OREAD Diary  June 1--30, 2012

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June 30, Saturday 2012

いよいよ今日で2012年の半分が終わる。

午後3時から、YFU (Youth for Understanding) という高校生の留学を推進する団体の長野県南信支部の歓送迎会が行われた。1年間の留学から帰ってきた高校生と、これから出かけていく高校生10名、そして8名の父母の方々が集まった。中に一人、アメリカから飯田に留学しているアメリカ人の高校生がいた。

帰国したばかりの高校生たちはみなたくましく成長したようで、挨拶も堂々たるもの。これから出発する高校生も、これからの一年間に思いを馳せ、力強く抱負を語る。

彼らの話を聞きながら、高校3年のときに一年間過ごしたサンタローザでの生活を思った。楽しいことばかりでなく、辛いことのほうが多かった。しかし振り返ってみたとき、楽しかったことより、辛かったことのほうが懐かしい。彼らもまた辛い体験のいくつかを語ったが、おそらくその体験が長い目で見たらもっとも貴重な体験となるだろう。

余興では全員で歌い、アメリカ人の留学生がフィドルで、Orange Blossom Special を見事に弾いた。請われてぼくも数曲歌わせてもらった。




                         

上記の会が6時まであり、引き続きオープンマイク。今日はほたる祭りの歩行者天国や総踊りもあり、外は人で賑わっていた。オーリアッドもいつもよりもお客さんも多かった。歌い手も、予定より増えて、大盛況。

先ず opening act として、ぼくが「千の風」と「死は終わりではない」を歌い、山梨からやってきた二人にお願いする。小林孝一さん、1曲目はタイトルを聞きそびれ、2曲目は 「Day Dream Believer」 を日本語で。小林さんは、オーリアッド2度目。次に彼の友達の岩間光一さん、「一人ぼっちの旅人」と「扉よ開け」。

坂井俊水さん、新曲と思われる「ワインディング・ロード」を含む2曲。坂井さんの写真を撮るのを忘れた。写真を忘れるのは曲に引き込まれているとき and/or お客さんの注文がおおいとき。坂井君、悪しからず。丸山俊治さん、「小さな王様」と「白雪先生」。オーリアッドに来る前に、お孫さん(小さな王様)と三角広場でキャッチボールをしてきたとか。

大月高志さん、「Merry Christmas, Mr. Lawrence」 と「カノン」。藤森和弘さん、師匠の「いのち」を含む2曲。春日淳也さん、「ダメジャン・ブルーズ」を含む2曲。うむ、2曲で25分。ちょっと長すぎ。赤羽真理さん、「誰もみな」と「千両梨の実」。後者は大月さんのピアノのサポート。

前半最後は田中創さん、5月の歌「伊那谷にブルーズが流れる」で始まる歌、そして6月の歌、カントリータッチの歌。タイトルは聞きそびれた。半年間彼は新年の決意を守った。あと半年。12曲そろったら、オーリアッドで「田中創を聴く会」をやろうか。ここで休憩。








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後半は1曲づつ。原田和恵さん、「君は愛されるために生まれた」。唐沢千夏さん、ようやくタイトルがつけられた曲、「広島にて」。飯島夕帆さん、べートーベンのピアノソナタ「月光」。

小林さん、「ぼくの人生が70年で終わるとして」。岩間さん、「テレビのキャスターが偉そうに・・」というようなフレーズが入っていたような。丸山さん、親友卓朗さんとの思い出を歌った歌。新曲。丸山さんにとって卓朗さんがいかに大切な存在だったか分かる。藤森さん、愛音ちゃんと「カントリーロード」。愛音ちゃん、久々に見ると大きくなった。客席からも、コーラスの部分を口ずさむ声が。春日さん、「サンライズ」。スプリングスティーンの「Land of Hope and Dreams」から借用している部分も。スプリングスティーン自身、 This Train から借用しているのだが。田中さん、1月の歌「ブーツマン」。6ヶ月たってますます磨きがかかって、見事な歌になった。

最後にみんなで恒例の「Sweet Home Chicago」。丸山さん、ピアノでブルーズを弾くのは初めて。初めてとは思えない見事な演奏。赤羽さんが叩いたカホンは、石巻で作られたものとか。坂井さんが今夜もってきて、しばらくオーリアッドに置いておくので、どなたでも自由に使ってかまわないとのこと。石巻製のカホンを手に入れた経緯については聞きそびれた。

オープンマイク終了後、田中君と少し話す。今彼は新らしい一歩を踏み出したよう。ジョブズは言う―

将来を見て、点と点を結ぶことはできません。できるのは、振り返ったときだけです。あなたにできることは、点と点はいつか必ず結びつくと信じることです。何かを―自らの勇気、運命、人生、カルマ、何であれ―信じなければなりません。なぜなら、やがて点と点は結びつくと信じることで、それが世間一般のやり方から外れていても、あなたは自分の心の本当の願いに従う自信をもつことができるのです。このやり方は一度も私を失望させたことはありません。それは私の人生を変え、大きな成果をもたらしてくれました。


June 29, Friday 2012

昨日信大のキャンパスでオオムラサキが羽化しているのを見て思い出した。6月の初めに蕗の葉の裏についていたサナギを、箱に入れておいたことを。しばらく ぼくの仕事部屋に置いておいたが、いつ羽化するか分からないし、留守することもあったので、2階のベランダに出しておいた。

昨日家に戻り、ベランダに出て見たら、見事にモヌケの殻。羽化した蝶を見ることはできなかったが、無事羽化し、飛び立っていってよかった。今朝その写真を撮った。金色に輝くいくつかの点はもうなくなっていた。

野菜を取りに出たついでに、花の写真も撮る。左は西側のハーブ畑。中と右は、東側の花壇のホタルブクロ。野菜はまだたくさんとれない。今とれるのはピーマン、韓国トウガラシ、それにズキニ。キュウリはまだ1、2本。




オーリアッド。何人かのお客さん。先日のほたる祭りライブに事情により来られなくなった垣内さんに音源を聞いてもらう。後半お客さんがきて、途中まで。

遅くに家人がやってきた。二人で松尾峡へ。残念ながらピークは過ぎていた。入り口の小屋の壁に、発生数が少なくなったので入場料は徴収しないという主旨の張り紙があった。そして一日ごとのホタルの発生数が書かれていた(写真下右)。

それによると、一番多かった日は20日(水)で11,168匹。23日のライブの日は7981匹。2日前は2725匹で、昨夜は2500 匹。今夜の数字はなかったが、さらに少なくなっているはず。数匹飛んでいるところを写真に撮った。光がひとつ写っていた。物足りないので、お月さんの写真も撮った。

23日の夜、国太郎君が見に行ったときは、たくさんいてよかった。


http://www.secondwind.jp/dailyfireflunumber.htm
*上のURLをクリックすると表が拡大されます。

明日は午後3時半から貸切りで某留学生派遣組織の集会。そのあと引き続き、オープンマイク。明日はいわゆる総踊りの日。今年からその呼称がかわったと先日の「たつの新聞」に出ていた。ぼくの区は参加しないので気が楽。


June 28, Thursday 2012

今日は、午後2コマのクラス。ぼくがいつも使う駐車場は運動場の横にある。そこから部室棟の脇を通って、中庭を抜けて、共通教育の建物 の裏口から事務局に入る。1ヶ月ほど前、中庭の木の枝にブルーの網の籠が吊るされているのに気がついた。その下にぶら下がっている札には、「オオムラサキ のさなぎ 運がいいと 羽化がみられます」と三行にわけて書かれていた。中には枯れ葉についた「さなぎ」がいくつかぶら下がっていた。

中庭を通るたびに覗いてみたが、昨日までは「さなぎ」のままだった。ところが今朝は網の中に蝶々が一匹天井にぶら下がっていた。他は「さなぎ」のままのもあるが、変色し膨らんでいるのもある。羽化しつつあるようだ。



4時過ぎ、2コマ目のクラスが終わり、講師控え室へ。ジョナサンと話す。彼は頭脳明晰、話す英語に無駄がない。控えめでいて、フレンドリー。彼は来週の日曜日から3週間イギリスへ戻るとのこと。ランカスター大学で、博士論文の準備をするため。

7時半過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。坂井君がやってくる。あのねのねのライブの音源を少し聞いてもらう。そのあと彼は、いつものようにステージでしばらく歌う。新曲ができたようだ。

坂井君が帰ったあと、先週土曜日聞きにきてくれた長島君がやってきた。彼にもしばらく音源を聞いてもらう。落語の好きな彼がいう、「落語でいうところのツ カミが実にうまいですね」。確かに歌いはじめるまでになんやかや話しながら、10分ほどの時間をかけている。二人のギターの音がずれていてチューニングを しなおしたのも、今から思えば意図的だったのかも。あの聴衆の心をつかんで放さない話術は、練習で身につけることのできるものではなさそうだ。ラジオやテ レビで「赤とんぼの唄」を1曲聞いただけでは彼らの「凄さ」は分からない。

家に戻ったら、ライブの感想が届いていた。昔からの熱狂的なファンたちから。

*今回は「あのねのね」の歌を身近に聴けてものすごく嬉しかった。あの頃と変わらないオーラがあり、二人と も還暦を迎えたとは思えない若さです。伸朗さんに会えて感激でした。8月の信州フォークフェスタも行きたいです。暑い中皆さん体調を崩しませんように。 オーリアッド、最高でした!!

*初めて「生あのねのね」にお会いしたのは。かれこれ36〜37年前になります。「あのねのね」との出会いは、私の青春の全てでした。お二人の息もぴった りで、会場は、拍手大喝采、大爆笑でした。清水さんのMCは天才的ですね。面白い、面白い!おかしくって、もうお腹を抱えて、あんなに笑ったのは、本当に 久し振りです。楽しくって、嬉しくって、もしも夢ならば、このまま覚めないでほしいと心から思いました。


June 27, Wednesday 2012


昼を挟んでの2コマのクラス。両者ともに We Shall Overcome の1番の歌詞を解説したあと『We Shall Overcome〜世界を変えた歌』を見る。1989年1月にNHKで放映された40分ほどの番組。このビデオの半分を今日見て、残りの半分を来週見る予 定だったが、見始めたら途中でストップするのが忍びなく、最後まで見てしまう。この歌についての解説はこれ以上のものはない。今週のメールの subject はこのビデオの感想。

帰路、今日もTSURUYAに寄り、avocado を買う。10個。最近、朝食には必ずアボカドを半分食べることにしている。ビタミンEが豊富で、血圧を下げる効果もあるようだ。

6時、オーリアッド。今朝のローカル新聞に清水君と原田君と、コンサートの前に受けたインタビュー記事が載っていた。これは Act9の上條さんが、8月19日の朝日村でのフォークフェスティバルのパブリシティーの一環として設定してくれたもの。その記事を読んだ小学時代の同級生F君が、友人と訪ねてくれた。彼に会うのは久しぶり。小学校時代はよく彼と廊下で相撲をとったもの。

オーリアッドにもそのコンサートの前売り券を置いています。ご希望の方はどうぞ。


June 26, Tuesday 2012

週末が忙しく、学生のメールへの返事が書けなかったので、今日はほぼ一日それに没頭。何とか明日のクラスの分は終了。少々の間違いはあっても、内容のある文がいい。

7月15日(日)の岡谷東高校の文化祭でのコンサートに引き続いて、10月12日(金)の箕輪進修高校文化祭での講演依頼が届いた。今年はロータリークラブ Intercity Meeting を含め、講演/トークライブの依頼が増えている。ありがたいことである。

オンラインで次のような記事を目にした。社会保障・税一体改革関連法案が衆議院を通過した日だったので印象深かった。

・・・今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。

その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で
、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。

・・・さて、欧米が良いのか、日本が良いのかは、わかりません。しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない、そして、胃ろうを外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると、人間の尊厳について考えざるを得ません。
http://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50371973.html

石崎さんから、先日のほたる祭りライブの音源が届いた。安曇野三部作を前半30分に詰め込んだのは、やはり無理があったかもしれない。あのねのねのプリゼンテーションを聞きなおし、大いに学ぶところがあった。日々学習。日々勉強。


June 25, Monday 2012

朝食後、イチゴ畑の周りの網をはずし、杭を抜く。イチゴのシーズンが終わり、次はトウモロコシの周りに網をかけなければならない。カボチャにも。そのあ と、3つの畑の草をビーバーで刈る。おっと、ビーバーというのは、せまい地域でしか通用しない商品名だと、土曜日に白馬童子さんから注意されたばかり。正 式には、刈払機というらしい。英語では brush cutter。

3つの畑の周りの草と、裏の隣との境の草を刈払機で刈ったら、汗びっしょり。今日は真夏の暑さ。お昼を食べる前にお風呂に入り汗を流す。

午後、オーリアッドへ。水道工事の業者がトイレの排水の件で見にきてくれた。今年の冬が寒かったので、普段使っていない水周りが傷んだようだ。部品があれば、すぐに修理してもらえるとのこと。

新たにいくつか、土曜日のコンサートの感想が届いた。

*あのねのねには笑わせてもらいました。彼らの人となりが笑いに絶妙のリアルさを与えていて、笑わせる側と 笑う側の間の微妙な一体感を感じました。彼らの「パーティは終ったよ」は素晴らしかった。ハーモニーの美しさは言うに及ばず、個人の成長の各段階における 「祭り」の終焉だけでなく、日本社会が体験した戦後の高度経済成長やバブル経済といった「祭り」の終焉まで、感じさせられました。

*大好きな「あのねのね」のお二人に、オーリアッドでお会い出来て夢のようでした。ライブも楽しかったし、打ち上げも楽しかった。あんなに笑ったのは本当 に久し振りです。ほたる祭りも賑やかで、あんなにたくさんのほたるを見たのは生まれて初めてです。その幻想的な美しさに感動しました。

*とっても素敵な愉しいコンサートでした。長崎に住む友達の人生初コンサートがあのねのねで、伸郎さんが好きだったと聞いて、当日のチラシに伸郎さんのサインをもらって、写真と一緒に彼女に送りました。


June 24, Sunday 2012

9時過ぎ、朝食。国太郎君は虫探し。小さな虫を見つけては喚声を上げ、虫かごに入れている。家人も協力。



10時過ぎ、原田君一行は戸隠へ。11時過ぎ、野間さんは東京へ。清水君親子は河口湖へ。

12時、後片付けのためオーリアッドへ。田中(誠一)夫妻も手伝ってくれることに。おかげで早く片付いた。長男を駅まで送ったあと、宮木の国道153号線沿いに出来たばかりの台湾料理店へ。昼食。量が多いし、美味しい。値段も手ごろ。

そこで田中夫妻とわかれ、家に戻る。

ここ数日、ライブのことでてんやわんや。さすがに、一人去り、二人去り、家人と二人だけになると、どっと疲れが出た。でも多くの方々が楽しんでくれたと知ることで、疲れも半減する。

ぼく自身、あのねのねのステージを楽しみ、そこからから学ぶこともいくつかあった。そのひとつはステージの作り方というか、コンサートの構成の仕方。

印象に残ったことばは、清水君が「<パーティーは終わったよ>と<流転の歌>の両方を1時間のパフォーマンスの中ではできない、重くなり過ぎる」と語った こと。彼らの1時間余のコンサートは、いい加減であるように見えて、緻密に計算されていた。短いのギャグの歌の連続で笑いをとり、徐々に聴衆を彼らの世界 に引き込み、そして自らの「向こう見ずな」体験から学んだメッセージをさりげなく歌う。押し付けがましさがない。

重い歌ばかりのぼくにはとうてい真似はできないし、彼らのような軽妙洒脱なトークはできない。しかし、聞いてくださる方々が退屈しないように、そしてできるだけぼくのメッセージが伝わるように、工夫することはできる、と今思っている。


June 23, Saturday 2012

第16回三浦久ほたる祭りライブ、多くのみなさんの協力を得て盛況のうちに終了しました。ありがとうございました。

7時ちょうど、開演。先ずぼくが「碌山」「六朗」「松毬」「中谷功」を歌う。「松毬」以外は安曇野が舞台。「安曇野三部作」とぼくが呼ぶ3 曲。今回「六朗」のメロディを書きかえたことにより、この歌が歌いやすくなった。この歌がよかったという人が何人かいた。実は新しいメロディが浮かんだの は今朝目覚めたとき。

そのあと1時間あまり「あのねのね」の独壇場。最初から爆笑に次ぐ爆笑。そして最後には、しんみり。震災で親をなくした子供の気持ちを歌った「ひとりにしないで」など。

休憩を挟んで、みなさんと一緒に歌うコーナー。We Shall Overcome, Blowin' in the Wind, 「さよなら(ポカレカレアナ)」、そしてGoodnight Irene。みなさん大きな声で歌ってくださった。

そしてぼくが「果樹園の道」「電線の上の一羽の鳥のように」を歌い、最後に「パーティーは終わったよ」を「あのねのね」と一緒に歌う。アンコールの掛け声に、あのねのねが、「魚屋のおっさんの唄」、そして「もうゲームはしないよ」。

拍手は鳴り止まなかったが、すでに10時近くになっていて、終了することに。ホタルを見に行きたい人たちもいたので。

聞きにきてくださった多くの方々に感謝。遠くは大阪、横浜、東京、群馬などからきてくれた人もいた。







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打ち上げにも多くの方々が参加してくれた。今回は歌は出なかったが、盛り上がった。みなさん、清水君も原田君も、途中、ホタルを見に松尾峡へ。国太郎君が「たくさんいた」とうれしそうに帰ってきた。

丸山さん、原田さんをはじめ多く方々がお手伝いしてくださった。みんさんのおかげで本当に楽しい一夜になった。ありがとうございました。

多くの感想が寄せられている。

*青春時代をボーッと生きてきて、「あのねのね」の歌は「赤とんぼ」位しか知りませんでしたが、本当に息のあった、話術の上手なコンビなんですね。とても楽しかったです。

*今回はオーリアッドがあのねのねの勢いに飲み込まれるようでした。清水さんと原田さんのハーモニーが絶妙でしたね、歌声も演奏も語りも。そしてお二人の人間性を身近に感じることができて良かったです。

あのねのねのライブは9年ぶりでした。清水さんと話ができて,とてもうれしかったです。やはり,あこがれの人でした。いつか河口湖自然楽校にも行ってみたいと思います。

*姉に昨夜の話をしたところ…私も行けば良かったとうらやましそうでした。

*とても楽しかったです。若かりし日に戻れたような・・・素晴らしいひとときでした。「あのねのね」の二人はトークのおもしろさは勿論ですが、相変わらずいい声でした。


*絶妙な間合いの話術を間近で聞けて‥温かなハートを感じることができたコンサートでした!!

*Thank you for the concert. I always enjoy the warm, congenial atmosphere of Oread shared by all who come, and how sweet Anonenone are!


June 22, Friday 2012

第16回ほたる祭りライブ、いよいよ明日。幸運なことに、明日の天気は晴れ。ホタルもたくさん出ているようで、よかった。台風や大雨だったら大変だった。

今日一日、その準備。ギターの弦を換え、練習。それに当日用のチラシを書く。

原田伸郎事務所から、(おそらく)衣装などが入ったスーツケースが届く。清水君からも電話。いくつか打ち合わせ。

遅くに、明日の手伝いのため、長男が東京からやってきた。

いいコンサートになりそうだ。


June 21, Thursday 2012

午後7時10分から箕輪進修高校でのトークライブ。松本から帰って、すぐ箕輪へ向かったの で、少々あわただしく、心の準備が十分でないままスタート。最近は、ぼくと同年代か、その上の方々の前で歌わせていただくことが多かったので、最初は、同 じ感覚で始めてしまい、反応が悪かった。高校生にとっては65歳も85歳もみんな同じ爺さんだ。

3曲目に、予定になかった「それぞれの道」を歌い、若干軌道修正。その後は、いつもの「雨ニモマケズ」「碌山」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」「祈りの歌」。そしてスティーブ・ジョブズの話。

点と点を結びつけることができるのは、振り返ったときだけだとジョブズは言う。彼はリード大学を中退したあと、しばらく大学の近くにぶらぶらしていて、好 きなクラスを聴講した。そのひとつが装飾文字(カリグラフィ)のクラスだった。将来役に立つかどうかではなく、単にそれが美しいという理由で彼はそのクラ スを聴講する。10年後、彼が最初のマッキントッシュの設計を始めたとき、そのクラスで学んだことがすべて蘇ってきた。マッキントッシュのフォントが美し いのはそのためだと彼は言う。

私が大学を中退して、あのクラスを聴講していなければ、美しいフォントや、字間調整フォント が、マックに導入されることはなかったでしょう。そして、ウィンドウズはマックを真似しただけですから、いかなるコンピュータも、それらをもつことはな かったのです。大学生のときに、将来を見て、点と点が結びつくと分かっていたわけではありません。10年後に振り返ってみたら、結びついていたのです。

ぼくの歌の中のひとつの言葉でもいい、高校生たちの心に小さな「点」として残り、それが将来、何かの「点」と結びついてくれたら、いいのだが。

トークライブが終わったあと、生徒代表の「お礼のことば」があった。彼の態度といい言葉といい、とても爽やかで、感銘を受けた。彼もギターを弾き、歌うという。是非一度オーリアッドへ歌いにきてもらいたいもの。

今夜は、かつて長野市で「風に吹かれて」という屋台のラーメン屋をやっていて、現在はこの高校の先生をしている鈴木君も家族で聞きにきてくれた。元気そうでよかった。鈴木君については、http://mainichi.jp/feature/news/20120410org00m070005000c.html

写真は守屋先生が送ってくれたもの。感謝。



June 20, Wednesday 2012


昼を挟んで2クラス。どちらのクラスでも『世界の名曲 風に吹かれて』を見る。ピーター・ヤローが PPM のこの歌のハーモニーを解説するところはいつ見ても興味深い。

お昼はここ何週間か学生と一緒に40番教室で食べていたが、今日は講師控室で。左右にすわっていたジョナサンとリチャードが、サクランボを食べていた。 ジョナサンにひとつもらって食べたら美味しかった。今年最初のサクランボ。そしたらリチャードが袋を出して、たくさん取れと言う。ひとつもらうと、おまえ の手のばい菌 (germs) がついたのを全部取れと言う。リチャード流のやさしさ。3個もらうことに。

帰路、 TSURUYA へ寄り、アボカドやチーズなどの食材を購入。

午後6時、オーリアッド。家からヘッジトリマーをもっていき、先ずお店の前の植え込みをトリムし、周りの雑草を刈る。今夜は珍しいお客さんが何人か。洋楽 に詳しい人がいて、しばし音楽談義。詳しいけれど、レナード・コーエンもジョニー・キャッシュも知らないというので、ぼくが興味のある洋楽とは若干オー バーラップするが、基本的には違っている。

坂井君が新曲を猛烈な勢いで書きはじめたようで、今夜も何曲か聞かせてもらう。原田さんも来てくださったが、残念ながら今夜は将棋をする時間がなかった。

明日は、午後松本で2コマのクラスのあと、夜、箕輪町の高校でトークライブ。11時過ぎ家に戻り、その構成等を考え、アウトラインを作る。


June 19, Tuesday 2012

今朝、小雨の中、昨日の日記に書いたジャガイモ畑と芝刈りをした庭と、さわらと朴の木の新芽 の写真を撮った。さわらの木を切ったことを若干後悔をしていたので、新芽が出てくれて嬉しかった。この木は、ひがしの君の「何にも知らずに」の中に登場す る「大きな木」である。「大きな木にもたれて空を見る/空の深さをぼくは知らない」。




朝から、未発表の歌、それにあまり歌っていない歌3曲の修正を試みる。なんとか1曲は完成。2曲目は、結局修正しないことに。難しいのは3曲目。23日までには間に合わないかもしれない。

午後早く、大町在住のディラン狂、野溝の武蔵さんが訪ねてきた。しばらく『ボブ・ディラン読本』などについて歓談。彼が帰ったあと、台風が近づいているとのことで、庭のテーブルや風で飛ばされそうなものをガレージに入れる。

夜、明日の授業の準備。採点も。台風は10時過ぎには、諏訪の近くを通り過ぎたようだ。今は風もなく、雨もそんなに降っていない。今夜は早目に寝ることに。



June 18, Monday 2012

朝食後、ジャガイモ畑の回りに杭を打ち、金網のフェンスで囲う。そして、上に網をかける。思いの他時間がかかってしまった。汗びっしょり。

午後、しばらく昼寝をしてから、芝刈り。芝を刈ると庭が広く見えるから不思議だ。

夜は、諏訪の文化会館の近くの公民館へ。 LSEC のクラス。宿題は Think Different の暗記。よく暗記してきた方もいた。そのあと、ディクテーション。「暗記していたから書けたけれど、そうじゃなきゃ、まったく聞き取れない」という方もいた。自分の思い込みを忘れて、謙虚にCDの音に耳を傾ける必要がある。何度も何度も、 Over and over!

家に戻り、TV をつけたら、スウェーデンでの、なでしこジャパンとアメリカのサッカーの試合をしていた。後半30分過ぎ。3対1で負けている。最終的にはロスタイムに1 点を入れられて、4対1。どうも日本人の選手の動きが悪い、顔にもみなぎる闘志が見られないと思っていたら、金曜日にスウェーデン入りしたとのこと。おそ らく多くの選手が時差ぼけで体調を崩していたと思われる。

Facebook にタイの友人シャンティラが一枚の写真をシェアしていた。突き出た岩の上で瞑想する僧の写真。

         

「I have acrophobia and will never be able to do this but what a photo! (高所恐怖症なので、ぼくにはできないけれど、すごい写真ですね)」と書き込んだら、シャンティラが次のようにコメントしてきた。

Several Masters of old (I was lucky to have met some of them) used to tell us stories about their years of intense practices in the deep forests. Sitting in meditation all day and night on the tip of a cliff was one of the methods to keep them alert at all time, or else they would have fallen down for sure!

昔の仏教の師匠たちは(幸運にもその何人かに直接お会いしたことがありますが)深い森の中での何年にもわたる厳しい修行について私たちに話してくれたもの でした。夜も昼も崖の先端にすわって瞑想するのは、眠らないための方法のひとつでした。眠れば確実に転げ落ちてしまいますから!

不退転の決意、心構え、というのはこういうのを言うのだろう。何かを成就するためには、ぼくのようにだらだらしていたのではいけない。怠けたい気持ちになったら、この写真を思い出すべし。


June 17, Sunday 2012

暑い一日。いよいよ夏がきたような。

午後隣町へ買い物に。猿対策用の金網30メートルと杭を20本。先日ジャガイモが何本か掘られていた。イチゴをとりにきた猿が、網で囲われていてとれないので、腹いせにその横のジャガイモを数本引き抜いたかのよう。

家に戻り、早速金網で囲おうと思ったが、疲れている。明日することに。

夜は、ホタル祭りライブに向けて歌の練習。それに新曲の手直し。手直しが思うように進まない。


June 16, Saturday 2012

今夜は開店と同時に何人かのお客さん。雨は降っているが、ホタルの発生と関係があるのかも。

先ずぼくが「Bird on the Wire」を英語と日本語で。そして「電線の上の一羽の鳥のように」。丸山俊治さん、今夜は先ずデノミ・シリーズから。「デノミの灰」「デノミの雪」。丸 山さんの曲づくりは臨機応変、縦横無尽。増沢ヤスタカさん、ギターインストラメンタル。Megadeath の She Wolf。赤羽真理さん、「千両梨の実」、そしてリクエストに応えて「闇の中に独り」。

からさわちなつさん、8月6日に広島の平和公園で歌いたい歌。タイトルがまだない。そして「秋のうろこ雲に乗って」。

親子二人組のSweat Cold。クラプトンのカバーで「Cross Roads」。そしてオリジナルで「ぼくたちだけ」。リードギター、Shinya 君。4月にきたときよりも、さらに上手になったよう。彼が中学3年生と知り、みなさんびっくり。

藤森玉枝さん、パーカッションでサンバのリズムを刻むようにみなさんにお願いして「マシュケナダ」。盛り上がる。続いて、松本からやってきた木村Yasuhikoさんのショート・スピーチ。信州大学2年生。将来、農業をやりながらオーリアッドのようなお店をやってみたいとのこと。(「それはやめたほうがい」との店主からのアドバイス。)

久々登場の山口昇さん。ロータリークラブの会長が終わったら、音楽協会の会長をすることになっていると話す。23日のチケットを買いにきてくれたのに、売り切れで申し訳ない。ここで休憩。







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後半トップはぼくが「中谷勲」と昔の歌「松毬」。「松毬」はぼくの最初のアルバム『私は風の声を聞いた』に入っていて、シングル盤になった曲。続いて、Sweat Cold。Civil War。Guns & Rosesの曲。今 Shinya 君はこのバンドのギタリストのスラッシュがお気に入りとか。

丸山さん、「マザーロードの旅」と、新曲「椅子とりゲーム」。人生は椅子とりゲームのよう。人はみな、戦争、病気、事故など、さまざまな出来事によって、すわるべき椅子を失う危険にさらされている。そして最後には誰も、例外なく、椅子を見つけることができなくなる。

増沢さん、ギター・インストラメンタル。曲名を聞きそびれた。木村さん、「名もなき歌」。最後にからさわさん、自由な生き方をする3兄弟(姉妹)に触発されて書いた「It's Ready to Go」と「生きるのです」。

今夜は思いがけない人の飛び入りもあったりで、面白い一夜になった。感謝。今年の梅雨は梅雨らしい。11時過ぎ外に出ると、まだ降っていた。今日は一日、雨。



June 15, Friday 2012


午前中、オーリアッドへ。2階の和室の整理。数ヶ月前、押入れから出したダンボール箱や本が散乱している。ブックオフ用のダンボールはすぐにいっぱいに なった。短大の教員を辞めたとき以来はじめて開けるダンボールもあり、いくつか貴重な本や資料も出てきた。そのひとつは、Dylan Thomas の詩集。

お昼は、家人が留守なので、お茶漬けサラサラ。これが美味しい。午後、ライブに向けていくつか古い歌の練習。途中眠くなり、横になる。目覚めたときは5時近く。

6時、オーリアッドへ。しばらくして守屋先生。以前に依頼された箕輪進修高校でのトークライブの派遣申請書をもってきてくださった。講演のタイトルが欲し いとのことで、いろいろ考えたが、シニア大学で使う「音楽と人生―振り向けばいつもそこに歌があった」にすることに。人権と平和がテーマだが、あまり堅苦 しくないほうがいいだろう。

そのあと坂井君と会社の後輩が2人。坂井君の演奏に後輩たちが感動していることが伝わってくる。

今日も、いくつかのコンサート予約の電話。「申し訳ありません、前売り券は売り切れました」というと「当日券でいいです」という人も。残念ながら当日券もない。

先日の同級会で会ったとき、新しいCDを「帰りの車の中で聞いていって」と渡した矢ケ崎君からメールが入った。「中谷勲」が気に入ってくれたようだ。

淡々と聞かせる中谷氏の曲は、その後一日中耳に残る不思議さがありますネ。悲しくも力強いインパクトでした。ハーモニカの奏者は久ちゃんですか?こんな凄いハーモニカ演奏は聞いたことがありません、ちょっと、ヨウヨウマの演奏を感じさせるような凄さがありますね。

これには驚いた。歌もギターもハーモニカも自己流でまったく自信がない。世界的に知られたチェロ奏者と比較されるとは。矢ケ崎君とは子供のころ、よく遊ん だもの。現在彼は日立市の大きな病院の院長。昔も女子に人気があったが、今もなかなか格好いい。同級会に集まった「おばさん」たちから賛嘆の声が。


June 14, Thursday 2012

朝、シャクナゲの写真を撮ろうと外に出ると、家人がイチゴを採っていた。彼女の後ろのほうにフィービーがすわって見ていた。網の中に入れてもらったのは初めて。

シャクナゲが今年は見事に咲いた。毎年秋から冬になると枯れてしまうが、春になるとまた芽を出し、年々大きくなる。今年はいくつも花をつけた。



午後、2コマのクラス。ディランの誕生日だった5月24日(木)にこの2つのクラスでは Blowin' in the Wind を歌った。今日は昔NHKが制作した「世界の名曲 風に吹かれて」という25分ほどのドキュメンタリーを見た。Dave Van Ronk や Happy Traum、それにPeter Yarrow などが登場し、この歌およびこの歌の作者について語っている。

7時過ぎ、オーリアッドへ。ジブランの会の方々。彼らが帰ったあと、9時過ぎ、原田さんがやってくる。ポットにコーヒーを入れて持ち帰りたいとのこと。聞 けば、明日の朝早く、というより夜中に、車でセントレアまで行き、週末、沖縄へ行ってくるとのこと。彼女は沖縄が大好きで、去年は確かご両親を招待して一 緒に行ってきた。

8時ごろ、清水君と電話で23日の打ち合わせ。「われわれもチケット販売のお手伝いをしなくてもいいですか」というので、完売したと話す。彼らがメディア を通して宣伝したら、会場を変えなければ無理だろう。今回はなんとしても、オーリアッドという空間で彼らの歌と話を聴いてみたかった。

「もうゲームはしないよ」を含むいくつかのリクエストが入っている旨、話す。彼らは最近「もうゲームはしないよ」は歌っていないので歌えないかもしれない と思ったら、大丈夫とのこと。「さよなら」、つまり「ポカレカレアナ」も歌えるという。「祈りの歌」は一緒に歌うことになるかも。最終的には、当日午後の 打ち合わせとリハーサルで、決めることに。


June 13, Wednesday 2012

9年前の今日、オーリアッドを再開した。みなさんのご協力のおかげでなんとか続いている。あと1年で10年。あと4年(厳密には3年7ヶ月)で70歳。あと4年は続けたい。できたら更に何年か。

スティーブ・ジョブズのスタンフォードの卒業式でのスピーチの最初のストーリーは、点と点の結びつきについてである。彼は言う―

将来を見て、点と点を結びつけることはできません。結びつけることができるのは、振り返ったときのみです。 できることは、点と点は将来いつか結びつくと信じることです。何かを―自分の勇気、運命、人生、カルマ、何であれ―信じなければなりません。なぜなら、や がて点と点は結びつくと強く信じることによって、あなたの行く道が、踏みならされた道から逸れてしまったとしても、あなたは自信をもってあなたの心の願い に従うことができるのです。(miura

振り返ってみれば、ぼくが今この瞬間ここにいること自体、夥しい数の点と点の結びつきの結果である。オーリアッドもまた然り。

2コマのクラス。両方のクラスとも、4月から歌った歌を全部歌う。今日の歌 Blowin' in the Windに入る前に、いかにぼくがこの歌と出会ったかについて書いた『追憶の60年代カリフォルニア』の第一章「風に吹かれて」の一分を読む。振り返ってみれば、この歌との出会いという「点」が、さまざまな「点」と結びついて今日がある。

夜、オーリアッド。歌の練習。清水君や原田君と出会ったころ歌っていた歌。


June 12, Tuesday 2012

週末東京へ行っていたので、今日は朝から、学生からのメールの返事を書き、先週行ったテストの採点に追われた。メールのほうは夕方までに目処がついた。

しなければいけないことから逃れるために無駄なことをしてしまうというのは昔からの悪い癖。午後、BSで『荒野のガンマン』なるインディアンが悪者扱いさ れる古いタイプの西部劇を途中から見てしまった。但しインディアン対騎兵隊という映画ではなく、白人の悪党対白人の映画。荒唐無稽な物語だったが、CGを 駆使した最近の映画よりはいい。

午後遅く次男より電話。電話の向こうでジョージが何か言おうとしている声が聞こえてくる。明後日で丁度6ヶ月。

夜は日本とオーストラリアのサッカーの試合を見る。ピッチの状態はわが家の芝生とそれほど変わらない、というのは大げさだが、かなり悪い。審判のジャッジにいくつか疑問をもった。最終的には 1対1の引き分け。オーストラリアの1点はPKによるもの。

「もうゲームはしないよ」の3番の歌詞が思い出せないと先日の日記に書いたら、二人の方から歌詞が送られてきた。感謝。


June 11, Monday 2012

午前中、2つの畑の草取り。耕運機で畝と畝の間を浅く耕す。汗びっしょり。

フィービーが出てきて仕事を見ている。ソフィーはどこかで眠っている。




夜、仕事の合間に「TVタックル」を見る。小学生がわれもわれもと、先生の指名を無視していっせいに自己主張しているかのように騒々しい。一人がしゃべっているときは黙って聞いていられないものか。飯島君の発言も今夜は特にインパクトなし。


June 10, Sunday 2012

7時過ぎ、起床。みなで朝食。そのあと部屋に戻り、少し休んでから、10時にロビー集合。昨 夜飯島君が予約してくれたレストランへお昼を食べに。10時過ぎ、タクシーに便乗してミッドタウンのリッツカールトンへ。ここへは2,3年前、家人の姪の 結婚式できたことがある。レストランはそのホテルに隣接する、ガーデン・テラス2階の JJ というフレンチレストラン。昨夜のフルコースよりも充実したランチ。オーナーであり、チーフシェフである Joel Bruant さんも挨拶に出てきた。飯島君の顔でかなりサービスしてくれたよう。




左はフォアグラのムース。真ん中は、どんぐりを食べさせた子豚の肉とか。そしてカボチャのジェローのように固たい冷たいスープ。いずれも美味。デザートは、素晴らしく美味しいアイスクリーム。

午後2時半、地下鉄で新宿へ。松田君が仕事の話で近くの会社を訪問している間、ぼくは高島屋へ。東急ハンズとユニクロを覗く。2,3の買い物。3時半過 ぎ、デパートの地下駐車場で松田君に会い、辰野へ。行くときは5時間近くかかったのに、帰りはスムーズに流れ、その半分。松田君には大変お世話になった。 感謝。


June 9, Saturday 2012

本日のオープンマイク出演者6名。トップバッターは金子昭二さん、本田美奈子さんの「アメージング・グレース」のテープを流しながら、手話。赤羽真理さん、「私が悩むとき」「誰もみな」。前者は新曲? 飯島夕帆さん、ピアノ弾き語りで「雨待ち」。2曲目はピアノ演奏。ベートーベンの「ソナタ」。坂井俊水さん、「Missing You」「恋心」。原田和男さん、天体についての本を読んだ感想。「地球は宇宙の重力にのっかっている」。ここで休憩。

原田和恵さんのおみやげの季節限定「アジサイまんじゅう」をいただく。





4列目の写真は金子昭二さん提供。

後半トップは、長野市でのゴスペルのレッスンから戻ってきた原田和恵さん。「G線上のアリア」「Lascia ch'io pianga (私を泣かせて下さい)」そして「God Bless You」。赤羽さん、「フリー」「今すぐに」、そして5年間歌い続けているという「千両梨の実」。飯島さん、「愛しい女」弾き語り、そしてピアノで「ノクターン」と「ロミオとジュリエット」。坂井さん、「ひとつの勇気を」「It's My Life」、そして「Hurry Up」。いずれもオリジナル。金子さん、沖縄の盲目の歌手、大城友弥さんの「上を向いて歩こう」をかけながらの手話ソング。初公開パフォーマンスとのこと。

家人のケイタイの写真とメモを参考にまとめました。間違いがありましたら、ご容赦のほど。写真の4列目は金子昭二さん提供、撮影は赤羽真理さん。

                       

松田賢二君の車に便乗させてもらって午後東京へ。小雨が降り続く。関東、甲信越は今日から梅雨入り。そのせいか、土曜日の午後だからか、調布の手前から渋滞。仕方なし、調布ICで下りて、新宿へ。そこから電車で、同級会会場アパホテルへ。京葉線潮見駅下車。

全員で記念写真を撮りたいと、会を始めずわれわれを待っていてくれた。プロのカメラマンによる写真撮影。そのあと、亡くなった6名の同級生に黙祷。関東在 住の幹事の百瀬君、矢ケ崎君の挨拶で同級会スタート。河西先生の挨拶、そして先生の音頭で乾杯。フルコースのディナー。今までの畳にすわる宴会の同級会と は違いちょっと堅い雰囲気。しかし食べるうちに飲むうちに、気分もほぐれ、マイクが回り、それぞれ近況報告。





昭和35年に中学を卒業してから、みんな大きな変貌を遂げたが、その一番は飯島君。首相秘書官を辞めてからもマスコミなどに大きく取り上げられている。今 夜も消費税問題からシベリアと北海道を結ぶ鉄道の話まで、細かな数字を引用しながらよどみなく話す。矢ケ崎君が「飯島は講演会でもテレビのインタビューで もメモに頼ることがない」と口を挟んだが、確かに彼がメモを見ているところを見たことがない。人生の半分から4分の3、モノを探して生きているぼくにとっ ては驚異的な記憶力。明後日、月曜夜9時からのTVタックルに登場し、消費税について自説を語るとのこと。

仙台からやってきた山崎さんは、3.11の地震と津波について語る。重い病気を抱えながらご主人に「気をつけていっておいで」と送り出されてきた人もい た。それぞれの人が多かれ少なかれ重荷を背負って生きているように思えた。誰にとっても生きることは簡単ではない。しかしこうして還暦のときから6年ぶり に顔を合わせることができて、よかった。今回はほたる祭りライブも近く、参加することを迷っていたが、思い切って参加してよかった。次回は2年後というこ とに。松田君とぼくに幹事が回ってきた。

フルコースのディーナーの最後のデザートが出たとき、家人が朝とってくれたイチゴをカバンから取り出して、ウエイトレスにこれをみなさんに食べてもらいた いので、皿に盛ってほしいと頼む。最初のリアクションは「持ち込みはできません」とのことだったが、何とかお願いして出してもらうことに。3つのテーブル に一皿づつ。それに働いている方々にも一皿。美味しいと、好評だった。

二次会は、雨の中、近くの居酒屋へ。「魚民」。大いに盛り上がる。11時過ぎホテルに戻り、お風呂に入り就寝。


June 8, Friday 2012

朝からとてもいい天気。サツマイモ、トウモロコシ、キュウリなどの畝に水をやり、トマトの苗に支柱をたてる。

午後は金曜恒例の断捨離。珍しい写真が出てきた。1969年夏、帰国するために乗ったプレジデント・ウイルソン号で出会ったアラン、ジム、ジェフと一緒 に、船上タレントショーで「風に吹かれて」を歌っている写真。彼らにいかにして出会ったかを『追憶の60年代カリフォルニア』から抜粋してみよう。

プレジデント・ウィルソン号は豪華客船だったが、ぼくが乗っていたところは最も安いエコノミー・クラスだった。船底の相部屋に、数百人が眠るためのカーテンで仕切られた狭いベッドがひしめいていた。

昼間は甲板に出てデッキ・チェアーにすわり、日光浴をしたり、本をよんだりした。夜はホールで映画が上映されたり、ダンスパーティが開かれたが、ぼくはひとりでギターを持って甲板に上がり、暗い海を見ながら知ってる歌を次から次へと歌った。

3日目の朝、伝言が届いた。エコノミー・クラスのパーサーに10時に会いにきて欲しいというものだっ た。何だろうといぶかしがりながら出かけて行くと、他にも3人がやって来た。4人を前にパーサーが口を開いた。「エコノミー・クラスの乗客から苦情が出て いる。あなたがた4人は乗客に不安を与えている。ついてはあなたがたに特別にキャビンを一室与えようと思うのだがどうだろう」


ぼくたちはお互いを見回した。4人とも長髪で髭面だった。苦情が出ても仕方のない格好をしていた。ここはアイラヴィスタではなかった。まったく知ら ない人たちと無理矢理一緒の部屋に押し込められるのは嫌だと思ったが、雑魚寝に等しいカーテンで仕切られた簡易ベッドから、ちゃんとした部屋に移り、二段 ベッドながらしっかりしたベッドで眠れるというのは魅力的だった。

「お互いをまったく知らないんで、少し待ってくれませんか。4人で話し合ってみるから」とぼくは言った。
「もっともだ。決まったらいつでもいいから言ってきてくれ」とパーサーは言った。

(中略)ジムとジェフは世界一周旅行の最初の国として日本へ行くところだった。もうひとりは北カリフォルニア出身の中国系アメリカ人、アラン・ラオだっ た。彼は絵を描くことと詩を書くことが好きだと言った。彼は墨絵の勉強に京都へ行くところだった。ぼくは3年間のサンタバーバラでの生活を終え、日本へ戻 るところだと言った。それ以上話す必要はなかった。パーサーの部屋に下りて行って、部屋の鍵をもらった。

ジム、ジェフ、アランとは思いのほか気が合った。彼らと一緒でなかったら2週間の船旅はかなり退屈で孤独なものになっていただろう。(pp. 212-214)


急遽東京で開かれる中学時代の同級会に出席することになった。午後の浅草寺、スカイツリー、国会議事堂などの見学はパスさせてもらって、夜の懇親会のみ出席することに。オーリアッドのオープンマイクは予定通り行われます。


June 7, Thursday 2012


今日も、2つのクラスの前半に、midterm テスト。ディクテーションが難しかったようだ。後半はいつもの授業。今日の歌は、Take Me Home Country Roads。

帰路、TSURUYAへ。水曜が定休日かと尋ねると、定休日は特に決まっていなくて、次の休みは秋にあるとのこと。ということは、昨日閉まっていたのは、年に数回しかない休みの日だったということか。アボカド、チーズ、アーモンドなどを買う。

オーリアッド。8時過ぎ家人と交代。原田さんと丸山さんがやってくる。原田さんは友人にプレゼントしたいとCDを買いに。丸山さんは、前回きたとき忘れて いったギター用フットレストを取りに。週末は飯田に演奏に行くようである。しばらく四方山話。ひょっとしたら近々二人のデュエットが聞けるかも。

遅くなって歌の練習。最近歌っていないリクエスト曲の練習。「もうゲームはしないよ」。歌詞が思い出せないところがある。あのねのねがカバーした曲。彼ら に歌ってもらったほうがいいかも。但し、彼らのヴァージョンは3番が抜けている。その部分が思いだせない。どこかに2枚目のアルバムの歌詞カードがあるは ず。


June 6, Wednesday 2012

お昼をはさんで2コマのクラス。それぞれ前半50分を使ってジョブズのスピーチをに関するテ スト。そのあと、その映像を見てから、今日の歌。Goodnight Irene。この歌の作者(完成者)、ヒューディ・レッドベターがレッドベリーと呼ばれるようになった経緯や、ジョン&アラン・ロマックス親子によって 「発見」された逸話を話す。そしてこの歌が1950年の夏、ウイーヴァーズによって録音され、200万枚の大ヒットになったことも。レッドベリーはこの歌 が大ヒットしたことを知らずに半年前の1949年12月にこの世を去った。

本当に便利になったものだ。エリック・クラプトンがこの歌を歌う YouTube があった。
http://www.youtube.com/watch?v=CZm96PKwtHc&feature=related

クラス終了後、TSURUYA 並柳店へ急いだが、お休みだった。先週の水曜日は営業していたのに。広丘店もお休み。明日寄ることにしよう。

オーリアッド。お店に着くとすでに一台の車が駐車場に。電話で予約されていた6月23日のチケットを取りにきてくださった。当日でもよかったのにと言うと、別のお願いがあってきたとのこと。6月30日(土)の午後、オーリアッドで高校生を対象にしたYFUという交換留学プログラムの南信支部のイベントにオーリアッドを使わせてほしいとのこと。ありがたいお願い。2曲ほど歌うことも依頼された。


今夜はスピーカーからは Another Side of Bob Dylan。このアルバムはケネディ暗殺後、急いで録音されたもので、雑なところがないわけではないが、ぼくの好きなアルバムである。 Chimes of Freedom, To Ramona, My Back Pages, Ballad in Plain D など、素晴らしい歌が目白押し。

Ballad in Plain D の最後のヴァース:

牢獄に繋がれた友がぼくに尋ねる
自由というのはいい気分だろうね
ぼくはとても神秘的に答える
空行く鳥は、空の鎖から自由だろうか

朝、曇っていたり、その後は忙しかったりで、残念ながら、太陽を横切る金星を見ることはできなかった。次回は105年後とのこと。うむ。


June 5, Tuesday 2012


定期健診の日。午後1時、病院へ。2時間待たされて3時に診察を受ける。おかげで石上智康 (いわがみ・ちこう)著『この世とあの世を結ぶことば』(徳間書店)を三分の二ほど読むことができた。なかなか含蓄のある本である。

第一章の後半に著者の神秘体験が記されていた。寺の境内にある藤棚が崩れるのを目撃した瞬間、彼の心の中に大きな変化起こる。

 身も心も私という構えも、今までの自分が何もかも、なぜか、すっぼりと抜け落ちて行きます。崩れ落ちたあ たりが、みるみる広がって、その藤棚も私も私の足元も周囲もすべてが一つになっていて、寸分の対立もなく、実に静かで、活き活きと光輝き、満ち満ちている ではありませんか。明らかにそれは、対象的、静止的な人間の分別を超えた世界でした。本来の相(すがた)そのままが、主観も客観も未分のところで、私自身 に顕わになている、と言うべきなのでしょうか。
 かつて経験したことのない深い感動で言葉にもならず、私は催されるままに、ただそこに立ち尽くしていたのです。

・・・そして残念ながら、また普段通りの生活に戻る日々が続くことになります。元の木阿弥、何事にもとらわれ、あれこれ分別してしまう元の木阿弥の自分の生活に返ってしまったのです。(pp. 45-47)

似たような体験をしたことがある。1970年の秋のこと。御所の庭で、劣等感と焦りと孤独に押しつぶされそうになりながら、八木重吉の詩を読んでいたとき、それは起こった。次は、過去に書いたものからの抜粋。

 ・・・心の中で大きな化学変化が起こった。その時は、なぜそれが起こったのかわからなかった。ただ わかったことは、途方もなく大きな喜びがぼくを占領したということだけだ。みんなに感謝したい気持ち、手を合わせたい気持ち。そういう気持ちが本当に心の 中から何の抵抗もなく湧き起こってきた。
 身体からエネルギーがほとばしり出て、身体は小刻みに震えていた。すべてのものは美しく存在していたが、もしそれらが眼前から突如 として消え失せても、素直に受け入れることができるように思われた。どう表現しようとも、言葉では表せないほどの喜び。平和。身体が澄みきって、目を閉じ れば身体が存在しないかのようだ。
 それまで何度も egolessness ということばを口にしてきた。幸せになるには自我の計らいを捨てる必要があるとか、分別を捨てなければならないとか口にしてきた。しかし、その時初めてそ の状態を経験したのだ。不思議だ。何に対しても執着がなかった。その時、誰かが、ぼくのギターが欲しいと言ったなら、喜んで与えていただろう。

 ・・・そしてそれからしばらくして、日常生活の中で、人々と接する内に、自我が再び芽生えて、少しずつ硬い殻で覆われていった。好悪の情や、比較の意識が徐々に戻ってきた。

2時間待たされておかげで、いい本を読むことができた。縁起、無常、空について、つまり仏教の真髄についてわかりやすく書かれた本。

診察が終わったあと、先生曰く「血圧も下がってきたから、これからは健診は2ヶ月に一度にしましょう」。これはありがたい。検診の前に計った数値は 130-86だった。

夜、明日の準備。明朝、金星が太陽の手前を通過する珍しい現象を見ることができるらしい。次回は105年後とのこと。晴れたら先日取り寄せた special glasses を使って見ることができる。


June 4, Monday 2012

朝起きて、外に出る。いい天気である。デイジーとミヤコワスレがきれいに咲いている。昨日アジサイの茂みの陰に置いたサナギが気にかかる。箱に入れてしばらく様子を見ることに。サナギから蝶に羽化する瞬間を見ることができたらいいのだが。



午後、家人は村の公民館へ。大正琴の練習。ぼくは、電動ノコとヘッジトリマーを使って家の周りの整備。先ず、旧道に下りる坂道に覆いかぶさっているナナカ マドの枝を切り、裏の松の木の頭を止め、枝をいくつか落とし、最後に木瓜の木を剪定。電動ノコの刃が丸くなっていて切れ味が悪い。疲れた。でもかなりすっ きりした。

夜、これから続くいくつかのコンサートの準備。


June 3, Sumday 2012

今日は、午後、家人とああだこうだと「かけ合い漫才」をやりながら、畑仕事。ヒマワリ畑の雑草が生えているところを耕し、畝をつくり、マルチをかぶせ、サツマイモの苗を30本植える。さらにトウモロコシ用の畝をつくり、トウモロコシの種をまく。昨夜新町農協で手に入れたブルーサルビアなど花の苗も20本植える。最後にビーバーで雑草を刈る。

裏の雑草を刈る前、自生している蕗をとって、葉を切り落としていたら、一枚の葉の裏にサナギのようなものがくっついていて、胴体のあちこちに金(ゴールド)の粒のようなものが付いている。

何かと思い Facebook に、少々ピントの合っていない写真を載せて「これが何か知っている人は教えてください」と書き込んだら、去年ぼくのクラスにいた森川君から「モンキアゲハ」のサナギではないかというコメントがあった。Google で調べてみたら、確かにアゲハチョウのサナギのようである。身体全体が金色の蝶のサナギが YouTube に出てきたが、ぼくが見つけたのは、身体全体は黄土色で、そこに金の粒がいくつも付いている感じだった。アジサイの茂みの陰に置いてやったが、ちゃんと羽化してくれるだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=9dKSGsSoJQs

今朝見た、ダルビッシュは可哀相だった。味方のエラーが続き、3失点。夜、サッカー・ワールドカップ最終予選、日本 vs. オマーンを見る。3対0で快勝。前半の長友からのクロスを受けての本田のボレーシュートは見事。


June 2, Saturday 2012

Lily☆Bell さんを迎えてのオープンマイク。とてもいい夜になった。出演者も聴衆も少なかったが、そのせいか、互いの歌をじっくり聴き、語ることができた。それぞれ、2曲ずつ、最後は1曲ずつ、計4回歌うことに。

ぼくが歌った歌は、「電線の上の一羽の鳥のように」「パーティーは終わったよ」「あの果てしない大空へ」「雨ニモマケズ」など。原田和恵さん、「祈りの 歌」「新しい光迎えよう」「主はわが牧者」「ラルゴ」など。Lily☆Bellさん、「風になって」「桜の咲く頃」「13」「あららぎの唄」「ありがと う」「スイート・チョコレート」など。赤羽真理さん、「誰もみな」「千両梨の実」「鹿のように」「闇の中に独り」など。

ぼくが次男のために書いた「あの果てしない大空へ」を聞いて、Lily☆Bellさんは、息子さんが13歳になったときに書いた「13」を歌う。驚くべき ことに、共通する親の思いが、共通するいくつかの表現を通して歌われていた。実は、最初に歌った「桜の咲く頃」も、ありがとう」も息子さんのために書いた 歌。

原田和恵さんはぼくの歌のカバーを2曲先ず歌う。「祈りの歌」は今まで聞いたなかで一番よかったし、「新しい光迎えよう」はいつものことながら安定していた。ハーモニカの入る部分のピアノを工夫すると perfect である。

赤羽さんは、最近、オリジナルおよびカバーを含め、新しい曲が多くなった。「誰もみな」「闇の中に独り」、いい歌である。特に後者のギターがいい。

休憩時間には、原田さん差し入れの新鶴の塩羊羹をいただく。わが家の畑産のイチゴも。原田さんは各地の美味しいお菓子を知っている。スピーカーからはボブ・ディランの Free Wheelin' Bob Dylan。







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後半、遅れてきた垣内彰さんに一言お願いする。先日、法事で下関の友人を訪ねた話。1978 年、垣内さんは碌山美術館の庭園で魅力的な夫婦を見かけ、写真を撮らせてほしいとと申し入れた。奥さん曰く「かってに撮ってくださってもいいけれど、私た ちは二人だけの旅を楽しんでいるのだから、邪魔をしないでほしい。話しかけないでほしい」。

そこで彼は旅行者が行くであろうところへ先回りして彼らが来るのをまち、遠くから写真を撮った。何度か、そうしているうちに、奥さんのほうから話しかけてきた。「あなたはいったいどういう人なの? この住所へ写真を送ってちょうだい」。その後、この夫婦との長い交友関係が続き、彼らが安曇野を訪問するたびにお会いした。6年前、ご主人が亡くなり、その遺灰を梓川にまきに奥さんがやってきたとき、彼は奥さんから遺品の万年筆をいただいている。

奥さんから夫の7回忌の法事に呼ばれて、下関へ行ってきたという。出会いの不思議を実感するいい話である。その夫婦を美術館の庭園で見かけた人は垣内さん のほかにもたくさんいただろう。でも話しかけたのは彼一人に違いない。まして、ストーカー気味に、彼らの行くところへ先回りして待ち伏せた人は。

碌山はパリの展覧会でロダンの「考える人」を見て、その場に立ち尽くした。その像を見た人は何百人、何千人といただろう。しかし、それを見て雷に打たれたような衝撃を受けた人はそう多くはなかっただろう。彼はそのとき、彫刻家になる決心をするのである。

垣内さんの話を受けて、みなさん「出会いの不思議」に思いを馳せ、その後のMCと選曲に微妙な変化が。そのことは、原田さんと Lily☆Bell さんが、最後の曲として「糸」を歌ったことからもわかる。

Lily☆Bell さんのリクエストでぼくは「祈りの歌」を歌う。彼らもこの歌をカバーしたいとのこと。Bellさんの柔らかいギターに乗せて、Lily さんのあたたかい声で歌われる「祈りの歌」を、早く聞いてみたいもの。


June 1, Friday 2012


いよいよ6月。

朝飯を食べようとしているところへ電話。こんなに早く誰だろうと思ったら、先週火曜日、伊那市のトークライブ会場で新しいCD『祈り』を買ってくださった という方だった。もう3枚欲しいとのこと。ありがたい。お名前をお聞きして驚いた。一昨年まで市長だった方。昨夜、ぼくのCDを、某所でかけたところ好評 だったとのこと。

午後、家人に促されて断捨離。またまた古い写真がたくさん出てきた。その中に、英五君がオーリアッドに歌いにきてくれたときの写真もあった。写真の左下に 86 1 25 とある。最初のオーリアッドが1985年8月にオープンしてから、半年近く経ってから、オーリアッドを応援するために歌いにきてくれたときのもの。このとき彼はまだ33歳。

6時、オーリアッドへ。静かな夜。スピーカーからはボブ・ディラン2枚目のアルバム Free Wheelin' Bob Dylan。冒頭の曲が「風に吹かれて」。1枚目もそうだったが、20歳か21歳の若者が書いたとは思えない歌の数々。A Hard Rain's Gonna Fall のような大作もいいが、ぼくの好きなのはBob Dylan's Dream。

How many a year has passed and gone
And many a gamble has been lost and won
And many a road taken by many a friend
And each one I’ve never seen again

I wish, I wish, I wish in vain
That we could sit simply in that room again
Ten thousand dollars at the drop of a hat
I’d give it all gladly if our lives could be like that

なんて多くの年月が流れ去ったのだろう
なんて多くの賭けに勝ったり負けたりしたのだろう
友だちはみんな別々の道を行き
再び会うことはなかった

あの部屋にみんなで一緒にもう一度
すわって話しができたらいいのだが
あの頃に戻ることができるなら
一万ドルでも喜んで差し出すだろう (miura訳)






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