサワの勉強方法に加えて、Global Warming についての章を大急ぎで済ませる。北極熊は夏の間はほとんど食べず、冬の間に食べたセイウチなどの脂肪分を体内に蓄積し、それに依存して夏を過ごすと知り驚く。夏は海に氷がはらないので、セイウチやアザラシなどに近づけないとのこと。しかも、近年の温暖化によって氷がはっている期間が短くなり、氷の厚さも減り、冬になっても十分に食料を得られないらしい。それはイヌイット族のハンターたちにとっても同じである。セイウチやアザラシを狩りする期間が限られ、多くのハンターが職業を変えなければいけないとか。

帰路、TSURUYAにより、食材を購入。6時前帰宅。家人が撮った写真を見る。雅樹くんは積木で遊んだり、コメリやデリシアや100円ショップへ買い物行ったりしたようだ。




7時半、オーリアッドへ。家人と交代。クラシック音楽に詳しいドクターUから電話が入り、病院の関係者3人で将棋を指しにくるとのこと。早速、原田さんに電話をして来てもらうことに。3人のうち2人は高校のとき将棋部だったとのこと。しかもそのうちの一人は二段とか。ぼくではとうてい太刀打ちできない。U先生、今夜も入ってくるなり、かかっている音楽を聞いて「スカーラッティだ」。

その二段の薬剤士Fさんが、一人で3人を相手にする三面指しをすることに。最初の結果はFさんの2勝1敗。リハビリ療法士Iさんが勝ったようである。さすがIさんももと将棋部。そのあとは、すべてFさんの勝ち。


ぼくは原田さんと、他の人たちの将棋が長引いている間、1回指す。行きつ戻りつしたあと、辛勝。これで今年は1勝1敗。

11時過ぎ、家に戻る。温度計は−8℃。けっこう冷えている。明日の朝は寒いだろう。ニュースで、マー君が7年161億円の契約金でヤンキースと契約したことを知る。想像もつかない金額。もう何年も前に阪神からヤンキースに入った投手の二の舞にならないことを願う。



Tuesday, January 21, 2014

Snow!

朝起きてきて、雅樹君が最初に言った言葉がこれだった。彼がまだ1歳になる前、うっすらと積もった雪景色の中でお父さんにだっこされている写真を送ってもらったことがある。雪を見るのは初めてではない。でももう覚えていないだろう。いずれにしろこんなに積もった雪は初めてだろう。

庭に出て彼が最初にしたことは、雪の上でスキップしたこと。自然に出たその喜びの表現に感動する。そのあと、あちこち歩きまわり、その感触を楽しんでいる。

雪と遊ぶのがあまりに楽しそうなので、長靴と手袋と、小さなシャベルを買ってきた。そしてしばらく雪遊び。





孫と遊ぶというのは初めての体験。怪我をしてはいけないと、常にはらはらドキドキして追いかけているので、疲れる。今朝は家人が仕事で留守だったので、なおさら大変だった。丸山さんの「小さな王様」を思い出した。午後は家人に任せ、しばし横になる。

スプリングスティーンの『ハイ・ホープス』のサンプル盤が届いた。2種類。『Born in the USA』の全曲再現ライブDVD付きの初回限定盤と通常盤。興味のある方は、断然DVD付きをお勧め。このDVDは単独で発売してもよかったのではないかと思うほどの出来栄え。感動の一言。

夜、明日のクラスの準備。明日と明後日が後期最後の、つまり、2013年度の最後の授業。大変ではあったが、楽しませてもらい、学ばせてもらった一年だった。



Monday, January 20, 2014

今日1月20日はアメリカでは今年の「キング牧師の日」という祭日である。彼の誕生日1月15日に近い第三月曜日がその日である。2008年の暮、ジョン・クーンズが撮影し YouTube にアップしてくれた I Have a Dream を聞いたという知らない人からメールが入った。スーザン・ブランツというアメリカ人の英語の先生で、「キング牧師の日」を記念して何かイベントができないかと書かれていた。

彼女の提案によって、急遽、第一回「キング牧師の日チャリティーコンサート」が2009年1月18日に行われた。それ以後、毎年、キング牧師の日の前日の日曜日にこのコンサートを行ってきた。今年は長男の結婚が今月25日にあり、その準備もあり、2月23日(日)に延期をさせてもらった。延期をすることで、幸運なことに、鳥飼玖美子さんに来ていただいて、お話をしていただけることになった。著名な同時通訳者であり、英語教育の分野でも活躍している立教大学の先生である。

今日あたりから少し暖かくなるという予想に反して、かなり寒い一日だった。今日は朝から、そわそわ。次男の家族が久しぶりにやってくる。この前来たのは2008年の11月だったから、5年と2ヶ月ぶりということになる。前回は彼と奥さんだけだったが、今回は2歳の男の子も一緒。

午後5時少し前、無事成田に着いたというメッセージが迎えに行った長男から届く。そしてすぐに Skype で映像を送ってくれた。そのあと、8時の特急あずさに乗ったという連絡がきた。岡谷着10時21分とのことで、余裕を見て9時40分に家を出ることに。外に出て驚いた。雪が降っている。のろのろ運転で、10時10分岡谷駅着。3番線のホームに行き、電車の到着を待つ。電車が着いて、何人かの乗客が降りてきたが、彼らが見当たらない。電車が去ったあと、ホームには誰もいない。疲れて寝過ごして、塩尻まで行ってしまったのかと、慌てる。家人は長男に電話をして、何号車に乗ったか聞いている。1号車だと言う。ホームの東京寄りの端を見ても、誰もいない。どうしよう、と思っているところに、待合室のかげから人影が出てきた。よかった、次男の家族だ。

降りしきる雪の中を、のろのろ運転で家に戻る。疲れた。よかった、とにかく無事に着いてくれて。クライストチャーチの家を出てからほぼ20時間の長旅。ぼくも疲れたが、彼らはもっと疲れているはず。よく眠れるといいのだが。


Sunday, January 19, 2014

今朝起きたら、驚いたことにうっすらと雪が積もっていた。しかし日中はかなり暖かくなった。明日の予報も夜は雪になるとのことだが、気温は今までより暖かそう。ありがたい。

一日中、明日の夜到着するお客さんを迎える準備。お客さんと言っても、ニュージーランドに住む次男の家族。今回は初めて孫の雅樹くん(2歳)もやってくる。家人は大張り切り。いや、ぼく自身も安全第一と、人形の入ったガラスのケースを片付けたり、暖炉の台のゆるくなってグラグラするレンガを簡易セメントで固めたり。体裁は悪いがなんとか固定できた。

雅樹くんに初めて会ったのは生まれて3ヶ月のとき。時々 Skype で元気な姿は見ているが、やはり直接会えるというのは嬉しい。初めての長い旅。元気でやってきてほしい。


Saturday, January 18, 2014

先週もそうだったが、今夜も体調の悪い人が続出。急にこれなくなったり、気分が悪くなって早退したり。それにつけても丸山俊治さんは元気いっぱい。顔色もいい。先週もスキーに行き、来週も行くとか。

今夜はまずリサとデレクが早めにやってきて、練習したいと言う。リサの好きなジブリの曲などをピアノとフルートで練習。しばらくして、オープンマイクのスタート。「千と千尋の神隠し」など。デレク、ソロで何曲か。Heart without Boundary など。

丸山さん、「一日一回」「戦争を知ってる年寄りたちさ」、そして「星の流れに」。最後の歌は昭和22年の松竹映画「こんな女に誰がした」の主題歌とか。坂井俊水さん、歌うと咳が出るとのことで、まずベースで、次にギターで instrumental。これが素晴らしかった。最後に「君が幸せであるように」。風邪気味の声ながら、これがまた味がある。でも次回は万全な体調で歌ってほしいもの。

ここでぼくが般若心経をフィーチャーした即興の歌。昔書いた「乞食をしようと思います」を、メロディを変え、かなりはしょって歌う。歌い終わったとき、かなり盛大な拍手があり驚いた。とくにリサとデレクから。気をよくして、今度は四弘請願の入った「私は風の声を聞いた」を歌う。最後に、あまり歌わない15年ほど前に書いた歌「君は美しい、君は素晴らしい」。

ここで休憩。武居先生差し入れの草餅をいただく。














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後半は、お腹の調子が悪いので早く帰るというデレクから。冬休みに作ったカラオケに合わせて Moonrise、そしてThe Day. いずれも彼のオリジナル。リサ、子供のためのピアノ曲を2曲。

丸山さん、「70歳になったのだ」と「職人になったおじさんたち」。いずれも、坂井(ベース)、リサ(フルート)、デレク(パーカッション)のサポートで。後者はとくにぼくのお気に入り。赤羽真理さん、「種の歌」「私を待つ人がいる」など3曲。最後に赤羽さんと丸山さんとぼくの3人で「Amazing Grace」。

丸山さん以外はみんな、どこかこうか調子が悪く、大事をとって、今夜は早めに終わることに。

1月25日はオーリアッド休業のためオープンマイクはありません。次回のオープンマイクは2月1日。


Friday, January 17, 2014

朝から、1月24日のシニア大学の講義(と言ってもトークライブ)のレジメを書く。今日が締切日。最終的に送ったのは午後遅くなって。タイトルは、2008年に初めてどなたかのピンチヒッターとして依頼されたとき、すでにつけられていた「音楽と人生」。かなり大げさなタイトルではあるが、間口が広いので、なんでもそこに入れられる。以来毎年このタイトルを使っている。最近は「振り向けばいつもそこに歌があった」という副題をつけている。

今年はネルソン・マンデラとエイミー・ビールの話と「ヴィクター・マトム」の歌も入れることに。

夜、オーリアッド。団体客が入り、てんやわんや。

昨日車の中で聞いたテープの中に近畿放送でしばらく担当した番組「電リク一番星」の一部が入っていた。3時間の生番組。電話でリクエストを受ける番組であるが、2回ほど自由に曲をかけることができるコーナーがあった。そのコーナーで、この日はレッドベリーの曲を4曲かけている。そして Huddie Leadbelly をハディー・レッドベリーと発音して紹介している。今ならヒューディ・レッドベリーと言うだろう。ロビー・ロバートソンがナレーターを務めたガスリーとレッドベリーの伝記的なビデオの中で、ヒューディーと発音していた。それ以後、ぼくもそう発音してきた。しかし、英語の綴りだけ見ると、ハディーのほうがいいようにも思う。どっちが正しいか確信をもっている方がいたら、教えてもらいたいもの。

Phil Ochs に関しては、従来日本ではフィル・オックスと発音されてきたが、1997年、ハドソン川沿いのビーコンという町でピート・シーガーに会ったとき、彼が Ochs をオウクスと発音するのを聞いて、それ以来オウクスと発音するようになった。Field of Dreams の歌でも、オックスと歌っていたのをオウクスに変えた。

大学に行く歳になったとき
ぼくは家から一番遠い
California 大学バークレーを選んだ
もう二度と父の顔は見たくなかった

専攻は英文学だったが
60年代を専攻したようなものだ
反戦デモにも参加したし
グラスも少しは吸った

フィル・オウクスのコンサートで
やせっぽちの女の子に会った
アイオア出身の赤毛のアニー
ぼくは彼女に恋をした


ピート・シーガーに会いに行ったときのエッセイ:
http://www.nagano.net/journal/miura/970714.html


Thursday、January 16, 2014

午後2クラス。4講時目のクラスでは最後のチャプター Information Technology に入る。この章のビデオクリップはビル・ゲイツに鳥飼玖美子さんがインタビューするもの。さすがだ。彼女は一歩も引けを取らずビル・ゲイツと渡り合っている。

鳥飼さんは、2月23日(日)の「キング牧師の日チャリティーコンサート」で「キング牧師と60年代のアメリカ」というタイトルでお話をしてくださることになっている。その前日のオープンマイクにも顔を出してくださるとのこと。楽しみだ。

往復の車の中で古いテープを聞くことが定着した。今朝聞いたテープには、いろんなものが入っていたが、そのひとつは児島鉄兵が精華のぼくのクラスでトークライブをしているもの。そんなことがあったことさえ忘れていた。その中で、彼が言う「ボブ・ディランの歌を初めて聞いたとき、これでも歌手かと思った。三浦さんを初めて聞いたときもそう思いましたが」。これを聞いた学生たちが大笑い。褒め言葉ととっておこう。詳しい日付は分からないが、70年代中頃のことだろう。

児島鉄平とは一時親交があり、何回か一緒に歌ったことがある。信州にもどってからも長野市の「ゆいまある」という喫茶店でコンサートを開いたことも。彼はボブ・ディランに惹かれて歌い始め、坂口安吾に魅了され、安吾のふるさと新潟へ流れていった。そのあとも、何度か会ったが、ここ20年ほどは音信不通だった。蕎麦職人になったという噂を聞いたこともある。

どうしているかなとグーグルで検索したら、2012年10月に亡くなっていることがわかった。肝臓がんだった。享年58歳。早過ぎる。後半生の無頼派の生き方が身体にこたえたか。それでも彼が信奉した安吾よりは10年ほど長生きした。残された方々は悔しい残念な思いをされただろうが、彼は本望だったかもしれない。信念を貫いたのだから。冥福を祈る。

夜7時半、オーリアッドへ。家人と交代。先週土曜日に素敵なピアノを弾いてくれた三ツ井さんが来ていた。中学3年の時にもオーリアッドへきたことがあるとか。今井君と同じ3年3組だったという。思い出した。野球部顧問をしていた担任の小島先生が熱血漢で、みなで一緒に We Shall Overcome や Blowin' in the Wind をよく歌ったもの。卒業前には、オーリアッドで3年3組の卒業コンサートを開いた。ぼくも2,3曲歌わせてもらった。今からもう5,6年前のこと。

坂井くんがサイレントギターをもってやってきた。三ツ井さんにピアノを弾いてもらい、そのあと坂井君にも歌ってもらう。

11時閉店。児島鉄兵のことが頭から離れない。もっと分り合えていたらよかった。


Wednesday, January 15, 2014

数ヶ月前にも一度見かけたが、そのときはカメラをもっていなかった。今日は、カバンの中にカメラがあったので話しかけ、写真を撮らせてもらう。ボルゾイ (Borzoi)という種類の犬とのこと。まずその大きさに圧倒される。立ち上がれば人間と同じ背の高さ。そして、なんといっても、その流線型とでも言うべき、いかにも足が速そうな体形。ひと目で目を奪われるような圧倒的な美しさ。この犬の周りの空気が違って感じられるような。性格も大人しそうだ。昔わが家で飼っていたベンジャミン(スピッツの雑種)とは大違い。







最初の2つのクラスでは、4月から歌った歌を全部歌う。前期で歌ったのはAll My Loving, Little Child, Beautiful Brown Eyes, Amazing Grace, The Rose, Take Me Home Country Roads, Blowing in the Wind, We Shall Overcome. 半年前の歌ながら、みんなよく歌える。ここで、期末試験の模擬テストをして、後期の歌。I Want to Hold Your Hand, Yesterday, What a Wonderful World, Heart with No Companion, Knocking on Heaven's Door, Let It Be, Tennessee Waltz, The Sound of Silence. 

4講時目のクラスは、前期途中から受け持ったので、後期の歌のみ。このクラスの教科書は実に内容がいい。学ぶところがおおい。先週と今週にかけて読んだものは、マルコ・ポーロとイブン・バートゥータの二人の旅行家について。そして、最後に Global Warming についての章に入る。

来週は、後期最後のクラス。4月からぼくが学生に伝えようとしてきたことを、整理復習する予定。

6時から、村の森林生産組合の理事会。急いで帰宅する。30分ほどの議事のあと、懇親会。お寿司やお刺身を少しいただいて、早退させていただき、オーリアッドへ。 家人と交代。

坂井くんがやってきて、新曲など演奏しているところへ、Doctor Y。お孫さんに会いに行ったときの写真を見せてもらう。先生とDNAで継れていることが一瞬でわかる。可愛い。いつもにこにこ。雅樹くんより2ヶ月早く生まれたとのこと。しばし二人の老人の孫談義。

11時前家に戻る。玄関先に取り付けた2つの温度計を見る。今まで使っていた温度計は−7℃、新しく取り付けた温度計は−6℃。若干の誤差はあるが、ほぼ同じと見做していいだろう。


Tuesday, January 14, 2014

朝9時、町営病院へ定期検診。検診の前に、心電図と動脈硬化の程度を調べるCAVI(Cardio Ankle Vascular Index 心臓・足首・血管・指数)検査を受けることに。その結果、心電図問題なし。動脈の硬さの程度は、右は60代前半、左は50代後半に相当することが判明。大いに喜び、先生に、ターメリックの効果だと思うと得意げに伝える。先生、おもむろに、2012年12月4日の検査結果を出してきて、一言「前回と同じです」。

どこか違うところがないかと、よく見ると、左右の上腕の血圧と左右の足首4箇所の血圧が、いずれも前回より低い。よかった。これぞ、ターメリックの効果?


昼過ぎのニュースで細川さんが東京知事選に出馬し、小泉さんが全面的に支援するというニュースが流れた。よかった。おそらく、今日は日本にとって、世界にとって、歴史的な日になるかもしれない。

夜、明日の授業の準備。

鎌田東二著『歌と宗教―歌うこと。そして祈ること』(ポプラ新書)が届いた。ぱらぱらと拾い読みする。面白そうだ。


Monday, January 13, 2014

今朝はゆっくり7時過ぎまで寝て、いつものように新聞を取りに外に出る。温度計を見ると−4℃。−10℃前後がしばらく続いたので、かなり暖かく感じる。しかし各地では今年一番の寒さだったとか。TVの予報によれば、20日までは寒波が続くようだ。その後、暖かくなってくれればいいが。

4時30分頃、高校サッカーの決勝戦を見終わって外に出たら、東の空に月が出ている。王城山のてっぺんが西日に照らされて赤く輝いている。カメラを取りに戻り、いざ撮ろうとしたら、もう日は沈んでいた。それでも何枚か撮る。黒い枝のシルエットと、暗くなりかけた青空と、昼間の白い月の対比が美しい。




サッカーは稀に見る好試合だった。延長戦の末、富山第一高校が勝った。前半終了5分前まで2-0 で負けていて、先ず1点入れ、アディショナルタイムにペナルティーキックで同点に追いつき、延長戦後半で1点追加して勝った。破れた石川の星稜高校も立派だった。雪の多い北陸の2校が決勝戦で戦ったというのがすごい。

夜、期末試験問題作成の準備。


Sunday, January 12, 2014

−8℃。比較的暖かい。次男の家族がNZからいよいよ来週の初めにやってくる。長男の結婚式に参列するため。合計3週間ほど滞在するというので、ここしばらく、てんやわんやで家中の片付けをしてきた。

今日は、2歳の雅樹くんのために、去年のうちに通販で購入しておいた食卓用の椅子を組み立てる。ちょっと変わったデザインだが、しっかりと身体が固定されるので安心である。来てから、足置きの板の高さなどを調整する必要がある。車のチャイルドシートも購入してある。近いうちに取り付けなければ。

昼過ぎ、オーリアッドへ。昨夜の後片付け。それに「即宗和尚」の録音。今度の火曜日に「朗読の会ひびき」が樋口公民館介護事業の集いで「即宗和尚行状記」の朗読を依頼されたとのことで、ぼくにも「即宗和尚」を歌ってほしいと言われたが、丁度松本へ行く日で無理。録音で間に合わせてもらうことに。

ナイアガラの滝が凍ったとのニュースがあった。72年ぶりの寒さとか。モンゴルでは−40℃を超えたとか。北半球全体が冷え込んでいる。次男の家族は真夏の南半球からやってくる。風邪を引かないように、怪我のないように、それだけが心配。彼らが来るまでには、この寒波が終わっていてくれることを願うのみ。



Saturday, January 11, 2014

ここ数日の大寒波のせいか、オープンマイク参加予定者から相次いで体調を崩しているのでキャンセルしたいとのメールや電話がきた。淋しい夜になるかもしれないと思っていたら、豈はからんや、いつもより平均年齢が低い、アップビートな夜に。

トップバッターは、デレク・ハースト。先週は体調が悪いとのことでこれなかったので、今年最初の」オープンマイク。先ず、グスタフ・ホルストの Jupitarをピアノで。続いて、Heart witout Boundary、そして冬休みの間に信濃町の友人のミュージシャンの協力を得て作ったという Moonrise のカラオケで歌う。とてもいい。

原田照夫さん。John Mayor の「Love Song for Nobody」のカバー、そして「ここからまた新しく始めよう、雨の中を帰ろう」とい歌詞のある歌。なかなかいいセンスをしている。それに笑顔がいい。山浦祐貴さん、オリジナルで「どうして」と「誰かへのありがとう」。後者は、彼の前に歌った原田さんに依頼されて書いた歌とか。

丸山俊治さん、結婚前に奥さんからプレゼントされたというブルーの手編みのポンチョをきて、こげ茶色の帽子をかぶり、とてもダンディ。3年前の元旦に書いたという「デノミの灰」、そして「新宿に降る雪」。最後に数日前が命日だったというお母さんのために書いた「満州の丘」。赤羽真理さん、最近同居しているというお母さんがピアノを弾いたという話のあと、賛美歌を1曲。そしてデレクのピアノのサポートで「千両梨の実」。

久々登場、松尾レミさん。まだタイトルがないとう「帽子をかぶって夜の中へ、真夜中だけ現れる・・」というような言葉のある曲。そして「ナイトランド」。レミさんは、とても元気そう。ヴォーカルは以前にもまして太く深く、存在感がある。前半最後、ぼくが「ヴィクター・マトム」と「即宗和尚」。ここで休憩。










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後半。先ず、レミさんのお父さんの松尾晃さんに一言お願いする。1978年3月、初めてボブ・ディランが来日して武道館へ聞きに行った話。ディランに詳しいつもりが、何を歌っているか分からなかったと話す。実もぼくもいくつかすぐには分からない歌があった。 Don't Think Twice をレゲエのリズムで歌ったり。デレク、前半にも歌った Moonrise をカラオケに加えてピアノも入れて歌う。つづいて古いアイルランドのフォークソング Bonny Portmore をアカペラで。

ここで、山浦さんと原田さんの二人の若者をオーリアッドに紹介してくださった三ツ井としみさんに一言お願いする。詳しくはわからなかったが、前半山浦さんが歌った「誰かへのありがとう」は、山浦さんが原田さんに頼まれて三ツ井さんのために書いた歌とか。それに彼女は即宗和尚が住職をしていた真金寺のすぐ近くに住んでいるとのこと。

山浦さん、「高くもなく低くもなく」と「朝の光」。山浦さんのあと、三ツ井さんの娘さん、裕貴さんにピアノのを弾いてもらうことに。お母さんが「娘はピアノを弾きます」と言われたので。「ポリアンナ」という曲。優しいタッチの見事な演奏。後で知ったことだが、何ヶ月か前、若者数人が別々に偶然オーリアッドに入ってきて、それぞれがピアノを弾いてくれた夜があった。そのうちの一人が三ツ井さんの息子だったとか。彼はそのとき沖縄へ行き、自然農法の農業をすると語っていた。

丸山さん、先週歌った古川くんの「昔々少女がいた」の作ったばかりの替え歌「昔々総理がいた」を歌う。痛烈な風刺。それに「少女」と「総理」の頭韻が素晴らしい。次に、先週歌った「一日一回」をさらに進化させ、最後の部分で一週間に一度はオーリアッドのオープンマイク、一ヶ月に一度は天竜づくだし倶楽部の歌声喫茶、一年に一度はホタル祭りライブに行こうと歌う。ダンディな服装のみならず旺盛な創作意欲に脱帽。

赤羽さん、「種の歌」。レミさん、現在 Amazon でも売っている Music Freak というアルバムにも入っている「夜風の街」、そして、おそらく新曲であろう「大人になったら」。これがなかなかいい。ロックである。ぼくの記憶が正しければ、レミさんがお父さんに連れられてオーリアッドへ初めてやってきたのは高校2年のときだった。もう大学4年生で、3月には卒業とのこと。卒業後もGlam Spanky で精力的に音楽活動を続けていくようである。最後にぼくが「祈りの歌」。レミさんのあとを受けて、マイクを調整しないで、そのまま立って歌う。昔はいつも立って歌っていたが、最近はすわって歌うことが多いので、ギターが弾きづらい。とくにBmは。

最後に残った人たちで記念撮影。

今日は原田一夫さんの75回目の誕生日。小さなケーキを用意して待っていたが、お見えにならなかった。ケーキは家にもどって、ぼくのお腹の中へ。いずれにしろ、Happy 75th birthday, Mr. Harada!


Friday, January 10, 2014

11時から、宮木の台湾料理のお店で、朗読の会「ひびき」の打ち合わせ及び新年会。打ち合わせは3月22日(土)の「第15回お話を聴くひととき」について。今年、「辰野の礎」第三弾として取り上げるのは、製紙業で財をなし、私財をなげうって伊北農商(現辰野高校)や上伊那図書館の創設に尽力した武井覚太郎と、伊北農商の第4代校長の北澤小八郎である。後者は札幌農学校の卒業とのこと。情熱的な理想主義者であることが予想される。歌を書くなら後者だろう。

打ち合わせのあと、会食。とにかく量が多い。しかも出てくる料理がすべて揚げ物とくる。食べきれない。和食が文化遺産? と思ったこたがあるが、確かに和食は十分に文化である。



今日も寒い。今朝も−11℃か12℃だった。「今朝湖畔の測候所のこの冬一番の寒さというのが、マイナス9.4度とのこと」で、ひょっとしてわが家の寒暖計は狂っているのではないかという主旨のメールが入った。今までそんなことは考えたこともなかったが、それもありえる。朝起きて気温が−9℃というのと−12℃というのは気分は随分違う。一度別の温度計も置い比べて見よう。

夜オーリアッド。寒い日でお客さんもこないだろうと思ってボリュームをいっぱいに上げて音楽を聞きながら Kindle で高神覚昇著『般若心経講義』を読んでいたら、3人の doctors。そのうちの一人が入ってくるなり、音楽を聞いて「サミュエル・バーバーだ」と言う。CDケースの記述をみたら、確かに、Adadigio for strings by Samuel Barberと書かれていた。驚いた。昨夜の勉強会の邪魔にならないように、棚にあった誰の作品かわからないクラシックのCDをかけたのだが、それを変えずに今夜も聞いていたのである。

今朝の朗読の会の新年会で「即宗和尚行状記」を10冊お預かりした。今夜3冊売れた。1冊100円。押し売り。しかし100円以上の価値はある。買ってくれた人の一人はぱらぱらとページをめくり「これは1000円の価値はある」。

いつもより遅くなって家に戻る。温度計を見ると、夜の11時半、すでに−10℃。寒い。



Thursday, January 9, 2014

昨夜家に帰ったときの降り方から、今朝は大雪に、少なくとも30cmは積もっているだろうと思っていた。実際には10cmほど。朝6時、旧道へ下り、雪かき。この時期の雪には珍しく、湿気を含んだ重い雪。

午後2コマのクラス。善知鳥峠も山麓線も雪は大丈夫だった。昨日も今日も、往復の車の中で、古いカセットテープを聞いている。先日部屋の整理をしたときに出てきた大量のテープ。昔のコンサートの音源や、歌を書いている最中に録音したものなど。おそらく京都にいたとき録音したと思われるテープにはぼくが歌っている後ろで子供たちが笑ったり話したりしているのが聞こえる。何を言っているのかわからないけれど。おそらく長男と次男の声だろう。

1曲、般若心経が入った歌があった。歌の部分は最後の部分がほんの少ししか残っていないが、「乞食をしようと思います」をラップ調に歌ったものであることがわかる。その後、般若心経が続く。これが面白い。お経シリーズに加えようか。

7時すぎオーリアッドへ。今夜はジブランの会の勉強会。みなさん、雪にも、寒さにもめげず、お元気そう。今夜は1名欠席で5名の方々。帰り際に一枚写真を撮らせていただく。


家に戻り、テレビをつけたら、細川元首相が脱原発を掲げて都知事選に出馬する可能性があるとのニュース。しかも、小泉さんと小沢さんが彼を支援するとか。昔の敵は今日の友、あるいは敵の敵は友とでもいおうか、もしこの3人が結集すれば、かなりの力を発揮しそう。


Wednesday, January 8, 2014

冬休み後、最初のクラス。3コマ。テストの返却。歌。教科書。中間試験をようやく返したと思ったら、あと数週間で期末試験。丁度ぼくの忙しい時期とぶつかる。早めに問題を作成しなければ。

3コマ目のクラスが終わって外に出ると、雨。傘が必要なほどではない。帽子をかぶり駐車場まで歩く。家に着いて7時すぎ、家人と交代するため、オーリアッドへ。雨は雪に変わっていた。しかし、大した雪ではない。

久しぶりに一局。穴熊を攻めあぐねて今年最初の敗北。原田さん、家に帰ろうとドアを開けた途端、「大雪だ!」。

今夜は早めに閉店。車に乗る前、店の周りの雪かき。ぼたん雪。かなり激しく降っている。

明朝は雪かきは必至。早く寝ることに。


Tuesday, January 7, 2014

今朝6時半のわが家の玄関先の温度計は−12℃。日本各地で今冬の最低気温を記録したようだ。日本も寒いが、アメリカはさらに寒い。CNNによれば、シカゴの空港は日中の気温が−24℃まで下がり、燃料が凍って補給ができず、飛行機が飛ばなかったとか。ミネソタでは−40℃を記録したところもあるようだ。

終日採点。明日、ようやく返却できる。


夜遅く、やしきたかじんが亡くなったとネットのニュースで知った。彼とはしばらく同じ事務所に所属していて、PEP(後の京都レコード)主催のいくつかの同じコンサートで歌ったことがある。歌もギターも上手かったが、もっとも印象に残っているのは彼の話術だった。当意即妙の歯に布着せぬ物言い。彼の周りにはいつも笑いがあった。

明日は冬休み後、最初のクラス。あまり寒くならなければいいが。


Monday, January 6, 2014

朝起きて、新聞を取りに外に出て温度計を見たら−10℃だった。7時を過ぎていたので、5時ごろはもっと寒かっただろう。テレビのニュースではこの冬一番の寒さだったとのこと。

一日中、テストの採点。明日一日ある。何とかなるだろう。正解が多ければ楽なのだが、何を書いてあるか考えなければならない答えが多いと、時間がかかる。頭も疲れる。

突然 Mail Delivery Subsystem という差出人から次のメールが連続して入るようになった。そのうちにメールがまったく入らなくなった。

----- The following addresses had permanent fatal errors -----
<miura@secondwind.jp>
(reason: Insufficient permission)

庄司さんに言われていたように Google で調べてみたら、メールボックスがいっぱいでメールが入らないということがわかった。それで、最重要なものを除いて、メールボックスの大掃除を敢行。よかった。メールが入ってきた。

長年、月に1回諏訪へ英語を教えにいっていたが、一昨年の暮か昨年の初めに終了した。みなさんが歳を取り、なかなか夜出てこれなくなったのである。10年以上続いたと思う。ぼくがそのクラスでしたことは Spoken American English のダイアログを暗記することと、たくさんの歌を歌ったこと。そのクラスにいた80近い、今はおそらく80を過ぎている女性から届いた年賀状、次のように書かれていた。

教えて頂いた歌が口をついて出てきたりして・・・感謝しています。

この方はものすごい頑張り屋。いつもはつらつとして、暗記も歌も一生懸命だった。

もう一枚、70近くの方からの年賀状には「お世話になりました。いろいろの思い出がなつかしいです」と書かれていた。「いろいろな思い出」とは、おそらく、ダイアログを暗記させられたり、英語の歌のリズムがとれなくて何度も歌わされたりした「苦しい思い出」に違いない。しかし、苦労したおかげで、今でも、いくつかの英語の表現が口をついて出てきたり、英語の歌を口ずさめたりできる。そのことがわかると、「苦しい思い出」は「なつかしい思い出」に変化するのかも。

昨年届いた年賀状のひとつに「古希を迎える来年から年賀状を欠礼させていただいます」と書かれいた。そのつもりで、彼には年賀状を出さずにいた。そしたら、昨日、彼から年賀状が届いてびっくり。早速返信の年賀状を送った。物忘れがひどくなっているのか。



Sunday, January 5, 2014

昼過ぎ、オーリアッドへ。昨夜のあとかたづけ。その後、昨夜オープンマイクの前に壁に掛けた佐藤勝彦さんの六地蔵の写真を撮る。初期オーリアッドの時代から、常にこの額がステージの壁の中心にあった。岡崎大愚さんからいただいたもの。大愚さんとは音信不通になってしまったが、どうしているだろうか。迫力のある禅僧だった。



中間試験の採点が年を越し、昨日、今日と必死でやっている。水曜日までにはなんとか間に合わせなければ。持ちなれないペンで採点しているため、手首が痛くなった。ひょっとしたら、暮れの大掃除の後遺症か。

眠くなった。今夜は早く寝て、続きは明日の朝ということに。


Saturday, January 4, 2014

2014年最初のオープンマイク。トップバッターは、山口恵三さん。 Don't Think Twice と Blowin' in the Wind を独自の日本語訳で。前者はオリジナルに忠実な訳ではないが、とてもいい。自作の歌が近々聞けるかも。坂井俊水さんのベースのサポート。金子昭二さん。87歳4ヶ月。理想郷としてのニライカナイについて語る。後半の布石として。

丸山俊治さん、オーリアッドへ来るようになって初めてオリジナルを歌ったのが2007年1月23日のオープンマイクだと語ったあと、その時歌った「山スキーの歌」を歌う。歌もギターも実に素晴らしい。そして原田和夫さんがお見えになったので、彼の体験をもとに書いた「白雪先生」。坂井さん、そして途中から山口さんがサポート。

原田和夫さん、今日の午後、温泉に行き、そこで話が合った初対面の人とその人の奥さんと3人でカラオケに行った話。家の人たちには無断で長時間いなくなったので家に帰ったら怒られると言いつつ。そう言えば白雪先生に会いに行った時も、家の人には何も言わず大型バイクで出かけて、家の人に心配をかけたようだ。74歳の「やんちゃ坊主」?87歳4ヶ月の「やんちゃ坊主」には負けるが。

坂井さん、「君が幸せであるように」「Winding Road」。ギターも歌もますます安定して、聞かせる。原田和恵さん、「新しい光迎えよう」と「G線上のアリア」。前者は控えめなピアノの伴奏がとてもよかった。vocalも実にいい。ここ何回か原田さんの歌唱力が際立っているように思えた。ゴスペルのレッスンに月一回長野へ通っている成果か、あるいは何か心の中に大きな変化があったのか。







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長島功さん、先ず中学3年生の息子のラグビーの試合を見に花園へ行った話をする。全部で3試合したらしい。彼が見た2試合は負けたが、見ずに帰ってきた3試合目は息子も活躍し勝ったとのこと。「子供を愛し酒を愛した」父親を歌った「ブリキの魔法」、そして「最後の手紙」。赤羽真理さん、「君は神様と話したことがあるかい」「千両梨の実」。定年退職し、心に余裕ができたのか、いつにもましてにこやか。

垣内彰さん、今年の抱負、予定を語る。今年は町会議員として、国際交流協会会長として忙しくなるようである。前半最後、ぼくが、紀野一義先生との出会いを語り、先生の著書『禅―現代に生きるもの』で知った種田山頭火に触発されて書いた「山頭火」を歌う。そして長男のために書いた「旅立つおまえに」も。これは彼が大学に入学するために東京へ出ていった日に書いた歌。

今おまえはおまえの足で
おまえの道を歩き始める
がんばれがんばれ、おまえの未来は
おまえの手の中にある

おまえがこの世に生まれてから
喜びも悲しみも分かちあってきた
小さな手の半ズボンの少年は
今はどこにいるのだろう

頬を打つ風は冷たいけど
春の陽ざし降りそそぐ朝
おまえは胸をはり
この町を出る

がんばれがんばれ、おまえの未来は
おまえの手の中にある







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後半トップは赤羽さん。すっかり自分の歌になった「種の歌」。そして「鹿のように」。長島さん「無縁坂」と「月の心」。原田和恵さん「友よ」「主が私の手を」。後者は前にも彼女が歌うのを聞いたことがある。実にいい歌である。ドラマ「八重の桜」の中でもBGMで流れたとか。

坂井さん、相聞歌「November #2」。ぼくが勝手に #2 としたのは、佐藤つぐみさんが歌う「November」と区別するため。そして、傑作「ぼくらの夢」。丸山さん、古川君の「昔々少女がいた」を客席の人たちを巻き込んで。そして2014年最初の新曲「一日一回」。今年は丸山さんに豊作をもたらす予感。

金子さん、運動靴に履き替えて、踊りながら、さだまさしの「理想郷(ニライカナイ)」をアカペラで熱唱。ぼくが「 Field of Dreams」。そして山口さんが「コンドルは飛んで行く」と「情熱の薔薇」。そして最後に山口さんが来られるときは恒例になった「日のあたる道」。オーリアッドバンドと一緒に。大いに盛り上がる。

みなさんのおかげでとてもいいオープンマイクになった。本年もよろしくお願いいたします。



Friday, January 3, 2014

昨年10月31日、伊那人権擁護委員協議会の研修会でトークライブをさせていただいた。そのとき知り合った方から、11月の初め、小麦の種をわけていただき、畑に播いた。今朝その方がご主人と一緒にやってきて、小麦の芽の上に籾殻をまくといいと、たくさんもってきてくださった。それに打ち立てのお蕎麦も。小麦の芽は現在雪に覆われている。様子を見て、雪が溶けたらまくことにする。

午後ホームセンターへ。明日、オーリアッドの今年最初の営業日。電池、おしぼりなどを購入。電池はオーリアッドの掛け時計用。

Kindle 版の「伝わる英語習得術」という本を読んでいたら、北山修さんがインタビューに応えて英語の勉強方法を語っているところがあった。

いちばん英語の習得につながったのは、学生時代に英語の曲を歌っていたことですね。英語の言い回しを記憶するのに大変役立ったように思うし、英語文化に対する感覚を養ってくれた。

ほかには詩を読むとか、役者のせりふを楽しむというのもいいですよ。ぼくは戯曲も好きなんです。

[おすすめの戯曲はありますか?]

戯曲じゃないけど、やっぱり、マーティン・ルーサー・キングのスピーチだろうな。あれはすごい。大好きだな。

驚いた、2つとも今学生と一緒にやっていることだ。早速、紙の本も注文した、絶版で中古本しかなかったが。価格は1円、送料250円。


Thursday, January 2, 2014

毎年正月2日は朝食はとろろ汁、テレビは箱根駅伝と決まっている。いつもは途中から見る箱根駅伝だが、今日は最初から。2区までみて、2階に上がり、お昼に降りてきて、最後の5区を見る。順天堂大学の今井や東洋大学の柏原のような山登りのスーパースターはいなかったが、見ごたえのあるレース。往路1位は東洋大学、2位は駒沢大学。東洋大学の設楽兄弟の走りは見事だった。3区と5区で、ともに区間賞。

長男が今夜、東京へ帰る前、「お父さん、ホームページビルダーを見ようか」と言う。ここしばらくホームページはオーリアッドのノット型を使ってアップしていた。毎日持ち運ぶのが面倒だった。電車の時間まであまり時間がないので、無理だとは思ったが、何が問題か説明し、席を立って5分後にもどってきたら「直ったよ」と言う。まさにあっと言う間。驚いた。ありがたい。転送先のアドレスが不備だったとのこと。別のところへ転送してしまっていたようだ。

早速、 OREAD HOMEPAGE のトップページを更新。4日((土)のオープンマイク出演予定者をアップする。

「農民芸術概論綱要」は宮沢賢治が書いたものの中でも特に好きだ。ぼくがオーリアッドのオープンマイクを考えるとき、その根底に「農民芸術概論綱要」がある。その重要なところを抜粋してみよう。

芸術のための芸術は少年期に現はれ青年期後に潜在する
人生のための芸術は青年期にあり 成年以後に潜在する
芸術としての人生は老年期中に完成する
その遷移にはその深さと個性が関係する
リアリズムとロマンティシズムは個性に関して併存する
形式主義は正態により標題主義は続感度による
四次感覚は静芸術に流動を容る
神秘主義は絶えず新たに起るであらう
表現法のいかなる主張も個性の限り可能である
               *
職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる
               *
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
『つめくさ灯ともす宵のひろば たがひのラルゴをうたひかはし
雲をもどよもし夜風にわすれて とりいれまぢかに歳よ熟れぬ』
詞は詩であり 動作は舞踊 音は天楽 四方はかがやく風景画
われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある
巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう


全文はhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html


Wednesday, January 1, 2014

新しい年。お雑煮をいただいたあと、恒例の村の神社参拝。そのあと、村のお寺へ。真言宗香住寺。新年のご挨拶。ご本尊にお参りし、ご住職に年賀のお布施をお渡しし、副住職のご家族からお茶の接待を受ける。村を一望できる大銀杏の木の下で、新春の村の写真を一枚。






家に戻るとたくさんの年賀状。

以前代々木ゼミナールの名物講師として名を馳せた『例の方法』の著者の友人から:

*受験術 教える生徒 孫の歳


30年以上も前、駿台予備校京都校のぼくのクラスにいた2人から:

*私は今月で50歳になります。

*今年はついに50歳になります。

ぼくが歳を取るのもむべなるかな。


法事の写真を見て奥さんが読んだ短歌を載せた友人:

*法事終へ珈琲の香に憩ひつつ集合写真の老いを見較ぶ


オーリアッドの活動に言及した2人:

*Net でオーリアッドのホームページいつも拝見しています。種々のイベント大変ですね。

*おもしろい企画がいろいろですね。出席できればと念願していますが・・・。

大変と思う人あり、おもしろいと思う人あり。多分ぼくはその両方・・。


マンダラ2のライブによくきてくださる90過ぎのおばあさん:


*毎年のライブ楽しみにしています。今年も行けますように・・・。


「猫のしっぽカエルの手」の大原に住む友人から:

*Each day let us trust our instinct...We all have a sun inside our heart which is waiting to shine.


先日追悼オープンマイクをした人の奥さんから:

*1周忌追悼ライブありがとうございました。本人も天国で喜んでいることと思います。


「山口さんちのツトム君」で一世を風靡した友人から、山スキーの写真に添えて:

*優しくなって帰る


クリスチャンの大学時代の友人:

*主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。(ペトロの手紙2、3章8節)


「あいだみつを美術館」の館長さんから

*しあわせは
  いつも
  自分のこころが
  きめる


先日『メッセージ』を買ってくださった方から:

*「フィールド・オブ・ドリームズ」の後半、父に向かって「キャチボールしようよ」と言うところ、涙があふれて止まりません。


AFS 10期生50周年記念の同窓会で会った『ハリウッドを旅するブルース』の著者から:

*昨年は50年ぶりにお会いできましたね。2月のキング牧師の日チャリティーコンサートには伺いたいと思っています。


全部は紹介できそうもない。今夜はこの辺で。

2014年がよい年でありますように。