OREAD Diary December 1〜December 31, 2004

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December 31, Friday 2004

今年一年お世話になりました。みなさんのおかげで楽しいオーリアッドになりました。プロ、アマを問わず出演していただいた方々に感謝いたします。

プロの方々の演奏には、「さすが!」と思わせるものがありました。茶木みやこさん、よしだよしこさん、大工哲弘さん、トシさん、坂元昭二さん、どなたの演奏も素晴らしいものでした。しかし、毎週土曜日の飛び入りライブで歌って下さったいわゆるアマチュアの方々の演奏も素敵でした。「音楽」、音を楽しむという本来の姿がそこにはありました。

またオーリアッドという空間を通して今まで知らなかった人たちが出会い、新たな交流が始まり、互いの創作意欲を刺激しあうのを目撃するのは嬉しいことでした。「出会いと創造の空間」がオーリアッドを最初につくったときの願いです。

2005年も、オーリアッドで多くの方々の演奏を聞かせていただくことを楽しみにしています。


December 26, Sunday 2004


朝食のテーブルで小林哲博さんと『ツキを呼ぶ魔法の言葉』の著者、五日市剛さんのことを話していたら、小林さんのケイタイがなった。なんと、五日市さんからの電話だった。小林さんが30日に五日市さんに会うことになったというので、『千の風』を一枚渡してもらうように頼む。

お昼を食べに小林夫妻と「かやぶきの里」へ。小雪が舞う寒い日だったが、小林さんは横川峡の景色が気に入ったようである。おそばも美味しかった。昼食後、小林夫妻は四日市へ。家に帰ってしばらくして電話が鳴った。四日市に着いたという小林さんからの電話だった。ノンストップで2時間半。速い!その後しばらくして写真が送られてきた。



オーリアッドは、本来営業日である29日(水)30日(木)を休業とし、大晦日31日(金)の午後9時から、元旦の午前2時まで営業することにしました。歌いたい人、聞きたい人、紅白歌合戦に興味のない人、珈琲を飲みたい人、ジャック・ダニエルズを飲みたい人、激辛玄米カレー、タコスを食べたい人、ツキを呼ぶ魔法の言葉』を読みたい人、お出かけ下さい。共に2005年を迎えましょう。

2005年は1月5日(水)が最初の営業日。最初の飛び入りライブは1月8日(土)です。



December 25, Saturday 2004

1982年に辰野に戻ってから毎年この時期に、わが家のパーティーを開いてきた。自宅で開くことが多かったが、オーリアッドができてからは、オーリアッドで開くこともあった。 昨年は母が亡くなった直後で断念せざるをえなかった。だから今夜は2年ぶりにお会いした人も多く、懐かしかった。

最初のころから参加されている方も多く、当時30代だった人たちは今や50代。若いころは、最後に残った人たちと外が明るくなるまで飲んだり語ったりしたもの。しかし、最近は午前2時が限界。寄る年波にはかなわない。

このパーティーでは、飲んだり食べたりするだけではなく、真面目な話も聞こうということで、毎回ゲストスピーカーをお願いしている。今回は四日市から小林哲博さんにきていただいた。

彼はぼくと同じ1945年生まれの酉年。来年は5回目の年男になる。彼とはかれこれ30年ほどの付き合い。70年代半ば、紀野一義先生が主宰する真如会の高野山結集で歌ったときにお会いした。そのとき、坂村真民さんにも、相田みつをさんにも、原田道一さんにもお会いした。そうそう、そのときではなかったかもしれないが、佐藤勝彦さんにもお会いした。オーリアッドのステージに飾ってある六地蔵の絵と般若心経の書は佐藤勝彦さんのものである。

小林さんは常に快活で、前向きにものごとを考える人。時々本当かなと思える荒唐無稽な話をして呵呵大笑し、聞く人を煙にまく。どんな話になるか心配もしていたが、今回は20分という短い時間の制約の中で、『ツキを呼ぶ魔法の言葉』という小冊子について話し、聞いた人たちに未来に対する希望を抱かせた。

これは五日市剛という人の講演を冊子にしたもの。この表紙に使われているのが小林さんの写真。この人のいわんとすることをまとめると、「イヤなことや困ったことがあったら、ありがとう、いいことがあったら、感謝します、といえ」ということ。そうするとどんどんツキが回ってくるという。彼はこれを25歳のときにイスラエルで会ったおばあさんから教えてもらったという。

この本に書かれている2つの箱の話は、舌切り雀のつづらと浦島太郎の玉手箱を合わせたような、にわかには信じがたい話。しかし、絶対起こらないと断言もできない。

もしどのような逆境にあっても「ありがとう」ということができるならば、確かにツキはまわってくるかも。

パーティーは開会の挨拶もなく中締めの万歳もないアメリカ方式だったが、スピーチあり歌あり太極拳のデモンストレーションありで、大いに盛り上がった。

小林さんは、持参した『ツキを呼ぶ魔法の言葉』を18冊無料で希望者に配ったが全員にはわたらなかった。オーリアッドに置いておきます。いつでも読みにきて下さい。またこの本についてどこかで聞いたり、あるいは、この日記を読んで興味をもった方もどうぞ。30分ぐらいで読むことができる冊子です。ツキがまわってくるかも。

12月31日の夜9時ごろから1月1日の2時ごろまでオーリアッドを開き、2年越しの飛び入りライブをしたらどうかという話が浮上している。詳細が決定次第、お知らせします。


December 24, Friday 2004

クリスマス・イブ。

数日前に電話があった。以前大手の旅行者に勤めていたことのあるAさんだ。当時彼の同僚だったBさんが少し前に退職し別の仕事をしているので、久々に3人で会わないかとのことだった。 実はぼくが2002年3月で専任の仕事を辞めたとき、おふたりで一席設けて下さった。それで今夜オーリアッドで会食することになった。

メインはチーズフォンデュとカレー&ナン。お酒はいいちこのお湯割り。最後に泡盛のシークワサー割り。

お二人には公的私的の旅行の際、大いにお世話になった。次男がニュージーランドの高校へ留学する際には、Bさんにチケットの手配をお願いした。その次男が今年カンタベリー大学を卒業し、同時に結婚したという話をすると、Bさんは驚いていた。「もう何年になりますかね」と彼がいう。「来年の4月がきて、まる9年になります」。長い年月が流れたものだ。

遅くなって、新しいCDですといって、『千の風』をかけた。1曲目の「千の風」が終わったとき、Bさんがもう一度かけてほしいという。もう一度「千の風」をかけた。途中、Bさんが涙ぐんでいるのが見えた。


December 23, Thursday 2004

前半、セカンドウインド英語教室。後半オーリアッド。近所に住むUさんはオーリアッドのレアチーズケーキが好きで時々きてくれる。しかし、昨日も今日も切らしていた。悪いことをしてしまった。

彼は聾唖者で聞くことも話すこともできない。だから彼がくるとカウンター越しに筆談をするのだが、最近、彼から少しずつ手話を習い始めた。まだ「こんにちは」とか「元気ですか」とか、「ありがとう」とかの極めて簡単な表現ばかり。しかし、筆談だけのときよりも、気持ちが通じ合う気がするから不思議だ。

『千の風』の感想がメールや手紙で寄せられている。そのいくつかを、オーリアッド・レコードのホームページにアップした。過去のレコードやCDで、これほど好意的な感想が短期間のうちに寄せられたことはなかった。ありがたいことである。http://www.secondwind.jp/feedback.htm

11時過ぎ、家に戻ると月がこうこうと照り、家の周りが幻想的な青白い光に包まれていた。気温は低く、玄関先の温度計は−6℃をさしていた。暖冬とはいえ、やはり寒くなってきた。



December 22, Wednesday 2004

久々のオーリアッド。音楽はニュージーランドから買ってきたジョン・デンバーのクリスマスソングス。悪くないけれど、やはりクリスマスにはビング・クロスビーがいい。

オーリアッドの飛び入りライブに何度か出演してくれた伊藤享(ススム)さんから1ヶ月ほど前連絡があり、「おもしろラジオジャパン」に出演してもらえないかと依頼された。これはインターネット上のラジオで、オーリアッドの宣伝をしてくれるとのこと。

収録は12月3日(金)の午後2時から、塩尻のレザンホールの地下のリハーサル室で行われた。そのときぼくの左耳は完全に聞こえなくなっていた。収録終了後、辰野病院へいき、MRIの検査を受け、即入院を言い渡された。



そのラジオを今、聞くことができる。ラジオといっても映像もあって、ちょっと照れくさいが、伊藤さんがせっかくオーリアッドの宣伝のために便宜を図ってくれたので、そのURLを書くことにする。http://www.omoraji.com/company.shtml

お時間のあるときにどうぞ。「千の風」の一部を聞くことができます。


December 21, Tuesday 2004

ニュージーランドへいっている間に、舟木一夫さんが歌う「宝福寺にて」と「松毬」のMDが届いていた。「宝福寺にて」は、今年の11月の南座と4月のサンシャイン劇場、そして1975年8月の読売ホールの3バージョンが入っていた。「松毬」は75年の読売ホールのバージョンのみ。もっとも感動的だったのはサンシャインのバージョンの「宝福寺にて」。コーラスの「人も草も風も時もそして愛も、すべてのものが流れています」のところは自分の歌ながら鳥肌が立った。さすが舟木一夫、歌が上手い!!

それにNHKのビッグショーでは歌詞を省略して歌っていたが、ステージでは全曲歌っている。例えば、サンシャインのバージョンは8分以上かかっている。ということは、ぼくよりも、ゆっくりと浪々と歌っていることになる。75年の読売ホールのバージョンは、ぼくの2ndアルバム『漂泊の友』の中の「宝福寺にて」の歌い方に近い。時間も6分ほどで、編曲もオリジナルの小野崎孝輔さんのものに近い。


December 11, Friday 2004

香月!ソロコンサート。香月!の演奏は飛び入りライブで何度も聞いた。断言できる。今夜のコンサートは今まで聞いた香月!の中で最高だった。特に新曲「秋桜」は傑作だ。お客さんもかなり入り、大月さんの上司Kさんがもってきて灯油ランプが各テーブルにおかれ、いい雰囲気だった。


*写真提供香月!専属カメラマン上島さん

セットリストは、「ビタミンU」「誕生〜Brandy Eggnog」「余白」「24・7」「Ann」「荊の夢」「Tears in Heaven」「しろうさぎなまいにち」「だるまさんがころんだ」「Strawberry Night」「X〜微熱の街」「秋桜」、そしてアンコールで再び「誕生〜Brandy Eggnog」。

大月さんの上司のKさんがいっていた、「あの誕生という歌は、ことばもメロディもすごいね!」。2005年、香月!の更なる活躍を期待したい。


December 10, Thursday 2004

産経新聞大阪本社のK記者が午後3時、河島英五とホモサピエンスの時代の話が聞きたいと、自宅へやってきた。来年1月、「凛として」という5回連載の人物伝で、河島英五を取り上げるとのこと。

彼と話していて、ホモサピエンスの時代のことよりも、ぼくが辰野に戻ってからの彼の印象のほうが強いことに驚いた。彼はときおり近くにきたのでと顔を出してくれた。旧オーリアッドの開店が1985年8月。彼は86年1月25日にオーリアッドで歌ってくれた。ご祝儀代わりにとノーギャラだった。そのとき入った入場者が94人。これがオーリアッド最高記録。

「千の風」をK記者に聞いてもらった。そのとき、この歌は、ぼくの母のことを歌った歌なのだが、英五君やミン君や、スヒョン君や、根橋さんのことを歌った歌だとも思った。K記者に、英五君の奥さんに一枚渡していただくようにお願いした。

河島英五のバンド名が「ホモサピエンス」。最初のアルバム名が「人類」。ここに彼を理解する鍵がある。不器用とも思われるほどに、そして時には「ダサイ」と思われるほどに、彼は一貫して何かを伝えるために歌いつづけた。

K記者はオーリアッドも見たいとのことで、5時過ぎオーリアッドへ。彼は英五君が歌ったステージの写真を何枚か撮った。

平日にしては忙しい日だった。『千の風』を買いにきて下さった方も何人かいた。宮木公民館の人たちが大勢で、来年1月16日(日)の第2回ふるさと講演会「三浦久コンサート in 宮木」のチケットができたともってきてくれた。無料なのでチケットは必要ないとも思うが、できるだけ多くの人たちにきてもらいたいという彼らの熱意がありがたい。


December 9, Thursday 2004

突発性難聴による突然の入院騒ぎでご心配をおかけしました。まだ完全に回復したとはいいきれませんが、かなり聞こえるようになりました。4日(土)の飛び入りライブの写真もアップできていませんが、オーリアッド日記、とりあえず、できるところからはじめます。

                *

開店直後赤羽真理さんが立ち寄ってくれた。ぼくの耳の回復を「祈って」くれたとのこと。彼の場合は、本当に神に祈ってくれたわけで、胸に熱いものを感じた。ありがとうございます。

前半、英語教室。下に戻ると、ジブラーンの会の方々が帰るところだった。今晩は「理性と情熱について」を読んだとのこと。

  大事なふたりの客をもてなすように、理性と情熱に
  ついて考えてほしい。あなたはひとりの客をもうひ
  とりの客より大事にするということはないだろう。
  というのは、そうすることによってあなたは両方の
  客の愛と信頼を失うからである。

後半、長島功さんが友だちのOさんとやってくる。Oさんは今日からギターのレッスンを長島さんから受け始めたとのこと。Cのコードが押さえられないといっていたが、初日からスムーズに押さえられる人はいない。諦めないで練習してほしいもの。最初は、CFGではなく、GCDのコードを覚えるほうがいいかもしれない。



December 6, Monday 2004


オーリアッド日記の更新が遅れています。もう数日お待ち下さい。4日の飛び入りライブに参加して下さった歌い手のみなさん、ありがとうございました。写真のアップもうしばらくお待ち下さい。


December 2, Thursday 2004

前半セカンドウインド英語教室。後半、今月8日のマンダラ2での年末ライブの練習。「宝福寺にて」「あの果てしない大空へ」「ジョン・レノンに捧げる歌」「松毬」など、『千の風』に入っていない歌を中心に歌ってみた。

「宝福寺にて」と「パーティーは終わったよ」が入っている『メッセージ』を注文して下さった舟木一夫ファンの方から、「読売ホールで舟木さんが歌った」この2曲をマンダラ2で歌うなら聞きに行きたいという主旨のメールが入った。「パーティーは終わったよ」は今回歌えないが、「宝福寺にて」は歌うことにすると返事を書いた。是非聞きにきて欲しいものだ。

昨夜、建築家の宮沢さん夫妻が映画のポスターとチラシをもってきた。何でも、ぼくの歌を聞いた小学生のお母さんが、是非オーリアッドに貼ってほしいと宮沢さんに頼んだとのこと。神明小学校の生徒だろうか。「ホーム・スイート・ホーム」という映画。老人介護の問題を問いかける痴呆症(認知症)の元オペラ歌手と娘夫婦をめぐる感動のドラマのようだ。

   日時:12月18日(土)10:30, 14:00, 18:00の3回上映
   会場:長野県男女共同参画センター「あいとぴあ」ホール
   主催:「ホーム・スイート・ホーム」上映実行委員会
   問合せ:特定非営利活動法人「絆(きずな)」0266-24-8180
           夜間休日の問合せは 0266-22-9251
   チケット:前売り1200円、当日1500円
       (小学生以下前売り500円当日700円)

オーリアッドにチケットあります。

4日(土)の飛び入りライブに山岸豊さんもくることになった。 The more, the merrier. 楽しくやりましょう。


December 1, Wednesday 2004

いよいよ12月。

開店直後、まだお湯も沸いていないところへ増沢学さんが入ってくる。11月13日、神明小学校でトーク&ライブを行ったことはこの日記にも書いた。彼は、3人の2年生の感想が載っている「きら・きら」という名の学級通信をもってきてくれた。

それを読みながら思わず胸が熱くなるのを感じた。

                *

 今日、3, 4時間目にこうえんかいがあったよ。みうらひさし先生のうたがよかったのは、みうらひさし先生がきもちがわかるようにうたったからよかったと思ったよ。みうらひさし先生はギターもすばやくひいてたのがよかったと思ったよ。うたうのもたいへんだと思ったよ。あんなにうたえるなんてすごかったよ。ハーモニカだってすばやかったよ。・・みうらひさし先生のうたでこころにのこってるのは、日本人がせんろにおちて、かんこく人がたすけたはなしがよかったよ。・・みうらひさし先生のはなしは、とてもよかったと思ったよ。

 ・・わたしはおかあさんがいなくなることは、とてもかなしいことだなと思ったよ。わたしは、そのうたは、とてもいいうただと思ってないたよ。・・わたしは、おかあさん、おとうさんをなくすことは、心がいたむことだなあ、と思ったよ。そしておわりになったよ。そして校長先生が三うらひさし先生よ
りもとししただとは思わな
かったよ。

 今日、みうらひさし先生のこうえんかいでした。一ばん心にのこったのは、二回め(二曲目)のときでした。なぜかっていうとせんろにとびおりてこいびとがまっているのに、いのちをかえりみずとびおりたのがかんどうしました。その人のこいびとは、まだ生きているのかなあ、と思いました。だってその人がしんじゃったなら生きているかわからないよ。すっごくかんどうしてなみだがでたよ。2ばんめにかんどうしたのはみんなかんどうしたよ。・・ぼくは今までのなかですごくかんどうしました


                *

この3人の子供たちの感想を読んでぼくも「すごくかんどうした」。当日も子供たちの率直な反応が嬉しかったこと、子供たちが大きな声で一生懸命「ふるさと」を歌うのを聞いて思わず涙ぐんだことを思い出した。みんな、ありがとう。

今度土曜日の飛び入りライブは盛況である。増沢さんも歌いにきたいといっていた。今年最後の飛び入りライブである。楽しくやりたいと思う。聞きに歌いにお出かけ下さい。



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