『碌山』に寄せて



碌山・荻原守衛という人 ― 仁科惇
人生はドラマである。誰にでもその人なりのドラマがある。碌山は、人が通常60年、90年をかけて生きるところを、30年で生きてしまった。だからどこを切り取っても切実なドラマが展開する。彼は日本の近代彫刻の祖として知られるが、彫刻制作に従事したのは晩年の2年半に過ぎない。彼の生きる目的は、「只一心不乱に、何でも一事が能くアンダースタンドすれば万事融然として了解し得べしと存じ、僕は僕の本業に依って人生を解釈せんと決心致し、日夜人体の構造と、如何にして之を描き出さんかとに専心致居候」とか、「夫れ偉大なる思想が我が天職也」というように、 どう生きるべきかということころにあった。

そして、「Love is art, struggle is beauty.(愛こそ芸術、相克が美)」といった思想を獲得し、愛も、美も、芸術も、彼なりの了解のもと実践された。最後は、「事業の如何にあらず、心事の高潔なり、涙の多量なり」といい放つことのできた、人間味溢れる明治人であった。
(にしな・つとむ、碌山研究家、信州大学名誉教授)


山と川 ― 榊原好恭

彫刻家・荻原碌山の生家の西には、北アルプスの秀峰・常念岳が屹立し、東には万水川が淀みなく流れている。彼はここをまほろばとして家族や村の先達に見守られながら、明治の日本人らしく努力の日々を積み重ねて成長した。

22歳から7年間の曲折に富んだ海外修業の折節に、彼の脳裏に去来したのはこの山河である。ニューヨークで、研成義塾同窓会誌『研成』第十八集の新体詩「次郎」を読んだ碌山は、作者である恩師の井口喜源治へ「アゝ万水!! 凡ての己が幼き記臆(ママ)は此の裡に包まれつ。・・・世には辛き風吹く国あらんとも思はざりし当時の己れを写し出でゝ、己れは無限の言ひ知らぬ涙の、胸に込み上ぐるを禁じ得ぬのである」と書き送っている。

群峰に抜きん出る常念岳を碌山が築き上げた近代彫刻の金字塔になぞらえるならば、大河でもないのに人を惹きつけてやまない万水川の風情は、余りにも短か過ぎた碌山の生涯を象徴しているようにも思える。時代を隔てゝ生まれた二編の詩、「常念岳をスケッチしていた・・」(「碌山」)と「水豊かなる万水の・・」(「次郎」)が、同じアルバムに収まったことを喜びたい。
(さかきばら・よしやす、碌山美術館理事、友の会事務長)




鎮魂の調べ ― 山田芳弘

絶作「女」をつくり上げて、幾ばくもなくして世を去った荻原守衛の命日「碌山忌」には、三浦久さんの作詞作曲による「碌山」が館内に鎮魂の調べとなって流れるのが恒例になっている。

理想を求め、不屈の精神で世界を雄飛して、波乱に満ちた30年の生涯ではあったが、碌山館の尖塔にとぶ不死鳥の如く、碌山の彫刻作品は不滅である。

不世出の芸術家を顕彰する美術館と同様、三浦久さんのフォークソングが多くの方に末長く聴かれることを期待している。
(やまだ・よしひろ、碌山美術館館長)


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